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第百三十七話 偵察及び、臨時食料調達任務。

 バウマイスター伯爵領を出発した一隻の小型魔導飛行船が西へと向かう。

 アーネストの案内で地下遺跡から発掘され、この度王家から運用の許可を貰った諸侯軍に属する船である。


 西方海域にあるテラハレス諸島群に突如魔族の国のものと思われる空中艦隊が出現し、そこを領有するホールミア辺境伯家が臨戦態勢を敷いた。


 その救援のため、俺達は現地に向かっている。


 ただ、彼らはテラハレス諸島群に臨時の拠点を築くのに夢中で、しかもほとんど陸兵は連れて来ていないそうだ。

 直接西部ホールミア辺境伯領への侵攻は今のところは可能性が少ないとの王国軍上層部の判断であり、俺達も王国も陸兵の派遣は行っていない。


 魔法使いと空軍の派遣が主なものとなっていた。

 

 兵力を派遣すると、受け入れる側としても色々と準備が必要となる。

 経費は援軍側が負担するのが義務だが、大量の兵員が西部で食料調達を始めると値上がりするし、確保にも苦労するであろう。

 

 そうでなくても、現在は西部諸侯に動員命令がかかっている。

 彼らへの補給が最優先というわけだ。


 王国西部は穀倉地帯だが、王国各地への輸出や自分達向けの備蓄もあるので、そう余裕があるわけではない。

 そのため、歩兵の派遣は極力控えていた。


「うーーーむ、魔導飛行船を託児所代わりとは凄いのである」


「動員したバウマイスター伯爵家の女性魔法使い達が、みんなおっ母さんなわけだからな」


 船は途中ブライヒブルクに寄り、そこで導師とブランタークさんも拾っている。

 二人は、託児所と化した船内を見て目を丸くさせた。


 戦場になるかもしれないのに子連れなのは前代未聞……という事は実はなかったりする。

 過去の戦乱期には、子連れで陣地に詰めていた女性魔法使いも存在していたそうだ。


「補給物資にオムツとベビー用品が必要だな」


「ちゃんと持って来ましたよ」


 それどころか、世話を手伝うメイド達に、彼女達が必要な物資まで準備したのだから。

 

「ホールミア辺境伯領の中心都市ホールミアランドで購入しないのか?」


「そこには寄りませんし……」


 テラハレス諸島群に一番近く、ホールミア辺境伯家の水軍基地もある西部の港町サイリウスに直接向かうようにとエドガー軍務卿から連絡が来たからだ。


「いやさ、こういう場合は、伯爵様としては消費しないと文句を言われるんじゃないかと心配したわけだ」


 大貴族の大半が、普段はみんなが思っている以上にケチだったりするのだが、例えば他の貴族領に出かけた時には派手にお金を使う。

 見栄が一番大きな理由だが、あとは訪問した貴族の領内に金を回すためでもある。


 ブランタークさんは、それをしなかった俺を心配しているのであろう。


「どうせサイリウスでお金を使う事になるのである。それに、今は準戦時状態なのである」


 導師の言うとおりで、今の王国は『準戦時』体勢にある。

 準がついたままなのは魔族艦隊の目的がいまいち掴めないし、テラハレス諸島群が占拠されているとはいえ、あの島は元々無人である。

 領民達が直接被害を受けたわけではないのだ。

 

 ただいつ魔族が攻め寄せて来るかも知れず、迎撃準備は必要であった。

 場合によっては、テラハレス諸島群奪還が命じられる可能性もある。

 

 だが、王国全土から歩兵を集めると莫大な経費がかかってしまう。

 そこで、数の割に戦力になりそうな魔導飛行船や魔法使いの援軍をホールミア辺境伯領に出したわけだ。


「サイリウスでの道案内は、ブランタークさんと導師に任せますね」


 二人とも、若い頃に冒険者として西部に滞在経験がある。

 当然サイリウスにも行った事があり、なので俺は道案内を頼んだ。


「任せるのである」


「それはいいけどよ。エルヴィンがいるじゃないか」


 ブランタークさんは、西部出身であるエルにも道案内を頼むようにと勧める。


「ブランタークさん、ブライヒブルクに来るまでの俺は故郷とその周辺から出た事がないので無理ですよ。サイリウスにも、ホールミアランドにも行った事がないですし」


「そうなのか?」


「俺は魔法なんて使えないから、行動範囲が狭いんですよ」


 エルも貧乏騎士の五男なので、子供の頃に旅行などした経験がないのであろう。

 故郷であるアルニム騎士爵領とその周辺地域くらいが精々のはずだ。


「エル、アルニム騎士爵領ってどこにあるの?」


「西部領域だと、西寄りの位置にあるな。周りは山ばかりで物凄い田舎だぜ」


 イーナに聞かれて、エルは自分の故郷について話し始める。

 アルニム騎士爵領は山に囲まれた典型的な田舎領地で、それでも山道を一日歩けばある程度大きな町に出られるから、バウマイスター騎士爵領よりはマシであった。


「エルのお父様達は、サイリウスにいるのかしら?」


「さあ? ホールミア辺境伯の寄子の寄子で動員はしていると思うけど、どこに配置されているかわからないし」


 領地のある西部に魔族が攻め寄せるかもという瀬戸際にあるので、エルの実家も兵を出しているはずだ。

 ところが、そんな小規模で練度も怪しい連中をそのまま防衛本軍に混ぜると、かえって不利になる可能性がある。


 練度不足の軍が、精鋭の足を引っ張るのだ。

 ホールミア辺境伯家諸侯軍の実力は不明だが、これでも三家しかない辺境伯家の軍勢である。

 アルニム騎士爵家諸侯軍よりも下のわけがない。


「下手に混ぜて混乱されると、全軍が崩壊するからな。どこかで警備でもしてんじゃないの?」

 

 帝国内乱で、それは多数目撃した。

 そのため、そういう連中は補給路警備、荷駄部隊の護衛などに回されるケースも多かった。 

 文句を言おうにも、相手は辺境伯様である。


 言えるはずもなく、エルの言うとおり渋々と働いている可能性があった。


「世知辛いんだね」


「うちなんて、ヴェルの実家よりも少しマシ程度、家の裕福さでいったら、イーナやルイーゼの実家といい勝負だろうからな」


 貧乏な騎士など、大物貴族の陪臣にも経済力が劣る。

 建前では貴族同士に主従関係など存在しないが、現実ではエルの父親はホールミア辺境伯に逆らえるはずがなかった。


「小貴族としては、それが逆にありがたいかもしれませんわよ」


「かもしれないけど、小なりとはいえ貴族で、表向きは前線に出たいんじゃないのか?」


 戦争の際には、常に前に出て剣を振るいたい。

 これが歴史書や物語に記される格好いい貴族の姿であったが、実際にはもしそんな事をして貴族が死ねば相続で手間がかかるし、率いている軍勢の大半が領民で普段は他の仕事をしている。

 一人でも死ねばその分生産力は落ちるわけで、できれば後方に引っ込んでいたいと願うのが彼らの本音かもしれない。


「何にしても、親父や兄貴達と会いたくないな。ヴェルに迷惑がかかるし」


 前に、エルのコネでバウマイスター伯爵家の重臣になれると信じていたような人達である。

 エルからすれば、ここで顔を合せたらまた余計な事を言わないかと配なのであろう。


「到着のようであるな」

 

 船の外から、大きな港町サイリウスが見える。

 町は普段通り平和そうに見えるが、港には物々しいホールミア辺境伯家諸侯軍と、水軍の艦艇が臨戦態勢にあった。


「水軍か……」


 この世界の海運は、魔導飛行船のせいであまり活発ではない。

 バウマイスター伯爵領の南端以外もそうだが、海流の難所が多くて港に出来ない海岸も多く、加えてサーペントの存在もある。

 大型船なら遠洋航海も大丈夫だが、中型以下だとサーペントに襲われる可能性が急上昇するので、沿岸の近海航海がメインであった。

 

 他の大陸には行かないし、そもそも存在するのかも不明だ。

 リンガイア大陸内の移動は魔導飛行船があるので、自然と海上船が小型化していったのだ。

 港を持つ領主には水軍を持つ者も多かったが、密輸の取り締まりと、海賊とはいっても規模も小さかったのでそれに見合う戦力しかない。


 ホールミア辺境伯家の水軍は王国有数であったが、その船の大きさと隻数は案外しょぼかった。

 王国軍でも、水軍は一部の直轄地に配置されているのみで、規模はいい勝負である。

 空軍の整備が優先され、水軍は軍でも目立たない存在であった。

 

「相手も空中艦隊らしいから、水軍はどうせ役に立たないだろうな」


 大砲などという便利な装備はないので、空を飛ぶ敵に成す術がない。

 一方的に上空から攻撃されて沈められてしまう危険性があった。

 ミズホ公爵領が開発した魔砲の存在は知られているが、あんなものを急に量産して配備できるはずがない。

 あのミズホ公爵が技術を帝国に提供するはずもなく、帝国ですらやっと試作に入ったくらいなのだから。


「まずは、ホールミア辺境伯に挨拶に行くか……」


 船を指定の場所に着陸させると、赤ん坊とメイド達への警備を残して臨時の本陣へと向かう。


「バウマイスター伯爵殿か。応援感謝する」

 

 ホールミア辺境伯は、今年で三十八歳。

 数年前に、先代の死でその爵位と領地を受け継いだ……とエリーゼから情報を聞いた。

 領主としての能力は、平均的だそうだ。

 取り立てて名君でもなければ、暗君でもないと。

 

「大変な事になりましたね」


「帝国の内乱が終わって、まださほど時間は経っていないのにな。ただ……」


 最新の情報を聞くと、謎のというかほぼ魔族の艦隊で決まりだが、テラハレス諸島群でノンビリと基地の建設を続けていて、動く気配はないそうだ。

 

「水軍の偵察結果ですね?」


「小型船ばかりだが偵察くらいはな。なぜか向こうは偵察を妨害してこないという理由もあって、そう難事でもなかったそうだが」


「向こうの目的が見えませんね」


「それで困っているんだが、今は警戒しながら待機するしか仕事はない。私は、それなりに忙しいが」


 ホールミア辺境伯家諸侯軍に、他の貴族達の諸侯軍、王国軍も続々と集まっている。

 何もしないでも物資は消耗するので、ホールミア辺境伯はそれを手配しないといけないのだ。


「一部家臣達の中には、全軍で攻めてテラハレス諸島群を取り戻しましょうとか言う者もおるし、まだ何もしていないのに疲れた」


「はあ……」


「取り戻せても何もない無人島だ。魔族相手では犠牲も多かろうから、経費を考えるとこんな損な命令、王国政府からでも出ない限りは実行できん」


「かといって、このままなのも困りませんか?」


 自領を奪われたままでは、貴族としての沽券に関わる。

 ホールミア辺境伯としては、このまま魔族に撤退してもらいたいのが一目瞭然であった。

 奪還作戦をしても勝てそうにないという本音は、ホールミア辺境伯は口が裂けても言えないわけだが、王国政府もその件で彼を責めるほど愚かではない。

 『では、テラハレス諸島群を王国に譲渡するので、王国軍で奪還してください』とホールミア辺境伯から言われたら困るからだ。


「今は様子を見るしかないわけだが、様子を見ているだけでも経費は飛んでいく。どうしてこんな事になったのやら……」


 愚痴を溢すホールミア辺境伯に、俺は相槌を打つ事しか出来なかった。

 顔を出して挨拶をするという用事を終えたので、本陣を辞して船へと戻る。

 赤ん坊もいるし、船内には生活可能な設備や装備を準備してある。

 どこか宿屋などに泊まらなくても、ここで待っていれば十分であろう。


「事実上のバウマイスター伯爵家諸侯軍の本陣ね」


「質はともかく、数はしょぼいけど」


 奥さんでもある魔法使いのみ従軍で、一部いる兵力はあくまでも護衛であったからだ。

 ブランタークさんと導師もいるが、ブライヒレーダー辺境伯家からの援軍と王家からの援軍扱いである。


「何かする事はあるのかしら?」


「うーーーん、ないんじゃないの? ボク達は、何かがないとお仕事もないでしょう」


 イーナの問いに、ルイーゼが代わりに答える。

 俺達が無理に頑張って、他の将兵達の仕事を奪うのはよくないというわけだ。


 決して、俺達が変に頑張って彼らの目に留まった結果、テラハレス諸島群攻めの先鋒を命じられでもしたら嫌だと思っているわけではない。

 王国政府が、犠牲の少ない解決策を選んでくれる事に期待しているだけだ。


「でしたら、買い物にでも行きましょう」


「そうだな、カタリーナ。みんなで行こうか?」


 赤ん坊の世話をメイド達に任せて、俺達はサイリウスの町に向かう。

 今は準戦時ではあったが、別に戦闘が起こったわけではない。

 多くの外部から来た軍人達がいるので、彼らが消費する物資や食料の商いで町は賑わっているようだ。

 いちいち現物を輸送していたらキリがないし、そうすると補給部隊も連れて来なければいけなくなる。

 金だけ持って、サイリウスの町で買った方が早いというわけだ。


「皮肉な事に、戦争だから儲かっているのである」


「それはどうかな? ちょっとくらい税収が増えても、ホールミア辺境伯は大赤字だろうに……」


 売っているイカに似た生き物……イカだと思うけど……の串焼きを頬張りながら、導師とブランタークさんは町の様子を見学する。

 外部からの人達が増え、商売人などは売り上げが増えて万々歳のようだ。


 王国軍、他の西部貴族と諸侯軍、俺達と同じように応援に来ている魔法使いの姿もある。

 戦闘をしなくても飲み食いはするし、少人数なので宿屋に泊まる人達もいた。

 サイリウスの町は、一種の戦争景気に沸いているわけだ。

 

「うん? バウマイスター伯爵殿じゃないか」


「フィリップ殿か? クリストフ殿も。どうして?」


「応援だよ」


 町の往来で、帝国内乱を共に戦ったフィリップとクリストフと再会する。

 後ろに数十名の王国軍将校を引き連れていて、俺達と同じくホールミア辺境伯に挨拶に行った帰りだそうだ。


「お久しぶりです。ですが、王国軍は空軍しか出していないと聞きましたが」


「エリーゼ殿、それは大雑把な言い方というやつだな」


 情報が欲しいところなので、二人をお茶に誘って話をする事にする。

 フィリップとクリストフは護衛の数名以外は自分達の陣地に帰らせ、町にあるレストランの部屋を貸し切りにして、そこでデザートなどを食べながら話を始めた。


「援軍のメインは空軍だが、船にある程度の陸兵は乗せてあるさ」


「もしテラハレス諸島群の奪還上陸作戦とかあると、歩兵が必要ですから」


 ただ、あまり多数の兵をホールミア辺境伯領に送ると補給で苦労する事になる。

 そこで、少数ながらも精鋭でアクシデントに対応可能な軍、帝国内乱を潜り抜けた王国軍生き残りと、その指揮官をしていたフィリップ、クリストフ両名に白羽の矢が立ったそうだ。


「厄介事を押し付けられたような気もするが、爵位も上がって将軍にも任命されたからなぁ……」


「私も軍政官に任命されましたし、お仕事ですから死なない程度に頑張りましょうというわけです」


 ブロワ辺境伯家の継承争いでは評判を落としたが、後に軍を率いて帝国内乱で活躍した。

 領地貴族としては失格だが、軍系の法衣貴族としては戦功を挙げた数少ない実戦経験者という事で優遇されているそうだ。


「エドガー軍務卿の先見の明ですね」


「エルヴィン、実際にそうだし世話にもなっているが、エドガー軍務卿も俺達を拾った判断で評価を受けているさ」


「その評価のために、とりあえず動員もされますしね」


 まあ、その辺は『貴族はお互い様』な部分かもしれない。

 フィリップは法衣子爵として、クリストフも法衣男爵になって分割独立し、共にエドガー軍務卿の寄り子になったと聞いている。


「あの人、見た目に反して貴族していますよね?」


「あの見た目のせいで、脳筋扱いして騙される貴族も多いですからね」


 クリストフから言わせると、エドガー軍務卿は間違いなく大貴族だそうだ。

 ヴィルマの件とかを考えるに、俺は大分前から知っていたけど。


「それで、王国の方針はいかがなのです?」


 エリーゼが本題を聞こうと、話題をそちらに誘導する。


「それが割れています」


 テラハレス諸島群を占領して基地を作っているので、これはもう戦争だという貴族。

 元々テラハレス諸島群は無人だし、大陸本土に侵攻したわけではない。

 防衛の準備を行っている最中でもあるので、ここは一回話し合いをもった方が建設的であろうという貴族と。


 両論に分かれて、現在も会議は続いているとクリストフが説明する。


「陛下は、ご決断をされていないのですか?」


「判断材料が少ないという理由もありますね」


 いまいち、魔族側の意図が掴めないというわけだ。


「最初に外交使節くらい送るのが常識なのに、いきなりテラハレス諸島群の占領でしたし。ですが、偵察した情報によれば魔族側の兵数は少ないんですよね……」


 艦隊の人員は不明だが、テラハレス諸島群で基地の建設作業をしているのは千人にも満たない人数らしい。


「元々魔族という種族の人数が少ないとはいえ、文明レベルはこちらよりも上のはずなのにチンタラと作業をしているらしいですし、彼らは何をしたいのでしょうか?」


「うーーーん」


「こっちも迎撃準備にも時間がかかりますし、暫くは待機になりそうですね」


 互いに交渉団や外交使者を出すわけでもなく、片方はテラハレス諸島群にチンタラと基地を建設し、ホールミア辺境伯は迎撃準備の途中。

 これでは、俺達が手を出すわけにもいかない。


 なぜなら、俺にそんな権限は一切ないからだ。


「帰りにお土産でも買って帰るか……」


「お土産は止めた方がいいわよ。まだ時間がかかりそうだし」


 イーナからまるでお母さんのような事を言われてしまい、俺達は食材になりそうな魚を買ってから帰る事にする。

 元日本人の俺としては、港町に来て魚を買わない選択肢はないからな。

 ところが……。






「貴族の旦那、サイリウスは港町で魚が特産なんだけど、漁船で大型の物は例のテラハレス諸島群偵察に動員されているし、小型漁船だけ得た成果も、このところ軍人さんが多いだろう? 軍隊がみんな買い占めてしまってな。俺らはみんな売れるからいいけどな」


「何だとぉーーー!」


「伯爵様、そんなに怒る事か?」


「ブランタークさん、他の土地に旅行に来て、そこの名産が食べられなかったら嫌じゃないですか」


 漁港に行って直接魚を仕入れようとしたら、碌な商品が残っていなかった。

 魚屋の親爺からその理由を聞いた俺は、地魚が買えないという現実に激怒する。


「エルヴィン、伯爵様に何か言ってやれよ」


 『なぜその程度の事で?』と思っているブランタークさんは、エルにストッパー役を期待したらしい。

 ところが、今の彼は俺達側であった。


「ハルカさんが一夜干しを作ってくれる事になっていたのに……。一夜干しは、新鮮な魚の方が美味しいのに……」


「旦那様、ここにある古い魚では、美味しい一夜干しは不可能です」


 ミズホ人であるハルカを妻にしたエルは、既にその胃袋を彼女に掴まれていた。


「そうだよなぁ。干物とか一夜干しは、新鮮な魚を使わないと美味しくないのに……」


「さすがはお館様、よくわかっていらっしゃる」


 ハルカが俺を褒めるが、伊達に中身が元日本人ではない。

 海に来て新鮮な魚が手に入らないなど、こんな理不尽な事があっていいのだろうか?


「ううっ……導師も何か言ってやれよ」


「旅の醍醐味は、その土地ならではの食材と料理なのである! サイリウスに来て魚が食えぬとは酷いのである!」


 導師も、旅先の食事は楽しみな人だ。

 新鮮な魚がないという現実に、俺と同じく激怒した。


「金なら出す! 新鮮な魚を売ってくれ!」


「それが、数少ない新鮮な魚はホールミア辺境伯諸侯軍に卸す契約でして……」


 古い魚に当たると困るので、事前に定期購入を頼んできたそうだ。


「領主様のお願いですし、買い叩かれているわけでもないですし、貴族の旦那の分はないんです」


「何てこったい……」


「あなた、他のお店を当たっては?」


「奥方様、サイリウスの魚屋はみんなうちと同じ状態ですぜ」


 ホールミア辺境伯家のみならず、他の諸侯軍を動員している貴族達も食材の定期購入を頼み、出遅れた俺達は新鮮な魚が買えない。

 その現実に、俺はガックリと肩を落としてしまう。


「ヴェル、大丈夫?」


「ねえ、少しくらいはないの?」


 俺の食に対する拘りを知っているイーナがそっと慰め、ルイーゼは念を押して新鮮な魚の在庫を聞いた。


「我々も、今は魚を食べていないくらいですから」


 軍隊の胃袋恐るべしである。

 いくら漁獲量が減っているとはいえ、サイリウスの魚を買い占めてしまうなんて。


「魚が食えないなんて……。実は見た事もない魔族の連中よりも、ホールミア辺境伯家諸侯軍の方が俺の敵なのではないかと」


「ヴェンデリンさん、その考えは王国貴族としてはどうかと思いますが……」


 咄嗟にカタリーナが、俺の危険思想を窘めた。


「旦那の気持ちはわかるけどな。あたいは、冒険者として色々な場所に行ったけど、その土地の食材や料理は楽しみの一つだったし」


「カチヤもそう思うだろう?」


「たまに、とんでもない地元の料理が出たりするけど、サイリウスの魚は普通に美味しいって聞いたし」


「そうよな。北方の輸入品には少し負けるが、なかなかのものだと聞いたぞ」


 元フィリップ公爵であるテレーゼからすれば、故郷で採れた魚こそが一番なのであろう。

 それでも、王国では一番魚が美味しい土地であるという知識は持っているようだ。


「ねえ、ヴェル様」


「どうした? ヴィルマ」


「どうして自分で獲らないの?」


「えーーーと、漁業権とかあるからかな?」


 ヴィルマから言わせると、『魚が買えないのなら、自分で獲ればいいじゃない』という事らしい。

 そういえば、彼女と特に仲良くなったのは南端の海岸で漁をしてからであった。

 ただ、海の漁師は漁業権などについてうるさい。

 勝手に獲ったら怒られるどころか、地域によっては密漁者は魚の餌だ。

 船は小型の物しか残っていないし、沖合に出てサーペントに襲われる可能性もある。

 そう簡単に魚を獲れないのではないかと思っていたのだ。


「漁業権に関しては、会員の漁師を一定数以上雇えば大丈夫ですけど」


 彼らに日当を払って漁に付いてきてもらえばいいと、魚屋の親父が言う。

 思った以上に規則が緩かった。


「漁師って、余っているのか?」


「ええ、テラハレス諸島群の偵察に駆り出された連中は漁ができないので普段よりも漁師を乗せていません。小型漁船だけでは余る漁師が出ますからね」


 生活ができないので、今は少ない小型漁船を誰の物であるとかを無視して順番に乗って漁をしているそうだ。

 ただ収入ダウンは避けられず、アルバイトがあれば喜んで参加するであろうと。


「ですが、漁師は余っていても船が余っていないのでは?」


 冒険者として長年活躍してきたリサは、年齢が上という事もあって社会経験が豊富なのであろう。

 すぐに、魚屋の親爺が言っている事の矛盾を指摘した。


「若奥さんには敵わねえな。でも、船があれば沖合に一キロも出れば魚は獲れるんですぜ。貴族の旦那の一家が食べるくらいなら、釣り糸を垂らせば十分に釣れますし、サーペントも沖合に十キロ以上行かなければまず出ませんから」


「なるほど、船が必要なのか」


 ならば話は早い。

 俺は早速、その船を準備する事にするのであった。





「ヴェル君、その船はどこから?」


「魔法の袋からですが」


「それは今見たけど……お高そうな船ね」


「拾い物ですけどね」


 魚が買えなければ、自分で獲ればいい。

 ヴィルマの意見に賛同した俺は、自分の魔導飛行船を置いている近くの船着き場に一隻の船を浮かべた。

 大きさは三十メートルほど、形は地球のクルーザーに似ている。

 魔の森にある地下遺跡から見つけた物で、説明書によるとお金持ちが購入するレジャー用の魔導遊行船と書かれていた。


 この船の特徴は、魔晶石に蓄えた魔力でスクリューを動かす点にあると思う。

 この動力は王国軍と諸侯軍水軍の一部艦艇にしか装備されていない物で、この船は発掘品なのでもっと性能がいい。

 何隻か研究用だと言われて魔道具ギルドに売却したが、新しい魔動力は今回間に合わなかったようだ。


 だが、どうせ中・小型船舶の大半が帆と船員の手漕ぎで動いている。

 船団を組む時に大型船ばかり早くても意味がないので、小型の魔導動力を普及させないと戦力アップにはならないであろう。


「自分用の船舶ねぇ……。私の父なんて、川で魚を獲る小さな舟しか持っていないわよ」


 マインバッハ領には海がなく、小さな川が流れているだけだそうだ。

 船も、その辺の丸太を削って作った小舟で、それでも領主様しか持っていない自慢の一隻だったそうだ。


「アマーリエ義姉さん、昔のバウマイスター家は船すら持っていなかったですよ」


「そういえばそうだったわね。でも、いきなり新しい船で大丈夫?」


「ええ、試し運転は当然していますよ」


 同じ船という事で、船に乗れないで暇そうにしていた漁師達に先ほどまで練習させていた。

 動力が自動なくらいで、船を動かすという点に違いはない。


『帆の操作と、風がない時の漕ぎが必要なくて楽だな』


『売って欲しいくらいだぜ』


 漁師達は一時間ほどの練習で、魔導クルーザーを乗りこなす事に成功した。

 さすがはプロというべきであろう。

 俺は、船関係の免許は持っていなかったからなぁ。

 船はよくわからないのだ。


「それでお魚を獲りに行くの?」


「ええ」


 漁船ではないので収納スペースは少ないし、網の運用は出来ないが釣りをしてその成果を収めるくらいは出来る。

 自分達の分だけだと割り切って、早速釣りに行く事にした。


「アマーリエ義姉さんは来ないのですか?」


「私、船酔いが酷いのよ。赤ん坊達を預かっているから。あと、お魚をお願いね」


「わかりました」


 早速、釣り道具と必要な物資を積み、いつもの面子で少し沖合に釣りに出かける。


「こんな事をしていいのかなと思わんでもないな」


 とは言いつつ、漁師お勧めのポイントに到着すると、ブランタークさんは自分の釣り竿に仕掛けと餌をつけて投げ釣りを開始する。


「ブランタークさん、慣れてませんか?」


「冒険者ってのは、時に食料を川や海から恵んでもらう事もあるからな。たまに釣りはしていたよ。しかし、いい竿と仕掛けだな」


 これも、魔の森にある地下遺跡からの発掘品である。

 この世界にもリールは存在したが、造りが原始的なので糸が絡みやすい。

 その点、発掘品の釣り道具は日本にあった物と大差ない造りになっている。


 初心者や女性でも扱いやすい品となっていた。


「エルも、気合を入れて釣れよ」


「釣るけど、ブランタークさんと同じでこんな事をしていていいのかなと思う」


「いや、それは大きな間違いだぞ。俺達はちゃんと軍事行動をしているのだ」


 せっかく応援に来たのに、ホールミア辺境伯家とその他諸侯軍、王国軍は俺達に構っている暇がないらしい。

 『何か状況に変化があるまで、その場にて待機していてほしい』という命令以外は、完全に放置状態だ。


 応援に来たのに、町で悪さをする貴族の私兵達がいて余計に手間がかかったりしているそうで、雑多な混成軍を纏めるというのは大変なのだ。

 

 これは、テレーゼやペーターが散々苦労しているのを見ているので今さらであろう。


 そんな中、迷惑をかけていない俺達は管理に手間がかからないので基本放置である。

 ただ、何もしないのはどうかと思うので、独自に偵察と食料確保のための行動に出たわけだ。


「食料確保と偵察ねぇ……」


「方便とも言うのである!」


「うわっ! 導師がぶっちゃけた!」


 偵察も何も、ここは港から一キロほどの沖合である。

 サーペントすら来ないのに、魔族の艦隊など来るはずがない。

 テラハレス諸島群などは、遥か西に百キロ以上も先だからだ。

 

 食料確保も、別に食料が不足しているわけではない。

 西部は王国一の穀倉地帯である。

 最近は畜産にも力を入れているので、穀物と肉類に不足はない。

 ただ俺が、魚が食えなくて嫌なだけだ。


「暫く何もできませんから、子供達の面倒を見ながら適度に息抜きをして万が一に備えた方がいいですね」


「ほら見ろ、エリーゼの言うとおりじゃないか」


 さすがは俺の妻、実にいい事を言う。


「新鮮なお魚で、しかも釣った物は別格に美味しいと聞きますし、頑張りましょう」


「そうだよ、奥方様。魚は、網獲りよりも釣った方が美味いのさ」


 エリーゼの発言に、船を操作している漁師がフォローを入れる。


「網で獲った魚は、網の中で暴れて傷つくからなぁ。実際に、手釣りの魚の方が値が高いのさ。さあ、仕掛けを降ろしてくだせえ」


 というわけで、みんなで釣り針に餌をつけて仕掛けを海に投入する。

 みんなリール竿に、餌は魚やイカの切り身で、これは漁師が準備してくれた。


「何かかかったわ!」

 

 一番最初にヒットしたのはイーナであった。

 漁師の助言どおりにリールを巻いていき、最後は漁師がタモで掬って取り入れる。


「アカダイだな。刺身や塩焼きにすると美味しいぜ」


 見た目はマダイその物なので、食べれば普通に美味しいと思う。


「早速絞めてくれ」


「貴族の旦那は魚に詳しいんだな。任せてくれ」


 漁師は釣ったアカダイのエラと尻尾を切り、冷たい海水で血抜きをする。

 

「ヴェル、生かしておいた方が美味しいんじゃないの?」


「それは誤解だな」


 実は、今は開店休業状態だが、観光客や富裕層向けに生簀に泳がせた魚を調理して出すレストランが存在している。

 新鮮な魚が食べられるとあって、ボッタクリに近い値でも人気だそうだが、一応食品を扱う商社に居た俺に言わせるとそれは幻想である。


「餌もやらずに狭い生簀で無理矢理生かしているんだ。川の魚の泥抜きとは違う。味は当然落ちる。見た目生きているから錯覚しているだけ」


 すぐに殺して血を抜き、それが終わったら内臓とエラを素早く除去する。

 あとは冷やしてから、魔法の袋に入れるだけであった。


「貴族の旦那は締め方にも詳しいんだな。俺らは商売だから、無理に生かして生簀に運ぶけどよ。貝やエビ、カニは生かさないと駄目だから同等に思われているのかもな」


「ふっ、任せてくれ」


「ヴェルって、食べ物の事には詳しいのね」


「何か引っかかる言い方だな」


「だって、貴族の名前がなかなか覚えられなくて、ほとんどエリーゼ頼りじゃないの」


 イーナに事実を指摘され、俺は思わず顔を引き攣らせてしまう。

 元日本人である俺から言わせると、貴族の名前は面倒で覚え難いのだ。

 あと、昔から人の名前を覚えるのは苦手であった。


「それよりも、沢山釣ろう!」


 本当に必要な貴族なら、自然に覚えるはずなのだ。

 それができないという事は、その貴族は俺には必要ない。

 と思う事にして釣りを再開する。


「あなた、釣れました」


「ソコゾコだな」


 エリーゼは、大きなヒラメを釣った。

 ちなみに、ソコゾコとはヒラメの地方名のようだ。

 フィリップ公爵領や王都とは呼び名が違っていた。


「ボクのは結構大きいよ」


「大きいブーリだな。これも塩焼きにすると最高だ」


 ルイーゼは、巨大なブリに似た魚をゴリゴリとリールを巻いて釣り上げた。

 相変わらず、見た目では想像もつかない怪力である。


「釣れた」


「ヴィルマのも大きいね」


「ゴーチか。高級魚だぜ」


 ヴィルマも、一メートル近いマゴチに似た魚を釣ってご機嫌だ。

 それにしても、凄い大物ばかり釣れるな。


「ヴェンデリンさんは、釣れていませんわね」


「そういうカタリーナはどうなんだ?」


「数は釣れていますわよ」


 反対側で釣っているカタリーナは、四十センチほどあるサバに似た魚を次々と釣り上げている。


「爆釣だぜ!」


「面白いように釣れるの」


 カチヤとテレーゼもよく釣れていた。


「サバですね。味噌煮と絞めサバにしましょう」


「奥さん、サイリウスではサッパって言うのさ」


 補佐をしてくれる漁師は、なぜか地方名に拘っているようだ。


「釣れると面白いものだな」


 夫婦で釣っているエルとハルカも、大きなサバが大漁であった。

 ハルカが味噌煮にすると言っているから、俺もあとで分けてもらおう。


「新鮮だと、刺身でもいけますぜ」


 と言いながら、漁師はサバを頭から折って血を抜き、内臓とエラを素早く取り除く。

 

「胃を食い破る寄生虫がいるのもあるんですが、内臓をすぐに取れば大丈夫でさ。エラも素早く取らないと鮮度が急に落ちやすからね」

 

 サバは庶民向けの安い魚なので、網で獲っている時にわざわざ処理はできない。

 町で売っている物は、加熱調理が基本なのだそうだ。

 これも冷海水を使って素早く処理する。


 なお、この冷海水の提供者は『ブリザードのリサ』の二つ名を持つリサであった。

 彼女の手にかかれば、冷海水など余技で大量に作れる。


「こんなに冷たい海水を大量に作れるなんて、魔法使いは羨ましいですな」


「いつもは、普通の海水で処理して時間が勝負なのに」


 漁師も、そう簡単に魔法の袋など用意できない。

 獲った魚の鮮度が落ちないように、彼らは常に時間との勝負なのだそうだ。

 

「生かして持って帰るにしても、船の生簀の問題で数を入れられないし、半分以上死んでしまいますしね」


「鮮度の差ですか?」


「ええ、若奥様。王都の王侯貴族様など向けに、港でこちらの帰りを待ちわびている商人もいますし」


 今は同じく開店休業状態だが、漁を終えた馴染みの漁船に駆け寄り、処理をした魚を素早く魔法の袋に仕舞って王都へと向かう。

 そんな彼らが卸す魚よりも、今の俺達は状態がいい魚を得ているわけだ。

 

「いくら魔法の袋が魚の腐敗を防ぐとはいえ、常温の外に出してから調理に時間をかけて駄目にする料理人もいます。魔法の袋に入れるとはいえ、貴族の旦那のように先に絞めて処理をした方がいいんでさ」


 どのみち、生きた魚は魔法の袋に入れられないので絞めなければいけないのだ。


「ふーーーん、そうなのか。にしては、伯爵様は釣れてないよな?」


 ここで、ブランタークさんが一番痛いところを突いてくる。

 みんなは続々と魚を釣り、それを漁師達が次々と処理をして魔法の袋に入れていくが、なぜか俺だけ一向にアタリがなかったのだ。


「そういうブランタークさんはどうなんです?」


「俺か? 普通に釣れているけどな」

 

「魔法使いの旦那は、アージが大漁ですな。刺身、塩焼き、開いて干物にしても最高ですぜ」


「酒の肴にもいいな。一杯釣るか」


 最初は『釣りなんてしていていいのか?』とか言っていたブランタークさんであったが、次々とアジに似た魚を釣り上げて、それを漁師達が素早く処理していた。

 地方名も似ているから、アジなのであろう。

 地球にいるアジとは部妙にヒレの形や模様が違うので、100パーセント必ずそうだと断言できないのがもどかしかった。


「まずいな……」


 どうも釣果を見るに、ここは魚影が濃いポイントのようだ。

 なのに、俺だけがアタリすらなくボウズであった。


「これは、バウマイスター伯爵としての沽券に係わるのでは?」


「ヴェル、もっと貴族らしい事で沽券とか気にしろよ」


 エルが失礼な事を言うが、俺からすればほぼ全員釣りの素人なのに、俺だけがボウズでは沽券に係わるというものだ。

 そこに、この世界の貴族の常識など関係ないと断言しよう。


「また釣れました」


「みんな、大漁ね」


「一人だけ、一匹も釣れていない人がいるけどね」

 

 事実なだけに、ルイーゼの容赦ない一言が俺の胸に刺さる。 


「しかし待てよ。そうだ! 導師がいたじゃないか!」


 同じ釣れていない仲間がいた事で、俺は安堵する。

 限りなくレベルが低い考え方だが、それでも今の俺には吉報だ。


「きたのである!」


「何ぃ!」


 ただし、俺の安堵はわずか数秒で消え去ってしまう。


「バラせ!」


「ヴェル、お前……」


「ビリは嫌なんだよ!」


 いくらエルにバカにされようとも、一人だけボウズは嫌なのだ。


「釣れたのである!」


 導師はかなり巨大な魚を釣り上げたが、魚体を見た漁師は首を横に振る。


「デカイ貴族の旦那、それは肉も内臓も毒で食えませんぜ」


 漁師はタモで掬った魚を、すぐに海に捨てる。


「万が一にも食えるという可能性はないのであるか?」


「いえ、本当に毒魚なので……少量でも食べると死にますから……」


 導師の迫力に、逞しい漁師達がタジタジになって答えた。


「導師、プロの意見は受け入れろや。また釣ればいいじゃないか」


「仕方ないのである」


 ブランタークさんに注意され、導師は再び仕掛けを海に投げ入れた。

 すると、あっという間に次の魚が釣れてしまう。


「普段の行いのよさであるな!」


「(なぜ導師は、自分の普段の行動にそこまで自信があるんだ?)」


 エルの酷いツッコミが俺に耳に入るが、確かに導師の自信の根拠はわからなかった。 

 あえて言うのなら、『導師だから』なのかもしれない。


「これも大きいのであるな!」


「デカイ貴族の旦那、これも駄目でさぁ」


「毒魚なのか?」


「いえ、毒はないんですけど、物凄く不味いんです。猫にやっても絶対に食べないくらいに……」


 通称『ネコ逃げ』とも呼ばれる、道端に落ちていても誰も見向きもしない魚なのだそうだ。


「いや、もしかしたら食べられるかもしれないのである!」


 導師は針から外したネコ逃げに直接かぶりついた。

 生だが、新鮮なので導師ならお腹は壊さないであろう。

 というか、こういう事をしても既にエリーゼですら心配していなかった。

 するだけ無駄だし。


「導師、美味しいですか?」


「不味いのである!」

 

 何でも美味しそうに食べてしまいそうな導師でも、ネコ逃げだけは無理らしい。

 齧った跡の付いたネコ逃げを、フルパワーで遠方に放り投げる。


「伯父様、あまり無駄な殺生は……」


 いくら不味い魚でも、食べない物を無理に殺すのはよくない。

 エリーゼが宗教的な理由で、導師に苦言を呈した。


「奥方様、ネコ逃げはあの程度では死にませんよ。釣りあげて水のないところに数時間放置しても死にませんし」


 驚異の生命力を持つが、残念な事にどう調理しても不味いそうだ。

 

「まあ、釣れたのでよしとするのである」


 導師のその発言は、間違いなくアタリすら来ない俺に向けられたのであろう。


「何じゃ。ヴェンデリンは一匹も釣れておらぬのか?」


「今日は調子が悪いのかな?」


「調子は関係ないのではないか? ここは魚影が濃いポイントのようじゃし」


 俺も釣りは素人だが、子供の頃はまだ元気なお祖父さんに釣りに連れて行ったし、中学生の頃にはバス釣りにも行ったし、商社員時代には何度か接待で釣りに行った。

 そのすべてでボウズなど一度もなかったのに、なぜ今日はアタリすらないのであろうか?


「でも大丈夫さ。俺はこの海域の主を釣るから!」


 昔、日本にいる方の父が読んでいた釣り漫画にもあった。

 主人公が最終的に、その釣り場の主を努力して釣り上げるのだ。


「主? ここは魔物の領域なのか?」


「違うけど、こういうポイントで釣りをしていると、ボス的な巨大魚がいるんだよ」


 俺は、某釣り漫画のストーリーを懸命に説明する。


「それは単純に大きい魚が釣れただけであろう? なぜその魚が主だとわかるのじゃ?」


「一番大きいから」


「もっと大きな魚がいるかもしれぬではないか」


 やはり、女の身では○平君の素晴らしさはわからないようだ。

 とても残念である。


「とか話をしている内に!」

 

 ようやくアタリが来た。

 だが、ここで無邪気に喜んだり、大騒ぎをしてはいけない。

 これは当たり前の結果だからだ。


「大きいな!」


 物凄いヒキで、魚も大きそうだ。

 ならば、余計に焦ってバラす危険を冒してはならない。

 俺は慎重にリールを回していく。

 

「本当に大きいみたいだな」


 竿のしなり方に、ブランタークさんもかかった魚の大きさを認めたようだ。


「最後の最後に一番の大物を釣り上げる。素晴らしきかな!」


 などと思っていると、突然更に竿が重くなった。

 その後は、どうリールを巻いてもビクともしない。


「ヴェル、根がかりか?」


「いや、タナは底じゃないぞ」


 いくらリールを巻いても、まるで地面を釣っているかのようにビクともしない。

 不思議に思っていると、ようやくその理由が判明した。


 ラインが緩んだと思ったら、水面から徐々に巨大な物体が上がってきたのだ。

 そして、その正体に漁師達が驚愕する。


「何で、こんな港から近い海域に!」


「サーペント!」


 水面からサーペントが巨大な顔を出し、こちらを恨めしそうに見ている。

 その口の端からは、俺の釣竿のラインが垂れていた。


「つまり、ヴェルが釣った大物を、あのサーペントが丸のみしたんだね」


「そして、口内に刺さった針に不快感を感じ、その原因である旦那様に怒り心頭と」


 ルイーゼとリサの推論どおりであろう。

 サーペントは、新たな標的を俺達にしたようだ。


「貴族の旦那ぁ!」


「逃げないと!」


 漁師は儲かるが危険な商売である。

 遭難しても、遭難しなくても、たまに遭遇するサーペントに運悪く食われる者がいるからだ。


「俺の大物……」


 ところが俺は、サーペントの驚異など感じてしない。

 それよりも、せっかくの大物を横取りされた事実に怒りを感じていた。


「お前のせいでボウズじゃないか!」


 サーペントは大きな口を開けて俺達に襲いかかろうとしたが、すかさず海水で作った巨大な槍を口内に突き刺し一撃で屠った。


「貴族の旦那、すげえ……」


 漁師たちは驚いているが、サーペントは竜よりも弱いし、これで二匹目だ。

 大した事じゃない。


「魚じゃないけど……いや待てよ!」


 もしかすると、サーペントの胃の中に魚が残っているかもしれない。

 俺は殺したサーペントを氷漬けにしてから魔法の袋に仕舞い、急ぎ港へと戻るのであった。





「ううっ……。あの腐れサーペントめ……」


 港に戻ると、早速漁師を集めてサーペントの解体を行った。

 ウロコ、肉、内臓、骨などはすぐに噂を聞きつけた商人が買っていく。


 それはいいのだが、肝心の胃袋を開けてみると、そこには全長二メートルほどの巨大な魚が未消化で入っていたのだ。


「貴族の旦那、惜しい獲物をサーペントに横取りされましたな」


 魚は、九州などで高級魚扱いされるクエに似ていた。

 

「クエルでこの大きさは滅多に出ませんぜ。刺身に、塩焼きに、鍋にも最高でさ。これは食えませんが……」


「ある程度原型が残っているぞ」


「サーペントの胃液に浸かった魚は駄目ですぜ。お腹を壊しますから」


「何だとぉーーー!」

 

 せっかく、一番の大物な上に珍しい高級魚を釣ったのに、それがサーペントに食われて駄目になるなんて……。

 こんな不幸があってもいいのであろうか?


「あなた、サーペントが釣れたではありませんか」


「でも魚じゃないし……」


 俺は魚が釣りたかったのだし、サーペントは結局魔法で退治された。 

 これを釣ったと言うのは、真実ではないと思うのだ。


「ヴェルが言う主が釣れたじゃないか」


「お館様の執念が実ったのでは?」


「違うんだ! 俺の言う主は魚じゃないと駄目なんだ!」


 サーペントは魚じゃない。

 俺は、エルとハルカに強く反論した。

 サーペントは動物のカテゴリーなので、いくら大物でも外道である。

 釣り人は、外道を嫌うものなのだから。


「でもよ。この町の商人達は大喜びだぜ」


 船舶不足で漁獲量が落ち、その大半を駐留している軍人に買い占められている現在、普段でも年に数頭しか上がらないサーペントが最高の状態で水揚げされたと知って、みんな喜んでウロコや肉を買っている。


 漁師達が解体した部位を、オークションで次々と競り落としている。

 それは彼らに臨時報酬を出して任せるとして、問題は魚が一匹も釣れなかった件だ。


「ちくしょう! 明日こそは、沢山釣ってやるんだからな!」


「明日も行くのか? 伯爵様」


「食料調達のための軍事行動だから!」


 俺は、ホールミア辺境伯が何も言ってこないのをいい事に、明日からも食料確保という名の釣りに出かける事を決意するのであった。

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