第百三十九話 セカンドコンタクト。
「貴族の旦那ぁ、今日も大漁でさぁ」
「そうか、事故がないように頑張ってくれよ」
「任せてくだせぇ」
どういうわけか、いまだに王国と魔族との間で交渉が始まっていない。
魔族の空中艦隊はテラハレス諸島群に上陸して基地の建設を行っているが、その速度は魔族による策略なのではないかと思うほど遅い。
魔族はみんな魔法使いのはずなのに、この遅さは異常だ。
王国政府は、交渉を迅速に進めるために本気で基地を作るつもりはないとのメッセージだという貴族と、わざとこちらを挑発しているのだという貴族もいる。
何にしても交渉が始まらないと意味がないのだが、それはいつになるのかわからない。
それでも、大軍が集まっている以上は大量の物資を消耗する。
特に食料と水は必要で、俺達はそれを確保すべく働いていた。
魔導動力付きの船を、テラハレス諸島群の監視のために漁船が不足している漁師達に貸して漁を行わせたのだ。
おかげで、サイリウスの町では魚の価格は安定した。
軍への補給でも、民心の安定でも、俺達は大きく貢献している事になっている。
相変わらずホールミア辺境伯には呼ばれないが、俺達どころではないのかもしれない。
「ただし、ただ釣りをしているだけとも言えるがな」
「そういうブランタークさんも、その魚を調理して、それを肴に酒を飲んでいるだけじゃないですか……」
ブランタークさんも釣った魚をエリーゼ達に調理してもらい、それを肴に晩酌の毎日であった。
とても人の事など言えない状態なのだ。
「しょうがねえだろう。状況が動いていないのだから」
とはいえ、まだ二週間ほどである。
この程度の長対陣には慣れていたし、『瞬間移動』が使えるので二日に一回はバウマイスター伯爵領に戻って土木工事を続けている。
俺と使える魔法が似ているカタリーナ、リサ、テレーゼも連れて一緒にやっているので、戦時にも関わらずバウマイスター伯爵領の開発は計画どおりであった。
あとは、アマーリエ義姉さんとエリーゼは赤ん坊の世話に集中しているし、ルイーゼ、イーナ、ヴィルマ、カチヤなどは漁の方に重点を置いている。
空いている時間に、網の張り方なども漁師達から教わっているようだ。
「このまま、永遠に毎日漁をするのかと思うと心配になるな」
心配にはなるが、漁や釣りは嫌っていないようだ。
年を取ったブランタークさんからすると、サッパリしたメニューを作れる魚は素晴らしい食材なのだから。
「うーーーむ」
「どうかしたか? 導師」
「釣れないのである!」
「いや、釣れているじゃないか」
初日の不味い魚、食えない魚地獄の後は、導師も順調に釣果を伸ばしている。
今日もかなりの数の魚を釣っていた。
「いや、クロマグロとか、海猪とかである!」
「導師、こんな港の近くの海域じゃ釣れませんよ……」
我儘を言う導師にエルが呆れていたが、確かに港から一キロほどのこの海域で難しい。
もう少し遠くに行かないと駄目なはず。
「クロマグロと海猪ですか? 最低でも、もう十キロは沖合に出ませんと」
釣った魚を締めている漁師に聞くと、やはりかなり沖合に出ないと無理だそうだ。
「海猪なら、たまに沖合にも姿を見せますがね。大きいのでそう簡単には獲れませんけど」
海猪とは、イルカやクジラの事を指す。
この世界でも、卵ではなく子を産むイルカやクジラは動物扱いで、だから海の猪と昔から呼ばれているそうだ。
この世界には、クジラやイルカは頭がいいから殺すのは可哀想と騒ぐ環境保護団体がいないので、たまに獲られて市場に出回っていた。
たまになのは、巨体なので獲るのが難しいからだ。
「バウマイスター伯爵よ、たまには大きいのを狙わぬか?」
「デカイ貴族の旦那、海猪はそう簡単に獲れないですぜ」
漁師達に愛称も込めてデカイ貴族の旦那と呼ばれている導師に、漁師が説明をした。
捕鯨用の銃がないし、もし捕獲しても大きな船でないと積めないので、とてもハードルが高い漁だと漁師が言う。
「我らは魔法使いである! 海猪獲りなら任せるのである!」
「任せろって……」
実際に獲った事もないのに、導師も無責任な……。
「たまにはいいではないか。明日に出発するのである!」
なぜか導師が強引に決めてしまい、俺達はクジラ獲りに付き合わされる羽目になるのであった。
「青年軍属達が何だと?」
「一部の連中が、退屈なので休みに釣りにでも行きたいと」
「あの連中、頭にウジでも湧いているのか?」
まだ基地建設は終わっていないというのに、司令官である私アーリートン三級将を新たなる試練が襲った。
能力はともかく、やる気など微塵もない青年軍属達の一部が、休暇で外の海に出たいと言い始めたのだ。
「あの連中は、今の我々の状況を理解しているのか?」
「していないでしょうね……。もしくは、知っていて配慮しないとか?」
「どちらでも同じ事だな」
「ですよね」
副官のバーメル三級佐が呆れ顔で答える。
彼らは職に就かないというか就けない若者達への支援という名目で、民権党が募集をしてこちらに送り込んできたのだが、そのせいかやる気はゼロに等しい。
契約では決められた期間、軍属として仕事をしていれば決められた賃金が出るからだ。
そこに、能力や仕事達成度という項目はない。
よってやる気などなく、極論すれば別に基地など完成しなくてもいいのだ。
いれば金になるのだから当然だ。
それに、彼らは正規雇用でもないので期間が終われば解雇される。
そんな彼らに真剣に作業をしろと言っても無駄であった。
民権党の連中は、若者を雇用したという事実だけが欲しいのであって、それを考えると彼らも犠牲者なのかもしれない。
だが私は思うのだ。
実は、一番の被害者は私達防衛隊なのではないかと。
「もうグダグダだな。それで、政府はいつヘルムート王国と交渉を始めるのかね?」
「それは神のみぞ知るですかね?」
「これはあれだ。政府の連中も、青年軍属達と大差ないな」
「ですね」
そんな彼らの中から、休暇も島にいるのは退屈だと言い始めたらしい。
民権党の政治家共の命令で、彼らには決められた十分な休日が与えられている。
あのアホ共が言うには、自分達は労働者の味方なので労働法規の順守は当たり前なのだそうだ。
いや、防衛隊でも過度な疲労が思わぬ事故やトラブルを起こす事くらいは理解しており、作業の効率も落ちるので、ちゃんと労働管理は行っている。
あの連中が問題なのは、仕事の方は全然なのに文句ばかり言ってこちらを困らせる事だ。
「この群島の周囲は、大小多くの船で監視されているのだがな……」
「戦って負ける事はないと思いますが、周りは全部敵ですからね……」
「バーメル三級佐、彼らはまだ正式に敵ではない。発言に注意したまえ」
「失礼しました」
公式に敵と認めてしまうと、それは際限のない戦争を巻き起こす可能性がある。
発言には注意すべきであろう。
それに、我ら防衛隊はシビリアンコントロール下にある。
政府の命令なしに、防衛隊が勝手に人間を敵だと判断してはいけないのだ。
その前に、勝手に向こうの領地に基地を作っておいて、人間達を敵だと言ってしまうと、魔族としての尊厳とか羞恥心に関わる事案であった。
あくまでもこれは私見であり、政府の連中の心の内までは理解できないがね。
「はあ……。ですが、そうでも言わないとあの連中は本気で外に遊びに行くと思いますが……」
「悪夢だな……」
そんな海域にあの連中を送れば、いくら休暇でも向こうがそんな事情を加味してくれるはずがない。
間違いなく戦闘になるであろう。
「島ですごさせろ!」
「今、警備を強化しております」
青年軍属の連中が厄介なのは、魔族の特性である『魔族は全員魔法使い』という点にある。
どんなに魔力が少ない奴でも、人間の魔法使いでいうと中級に匹敵する魔力を持っている。
古代の文献からそれを知っている連中も多く、調子に乗って魔法をぶっ放す可能性も否定できなかった。
「だから、青年軍属なんていらなかったんだ……」
魔族は全員が魔法使いで強い。
その事実を背景に、魔族の一部には『大陸侵攻』を口にする者が一部存在する。
だが、大陸に侵攻できるほど防衛隊の人員は多くない。
防衛隊の名のとおり、大昔に侵攻能力を持つ軍隊としての機能を失ったのだ。
加えて、魔族自体の少なさがある。
勝っても戦死者が出れば、それだけで世論は沸騰するだろう。
我らの国から戦争や戦死者という言葉が消えて久しい。
下手をすると、数名の戦死者でも内閣が総辞職に追い込まれる可能性がある。
それに、大半の民衆は侵略や戦争に否定的だ。
人口減で放棄する土地が増えているのに、他国に侵攻してどうにかなるものでもないからだ。
今回の作戦も、法的根拠に問題があると騒いでいる民衆や識者もいるのだから。
「バーメル三級佐、たまに思うのだが、どうして私が指揮官なのだろうな?」
「……」
答え辛いようで、バーメル三級佐は無言のままだ。
俺も回答を期待していないから問題はない。
正直、こんな作戦には参加したくなかった。
大過なくすごせば、退職金と年金で……最近は少子高齢化が進んで支給年齢の引き上げ議論は出ているけど……。
まあ、生活するくらいはできるはずだ。
「青年軍属の連中、妙に魔法が上手い連中がいますからね」
「暇だからな……」
大昔、数万年前の魔族は、相手を従わせるのに力(魔法)でわからせる野蛮な社会を形成していた。
今は魔導技術が進み、社会の統治システムが洗練され、魔法バカは社会で疎まれる傾向にある。
それよりも、ちゃんと勉強をして、いい学校を出て、資格を取り、周囲の人達や友人とのコミュニケーション能力を磨いた方が就職には有利だ。
社会システムとインフラを維持する魔力は必要だが、これは魔導技術の進歩によって毎年必要な魔力量が減っている。
魔族は人間と違って、物心つけばある程度の魔力が身に付くので、そのくらいの魔力量で十分なのだ。
それよりも、ある程度の学力やスキルを身に付けないと就職できない。
身に付けても、若者の半分は就職できなくて社会問題化しているが。
そんな無職の若者達の一部には、暇潰しに魔法の修練に熱中する者がいた。
たまに社会への不満を解消のため町中で暴れる『キレた若者』もいるが、そういう連中はすぐに逮捕される。
防衛隊を含む治安維持組織には、まともで真面目でちゃんと就職できた魔法使いを一定数雇用して戦闘訓練を行っているからだ。
若者達も食えないわけでもないので、暴れる連中は滅多にいない。
マスコミがその少数を『社会の犠牲者』だと言って政府批判に利用するから、問題が大きく見えるだけだ。
「実は、私の弟も無職でして……。木から落ちる葉の数を数えるのは飽きたからと、魔法の練習をしていましたな。そんな事をしても、就職はできないのですが……。『両親に何とかならないのか?』と聞かれるのですが、私にコネなんてないですからね……」
バーメル三級佐の家も色々と大変なようだ。
「将官になればコネがあるのでしょうか?」
「いや、少なくとも私にはないな。うちの息子は民間に就職した」
幸いにして、うちの息子は何とかサラリーマンをしているが、酷い待遇で毎日疲れた顔をしている。
働かないというか、働けない若者。
数少ない求人には、『暗黒企業』と呼ばれる酷い待遇の会社も多い。
そこで追い詰められ、自殺したり鬱になる若者も多いので、無理に就職してもという若者も多く、それに年寄りが『昔の自分はもっと酷い待遇でも働いていた! 今の若者は!』と文句を言い、当の若者達には『ジジイの昔自慢』とバカにされている。
まあ、実は昔の方が待遇のいい企業が多かったのだが……。
ガムシャラに働かせる会社も多かったが、その分給料も高かったと亡くなった祖父が言っていたな。
そんなわけで、我が国ではここ数百年ほど不毛な言い争いが続いていた。
ジェネレーションギャップというやつであろう。
「だからといって、それら矛盾を誤魔化しで大陸に侵攻してもドツボだろうな」
「かえって、魔族の衰退を招くでしょうね……」
占領地を上手く統治できなければ、数少ない魔族は人間に寝首をかかれて大陸に屍を曝す可能性もある。
それがわかっているから、上の制服組はアホな政治家の言い分に四苦八苦しているのであろう。
「俺は制服組でなくてよかった……「大変です! 三名の脱走者が!」」
などと考えていると、そこに警備担当の二級佐が飛び込んでくる。
何と、監視の目を潜って三名の青年軍属が島の外に出てしまったらしい。
「しかし、どうやって?」
「海中です……」
『飛翔』で空を飛んで島を出れば、すぐに見付かって戻されてしまう。
そこで、『高速移動』と『水中呼吸』とを合わせた魔法で三名が島の外に出たというのだ。
「追跡をかけますか?」
「しかし、それを行うのは難しい……」
下手に船を動かせば、この島の周囲を警戒している人間達の船を刺激してしまう。
かといって、貴重な人員を魔法だけで追跡させるのは危険だ。
「三名が遭難でもすると、それも非難の対象になりますけど」
「あのバカ共め!」
私は眩暈を感じ、多分自分ほど不幸な指揮官はいないのであろうなと感じるのであった。
「ははははっ! 見つけたのである! 某達に獲られて食われるがいいわ!」
翌日、導師のせいで俺達は沖合に海猪ことクジラ・イルカ漁に出かける事となった。
他の漁船には通常通り漁をするように命令してから、一隻だけでもっと沖に出る。
「ヴェル、例のテラハレス諸島群に近づいたな」
「心配するな、なのである! まだ全然遠いのである!」
エルの懸念を、導師が大声で否定する。
普通こういう場合は、若者の方が無茶をしようとしてそれを年配者が止めるものだが、うちではまるっきり逆であった。
「海猪ねぇ……」
俺にとってはクジラか。
商社員時代にクジラ料理専門店に連れ行ってもらった事もあるし、そういう商品も扱った事がある。
俺も美味しいとは思うのだが、如何せんタブーだと考えている人が多くて扱いに難儀する品物であった。
思ったほど儲からないし、他の肉があるのでそう売れる物でもないのだ。
これが悲しい事に、年配者でも『懐かしい』という人と、『今は美味しい物がこんなにあるのだから、無理して食べる必要はない』という人もいた。
クジラ食は文化かもしれないし、捕鯨禁止には欧米の思惑も存在している。
だが、食の多様化が進んで昔ほど重要視されなくなったのも事実であった。
この世界では、安定して獲れるようになれば商売になるかもしれない。
「ヴェル様、海猪は使える部分が多くてお得」
「そうなんだ」
ヴィルマによると、この世界でもクジラの油でランプを灯すらしい。
他の部位も色々な品の原料になるので、水揚げさえされればすぐに売れてしまうそうだ。
「テレーゼのところでは海猪は獲らないのか?」
「ミズホ人が銛を投げて獲っておるの。危険じゃし、そう量も獲れないのでフィリップ公爵領の人間はあまり食べぬ。ミズホ人で好きな者が多いとかで、ミズホ領内だけで消費されてしまうと聞いたの」
ミズホ人は日本人に似ている。
だから、クジラやイルカをよく食べるのかもしれない。
「さてと、導師が満足するように頑張ろうかな」
「貴族の旦那、早速探索を開始するだ」
とはいっても、実際にクジラが見つからなければ意味がない。
操船を任された漁師は、船を動かしてクジラの群れを探す。
「貴族の旦那、あそこに!」
見つからない可能性もあったが、この世界のクジラはあまり人間に獲られていないためかかなりの数存在するようだ。
十数頭の群れが悠々と泳いでいるのが俺達にも見えた。
「それで、銛を撃つのよね?」
「そうなんだけど……」
当然、艦首に銛銃などついていないし、導師に任せると大魔法をぶっ放して消し炭にしてしまいそうなので、イーナにロープが付いた槍の投擲を任せる。
「結構距離があるわね……」
とは言いつつも、イーナは上手く魔力を篭めて槍を投擲し、無事に命中させる事に成功した。
体に槍が刺さったクジラが暴れるが、そのロープを導師とヴィルマが自慢の怪力で引っ張る。
「ご馳走、逃がさない」
「おおっ! いい引きである!」
普通の人間なら海に引きずり込まれると思うのだが、導師とヴィルマには余計な心配であった。
「ヴィルマ、ボクも手伝うよ」
「あたいも足しになるかわからないけど」
これに、魔力を篭めてパワーを増したルイーゼとカチヤも加わる。
槍が深く刺さったクジラは暴れるが、次第に船の近くに引き寄せられ、百メートルほどまで引き寄せられたられた時点で、俺が『雷撃』の魔法を放って気絶させた。
これは、あの『エリアスタン』の改良魔法である。
気絶したクジラに止めを刺すと、それは魔法の袋に仕舞われた。
さすがに船の上では解体できないので、それはあとで行う事にしたのだ。
「次は、某がやるのである!」
以上のような方法で、クジラ獲りを始めた。
導師は、槍が刺さったクジラを引くのも、魔法で止めを刺すのにも参加してとても楽しそうだ。
「大漁なのである!」
「持ち帰ってから漁師達に解体させて販売か」
「これだけの海猪が一度に揚がるのは珍しいですぜ」
それから半日ほど、クジラは順調に獲れた。
メンバー的に魔法という火力が過多なので、下手なベテラン漁師の団体でも相手にならないほど獲れるのだ。
「ただ、やっぱり魔法の袋がないと難しいかも……」
「仕舞う場所がありませんものね」
特にする事もないエリーゼは、試しにクジラの肉や油を使って船内で調理を始めた。
「汎用の魔法の袋は高いからなぁ……」
「ええ」
獲ったクジラを積むには大きな船がいる。
だが、普通の漁師がそんなに大きな船を準備するのは難しい。
小さい船だと獲ったクジラをロープで引っ張って港に戻らないと駄目だが、監視を怠るとサメに食われて商品価値が落ちてしまう。
サメなら船で引いているクジラが食べられるだけで済むが、海竜を呼び寄せてしまうと漁師まで危険に曝されてしまう。
体が大きいので金にはなるが、海竜や同じ大きさの魔物には負ける。
そんなに強くはないが、やはり地球のクジラよりは凶暴なので、生命の危険を感じると船に体当たりをする個体もいて、需要があるのに水揚げ量が少ないのには、そんな理由があったのだ。
「安定した捕鯨で食肉を確保すれば、殖産にも役に立つな。バウマイスター伯爵家でも研究させようかな」
「伯爵様、俺達は一応戦争に来ているんだぜ」
「とはいっても、ホールミア辺境伯は何も言ってこないじゃないですか」
なぜか魔族と交渉すら始まっていないので、特にやる事がない俺達は食料確保の名目で漁や釣りをしているのだから。
「もう十分だろう」
「貴族の旦那、遭難者です」
帰ろうとすると、監視をしていた漁師が遠方にイカダのようなものを見つけた。
俺も魔法の袋から取り出した双眼鏡で確認すると、海上に小さなイカダの上で休んでいる三人の男性を発見する。
「何でこんな場所に?」
「遭難した船の情報なんて聞いてないですぜ」
漁師はみんなギルドに所属しており、出航前に遭難した船の情報があればギルドから必ず知らされる。
注意喚起をしておけば、漁の最中に遭難した船や船員が見つかる事もあるからだ。
「テラハレス諸島群の監視を行っている小型漁船が遭難したのかの? どのみち助けなければなるまい」
遭難者を救助するのは、海で船に乗っている者の義務である。
テレーゼにそう言われ、漁師は船をイカダに近づける。
だが、間近まで迫ったところで、彼らに長い耳がある事にみんな気がついてしまう。
「魔族か! しかし、なぜ魔力で気がつかなかった?」
「ブランターク殿、連中は魔力切れのようである!」
さすがのブランタークさんも、魔族の魔力が切れていたせいでその存在に気がつけなかったようだ。
導師も不覚を取ったというような表情をしている。
「魔族ですか? 貴族の旦那ぁ……」
我々はアーネストがいるので多少の慣れがあったが、漁師達はそうもいかない。
風聞くらいしか聞いた事がない魔族を初めて見て、可哀想なくらいに怯え始める。
「まあ、落ち着け」
ここで変に怖がってしまうと、相手に警戒感を抱かせてしまう。
それに魔力が切れているのなら、今はそう警戒しなくても大丈夫だ。
俺は普通に彼らに話しかける。
「遭難か?」
「うん? 人間か。初めて見るな」
「本当だ、耳が短い」
「というか、本当にそれしか差がないんだな」
三人の若い男性魔族達は、ツナギに似た作業着のような服を着ていた。
俺達を見ても警戒すらせず、初めて見る人間に興味津々のようで、軍人などの類ではないようだ。
「魔力切れか?」
「ああ、休暇中に暇だから島の外に出てみたんだ。空を飛ぶと、人間達の船もあるから海中を進んで来たんだが、予想以上に魔力の消費が激しい。というわけで、休憩中」
「なら、休んで行かないか? 海猪漁を終えて試作の料理も作っているし」
「そうだな、せっかくだからご馳走になろうかな」
こちらの誘いを、魔族達は呆気ないほど簡単に受け入れた。
船内に案内して、エリーゼにマテ茶を出してもらう。
「この船、女の子比率高し!」
「羨ましいなぁ。俺達青年軍属なんて男と女が強制隔離されていてさ。これなら、家で本でも読んでいた方がマシだって。修学旅行かっての!」
「君、もしかしてモテモテ?」
三人の魔族は、背が高い痩せ型の青年がモール・クリント。
背が低いガッチリとした体形の青年がラムル・アートン。
丸坊主が特徴の青年が、サイラス・ヘクトル。
見た感じは、本当に普通の青年だ。
「俺は、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターだ」
「ええと、お貴族様?」
「領地持ちの伯爵だ。今回の騒動で援軍として来ている」
「えっ? 漁をしているのに?」
モールは、援軍として来ているのにクジラ漁をしていた俺達を不思議そうな目で見る。
「しょうがないだろう。双方が交渉も始めないんだから。軍隊はいるだけ食料を消費するから、こうして食料確保の任務に勤しんでいるわけだ」
「軍隊って金食い虫らしいからね。うちの防衛隊も経費や補給で四苦八苦しているみたいだし」
「基地の建設資材の費用だけでもバカにならないだろう?」
「みたいだね。予算がないって四苦八苦しているみたいだから」
「防衛隊なんて、前から廃止しろって市民団体とかがうるさいしね」
何だろう?
モール達の話を聞いていると、日本を思い出すな。
「予算が厳しいのは、人間も魔族も同じさ」
「どちらも、同じような苦労があるわけだ」
やはり、彼らはド素人だ。
俺程度の誘導尋問にスラスラと答えてくれる。
「飯でも奢るよ。海猪の料理だけど」
「いいねえ」
「クジラを獲ると、環境保護団体がうるさいからなぁ」
「たまに漁師と無意味な激突をしているよね。新聞で見た」
魔族はクジラって言うんだな。
それにしても、この三人の発言を聞いていると、まるで地球に戻ってきたかのような感覚に陥る。
魔族の国とは、大分現代の日本に近い社会システムで運営されているようだ。
となると、やはり戦争になるのは危険だ。
まともに戦ったら、まず勝てないであろう。
それがわかっただけでも収穫か。
「(なあ、伯爵様)」
「(上手く世間話をして情報を集めましょう)」
「(特に毒になるような連中にも見えないのである。バウマイスター伯爵の方針に賛成である)」
一向に交渉が始まらない以上は、何とかそれを進めるために情報を集めるべきであろう。
俺がそう説明すると、ブランタークさんと導師も納得したようだ。
「(一応警戒するけど、彼らって素人よね……)」
結果的に内乱を潜り抜けて素人ではなくなってしまったイーナからすると、モール達が何か特殊な工作や攻撃をするとは思えないらしい。
それでも、一応一人では魔族と接しないようにとエリーゼ達に提案して受け入れられた。
「全員奥さん!」
「みんな子持ち!」
「未婚の男性と二人きりにならない! そんな慎ましい女性、うちの国では滅んでいるぞ!」
彼らが気分を悪くしないように、エリーゼ達は夫がある身なので他の男性とは二人きりにならないと言うと、モール達は驚きの声をあげた。
「いいなぁ……バウマイスター伯爵。究極の勝ち組じゃないか」
「それなりに苦労はあるのよ」
「それは、人間も魔族も一緒でしょう」
そこに、料理を持ってエリーゼ達が姿を見せる。
実験的に作った、クジラの刺身、鍋、龍田揚げ、串カツ、煮物、焼き肉などが出され、彼らはそれを美味しそうに食べた。
「女の子の手料理最高!」
「うちの国だと料理もできない女が多いからな」
「料理は腕前っていうけど、やっぱり女の子が作ると違うな」
モール達は大喜びで料理を食べ続ける。
「ねえ、島の外に出るのに食料は?」
「万が一に供えて準備はしてあるよ」
荷物持ちをしているラムルは、背負っていたリュックからレトルトパウチと缶詰を取り出してルイーゼに見せた。
やはり魔族の国は、日本にとてもよく似ていると思う。
「これを食べるの? 銀色だけど」
ルイーゼは、缶詰とレトルトパックをどうやって食べるのかわからないようだ。
手に持って首を傾げている。
「中身を開けるんだよ、ルイーゼちゃん」
「凄いねぇ……金属の容器に料理が入っているなんて」
ラムルは、試しにいくつかの缶詰を持っていた缶切りで開ける。
ビーフシチュー、グラタン、ピクルスに、何とパンの缶詰もあった。
「パンが魔法の袋もなしに保存できるんだ。でも、なんで魔法の袋を使わないの?」
「大人の事情だってさ」
ラムルの説明によると、魔族の国は食料が余っているらしい。
「その状況で、魔法の袋で食料を保存したら余計に食料が余るじゃない。農家、畜産家、漁師、食品メーカー、飲食店では使用禁止だね。防衛隊は、普段は調理担当の人員がいるけど、これは万が一のための非常食だから」
「魔法の袋の使用禁止なんて徹底できるの?」
「魔道具の探知機器があるから、農林水産省の役人が定期的に調査している。たまに経営が厳しい飲食店が使って捕まるくらいかな?」
「食料が余っているなんて夢のようだね」
「そうかな? 食品関連の仕事なんてワープアと失業の板挟みだからなぁ。よほどの大手でもないと」
食料価格の下落を補助金で補てんし、それは税金から出ている。
沢山作れればいいというものでもないとラムルは語る。
「クジラは初めて食べたけど、美味しいものだね」
「調理がいいんだよ」
「ありがとうございます」
ラムルに料理の腕を褒められて、エリーゼはお礼を言った。
「バウマイスター伯爵の奥さん、美少女ばかりで羨ましい!」
食後、デザートやお茶を楽しみながら話を続ける。
とにかく、どんな世間話でも重要な情報になるからだ。
彼らから話を聞くと、魔族の国は長年争いも無く平和だが、少子高齢化で徐々に人口が減っている状態だそうだ。
政治は国権党と民権党の二大政党に、他の小規模政党も加えて選挙で政治家を選ぶ民主主義。
魔導技術は王国と帝国を圧倒しているが、平和な時間が長かったせいか思ったよりも軍事技術が進んでいない。
ただし、普通に魔銃や魔砲は配備されている。
魔導飛行船などは、魔族のものが防御力と機動力、火力で人間のものを圧倒しており、リンガイアでも歯が立たない。
魔族はみんな魔法使いなので、その気になれば大陸征服も可能かもしれない事実などがわかった。
つまり、長年戦争がないせいで平和ボケだが、怒らせれば人間の国は滅亡してしまう可能性があるという事だ。
「聞かなきゃよかった」
「ですわね」
ヴィルマとカタリーナの本音に、みんが心の中で首を縦に振る。
同じような話はアーネストから聞いていたのだが、これで情報の信頼度が増した結果となった。
「でも、魔族の大半は戦争なんて嫌だと思うよ」
「そうなの?」
「いくら若者に仕事が増えるかもと、大企業や政治家がマスコミを使って煽っても、青年軍属達を見るに非正規で使い捨てでしょう? 別に生活できないわけでもないし」
「国権党だろうが、民権党だろうが、失業率の改善なんてそう簡単にできないし。みんな、結構冷めた目で見ているね」
「何というか、覇気のない連中じゃの」
「とはいってもね。戦争大好きで、占領地の人間は搾取の対象、逆らえば皆殺しの魔族とか嬉しい?」
「そういうのは、何万年も前に終わっているから」
「そうそう、昔の文献に出てくる魔族とか頭がおかしいし!」
よくも悪くも覇気のない三人に、元フィリップ公爵であるテレーゼは色々と思うところがあるようだ。
俺だけは、この三人に好感が持てた。
魔族だからと世界征服でも目指されてしまうと、俺の安定した生活……まあ安定している事にしよう……がなくなってしまう。
あと、こいつらって現代日本人にメンタルが似ていて付き合いやすい。
「魔族の国の事はわかったけどよ。何で交渉を始めないんだ?」
「うちの国は、政権交代したばかりだからね」
「はあ? 政権が交替しただけで、どうして外交交渉が始められないんだよ?」
ブランタークさんは、サイラスが言っている事が理解できないようだ。
「元々、我らの国には外交を担当する部署なんてないし、久しぶりに政権交代で民権党が政権を獲ったけど、あの連中は実行力がないから」
「何でそんな連中が選挙に勝てるんだよ……」
民主主義を知らないブランタークさんからすると、完全選挙というシステムが理解できないのであろう。
そしてその弊害も……。
「でも、選挙は四年に一度はあるからバカはすぐにメッキが剥げて選挙に負けるから。こういうと失礼かもしれないけど、一旦跡を継いだ貴族家の当主や王様が無能だと、何十年も祟るでしょう?」
「あんまり酷いと、家臣達が押し込めるパターンもあるけどな」
政治制度のよし悪しは、まあ言い合ってもキリがないのが常識だ。
どちらも、トップが優秀でなければ機能しない点は同じなのだから。
「伯爵様はどう思うんだ?」
「えっ? どっちも運用する人次第だと思います。一長一短があると思いますけど」
どんな政治制度でも構わないと思うが、問題は他の国の政治制度にケチをつけて介入する事かもしれない。
その余計なお世話のせいで、戦争になって多くの犠牲が出たら意味がないからだ。
「伯爵様って、案外政治家向きか?」
「そんなわけがないでしょうが」
前世の影響で多少はそういう知識あるだけだ。
そんな聞きかじり程度の知識で政治に関わっても碌な事にならない。
それこそ、三人がその能力を疑っている民権党の連中と同じになってしまう。
「なかなかに面白い話を聞けてよかったよ。おかげで助かった」
あえて積極的に交渉に乗り出そうとは思わないが、情報があるのは何かと有利だ。
まあ、王家やホールミア辺境伯を差し置いて、俺が出しゃばるのもどうかとも思うから、あくまでも参考にするだけだ。
「では、気をつけて帰ってくれ」
「えっ? 俺は帰らないよ」
「俺も」
「どうせ向こうに戻ってもつまらないし」
「はあ?」
三人は抜け出して来たテラハレス諸島群に戻らないと言い、俺達を困惑の渦に陥れる。
「いやいや、戻らないでどうするよ?」
「バウマイスター伯爵って何かVIPぽいし、観光も兼ねてお世話になろうと思うんだ」
モール達は、このまま基地に戻ってもつまらない建設作業で退屈なので、俺達についてくと宣言した。
「戻らないと、金が出ないんじゃないのか?」
「別にそこまで金に困ってもいないしね。日当と常識的な遊興費を出してくれれば、大陸側でも全然構わないし」
「親に言われて青年軍属に参加したけど、あそこは碌なものじゃないからね」
「情報ならもっと提供するから、暫く置いてよ。適当なところで戻るから」
「……」
所属する国家や同朋への忠誠心の欠片もない三人に、導師ですら絶句していた。
俺は、この三人の考え方が理解できてしまうのだけど。
「そうそう、バウマイスター伯爵は知っている? 青年軍属の日当って、六千四百エーンなんだよ。そこから税金とか健康保険とか年金とか引かれるし」
「ワープア以外の何ものでもないから」
あくまでも若年者失業率を一時的に下げるためだけのものなので、その待遇はよくはないそうだ。
ただ、エーンという単位が円と同じだとして、衣食住は無料なのでそこまで悪くないのか?
でも、非正規だろうからな。
元社畜のカテゴリーに入る俺だが、それでも正社員だったからなぁ……。
青年軍属よりはマシだったのだ。
「今回の出兵が終われば、俺達はまた無職だから。完全に使い捨て」
「そうなんだ……」
俺は、前世の日本に戻ったかのような懐かしさと虚しさを同時に感じてしまう。
そういえば、この世界に飛ばされる前に中学時代の同窓会に出たけど、フリーターとか派遣で生活している同級生は多かった。
どの世界でも、若者が生きていくのは大変というわけだ。
「六千四百エーンがどのくらいの価値かは知らないけど、金貨か銀貨なら換金可能か?」
「大丈夫、金なら町のリサイクルショップで換金してくれるから」
魔族の国なのに、なぜか現代日本に似ているという現実に、俺は内心で暫く考え込んでしまうのであった。
「あっ、先生がいる」
「先生って生きていたんですね。新聞の報道だと、僻地に遺跡探索に行って遭難死した可能性が高いって」
「先生、やっぱり職がないです」
結局、海で拾ったモール達は付いてきてしまった。
あまり公にもできないので耳を隠させ、小型魔導飛行船内で生活させる事にしたのだが、一応仲間もいるとアーネストを『瞬間移動』で連れて来た。
すると、意外な事にモール達とアーネストは知り合いであったのだ。
「知り合いなのか?」
「そうなのであるな。我が輩は、この大陸に渡る前はある大学の教授をしていたのであるな。その時にゼミに参加していたのがこの三人なのであるな」
「そんな高等教育を受けているのに無職なのですか?」
「奥方、教育が進みすぎるのも弊害があるのであるな。高学歴の人間を配置できるポストに限りがあり、それを目指して来た連中に通常の職を斡旋しても断ってしまう。我が国では、雇用のミスマッチと言っているのであるな」
「魔族の国も大変なのですね」
王国や帝国で、大学といえばアカデミーが数校ずつしかなかった。
厳しい選抜試験があり、そこを卒業できればまず職に困る事などない。
エリーゼからすれば、大学を出て無職という三人の存在が信じられないのだ。
「しかし、我がゼミの生徒はみんな無職なのであるか?」
「いいえ。デミトルは役人の試験に受かりましたし、ホルストは考古学とは何も関係ない会社に入社しました。ミアンは田舎で自給自足の生活をしています」
「考古学、関係ないじゃん……」
アーネストの専門は考古学である。
それなのに、その教え子が一人も考古学関連の仕事をしていない。
王国ではまずあり得ないので、エルも驚きを隠せないでいた。
「嘆かわしいのであるな。古代の英知を知る考古学こそ至高の学問なのであるが……」
「考古学じゃ、飯は食えませんって」
「第一、先生って企業とかに全然コネないし」
「大学で講師になるのですら狭き門ですからね。俺達に用事なんてありませんって」
アーネストは優れた考古学者だ。
それでも勝手に講師や助教授を増やせないし、考古学は就職には不利で、研究ですら国の予算待ちなのだが、最近は予算削減の波で碌な発掘もできなかったらしい。
「だからこそ、我が輩は新たな遺跡とスポンサーを求めてこの大陸へと来たのであるな」
それでニュルンベルク公爵に協力してしまうのだから、彼は根っからの学者なのであろう。
正義感や倫理観よりも、まずは研究というわけだ。
「先生、よく密出国できましたね」
「骨折りではあったが、我が輩は魔力が多いのであるな」
海中を進む事で沿岸や領海を警備する防衛隊の目を掻い潜り、あとは『飛翔』で大陸目指して飛んだそうだ。
勿論、一日では無理なので海上で何泊かしていると語る。
魔導飛行船にも乗らず、単身地球でいうところの大西洋横断を行ったに等しく、さすがは魔力量が莫大な魔族とも言えた。
「我が輩がいない数年で、故郷に何か変化があったのであるな?」
「大した事はないですけど、国権党が選挙に負けたくらい?」
「それのみとは、退屈の極みであるな」
「そのせいで、青年軍属に応募できて先生に再会できたとも言えますけどね」
「民権党であるか? 大学の自治組織で騒いでた連中であろう? あのアンポンタンどもは大学でまったく勉強しないから困るのであるな」
元々政治に興味などないアーネストは、元教え子達の故郷報告にもあまり興味がないようだ。
それと、新政権に所属する連中に好意的な感情を持っていなかった。
「とはいえ、両国が戦争にでもなると遺跡発掘に影響が出るかもしれないのであるな。バウマイスター伯爵、善処を期待するのであるな」
「何で俺よ?」
「伯爵様なのだから、ノブレス・オブリージュを率先して行うのであるな」
「この野郎……」
「バウマイスター伯爵が何もしないでも、我が輩の報告なら、国王陛下の目に留まるのであるな」
「……」
やっぱり、こんな奴を連れて来なければよかった。
アーネストのせいで、俺達は再び戦争に巻き込まれる確率が上がってしまうのであった。
『お館様、戦争が嫌なのなら、ここで踏ん張りませんと』
「俺、結構頑張ってるよ。主に釣りにだけど」
『どのみち従軍しているのです。魔族との戦争に巻き込まれるよりはマシでしょうから、王宮に情報を流すくらいしてみたらいかがです?』
「ああ、面倒だなぁ……」
俺は、携帯魔導通信機越しのローデリヒに溜息をつく。
居候魔族が四人に増え、おかげである程度状況は見えてきたが問題は山積みだ。
まず、魔族の国は誰が外交交渉をするかで揉めているらしい。
国内には、リンガイア大陸に進出、侵略して魔族の国の停滞感を何とかしようという動きもある。
加えて、リンガイアは先に領空を出るようにと忠告した防衛隊の艦船に魔法を放ったそうだ。
『船長の責任は逃れられないとして、誰が魔法を撃たせたのですか?』
「情報によると、副長の貴族のボンボンだってさ」
『あのとても残念なお方のご子息ですか……』
「ローデリヒはよく知っているんだな」
『そこは、蛇の道は蛇と申しましょうか……』
いつの間にかローデリヒは、王宮から情報を得るルートを開拓していたようだ。
あのプラッテ伯爵家の息子が残念な人物なのを知っていた。
ルックナー財務卿からのルートであろうか?
「何か、向こうの新聞に大きく載ったらしいよ」
ところが魔法は大した威力でもなく、魔族の国の魔導飛行船は装甲が固い。
まったく効果がなかったが、それでも攻撃は攻撃だ。
反撃されて拿捕されてしまったそうだ。
これらすべて、モール達からの情報であったが。
記事によるとその副長プラッテ伯爵家の御曹司は、取り調べの場で『自分は次期プラッテ伯爵なのだから、それに相応しい待遇を!』と我儘を言い、取り調べをした担当者を困らせているそうだ。
「『血筋だけで貴族になった我儘息子の火遊び』と、魔族の国の新聞では非難しているそうだ」
『順当な評価ですな』
同じ王国貴族なのだが、まったく擁護できない。
俺は息子の方を知らないが、親であるプラッテ伯爵が大嫌いなので助ける気持ちが微塵も湧かなかった。
まあ、日本で同じ事があってもそう新聞に書かれると思う。
特権を持つ我侭で傲慢な貴族なんて、マスコミからすれば格好の攻撃材料だからだ。
「ただ、これをそのまま陛下に伝えても意味ないよね?」
『ですね……』
それが事実だという決定的な証拠がない。
魔族が、ヘルムート王国を陥れるために仕掛けた罠だと言われればそれまでだ。
「実際にそう言いそうだからな」
特に、主戦論を煽っているプラッテ伯爵などは。
まさか、今さら『うちの息子が悪いんです』とは口が割けても言えない。
王国貴族の中には、何とか魔族の住む大陸に侵攻できないかと考えている者も少なくはない。
下手をすると、俺が魔族の手先だと疑われて攻撃される可能性もあるのだ。
『こうなると、魔族の国の実務者が決まっていなくて助かりましたな』
「それで、バウマイスター伯爵はどういう風にしたいのであるかな?」
「現状維持でしょうね」
魔族がテラハレス諸島群から空中艦隊を撤退させ、王国はプラッテ伯爵家のボンボンがリンガイア拿捕事件の責任者なら公式に謝って公平な通商条約を結ぶ。
ただし、言うは易し行うは難しである。
「バウマイスター伯爵、どうするのである?」
「やっぱり面倒だから、全部事情を陛下に話しましょう!」
そう導師に宣言すると、俺達は急ぎ王宮へ『瞬間移動』で向かう。
アーネストとモール達も耳を隠して同行したが、事前に導師が陛下に連絡を取ったので兵達は何も詮索しなかった。
「バウマイスター伯爵は、相変わらず豪運なのか悪運なのかというところじゃの」
今回は、閣僚すらいない状態で謁見を行っていた。
導師が陛下の護衛に入るので認められる、滅多にない事だ。
「我らとて、別に遊んでいたわけではないのだ」
外務卿を団長とする外交団を送り出したのはいいが、何も進んでいない。
外交団の一行は魔族艦隊旗艦に留められ、王宮への通信は可能であったが、毎日『もう少し待ってくれ』としか言われていないそうだ。
「魔族の国は一体どうなっておるのだ?」
アーネストからの情報は定期的に受けていたが、いくら政体が違うとはいえ交渉すら始まらないのは困ってしまうと陛下が言う。
「それはですね……」
モール達からの情報に、陛下は溜息をつく。
彼は、耳を隠した魔族四人にあまり興味を持たなかった。
それどころではないのと、四人は所詮政治家ではないのだ。
気にしていたのは、今まで魔族の情報を教えてくれたアーネストくらいであろう。
あまり騒ぐと他の貴族達に知られるので、わざと興味がないフリをしているかもしれなかったが。
「政権が交替した直後で混乱? まあ、王国でも過去にないわけでもないの」
王と閣僚の交代が重なって政治が混乱し、当時帝国と戦争をしていたのになかなか停戦交渉が始まらなかった。
過去にはそんな事もあったようだ。
「しかし、困ったの」
西部は限界まで動員を行い、王国軍も一部兵力と空軍を、うちのように魔法使いや荷駄などを送っている貴族もいて、何もしていないのに資金と物資を食い潰していく。
せっかく帝国が内乱で疲弊して、これから王国の開発に増々力を入れようとした矢先であった。
陛下からすれば、今度は王国を襲った悪夢なのであろう。
「とはいえ、ここでバウマイスター伯爵を交渉に送り出しても意味がないの」
最初の交渉団と同じく待機させられるであろうし、外務卿達はいい顔をしないであろう。
俺は外務閥ではないので、あきらかに彼らの職権を侵しているのだから。
「新たな情報はありがたかったが、困ったのぉ……」
などと話をしていた翌日、ようやく話が動いたそうだ。
魔族の国から新しい魔導飛行船がテラハレス諸島群に到着し、そこにようやく政府からの交渉団が乗っていたらしい。
王国の交渉団から、速やかに交渉を始めると連絡が入った。
「何か、嫌な予感がするけど……」
「ヴェルがそう思うと、結構当たるのよね。交渉で揉めるとか?」
イーナも心配そうな表情をするが、今の俺達には何もできない。
朝起きて各種修練を行い、赤ん坊の世話を見つつ、今日は俺達だけ漁を休んでサイリウスの町の観光をしていた。
「異国情緒溢れるねぇ……」
「せっかくだから、何か特産品でも食べよう」
「両親へのお土産、何にしようかな?」
モール達のためであるが、彼らは初の外国旅行を心から楽しんでいる。
「我が元教え子達よ。昼は何を食べるのか考えたのであるかな?」
「港町といえば魚介でしょう!」
「他にも何かあるかもしれない」
「そして、それは先生の奢りで」
「まあ、別に構わないのであるが」
孤高の天才に見えるアーネストであったが、元教え子達との再会を満更でもないと思っているようだ。
食事やお土産代などを出してあげていた。
「先生、金持ちですね」
「まっとうな成果をあげているので、バウマイスター伯爵から支給されるのである」
既に多くの地下遺跡を発掘し、多くの発掘品を得ているので、それに見合った報酬は渡している。
アーネストは研究バカだが、スポンサーにちゃんと利益を供与する事も忘れない。
あのニュルンベルク公爵とつき合えていたのだから、そういう配慮はできる人物なのだ。
普段は書斎に籠っているためお金はほとんど使わないが、こういう時には大盤振る舞いをする柔軟さもあるようだ。
「これで、女の子がいたらなぁ……」
「いるじゃないか。みんな可愛いし」
「可愛くても、みんな人妻という点がねぇ……」
ハルカはエルの奥さんで、あとはみんな俺の奥さんである。
魔族も人間と大差ないので、色々と思うところがあるのかもしれない。
「別に一人でも問題ないのであるな」
「そりゃあ、先生は研究が恋人みたいなものでしょうから……」
「俺達も、恋人くらい欲しいですよ」
「結婚は……金がないですからね」
魔族の国は一夫一婦制で、若者の婚姻率が徐々に下がっているらしい。
結婚できない若者が徐々に増えており、モール達も彼女くらいは欲しいと思っているのであろう。
町中を歩く若い女性に度々視線が向かっていた。
「よくよく考えたら、無職に彼女は難しいか」
「物凄いイケメンとかならあるかもしれないけどな。ヒモにでもなるか?」
「俺達のどこにイケメンの要素があるよ? あと、ヒモは意外と大変だと聞くぞ」
「「「「「「「「「「……」」」」」」」」」」
モール達のあんまりな会話に、エリーゼ達は何も言えなかった。
「みなさん、独身なのですか?」
「俺らの年代だと、九十パーセント以上は独身だよ」
「みなさんは、おいくつなのですか?」
「俺は五十四歳、ラムルとサイラスは五十三歳だね」
ハルカの質問にモールが答えた。
魔族は人間の三倍近く生きるので、人間に換算すると十八~二十歳くらいか。
俺達とさほど年齢に差がないように見えるわけだ。
「五十歳をすぎるまで学生さんなのですか?」
「そうだよ。魔族って長生きでしょう? あとは、職もないから」
義務教育が二十七年、その上の高等教育が九年、大学十二年、大学院は六年から十二年もあるらしい。
「そんなに習う事があるのですか?」
「いいや、学生なら無職を糊塗できるからだね」
いくら魔族でも、そんなに長期間学校に行く必然性がない。
ただ、必要な教育期間だけで世間に出すと無職が増えるので、長々学生をやらせているだけのようだ。
「長いモラトリアムだな」
「バウマイスター伯爵は難しい言葉を知っているな」
「そうなんだよ。学校なんて週に二~三日しかないし」
「たまに行くのを忘れたりな」
「それでも進級は楽だし、アルバイトで時間を潰せるのもいいね」
モール達は笑っているが、長く生きる魔族にもそれなりに悩みはあるようだ。
「魔法使いなのに……」
「ヴィルマさん、人間では魔法使いは珍しいけど、魔族は全員だからね」
「余るのが多いわけ」
もし魔族でなければ、彼らなどあっという間に仕官可能なのにと思ってしまう。
「そんな厳しい現実を忘れ、今は観光を楽しみましょう!」
その日は楽しく観光をしたのだが、家代わりの魔導飛行船に戻ると、そこには王宮からの使者とホールミア辺境伯家の家臣がいた。
何か急用があるようだ。
何だか、嫌な予感がする。
「何事です?」
「陛下からの勅命です。本日初の交渉を行うも、双方相違点どころか交渉の継続すら怪しい。バウマイスター伯爵殿は至急テラハレス諸島群へと向かうべし」
魔法しか能がない俺に、外交の仕事が与えられた。
無事に任務をまっとうできるのか、俺は不安に苛まれそうになるのであった。