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第百四十四話 やはり魔法はあまり関係なかった。

「ブラントー閣下! この新聞記事をご覧になりましたか?」


「まだ見ていないが。それが何か?」


 突如大型魔導飛行船をこちらに送り出し、挙句に領空侵犯を警告した警備艦に魔法を放ったヘルムート王国との交渉が上手くいっていない。

 事件の一週間前に政権交代をしたばかりで政府が混乱しており、この事件が混乱に拍車をかけた形となった。


 それでも官僚達の力を借りて民権党の連中もどうにか交渉を始めたようだが、話は何も進んでいなかった。

 歯痒いが、今の我々は野党で何ら権限もない。

 世論とマスコミの受けを狙って編成された交渉団が、こちらの予想どおり別の方向に張り切ってヘルムート王国を怒らせ、これに今の魔族社会の停滞を解消するため、リンガイア大陸への侵攻を唱えるおかしな連中も呼応し、これでは纏まる交渉も纏まるはずがない。


 民権党はリベラルを売りにする政党のはずなのだが、所詮は寄合所帯。

 今私の目の前にいるようなおかしな連中もいる。

 野党に転落したとはいえ、我々国権党も暇じゃないのだがな。


 民権党が思った以上に素人の集まりで危機感を抱いた官僚連中と話し合いをしたり、無駄とはわかっていても民権党に政策を提案したりしているのだから。

 まあ、民権党の連中は無駄にプライドだけは高いから、こちらの政策提案はほぼ無視されているが。


 一部まともな議員達は危機感を抱いているが、彼らは少数派で目立たない。

 我ら国権党にもアホな議員は存在し、今、そのアホから会ってほしいと言われた人物と話をしている。


 彼の名はオットー・ハインツといい、病的なまでに痩せ型でロマンスグレーの髪を七三に分けている。

 とても神経質そうに見え、目がギョロっとしており、常にあちこちを見渡していた。

 人と目を合わせるのが苦手なようで、これで政治団体のトップだというのだから凄い。

 

 差し出したヨレヨレの名刺には『世界征服同盟』と書かれており、この時点で私の心の中に警報が鳴り響いた。

 聞いた事もない政治団体なので泡沫組織であろうが、こんな命名をしてしまう時点でちょっと近寄りがたい連中なのは確実だ。


 彼は先に『世界征服同盟』とやらの政治理論を説明したが、この男、話し始めると急に饒舌になる。

 だからといって演説が上手というわけでもなく、ただ単に自分が語る内容に酔ってしまうタイプのようだ。


 世界征服同盟なので、彼はリンガイア大陸への進出を目論んでいる。

 人間を征服して搾取すれば、無職の若者も待遇のいい仕事が得られるという至極簡単な理屈だ。

 確かに、良心の呵責に苛まれなければいい政策だ。

 その前に、それが可能な軍備を整えなければいけないがな。

 無職の若者は、みんな軍人にしないといけない。

 魔族も人口減少で人手不足だからな。

 それで、どの程度の大陸領土が確保できるのかは未知数だが。


 組織名に相応しい主張だが、所詮は泡沫組織の戯言だ。

 大体、わざわざ野党である国権党所属議員の私の下に来たのは、民権党が多数連合を組んでいるリベラル系の労働団体、市民団体、政治団体、人権団体にハブられたからであろう。


 あの連中は、いまだに未開な封建主義で国を治めるヘルムート王国とアーカート神聖帝国を打倒しろと言っているから、考えが合わないのは明白だ。

 えっ? 同じじゃないかって?

 我ら魔族による侵略は悪でも、解放のための手助けなら正義だと言葉遊びができるのが、民権党と組んでいる連中なのだ。

 国権党にも、彼らと協力している者がいるがね。


 実は民権党にも、この世界征服同盟と同じ事を主張している団体も複数存在する。

 こいつらがどういう理由で除外されたのかは不明だが、あの手の組織は内部対立が華みたいな部分もある。

 大方、極右団体同士の抗争で敗れたのであろう。


 それとこの世界征服同盟なのだが、富裕層による富の独占についても批判しており、完全な極右組織というわけでもないようだ。

 むしろ大資本家を批判しているから、極左勢力か?

 どちらにしても、あまりお付き合いしたくない類の連中だ。

 それでも、大きな組織なら嫌々付き合わねばならない事もあるのが政治家だ。

 だが、こんな泡沫組織に気を使う必要はない。

 なぜなら、こいつらでは選挙で票を稼げないからな。


「遂に、魔王が古の独裁政治復活に向けて動き出しましたぞ!」


「どこにそんな記事が書いてあるのだ?」


「ここに書いてあるじゃないですか! 閣下!」


 オットーは、エブリディジャーナルの一記事を指差した。

 一応、政治面に記事が書かれている。

 記述記者の名が署名してあるが私は知らない名だ。

 ベテラン政治家ともなると大物記者の名前は把握しているし、記事に手心を加えてもらうためにつき合いもあるからな。新人なのであろう。

 記事の内容は、失業したり、今の効率第一の生活に嫌気を差した若者達が、いくつかの廃村で農村の再生運動を行っているというものだ。

 廃村のインフラを自分達で修理しながら、自給自足の生活を送っている。

 余った作物はこの活動に賛同している人達が購入し、生活費に当てているようだ。

 ここで結婚し子供が産まれる夫婦もいて、今の課題は子供達をどうやって学校に通わせるべきか……か。

 悪い話ではないな。


 いいじゃないか。

 無職の若者達が、新しい生き方を模索する。

 生活が軌道に乗れば生活保護を出さないで済むし、若い集団なので結婚して子供が産まれる者達もいる。

 学校は、国権党が与党なら相談に乗ってもよかったのだがな。


「何か問題なのかな?」


「閣下! この団体の代表はかつての魔王ですぞ!」


「魔王ねぇ……」


 魔王とその一族が政権と国家財産を返納してから、一体何年経っていると思うのだ。

 今の魔王に力などないではないか。

 この団体の代表になったのも、お飾りとしてなら有効だと団体の幹部達が判断したからであろう。

 今の魔王は幼い少女のようだな。

 写真を見ると、将来美人になるであろうと予想できる。

 いつの世も、組織のトップが美人だといい広告塔になるようだ。


 もし彼らの活動が上手く行ったら、国権党から選挙に出馬してもらうのもいい。

 少なくとも、目の前のこいつよりはマシな政治家になるはずだ。


「彼らは危険です!」

 

「別に、武装しているわけでもあるまい?」


 危険って……。

 間違いなく、お前よりはマシであろう。


「農機具は、武器になります!」


 そりゃあなるが、そんな装備で警備隊に勝てるはずがない。

 こいつは何を言っているのだ?


「反乱を起こす可能性もあります! 魔王とバウマイスター伯爵が接触しました!」


 そうらしいな。 

 記事にそう書かれている。


「『今日の収穫を、ヘルムート王国からの客人であるバウマイスター伯爵と奥さん達が手伝い、収穫後に調理された芋料理をみんなで楽しんだ』収穫祭に遊びに行っただけでは?」


 バウマイスター伯爵達は、ヘルムート王国に男女平等、民主主義の受け入れ、狩猟と捕鯨の禁止など。

 お花畑のような無茶な要求を出してくる我が国の政府に対抗すべく、送り出されたものと思われる。

 バウマイスター伯爵自身も、この国の政治状況などをよく理解しているようだ。

 奥さんや子供達も引き連れ、どうにか融和ムードを作ろうと懸命に努力していた。


 いい手だったとは思うが、バウマイスター伯爵は我が国の国民達の大半が外の世界にまったく興味を持っていない点を読み違えたようだな。

 すぐに飽きられ、話題にも昇らなくなった。

 おかしな興味を持っているのは、目の前のこいつと一部賛同者くらいであろう。


「彼らの意図は見えております! 魔王と結託して、この国で王政復古のクーデターを起こそうとしているのです!」


「はあ?」

 

 いや、バウマイスター伯爵には警備隊の護衛兼監視役がいるんだぞ。

 そんな事を企んでも、一瞬で見破られてしまう。

 警備隊の連中が何も言ってこないという事は、バウマイスター伯爵と魔王一行がただ純粋に交流をしているだけとしか見ていないのだ。

 警備隊にもミスがないとは言えないが、ただ騒いでいるお前達よりは優秀だ。

 少なくとも、胡散臭いお前らよりは信じられる。


「貴殿は、想像力が豊かなようだな」


「想像ではありません! この国に危機が訪れているのです!」


 泡沫組織の特徴だな。

 荒唐無稽な事を言い始め、目立つ事で国民から支持を得ようとする。

 というか、この連中に活動資金を与えているのは誰だ?

 リンガイア大陸での商売を目論む資本家連中か?

 駄犬に無駄な餌を与えるのはやめてほしいな。


「その可能性もゼロとは言わないが、まずは貿易や交流が始まってからの話だし、大分未来の事だと思うが……」


 我が国の魔道具が大陸で販売されるようになれば、人間もそれを真似し始め、徐々に技術力が上がるかもしれず、人間が増えすぎて無人の土地に移民が送られるようになると、領土の蚕食が問題になるかもしれない。


 非常に難しい問題だが、双方が接触してしまった以上は落としどころを探らないといけない。

 クソッ!

 こんな時に民権党が政権を取ってしまうとは!

 現実的な対応ができないではないか!


「閣下の状況認識は少し甘いですな」


 失礼な奴だな。

 私はお前とは違って、少なくとも政治家という仕事はしてきたぞ。

 お前のような自称政治団体トップの無職と一緒にするな!


「念のために警告しておくが、もし貴殿らが実力行使に出ようとしても無駄だからな」


 警備隊に阻止されて捕まるだけであろう。

 今の政府はアレだが、基本的に警備隊の連中はまともだからな。

 魔王やバウマイスター伯爵一行に実力行使を行おうとしても、防がれて逮捕されてしまうはずだ。


 この目の前のバカは、外国から来ている公的な使者とその家族を排除しようとして、お咎めなしで済むと本気で思っているのであろうか?


「閣下……あなたには失望した。ここまで先を見通す目がないとは……」


 先を見通す目?

 それが、いまだにまともな仕事すらした事がないお前にあるというのか?

 

「彼らは危険なのです。私はその政治生命をかけて、彼らを排除しなければいけないのです!」


 目の前のバカは、一人で自分の決意に酔っていた。

 これは無駄な時間を使ってしまったようだ。

 こいつを紹介したアホな同僚議員は切る事にしよう。

 

「あなたは、この選択を必ず後悔する事になる!」


 アホは勝手に怒って出て行ってしまった。

 無駄な時間を使ってしまった。

 野党に転落しても、政治家は忙しいのに。


「そうだ。警備隊に連絡しておくか。バウマイスター伯爵へと攻撃を目論むアホがいると」


 今まで魔族のみで生活していた社会に人間という異種族が現れ、我らの生活が大きく変化しようとしている。

 その混乱の中では、あのような輩が出現してもおかしくないのか。


「世界征服同盟……構成員は十数名? 少ないなぁ……」


 ちゃんと警備隊に通報はしたので、私はすぐに彼らの事を忘れてしまった。

 人間への対応で色々と忙しかったからだ。

 あのような泡沫組織など、いちいち覚えておく必要がなかったともいえる。


「交渉がまったく進まない状況はまずい。交易と双方の移動に関する条件だけでも先に条約を締結すればいいのに……クソッ! 民権党め!」


 それよりも、今は両国の交渉についての話だ。

 私は無駄になる事が確実でも、民権党に提案する政策の取り纏めに再び没頭するのであった。







「同志オットーよ。陳情の結果はどうであった?」


「同志ライムントよ。また駄目だった」


「クソッ! この危機を理解できない無能め! あれで国権党の重鎮とは……」


「同志ライムントよ。あのような男が政府中枢にいたから、国権党は政権与党の座から転落したのだ」


 またも陳情に失敗した。

 民権党の複数の政治家に続き、国権党の政治家相手でもこの様だ。


 我ら世界征服同盟に所蔵する副党首ライムントに経緯を報告すると、彼も悔しそうな表情を浮かべた。


「魔族は、大資本の搾取と行きすぎた老人優遇政策のせいと少子高齢化で国が滅びつつある! 人間を未開だと侮っている連中も多いが、彼らは人口が多い。将来その数に押されて魔族が存亡の危機を迎えるとなぜ気がつかぬのだ!」


 我らの考えに賛同し、先週は四十六名もの支持者が集まってくれたのに。

 主催者発表は五百名にしておいたが、これは嘘ではない。

 彼らは十名分以上のやる気をもって、この集会に参加してくれたのだから。


「我らは、資本家からによる不当な搾取で貧困に喘ぎ、職もなく、わずかな生活保護で生かされている! 魔族の若者は結婚せず、子供も産まず。このままでは魔族は滅ぶのに、政府は何も手を打たない。民権党の連中は、国権党の政治に失望している不満者達の票を集めて政権を取ったが、あのような連中が物の役に立つとも思えん」


 力を貸そうと政策を提案したのに無視しおって!

 この世界征服同盟の党首オットーを何だと思っているのだ!


「同志ライムントよ。他の党員達は何をしているのだ?」


「いつものように魔法の練習だ」


「それは素晴らしい」


 進んだ魔道具の普及によって完全に廃れてしまった魔法だが、我々は魔法の復権も目指している。

 魔族が人間よりも有利な点、それは誰もが魔法を使える事のはずだ。 

 それが、魔道具に魔力を供給できればいいなどと。

 魔族がその強みを捨ててどうする。


 攻撃魔法が他人に当たったらどうする?

 子供が町中で魔法をぶっ放したら危険だ?


 わけのわからない理屈で、多くの場所での魔法の練習を禁止しやがって!

 だが、我らは違う。

 この私、オットー・ハインツの下に集まった九名の仲間達は、その時間の大半を魔法の練習に費やしている。

 魔法は、魔族にとって必要不可欠なのだ。

 古の時代に活躍した多くの偉大な魔法使い達。

 彼らは戦乱の世に、その魔法で多くの戦果を得た。


 魔族は本来の姿に立ち戻り、魔法を駆使して脅威である人間を征服する。

 魔族一人あたり百名の人間を支配すれば、魔族は大きく発展できるはずだ。

 働かなくても豊かな生活が送れ……いや、魔族がみな貴族となる。

 身分差も収入差も少なくなり、結婚する者も子供を産む者も増えるであろう。


 危険な人間を抑える効果もある。

 

 誰もが幸せになれる素晴らしい政策なのに、民権党も国権党も我らを無視しやがる。

 この天才である私を何だと思っているのだ!


「同志ライムントよ。あとでみんなに話がある」


「わかった」


 数時間後、私は魔法の練習を終えた同志達を集めた。

 話したい事があったからだ。


「同志オットー、大分魔法の威力が上がったぞ」


「それはよかったな。同志レオンよ」


 我ら世界征服同盟は、十名の精鋭と数名の支援要員によって運営されている。

 みんな金に汚い資本家連中や、その犬となっている政治家達のせいで不遇な生活を送っているが、魔法の練習を始めたら表情が明るくなった。

 やはり、魔族は魔法を使ってこそ光り輝く。


 この魔法を駆使し、必ずや人間の国を征服するのだ。

 それこそが我ら魔族に相応しい生き方なのだから。


「同志オットーよ。陳情は与野党双方に無視されたと聞くが……」


「嘆かわしい事だよ。目の前にすべてを解決する妙案があるのに、人権だの、戦力だの、予算だのと、人間と魔族の融和などと戯言を言って我々の政策を批判する。魔族の衰退を止められなかった政府、自分達さえよければいいと思っている資本家の豚ども、その御用聞きをしているマスコミども! あいつらの自分の事しか考えない姿勢にはヘドが出る!」


 綺麗事を言いながら、魔族の若者を搾取し、その心を殺しているのはお前らではないか!

 人間の人権?

 そんなものは、我々が支配をすれば解決する。

 我ら魔族がこの世界の支配者となり、人間を支配すれば終わる話なのだ。


「同志オットーよ。これからどうするのだ?」


「勿論事を起こすが、それには時間がかかる」


「やはりそうか……」


 何しろ、民権党政権が成立したばかりだからな。  

 下手に焦ると、我々を警戒している警備隊などに捕まりかねん。


「だが、民権党の連中は無能だ! 必ず警備隊の足を引っ張るようになる!」


 その時に、一気に事を起こすのだ。

 

「事を起こす?」


「我らは少数である。組織も決して大きくはない。だから、とにかく目立って多くの賛同を得るのだ!」


「何をするのだ?」


「決まっておろう。魔王とバウマイスター伯爵を暗殺する」


 政府や国権党へのテロはまずい。

 あいつらは自分が可愛いから、自分達を殺そうとした者達に容赦はしない。

 ところが、魔王とバウマイスター伯爵は違う。


 魔王は今は何の実権もないが、幼いながらも美しい少女だと聞く。

 彼女が将来政界に進出したら?

 自分の椅子が奪われるのではないかと、戦々恐々する政治家共も多いはずだ。

 バウマイスター伯爵に至っては、他所の国の人間である。


 この二人を殺せば、大きな知名度が得られる。

 刑務所に四十年ほど入らねばならないが、この国では死刑制度が廃止されたからな。

 必ず出所はできるのだ。

 

「バウマイスター伯爵を殺せば、その後ろにいるヘルムート王国が怒るはずだ。あとはちょっと刺激すれば戦争になる。戦争になれば、なし崩し的にリンガイア大陸に出兵が可能となろう。戦って勝利し、人間どもを支配すればいい」


「おおっ! さすがは同志オットー」


「さすがだ!」


「我らが魔族の礎となるのですね」


 我々の考えがなかなか認められないのは、お行儀よく自分達だけが可愛い政府や資本家、マスコミ連中のルールで動いているからだ。

 そう、我々がそのルールを、枠組みをぶち壊し、新たな世界と秩序の切っ掛けとなるのだ!


「今は耐える時である! 必ず民権党のアホどもは警備隊の牙を抜こうとする! その時こそ、魔王とバウマイスター伯爵の最後なのだ」


 別に恨みがあるわけでもないがな。

 私達のために、二人には死んでいただかねばならない。

 

「というわけで、私も魔法の練習に励むかな」


「おおっ! 同志オットーが!」


「バウマイスター伯爵は人間の間では高名な魔法使いだと聞くが、同志オットーには勝てまい」


 私の魔力は、魔法のエリート一族であった魔王にも勝る。

 必ずや二人を血祭りにあげ、私は新たな高みへと昇るのだ。


 そう決意した私は、同志達と共に魔法の鍛錬に勤しむのであった。






「……バウマイスター伯爵、魔族とゾヌターク共和国に関する報告書は読んだ。それにしても……」


 自分なりに色々と努力してみたのだが、端的に言って俺達の魔族の国訪問はあまり意味があったとは思えない。

 最初は奥さんや子供達を連れての登場だったので好意的な世論も多かったのだが、進まない両国の交渉に、魔族の他国に対する興味の薄さも手伝って、注目されなくなるまでさほど時間はかからなかった。


 人の噂も七十五日というが、俺達の話題は一か月保たなかったな。

 魔族という種族はあまりに長い期間自分達だけで生きてきたので、人間に興味がある者が少ないのだと思う。


 後半は特に何もする事がなく、辛うじて血脈を保っている魔王様ご一行と遊んでいただけだ。

 彼女達が農村復興運動を進めていたので、そこで農作業を手伝ったり、収穫物を一緒に調理して食べたり、魔王様がフリードリヒ達の面倒を見たり、俺が魔王様に算数を教えてみたり。


 政府に相手にされなくなったので、彼女達とばかり一緒にいたというわけだ。

 交渉が進まない以上、あまり長くゾヌターク共和国にいても意味はなく、俺達はヘルムート王国に戻ってきた。

 

 西部へ出陣命令も既に終了となっている。


 両国が交渉を続けており、ホールミア辺境伯もテラハレス諸島の基地規模や、敵の少なさから判断して金がかかる動員を解除し、即応可能な少数精鋭部隊のみをサイリウスに配備するのみとなっていた。


 交渉が長期化するのが確実な以上、あまり大軍を動員していたらホールミア辺境伯も、他の貴族も破産してしまうからだ。


 ただ、西部の準戦時体制は解かれていない。

 ホールミア辺境伯としても、早く平和になる事を望んでいるはずだ。


 俺もそれは望んでいるのだが、交渉のチグハグさは王宮でも問題になりつつあるようだ。

 だが、魔族側の主張を受け入れると、ヘルムート王国は国が成り立たなくなる。

 魔族側には妥協するという考えがなかった。

 普通の政府なら進まない交渉に批判が集まるものだが、魔族は基本的に外国に興味がない。

 大新聞社が政府に気を使って交渉に関する報道を控えるようになると、すぐに領空侵犯事件から始まる人間との接触に興味を失ってしまった。

 たまに大本営記事で、ゾヌターク共和国側は強気で交渉しているという記事が書かれ、それならいいと国民は満足してしまうそうだ。


『強気の交渉といえば聞こえはいいっすけど、ただ言いたい事を言っているだけともいえるっすね』


 ゾヌターク共和国を出る時、見送りにきたルミが事情を説明してくれた。

 交渉団には、人権団体のトップや、動物保護団体のトップがいる。

 彼らはヘルムート王国における男女平等と民主主義の導入、狩猟と捕鯨の禁止などを条件に入れて引かない。

 こういう連中が原理主義者なのは、どこの世界でも同じだ。


「彼らはなぜこうなのだ?」


「生活が豊かだからです」


「それにしては、人口が減少傾向なのか……わからぬ」


 俺もよくわからないけど、人間って貧しい方が子沢山だったりするからな。

 まともに育つか不安なので沢山産むと聞いた事がある。

 アフリカの国とかがそうだよな。


「このまま粘り強く交渉を進めると、ユーバシャール外務卿は言っておった」


 粘り強くねぇ……。 

 あの人は、内弁慶という欠点があるからなぁ……。

 向こうに押されて、不平等条約でも結ばなければいいけど。


「外交に関わる者達をすべて手伝わせておる。そういう事はないはずだ」


 内乱があった帝国との交渉に続き、久々の大仕事というわけで、他の外務卿に就ける貴族達も積極的に手伝いに行っているそうで、つまりユーバシャール外務卿がポカをしても、他の者達が止めるシステムが出来上がったようだ。

 その代わりに『船頭多くして船山を行く』の諺どおり、何も決まらない可能性もあるけど。


「交渉には時間がかかると覚悟しておる」


 焦って不平等条約を結ぶよりは、なかなか決まらないで停滞していた方がマシという考えなのだろうな。

 魔族側は国民に批判されるかもしれないけど、それをヘルムート王国側が気遣ってやる必要などないわけだ。


 向こうの焦りは、こちらの得にもなる。

 どうせ、狩猟、捕鯨の禁止、女性の社会進出、民主主義の導入など王国が受け入れるはずがない。

 地球でも纏まらない外交交渉など珍しくもないので、纏まらない以上は放置しておくのも手ではあるのだ。


「もう一つ、リンガイアとその乗組員達の返還交渉についてだ」


「それは、ユーバシャール外務卿が交渉しているのでは?」


「これが上手くいっておらぬのだ」


「どうしてですか?」


 この件は、俺もほぼすべてのリンガイア乗組員達から事情を聞いているが、副長の一人であるプラッテ伯爵の跡取りが、魔族の船に魔法をぶっ放させたから事件が発生したという結論で一致している。

 ゾヌターク共和国警備隊による事情聴取でも同じ結論に至っており、その副長による暴走であるが、上官である艦長や空軍にも管理責任があるので謝罪する。

 プラッテ伯爵の跡取りは命令違反なので、空軍で厳重に処罰する。

 リンガイアと乗組員達の拘留にかかった費用を王国が負担する。


 このくらいの条件で手打ちにした方がいいと俺は思い、陛下もそのくらいでケリをつけた方がいいと思っていた。

 ところが、ここでその条件は断固として呑めないと言い始めた人物がいる。


 勿論、プラッテ伯爵だ。


『魔族という存在が王国の取り巻く状況を大きく一変させるかどうかの瀬戸際に、王国側が謝って魔族の風下に立つ必要があるのか? それは危険だ!』


 一見いい事を言っているように見える……とは俺は思わない。

 ようするに、プラッテ伯爵は跡取り息子が厳罰を受けてキャリアに傷がつくのを怖れているのだ。

 プラッテ伯爵家は空軍司令官を世襲できる家柄であるが、さすがに厳罰を受けた人物を順当に出世させたり、司令官の職を回すわけにいかない。

 彼を次のプラッテ伯爵家当主から外さなければいけない空気になるわけだが、どういうわけか彼はあのバカ息子を溺愛している。


 だから国家のプライドなどという事を言い出して、すぐに実現可能なリンガイア解放を邪魔していた。

 俺からするとバカバカしい言い分なのだが、この意見、軍部と外務閥では一定の支持があるので解放交渉はまったく進んでいなかった。


「つまりプラッテ伯爵は、ヘルムート王国が謝るのはよくないと?」


「そう言っておるな」


 プラッテ伯爵の言い分は、国家間の関係などを考慮すると必ずしも間違っているとは言えないんだよな。

 だから王宮内にも支持者がいて、それがより問題を複雑化させている。


「どこか落としどころはないのですか? 乗組員達の拘留が長期化してしまいますよ」


 相手が人権を考慮する魔族の国なので、拘留された乗組員達が虐待を受けているような事はない。

 それでも、長期の拘留となればストレスも溜まるはずだ。


「ご子息の拘留について、プラッテ伯爵は何と言っているのです?」


「向こうの状況を知るために、先に奴だけ解放させようと抜かしておる」


 何だよ。

 結局自分の息子が可愛いだけじゃないか。

 やっぱり、俺とプラッテ伯爵は致命的に合わないのだな。

 その話を聞いたら、余計あいつが大嫌いになった。


「こういう場合って、彼が最後に解放されるのがいいと思いますけど」


 建前としては、高貴な貴族が平民達の解放を優先し、自分は最後まで残る。

 高貴な者としての責務ノブレス・オブリージュ というやつだ。

 実際に貴族が実践するかは別として、あのバカ息子は俺にも早く自分だけ解放しろと迫ってきたから、確実に実践しない方の人間なのであろう。


「そうじゃな。プラッテ伯爵の息子は最後に解放された方がいいであろう。例え、本人が嫌がろうとな」


 陛下も、プラッテ伯爵のバカ息子が嫌いなようだ。

 好きな奴は、息子ラブの父親くらいであろうが。


「ユーバシャール外務卿はどうお考えなのです?」


「あの男、外部からの圧力に弱い部分があるからの。プラッテ伯爵とその賛同者に突かれてオロオロしておる。ただ、プラッテ伯爵の子息だけを先に解放するという交渉は、逆に魔族側に舐められてしまう危険性があると、他の外務閥の貴族達に言われて受け入れていないそうだ」


「それもありますが、貴族の息子だけ先に解放すると、ヘルムート王国は傲慢な貴族が政治を壟断する国だと、魔族から思われてしまう可能性があります」


「民主主義とやらか? 今、概要を学者達に精査させておるが、よくわからない統治システムじゃの」


 これまで数千年も王政に馴染んできた人達に、民主主義を説明するのは難しい。

 俺も理解できる範囲で陛下からの問いに答えていたが、上手く説明できたかどうか怪しいところだ。

 俺の前世について言うわけにいかないので、これはあくまでも私見という事で話はしていたが。


「交易などの交渉が長引こうと問題はないが、やはりリンガイアの乗組員達だな。余は決めた。バウマイスター伯爵を正式に特命大使に任命する。リンガイアの乗組員達を解放してきてくれ」


「私がですか? ですが……」


 あきらかにユーバシャール外務卿がいい顔をしないと思う。

 自分の職権を犯されるからだ。


「バウマイスター伯爵に任せるのはリンガイアとその乗組員達の解放だけ。そもそも、ユーバシャール外務卿にはその交渉を第一にと任じておる。念のために二ルートで交渉を行わせるだけだ」


「わかりました。お引き受けします」


 ここで断るわけにもいかず、俺はリンガイアの乗組員達の解放交渉に従事する事になるのであった。





「それで私が同行するのですか?」


 幸いにして『瞬間移動』でテラハレス諸島と魔族の国には移動可能になったので、秘密交渉の側面もある以上、それほど同行者を増やせない。

 そこで、俺は同行者にリサを指名した。

 凄腕の魔法使いなので護衛役も十分に務まるし、何よりリンガイアに乗船していた彼女の弟子が魔族の船を魔法で撃った実行犯なのだ。

 その弟子と、プラッテ伯爵のバカ息子をどうするかが交渉の肝なので、実行犯と顔見知りのリサが一番の適任であった。


「頼むよ」


「それは喜んで参加しますが、アナキンですか……彼の拘留を解くのは難しいのでは?」

 

 リサは自分の弟子なので、彼の事を気にかけていた。

 確かに魔法を放った実行犯なのだが、彼はプラッテ伯爵のバカ息子の命令を聞いただけなので犠牲者でもあるのだ。


 警備隊の連中に言わせると、アナキンの魔法で船に損傷があったわけでもなく、特に彼に対して悪感情は抱いていないようであった。


 ならば、リンガイアとその乗組員達の解放交渉は勝算があるかもしれない。


「ヴェル、また魔族の国に行くの?」


「陛下の命令で交渉しないといけないんだ」


「艦長と副長さんには骨竜の時にお世話になったから、無事に解放されるといいわね」


「部下の暴走の被害者だものな」


 管理責任がないとは言わないが、プラッテ伯爵のバカ息子はこちらの予想を上回るバカだからな。

 不可抗力でもあったと、イーナも俺も思っていた。


「ささっと交渉してくるよ」


「そんなに簡単に交渉できるものなの?」


「そう言わないと長引きそうな気がするから」


 早速俺とリサは、『瞬間移動』でテラハレス諸島へと飛んだ。


「おや、どうかなされましたか?」


「陛下より、正式に特命大使を任じられまして」


 勝手に動くとユーバシャール外務卿が臍を曲げそうなので、先に挨拶をしておく。

 陛下からも連絡が行っていると思うが、これも円滑なコミュニケーションのためだ。


「話は聞いているが、大丈夫なのか?」


「正直なところ、わかりません」


 別に嘘を言っているわけでもなく、本当にわからないのだ。

 こればっかりは、実際に交渉してみないとわからない。


「我々は通商関係の交渉だけで苦戦している状態だ。ご自由にやられるがいい」


 ユーバシャール外務卿は、俺でも解放交渉を成功させるのは難しいと思っているようだ。

 というか、世間一般の人達の大半はそう思っているであろう。


「旦那様?」


「じゃあ、行こうか」


 とはいっても、目的は魔族の国ではない。

 いきなり現地に飛んでも、知己がいないので交渉のテーブルにすらつけないからだ。


「誰と交渉するのですか?」


「あの連中じゃない事は確かだ」


 ユーバシャール外務卿達がいる交渉のテーブルには、反対側に魔族の代表達も座っている。

 だが、俺の目から見ても彼らの大半は優秀じゃない。

 運動家あがりの政治家が多いから、声は大きいが実務に不向きなのだ。


 それよりも、彼らに資料を渡したり、後ろからささやいてフォローしている官僚達。

 狙いはむしろ彼らの方だ。


「失礼」


 政治家から離れた隙を狙って、俺は若い官僚らしき魔族に声をかける。


「貴殿は外交に従事する官僚という認識でよろしいのでしょうか?」


「はい。急遽外務省が復活したので、他の省庁からの出向組ですけど」


 他国の不在により、魔族の国では数千年も外交を担当するお役所が閉鎖されていた。

 この度急遽復活し、彼らは新しく組織を作りながら、政治家の補佐も行っているのだ。


「次官クラスの方はいらっしゃられますか?」


「いますが、それが?」


「あっ、そうそう」


 俺は声を小さくしてから、その若い官僚に耳打ちする。


「私、急遽リンガイアの解放交渉に関する特命大使に任じられまして。急ぎ内密に取り次いでいただきたいのですが」


 俺が陛下から貰った委任状を見せると、彼は顔色を変えた。


「解放交渉ですか?」


「いや、なに、わざわざ政治家の方々のお手を煩わせる必要はありません。建前としてはよくないのでしょうが、ここは本音でいきましょう。意味はご理解していただけますよね?」


「……ガトー事務次官は、今休憩中ですが、ご案内いたします」


 俺達は、若い官僚の案内で別の部屋に案内される。

 そこは、警備隊が建設したプレハブのような建物の一室で、白髪交じりの魔族が書類を見て溜息をついていた。


「どうした? オウテン」


「バウマイスター伯爵殿をお連れしました」


「バウマイスター伯爵殿? ああ、我らの国に親善大使として来られた方だな。本国から情報は受け取っている」


「バウマイスター伯爵です。今日はリンガイア解放についての特命大使として来ました」


「解放交渉ですか……」


「ちなみに、政治家連中には何も言っておりません。意味はわかりますよね?」


「オウテン、暫く誰も入れるな!」


「はい」


 オウテンという魔族の若い官僚は部屋の入り口で監視にあたり、ガトー事務次官と俺との秘密交渉が始まった。

 やはり、魔族の国は政治家よりも官僚の方が実務に長けているようだ。

 その辺は日本と同じで、俺は政権交代もあって不安定な政治家よりも、今は官僚と交渉した方が楽だと想像し、それが見事にハマったわけだ。


「リンガイアの解放交渉ですか……」


「はい、拘留費用もバカにならないでしょう? 正直なところ」


「警備隊の制服連中は不満そうですね」


 拘留で臨時の出費が増え、そうでなくても政治家が防衛予算は削減するのにリンガイア大陸への侵攻を口にしたりしている。

 これで不満が出ない方がおかしい。

 ならもっと予算を出せという話になるのだが、民権党の政治家は増え続ける国家の借金を削減するといって当選した。

 世論に敏感な彼らは、口が裂けても防衛隊予算増額を口にできないのだ。


「ですから、当事者以外は急ぎ船ごと解放してしまいましょう。実行犯の魔法使いと、指示を出した副長だけは例外ですけど。彼らの処遇はあとで細かく相談するとしてですね……」


 犯罪者二人だけの拘留なら、今よりも圧倒的に費用はかかならいのだから。


「二人ですか? いかにその副長の独断とはいえ、艦長ともう一人の副長の責任もあるのでは? 業務上過失傷害の罪状があります。警備隊にも微傷を負った者がいると聞いております」


 警備隊が反撃して船を制圧する時に、かすり傷程度だが負った隊員が存在した。

 その罪状があると、ガトー事務次官は鋭く指摘する。

 さすがは、細かい事にもよく気がつく官僚という生き物だ。

 こちらの粗を突き、自分の得点を稼ぐ事も忘れない。


「ですが、世論はプラッテ伯爵のバカ息子が主犯の方が嬉しいのでは?」


 民衆を抑圧する貴族のバカ息子が平民階層出身の艦長に逆らい、同じ平民出身で逆らえない立場にいた魔法使いに無茶な攻撃を命じた。

 彼が主犯の方が、魔族達は納得するのだ。


「確かに否定はできませんね」


「王国空軍では、プラッテ伯爵のバカ息子を命令違反で厳罰に処す予定だそうです。彼が主犯で問題ないと思いますが。どうせ彼は最後に帰国しないといけません。ヘルムート王国でも駄目な貴族は民衆の間で噂になりますから」


「なるほど、むしろ帰国が遅れた方がいいと」


「はい」


 プラッテ伯爵の言うとおりに、バカ息子だけが先に帰還したら非難轟々のはず。

 だから、彼が長期間拘束されても問題ないわけだ。

 自分だけが最後に残り、平民達を先に帰した。

 その評判が彼を救うのですよ。


 本人は自分を一番早く収容所から出せと抜かしたクズだが、奴の意志など関係ない。

 せいぜい、魔族達へのスケープゴートにしてやる。


「この方が、拘束する人員が一名で済みますけど」


「実行犯の魔法使いは?」


「彼は即決裁判でよくないですか? 罪状は器物破損程度でしょう? しかも主犯じゃない」


 さらに、魔法を放った警備隊の艦艇には何のダメージも与えていない。

 上手く交渉して微罪にし、国外追放扱いでリンガイアと共に帰国させてしまえばいい。


「バウマイスター伯爵殿は、我が国の法律をよくご存じですね」


「そこまで詳しくないですよ。この前の滞在時に少し本を読んだだけです」


 本当は、魔族の国の法律が日本の法律とよく似ているからだけど。

 いくら時間があるからといって、魔族の国の法律書なんて読まないさ。


「即決裁判で、被告人側は争わない。執行猶予付きの禁固刑くらいでしょう? 平均的な相場は」


「和解してお金を払って終わるケースの方が多いですね」


「では、こうしましょうか? 和解して、魔法使いが相場よりも多目の金額を支払う。警備隊艦艇に損害がないとはいえ、リンガイアの整備や検査で人手を使ったでしょうし、人件費もバカにならないでしょうから」


 リンガイアの乗組員達の拘留費用には及ばないが、ある程度は魔法使いが和解金名目で支払う。

 和解なので向こうが罪を認めて謝り、収監されないように金を出すという構図だ。


「彼はお金を持っているのですか?」


「ええっと……リサ?」


 アナキンはリサの弟子なので、彼女に彼の懐具合を聞いてみる。


「初級なので、そこまでお金は持っていないかと」


 初級魔法使いが放つ『ファイヤーボール』では、軍艦の装甲を貫くなんて不可能だ。

 この場合、彼が初級で逆に助かっているのだが。


「足りない分は俺が出す。勿論向こうが出した事にするけど。アナキンは俺に借金するわけだ」


「バウマイスター伯爵殿が保証するのでしたら、こちらも警備隊に連絡を取って和解交渉を始めましょう。弁護士も紹介します……ちゃんとプロの弁護士をね……」


 官僚であるガトー事務次官は、弁護士あがりも多い民権党の政治家をあまり信用していないようだ。

 まあ、弁護士業で忙しかったら、政治家になろうとは思わないよな。


「バウマイスター伯爵殿、少々お待ちいただけますか?」


 ガトー事務次官は、一時間ほど各所に携帯魔導通信機で連絡を入れて色々と交渉していた。

 その仕事ぶりは優秀そうに見え、なるほど魔族の国は官僚が動かしているのだなと納得してしまう。


「バウマイスター伯爵殿、オウテンと共にゾヌターク共和国に向かっていただきたい」


「わかりました。『瞬間移動』で急ぎます」


「バウマイスター伯爵殿は、失われた『瞬間移動』が使えるのですか?」


「はい」


 アーネストも言っていたが、魔族には俺よりも魔力が多い人が複数存在するのに、なぜか『瞬間移動』が使える人がいなかった。

 昔は多く存在したが、今では使える者がいないそうだ。

 色々と研究をしたが、なぜ魔族が『瞬間移動』を失ってしまったのかはわからないそうだ。


「それでしたら、早くリンガイアの解放がなりそうですね」


 ガトー事務次官は、とても嬉しそうであった。


「正直なお話、あの巨大船がドッグを塞ぐと、他の艦艇の整備に支障が出るそうです」


 魔族基準では古臭いリンガイアなど誰も使わないし、とっととドッグから出してほしいのであろう。 

 野ざらしにして何かあると責任問題になるらしく、警備隊は律儀にリンガイアをドッグに入れて保管していたのだ。


「では、急ぎます。リサ」


「はい」

 

 オウテンという若い官僚と共に警備隊の基地へと飛ぶと、そこには既に警備隊の制服組の幹部と弁護士と思われる若い男性魔族が待ち構えていた。

 

「お話は聞いております。急ぎ対応しますが、その前にアナキン殿と面会ですね」


「ええ、頼みます」


 急ぎ警備隊が管理する収容所へと向かい、俺達はアナキンと接見する。


「姉御、差し入れっすか?」


「っ! んなわけあるか!」


 大人しくなったリサであったが、弟子の能天気さには本気でキレてしまったらしい。

 昔のような口調でアナキンを怒鳴りつけた。


「お前、これから旦那様の言う事をよく聞いて、言われたとおりに動きな! 失敗したら、永遠に牢屋だからね!」


「わっかりましたぁーーー!」


 昔、リサから魔法の指導を受けた時の事を思い出したのか?

 アナキンは、リサの発言に対ブンブンと首を縦に振った。


「お前の罪は和解でケリをつけるから、素直に罪を認めて謝るんだよ。あとは、和解金の支払いだね」


「姉御、俺そんなに金が……」


「うちの旦那様が貸してくれるから」


「すいません」


「まあ、ちゃんとうちで働いて返せよ」


「えっ? 俺はバウマイスター伯爵家に仕官ですか?」


「そう。それしかないのはわかるか?」


 アナキンはわからないといった感じの表情を浮かべたので、俺は彼に自分が置かれた状況を説明してやった。

 

「プラッテ伯爵のバカ息子は、お前に罪を押しつけてでも、自分だけ早く釈放されたいと願う下種だ。それなのに、お前が先に釈放されてみろ。バカ息子どころか、父親のプラッテ伯爵から恨まれる立場になるぞ」


 下手をすると、激怒したプラッテ伯爵に殺されかねない。

 初級の魔法使いくらいだと、法衣貴族とはいえ単独で伯爵家に対抗するのは難しいであろう。


「冒険者として仕事をするにしても、色々とやり難いかもな」


「俺、副長の命令で魔法を放っただけなのに……」


「向こうは勝手に、お前が一番悪いストーリを脳内で作りあげているから、言い訳しても無駄」


「そんなぁ……俺、結婚したいし、魔法で金稼いで家とか欲しかったのに……」


 アナキンの奴、見かけによらず意外と堅実な夢を持っているんだな。


「姉御みたいに独身期間が長いと大変じゃないですか」


 同時に空気が読めない部分もあり、余計な事を口走ってリサの怒りを買っていた。

 彼女のコメカミがひくついている。


「リサ、どうどう。俺はリサと結婚してよかったと思っているから」


「ありがとうございます」


 俺はどうにかリサを宥める事に成功した。


「お前、永遠に牢屋に入っているか?」


「すいません!」


 リサを怒らせたアナキンを脅すと、彼はすぐに謝った。


「色々と大人の事情で和解金は多めになる。足りない分は俺が貸すから、バウマイスター伯爵家で働いて返せ」


「わかりました」


「では、打ち合わせを……」


 そこからは話が早かった。

 オウテンと弁護士が警備隊幹部と相談をし、他にも必要な各省庁や裁判所などに連絡を取り、わずか一日でアナキンの裁判がスタートする。

 ところがすぐに警備隊側が和解を提案、アナキンと弁護士はそれを受け入れ、和解金一億エーンを支払う事で同意した。


 和解金が高いが、これは魔族側の世論の反発を抑えるためだから仕方がない。

 どうせ判決が出ても執行猶予がついて当たり前の判例だ。

 ならば、国庫に金が入った方がマシだと思わせるための和解金だったのだ。


「一億エーン。どのくらいなんですか?」


「百万セントくらい」


 一エーンを一円と見た相場だ。


「俺、そんな大金を返せないですよ! バウマイスター伯爵様みたいに上級魔法使いじゃないんですから」


「利子はつけず、契約金代わりに十分の一にしてやる。これからは、真面目にうちで働けよ」


「それなら大丈夫です」


 アナキンは、安堵の表情を浮かべた。

 初級ながら魔法使いを一人確保できたし、どうせ必要経費は陛下に請求できる事になっている。

 アナキンに恩を売りつつ儲けまで出して、俺もいい貴族様になったものだ。


「バウマイスター伯爵殿、和解案が成立しました。ところで、エーン貨幣を持っているのですか?」


 和解してしまったので、これでもう裁判はなくなった。

 アナキンの弁護を担当した弁護士は、自分への報酬も含めて、金が払えるのかと聞いてくる。


「この前のが少し。あとは金を売って収めるよ」


「金をお持ちですか」


 弁護士の表情があっという間に緩んだ。

俺は再び町のリサイクルショップで金を売り、無事に和解金を支払う事ができた。

 和解金を収めるのに、町のリサイクルショップで金を売る貴族。

 どんな創作物にも存在しないだろうな。


「相場が上がっているのか……」


 現在の金相場は、一グラムで八千二百エーン前後。

 人間と接触してから、倍以上に上がったそうだ。

 金に需要があると思っている魔族が多いのか?

 魔族は人間に興味がないと聞いたが、水面下では将来を見越して動いている聡い人達もいるのだな。


「バウマイスター伯爵殿、また何かありましたら」


 少し多目に依頼金を渡したら、弁護士はえらくご機嫌だった。

 彼が言うには、最近魔族の国では弁護士が余っており、だから政治家に転身する者も多いのだそうだ。


「警備隊もリンガイアの乗組員達の釈放を決定し、約一名を除き乗組員全員は警備隊監視の元でリンガイアの再稼働作業を行っております」


 俺の予想以上にスピード解決してしまった。

 約一名がいまだ拘束されているし、彼は警備隊の艦艇に攻撃をした首謀者として裁判にもかけられる。

 弁護士も貴族のボンボンの弁護ではやる気が出ないだろうし、アナキンが和解交渉の過程で罪をすべて認めてしまった。

 これが証拠として採用されるので、プラッテ伯爵のバカ息子は確実に実刑を食らう。


 寿命が長い魔族なので何年刑務所暮らしか知らないが、俺は陛下にこう報告する予定だ。


『プラッテ伯爵のご子息は、他の乗組員全員を釈放させるため、あえて捕らわれの身となったのです』


 勿論大嘘だが、これでプラッテ伯爵はリンガイアの乗組員達に手が出せなくなる。

 せっかく自分の息子がその身と引き換えに助けた彼らに対しその父親が手を出せば、プラッテ伯爵家の評判が地に落ちてしまうからだ。


「旦那様、そんな方法で大丈夫なのでしょうか?」


「うん。それも大丈夫」


 この策を行う前に、俺はちゃんとローデリヒに相談している。

 俺はやめるように言われるかもと予想していたが、意外にも彼はその策を了承している。


『人間も貴族も同じです。みんなが仲良くできるはずがありません。お館様とプラッテ伯爵は相性が悪いのでしょう。それは構いません。変に関係が曖昧な貴族よりも、敵だと明確にわかっている貴族の方がいい』


『敵だとわかっていれば、対処がわかりやすいからな』


『ええ、向こうもどうせ敵同士だからと距離を置きますしね。腹の中で何を考えているのかわからない貴族の方が不気味です』


 以上のような会話があり、俺は無事にプラッテ伯爵のバカ息子のみを犠牲にして目的を達成したわけだ。


「もう一度、艦長と副長に挨拶しておきたかったな」


「旦那様のお知り合いですからね」


「実は、骨竜を退治した時と、この前の面会でまだ二回しか会った事がないけど」


 それにしても、骨竜の時とまったく同じコンビで今回の事件に巻き込まれるとは、彼らも船乗りとしてはアクシデントというかイベントに巻き込まれやすい体質のようだ。

 あれ? 

 もしかすると、俺と知り合ってしまったからとか?


「バウマイスター伯爵殿は秘密特使なので、報道の目がありそうなリンガイアの傍は遠慮していただきたいのです。船の出航時には時間を作りますので」


「わかっていますよ。オウテン殿」


 最終チェックが終わればリンガイアはヘルムート王国に戻るので、あとで挨拶をしておけばいいか。


「あと、プラッテ伯爵のご子息殿に会われないのですか?」


「何か言われそうだからパス。あっそうだ。帰りに」


 どうせ、俺はなぜ出られないのだと文句を言われそうだし、あいつを生贄に交渉に成功したのだから嫌われて当然。

 ローデリヒの言うとおりに距離を置くのがベターであった。


「出発までもう二~三日ある。俺達はそれを見届けないといけないからなぁ。どこかでその間、時間を潰せる場所はないかな?」


 どうせ報道されると思うが、俺達があまり表に出ると騒ぎになってしまう。

 何しろ俺は、秘密特使扱いなのだから。


「ここに留まっていただければ無駄な費用はかかりませんけど、どこかに内密でお出かけになられますと、ご自分での御負担となってしまいます」


 警備隊の官舎に留まっていれば、滞在に必要な経費は警備隊や外務省で負担する。

 他に出かけるのなら、それは俺達が自分で負担してほしい。

 少しケチな気もするが、お上ってのは予算が有限なのでそんなものだ。


「勿論自分で出すさ。高くても、機密を保てる場所がいいな」


 マスコミに押しかけられ、交渉の事を根掘り葉掘り聞かれるのは疲れてしまうし、余計な横槍でせっかく決まった交渉が駄目になるのも嫌だからだ。


「それでしたら、私が手配しておきます。そういう方々が利用される口の堅い宿がありますので。その分、お高いですけど」


 日本にも芸能人や政治家がお忍びで利用する温泉宿とかがあり、魔族の国にあってもおかしくないというわけか。


「旦那様、私は元冒険者なのでこの官舎でも十分ですけど」


 リサは、無理にそんなところでお金を使わなくてもと俺に気を使った。

 あの派手なメイクと衣装がないと、彼女はえらく常識人なのだ。


「俺が退屈だし、たまには夫婦二人で水入らずってのもいいじゃない」


「二人きり……はい、たまにはいいですね」


 リサもとても嬉しそうだし、俺もあと最低二日官舎に籠りっきりってのも嫌だ。

 オウテンがすぐに手配してくれたので、俺達は彼が運転する魔導四輪でとある温泉地へと向かった。

 

「旦那様、魔族の技術は凄いですね」


「これは、例の発掘品よりも上だな」


 魔族の国では、当たり前のように車が普及している。

 魔力で動いているのは魔の森の発掘品と同じだが、それと同等かそれ以上に技術が進んでいるように見える。

 ここまで技術格差があると、交易交渉一つとっても大変なはずだ。

 ユーバシャール外務卿達は内外からの圧力に曝され、交渉がなかなか進まない側面もあるのであろう。


「魔道具ギルドの反発も大きいと思います」


「だよねぇ……」


 優秀な魔法使いであるリサは、ユーバシャール外務卿達に圧力をかけている存在として魔道具ギルドの存在をあげた。

 彼らは俺達のお得意さんである。

 古代魔法文明時代の遺物を研究用に高く買い取ってくれるからだ。

 

 汎用魔道具の製造を独占しているので資金はあり、技術発展のためにそれら遺物の収集と解析に力を入れていた。


 だがここ数百年、ほとんど成果は上がっていない。

 それでも、魔道具の製造を独占しているから、魔道具に好きな値段をつけられる。

 魔道具の値段が一向に下がらない原因の一つであった。


 もしここで交易交渉が纏まり、ゾヌターク共和国から最新の魔道具が輸入されるようになった場合。

断言しよう。

 魔道具ギルドの没落が始まると。


「オウテン殿、ゾヌターク共和国では車はどのくらいで買えるのですか?」


「ピンキリですが、安い中古車なら五十万エーンしませんね。車検と税金と魔力補充代で経費はかかりますけど」


 ちなみに、リンガイア大陸では車の製造に成功していない。

 帝国やミズホ公爵領でも研究段階であった。

 発掘品は大量にあり、研究は盛んだが、なかなか独自製造に成功しないのだ。


 おかげで、バウマイスター伯爵領でもほとんど車を走らせていない。

 特にローデリヒが大反対で、その理由は盗難を防げないからであった。


「魔法の袋で簡単に盗めますからね。あちこちに置いて使ったら、我が領にどれほどの窃盗団が入り込むか……」


 そんな理由があり、厳重な警備が保証できる場所に少数を配置するしかなかった。

 あとは、例の大トンネルだ。

 さすがに馬車だけでは輸送量に限界があり、トラックなどをトンネルの中だけ往復させている。 

 これら車両の管理のため、トーマスにはさらに部下が増えて忙しい状態になった。


 それにしても、治安が悪いから車が使えないとは。 

 だが、ゾヌターク王国から安い中古車が大量に輸入されるようになったら、リンガイア大陸の状況は一変するかもしれない。

 移動と輸送手段が革命的な進歩を遂げるのだから。


 そして、魔道具ギルドの力は地に落ちるであろう。

 今の時点で車が作れないのだから。


「(魔道具の交易が認められたとしても、多額の関税をかけて……リンガイア大陸に車なんてないから、いくら関税をかけるんだ?)」


「(魔道具ギルドは、輸入阻止で動いています)」


「(あれ? リサは魔道具ギルドに知己がいるのか?)」


「(ええ、数少ない友人ですけど……)」


 確かに、昔のリサだと友人はできにくそうだ。


「(魔道具ギルドは、圧倒的な技術力を持つ魔族に警戒しています)」


 今までの地位と権益をすべて失うかもしれないのだ。

 警戒して当然であろう。


「(それを考えるのは俺達じゃないから、今は休暇を楽しもう)」


「(はい、楽しみですね)」


「バウマイスター伯爵殿、リサさん、到着しました」


 オウテンが運転する車は、山間をぬうようにして建つ一件のホテルに到着した。

 外見だけで豪華だとわかるホテルと、そこから湧き出す温泉で疲れを癒せるそうだ。

 他にも、色々な娯楽が楽しめるようになっている。


「高級リゾートという感じだな」


「はい。私の給料では手が届きませんね。値段が高い代わりに秘密が守られるというわけです」


 芸能人が世間に交際を秘密にしている恋人を連れたり、政治家や企業の社長が愛人を連れたりするのに使われるケースが多いそうだ。

 

「秘密を守るために、従業員の待遇がいいのですよ。その代わり、一泊お一人様二十万エーンからですけど」


「ふーーーん。そうなのか」


 前世の感覚でいうと、一泊二十万円の宿なんて絶対に泊まらない。

 だが、今の俺はバウマイスター伯爵だ。

 オウテンの前で驚くわけにもいかず、務めて冷静な風を装った。


「到着しました」


「いらっしゃしませ」


 車を降りてホテルの受付に行くと、従業員らしき中年男性の魔族が応対する。

 耳が短い俺とリサを見てその正体がわからないわけがないが、彼は無駄な口を叩かずに丁寧な接客を続けた。

 このホテルの教育が優れている証拠だ。

 どんな客が来ても騒がず、その事実を誰にも公表しない。

 だからこそ、金持ちVIP御用達のホテルなのであろう。


「ガトー事務次官様と、外務省、警備隊から予約が入っております。バウマイスター伯爵様ご夫妻ですね。十九階のスイートルームがお部屋になります。すぐに係りの者がご案内いたしますので」


「(この野郎……)」


 どうやら、俺はガトー事務次官ら官僚達に試されているようだ。

 わざと高額の宿に案内され、そこで俺がどのように振る舞うのか。

 お金がなくなってガトー事務次官に貸してくれと言わせたら、それで彼らは勝ちだと思っているのだ。


「スイートか。そこは一泊いくらなんだ?」


「三百万エーンですね」


 とんでもなく高いが、ホテルの従業員は顔色一つ変えないで答えた。

 慣れてしまって特に何も感じていないのであろう。


「バウマイスター伯爵殿、お高いでしょうか?」


 オウテンが、もう少し安い値段の部屋にしましょうかと聞いてきた。

 彼はガトー事務次官の命令で動いているから、部屋のランクを下げたら報告がいくようになっているはずだ。

 貴族に限らず、VIPがこういう時に大金を出せないのでは大した奴でもない。


 俺だけなら別にそう思われてもいいのだが、バウマイスター伯爵家がそう思われるのは困ってしまう。

 必要経費だと思って割り切るしかないな。

 これから人間と魔族がどうなるのなんて誰にもわからない。

 ここで舐められるのは得策じゃないからだ。


「いや、それで一番高い部屋は?」


「最上階に二部屋だけあるロイヤルスイートですね。こちらは、一泊一千万エーンとなっております」


「じゃあ、それで」


「それでは、ロイヤルスイートに変更させていただきます」


 俺は高い部屋への変更を要求し、それは無事に受け入れられる。

 それにしても、教育や慣れとは凄い。

 従業員はまったく動揺せず、冷静に部屋の変更手続きをおこなうのだから。


「ロイヤルスイートには、警備の方や御付きの人が泊まれるお部屋も付属しております」


「よかったな。オウテン殿」


「そうですね……」


 どうせ監視役で傍にいるはずだから、一緒に高級ホテルを楽しめばいい。

 そして、バウマイスター伯爵の無駄遣いをちゃんと報告するがいいさ。


「こちらがロイヤルスイートでございます」


 係員の若い女性魔族に部屋に案内され、早速彼女はお茶とお菓子の準備を始めた。

 飲み物は自由に選べ、俺は久しぶりにコーヒーを、リサは紅茶を選んでいる。

 お菓子は、温泉宿のようにお土産屋に売っている銘菓ではない。

 

 ホテルで専門のパティシエが作る、綺麗な細工が施されたミニケーキなどであった。

 他にも、頼めば好きなお菓子を作ってくれるそうだ。


「(旦那様、こういう場合にはチップが必要なのでは?)」


「(そういえばあったね。そんな制度)」


「(制度じゃなくて慣習ですけど)」


 お茶を入れてくれた係員は、そのままこの部屋の担当になるそうだ。

 部屋に数ヵ所呼び鈴があり、それを鳴らすと部屋の外にある待機室からかけつけて用事をこなしてくれる。

 こういう超VIPなホテルに泊まった経験がないので、彼女にどのくらいのチップを渡せばいいのかわからなかったのだ。


「あなたは、この部屋の担当ですよね?」


「はい。二日間よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしく」


 そういえばこの国の現金も少ないので、オウテンに頼んで換金してもらわないといけなかった。

 そこで、適当な大きさの金の塊を係員にチップとして渡しておく。


「エーン紙幣じゃなくてすまない。リサイクルショップで換金できるから、その分の手間賃も含めてだ」


「ありがとうございます」


 金の塊をチップとして貰った係員の女性の声は上ずっていた。

 

「というわけで、オウテン殿。エーンがないから、これを換金しに行ってくれないか?」


 俺は、紅茶を飲んでいるオウテンに死蔵していた宝石の入った袋を渡す。


「こんなにですか? 物凄い金額になりますけど……」


「このくらい必要だろう? 二日間も滞在するんだから」


「……わかりました……すぐに換金に行って参ります」


 急ぎ紅茶を飲み干したオウテンは、宝石の入った袋を持って部屋を出て行った。

 その表情は必死そのものだ。

 もし宝石を買い叩かれてしまったら、それが自分のミスになると思っているからだ。

 官僚はミスを嫌う。

 もしガトー事務次官に『こいつは駄目な奴』と思われたら、それでオウテンの出世ルートは絶たれるわけだから。


「このケーキは美味しいな」


「そうですね。紅茶も美味しい」


「コーヒーも香りがいいな」


「ホテルと特別契約した農園で栽培、加工された茶葉とコーヒー豆ですので」


 チップを渡した係の女性が、飲んでいる紅茶とコーヒーの説明をしてくれた。

 このホテル用に栽培している茶葉とコーヒー豆なのか。


「それは凄いな」


「美味しいわけですね」


 必ずしもそうとは言い切れないが、やっぱり高い物は美味しい。

 リサと一緒に食べているミニケーキに正式な値段はないが、スイートルームに泊まらないと注文できない。

 宿泊費込みであるが、とても高いケーキとなっていた。


「旦那様、普段とは違って随分と無駄遣いをしていますね」


「バウマイスター伯爵様だからしょうがない」


 ここでどこかの安宿に泊まってしまうと、ゾヌターク共和国の官僚どもに舐められてしまう。

 民権党の政治家やマスコミ辺りは庶民的だと褒めてくれるであろうし、庶民達にも支持者はいるであろう。

 だが、現実問題として安ホテルに泊まる外交特使が有能に見えるはずがない。

 王国貴族に安ホテルに泊まった事が知られた時の問題もある。


 俺達は、バウマイスター伯爵夫妻に相応しい贅沢をする必要があるというわけだ。

 まあ、普段は意外と質素なのは他の大貴族でも同じだ。

 だが、今この場は秘密の滞在でも贅沢をする必要があった。


「というわけだ」


「なるほど。わかりました」


 リサは冒険者歴も長く、その関係で多くの貴族を知っている。

 前はあんな感じだったが、凄腕の魔法使いなので依頼はひっきりなしだったからだ。

 そんな彼女からすれば、今の俺が置かれた立場が理解できるというわけだ。


「それは幸運でした。私が同行していて。ルイーゼさん辺りは羨ましがるでしょうね」


 今度連れて行ってくれとか言われそうだ。

 機会があればそうしてもいいけど。


「このホテル何でもあるみたいだし、リンガイアの出航準備が終わるまで派手に遊ぶか」


「はい」


 俺とリサがケーキを食べ終わるのと同時にオウテンが宝石類を換金して戻って来たので、大量のエーン紙幣を持ってホテル内の探索を始める。


「旦那様には整体やマッサージ、奥様には肌をより綺麗にするエステがお勧めです」


 この高級ホテル、料金は素泊まりのみだそうだ。

 あとは、何をするにもオプション料金がかかる。

 

 最初は、何やら色々高級なアロマオイルやら泥やら薬草湯などを使うエステに誘われた。

 男性用のコースもあるみたいだが、俺は遠慮して整体やマッサージのコースにしておく。

 考えが古いかもしれないが、男性がエステってと思ってしまうのだ。


「リサはエステでいいんじゃないの?」


「ロイヤルコースは、十五万エーンとなっております」


「じゃあ、それで」


 エステのコースが十五万……さすがは、セレブ御用達の超高級ホテルだ。

 そのくらいの金額を気にしないで支払えないと、ここには来られないのであろう。


「リサ、チップを忘れないようにだって」


「決まりではないのですが、ほぼ全員支払うようですね。相場も決まっています」


 俺達の監視兼世話役をしているオウテンが、このホテルの仕組みを調べてくれた。

 このホテルに常駐する様々なサービスを行っている人達の、その技能の素晴らしさにも関わらず、基本給は思ったよりも低いそうだ。

 彼らはサービスを行うとその客からチップを貰い、その技量に相応しい所得を得ている。

 評判がいい人は沢山チップが貰えるし、駄目な人はすぐに淘汰されてしまうというわけだ。


「平均で二万エーンほどです。サービスが気に入ったら、天井知らずですね。百万くらいぽんとチップを出す方もいらっしゃるとか」


「凄いな。そいつ、何の仕事してんだ?」


「一等地に大量の不動産を所持している人ですね」


 リネンハイムのもっと凄いバージョンなのか。


「じゃあ、普通で五十万、サービスがよければ百万、凄く気に入ったら二百万くらいだな」


 その不動産王に負けるわけにはいかないからな。

 精々、金持ち観光客として振る舞ってやるか。


「オウテンはマッサージしないの?」


「経費の問題でして。宿泊費はバウマイスター伯爵殿の従者用の部屋に泊まるとして、他の経費も渋々ガトー事務次官が認めた状態なんです。お役所も無駄遣いをすると、マスコミや政治家に批判されますしね」


 何か、本当に日本の官僚を見ているみたいだ。


「とはいえ、ここで自前になったら私は破産ですよ。大学の同期から勝ち組で羨ましいとか言われますけどね。民間の大企業の方が圧倒的に勝ち組だと思いますよ。官僚なんて言うほど給料が高くないですから」


 その辺は、以前にエーリッヒ兄さんも下級官吏の給料はビックリするほど安いと言っていたのと同じだ。

 年金でそこそこの金額になるも、貴族は出費も多い。

 世間で言われるほど楽じゃないと、エーリッヒ兄さんも言っていた。


「うちの兄も官僚なのですが、苦労は同じようです」


「バウマイスター伯爵殿のお兄様は官僚なのですか。優秀な方のようですね」


「はい」


 エーリッヒ兄さんは、魔法なんてなくても知力で貴族家の主になったからな。

 俺よりも圧倒的に優秀なのだ。


「私は他の仕事もありますので、時間は潰せるのですよ」


 オウテン氏は書類の整理をするといって部屋に戻り、俺達はエステとマッサージを堪能した。


「お客様は、体をよく動かされていますね」


「体が資本の仕事だからね」


 毎日魔法の鍛錬はしているし、従軍もし、冒険者としても活動、領内の開発でも色々と動いている。

 体は使っている方だと思う。


「お若いのに凝っていますね。ちょっと強くしますね」


 俺を担当した中年魔族男性のマッサージ師は、ちょうどいい加減で俺の体の凝りをほぐしてくれた。

 さすがはこのホテルに常駐しているマッサージ師だ。

 いい腕をしている。


 あまりに気持ちいいので、少し眠くなってきた。

 それにしても、俺もこの若さでマッサージが気持ちいいとは。

 色々と疲れているのであろう。


「終了です」


「体が楽になったよ。じゃあ、これはチップね」


「ありがとうございます……えっ! こんなにですか!」


「気にしないで取っておいてくれ。それじゃあ」


 マッサージは気に入ったので、チップは二百万エーンにしておいた。

 札束を貰って、マッサージ師は驚いている。


「あなた、どうですか?」


「効果あるんだねぇ……」


 男にはよくわからないエステの数々を受けたリサは、見てわかるほど肌が綺麗になり、顔も小さくなり、体も少し細くなったような気がする。


「エステに魔法薬が使われていますね。かなりの高級品だそうです」


 なるほど。

 魔法薬を使用しているから、日本のエステよりも絶大な効果が出るわけか。

 

「カタリーナが知ったら、ここに来たいと言うだろうなぁ……」


「彼女、ダイエットの権化ですからね」


「さて、次はどこに行きましょうか?」


 時間潰しで書類整理を行っていたオウテンも姿を見せ、次の遊び場所へと移動する。

 そこは劇場であり、様々な歌手、芸人などがショーを見せ、観客からチップを受け取っていた。


「旦那様、本当の手品師ですね」


「本当だ」


 俺とリサは、トランプを使った魔術を行っている手品師が魔法を使わずに手品をしているのを確認して驚いた。


「凄い。王国よりもレベルが高いな」


 なまじ魔法があるために、リンガイア大陸における手品のレベルは低かった。

 初級魔法使いが魔法を使った手品を見せ、彼らがメインという有様なのだ。


「魔族も昔はそうでしたが、魔法を使ったら手品ではないという流れになったのです」


 俺達の傍にいる従業員がそっと教えてくれた。

 魔族の手品は地球の手品のように駆使するもので、俺とリサはレベルの高い手品を楽しんだ。 

 他にも、いい歌を歌う歌手、大笑いできる芸人のコントなど。

 さすがにこのホテルに呼ばれるだけあって、一流の技量を持つ人ばかりだ。


「みなさん、売れっ子ですからね。ここはギャラがよくてチップも出ますから、定期的に来て稼いでいますよ」


 魔族の人口は百万人ほど。

 市場が狭いので、歌手も芸人も金持ちのチップをあてにして収入を確保しているわけだ。

 俺も、面白かったのでチップは弾んだ。


「旦那様、面白かったですね」


「王国の手品師は、あれは魔法だからな」


 エステとショーを楽しむと時刻は夜になっており、夕食の時間となる。

 部屋に料理を運んでくれるコースもあるそうだが、今夜は正装してホテル内のレストランに向かった。

 フランス料理に似た料理のコースが出る高級レストランにし、一人前が二十万エーン。

 

「私、人生最初で最後だと思います」


 オウテンは、料理と俺が奢ってあげた一本二百万エーンのワインを堪能していた。

 

「このワイン、美味しいですね」


「高いからねぇ……」


 俺は酒に詳しくないのだが、王国・帝国産の高級ワインよりも飲みやすくて美味しいと思う。

 これはあくまでも俺が感じた感想だが。


「ワインに関しては、我が国は研究が進んでいますからね」


 前世の経験から、高級ワインってのは決してすべてが美味しい、飲みやすいという保証もないのだが、魔族の国のワインは高いほど美味しいもののようだ。

 

「ブランタークさんと導師にも買って帰るか」


「喜ぶと思いますよ」


 二人とも、酒が大好きだからな。

 あと、給仕してくれた人とソムリエとシェフにはチップを弾んでおいた。

 料理人に関しては、調理を担当したリーダーシェフにチップを渡すと、その人が下で使っている料理人達にチップを分配するそうだ。


 食事が終わると、今度はお風呂だ。

 今日は部屋に備え付けられた風呂に入る。

 お風呂は広く、湯船には花や魔法薬由来の入浴材が入っていた。

 効果は、疲労回復とリラックスがメインだそうだ。


「こういう贅沢を味わうと、癖になって破産しそう」


「冒険者をしていると普通に野宿とかありますしね」


「あるねえ。風呂は『洗浄』で誤魔化して」


 リサと一緒にお風呂に入りながら、冒険者あるあるを話す。

 彼女は冒険者としての経験が豊富なので、聞いているととても面白い。

 

「こうして夫婦二人だけというのもいいですね」


「そうだな」


 メイクをしていないリサが男性とちゃんと話せるようになったのは最近であり、今日はいい機会だったと思う。

 段々となし崩し的に奥さんが増えていたが、結婚した以上は夫婦間のコミュニケーションは重要だからな。


「こういう所にたまに来ると面白いな」


「他人にお世話されるのに慣れないのは、私も平民の出なので」


「俺も普通の貴族とは程遠い家だったからなぁ……」


 相互理解も深まり、その日は二人で仲良く同じベッドで眠るのであった。


「おはようございます。バウマイスター伯爵殿、奥方殿」


 翌日もオウテン監視のもと、俺達はバウマイスター伯爵夫妻として無駄遣いに勤しんだ。

 大量のエーン紙幣があるが、王国に戻れば使えないわけで、ここで使いきってしまおうという腹だ。


 朝食後、調理人にチップを渡し、プールで泳いだり、休みながらトロピカルジュースを飲んでのんびりと時間をすごした。

 世話役のボーイ達にもチップは忘れない。

 

「チップ文化かぁ……」


「一部金持ち向けの場所だけですね」


 隣のチェアーで寝転ぶオウテンが、いい機会だと色々と魔族の国について教えてくれた。


「それは王国も同じだな」


 王国にも厳密なチップ制度はないが、一定以上の貴族はサービスが気に入ったらチップは出す。

 面白いのが、商人は基本的にケチなので出さない点であろう。

 俺に言わせると、チップをケチるくらいだから成功するんだろうなという感覚だ。

 勿論大物商人になると、そうも言っていられなくなるそうだが。


「人間も魔族も、金持ちと貧乏人がいますからねぇ」


 官僚で頭がいいオウテンからすれば、王政でも民主主義でもそれは変わらないと達観しているようだ。


「そろそろ、リンガイアの出航準備が終了するかもしれません」


「じゃあ、その前に……」


 リンガイアの乗組員達も大変だったであろうから、気持ち程度に何かお土産でも渡すか。

 そう考えた俺は、プール遊びを中断してホテル内のお店へと向かう。

 このホテルには様々な高級品が売られており、リンガイアの乗組員は多いが、お菓子くらいなら全員分を余裕で購入できるはず。


「大人買いだぁーーー!」


 というわけで、お土産に大量のお菓子を購入し終えたところで連絡が入り、俺達はホテルをチェックアウトして港へと向かった。


「バウマイスター伯爵様、お久しぶりです」


「あの時は、大変お世話になりました」


 港で出航直前のリンガイアに到着すると、船長のコムゾ・フルガ氏と副長のレオポルド・ベギム氏が出迎えてくれた。

 二人とも、最初に面会して以来だ。


「色々と思うところはあると思いますが、このまま出航して王都に戻っていただくという事で」


「それは問題ありません。約二名ほど乗組員が欠けておりますが……」


「一人は貴族としての責務を果たしただけです。もう一人は、こちらで預かりますので」


「わかりました」


 コムゾ氏は、これ以上何も追及しなかった。

 俺がプラッテ伯爵のバカ息子を犠牲に、リンガイアを解放させた事実を理解しているからであろう。

 どのみち奴が今回の事件の主犯で、ゾヌターク共和国としては有罪にしないと世論が納得しない。

 極めて民主主義的な彼らからすれば、貴族のバカ息子が有罪になって収監された方が納得するであろう。

 実行犯のアナキンは、既に即決裁判で有罪となっている。

 罰金も収めたし、執行猶予判決は事実上の国外追放処分だ。


 リンガイアで王都に戻るとプラッテ伯爵あたりが何かしてきそうなので、アナキンはこのまま俺達でバウマイスター伯爵領に連れ帰る。

 あとは、借金返済までうちで仕官確定だ。

 領地から出なければ、プラッテ伯爵に何かされる心配もないであろう。


「あの……」


「あのバカ息子が悪いのは事実ですし、貴族である彼が他の仲間や国家の貴重な財産であるリンガイアのため収監される道を選んだのです。彼は貴族の鑑ですよ」


 プラッテ伯爵は大切な跡取り息子が収監されて涙目であろうが、文句を言おうにもこういう世論が形成されるので表向きは何も言えない。

 裏で何か画策する可能性は否定できないが。


「船長、急ぎ出航しましょうか?」


 副長であるレオポルド氏が状況を察し、すぐに出航しようと船長に進言した。

 このまま素直に戻る方が賢いと理解したのであろう。


「そうだな……急ぎ出航しましよう」


「長期間苦労なされたそうで、大したものではありませんが、お土産などを持参しました。みなさんで分けてください」


「ありがとうございます」


「みんな喜ぶと思います」


 大人の二人は深く詮索せず、約二名を置いて速やかにリンガイアを出航させた。

 こうして、俺の外交交渉は無事に成功するのであった。

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