第74話 ヴェンデリン、記憶喪失になる(その1)
「ううむ……ここはどこなんだ?」
目を覚ましたら、なぜか大自然の中にいた。
自分の名前を思い出そうとするも、思い出せない。
どうしたものかと考え込んでいたら……。
「っ! 猪か?」
猪が突進してきたので、俺は『ウィンドカッター』を放ってその首を一撃で刎ねた。
「俺は魔法を使えるのか……」
それだけは覚えていたが、魔法があればこのどこかもわからない土地でも暮らしていけるだろう。
あらためて確認すると、俺は魔法使いの格好をしており、腰には魔法の袋も吊るされていた。
しばらくここで暮らしていれば、じきに記憶も戻るはずだ。
今は生活拠点を築くことに注力しよう。
幸い、俺はこういうことが嫌ではないみたいだしな。
「なかなかの大物だったな」
『ウィンドカッター』で倒した猪を『念力』を用いて樹に吊るし、魔法で血を完全に抜く。
この辺は記憶が残っているので助かった。
猪の解体も体が覚えており、剥いだ毛皮はあとで冒険者ギルドで売ろうと……どうやら俺は冒険者みたいだな……魔法の袋に仕舞い、肉は部位ごとに切り分けてから、バラ肉はパンチェッタに加工する。
「魔法の袋に、塩やハーブ類があって助かった。脂身も多いから、サーロにも挑戦してみるか」
サーロとは、豚や猪の脂身の塩漬けで、ウクライナやロシアの伝統食……。
「どうして俺はこんなことを知っているんだ? ロシア……ウクライナ……どこの地方の名前なんだろう? まあいいか」
記憶が戻ればわかるはずだ。
猪の脂身を、多めの塩とハーブ、ニンニクと共に漬け込む。
常温なので、衛生面も考えて塩は多めにしておいた。
一日漬けたら、やはり魔法の袋に入っていたミズホ製のサクラチップと燻製器を用い、同じく塩漬けにしたバラ肉と共に燻製してさらに水分を抜き、保存性を高めよう。
「内臓は素早く下処理して魔法の袋に。今夜は、レバーとハツを低温調理しようかな。大腸、小腸は味噌漬けに」
魔法で倒した猪を調理していたら暗くなってきたので、すぐに野営の準備を始める。
テントを張って火を熾し、新鮮なレバーでレバニラ炒めを作る。
「色々と謎の調味料や料理が頭の中に浮かんでくるけど、全部忘れてなにもできないよりはいいか」
こんな未開の地に一人なので、なにもできないと死んでしまうかもしれない。
様々な食材や料理、野営の知識があって助かった。
「低温調理したレバーとハツに、岩塩、ゴマ油を和えて、刻んだネギをのせる。美味そう」
メイン料理であるレバニラも完成したので、炊いたご飯と共にこれを食すことにした。
「魔法の袋さまさまだな」
どうやら俺は、かなり優秀な冒険者にして魔法使いらしい。
おかげで、記憶喪失になっても生活に困らないのは助かった。
「いつ記憶が戻るかわからないし、今はノンビリ過ごすかな」
それにしても、俺はいったい何者なのだろうか?
考えたところで答えが出るわけでもなく、これはもう、なるようにしかならないな。
「これは大きいぞ!」
川で大きなコヌルが獲れた。
時間はあるので、じっくりと鯉こくに料理していく。
この魚はコヌルなのに、料理名は鯉こくだと思う俺の謎は深い。
締めたコヌルのウロコを取ってから輪切りにし、苦い肝を潰さないように取り出す。
軽く下茹でして、白く固まった表面のヌメリの部分を取り除いてから、再び大鍋に水と共に入れ、臭み消しのショウガ、ネギの青い部分と一緒に煮ていく。
アクが出るのでそれを小まめに取り、よく煮込んでから味噌で味付けを……味噌という調味料、なぜか懐かしい感じがするな。
「さて、こんなものかな。早速味見を……うん、まったく生臭くなくて美味しい!」
小骨は多いが、滋味溢れるいい味だ。
炊いたご飯と一緒に食べると、実に美味しい。
コヌルの刺身……いや、俺の本能が、生食は危険だと言っているのでナシだな。
海が近くにあれば生の魚を食べられるので、そのうち周囲の様子を探りにいかなければ……。
「特にすることもなく、自分の食べるものだけを確保する。案外悪くない生活だな」
今夜は、採取した山菜と、魔法で毒ナシと判別したキノコ、猪のロース肉、狩ったホロホロ鳥の肉を天ぷらにしていただく。
天ぷらを食べるツユは醤油で自作しており、当然素材に合わせて岩塩や抹茶塩も用意してある。
「変わりダネとしては、ホロホロ鳥の卵を天ぷらにするぞ」
見事に揚がったホロホロ鳥の卵の天ぷらを箸で裂いてみると、中から熱々の半熟の黄身が出てきて食欲をそそる。
「天つゆと一緒に、ご飯の上にのせて食べると最高!」
自分で揚げながら食べる天ぶらは最高だな。
どうして俺がこんな料理を知っているのか、まだ思い出せないけど。
「この川で獲った小魚も、天ぷらにすると美味しいな」
ここでの生活も悪くない気がしてきた。
もし記憶が戻らなかったら、ずっとこうやって暮らすのも悪くないな。
「随分と丁寧に採取してあるね。おっ、この野草は貴重だから高く買い取るよ。このキノコも鍋で一緒に煮ると旨味が出てくるんだ」
森の奥地での一人暮らしに慣れてきたので、今日は偵察の最中に見つけた村で、採取した野草とキノコを売ってみた。
なぜか俺は大金を持っているので生活費を稼ぐ必要はないのだけど、これから暇潰しにこの村で買い物などをすることを考えると、森の奥地で活動する魔法使いだと思われた方が怪しまれずに済む。
「猪の肉もあるのか。これはただの塩漬けじゃないな」
記憶にあったパンチェッタとサーロだが、森の奥は猪が多かった。
のんびり過ごす予定だったが、悲しいかな元現代日本人である……徐々に記憶が戻りつつあるのか?
時間が空くとパンチェッタとサーロ、味噌漬けなどを大量に作っていたので、売れるかどうか試してみたのだ。
「ほほう、塩だけじゃなくて色々なハーブ類も使って、燻製にして保存性とスモーキー感も加えてあるのか。これはいいな。ぜひ買い取らせてくれ」
パンチェッタとサーロも、思った以上にいい値段で買い取ってくれてよかった。
なぜか魔法の袋に入っていた総資産に比べれば微々たる額だが、今日はこれで村の酒場で久々に外食を楽しむことにしよう。
「こういう生活も悪くないな」
まだほとんど記憶は戻っていなかったが、以前の俺は忙しかった気がする。
なので、このままこんな気楽な暮らしをするのも悪くないかもしれない。
「ほほう、この猪のモツは塩とハーブで煮込んであるのか。長時間煮込んであって柔らかい」
「うちの酒場の名物さ。もっとも、この村で外食できるのはこの店だけでね。お酒を飲まない人の食事も大歓迎さ」
やはり村唯一の雑貨屋で……この村は田舎すぎて冒険者ギルドもないようだ……色々な物を売った俺は、村唯一の酒場兼レストランで食事をとっていた。
夜の帳が下りた酒場の内は、お酒を楽しむ人と、食事やデザートを楽しむ人でいっぱいだ。
村唯一の外食できる場所なので、ほぼ独占状態……村の人口を考えると、あまり店を増やしても過当競争になるだけか。
ただ、この酒場の料理はとても美味しく、独占状態に胡坐をかいているわけではないようだ。
「俺が売ったパンチェッタとサーロが出されている」
「ロンの雑貨屋から仕入れたんだけど、あんたが作ったのかい。魔法使いなのに器用なんだね」
「昔教わってね」
多分、誰かに教わったから作れたんだよな。
覚えていないけど。
「お酒に合うし、これを調味料と具としてパスタを作ると美味しいから、女性や子供にも大人気さ」
「俺は色々なところに行ったことがあるが、同規模の村にある酒場と比べると、客が多いんだね」
「この村は男性も女性も働くから忙しくてね。外食する頻度が高いんだよ。この村の男は木こりが多くて、収入も悪くないからね」
「そうなんだ」
この世界には珍しい、女性に炊事の負担をかけないため、外食が盛んな村なのか。
だが人口なんかを考えると、店の数は増やせないと。
「これからも、パンチェッタとサーロを売ってくれよ」
「ある程度はまとめて作ったけど、俺も他にやりたいことがあるから、作り方を覚えてくれよ。教えるから」
「いいのかい?」
「そんなに難しくないし、女将さんは料理に慣れているからすぐに覚えるよ。隠すほどの秘伝でもないね」
「すまないね」
そんなわけで翌日。
俺は酒場の女将とその家族に、パンチェッタとサーロの作り方を教えた。
ただ、魔法の袋に入れてある珍しいハーブ類は使えないから、村の周辺で採れる野草やハーブ、香味野菜などを使ったバージョンを教えた。
燻製のチップも、ミズホ産のサクラチップは手に入らないので、村の周辺に生えている『ヒッコリー』、『野生のリンゴ』、『クルミ』、『ブナ』に似た木で燻製チップを作って、これも作り方を伝授している。
「ほほう、これは美味いものだな」
「掃った枝の有効活用にもなるな」
「野草やハーブ類は、畑で栽培してもいいな」
酒場の家族は、無事にオリジナルパンチェッタとサーロの作り方を覚えてくれた。
そしてそのお礼として……。
「これからあんたは、ずっと無料で食事を出すからね。ところで、あんたの名前は?」
「……シンゴーだ」
名前も記憶になかったのだが、なぜかその名前が思い浮かんできた。
珍しい名前だけど、これはのちに俺の記憶を取り戻すヒントになるのかな?
「猪のモツ煮込みうめえ」
女将さんが獲った猪を買ってくれることになったので、これからは毎日一~二頭狩れば大丈夫かな?
「今日は、この野イチゴと、野生種の林檎でジャムでも煮るかな」
翌日、森の奥で遭遇した猪を速攻で狩り、今日の仕事はこれで終わりだ。
それと、酒場の女将さんの紹介で、野営はやめて酒場の二階の空き部屋に住むことになり、朝食も無料になったのはいいが、パンにつけるジャムが貧弱だったのを思い出した。
「砂糖は高いから、水飴を作るか」
村で買った麦を材料に、魔法で水飴を作り、これで森の奥で採取した果物を材料にジャムを煮ていく。
さらに、木の実を集めて鍋で乾煎りし、これにやはり森の奥で採取したハチミツを使ってハニーローストナッツも作る。
「少々塩も入れて、甘じょっぱくするのがコツだ」
特に目的もなく、その日にやりたいことをしてすごすのは最高だな。
なお、ジャムとハニーローストナッツもお裾分けしたらとても好評だった。
「シンゴーさん、このジャム、甘くてパンにつけると美味しいですね」
女将さんの娘であるアイシャさんも、ジャムを気に入ってくれたようだ。
さて、明日はなにを作ろうかな?
突然記憶喪失になってしまったけど。この生活、悪くないかも。
※※※※
「お館様が突如行方不明になった! バウマイスター辺境伯家の家臣一同! 全力でお館様を探すのだ!」
「「「「「「「「「「おおっーーー!」」」」」」」」」」
いつものようにコッソリと屋敷から抜け出し、『瞬間移動』でどこかに出かけたと思ったら、お館様が帰ってこなくなってしまった。
こんなことは初めてだが、このままというわけにいかない。
すべての家臣たちを動員して、ヘルムート王国中を探さなければ。
バウマイスター辺境伯家には、絶対にお館様が必要なのだから




