第百三十五話 人類は麺類。
「はい、どうぞ。まだいけますか?」
「大丈夫だ」
「じゃあ、お代わりをいきますよ」
新蕎麦の季節だという理由で、フジバヤシ乾物店はミズホから職人を呼んで臨時に蕎麦屋を開店させた。
アキラのお店にはイベント用のスペースがあり、今後は寿司屋を呼んだり、餅つきをする計画だそうだ。
これは是非行かねばなるまい。
今日はお店の定休日であったが、アキラが蕎麦打ち職人達を連れてバウマイスター伯爵邸で蕎麦を振る舞ってくれた。
俺は領主であり、常連中の常連なので、たまにはこのような無理も聞いてくれるというわけだ。
こういう部分だけは貴族になってよかったと思う。
お店の規模を広げた時に、俺が領主として手続きなどで協力したからそのお礼も兼ねているわけだ。
アキラが連れてきた職人達は次々と蕎麦を打ち、茹でてから水で締めて仕上げていく。
掛けと盛りを自由に選べ、蕎麦だけじゃなくて天ぷらも揚げてくれた。
普段お店で出している惣菜なども並び、蕎麦を食べながら自由につまむ事ができる。
前の世界ではそうでもないけど、この世界ではちょっとした贅沢であった。
「相変わらず、導師は食うなぁ」
「本当、食った物はどこに行っているんだ?」
この日はブランタークさんと導師も招待されていたが、導師は既に三十杯以上も蕎麦をお代わりしている。
彼は盛り蕎麦が好みのようで、一枚を一~二分で食べてしまう。
そのせいで職人達が大忙しなのだ。
エルとブランタークさんも、導師の食欲に呆れていた。
「まあ、ヴィルマには負けるけど……」
そう、うちにはヴィルマがいる。
子供を産む前は少し……それでも凄かったが……食欲が落ちていたが、今ではすっかり元通りであった。
彼女もお代わりを連発し、職人達を更に忙しくさせている。
「ヴィルマ、美味しいかい?」
「美味しい」
「やはり、蕎麦は美味しいな」
「ヴェル様は、そこまで蕎麦好きだった?」
「この食べ方が好きなのさ」
「私もそう」
蕎麦は大陸中で栽培されているが、日本風の食べ方をしているのはミズホ公爵領だけだ。
あとはお粥に入れたり、パスタやクレープにしたり、蕎麦は痩せた土地でも作れるので米や小麦の代わりというわけだ。
日本の蕎麦の産地も、稲作が難しい土地が多かったからな。
前世で、『有名な蕎麦の産地って事は、昔は貧乏だったって証拠だ。地元の人に言うと怒られるけどな』と、蕎麦好きな取引先の社長が言っていたのを思い出す。
「導師は、ヴィルマに張り合わなくなったな」
「いや、さすがに勝ち目がないのである」
導師も物凄く食べるけど、あくまでも常識の範囲……でもないか。
ヴィルマの場合は、英雄症候群という生来の事情がある。
いくら導師が努力をしても、食べる量でヴィルマに勝てるはずがないのだ。
「職人を呼べるのは今だけですけど、お店に乾麺と出汁入りのツユを置くのでよろしくお願いします」
みんながお腹一杯になったところで、さり気なくアキラが宣伝をした。
乾麺とツユは前にミズホで購入したが、そろそろ在庫が危うくなってきたからな。
現地に買いに行こうかと思っていたところなのでちょうどよかった。
打ち立てには負けるけど、乾麺の方が簡単に作れて便利だから、常備するなら乾麺だな。
普通の蕎麦だけじゃなく、茶蕎麦や布海苔が入ったへぎ蕎麦もあって、色々と楽しめるのがよかった。
ミズホ公爵領は、本当に日本によく似ている部分が多い。
「蕎麦はどこでも作れるから、その内にミズホ式の蕎麦を出すお店ができるかもしれませんね」
「それはあるかもな」
蕎麦打ちは集中して練習すれば、意外と短期間である程度の腕前になる。
前世でも、定年退職したお父さん向けに蕎麦打ち講座があった。
田舎に行くと、蕎麦やうどんを打つのが上手なおばあちゃんとかも結構いたし。
田舎風うどんとかも美味しそうだな。
今度は、うどんを打ってもらおう。
「この前のお休みの時、デリアとレストランに行きまして。その時に、生パスタを手打ちする腕のいい職人さんがいたんですよ」
夫婦でお休みの日にデートか。
夫婦というよりも女性二人組に見えるけど、夫婦仲がよくてよかった。
「ローレックの店だろう? あそこの生パスタは美味しい」
ヘルムート王国において一番食べられている麺はパスタであった。
土地が貧しい地方には雑穀や蕎麦を使ったパスタもあり、美味しいパスタを打つ技術があれば、少し練習すれば蕎麦もいけるであろう。
「彼と仲良くなりまして、今度蕎麦打ちを教える事にしたんですよ」
「いいのか?」
蕎麦打ちの技術を、そんなに簡単に教えていいであろうか?
この世界でも技術の独占は富の源泉である。
簡単に人に教えるのはどうかと思ってしまうのだ。
「蕎麦はヘルムート王国でも採れますが、ツユの材料である昆布とカツオブシはミズホが独占していますからね」
ミズホ式の蕎麦を普及させ、ツユの材料である醤油、カツオブシ、昆布でフジバヤシ乾物店が儲けるというわけか。
恩を売りつつ、自分も稼ぐか。
やはりアキラは商売が上手だ。
「新しい味のパスタも提案したら、彼も乗り気でしたよ」
という事は、これからはローレックの店でも和風パスタがメニューとして出るというわけだ。
昆布、干し椎茸、醤油、明太子、納豆、青紫蘇などが具として使われる可能性が高い。
ウニ、イクラ、アワビ、鮭などが使われた海鮮系パスタもいいな。
これは楽しみだ。
人気が出たら、具材を卸すアキラが儲かるという仕組みなのであろう。
何というWINWINな関係であろうか。
やはりアキラは、俺よりも商売の才能があるな。
「乾麺なら、立ち食いや屋台でも出せますしね。天ぷらやオニギリも売ればいい商売になりますよ」
そこまで考えているとは、さすがはアキラとでもいうべきか。
「乾麺の需要が増えれば、ミズホから輸入しないでここで製造すれば原価を落とせますしね。高級品はミズホ産という住み分けも可能です。ところで、バウマイスター伯爵様にお願いがあるのですが……」
「聞ける願いなら聞くよ」
アキラは、俺に美味しい物を沢山提供してくれるからな。
多少の願いくらいは……決してアキラが可愛いからじゃないぞ。
「現在の王都は、短期間で食の進化が始まっているとか?」
「そうらしいな」
一緒に商売をしているアルテリオさんから聞いたのだが、俺がパクって普及させた醤油、味噌その他大量の調味料と新しい料理に、ミズホ文化と食品の普及も始まって、王都の飲食店は熾烈な競争に入ったらしい。
アルテリオさんが手がけている店は順調だが、人生何があるかわからない。
『調子のいい時は、没落の入り口でもある』と、前世で我が社の社長が俺達に訓示を述べつつ、なかなか給料が上がらない原因にもなっていたからなぁ……。
「僕も、王都の飲食店を調べたいのです」
「それは、俺も必要かな? アルテリオさんがコケると困るし」
飲食店を長く続けるのは大変だ。
前世では、開店してから五年以内に七割以上の店が潰れるのが当たり前だったからな。
テレビで『お客さんが殺到!』と紹介された店がすぐに潰れてしまったりと、飲食店もなかなかに大変なわけだ。
「バウマイスター伯爵様の魔法で連れて行ってほしいのです」
「いいよ。俺も出かけるから」
「ありがとうございます」
俺がオーケーを出すと、アキラは満面の笑みを浮かべて俺にお礼を述べた。
相変わらずの可憐さに、俺はちょっと心臓がドキドキしてくる。
やっぱり、どう見ても美少女にしか見えないな。
「ヴェルは、アキラがお気に入りみたいだね」
「その言い方は誤解を招くと思うけど……」
「本当に誤解かな?」
「誤解に決まっているじゃないか」
俺の心情を見透かすかのようにルイーゼが意味あり気な表情を向け、それを俺が懸命に否定する。
だが、本当にそうではないのかいまいち自信が……あるに決まっているじゃないか!
こうして俺達は、アキラと共に王都に出かける事になるのであった。
「それじゃあ、出発するか」
「はい」
数日後、俺達は王都にある飲食店の視察に出かける事になった。
公式な目的は、『バウマイスター伯爵領における飲食店産業発展のための視察』という名目だ。
俺も伯爵になったので、ただ色々な飲食店を巡りますではローデリヒが首を縦に振ってくれなかったのだ。
お役所の人も、視察と称して税金で海外旅行とかに行くじゃないか。
物事に正当な理由をつければ、そこに少し遊びを入れても大丈夫というわけだ。
あとは、スケジュールの問題もある。
俺は開発で忙しいので、この視察のためにハードスケジュールをこなしてきた。
同行するアキラは、まだ新婚旅行に行けないので結婚したばかりのデリアを連れて来た。
視察は三日間を予定していたので、王都にあるデリアの実家に挨拶に行くスケジュールも入れていたのだ。
当然、遊びの要素の方が強いけど。
「あなた、久々に楽しみですね」
「そうだな」
視察とはいっても、大半が遊びみたいなものだ。
連れて行くメンバーの人選で少し悩んでしまったが、エリーゼはバウマイスター伯爵家の正妻として他の奥さん達よりも苦労している。
俺は、一番にエリーゼを連れて行く事を決めた。
「俺もハルカと一緒に行きたかったなぁ……無理だけど」
二人目は、俺の護衛役であるエル。
「試食は任せて」
三人目は平等にクジで決めたのだが、こういう時のヴィルマのクジ運は最高だ。
「服を選ぶのは面倒だけど、食べるのなら大歓迎だぜ」
四人目も、カチヤは何気にクジ運がいいので上手く同行する権利を引き当てた。
「私もか。あまり料理のレパートリーは多くないから、役に立たないかもしれないわよ」
「予備校でパーティを組んでいた時には、ボクが一番運がよかったんだけどなぁ……滑り込みセーフってやつだね」
最後にアマーリエ義姉さんとルイーゼが滑り込み、これで同行するメンバーが決まった。
「旦那様がいない間の開発は、私が進めておきます」
「リサはえらく気合が入っておるの。まあ仕方があるまい。妾もリサの指示に従って働こうかの。今度、妾とリサもどこかに連れて行ってくれよ」
「この埋め合わせは、必ずするよ」
留守番役のリサとテレーゼは、俺の留守中に魔法で土木工事を行ってくれる事になった。
なぜなら、同じく魔法の修練も兼ねて土木魔法を駆使しているアグネス達も王都行きについてくる事になったからだ。
「先生、ありがとうございます」
「お兄ちゃんの様子も見たいんです」
「先生とお出かけ、楽しみだなぁ」
三人とも普段からよく頑張っているので、たまにはお休みをあげないといけないからな。
何しろ、バウマイスター領の開発が順調なのはアグネス達のおかげでもあるのだから。
「ベッティは、お兄さんが心配か?」
「お兄ちゃん、ちょっと目を離すと駄目人間になりますから。たまに引き締めないと」
何だかんだ言いながらも、ベッティは兄想いの優しい少女であった。
お兄さんが没落しないように気を使っているわけだ。
「奥さんがしっかりしているし、借金の返済も順調だ。多分、問題はないと思うよ」
「だといいんですけど……」
「それを確認するためにも行くか……」
「お願いします、先生」
俺達一行は、『瞬間移動』で王都へと向かうのであった。
「時間通りである!」
「ビックリした! 時間どおりならいいではないですか」
王都に『瞬間移動』で飛んだ俺達は、視察の前に導師と待ち合わせをする事になった。
なぜなら、彼は貴族の癖に庶民的な食べ物が好きで、定期的に食べ歩きを行っているからだ。
王都の飲食店事情(低価格の店のみ)に詳しいので、同行をお願いしたというわけだ。
「早く何か食べたいのである! 某、朝はパンを一斤しか食べていないのである!」
「それだけ食えば十分な気がするけど……」
エルがそっとボヤき、俺も含めて導師以外は一斉に首を縦に振った。
「確かに、それだけだとあとでフラフラする」
「であろう?」
勿論、ヴィルマは例外であった。
彼女は、毎朝パンなら三斤は食べるからだ。
「これから食べ歩きだと聞いたから、今朝は食べるパンを五斤に増やして胃を広げてきた。逆に朝食を食べないと、胃の動きが悪いから最終的に食べる量が減ってしまう。そうすると、お腹が減ってフラフラする」
「なるほど! そうやって食べる量を増やすのであるか!」
ヴィルマと導師の会話が色々とおかしい。
というか、ヴィルマは前世の大食い名人みたいだな。
少なくとも、常人にはまったく参考にならない。
「伯父様がお店を紹介してくださるのですか?」
「半分お遊びとはいえ、実はバウマイスター伯爵のおかげで王都やその周辺で庶民の食生活に変化が出た事例を教えようと思ったのである! ついて来るのである!」
導師は、向こうの世界だとB級グルメマニアに属する人種だ。
若い頃に冒険者をしていたから、場末の酒場や食堂で出るような食事が大好きなのだ。
子爵家の当主にして王家筆頭魔導師だから、普段は貴族らしい食生活を……あまりそうは見えないけど、本人なりに気は使っていた。
あくまでも、自分なりにであったが。
そしてお休みになるとお忍びで、そういうお店を回るというわけだ。
導師はどう変装しても導師だから、全然お忍びになっていないけど。
当然他の王族や貴族達は、導師の趣味を知っている。
陰口くらいは叩いているかもしれないが、堂々と導師本人に下品だと言う貴族はいない。
誰も決闘を挑まれたくないから当然だ。
「これはまた、随分と物騒な地区ですね」
導師が俺達を案内したのは、貧しい人達が住むスラム地区であった。
そこに導師以下、貴族様御一行という場違いな集団がいるから、人々が遠巻きに俺達を見ている。
エルは、油断なく周囲を警戒していた。
ただし念のためだ。
「そりゃあそうだな。導師様から金をせびったり、誘拐しようと考える奴はいないものな」
「あくまでも念のためだね」
凄腕の冒険者であるルイーゼとカチヤは、さり気なくエリーゼとアマーリエ義姉さん、デリアの護衛に入った。
あくまでも念のためというスタンスだ。
デリアの場合、アキラがいるから心配ないであろう。
彼はあのタケオミさんが認めるほどの凄腕だから、間違いなくちょっかいをかけた奴の方が不幸になると思う。
「あの姉ちゃん、凄え可愛いな」
「同行者がいなければ声をかけるのに……」
「本当、うちのへちゃむくれの嫁とは大違いだぜ」
離れた場所からこちらを見ているスラムの住民達が、うちの綺麗な女性陣を評価しながら世間話をしていた。
特に人気なのは、やはりアキラであった。
彼はミズホ人なので、どうしても王国では目立ってしまうのだ。
勿論、物凄く可愛いのもある。
「(何か複雑だね)」
「(私、アキラの妻なんですけど……)」
「(綺麗で可愛い夫を持つ妻かぁ……)」
「(ルイーゼ様、そういう評価は嬉しくないです……)」
「(でもさ、何気にアキラとか呼んじゃって仲良しなんだね)」
「(まあ、それは夫婦ですから)」
ルイーゼとデリアが、男達から一番注目を浴びるアキラについて小声で話をししていた。
「先生、大丈夫でしょうか? 両親からスラムには入ってはいけないって言われていまして……」
「私もお兄さんから」
「誘拐されるからって」
「普通はそうだよな。今日は、心配いらないけど。俺から離れるなよ」
「「「はーーーい! 先生から離れません!」」」
「急に元気になったな」
初めてスラムに入る三人娘が心配そうな表情を浮かべるが、今日は心配ないと説明する。
柄の悪い連中は、たまにこの地区に紛れ込むお上りさんから金銭を奪ったりする。
だが、導師から恐喝するなど死刑執行書にサインするようなものだ。
万が一上手く行っても、王宮筆頭魔導師に被害を与えたわけだから最悪死刑になるかもしれない。
ハイリスクノーリターンなので、誰も俺達の前を塞がなかった。
「ここである」
「モツ料理のお店ですね」
「そうである。デリアは食べた経験があるのであるか?」
「何度かは。従業員の人達がオヤツに串焼きを買って来る事もありましたし。魚も捌くとアラが出ますから、アラの料理は魚屋の賄いではよく出しますよ。それを知り合いの肉屋と交換したりするんですよ。だから、馴染みはありますね」
なるほど、魚屋でのアラ料理は関係者のみの特権なのか。
その話を聞いたら、アラ汁が食べたくなったな。
味噌と酒粕で作ると美味しいから、あとでアキラに頼んで作ってもらおうかな。
「旦那、いらっしゃい。今日は、えらく大人数ですね」
店の店主である初老の男性は俺達を見て少し驚いたようだが、導師とは普通に会話をしていた。
常連なのでもう慣れてしまったのであろう。
「適当に料理を出すのである! 某は酒も!」
客がまばらな時間帯のようで、俺達は店の奥のテーブル席に座って料理が出てくるのを待った。
「モツ料理ですか」
「苦手であるか?」
「いいえ」
バウマイスター伯爵領が成立したばかりの頃、モツ料理屋をやっているアルノーの屋台でよく食事をしたものだ。
串焼きと煮込みが特に美味しく、彼は醤油や味噌もすぐに取り入れたので、工事関係者に大好評であった。
特に色々なモツを味噌でトロトロになるまで煮込んだモツ煮が美味しいのだ。
酒のツマミにも、パンに挟んでも、ご飯の上に載せても美味しい。
屋台からスタートした彼であったが、今ではバウルブルクで何店舗かの居酒屋を経営するまでになった。
バウマイスター伯爵領開発特需の分け前を狙って多くの人達が押しかけたが、アルノーは別のアプローチで大成功を収めたわけだ。
「伯父様、このお店はいい店ですね」
「であろう?」
「生臭くないです」
エリーゼも、このお店がいいお店だと気がついたようだ。
所得の低い庶民が肉を食べるとなると、やはり本来なら捨てられてしまう動物や魔物の内臓に頼る事となる。
モツは安く手に入るのだが、処理を上手くやらないと臭くなってしまう。
スラムには、モツの嫌な臭いが出たままのお店が多い。
臭くても安いから、庶民はそんなモツ料理でも美味しいと言って食べるわけだ。
このお店は、モツの嫌な臭いがしない。
上手に処理をしてから調理している証拠であった。
「お待ちどうさま」
話をしている間に、店主とその奥さんがモツを煮込んだ料理を持ってきた。
導師には、酒精分の強そうな蒸留酒が入った大ジョッキもだ。
「導師、酒は関係ないのでは?」
「景気づけである! 気にしてはいけないのである!」
エルからの指摘を、導師はいつものようにスルーした。
「これ、美味しいですね。優しいお味で」
「そうね、全然生臭くないし。うちの実家も田舎で、狩猟で得たモツはこんな感じで煮込むけど、どうしても少し匂いが出てしまうから」
エリーゼも、バウマイスター伯爵邸にいるので料理をする機会が増えたアマーリエ義姉さんも、モツの煮込みが気に入ったようだ。
「色々な種類のモツが大量に入っているな」
「美味しいから、余計お腹が空いてきた」
カチヤもモツ煮込みが気に入ったようだ。
ヴィルマは、早速お代わりを頼んでいる。
「塩と少量の香草だけでこの味は凄いですね」
「手間をかけて味をよくしているのであるな」
導師が、蒸留酒の大ジョッキを煽りながら俺に説明する。
別に酒を飲む必要はないわけだが、みんな言っても無駄なのでスルーしていた。
「このお店は、この周辺のモツ料理屋の中では少し高い方である。味は抜群にいいので繁昌しているのであるが」
段々とお昼時が近づき、店には多くの客が入ってきた。
みんな、俺達を見て驚いているけど、すぐに注文して食事に没頭する。
芸能人じゃなくて貴族だから、声をかけたり、サインを強請ったり、写真を撮ってほしいなんて頼めないから当然かもしれないが。
「このお店は、巨大な鍋でモツを煮込んでいるのである!」
導師が調理場の方に視線を向けると、そこでは巨大な鍋が三つ湯気を立てていた。
「三つなのは、三つないと間に合わないからですか?」
「いや、急遽鍋を三つに増やしたのである」
「なぜです?」
「それはであるな……オヤジ!」
「へーーーい」
導師に呼ばれた店主は、追加でモツ煮込みの器を持ってきた。
よく見ると、モツ煮込みの汁の色が違う。
「ミソ味とショウユ味です」
「このお店は、モツ煮込みの種類を増やした結果、余計に客が増えたのである! ミソ味とショウユ味のモツ煮込みは少し高いのであるが、それでもよく売れているのである!」
なるほど、バウマイスター伯爵領のみならず、王都のしかもスラム地域にある飲食店でも味噌と醤油が使われるようになったわけか。
どのお店も、自分なりに工夫をして競争をしているわけだ。
「オヤジ! あれを持ってくるのである!」
「へーーーい」
導師は物凄い常連のようだ。
あれだけで、何を注文するのか店主がわかってしまうのだから。
親父は、七輪に似た炭で焼く携帯調理器具をテーブルの上に置いた。
そして、調味液に漬け込んだモツを皿に入れて持ってくる。
「これも少し高い料理であるが、大人気の一品なのである」
導師は慣れた手つきでモツを金網の上に載せて焼いていく。
「俺も手伝います」
「エルヴィン少年、モツは塩、ミソ、ショウユと調味液が分かれているのである! 混ぜて焼くのは禁止である!」
「拘るなぁ……」
モツ焼き奉行と化した導師は、エルに厳しく指示を出してモツを焼いていく。
「この腸の部分を焼くと、余分な脂が下に落ち、タレが炭で焼けて香ばしい香りが広がるのである」
前世でたまに行った焼き肉屋を思い出すな。
バウマイスター伯爵家でもたまにバーベキューはするけど、こういうちょっと下品なモツ焼きも美味しそうだ。
「焼けたら、それを口に入れる。美味い! 味を確認しつつ、残ったシオ、ミソ、ショウユの味を流すように酒を煽る! 最高であるな!」
完全にただの酒飲みオヤジのセリフであるが、俺も内心賛同していた。
貴族にはふさわしくない料理だが、美味しいのは確かだからだ。
「お昼に野外でお肉を焼いた事を思い出しますね」
エリーゼも、美味しそうにモツ焼きを食べている。
その所作は、さすがは貴族の令嬢として教育を受けていたのでこの店では浮いているくらいだが、エリーゼは俺達と一緒に冒険者としても活動している。
なので、まったくこういう料理が駄目というわけではない。
エリーゼの場合、そういう料理を上品に改良するのも得意だから、下品だからその料理は食べないという事もなかった。
上品なだけで大して美味しくもない料理に出会うと、完全に社交辞令的な態度に徹してしまうほどだ。
「これは予想以上に、味噌と醤油が普及していますね。バウマイスター伯爵様が開発したとか?」
「まあね、昔にブライヒブルクでミズホ関連の事が書かれた本を見つけてね。そこに味噌と醤油の情報が書いてあったんだ」
勿論大嘘であった。
いくらアキラが可憐でも、俺も正体を話すわけにはいかない。
ボッチな俺が、古い書籍を参考に試作した事にした方が都合がよかった。
「魔法だけで製造を試みて大分苦労したけどな」
「全体的に纏まっていて、いい味噌だと思いますよ」
「普通だよな」
「その分使い道が限定されないから、逆に素晴らしいと思います」
俺はミズホ産の味噌には大分負けると思っているけど、アキラに褒められると悪い気がしないな。
やっぱり、美少女に褒められると……って! 違うわ!
「それなりの質の味噌と醤油が量産されたのはよしとしよう」
「長年製造していけば、質も向上しますからね。ただ、ミズホの味噌と醤油の歴史は長いです。追いつくのは容易じゃありませんよ」
距離の関係で中級品を輸出しても利益は少ないだろうから、ミズホは高級品を王国の富裕層に売っていく計画なのは明白だ。
実際に、帝国でもそんな感じのようであったし。
「とまあ、こんな感じである! では、次に行くとするか」
ひととおりのメニューを食べて満足した導師は、店主に会計を頼んだ。
このお店の分は出してくれるようだ。
みんな味見くらいしかしていないが、人数が多いので結構な金額になっているはず……でもないか。
どうも前世の癖で、会計が日本円で一万円を超えると高いと感じてしまう俺は、まだ貧乏性が抜けきっていないのかも。
「美味しくて参考になりましたね。アキラさんは、モツ煮込みをどのように改良しますか?」
店を出てスラムから市民街へと移動する途中、料理が好きなエリーゼは同じく料理が得意なアキラと話をしていた。
子持ちとはいえ、まだ十分に美少女なエリーゼと、ミズホ風美少女のアキラは絵になる……いや、アキラは男性だった。
「味噌仕立てで、サトイモ、大根、人参、コンニャク、豆腐、キノコ、生姜なども入れてジックリ煮込むといいかもしれません」
「それは美味しそうですね」
エリーゼとアキラは、料理の話で大いに盛り上がっていた。
それにしても、そのモツ煮込みを早く食べたいものだ。
「アキラ、そのモツ煮込み。七味とネギは忘れるなよ」
「さすがはバウマイスター伯爵様ですね」
アキラに褒められると、悪い気がしない俺であった。
だが、さきほどから少し不機嫌な三人がいる。
それは、兄のお店を見に行くためについてきたベッティ達であった。
「どうしたの?」
「「「……」」」
アキラの奥さんであるデリアが聞いても、三人は不機嫌なまま。
みんなその理由がわからなかったが、最初にデリアが気がついたようだ。
「あのね、あの人は男性なんだけど。それで、私の夫なの」
「「「えっ!」」」
アグネス達は、やはりアキラを女性だと思っていたようだ。
それで不機嫌って事は、俺とアキラの仲を邪推してヤキモチを焼いたって事か?
「本当に男性なんですか?」
「そうなのよ。もう慣れたけど、二人で歩くと必ず旦那の方が先に男性に声をかけられるし……」
デリアもかなり綺麗な方なのだが、アキラの可憐さには負けてしまう。
休日に町中を歩いていると、事情を知らない男性がアキラをナンパする事があるみたいだ。
「旦那が自分は男性だって言っても、たまに信じない人がいてね。あっ、この前は『男性でも構わない! むしろ男性の方が!』って……」
「その話、危ないからストップ!」
俺は、慌ててデリアの話を止めた。
「おおっーーー!」
「ルイーゼ、何を期待しているんだ?」
「この前、イーナちゃんが秘蔵している本がね……」
「それは聞かなかった事にする」
まあ、夫婦にも秘密が存在して当たり前だからな。
それに、またホーエンハイム枢機卿が駆け込んできたら面倒だ。
「物凄く綺麗でそうは見えないけど……そうだったんですか」
「アキラさんと先生は、趣味友達なんですね」
「安心しました。先生、次はお兄さんのお店に視察ですよ」
ご機嫌になった三人は、大喜びで俺の手を引いて次の場所へと移動した。
そこはかとなく嫌な予感はしたけど、俺ってアグネス達に惚れられている?
これって、先生と教え子の禁断の関係ってやつか?
「旦那、気にするな。あの三人はもう予備校を卒業しているし」
「ヴェル様、よくある事」
カチヤとヴィルマが妙な慰め方をしてくれたが、俺はどこか釈然としない感情を抱いてしまうのであった。
「先生、お兄さんが調子に乗っていないで、無事に商売繁盛していますよ」
「それは少し言いすぎじゃないか?」
「でも、お兄さんて、すぐ調子に乗るから……」
「信用がない兄貴だな」
俺が前になんちゃってコンサルティングを行ったベッティの兄のお店は、無事に繁昌していた。
むしろ、前よりも客が多いような気がする。
お昼時という事を考えても、確実に前よりも客が増えていた。
「忙しそうだから、お昼時が終わってから声をかけるか」
「そうですね」
そして昼食時から一時間後、他の場所で時間を潰してきた俺達は、ベッティの兄に声をかけた。
「へへい、借金は予定どおりに返済可能ですので」
「随分と繁昌しているようだな」
「研究もちゃんとして、新メニューを出していますから」
ベッティの兄は、ちゃんと店を繁昌させていた。
人手不足なので新しい従業員も雇っており、売り上げも順調なようだ。
「でも、お兄さんすぐに調子に乗るから」
「ベッティ、俺はちゃんとやっているから」
「なるほど、一度失った信用を取り戻すのは難しいのである!」
「そんなぁ……」
導師からのあんまりな一言に、ベッティの兄は肩を落としてしまう。
「調子に乗って商売が傾かなければいいんだよ」
「そのために、ローザもいますから……」
散々に言われているが、ベッティの兄はかなり料理の才能があると思う。
たまに無計画で事を進めようとするので、それを抑える存在……彼の奥さんであるローザさんの事だ……がいれば安心なような。
尻に敷かれていた方が、商売が上手く行く。
それが、ベッティの兄であった。
「新メニューですか?」
「はい、奥様。ランチは薄利多売、夜のお客さんに味を知っていただくための一皿料理がメインですからね。筋肉やモツを煮込んだシチューも人気メニューですが、パスタも始めたんですよ。試しにお出ししますね」
ベッティの兄はエリーゼに説明しながら、素早く調理したパスタを出してくれた。
麺は普通のパスタで、具材はトマトソースで煮込んだ肉とモツのソースが乗っている。
ミートソーススパゲッティのモツ肉バージョンのような料理であった。
試食してみると想像どおりの安定した美味しさだ。
「あとは、ミソとショウユも使っていますね」
続けて出てきたのは、パスタの上に挽肉を味噌とその他の材料で煮込んだ料理だ。
パスタと、汁なしジャージャー麺の相の子のような料理であった。
醤油ベースの方はタマネギやキノコも入っており、これもよく研究してあった。
独自にこれを考え付いたという事は、彼の料理の腕は確実に上がっているのであろう。
「脇にサラダも載せて、これで7セントですね。麺の大盛は一セント増しで、夜に出しているから揚げやフライも載せられて、これも一個一セントです」
随分と商売が上手くなったものだな。
俺は、ベッティの兄に感心してしまう。
「ローザがそうした方がいいって言うんです」
「あっそう……」
残念、才能があったのは奥さんの方であった。
それにしても、尻に敷かれていた方が上手く行くとは……。
「それで、その奥さんは?」
「新店の方にいますよ」
「そうなんだ……」
この短期間でもう一軒をオープンさせるとは、ローザさんは商売の才能があるみたいだな。
「先生、ローザさんがいるから安心ですね」
そう言いながら俺に満面の笑みを向けるベッティ。
実の兄よりも義姉の方を信頼しているとは……。
「ベッティ! 俺も頑張っているんだよ!」
案の上、ベッティの兄は妹の態度に涙目であった。
「ふむ、過去の罪が祟るとは、因果は巡るであるな」
「そんなぁ……」
導師の容赦ない一言に、ベッティの兄は再び肩を落としてしまうのであった。
「バウマイスター伯爵様、義妹のベッティも含めて色々とお世話になっております」
ベッティの兄から教わった新店に向かうと、そこの店長をしているローザさんが俺達に丁寧に挨拶をする。
その如才なさに、改めて彼女のおかげで旦那の商売が安定しているのだという事実を理解した。
「ローザさん、いつもお兄さんがすいません」
「最近は研究も熱心にしているからそうでもないわよ」
「またバカな事をしようとしたら、ちょっとくらい締めてもいいですから」
「勿論、締めるに決まっているわ」
元々顔見知りだったという事もあり、ベッティとローザの仲はよかった。
微妙な兄貴のおかげで嫁と小姑の仲がいいというのも、何と言うか運命の皮肉であろう。
「新店と聞きましたが」
「このお店は、旦那が考えた麺料理だけ出すお店ですね。サイドメニューはそれなりにありますけど」
この世界にラーメンは存在しないが、麺類は多数存在する。
汁があるとスープを取る手間がかかるが、汁なしのパスタならそこまで手間もかからず回転率も期待できる。
実際ローザさんのお店も、お昼時から少し外れていたが繁昌していた。
「ちょっとお腹が空いた時用に、半分の大きさのメニューもありますよ」
「あれ? それって、フォンに似ているような……」
「フォンの改良みたいなものですね」
「アマーリエ義姉さん、フォンを知っていたんだ」
フォンとは、この大陸の庶民が気軽に食べる麺料理の事であった。
大昔から存在し、パスタよりも少し太い麺に塩味のクズ肉や野菜を炒めたものが載っている。
麺の量がパスタの半分くらいで、値段も一杯二~三セントが主流、お腹が空いた時に間食として食べる人が多かった。
「私の領地もほとんどお店はなかったけど、フォンを出してくれるお店があったの。お兄さんが狩猟で臨時収入があった時、たまにご馳走してくれたわね」
「へえ、そんな事があったのですか」
「でも、フォンって今は苦戦中じゃないかしら?」
「はい、奥様の仰るとおりですね。現在の王都では様々な麺料理の開発が流行しています。既存のフォンを出すお店が新メニューを出したり、新規店に客を奪われて潰れるケースもありますから」
フォンは、その原型が数千年前からある麺料理だ。
伝統に胡坐をかいた結果、最近の新料理ブームから外れて潰れてしまったお店も多いらしい。
そしてその傾向は、今後も続くとローザさんは予想していた。
「定期的に新しい味を出さないと、うちのような新参者は厳しいのよね。だから、旦那をせっついているの。調理技術と新メニューを考える能力は高いのよ。経営の才能は微妙だけど」
そこは、ローザさんが補って成功したわけか。
「ですので、ちゃんと借りたお金は計画どおりに返済しますから」
「新店も立ちあげて、借金も予定どおりに返済するって凄いな」
エルも、ローザさんの商才に感心している。
「フォンは廃れるのか。でも、確かに最近食べた記憶がないな」
「ボクもあまり好きじゃないから、無理してまで食べようとは思わないな」
実は、俺もルイーゼと同じ意見であった。
嫌いじゃないけど、じゃあ好きかと言われると困ってしまう食べ物の一つだからだ。
「私も最近食べた記憶がない」
ヴィルマも、近頃はまったく食べていないと答えた。
バウルブルクにお店があったかな?
あるもかもしれないけど、俺達の目には留まらないし、特に食べたいとも思わない。
王都で導師に修行をつけてもらった帰りに、何回かお店によった過去を思い出した。
「バウマイスター伯爵、あの店はこの近くなのである」
「そういえばそうでしたね」
「この辺の街並みは見覚えがあるね」
導師に指摘されて、今思い出した。
この近くに、ルイーゼも含めて三人で行った事がある老舗のフォンのお店があったのを。
そのお店は大食いチャレンジをやっていて、導師が何度か挑戦したけどそのお店のチャンピオンには及ばなかった……って?
「チャンピオン?」
「私、チャンピオン」
みんなの視線が、一斉にヴィルマへと向かう。
導師に大食いで勝てる人間は希少だから、ヴィルマに聞けばかなりの確率で正解というわけだ。
「ヴィルマも、最近行っていないよな?」
「行く時間がなかった。ヴェル様と一緒に行く料理屋の方が美味しいし」
前の川魚のお店と同じだ。
舌が肥えて食べに行かなくなったというパターンかもしれない。
俺もルイーゼも、フォンはすぐに飽きるからそこまで好きじゃなかった。
導師の付き合いでしか行った事がなかったし。
「導師はどうです?」
「うむ、最近は他に食べたい店が多いのでご無沙汰である!」
やはり、導師もここのところフォンは食べていなかった。
他にいくらでも美味しい物があるからであろう。
「ローザさん、他の店の事を聞くのは何ですけど、どうなんですか?」
「ええと、生き馬の目を抜く商売の世界なので、ここなら勝てると思って新店を開いた経緯もあるのですよ」
多少高いが、フォンに比べてそこまで高いというわけでもない。
フォンよりも美味しいし、麺料理の種類もあるから、この新店が老舗フォン料理屋の顧客を上手く奪ったというわけか。
「ヴェル様、様子を見に行ってみよう」
「そうですね、参考になると思いますよ」
ヴィルマとアキラに促され、俺達は近所の老舗フォン料理屋へと向かう。
するとそのお店は、以前は多くの客で賑わっていたのに、今は閑古鳥が鳴いている状態であった。
「何か寂れたね。ローザさんの言うとおりに潰れるのは……」
「ルイーゼ、しっ!」
俺は、思わず本音を漏らしてしまったルイーゼの口を慌てて塞いだ。
もしお店の人間に聞かれたら、失礼になってしまうからだ。
「あっ! チャンピオンじゃないですか!」
「お久しぶり」
「本当、お久しぶりですね」
店の店主は、大食いチャンピオンのヴィルマを見つけると彼女に駆け寄ってきた。
ヴィルマは、店主からチャンピオンと呼ばれているらしい。
「うぬぬっ……」
「導師、子供じゃないんですから……」
この店の大食いチャンレジで一度もトップになれなかった導師は、ヴィルマに対し悔しそうな顔を向けた。
その様子を見るに、まるで子供のようである。
「チャンピオンが、バウマイスター伯爵様の奥様になられるとは」
「人生色々」
「確かに仰るとおりです。フォンを召しあがられますか?」
「お願い」
「畏まりました」
全員で店内に入るが、客が一人もいなかった。
フォンは半人前くらいで二セントととても安い。
間食にも利用される薄利多売の典型的な麺料理なのだが、こうも客がいないと商売が成り立っているのか心配になってしまう。
「お待たせしました」
フォンは、注文してからすぐに出てくるのも売りの一つであった。
出てきたフォンの試食をするが、そういえばこんな味だったのを思い出す。
導師から無理矢理修行に付き合わされた時代に食べた味だ。
基本は塩味で、まあまあ美味しい。
でも、沢山食べると飽きる。
味が落ちているわけじゃないが、醤油や味噌を使ったパスタや汁なし麺に比べると美味しくはない。
これでは、客に飽きられて当然であろう。
「お味はいかがですか?」
「前と変わっていない」
ヴィルマは、こう見えて味にうるさい。
フォンの味は落ちていないと断言した。
「ありがとうございます」
「でも、他が美味しくなっているから相対的に美味しくないと感じてしまう」
「確かにそうかもしれません……」
店主も、フォンの弱点については気がついているようだ。
「新しい麺料理を出さないのか?」
「それが、私はフォンしか作れませんので……」
麺は自家製で手打ちだし、調理の手際は悪くない。
だが、この店主はフォンしか作った事がないのだ。
これが伝統を頑なに守っていると言えばいいか、伝統に胡坐をかいていると言えばいいのか?
判断に迷ってしまう。
「ショウユとミソ味のフォンを出せばいいんじゃないの?」
エルが軽く適当にアドバイスするが、間違った方法ではないな。
フォンという料理を残しつつ、新しい味も出す。
これなら、伝統云々という話にはならないであろう。
「その方法も考えたのですが、実は他のお店がとっくに真似しておりまして……」
王都やその周辺、地方の田舎貴族領でもフォンを出す料理屋は多い。
彼らは徐々に王都から流れてくる醤油と味噌を使って麺料理を作っており、今さら真似ても二番煎じと見なされて客は入らないと店主は言う。
「早く決断すればよかったのにね」
「左様、商売は時に思い切りも必要である」
ルイーゼと、商売などした事がないのに商売について語る導師は、フォンを食べる手を止めて店主の行動の遅さを責めた。
「どうせ改良するなら、とびきりの素晴らしいフォンを出そうと思ったのです」
「時に、未完成でも拙速の方がいいパターンもあるのである」
導師は商売などした事がないが、真理を言っていると思う。
単純に醤油味と味噌味のフォンを出して客の注目を集め、それで時間を稼いでいる間に改良を進めればよかったのだ。
こうも客が離れた後だと、確かに二番煎じの改良では客は戻らないであろう。
他のお店の真似だと思われてしまうからだ。
「時に冒険も必要である!」
お店なんて経営した事はないと思うが、導師の言い分は正論であった。
店主の心にも響いたようで、彼はガックリと肩を落としてしまう。
「私は、フォンしか作れないのですよ。このままだとお店が駄目になるのはわかっているのですが、なかなか一歩を踏み出せないのです。私だって、お店を潰したくありません」
店主があまりにも落ち込んでしまったので、俺は何も言っていないのに少し罪悪感を感じてしまった。
「店主、お替り!」
「導師は反省してくださいよ」
店主を落ち込ませた張本人なのに、気にもしないでフォンのお替りを要求する導師。
さすがに、エルが酷いと釘を差した。
俺も同意見だ。
「しかし、誰かが言ってやらねば、結局このお店は潰れるのである」
「いやまあ……そうなんですけど……」
それでも、もう少し言い方ってものがあると思う。
導師のせいで、店主は余計に落ち込んでしまった。
「お代わりですね。どうぞ、次はもうこのお店はないかもしれませんが……」
「導師……」
「伯父様……」
さすがに酷いと思ったのか、ルイーゼとエリーゼにまで導師は責められてしまう。
「お店、潰れる?」
「今はこれまでの蓄えでどうにかしていますけど、このままですと……」
潰れるのは時間の問題だと、店主がヴィルマに説明する。
すると、途端にヴィルマの顔色が暗くなった。
「チャンピオンは、今まで通り一杯分の料金で十杯出しますから安心してください。ああ、でも古いままのフォンだと飽きてしまいますか……」
店主がヴィルマに話を終えた途端、彼女は目に涙を浮かべて俺に縋りついてきた。
「昔、食べられなかった時にお世話になった。ヴェル様、助けてあげて」
「俺?」
「前みたいに、ヴェル様なら何とかできるはず。お願い」
この光景は前にあったような……いや、デジャブじゃなくて本当にあったんだって。
こうもヴィルマに縋られてしまうと、俺は断れなくなってしまう。
だが、ウナギ屋の時は適当な知識だけで何とかなったけど、麺料理は難しいからなぁ……。
下手に引き受けて、お店が潰れてしまったら大変だ。
「どうせ駄目元なのであるから、引き受けたらどうであるか?」
「そんな無責任な……」
他人事だからって、導師は本当に軽いよな。
「バウマイスター伯爵なら、何とかできるのである」
「お願いします。どんな些細な事でもヒントを与えていただけたら……」
導師にも勧められてしまい、俺はまたもなんちゃってコンサルタント業務を行う事になるのであった。
「お館様は変わっておられますなぁ……」
「ヴィルマに涙目で頼まれると弱くてな」
「事情を聞くと、ヴィルマ様が義理堅いという風にも感じられますか……」
「昔、世話になったお店らしいからな」
三日間の王都飲食店巡りは中止となり、代わりに老舗フォン料理屋を再建する事となった。
暫くは王都と屋敷を行き来する生活になるからとローデリヒに報告すると、彼は特に反対しなかった。
「まあ、情けは人のためならずとも言いますから」
この世界にも、日本のことわざと同じものが存在している。
ローデリヒも、バウマイスター伯爵家に仕えるまでは色々と苦労した。
その時に大いに助けてもらった人達には、自分の職権で許される範囲内で仕事を頼んだり、仕官の口利きをしているそうだから、ヴィルマに駄目とは言えないのであろう。
「ただ、怒る方がいるのでは?」
「ローデリヒは鋭いな」
潰れそうな老舗フォン料理屋を助けると怒る人物。
それは、お兄さんが近くに新店舗を出したベッティであった。
『先生! せっかくお兄さんが普通に戻りつつあるのに! 酷いですよ!』
彼女、普段は結構お兄さんに辛辣なのだが、決して彼が嫌いというわけではない。
キツイ言い方になるのは、お兄さんにもう少ししっかりしてほしいと思う、妹なりの愛情からきているものであった。
『先生、ここであのお店が復活したら、ベッティのお兄さんの借金が増えてしまいますよ』
『先生、ベッティちゃんが可哀想です』
アグネスとシンディも、ベッティの援護に入った。
三人が言っている事は間違っていないし、俺はベッティのお兄さんのお店に梃子入れをした人間だ。
ここで、ベッティのお兄さんの足を引っ張っては意味がない。
『そっちも梃入れするし、お店が近くて競合していても大丈夫な方法もあるから』
ヴィルマのお願いだけを聞いてしまうと、今度はベッティのお兄さんの店がピンチになってしまう。
結局、両方の店にアドバイスを出す羽目になってしまう。
こうなれば乗りかかった船である。
『先生、ありがとうございます。先生、大好き!』
ベッティにもお兄さんのお店を再び梃入れすると言ったら、彼女に抱きつかれてしまった。
嫁入り前の娘が男に抱きつくのはどうかと思ったが、すかさずヴィルマがそのパワーでベッティを俺から引き剥がした。
『ヴェル様に抱きついていいのは妻だけ』
『まだ駄目だぜ。アグネスとシンディも』
『これで、もう抱きつけませんね』
アグネスとシンディもベッティの動きに呼応しようとしたが、素早さでは負けないカチヤと、意外と抜け目がないエリーゼも加わって、俺は三方向から妻達に抱きつかれてしまう。
『まだです! 先生の頭上が残っています! 魔法の特訓の成果を!』
諦めきれないアグネスが、素早く『飛翔』を唱えて俺の肩に乗ろうとした。
『残念、魔法なんて使わなくてもボクは全然余裕』
最後にルイーゼが軽業師のように『飛翔』で浮かび上がったアグネスを踏み台にして、俺の肩に飛び乗る。
俺は彼女を肩車している格好となり、もう俺と接触できる体の箇所はなくなってしまった。
『素早い……』
『へへーーーんだ。ボクやヴィルマやカチヤが、まだ新人冒険者見習いであるキミ達に隙は見せないよ』
『ううっーーー、隙が見い出せないです』
俺に抱きつくという計画が阻止されて、アグネス達は悔しそうであった。
それはいいんだが、俺が動けないぞ。
ルイーゼが俺の肩に飛び乗って来た時にほとんど重さを感じなかったのは、さすがだと思う。
だけど、エリーゼ、ヴィルマ、カチヤに包囲されたまま抱きつかれて、俺は身動きが取れずにいた。
『おーーーい、エリーゼまで』
『あなたはバウマイスター伯爵様ですから、妻以外の女性にはお気をつけて』
『はい……』
俺はエリーゼの正論に何ら言い返せず、目論みを阻止されたアグネス達は残念そうな表情を浮かべていた。
「はっはっは! 英雄色を好むですか?」
「どこに英雄がいるんだよ? 英雄ってのは、もっと真面目な存在だぞ」
少なくとも、飲食店の立て直しに知恵は絞らないよな。
「それで、対策はお有りなので?」
「大丈夫、アルテリオにも手伝ってもらうから」
「お金になるとわかれば、彼も協力しますか……」
ローデリヒの許可を取ってから、俺は助っ人を連れて王都へと飛んだ。
例の老舗フォン屋へと向かうと、そこには店主やその家族と、ベッティの義姉であるローザさんもいた。
「ローザさん、新店の方は?」
「信用できる店長候補がいるから、彼に任せているわ」
「バウマイスター伯爵様、ベッティさんのお兄さんは呼ばないのですか?」
「彼は向いていないから」
麺料理の開発なので、ミズホ料理の知識と調理の腕前も生かそうと、アキラも俺に同行していた。
バウルブルクにあるお店は、奥さんであるデリアに任せての参加だ。
「向いていないですか?」
「ベッティの兄は調理の腕はいい。ちゃんとやれば、新メニューを考えられるくらいの頭もある。何人かの人を使うくらいはできるのさ」
だけど、その上の仕事が苦手だ。
いい材料を価格交渉して必要量仕入れるとか、店に経営形態を整えるとか、経理業務とか、飲食店の数が増えると途端に役立たずになってしまう。
飲食店全体を人間の体に例えると、彼はどう足掻いても腕が限界の人なのだ。
奥さんのローザさんの方が、頭の仕事が得意。
むしろ天職だと俺は思う。
「なるほど、確かにそうですね」
そしてアキラは、どちらも得意な希有な人間というわけである。
見た目は美少女だけど。
「バウマイスター伯爵様、うちの新店のお客が減ったら借金の返済も遅れますけど……」
やはり、ローザさんは俺が老舗フォン屋の経営再建に手を貸す事に不満があるようだ。
これは仕方がない。
明日からの自分の生活がかかっているのだから。
「新メニューの開発も進めるけど、他の手段で全体的な客数を増やすから大丈夫」
「客を増やすですか? どうやってです?」
「そのお話は、全員揃ってからだな」
「全員ですか?」
「伯爵様、お待たせしました」
「いやーーー、バウマイスター男爵様……じゃなかった! 伯爵様! このリネンハイム、あなた様が短期間でここまでの大貴族様になられるとは想像できませんでしたとも」
バウマイスター伯爵家筆頭御用商人にして王都でも稼いでいるアルテリオと、瑕疵物件の取引で荒稼ぎしているインチキ不動産屋のリネンハイム。
俺は、この二人を呼び寄せていた。
そう、この二人が客数を増やす計画で重要な役割を果たすのだ。
「伯爵様、何か楽しい事を計画なされたようで?」
「楽しくなるかはやってみないとわからないな」
「私は、成功する目は高いと思っていますよ。じゃあ、始めますか」
まずは、ミーティングからである。
リニューアルのため一時閉店した老舗フォン料理屋の中に入り、みんなでテーブル席に座って相談を始める。
「リネンハイム。この地区の地図を」
「はい、準備しておりますとも」
リネンハイムは不動産屋だ。
この地区の地図くらい独自に作製している。
彼は、テーブルの上に一枚の大きな地図を広げた。
「思ったよりも多いな……」
「伯爵様、何が多いのですか?」
「この地区で潰れた飲食店の数」
「ああ、ここは住宅地と工房や商店が多い地区の間にありますからね。中途半端なんですよ」
アルテリオが、この地区の事情を説明してくれた。
働いている人達に昼食を出すお店は、工房側に寄っている。
逆に家族と一緒に外食するようなお店は、住宅地側に寄っている。
中途半端なので、通りががりに軽く食べられる老舗フォン屋や、ローザさんの……実質彼女の店だよな……新店くらいしか経営しているお店はなかった。
あっても、かなり経営が厳しいお店が多い。
「そうだとすると、お客さんを増やすのは厳しいのでは?」
「客は呼び寄せればいい」
「呼び寄せるのですか?」
「だから、リネンハイムを呼んだわけだ」
「はい、バウマイスター伯爵様から呼ばれました。このリネンハイム、バウマイスター伯爵様のためなら、例え火の中水の中でございます」
「そこまでしなくてもいいから、この地区ですぐに飲食店に改装可能な物件はすべて押さえろ」
「はい、速攻で押さえます」
「あと、あの物件もな」
あの物件……リネンハイムが一番得意な、主に霊的な理由で誰も近寄らない瑕疵物件の事である。
「俺が祓えば、コストは抑えられるな」
「はい、実質無料みたいなものです」
王都で平民が住む家や利用する商店、飲食店に悪霊が憑くと厄介だ。
もっと価値のある物件なら、教会なり、聖魔法が使える冒険者に頼んで祓ってもらえる。
だが、平民がそう簡単に日本円で千万円単位のお金など出せない。
悪霊を祓った後の掃除や改装の費用も考えると、他の物件を借りた方がマシ、代わりはいくらでもあるわけだから、瑕疵物件として放置される事が多かった。
これが貧しい人達が住んでいる地区なら、教会が定期的に慈善活動で悪霊を祓う。
だが、ここは中途半端な中産階級の人達が住んでいる地区だ。
慈善活動の対象にもならず、大金を払って悪霊を祓える余裕がある人も少なく、一定の割合で瑕疵物件が存在した。
「祓うのは、リネンハイムが瑕疵物件を押さえてからだな」
「バウマイスター伯爵様のご意見に賛成でございます。あとは、このお話は誰にもなされませんように」
「どうしてですか?」
どう見ても、不動産業には詳しそうに見せない老舗フォン料理屋の店主が、リネンハイムに質問をする。
「バウマイスター伯爵様が瑕疵物件を祓うという事実が持ち主に知れますと、売却価格の釣り上げが行われますから。商売で儲ける秘訣は、スピードと独占とネタの秘匿でございますので」
俺もリネンハイムの考えに納得するが、やはり彼が言うと途端に胡散臭くなるな。
「なるほど。バウマイスター伯爵様が祓うと持ち主が知れば、価値がまったくない物件でも価格がつきますね」
「そういう事でございます」
「丁寧に説明していただいて申し訳ないのですが、私は三件の瑕疵物件を所有しておりまして……」
「これはこれは。三番目のネタの秘匿に失敗してしまいましたね」
さすがは、老舗店の店主とでも言えばいいのか。
予想外の強かさに、さすがのリネンハイムも頭をかいていた。
「これは奥様、お久しぶりでございます」
「豪華な出産祝いをありがとうございます」
「ゴッチもお世話になっておりますので、あの程度で心苦しい限りでございます」
数日後、早速この地区の瑕疵物件を祓う事になった。
老舗フォン屋の店主の持ち分を除き、この地区にあるすべての瑕疵物件はリネンハイムが無事に買い叩いてきた。
悪霊のせいで資産価値ゼロどころか、税金でマイナスだったから、ほぼ無料に近い値段で買い叩いてきたみたいだ。
それで御祓いとなれば、やはりエリーゼ先生の出番であろう。
『悪霊がいるために経営できないお店を再生し、多くの人達で賑わうようにするのですね。さすがは、あなた』
エリーゼの中で俺が物凄くいい人になっていたが、結果的には間違っていないのでよしとしよう。
彼女は知己であるリネンハイムと挨拶をしていたが、確かに彼からの出産祝いは豪華であった。
ゴッチという彼の息子がバウルブルクで不動産屋を開業していたので、そのお礼も兼ねてであろう。
ちなみに、リネンハイムの息子はまっとうに不動産屋をやっている。
リネンハイムが初代だと聞いているので、彼ほどのアクの強さは出ないのであろう。
バウルブルクにはまだ瑕疵物件がないので、父親の方の出番がないという事情もあり、息子の出番となったわけだ。
「(ヴェル、本当にこの人にまた仕事を頼むのか?)」
「(頼んだ仕事はちゃんとやっているから)」
「(ヴェルがそう言うのならいいけどよ……)」
他にも、護衛役のエル……彼はどうもリネンハイムが苦手なようで距離を置いていたが……と、地元の人間なので老舗フォン屋の店主も案内役として来ていた。
店主の家族と、ローザさんと彼女が雇っている調理人達は、閉店中の老舗フォン屋で新メニューの開発を行っている。
俺が麺料理のアイデアを出し、それを参考に色々と試作しているわけだ。
俺も、日本や地球で親しまれていた麺料理の作り方やレシピは知っている。
前世での仕事の関係で、素人よりは詳しかった。
だが、この世界には向こうで手に入る食材がなかったり、同じ物があっても材料に適さない事もある。
それは代替品で補わないといけないし、そうなると細かな配合を試行錯誤しなければ売り物にならないわけだ。
せっかくレシピが決まっても、常に同じ配合では味を保てない。
同じ材料でも、産地、季節、成長条件でみんな味が違う。
それを見極めて配合を調整しないと、せっかく決まった味がブレてしまい、不味い方にブレれば顧客が離れてしまう。
ヒントは与えるが、そこから先は調理人の腕前がものを言うわけだ。
『いい匂いね』
『出汁をちゃんと取ると、香りも味も最高ですからね』
『これで何を作るのかしら?』
『はい、うどんに使おうとか思いまして』
バウルブルクでも、アキラはイーナ達と一緒に仲良くうどんと蕎麦の試作を行っていた。
彼は、俺の計画に乗って麺料理のお店を出店する事にしたのだ。
自分のお店の調理場でうどんの汁を作り、それを試飲したイーナがその出来栄えを褒めた。
『お鍋が二つあるね』
『はい、ミズホは西部と東部でうどんつゆの色が違いますから。塩分量は、そんなに違わないんですけどね』
『うどんって内乱の時にミズホ領内のお店で食べたけど、これはこれでとても美味しいよね』
『ルイーゼ様、ツユが完成しました。ここに手打ちして茹でたうどんを入れます』
『うどんの手打ちは面白かった。蕎麦打ちもだけど』
『彼らは、老舗店舗で修行した本物の麺打ち職人達ですから』
アキラは王都での出店を成功させるため、ミズホにある老舗蕎麦屋とうどん屋から職人を引き抜いていた。
『なあ、そんな貴重な職人を引き抜いて大丈夫なのか?』
ここまで見事なうどんと蕎麦を打てる職人を引き抜くと、引き抜かれた方のお店から文句が出るのでは? と、心配になったカチヤがアキラにそれを問い質す。
『これは、向こうのお店も認めた引き抜きなんです』
『そうなのか?』
『はい、ミズホはうどん屋と蕎麦屋が飽和状態ですからねぇ……』
市場が飽和しているので、せっかく店で修行しても独立できるかどうかわからない。
ミズホ家は新しい領地を得たが、隣接した土地なのでとっくにうどん屋と蕎麦屋が存在した。
そこに新規出店しても成功の目は少なく、ならば国外で一旗揚げようという若者が志願したというわけだ。
『一店舗に修行を終えた職人が何人もいますと、新しい人を雇うのも難しくなるじゃないですか。老舗店舗は、従業員の年齢分布を偏らせたくないですからね』
人件費に余裕がないからと新しい人を雇わないでいると、気がつけば従業員が年寄りばかりなんて例も多いそうで、お店を継続するのにこれほど不利なお話もない。
『老舗店舗を経営する一家の子供の行き先もできます』
貴族の領地と同じで、一つの店舗は一人しか継げなかった。
次男以降を暖簾分けするにしても、今の状況だと失敗する可能性が高い。
従業員にすると、それなりの給金を払ってやらないと生活ができない。
自然と、外部から新しい人を雇わなくなってしまうのだ。
『そんな理由で、職人が余っているといえば余っている状態です。うどんやそばが打てても、他の仕事をしている人もいますし』
『せっかく手打ちを覚えても、仕事にできないのですか?』
リサが驚くが、確かに魔法使いならあり得ない事態であろう。
魔法が使える時点で、何かしら職が保証されるのが魔法使いだからだ。
『地方だと、お店をやっていなくても蕎麦やうどんを打てる人は多いですよ。名人クラスの腕前の人も多いです。というわけで、引き抜きは容易でした』
老舗は、抜けた職人の代わりに新人を雇える。
彼らは見習いだから、一人前になるまで給金も安くできるからお店の収益もよくなる。
なので、互いに利益があったわけだ。
『理屈はわかったが、みんな熱心にツユの作り方を習っておるの』
テレーゼからすると、イーナ達が真剣にうどんと蕎麦のツユの作り方を習っているのが驚きのようだ。
『お店ができたら食べに行けばいいではないか』
『駄目ね、テレーゼは』
『なぜじゃ? アマーリエ』
『私達に麺の手打ちは難しいと思うけど、乾麺を茹でればいいわけだし、ここでうどんや蕎麦が作れれば、ヴェル君が喜ぶでしょう。あの子、女性が変に着飾るよりも、料理が上手な方が好感を得られるじゃない』
『確かに、エリーゼは料理が上手じゃな』
『テレーゼが一番下手なんだから』
『普通に作れるぞ』
アマーリエから料理が一番下手だと言われてしまい、テレーゼは女性の尊厳のために反論した。
『レパートリーが少ないのよ。私もここに来てから頑張って増やしたもの。それでもまだ少ないから、増やそうと努力しているし』
『アマーリエは料理が上手で羨ましい限りじゃな』
『料理歴は長いものね』
実家にいた頃は、貧乏騎士爵家の次女が家事をできないと色々と不都合があった。
いつ料理が必要な家に嫁ぐかもしれないし、収穫後に領民達に料理を振る舞う事くらいはしないといけない。
手際が悪いと母親に叱られたし、バウマイスター騎士爵家では料理をする頻度も増えた。
これで料理を覚えられないはずがないというわけだ。
『しかし、妾が一番下手というのはおかしくないか? 例えば……』
テレーゼの目は、カチヤへと向かう。
『カチヤは、野外料理しか作れないではないか』
『あたい、それでもテレーゼよりはレパートリーあるぞ。ちゃんとアマーリエから習っているし』
カチヤは、冒険者の野外料理だけでは厳しいと自覚して、定期的にアマーリエから料理を習っていた。
『カチヤは覚えが早いわよ。テレーゼも気合を入れないと』
『そう言われると……』
『女はいつまでも若くいられないわ。そうなると、必要になるのが料理などね。美味しい料理があると、男性が必ず帰ってくるわよ』
『逆に、同じ料理しか出て来ないと思えば、旦那もテレーゼの所に行かないかもな』
料理下手だと言われて頭にきたようで、カチヤもアマーリエの発言に乗ってテレーゼに反撃をした。
彼女の発言内容がテレーゼの脳裏に広がり、最悪の予想をしてしまう。
年を取ったテレーゼの下にヴェンデリンが姿を見せず、エリーゼ達のところでばかり一家だんらんをすごし、自分が寂しい老後を過ごすという最悪の未来だ。
『それはまずい! 妾とて帝王学を習得した者じゃ。料理のレパートリーを増やすくらい余裕のはず!』
テレーゼが気合を入れ直し、うどんと蕎麦の調理は順調に進んでいく。
「料理はプロに任せるに限る」
「物件の確保は、この私の出番ですからね。一軒目ですが、これは……」
「私の持ち物です」
一番最初に到着した瑕疵物件は、老舗フォン料理屋の店主が持ち主であった。
彼は、他にも二軒の瑕疵物件を所有している。
元は飲食店……フォン料理屋だと思うが、放置されてから相当年月が経っているようで物凄くボロかった。
「あのう、どうしてこんな状態に?」
「はい、これも我が一族の宿命でしょうか?」
エルからの質問に答えるかのように、店主が事情を語り始める。
「私の曽祖父の時代が、お店の絶頂期だったそうです。当時、私はまだ産まれたばかりでしたが……」
その曽祖父も、年齢の問題で引退する事になった。
彼には四人の子供がおり、その四人に対して彼はこう宣言する。
「俺の店を継げるのは、腕がいい奴だけだ! お前らは競え!」
店が繁昌してお金があった曽祖父は、四人の子供全員に一店舗ずつ持たせて競争をさせたのだという。
「過激な曽お爺さんですね」
「ですよねぇ……」
貴族であるエリーゼからすれば、そのお店は長男が継げばいいだろうという感覚しか持てない。
兄弟で真の後継者を争うなんて、その一族にとって没落の原因にもなりかねない悪手だからだ。
確かに、グルメ漫画じゃないのだからと言いたくなる。
「実は、曽祖父自体が暖簾分けでこの地区に来たのです」
店主のお店は、歴史あるフォン料理屋から正式に暖簾分けされた正当な分店なのだそうだ。
という事は、曽お爺さんは子供達を他の地域に暖簾分けできないはず。
その地区にも多分暖簾分けされた弟子や一族のお店があるわけで、彼らの縄張りを侵す事になるからだ。
フォン料理屋にギルドは存在しないが、ギルドと同じような不文律が存在するというわけだ。
ただし、他の料理屋にその理屈は通用せず、このところの新しい麺料理攻勢で潰れたり、メニューを上手く改良して生き残ったりと、色々と大変なようだ。
「四人で熾烈な競争を行いました。結果、生き残ったのが末っ子である私の祖父だったのは皮肉な結末ですけど……」
本当に苛烈な争いだったようで、他の三店舗は潰れるだけじゃなく、未練も大いに残した。
借金を抱えながら、他の仕事で厳しい残りの人生を送った三名の元店主が悪霊と化して店を占拠してしまったというわけだ。
「元店主達……私の大伯父にあたる方々ですけど、その悪霊が新しくお店を出すのを妨害するわけです」
「なるほど、生前の自分達はいつか借金を返して、再びこのお店でフォン料理屋を経営したかった。その未練が残ったのですか」
「はい、奥様の仰るとおりです」
エリーゼの推論に、店主は首を縦に振る。
「たかがフォン、されどフォンなんだな」
エルも、料理屋も大変だなと納得したように首を縦に振っている。
「老舗の料理屋が少ない理由は、こういったものなのです。私も頑張らないと潰れたお店の仲間入りですけど……」
「今はとにかく、物件を確保しないとね」
悪霊がいたままだと改装工事にも入れないから、さっさと祓ってしまおうと思う。
「ですが、バウマイスター伯爵様。大伯父達の悪霊は厄介ですよ」
店主の話によると、彼らは普段は隠れていて、新しい借主が改装工事を始めないと妨害を始めないらしい。
なので、店主も格安で何度か物件を貸してみた事があるそうだ。
賃料が安いからと安心して営業準備を始めようとすると妨害に入る。
妨害のタイミングの厭らしさは、生前飲食店を経営していたので知恵がついているのだと思う。
「あなた、どうなされますか?」
「ああ、簡単に除霊できると思うよ。それほど強い悪霊ではないんだろう?」
「はい」
「じゃあ、簡単簡単。エリーゼ、念のために『聖壁』を張っておいてくれないかな?」
「はい、わかりました」
エリーゼが俺達を守るように『聖壁』を張り終えると、俺は店に向かって大声で怒鳴り始めた。
「うわっ! クソ不味いフォンだな! そんなんだから潰れるんだよ! 時代遅れも甚だしいな! 新しいお店の方が美味しいから、そっちに行こうぜ!」
彼らは競争に負けてお店を潰している。
だから、こういう悪口で挑発してやればいい。
どうやら俺の悪口は聞こえたようで、店内から大した強さではない悪霊が姿を見せた。
年配の男性の悪霊だ。
「ナンダトォーーー! オレノフォンハァーーー!」
「ぷっ、クソ不味っ!」
「コロスゥーーー!」
俺の挑発に乗った悪霊は、そのままエリーゼの張った『聖壁』に激突。
元々弱い悪霊なので、それだけで弱ってしまった。
「あの世で、新作料理でも開発するんだな」
トドメで俺が軽く『聖光』を放つと、悪霊は呆気なく消えてしまった。
貴族屋敷の悪霊に比べれば、大した強さでもない。
「来世では、かの者に幸があらん事を」
真面目で優しいエリーゼは、消えた悪霊に対し祈りを捧げていた。
「それで、この物件はどう?」
「古い建物ですけど、石造りなので十分にいけます。店内の設備はどうなされますか?」
「中古品でもいいぞ。なるべく金はかけないでいこう」
「畏まりました。知り合いで潰れた飲食店の中古設備を取り扱っているお店がありましてね。内装専門の職人にも知己がいますよ」
さすがは不動産屋、リネンハイムには関連する仕事を行う知り合いが複数存在した。
「他の物件も素早く祓って、早く作業に入るか」
「時間は貴重でございますからね」
「おい、ヴェル」
「どうした? エル」
リネンハイムと打ち合わせをしていると、エルが俺に話しかけてくる。
「悪霊でも店主さんの親戚なんだからさ……こうもっと気遣うとかよ……」
エルの奴、えらく常識的な事を。
だが、俺にとって悪霊は邪魔な存在でしかなかったからな。
悪霊になるほど店に未練があるのなら、もっと頑張ればよかったのだから。
「ここで変に慰めるよりも、彼らは浄化されて天国に行ったんだ。それを祝ってあげた方が店主も嬉しいと思うはずだ」
「はい、あたなの仰るとおりですね」
エリーゼは、俺の発言を額面どおりに受け止めたようだ。
本当は、適当に言い訳しただけだけど……。
「店主さんはどう思っているのです?」
「いや……あまり会った事もないですし、今まで数十年も不良債権化していましたからね。ちょっと可哀想とは思いましたが、別にそこまでの思い入れは……」
「なっ!」
「エルヴィン様はお優しいですね。商売とは生き馬の目を抜く世界です。いくら親族でも……無事に成仏したわけですし、過去の事は忘れて新しい商売に励みましょう」
「……なあ、ヴェル」
「何だ? エル」
「お前とリネンハイムさん、実は似た者同士か?」
「……」
そんなわけがあるか!
俺は彼ほど胡散臭くない。
本人を目の前にして言えないので、俺は心の中でそう叫ぶのであった。
「バウマイスター伯爵様、工事は順調ですが、これはどういう意図なのですか?」
更に一週間後、新メニューの開発は続き、数軒の瑕疵物件の除霊と空き物件の買収も終わり、リネンハイムが手配した業者が改装工事を行い、調理器具などを搬入している。
まずは、十店舗ほどをいつでもオープン可能な状態にもっていく事が目的だ。
工事が進む中、アルテリオは俺の意図が理解できないようで、どういうつもりなのかを聞いてきた。
「この地区は、実はそれほど場所は悪くないのさ」
徒歩圏内に工房が多い地区と、住宅地もあるからだ。
「客が寄らなければ、寄せてしまえばいい。この地区に、麺料理の店を集合させるわけだ」
考え方は、ラーメン博物館みたいなものだ。
様々な種類の麺料理を出すために新メニューを研究しているのは、麺料理の店だけを大量にオープンさせるからだ。
「麺料理の店だけを?」
「この地区に色々な麺料理の店があれば、それを目当てに客が来るじゃないか。工房で働いている人達が昼食に、休日に家族も連れて来るかもしれない。ここは、ちょうどいい位置にあるからな。工房や住宅地の至近というわけではないから少し条件が悪いけど、それを補うための店舗集中なのさ」
他にも、軽食やデザート、お菓子などを売ってもいい。
家族の行楽、デートにも使える。
麺料理も、半分のサイズを出せば何店舗か回れるはずだ。
「店舗が集中している事を逆に強みにするのだ」
「おおっ! 何て凄い考え方なのです! さすがは伯爵様!」
何か、えらくアルテリオに褒められているけど、アイデアはただのパクリである。
それを教えてあげるわけにもいかないから黙っているけどね。
「店舗が集中しているから、競争も起こるだろうな。駄目な店は、早く撤退してもらうさ」
「それで、ほとんどを賃貸物件にしたんですね」
老舗フォン料理屋の店主は、除霊した三件の物件も含めて四店舗、あとはローザさんが一店舗を持っているのみだ。
あとは、買収したリネンハイムが持っている。
俺とエリーゼは、彼から除霊の代金を貰っていた。
あいつ、商売の匂いにも敏感なようで、俺にすんなりと除霊代金を支払って物件を確保しやがった。
老舗フォン屋の店主も、大分オマケしてあげたが除霊の代金を支払った。
店が苦境に立ったのはこの一年ほどで、これまでは老舗有名店で稼いでいたからな。
蓄えがかなりあったようだ。
「アルテリオは……傘下の商人に任せるにしても、この地区に入るお店に食材を卸したり、新規店舗のオープンや入れ替え、食材の仕入れなどで儲ける。チョコレートや魔の森の果物を使ったデザートを出してもいいな。オープンカフェも作るとか。期間限定で、新商品を格安で紹介する店舗があってもいいな」
「リネンハイムは、賃貸物件の管理ですか」
「駄目な店は追い出さないといけないからな。客が多くて賑わっているから、貸店舗の賃貸料が上昇するんだ。物件を持っているリネンハイムは、賃貸料が高い方が儲かるから、それを維持するために駄目な店に引導を渡す役割を担当する。嫌な仕事だから、ちょっとは利益で優遇しないと」
地区の賃貸物件を一つの施設に見たてると、リネンハイムに物件の管理を任せるというわけだ。
賃貸契約を半年単位くらいにし、駄目な店は契約を更新しないなどして競争を促し、新陳代謝を促す。
契約停止を告げる嫌な役割をリネンハイムに任せる事になるが、その分高価格になるであろう賃貸料で儲けさせるというわけだ。
「もし、ここが大いに賑わえば、店を持っている店舗が他に支店を出す時に宣伝にもなる。店側が理解できれば、人気を維持するために努力すると思うんだ」
「なるほど、納得できました」
「それで、ここが上手く行ったら王都は広いだろう? 何カ所か同じような形態で営業できるよな? ここでノウハウも得られるわけだし」
「ただ飲食店を経営するのではなく、こういう方法もあるのですか」
こういう飲食系のイベントや施設の運営に、商社が関わる事もあるからな。
それを知っている俺ならではのアイデアだ。
具体的なマニュアルは、俺が知っている事に加えて実際に経営して得て行くしかないか。
「急ぎ準備を進めます」
「頼んだぞ」
アルテリオと別れた俺は、アキラが借りる予定の店舗に向かった。
彼は隣同士の空き店舗を二つ借り、現在オープンに向けて準備を進めていた。
「あっ、バウマイスター伯爵様。試作は順調ですよ」
「それにしても、二店舗なのか?」
「価格帯を分けようと思いまして」
「価格帯を分ける?」
「ええ」
一店舗目は、内装をミズホ風にして凝った作りにする予定のようだ。
ミズホ人の従業員が内装工事を行っている。
「これは、蕎麦とうどんを最後に出す割烹料理店ですね」
ミズホ料理をコースで出して、最後に蕎麦かうどんを出す。
値段は張るが、これはある程度富裕な人達を客層としている。
「もう一点は、普通の蕎麦とうどんのお店です。立ち食いスペースも作りますよ」
もう一店舗は、中に普通のテーブル席、入り口付近に立ち食い用のカウンターと、店の前のスペースにもテーブルと椅子が置かれていた。
食べ終わった器を返す棚も作られており、前世でたまに食べた立ち食い蕎麦屋そのものであった。
というか、ミズホにも立ち食い蕎麦屋ってあるんだな。
「職人の工房が多い地区には結構あるのですが、外地からのお客さんはあまり寄らないと思います。ここの近くにある工房で働いているお客さん目当てですね」
忙しい彼らは急いで食事を取りたい。
過去にフォンが流行した背景には、簡単に立ち食いで食べられるという利点があったからだ。
立ち食いでも蕎麦やうどんは少し高いけど、王都は景気がよくなっている。
ある程度の客数は見込めると、アキラは計算しているようだ。
「順調なようだな」
「はい、最初に店をオープンさせた僕達が成功すれば、もっと新しいお店がオープンします。競争になりますが、お客さんも増えるからチャンスですね」
アキラは忙しそうなので、話をすぐに切り替えて、今度はローザさんの新店へと向かった。
「バウマイスター伯爵様。うちの旦那、メニューの試作が順調なようですよ」
「難しい課題だったんだけどなぁ……」
俺がベッティの兄に大体のレシピを伝えた麺料理、それはラーメンであった。
ラーメンはスープを作るのが難しい。
俺も昔に試作した事があるけど、なかなか思ったような味のスープにならなかった。
豚骨なんて手に入らないので、猪の骨で代用したけど、下処理が下手で臭い、香味野菜を入れて煮ても臭い、ようやくスープが臭くなくなったら味が薄っぺらい。
何度も失敗して、遂に諦めてしまったのだ。
それを何とか形にしたというのだから、やはり本物の料理人は違うな。
ベッティの兄は、経営に携わらないといい料理人なのかもしれない。
「味見してください」
ローザの案内で店の調理場へと向かうと、ベッティ達三人娘が見守る中、ベッティの兄が大きな寸胴でスープを作っていた。
「どうだ?」
「バウマイスター伯爵様、ようやく味が安定しましたよ」
寸胴でスープを煮込んでいるベッテイの兄は、俺にスープを入れた小皿を差し出した。
試しに飲んでいると、とてもいい味がする。
俺が作った時は、変な臭いがして、味も薄っぺらで駄目だったんだけどな。
「下処理をきちんとしないと駄目で、他の魔物や豚の骨も手に入れ、臭み消しのハーブや野菜類と一緒に煮込みました」
「豚の骨なんて手に入るのか?」
家畜なんて、よほどの金持ちしか食べられないからな。
そう簡単に豚骨が手に入ると思えないんだが……。
「豚骨は少量なら手に入りますよ。解体所で直接仕入れないと駄目ですけど。ただ入荷量が不安定なので、手に入りやすい猪と魔物の骨も配合して味を安定化させたわけです。他にも、季節とか、獲物が獲れた地域とか、どうやって育ったかで骨から出る出汁の味に差が出ますからね」
ラーメンの難しいところは、例え素晴らしいレシピができあがっても、使用する素材の状態が変化するから、上手く調整しないと同じ味のスープができない点にある。
味にブレが出て、美味しい方にブレればいいが、不味くブレれば顧客が離れてしまう。
それにしても、ベッティの兄は思った以上にやるじゃないか。
最初の印象はよくなかったが、料理に関しては『やればできる子』だったらしい。
評価を改めないといけないな。
「あんた、奥さんの尻に敷かれていると優秀だな!」
「バウマイスター伯爵様、それはないですよ……」
「お兄さんは、お義姉さんの下にいてようやく真人間になれるんですよ」
「ベッティまで酷い……」
実の妹にまで散々に言われ、ベッティの兄はガックリと肩を落としていた。
「猪、豚、魔物の骨の配合スープです」
それでも気を取り直して、彼はスープの説明を続ける。
匂いや見た目は、トンコツスープにとてもよく似ていた。
俺にとっては、何よりも歓迎すべき出来事である。
「これに醤油ベースのタレを入れると……」
懐かしい醤油トンコツラーメンのスープになる。
醤油トンコツ味のラーメンは陳腐だけど、陳腐ゆえに人気が高いとも言える。
この世界では初めて嗅ぐ匂いなので、早く麺を入れて食べたくなった。
「具の肉は?」
「これもバウマイスター伯爵様のヒントを元に作っています」
猪の肉で角煮を作るのはよくしていたので、チャーシューはスープよりも簡単だった。
ベッティの兄が、美味しく仕上げてくれた。
「煮卵ですか? ちょっと高いので、これは試作だけですね。あとは適当に野菜を煮て入れれば完成ですか」
卵に関しては、ホロホロ鳥は高いし、養鶏で得られる鶏の卵も負けずに高い。
そこで、鴨など他の鳥の卵で試作してもらったが、原価が高すぎて客には出せないであろう。
日本のように卵が安いって、実は凄い事だったのだ。
メンマは、材料の竹の子がミズホでしか採れないから、これも今回はなしだ。
ミズホ人は竹の子が大好きなので、どう考えても輸出量が足りなかった。
「言われたとおりに全部揃えましたが、問題は麺ですよ。パスタにはちょっと合わないと思いますし、私も麺打ちは経験がないですね」
ローザさんの新店で出している麺も、すべて知り合いの麺打ち職人から仕入れているそうだ。
自分では、ラーメンの麺は打てないとベッティの兄が言う。
「ここで、あの老舗フォン料理屋が役に立つのさ。麺を取りに行こう」
駄目なら他の料理人に任せようと思っていたが、ベッティの兄は見事に試練を果たした。
あとは、これに茹でた麺を入れれば完成である。
「先生、お兄さんはしっかり仕事をこなしましたね」
「ちょっと過小評価していたかも。いい腕をしているな」
というか、若いので新しい料理を試作する方が得意なのであろう。
スープの味を維持できれば、ラーメン店で成功するかもしれない。
ローザさんもいるし。
「先生、ありがとうございます。亡くなった父と母も安心していると思います」
普段は散々言っているが、ベッティはお兄さんが嫌いではない。
助け舟を出した俺の両手を取って、彼女はお礼を述べた。
「あーーーっ! ベッティがずるい。私も」
なぜかシンディがベッティを非難しながら俺の肩腕を取り、右手はベッティに、左手はシンディに腕を組まれてしまう。
「先生の腕は二本しかない……二人ともずるいですよ!」
普段は真面目なはずのアグネスが、先に俺と腕を組んでしまった親友二人に激怒した。
「えーーーと、じゃあ、私はここに」
「おいっ!」
ならばと、シンディが見事にコントロールされた『飛翔』の魔法で、俺の肩に上手く乗った。
俺は慌てて彼女の足を取り、肩車をする形になってしまう。
代わりにアグネスが俺の左腕を取り、俺は弟子三人に囲まれながら道を歩く事になってしまう。
「ほほう。嫁がいない間に、これは大胆だな」
「こら! エル! 誤解を招くような事は言うな!」
俺はにやけた笑みを浮かべるエルに苦情を述べた。
間違った情報をエリーゼ達に報告されては困るからだ。
「ううっ……あの小さかったベッティが嫁に行ってしまう……」
「ベッティちゃんも、いつかはお嫁に行くのだから、めそめそ泣かないの。バウマイスター伯爵様だから大丈夫よ」
ほら見ろエル。
麺を見るため俺達についてきたベッティの兄とローザさんが、勝手に誤解してしまったじゃないか。
「もうここまで来たら、この娘達は他に嫁に行かないと思うけどな。それについては、バウマイスター伯爵様はどうお考えで?」
「ううっ!」
段々と外堀が埋められていくような気がしてきたが、今はなんちゃってコンサルティング業務の方が大切だと、俺は現実逃避に入るのであった。
「バウマイスター伯爵様……綺麗どころに囲まれて羨ましい限りで……おっと、違った! 試作は順調ですよ」
実は、ラーメンの麺は老舗フォン料理屋の店主に任せていた。
彼らはフォンに使う麺を毎日手打ちしており、店主には五名の息子がいて、みんな麺打ちが上手であった。
そこで、経営を安定化させるために、この地区で経営する麺料理屋に麺を卸す製麺所の経営も兼業するようにアドバイスしたのだ。
「スープや具に合う麺を作ってもらえば、その分他の事に傾注できるじゃないか。細かい注文も出せるし」
仕事の効率化というわけだ。
自分で麺を打てばコストはかからないかもしれないけど、麺を打つ時間を取られるし、客が多くなると捌けなくなる可能性があった。
同じ地区に製麺所があれば、もし麺が足りなくなってもすぐに追加注文が出せる。
「いいアイデアだと思いますが、麺のできは大丈夫なのでしょうか?」
「我々は、フォンの麺を毎日打ってきました。基礎はできていますし、研究でパスタなども打ちますからね。私も息子達も特訓して腕を上げつつありますよ」
彼らは、アキラが紹介した蕎麦とうどんを打つ職人からも学んでいた。
もし蕎麦とうどんが人気になれば、俺とアルテリオさんは屋台を出す計画も立てていた。
その屋台で使う麺も、将来的にはこの製麺所から仕入れる計画になっている。
「勿論、フォンも改良して出す予定です」
他にも、いくつかの麺料理を出す計画であった。
製麺業と兼業して利益を増やし、経営状態を黒字化する予定なのだ。
俺が悪霊を祓った三店舗も製麺所兼フォン料理屋として経営し、息子達を分散して配置する計画だと店主は語った。
「頼んでいた麺を取りに来たんだ」
「はい、こちらになります」
ラーメンの麺なので『かん水』が必要なのだが、どこを探しても存在しなかった。
アキラに聞いても、ミズホでも『かん水』は使っていないそうだ。
その代わりではないが、新しくミズホ領になった地方に木灰水を使って麺を打つ地方が存在した。
その地方で木灰水に使っている木は王国にも普通にあったので、これで木灰水を作り店主が麺を打ってくれた。
麺は中太麺で、色はかん水を使った時ほど黄色くない。
沖縄そばの麺によく似ていると思う。
その内、かん水の製造を始めたいものだ。
こういうものだとアルテリオに教えて丸投げしてしまったが、彼なら何とかすると思う。
「この麺を茹で、先ほどのスープと醤油で作ったタレの中に入れる。上に具を載せて完成だな」
急いでベッティの兄の店に戻り、ようやく『醤油トンコツラーメンモドキ』が完成した。
スープの素材に猪と魔物の骨が入っていたり、地球にはないハーブや野菜を使ったり、チャーシューが猪の肉だけど、久しぶりに食べるラーメンだ。
やはり、情けは人のためならずだな。
早速一番最初に試食するが、前世でよく食べた醤油トンコツラーメンに味はよく似ていた。
とても美味しい。
多分俺が自分で作ったら、スープが獣臭いとか、チャーシューが臭くて硬いとか、麺の太さが一定ではなくてボソボソとか、そんな結果になったと思う。
「ほう、スープに泳がせた麺ですか。パスタとは違うのですな。勉強になります」
麺を打ってくれた店主も、美味しそうにラーメンを試食していた。
「麺に卵を練り込んだり、卵を具にしても美味しいのだけど」
「バウマイスター伯爵様、それでは高くついてしまいますよ」
養鶏と養鴨で得た卵はとても高く、しかも金持ちが消費してしまうので手に入り難い。
冒険者が狩りの途中で見つけ、買い取り所に販売して臨時収入を得たり、自分で食べてしまう者も多いが、これは冒険者の数少ない特権であった。
ラーメンに卵を使うとコストが倍以上に上がるので、お店で出すのはなしだ。
俺が個人で煮卵を作って楽しむとしよう。
バウマイスター伯爵である俺は、自由に卵を食べる事ができるのだ。
子供の頃から、卵取りでは名人だと父からも言われていたし。
「先生、この麺料理は美味しいですね。名前はどうしましょうか?」
「ラーメンで」
「らーめんですか? 単純だけど、似合っているような……お兄さん、これなら成功するね」
「ううっ……妹にようやく褒められた……まだ時間があるので、改良を進めます」
ベッティの兄は、ようやく妹に褒められて涙を流した。
ここ最近は頑張っていると思うのだが、油断すると堕落すると思われていたから、妹に褒められた事がなかったんだよな。
「私もフォンの改良を進めていますし、他の麺料理も考案中です」
「オープンは三日後だ。油断なく準備を進めてくれ」
そして三日後。
一つの地区に麺料理屋を集中させた施設……正確には施設じゃないんだけど……がオープンを果たした。
今はちょうどお昼前、ちゃんと宣伝をしておいたおかげで、この地区には昼食を食べようとしている労働者や、休暇を楽しむ家族連れなどが押し寄せていた。
「伯爵様の言うとおりに、ちゃんとビラを撒いておきました」
俺はアルテリオに命じて、地区の地図と店舗の位置、どのような麺料理がいくらで食べられるのかがわかるチラシを作らせ近隣で配布させた。
最初にお客さんが来てくれないと困るからだ。
地区のあちこちにも、チラシと同じ内容の立札を立てている。
これに釣られて、多くのお客さんが店に入って行った。
「ミズホのそばとうどんか。珍しいからこれにするか」
「こっちも、ラーメンとかいう汁のある麺料理があるぞ」
アキラがオープンさせた蕎麦とうどん屋、ベッティの兄がレシピを完成させたローザさんのラーメン屋、パスタのお店も部下に任せて経営している。
他にも、お茶とチョコレートと魔の森産のお菓子を出す喫茶店、焼き鳥、から揚げ、サンドウィッチ、ハンバーガー、ポテトなどを出すフードコートもオープンしていた。
アルテリオが、目敏く傘下の商人に店をオープンさせていたのだ。
メインは麺料理屋だが、サブでこういうものを出すお店もあった方が飽きないのでこれでいいと思う。
「そして、肝心のフォン屋だが」
「ヴェル様、大丈夫?」
「製麺所と二足草鞋だし、製麺だけでも忙しそうだな……」
客が多いので、店主は追加注文に備えて麺を打っていた。
珍しいラーメン屋の客が多く、麺が足りなくなったみたいだ。
改装工事で店の前面にガラス張りの製麺スペースを作り、表から店主が麺を打っているところを見えるようにしたのだ。
これに釣られて、奥のフォン料理屋に入ってくる客も多い。
「麺打ち名人の実技に釣られて客が入るのさ。料理は味覚だけじゃない」
「本当、料理については真面目だよな」
「おうよ、人は食べ物を食べないと死ぬからな。アホな貴族とつき合うよりも大切だぞ」
「そこは、ローデリヒさんの負担を軽くしてやれよ……」
実演販売をすると客が増える。
前世では当たり前のようにあった手法だ。
悪霊を祓った他の店舗でも、店主の息子達が父親から習った麺打ちを客に披露していた。
「というわけで、潰れないから大丈夫だよ、ヴィルマ」
「ヴェル様、ありがとう」
ようやくヴィルマが満開の笑みを浮かべてくれた。
彼女は普段あまり頼み事をしないが、過去に世話になった人達には義理堅い部分を見せるのだ。
「フォンはどういう風に改良されたの?」
「そこはプロである店主に任せてしまったからなぁ……行ってみるか」
「試食する」
今日は客が多い事を懸念して、同行者はエルとヴィルマだけだ。
三人でフォン料理屋の方に入ると、すぐに従業員が注文を取りにきた。
「ご注文は?」
「ええと……」
メニューを見ると、大分値上がりしている。
『新フォン』というベタな命名であるが、大きな変化は味が三つになった事だ。
従来の塩に加え、醤油と味噌も加わっている。
「俺は醤油」
「じゃあ、俺はミソ」
「私は塩」
「ヴィルマ、チョイスが渋いな」
「フォンの基本は塩味。これがちゃんと改善されていないと安心できない」
「なるほど」
「確かにそうだな」
エルと二人でヴィルマの言い分に納得していると、そこに注文したフォンが運ばれてきた。
「美味しそうになっているな」
なっているけど、これは見覚えがあるな。
『油そば』とよく似た感じにアレンジされていた。
麺は木灰水を使った太麺で、量も一人前に増えている。
混ぜて食べてみると、ラーメンのスープを煮詰め、それに醤油ダレを加えたもので茹でた麺が絡めてあった。
具も、香味野菜を刻んだもの、茹でた野菜、猪肉の角煮が載っている。
「美味しいな」
「そうだな」
俺は油そばも好きだから、これはいい改良だと思う。
いくら悩んでいても、そこはプロ。
ラーメンを参考に、自分で油そばに到達してしまうのだから。
「ヴィルマ、塩味はどうだ?」
「美味しい。ちゃんと改良されてた。ヴェル様、あーーーん」
いきなり食べさせられてしまったが、俺達は夫婦なので問題ない。
「一応人前なんだけどな」
「私達は夫婦だから。エルも、毎日家に帰るとハルカが……「ストップ! それは部外秘だ!」」
エル、お前はハルカと毎日そんな事をしていたのか……。
夫婦仲がいいのは素晴らしいと思うが、あんまり聞きたくなったような……。
「美味しいな」
フォンと同じく汁なしで、塩味、具の材料もほぼ同じ。
店主としては、何が何でも塩味を残したかったのであろう。
苦労して改良した成果が見受けられる。
「バウマイスター伯爵様、どうでしょうか?」
「とても美味しくなっているな」
これならたまに食べに来たいな。
油そばって、たまに無性に食べたくなるから。
今までは忘れていたけど、現物がある以上は食べに来たい。
幸いにして、俺には『瞬間移動』があるからな。
王都との距離は、一切関係ないのだ。
「まだ悩みがあるのか?」
俺は、店主が少しだけ浮かない顔をしているのに気がついた。
「塩味の新フォンもそこそこ売れているのですが、やはりショウユとミソのフォンには負けますね。私は古い人間なので、フォンは塩味って考えてしまうのですよ」
商売だから売り上げのために醤油と味噌のフォンを出すが、やはり塩味をメインにしたいというわけか。
「アイデアがないわけでもないけど」
「本当ですか?」
「試しに作ってみようか」
店の厨房に移動すると、俺は魔法の袋からある物を取り出した。
それは、大昔に俺が自作した燻製を作る小型のスモーカーと、それに使うチップである。
パーティを組んでからはほとんどやっていなかったが、ボッチ時代には時間があったので、獲物の肉や魚でたまに燻製を作っていたのだ。
「燻製にするのですか?」
「そう、塩に香りをつけて、それで塩タレを作るのさ」
燻製塩はある程度作り置きができる。
チップもそれほど高くないし、これなら値段を上げる必要はないであろう。
「香りも味覚なのさ。今日はクルミの木のチップしかないけど、ミズホから桜の木のチップを輸入してもいいな。でも、これは高くなるか……もう一つある」
新フォンのタレには、煮詰めたスープが少量と調味料、そして油が材料となっている。
「塩味を残すとなると、油を改良すべきだな」
ネギ、エビ、ショウガ、ニンニク、トウガラシ、焼き干、貝、小魚など。
様々な素材を使って香味油を作る。
これを使えば、新フォンの味が多彩になるはずである。
俺は塩を燻製し、持っていた小さな川エビと、ミズホから輸入したトウガラシでラー油モドキを作った。
そして、これを使って塩味の新フォンを作る。
「塩味で、エビ風味、お好みで辛さも調整可能になる」
「おおっ! 凄え美味え!」
「バウマイスター伯爵様、よく思いつきますね! 凄い才能だ!」
エルと店主が俺のアイデアを絶賛するが、自分で思いついたのではなく、ただのパクリなので少し心が痛んだ。
だが、これも俺が麺ライフを取り戻すために必要だから仕方がない。
「ヴェル様、美味しい」
「改良したのが素人の俺だから、プロの店主が自分でやればもっと美味しくなるさ」
「今回の件で色々と考えさせられました。研究は常にしないと駄目なのですね……」
人間は慣れる生き物だから、同じ物ばかり出すと飽きてしまう。
じゃあ『老舗はどうなんだ?』って言う人がいると思うが、それは食べている客が同じ味だと思っているだけで、実は少しずつ改良して美味しくしているのが常識だからな。
何百年もまったく同じフォンを出し続けた店主の店がつい最近まで繁昌していたという事実の方が俺には脅威だった。
麺打ちの技術を見ると、店主も決して手は抜いていない。
それでも、凄い事だと俺は思う。
「同じメニューでも、細かな改良を加えて味をよくしていく作業は必要だな」
「そうですね、勉強になりましたよ。フォンだから安く手軽に。その考え方はいいのですが、美味しくないと駄目ですね。安いメニューの提供までしていただいて申し訳ありません」
店主は、息子達に任せている四店舗で製麺所、フォン屋、そして店頭で焼きそばも売り始めた。
麺は自家製でコストが安いから、焼きそばなら量を少なくすれば二セントで何とか出せる。
庶民の気軽な間食になるというわけだ。
従業員が鉄板の上で焼きそばを焼いており、ソースが焼ける匂いに釣られて多くの客が集まってくる。
『僕も負けていられませんね』
アキラも、店頭で焼きうどんの販売を始めた。
見た目は美少女だが、彼は商売の申し子といっても過言ではない。
行動力については、誰よりも男性らしいのだ。
『王都も含めて、王国は暖かい時期が多い。冷やした蕎麦とうどんも出して、売り上げを伸ばすのです』
アキラは、王国中に蕎麦屋の支店を出そうと計画しているようだ。
そのためにも第一号店は失敗できないと気合を入れていた。
「アキラさんでしたか。あの人、男性なんですよね?」
「ちゃんと奥さんいるし、俺よりも年上なのが信じられないけど」
「うちの息子も信じられなかったようで……」
店主によると、支店を任された彼の息子の一人が共に開店準備をしているアキラに一目ぼれし、結婚を申し込みに行って撃沈したそうだ。
「その息子さんは?」
「大きなショックを受けたようですが、それをバネにえらく頑張っていますね」
麺打ちに、新フォンの調理に大忙しだと店主は教えてくれた。
「でもさ、それって失恋なのか?」
「失恋なんじゃないの?」
「いや、入り口にも辿り着いていないような……」
「失恋じゃなくて、勘違い?」
「エルもヴィルマも、そこは失恋だった事にしておこうよ」
リニューアルした麺屋には初日から多くの客が詰め掛け、徐々にリピーターも増えて地区は賑わっていくようになる。
客が増えると、それを目当てに新しい麺料理や軽食を出すお店も増え、それがますます客を呼びと。
俺の読みどおりに、この少し寂れた地区は『麺料理ストリート』として後世まで多くの客で賑わう事となる。
そして、似た形態の施設というか地区が、王国のみならず帝国の都市にも広がっていくのであった。
「ぶぅーーーっ! ボクも行きたかった」
「悪い悪い。人が多いから少人数での行動が一番だったんだよ。ヴィルマは、フォンの店が心配だっただろうから」
試食を終えて屋敷に戻ると、連れて行ってもらえなかったルイーゼが不満そうな顔を浮かべていた。
「ルイーゼよ。子供のように膨れるでない。何かお土産くらいは、ヴェンデリンも準備しているはずだろうからな」
「新しい麺料理ならいくつか。アマーリエ義姉さん、あれは完成していますか?」
「言われたとおりに作ってあるわよ。具材多目で。でも、シチューが麺料理になるの?」
「ちょっと変形させますけど」
夕食も兼ねて、俺はエリーゼ達に新しい麺料理をご馳走する事にした。
これも徐々に王都の店で出していけば、またお客さんが増えるはずだ。
「どうかしら?」
「普通に美味しいですね」
アマーリエ義姉さんは、バウマイスター騎士爵領にいた頃からちゃんと料理をしていたからな。
そうしないと生活できないほど貧しかったというのは禁句だぜ。
「ちょうどいいですね」
「味を少し濃い目って言われたからこんな感じにしたわ。でも、こんなに具材が多いシチューって、昔なら考えられないわね」
「野菜が多い時はありましたけどね。肉は沢山あると、焼いたり他の料理に使った方が効率的だって」
「お義母様がよく言っていたわね。『うちの家族は、シチューにお肉が沢山入っているより、焼いたお肉が大きい方が喜ぶ』って」
「限りあるお肉を、できる限り目立たせる手段だったからですよ」
「人数も多かったから」
ついアマーリエ義姉さんと昔の話に興じてしまうが、バウマイスター騎士爵領時代だと、濃い味ですら贅沢だったからな。
昔の実家の特殊さは、この屋敷では俺とアマーリエ義姉さんしかわからないだろうな。
二人は、ある意味戦友でもあったのだ。
「でも、どんな麺料理になるの?」
「作りながら解説しましょう。エリーゼ、これを固めに茹でてくれないかな?」
「変わったパスタですね」
よく料理をするエリーゼでも、ラザーニェタイプのパスタは初めてのようだ。
日本ではラザニア、同名の料理に使うパスタである。
フォン屋の店主に形状を伝えたら、すぐに打ってくれた。
地球だと乾麺が主流なのだけど、この世界だと生麺が主流だから、パスタはこの世界の方が圧倒的に美味しいと思う。
蕎麦を使ったパスタもあって、これもとても美味しいのだ。
ただ、そんな洒落た料理は昔の実家にはなかったけど。
「あなた、茹で終わりました」
「ありがとう、エリーゼ」
耐熱容器にシチューを注ぎ、そこに固めに茹でたラザーニェを入れる。
チーズを振りかけ、これをオーブンで焼いたら完成だ。
最後に刻んだパセリを添えれば完璧だな。
「これも麺料理なの?」
「麺が、粉を水で溶いて練ったものだと定義すれば麺ですね」
ラザニア風の新料理は焼き上がり、加熱されたチーズがブクブクと泡を立てて煮立っていた。
とても美味しそうである。
チーズも贅沢品だが、焼いてとろけているチーズは万人に好かれる味だと俺は思う。
「美味しそうよな。冷めぬ内にいただくとしようか」
テレーゼの提案で、みんなで夕食にラザニア風の麺料理をいただく。
味はビーフシチューで、グラタン風というかラザニア風になっているので不味いはずがない。
焼けてとろけたチーズも美味しく、これから新メニューとして出してもいいはずだ。
「この料理は、北方のフィリップ公爵領で食べるともっと美味しいかもな」
「温かい料理だからな」
「それにしても、よく思いつくものよ」
「はっはっはっ、他にも麺料理を準備したぞ」
続けて、油で揚げて塩を振った揚げパスタ、蕎麦も同様に揚げてみた。
これは、前世に蕎麦屋で食事をした時、サイドメニューとしてあったものだ。
共に、軽食として店頭で販売ができる。
「次は、冷たい麺料理だ」
冷製パスタ、冷やしタヌキ蕎麦にうどんなど、王国は比較的暖かいので、冷蔵庫や製氷機さえ確保できれば、こちらの方が需要はあるかもしれない。
「本当、感心するくらい思いつくね」
「任せてくれ、ルイーゼよ」
「でもさ、バウマイスター伯爵様の本業を忘れると、ローデリヒさんに怒られるよ」
「そこは、ちゃんとお休みを貰っているから大丈夫」
ここのところ、領地開発が加速して土木工事ばかりだから、たまにはこうやって別の仕事をするのもいいな。
仕事というよりも趣味か。
ヴィルマに頼まれて始めたけど、これはいいストレス発散になったと思う。
「そして、デザートです」
様々な麺料料理を試食してから、最後にデザートで蕎麦がきを出す。
この料理も、前世に蕎麦屋で食べて美味しかったから再現した。
蕎麦粉をお湯で練るだけで完成するのがいいな。
黒蜜ときな粉をかけて食べたり、善哉や汁粉に入れても美味しい。
「美味しいですね。同じ甘い物でも、王国のお菓子と違ってさっぱりとした甘さです」
一番年上のリサも、蕎麦がきを気に入ったようだ。
美味しそうに食べている。
「これらの新メニューも徐々に出していけば、あの地区は繁昌するはず」
そして、そこに素材を卸すアルテリオ、俺のバックアップを受けて店を出しているアキラと、ベッティの兄夫婦が儲かり、その利益がバウマイスター伯爵家にも還元される。
金額的には大した事もないが、うちの評判はよくなるはずだ。
「実にスマートな宣伝」
「ほほう……それは宜しかったですな」
突然聞きなれた声がしたので振り返ると、そこには恨めしそうな顔をしたローデリヒが立っていた。
「ローデリヒ?」
「お館様、確かに新しいお店のメニュー開発に集中するのは許可いたしました。ですが、それは本来の休暇であった三日間だけです。それなのに、二週間近くも王都に入り浸りでは開発が計画どおりに進みません。そもそも、どうして一店舗への梃子入れが、大規模な商業施設のオープンにまで話が大きくなっているのです?」
楽しかったので、つい二週間ほど新しい麺料理に関連した仕事に集中してしまった。
そこまで期間が伸びるとは聞いていないと、ローデリヒが俺に苦情を述べた。
「いや……みんなが代わりに活躍してくれたじゃないか」
カタリーナ、テレーゼ、リサ、アグネス達三人娘も、俺の特訓で魔法の腕をあげていたので、俺の代わりは十分に務まったはず。
「確かに、奥様達のお力で工事は進んでおります。ですが、お館様にしかできない大規模な工事などが止まっているのです」
「そうなんだ……明日から頑張るよ」
「明日からですね? わかりました。この十日間ほどの遅れも考慮し、暫くはお館様のお休みはありませぬな」
「何と!」
せっかく残業ばかりのサラリーマン生活から離れられたのに、暫くお休みなしとは……。
これじゃあ、何のために貴族になったのかわからないじゃないか。
貴族って、もっと優雅な時間があるんじゃないのか?
「第一、そんなに計画は遅れているか? 今までどれだけ前倒ししたと思っているんだ」
「お館様、こうは考えられませんか? 前倒ししても余裕がある。という事は、もっと前倒ししても大丈夫で、それこそが本来の計画どおりではないのかと。お館様の魔力はまだ成長しております。ですので、まだ大丈夫です」
ローデリヒが、自信満々の笑顔を俺に向けてきた。
というか、何でお前が自信満々なんだ。
実際に工事をするのは俺なんだぞ。
「でも、たまには王都で麺でも食べに行きたいかな。エリーゼ達も誘ってデートとかしたいし……」
「奥様達とは、お屋敷やバウルブルクの町で仲良くしていただきたく。『瞬間移動』の魔力もバカにならないですから」
「クソぉ! ベッティの兄のケツを蹴飛ばして、バウルブルクにもラーメン屋をオープンさせてやる!」
王都で二週間もなんちゃってコンサルティング業務を行ったツケで、俺は暫く領地の開発に専従する事になってしまった。
それでも、たまに食事で麺料理が出るようになったのはいい事だと思う。
工事に参加している作業者達にもたまに簡単な麺料理が出るようになり、彼らの中から故郷や居住地で麺料理の店を始める者も出てきて、次第に王国中で麺料理が更に普及していくのはまた別のお話であった。