第百四十一話 魔族の新聞記者ルミ・カーチス。
「魔族には新聞という情報伝達手段があり、その情報を元に世論が形成される事も多い。選挙で政治家が選ばれる以上、政治家を選ぶ判断基準となる新聞の報道に政治家は敏感だ。もし新聞社を敵に回して批判でもされたら、民衆の支持を失って選挙に落選する事もあるのだから」
「いやーーー、バウマイスター伯爵さんは博識っすね」
「自らが新しい権力であると言っている者もいるな」
「バウマイスター伯爵さん、本当に詳しいっすね」
結構適当に言ってみたんだが、ルミは俺の発言に感心していた。
もしやと思ったが、魔族のマスコミにも腐敗した連中がいるようだ。
「権力は時が経てば腐敗するので、新聞も腐敗しているかもしれないけど」
「厳しい一言っすね。本当に、バウマイスター伯爵さんは魔族の国にお詳しいようで……」
突如俺達の前に姿を見せた、エブリディジャーナルの新人記者ルミ・カーチスという魔族の女性。
彼女は、魔族の国で一番の発行部数を誇る新聞社の新人記者であった。
「新人さんなのに、外交交渉に同伴可能だったんだ」
「団長のレミーさんは、女性の社会進出を推進しているっすからね。自分は女性なので選ばれたっすよ。まあ、特にする事もないんすけど」
「交渉を取材だっけか? しないの?」
「ルイーゼさんっすよね? そこは建前で、自分みたいなペーペーで若い女性記者が出しゃばると、年配の男性記者達がうるさいんすよ」
「レミーさんは文句を言わないの?」
「あの人も、結構いい性格しているっすからね。自分達と同行する記者団に女性が混じっていれば、それだけで宣伝になるから何も言わないんすよ。これを形式だけ整えたというか、男女同権に一歩前進はしたのか。判断に悩むところっすね」
他にベテランの男性記者が数名いるので、交渉関係の報道では仕事がない状態だそうだ。
アリバイのために連れて来られたが、重要な交渉関連の取材を新人のそれも女に任せる事はあり得ないのであろう。
「あんなグダグダの交渉、新聞とやらで書いて誰か読むんだ?」
「『グダグダしていているから、民権党の政治家は駄目だ!』とか、『さすがは民権党、ジックリと交渉している』とか、記事はいくらでも書きようがあるっすね。どう受け取るかは読者次第でして」
「身も蓋もない言い方だな……」
ブランタークさんは、ルミの発言に呆れ顔だ。
「エブリディジャーナルの元記者で、今は民権党の政治家も多いっすから。国権党にもいるっすけどね。今の政治部長が民権党の政治家になった元記者の部下だったとかで、民権党批判が激しいと、記事の表現を和らげるようにうるさいっす」
「いい加減だな」
これを談合というか、なれ合いというか、大人の対応というか、立場に応じて色々と言い方が変わってくると思う。
「真のジャーナリズムへの道は遠いっすね」
王国や帝国にも号外形式で配ったり、週に一度、月に一度と発売される瓦版のような物がある。
これで庶民は情報を得るわけだが、貴族の領地だと領主批判は難しいし、ブライヒレーダー辺境伯は、俺の王都滞在時の情報を面白おかしく書かせてバウマイスター騎士爵領の領民達に配った。
それも原因となってクルトは暴走したのだから、報道で政治をコントロールする手法に貴族でも政治家でも違いはないというわけだ。
「それで、私達を取材して何か記事になるのですか?」
「エリーゼさんでしたっけ? 十分になるっすよ! ああ、一応独占取材させて貰える立場として、配信する記事は事前にお見せするっす。プライバシ―の問題とか、うるさい連中もいるっすから」
というわけで、いまだ交渉が続くなか、テラハレス諸島群の端の島でバカンスを他の楽しみながらルミの取材も受ける事となった。
「バウマイスター伯爵さんは、お仕事があるっすよね?」
「まあね」
交渉があの様なので、俺は『瞬間移動』を使って三日に一度はバウマイスター伯爵領で土木工事をしている。
特別に何かなければ午前中に終わるよう、ローデリヒにスケジュールを調整してもらってだ。
あとは、一週間に一度はサイリウスの港に飛び、漁師達に貸している船の魔導動力に魔力を補充している。
残留している兵士や家臣が彼らを管理し、漁の成果を駐留している軍や市場に販売する仕事をしていた。
「残りは、この島でバカンスっすか?」
「一応、待機という事で」
「了解っす!」
とはいえ、ユーバシャール外務卿達はもうなるべく俺に頼りたくないようで、基本は無視されている。
専門分野に素人が口を出せば嫌な顔をされるのは当然だ。
そこで、残りの時間は自由に過ごしていた。
元々好きで来たわけではないし、俺も他人の仕事を奪ってまでしたいとは思わないからだ。
「オムツ替えが、ほぼ全員一斉にくるとは!」
朝、アマーリエ義姉さんが、フリードリヒ達のオムツ替えに一人奔走していた。
他のメイド達は場所が場所なので、今はサイリウスに残留している。
おかげで、アマーリエ義姉さんは忙しいようだ。
「あっ、俺も手伝います」
「ヴェル君、ここはいいけど、バウマイスター伯爵領でやっては駄目よ」
「わかっていますよ」
赤ん坊のオムツを替えるのは、最初は苦戦したが、ある程度数をこなせば俺にもできるようになった。
どんな事もでも基本は慣れだな。
「へえ、伯爵様がオシメ替えですか?」
「普段はしないけど、こういう時にはやるよ」
普段は一応伯爵なので外の目もあるし、当主がメイドやベビーシッターの仕事を奪うのは問題であったからだ。
こういうほぼ家族だけの状態なら、俺がオシメを替えても問題ない。
「貴族も色々と大変なんすね」
「私も手伝いますわ」
「カタリーナは、魔法の訓練終わったのか?」
「ええ。もうヴェンデリンさんのように魔力は上がりませんけど、魔法の精度にはまだ課題が多いですわね」
カタリーナに続き、外で特訓をしていたエリーゼ達も戻りみんなでオシメを替えたり母乳をあげていた。
「子供が産まれると、胸が大きくなるって聞いたんだけどなぁ……。カチヤですら、多少は大きくなっているのに」
「こらルイーゼ! 気を悪くするぞ! あたいは元々、そこそこはあるんだ!」
お乳をあげながら、ルイーゼが自分の胸のなさをボヤく。
母乳が足りないわけでもないので、俺は問題ないと思うのだが。
「ねえ、記者さん。魔族の女性は子供を産むと胸が大きくなるの?」
「そうっすね。個人差っすかね? 自分、子供を産んだ事がないのでわからないっすけど」
「ルミさんは、お仕事に生きているのですか?」
三十歳になってようやく出産し、以前は冒険者稼業オンリーであったリサがルミに質問をする。
「できれば結婚したいとは思うんすけど、この仕事って時間不規則だし、相手もいないから暫くは一人っすね。しかし、赤ん坊が九人もいると凄い光景っすね」
ハルカが自分の子供の世話もしているので、部屋には赤ん坊が九人もいる。
魔族の国でこんなに赤ん坊が集まるのは、大きな病院だけだとルミはいう。
「そういえば、魔族は少子高齢化なんだって?」
「同朋からの情報っすね」
ルミは、既にアーネストとモール達の存在にとっくに気がついていた。
『先生、何をしているっすか?』
最初ルミは、アーネストの顔を見て驚いていた。
まさかこんなところで会えるとは、という感じの表情だ。
『うん? 我が元教え子であるな。我が輩なら、真の研究であるな』
『先生は、相変わらずの奇人ぶりっすね』
『我が輩の教え子で、考古学に進んだ者がいないとは……。嘆かわしい限りであるな』
『先生、考古学では飯は食えないっすよ』
ルミは、モール達と同じ事を言った。
『文化部の記者なら、我が輩も教え子を褒めたのであるな』
『新聞社で、文化部は扱いが悪いっすからね。新聞社の花形はやっぱり政治部っすから』
最初に新聞は政治欄だけじゃやないと言っていたルミであったが、実はちゃっかりと政治部所属だったようだ。
『無念であるな』
ルミはモール達と同じ大学の出で、二年ほど先輩なのだそうだ。
そして何と、アーネストの教え子でもあった。
ただしアーネストからすると、ルミは不肖の教え子であった。
『先生が生きていたとは驚きっす。取材で得た情報によると、先生は『アテモンゴ大森林』で未知の遺跡を探索中、魔物に食われて死んだって結論づけられていたっすよ』
俺に言わせると、アーネストほどの魔力の持ち主がそう簡単に魔物の餌食になるとは思えないのだが……。
『こいつは、殺しても死なないのである!』
導師も同じ風に思ったようだが、彼も殺しても死なないタイプなので人の事は言えないと思う。
『我が輩、文化系で戦いは苦手なのであるな』
『抜かせなのである!』
やはり、アーネストと導師の相性はあまりよくなかった。
『それにしても、ジャーナリズムもいい加減であるな。我が輩は、新しい未知の遺跡を求めてリンガイア大陸に向かったというのに。マスコミは、第四の権力を自称して権力の腐敗に呑まれたのであるか?』
『先生、相変わらず毒舌っすね。あと……駄目な後輩達もいるっすね』
レミの視線は、顔見知りであるモール達へも向く。
それにしても、世間とは意外と狭いらしい。
『先輩、自分は就職できたからって酷い言い方ですね』
『そうですよ』
『俺達は、こうして元気だからいいけど』
『青年軍属を抜け出して、行方不明だったアーネスト先生と共にバウマイスター伯爵さんといるとは、事実は小説よりも奇っすね』
ルミは、脱走兵と認識されても文句が言えない行動を起こした後輩達に呆れていた。
『俺ら、脱走で死刑?』
『ならば、政治亡命を希望します』
『戻って死刑は嫌だから、それもいいな』
『死刑? そんな結果になるわけがないっすよ。後輩達が常識外れなのは間違いないっすけど』
青年軍属達が問題ばかり起こして使い物になっていない事を、既に防衛隊の連中は諦め受け入れている。
問題とはいっても、大半が働きが悪くて、待遇の改善ばかり言うからだ。
そんな中で、魚を獲りに行くという理由で島を出てしまった三人は、防衛隊上層部の心胆を凍らせるのに十分であった。
『大昔の法だと防衛隊イコール軍なので、脱走は死刑っす』
だが、実際にモール達を死刑にするわけにはいかないらしい。
『青年軍属とはいっても、基本は短期労働者っすから』
正式な軍人ではないので、逃げたからといって死刑にするわけにもいかない。
法を拡大解釈して処罰するにしても、今度は別の問題が浮上する。
『防衛隊は、既に軍ではないという考えの人もいるっす』
魔族にも不戦・平和団体がいて、彼らからすると今の戦争がない状態は好ましい。
防衛隊は治安維持と災害救助の手伝いだけしていろという意見であり、彼らは今回の防衛隊派遣を苦々しく思っているそうだ。
『そういう連中からすると、脱走した軍属の処罰なんて軍を復活させるようでおぞましいと、反対運動が起こる可能性が高いっす』
そこに、防衛隊の縮小論を唱える人々、人権団体などが加わって大騒ぎとなるのは確実で、今の政府はそれに抗えない。
なぜなら、彼らは与党民権党の支持母体であるからだ。
『政治の問題かよ……』
『まあ、あれっすね。魔族も魔族なりに悩みがあるんすよ』
政権成立直後にこの事件なので同情論も多いそうだが、政治家は結果を出さないと意味がない。
それが今の政府の悩みだとルミが語る。
『そんな状態なので、自分はバウマイスター伯爵さんを取材して別視点でいくっす。先生達は、今は見なかった事にするっす』
ルミは、取材を続けるがアーネスト達の事は記事にはしないと言った。
『下手に記事にすると『魔族から裏切り者が出た!』、『売国奴だ!』とかうるさいのがいるっすから』
以上のような経緯で、またもアーネストは元教え子と再会する事になる。
「ヴェル君、みんな眠ってくれたわよ」
「じゃあ、休憩にしますか」
「そうね。お茶を淹れるわ」
フリードリヒ達は母乳をお腹一杯飲み、オシメも綺麗になったのでスヤスヤと寝ていた。
赤ん坊は寝るのが仕事なのでこれでいい。
アマーリエ義姉さんが全員分のお茶を淹れてくれたので、そのまま休憩がてらルミと話を続けた。
「魔族ってのは、子供が生まれにくいっすからね。人間が羨ましいっすよ」
「羨ましいの?」
「イーナさん、自分も普通に結婚して子供くらい産んでみたいっすから」
魔族は人間の三倍近い寿命があるので、大体二百五十年から三百年の人生だそうだ。
寿命が長い分子供が生まれにくく、魔族は少子高齢化で悩んでいるらしい。
ルミもまだ独身だと教えてくれた。
「魔族は若い期間が長いっすけど、まず五十歳を超えないと結婚しないっすね」
二十歳くらいまでは、人間と成長速度に差がないらしい。
だが、二十歳で成人されても今は職がないので恐ろしく長い学生期間が存在した。
「それで、二百歳くらいまでは人間で言う二十代前半くらいまでしか年を取らないっす」
残りの五十年から百年で、徐々に年を取るそうだ。
という事は、あのレミーとかいうおばさん、実は二百歳を超えているのか……。
「五十歳で結婚すれば、子供は二~三人は産めるっすけど」
晩婚化が進んで百五十歳を超えて結婚する魔族も多く、そうなると子供は一人が限界。
出生率が二を割れば、現代日本と同じく少子高齢化というわけだ。
「政府は対策を立てているっすけど、若者の半分に職がないので、無職で結婚は辛いっすね」
ルミの視線は、後輩である無職三人組に向く。
「先輩こそ先生にも負けない毒舌だから、在学中に彼氏がいた試しがないんですよ」
「俺でも、在学中は彼女くらいいたのに……」
「先輩、顔もスタイルも悪くないんですけどね。何か足りないんですよ。優しさだったんだな! エリーゼさん達を見て俺は確信した」
「ううっ……むかつく後輩達っすね……」
彼氏いない歴年齢がモール達によって暴露されたルミは、恨めしそうに彼らを見つめる。
「でも自分、基本的に寛容っすから、主夫をするなら婿にしてやるっすよ」
「先輩をですか?」
「ごめんなさい」
「友人としてはいい人だと思うんですけど……」
「無職で毒男の後輩達にまでフラれたっす!」
ルミは見事にモール達にもフラれ、一人肩を落とした。
モール達も、女性なら何でもいいわけではないようだ。
「もういいっす! 自分、仕事に生きるっす!」
だが、根がポジティブシンキングのようで、すぐに立ち直って取材を再開する。
赤ん坊の世話が終わると、今度は朝食の時間になる。
「ご飯をよそい、その上にしょうゆ、みりん、砂糖で漬けた魚の刺身を乗せ、ゴマ、三つ葉をアクセントに、最後に熱い出汁汁を注ぐと……」
今は両国の軍艦が睨み合っているが、テラハレス諸島群はあまり漁民も来ないので魚の宝庫であった。
俺達で漁に行けない時には、連れてきた漁師達に任せてその成果を調理して食べる。
せっかくなので、新鮮な魚料理を多く出すようにしていた。
和食が多いのは、ミズホ公爵領経由で他の材料を仕入れているからだ。
「あーーー、朝酒最高」
「ブランタークさん、飲み過ぎは駄目ですよ」
「一杯だけさ」
ブランタークさんは魚の干物を肴に、朝から一杯やっていた。
エルがそれを窘めながらご飯を食べ、他にも焼き魚、煮物なども出ている。
「新鮮な魚は美味いな」
「であろう? 沢山食べるのである」
「いや、導師様みたいに丼は不可能だから……」
カチヤは、刺身茶漬けを丼で食べる導師に驚いていた。
「お替り」
「ヴィルマは相変わらずだな!」
その丼をお替りするヴィルマの方がもっと凄かったが。
「バウマイスター伯爵家生家伝来の食事とか、そういうのは食べないんすか?」
「えっ? 食べたい?」
ルミは、貴族家には代々伝わる伝統メニューなどがあって、それを常に食べるものだと思っていたようだ。
あの塩スープを食べたいとは、どう考えても中流家庭の出であるルミの方がいいものを食べているであろうに。
多分、俺が物凄く上流階級の出だと誤解しているんだな。
あとは、貴族にも色々とある事に気がついていないようだ。
「興味あるっすね」
「変わってるな。今は材料がないから作れないけど」
スープに入れる野菜やクズ肉も、硬い黒パンも、今は逆にその材料を持っていない。
残念な事に口が肥えてしまったようで、うちの両親ですら食べなくなっていたからだ。
『不味いな。俺は、よく何十年もこんなメシを食えていたな』
『あなた、何も今無理をしてそんなものを食べなくても……』
前に、父が遊びで昔の食事を母に作らせて食べてみたのだが、塩のみでしかも味付けが薄いので不味くて食べられなかったと、パウル兄さんから聞いていた。
「資料が間違っていたんすかね? 大昔の魔族の貴族はそうだって書いてあったんすよ」
王国貴族は、ここぞという時に客に出す定番メニューのようなものはあったが、普段は特に決まったメニューを食べるような事はしない。
ただし、昔のうちの実家のように使える食材が限定されているので、同じような食事ばかり出る家は多かったが。
「昔のバウマイスター家のメニューなら毎日同じだったけど……」
その理由とメニューを教えてあげると、ルミは『食べたくない』という表情を浮かべた。
「極貧からの出世っすか? 記事になるっすね」
ルミは大喜びでメモを取り続ける。
「そういう話って、魔族の一般人に受けるの?」
「受けるっすよ」
魔族の国でも、貧困の幼少時代を経て若くして会社の経営に成功した人や、名を成して政治家になった人の書籍などは、ベストセラーになるケースが多いのだそうだ。
俺が、その凄い人達と肩を並べるというのもおかしいと思うのだが。
「そういうのに憧れるって、魔族も人間も同じっすよ」
「それもそうか」
人間と同じく、成功者への憧れと好奇心が強いのであろう。
「いやあ、いい記事が書けそうっすね。ところで、人間は魚が好きっすね」
「魔族は魚を食べないのか?」
「食べる量は少ないっすね」
魔族が食べる魚の大半は養殖魚で、あとは極一部の地方の漁師と、釣りを趣味にしている人が釣った魚を食べるくらいらしい。
そして、その少なくなった漁師に動物愛護団体が噛みついて衝突、時おりニュースになるそうだ。
「漁は自然を壊すのと、自然の魚を殺すのは可哀想という事っすね」
「養殖でも、魚を殺すような気がするけど……」
「エルヴィンさん、そこは心に棚を作って誤魔化すというパターンすよ」
「俺には理解できない……」
自然界にいる魚を獲り過ぎると生態系がおかしくなるので、養殖魚なら大丈夫という考え方なのかもしれない。
ただ、その考え方のせいで魔族は海沿いに住んでいる人しか大量に魚を食べないようだ。
「内陸部の魔族は、肉と穀物が主食っすね」
大規模農場と畜産場で安く作った素材を、大規模食品加工メーカーが加工販売する。
薄利多売を維持するために商品数は少なく、変わった物を食べたければ高級なお店に行くか、自分で材料を入手して調理するしかなかった。
「魔族は、毎日同じようなものを食べている人が多いっすね」
同じような物だから安価に量産できて、食料が配るほどあるわけだ。
そういう社会だと飢えが原因の革命は起こらないのであろうが、面白みには欠けるかもしれない。
「食べ物は、人間の方が美味しいのであるな」
「先生、昔は味音痴だったじゃないですか。毎日研究室から出ないで、食パンだけ齧って」
ルミによると、アーネストは研究に熱中すると発掘以外では外に出かけなくなるそうだ。
よくよく考えてみると、今とまったく同じ状態であった。
「昔は食事に興味がなかったのであるな。今は、多彩な食事が出るので我が輩も満足であるな」
アーネストは、毎日出される食事は残さず食べていた。
最初は食事に興味がないのだと思っていたが、実際には食事を楽しみにしていたようだ。
「しかし、こんな普段の生活が記事になるのか?」
「大丈夫っすよ、バウマイスター伯爵さんは理解しているようですけど」
エルが考える新聞の取材とは、俺が固い政治の話をしてルミがそれを記事に纏めるとかそんなイメージなのであろう。
最初の説明と、ルミから見せてもらった新聞の現物でそう感じていたようだし。
「新聞は、政治面だけじゃないっすよ!」
そして、その日の夕方。
ルミが書いた記事原稿が俺達に渡された。
「『なかなか終わらない両国の交渉! その途中で突如交渉に顔を出した王国の若き貴族バウマイスター伯爵、彼は我々の貴族像を根底から覆す人物であった』がタイトルね」
あとは、俺が領主として開発に精を出しつつも、空いている時間に赤ん坊の面倒を見たり、奥さん達と海に出て釣りを楽しんだり、獲った獲物を捌いたり、調理したりもしていると書かれていた。
「まんま普段のヴェルだけど、これが役に立つのか?」
「エルヴィンさん、今回の交渉で一番問題なのは、双方がお互いをよく知らず、一部偏見があるという点っす」
魔族は、人間を古めかしい封建社会で生きる野蛮な連中だと思い、それに人間側が反発している。
この構図をどうにかしないと、一向に交渉は進まとルミは考えたようだ。
残念ながら、レミーとかいう意識高い系の女性政治家はそう思っていないようだが。
「ですから、ここはバウマイスター伯爵さんの記事で、王国の人間も魔族とそう違わないと伝える事が肝心なんす」
「それで、こういう記事なのか」
ルミは、あえてこういう記事を配信する事で、人間と魔族との融和を狙っているらしい。
新人記者の癖に、考えている事が強かであった。
「戦争になったら堪らないっすからね」
「危険はあるのか?」
「あるっすよ」
まず、今の時点で交渉解決の糸口すら見えていない。
あまりに進展しないので、戦争でケリをつければいいという意見も出始めているらしい。
「数は少ないっすけど、そういう連中は声が大きいっす」
「その後ろに、そいつらを扇動している奴らがいるんだろう?」
「バウマイスター伯爵さん、正解っす」
これは戦争ではなく、古い封建制度によって民衆を抑圧する貴族や王族を倒し、自分達が大陸の人間達に民主主義を教えてあげる。
という論調を始めた連中が出始めたらしい。
「いや……、民主主義って……」
今の大陸では、間違いなく不可能であった。
辛うじて字を読むくらいは大半の人が可能であったが、それで民主主義など、まだ早いというのが俺の意見だ。
「無用な混乱を招くと思うが……」
「そこで、まずは自分達がその地位について人間を導いてあげようというわけっす」
何の事はない。
民主主義を建前に、少数の魔族で人間を支配したいわけだ。
「最近の政治家は世襲が多いし、コネで親族を公務員や大企業に就職させたりするっすからね。貴族とあまり変わらないと言う人も多いっすね」
それが原因かは知らないが、魔族の国の人口は減少傾向にあって経済力や市場も徐々に少なくなっている。
それを解決するために、大陸へと進出したい。
企業は市場を、政治家は新しい支配地を。
これを過去の地球では、植民地支配と呼んだ。
「やれやれだな」
「ただ、肝心の大衆にはウケが悪いと言いますか」
確かに職がない若者が多いが、別に生活に困っているわけでもない。
一部だけが大騒ぎして、大半の民衆が醒めた目で見ているだけだそうだ。
「第一、みんなにそんな活力があったら、国内にあんなに未開地を抱えていないっすから」
更にこの数百年で、維持が不可能な土地を大分放棄したそうだ。
過疎化が進み過ぎて人口がゼロになった土地を、管理すると税金の無駄だからと放棄したらしい。
「魔族、大丈夫か?」
「大丈夫だと思うっすけど」
大丈夫というか、騒いでも仕方がない。
自然の摂理に任せるしかないのでは? という意見も多いらしい。
騒いでいるのは、市場が縮む商売人と実入りが減る政治家だけなのかもしれない。
「古代魔法文明が崩壊した時には、魔族は十万人くらいしかいなかったっす。もしかすると、今の魔族は多すぎるから適性数に戻ろうとしているだけかもしれないっす」
「そうなのか」
魔族は、最盛期から衰退の入り口に向かっているのかもしれないな。
それでも、古代魔法文明時代の十倍近い人口か。
やはり魔族は侮れない。
「それで、この記事を載せても問題ないっすよね?」
「ないけど。もう載せているじゃないか」
「それもそうっすね。領民を一日中扱き使って、重税を課し、毎日贅沢三昧、領地に綺麗な女性がいたら召し出すとかだと、自分も記事にしにくかったので」
「そんな事、した事ないけどな」
リンガイア大陸も広いので、一人もいないとは言わないけど。
むしろ、これ以上の女性は勘弁してほしいくらいだ。
特に問題もないので、俺に関する記事はエブリディジャーナルにそのまま掲載された。
「反応は悪くないっすね」
議会では、『こちらの方が技術力が上だし、もし攻められても防衛可能なんだから、高付加商品を大陸で販売するだけでいいじゃないか。儲かるし』と言う政治家が増え始めたらしい。
新聞の記事を読んで『向こうの支配者も文明人なんだから、条約結べばいいだろう』という考えに至ったようだ。
加えて、『今の我々では、大陸を支配しても維持できんよ。軍、官僚、技術者などを出せても最大で五万人、この人数で推定人口五千万人で今も増え続けている人間を支配など不可能』とのレポートが、防衛隊からも出されていた。
『もっと出せないのか?』
『無理ですね。本国の治安維持任務もありますし、そもそもこの数値は、防衛隊が確実に増員された場合です。ヘルムート王国と、今は交渉のテーブルにないアーカート神聖帝国を打倒するのに犠牲者が出るでしょうし』
『どの程度出ると防衛隊は予想しているのか?』
『最低でも、二千人から一万人ほどと推定しています』
『少なくて二千人とは……』
今の魔族の国ならば、内閣が総辞職した挙句、次の選挙で確実に野党に転落するほどの損害だ。
長らく戦争がなかった魔族は、同朋の死に慣れていなかった。
『これは純粋な戦闘で生じる犠牲者の予想です。この上、大陸を占領して維持するとなると……』
魔族という悪辣な支配者に対し、人間が抵抗活動を始める可能性がある。
正面から戦って勝てないとなればテロ行為が行われ、その組織や拠点を潰すのにまた犠牲が出てしまう。
『十年で、三万人以上が殉職する可能性があります』
『我らは優れた技術と、人間よりも多くの魔力があるではないか!』
『それは確かですが、常に一分の隙もなく人間からのテロに備えるなど不可能です。何しろ、我らは圧倒的に数が少ないですから』
食べ物に毒を入れられるかもしれないし、睡眠中に寝首をかかれる可能性もある。
人間と魔族に身体的な特徴の差がないため、美女に誘われて人気のない場所に誘われ、そこで殺されるというような案件も増えるはずだと。
『防衛隊を大幅増員だ!』
『例の青年軍属をですか?』
『そうだ!』
『あの連中では、すぐに隙を作って殺されるでしょうね』
防衛隊が精強なのは厳しい訓練を一定期間受けていたからであり、いきなり青年軍属を正規兵にしても人死が増えるだけだと防衛隊の幹部が説明する。
『我々は政府の命令があれば行きますけど、それで出た犠牲に対する責任も政府にありますとしか言えませんな』
『ううっ……』
以上のようなやり取りが議会で行われ、政府が出兵論を言う可能性はなくなったらしい。
まだ一部、騒いでいる連中はいるそうだが。
「魔・人共栄圏とか、魔・人共同体とか言っている連中がいるっす」
政治思想が、右も左も大騒ぎという事のようだ。
「こういうとバウマイスター伯爵さんは怒るかもしれないっすけど、まだ大陸征服論者の方がマシっすね」
「征服するという事は、一応自分が悪事を働いているという自覚があるからな」
「そうっすね」
むしろ危険なのは、民権党の方に多い『人間に民主主義を教えるため、旧弊の徒である王族と貴族を打倒する』とか言っている連中の方だ。
ソ連の共産革命のような考え方なのであろう。
「彼らは、自分達がとてもいい事をしていると本気で思っているっすからね」
ただ、今の俺は現状では何もできない。
交渉には参加しておらず、ただ現地に待機して普段通りに生活しているだけだ。
定期的に陛下への連絡は忘れていなかったが。
「焦って交渉を結んでも、碌な結果にはならぬしの」
テレーゼの言うとおりであろう。
俺から見ても、本当に仕事をしているのか怪しい両国の交渉団であったが、陛下は今のところは任せておくつもりのようだ。
「ところが、一つだけ懸案事項があるんすよ」
「拿捕されたリンガイアと、拘留されている船員達か?」
「そうっす。政府はとっとと返したいのが本音っすね」
「そんなに金がかかるのか?」
「抑留している人間を虐待したなんて風評が出ると面倒っすからね。拘留にも経費もかかるし、あのリンガイアとかいう大きな船。あれも、魔族基準で言えば旧式船で使えないっすから」
抑留されたリンガイアの船員達が、人質や交渉のカードになると思ったのは我々だけらしい。
実際には、乗組員達を拘留するのにも費用がかかる。
リンガイアみたいな旧式船、魔族の国では使い道がない。
防衛隊が所持しているドッグを長期間占有しているため、とっとと返してはどうかと議会から突き上げられたようで、リンガイアと船長以下の乗組員は解放されるかもしれないという。
「経費の問題なのか……」
『最近、うちの国も社会保障費の増大で財政が厳しいっすからね。我が社もよく政府の無駄遣いを記事で指摘するっすから」
何か、本当にどこかで聞いたような話だな。
などと思っていると、突然携帯魔導通信機の呼び出し音が鳴った。
すぐに出ると、相手は何と陛下であった。
『バウマイスター伯爵、実は頼みがある』
挨拶も抜きに、陛下は俺にある命令をくだした。
頼みとは言っているが、断れるはずがないので命令に等しい。
「はい、何でしょうか?」
『実は、拘束されているリンガイアの乗組員達の様子を見に行ってほしいのだ』
「俺がですか?」
『向こうは言葉の端々に、自分達は進んだ文明人だというニュアンスを含ませるからの。バウマイスター伯爵がいきなり拘束されたりはしないはずだ。そこで、直接魔族の国に出向いて欲しいのだ』
「はあ……」
魔族の国に興味があるのでそれはいいのだが、もし魔族が暴走して攻撃してきたらと思わないでもない。
「バウマイスター伯爵さん、魔族は高度な文明国を自称しているっす! 昔の魔族でもないですし、正式な特使としての訪問なら安全っすよ!」
ルミにも魔族としてのプライドがあるようで、俺の懸念を全力で否定した。
確かに、王国でも帝国の使者を殺した事などよっぽどの大昔、戦乱の時くらいしかない。
今まで一万年以上も戦争をしていない魔族なら、もっとあり得ないか。
『前に報告してきた新聞社の記者という者か?』
「ええ」
『ユーバシャール外務卿達に何の進展もないのが困り物でな。かといって、交渉を焦ればこちらが不利な条件を呑まされる可能性が高い。そこで、バウマイスター伯爵に行ってほしいのだ』
「それはいいのですが、他に希望者はいないのですか?」
数は少ないが、外務閥の貴族は他にもいると思うのだ。
『どいつもこいつも、魔族の国と聞いて怖気づいておるわ。挙句に、帝国内乱で戦功を挙げたバウマイスター伯爵なら適任だと抜かしおった』
「はあ……」
本当に外務閥の貴族って、盲腸のあだ名に相応しい連中が多いな。
『すべてバウマイスター伯爵に任せる。リンガイアの乗組員達の様子を最優先で頼む。随伴する人員も好きにして構わない』
「わかりました。急ぎ、魔族の国へと向かいます」
当然陛下からの命令を断れるはずもなく、俺は魔族の国へと向かう事になる。