第百三十三話 総司教選挙と血塗れキャンディーさん。
「元気そうな男の子でよかった。長生きはするものじゃな」
産まれた子供達の首が据わってくると、一目見ようと来客が増えてくる。
今日はホーエンハイム枢機卿が姿を見せ、フリードリヒを抱きながら笑みを浮かべている。
その笑顔からは、陛下からも妖怪扱いされているような人物には見えない。
教会のお偉いさんである公の顔と、ひ孫を可愛がる曽祖父としての顔は別というわけだ。
「エリーゼ、体調は大丈夫か?」
「はい、お爺様」
「それはよかった」
この世界には産婦人科がないから、産後に体調を崩す人が多い。
いわゆる、産後の肥立ちが悪いというやつである。
エリーゼの場合、ホーエンハイム枢機卿が治癒魔法を使える神官を派遣しており、エリーゼ自身も優れた治癒魔法の使い手なので心配ないはず。
それでも、ホーエンハイム枢機卿は自分の孫娘が心配だったようだ。
「元気そうな跡取りでよかった。フリードリヒはいい次代のバウマイスター伯爵になってくれそうだな」
もし産まれたのが女の子だったら、エリーゼに対し『次の子を早く!』という圧力が凄かったはず。
ホーエンハイム枢機卿も、可愛い孫娘へのそういう圧力がなくなってほっとしているようだ。
「他の子達も元気そうでよかった。みんな首が据わってきたようだし、そろそろ本洗礼でもするかの」
そういえばそんな行事があったなと、俺は思い出した。
この大陸では、子供が産まれると親が赤ん坊を教会に連れて行って洗礼を行うのだ。
うちの実家でも、マイスター殿が洗礼の儀式を担当している。
いきなり本洗礼なのは、俺がバウマイスター伯爵だからであろう。
「本洗礼の担当司祭はフリッツに、その補佐は、ザームエルに任せる予定だ」
フリッツとは、エリーゼのお父さんの名だ。
まだ枢機卿には任命されていないが、教会でもかなり偉い方の人である。
枢機卿は五十を超えないとまず任命されないので、エリーゼのお父さんの出世が遅れているわけではない。
教会とは、年寄りが多くて上が詰まっている組織なのだ。
軍人とは違って、歩けて説教ができれば通用する職業なのだから、引退する年齢がどうしても遅くなってしまう。
そして、ザームエルとはエリーゼのお兄さんの名であった。
次の次のホーエンハイム子爵家当主であり、教会の若手では偉い方の人である。
「お父様とお兄様がですか?」
「まあ、しょうがあるまいて」
下手な者に任せると、子供達の魔力の事が漏れやすいというわけか。
ホーエンハイム枢機卿の関係者で囲んでしまえば、その心配はないというわけだな。
「ですがお爺様。そのような事をすると、批判も多いのでは?」
ホーエンハイム枢機卿は、次の総司教を狙っている身だ。
ここで露骨な身内贔屓をすると、ライバルから非難されるのではないかとエリーゼが心配したようだ。
「別に構わぬよ。ひ孫達の安全には代えられぬ。それに、もうワシは総司教を目指さない事にした」
「お爺様、よろしいのですか?」
ホーエンハイム枢機卿の総司教就任は、ホーエンハイム子爵家の悲願だったはず。
それを彼自身が目指さないと宣言したので、エリーゼは驚きを隠せなかったようだ。
俺もちょっと意外だと思ってしまう。
「ワシも年だからな。それに現実的な問題として、ワシが総司教になると問題がある。婿殿の義祖父だからな」
俺の跡取り息子フリードリヒは、王家から嫁を迎える。
娘のアンナも、次の次の国王陛下の妻に決まった。
これで、ホーエンハイム枢機卿が総司教になれば……警戒されるというわけか……。
「我々のために申し訳ないです」
「気にするな。教会に入ると、みなが総司教の座を目指すのは当然。だが、実際に総司教を傍で見ておると、あまりなりたいとは思わないぞ」
まあ、確かに大変そうではあるよな。
常に人に見られているから、嫌な事があっても酒を飲んでくだを巻くわけにいかないのだから。
「それに婿殿、上に上がれば上がるほど理解するのだ。あそこに真の信仰などないとな」
それでも、人々に宗教は必要だから教会をなくすわけにもいかないか。
ホーエンハイム枢機卿は真の意味で宗教家かも。
色々と悟ってしまっているのだから。
「本洗礼の日時はあとで伝えよう。本洗礼は本部で行わないといけないからな」
ホーエンハイム枢機卿は、出産祝いを置いてその日は王都に戻った。
一週間ほどで本洗礼の日時が決まり、俺は奥さんと子供達を連れて『瞬間移動』で王都へと向かう。
赤ん坊はもう首が据わっているから、母親が抱いていれば問題なかった。
「バウマイスター伯爵様、エリーゼ様。お世継ぎ誕生、おめでとうございます」
ホーエンハイム子爵邸に『瞬間移動』で飛ぶと、すぐにセバスチャンが姿を見せた。
彼は、俺とエリーゼに子供が産まれた事へのお祝いを述べる。
「バウマイスター伯爵様とエリーゼ様が親となる。私も年を取るわけです」
「セバスチャンは、変わっていないように見えるけどな」
「これが寄る年波には勝てないようでして……私も年を取ったと思うのですよ」
そんなに変わったようには見えないけどな。
セバスチャンは、相変わらず執事の鑑のように見える。
「ささ、そっと教会に参りましょうか」
本洗礼は、あまりなるべく他の教会関係者に知られないように行う予定だ。
ホーエンハイム子爵邸から、セバスチャンが裏道などを使って案内してくれた。
「本洗礼なのに、関係者以外完全にシャットアウトなのか」
「色々と面倒がありますので」
他の教会関係者達がうちと縁を結ぼうと、しつこく迫ってくる可能性がある。
もし連中が優れた魔法使いを連れていると、子供達が全員魔力持ちである事がバレてしまうのだ。
本洗礼の見届け人は教会の有力者であるホーエンハイム枢機卿なので、非公開でもそれにケチをつける者はいない。
以上の理由で、本洗礼は完全非公開で行う事となった。
「総司教から苦情は来ないのかな?」
「それが、総司教様は今健康が優れないとか……」
「お年ですからね」
「就任した時から爺さんだものな」
エリーゼは高齢である総司教の健康を心配し、エルは年寄りだからいつ健康を害してもおかしくないという認識だ。
俺も、自分の結婚式の時から、総司教が大分ヨロヨロとしていたのを思い出した。
「あれ? 実は結構不穏な状態?」
「バウマイスター伯爵様、ご安心を。総司教様は、王都郊外の施薬院にてご静養中です。それに釣られて、多くの教会幹部の方々も郊外に集まっております」
セバスチャン、安心って……次期総司教を決めなければいけない可能性がある状態だから安心とはほど遠いような……。
「旦那様は次期総司教にはならないので、芽が出てきた方々が施薬院において大層嬉しそうに動き回っております。本洗礼を邪魔されないで好都合だと旦那様は仰っておりました」
『次期総司教には自分をよろしく』と、他に集まっている教会幹部達や投票権を持つ神官達に対して運動してまわっているんだろうなとは予想できる。
その隙を突いて、フリードリヒ達の本洗礼を済ませてしまおうという腹か。
「婿殿、こちらだ」
セバスチャンの案内で裏口から本部に入ると、いつもよりも人が少なかった。
本当に、静養中の総司教の下に集まっているようだ。
ホーエンハイム枢機卿の案内で聖堂に入るが、その中にもエリーゼのお父さんとお兄さんしか人がいない。
まさか、ここまで関係者以外をシャットアウトするとは思わなかった。
「ワシが見届け人で、セバスチャンが手伝いをすればいい」
本洗礼を行う時には、若い見習い司祭を儀式の補佐役として使う事が多い。
今日はその仕事をセバスチャンが行うようだ。
それにしても、さすがはセバスチャン。
儀式の補佐役までできるとは。
さすが、出来る執事はひと味違う。
「やはり孫は可愛いな」
「エリーゼ、可愛い甥じゃないか」
「フリッツ、ザームエル。急げよ」
「わかっていますとも、父上」
エリーゼのお父さんとお兄さんがフリードリヒを見ていると、ホーエンハイム枢機卿から急ぐようにと釘を刺されてしまった。
他の神官や幹部達に本洗礼を邪魔されたくないのであろう。
「では……」
本洗礼の儀式自体は、そこまで時間がかかるものでもない。
八人同時に行っても、三十分とかからなかった。
儀式が終われば、そのままホーエンハイム子爵邸に退避するだけだ。
「婿殿、少しつき合ってくれ」
俺はホーエンハイム枢機卿に誘われ、エリーゼ達を見送ってから今まで来た事がない本部内の建物に向かう。
中に入ると、そこには神官服を着た一人の老婦人がいた。
「今日は済まなかったな、エミリー」
「まさか、あなたが私に頼み事をするとはね」
「ひ孫達の本洗礼を成功させるためだ」
「密かに本洗礼を行うためでしょう?」
「婿殿、世間ではワシを妖怪だと言う輩が多いが、ワシの目の前にいる女の方が本物の妖怪だからな」
「あなたは、相変わらず女性に対してデリカシーの欠片もないのね」
姿格好からして、この老婦人は教会幹部だと思う。
ホーエンハイム枢機卿の態度からしても、相当に偉い人のはずだ。
「婿殿は、このようにとんと教会には疎くてな。協力はしてくれるのだが、信心は皆無なのじゃ」
「いいじゃない。バウマイスター伯爵殿の篤志によって、実際に多くの人が救われているのだから。口では立派な事を言っても、浄財をケチる貴族なんて珍しくないわよ」
うーーーん、この腹の探り合いのような会話。
俺は、とんでもない場所に案内されてしまったようだ。
「紹介が遅れてしまったが、この女性はエミリー・ケンプフェルト。ワシと同じく枢機卿をしておる」
「バウマイスター伯爵殿の噂はよく聞いておりますよ」
エミリーという女性は、ホーエンハイム枢機卿と同じくらいの年齢に見える。
それにしても、女性で枢機卿ってのは凄いな。
教会は女性神官も多いけど、幹部は男性ばかりだからな。
あくまでも、俺が今までに知り合った教会幹部についてだけど。
「女性の枢機卿は、たまに出るがそう数は多くない。実力と運がなければなれないからな。エミリーは両方を兼ね備えておる」
そんな人に、本洗礼で借りを作って大丈夫なのかな?
俺は少し心配になってしまう。
「それでだ。なぜ婿殿をここに連れて来たのかというと、フリードリヒ達の安全のためじゃ。協力してくれよ」
えっ?
何でフリードリヒ達の安全と関係があるんだ?
「簡単に事情を説明するとだな……」
ホーエンハイム枢機卿は、自分が総司教になると周囲から力を持ちすぎだと思われ、最悪排斥される可能性があるからと、総司教になる道を諦めた。
ところがそれを発表した途端、総司教が体調を崩してしまった。
すぐにも総司教を決める投票が行われるであろうが、最有力候補だったホーエンハイム枢機卿は既に立候補しないと宣言している。
今までは諦めていたような連中がこぞって立候補を表明し、総司教が静養している施薬院に集まってお見舞いに来た神官達に投票を依頼して大騒ぎになっているそうだ。
「まだ亡くなっていないのに……」
もし回復したら、選挙活動をしていた連中の立場が悪くなるような気がするんだけど……。
「それがだな、婿殿。総司教殿はもう意識もないらしい。いつ心臓を止めるのかという病状なのだ」
「その情報なら私も掴んでいるわ。高価な魔法薬で無理矢理心臓を動かしているけど、いつ投与を止めるかという状態のようね」
この二人、共に妖怪だと俺は思ってしまった。
施薬院になんていなくても、最新の情報を入手しているのだから。
「それと、フリードリヒ達の安全と何の関係があるのでしょうか?」
「彼らは、みんな泡沫候補なのよ。投票で誰かに決めても、総司教としての力には欠けるの。だから、その力を得ようとしてあなたの取り込みを図るでしょうね」
「俺は神官じゃないですけど……」
神官の手助けをしている暇はないけどな。
「あなた自身はね。その義祖父は総司教に一番近かった男で、妻は聖女と呼ばれる治癒魔法の使い手、エリーゼさんの地位は司祭でしかないけど、その名声はなかなかのものね」
ケンプフェルト枢機卿の説明で段々とわかってきた。
力のない総司教は、それを強めようと俺、エリーゼ、ホーエンハイム枢機卿に接近してくる。
縁を結ぼうと、婚姻攻勢を仕掛けてくる可能性があった。
それは王家と大物貴族達による囲い込みで難しいのだけど、色々と探られてフリードリヒ達の秘密が漏れると混乱が大きくなってしまうわけか。
「エクムント、あなたが立候補すればいいのよ」
ホーエンハイム枢機卿の名前って、エクムントだったのか。
今まで、お爺様、ホーエンハイム枢機卿としか呼ばれないから知らなかった。
それにしてもこの二人、お互いに名前で呼び合って、実は昔恋人同士だったとか?
「無茶を言うな、エミリー」
「これ以上は身の破滅か……仕方がないわね。それで、どうするの? ポーツァルに支持を集めるのかしら?」
「いや、エミリーが立候補してくれ」
「私? 私は無理よ」
ホーエンハイム枢機卿は、ケンプフェルト枢機卿に総司教選挙に出るようにと要請を行った。
「女性だと、総司教就任は難しいのですか?」
「そうね、枢機卿になるもの大変なのだから」
ケンプフェルト枢機卿によると、今までに女性で総司教になった人はいないようだ。
選挙に立候補する人は定期的にいるらしいが、最有力候補になった事すら一度もない。
あと、ポーツァルとはホーエンハイム枢機卿の派閥でナンバー2の地位にある人物であった。
「ポーツァルはまだ五十二歳で、枢機卿に任じられたばかりだ。それに、あいつは調整型の人間で、こういう状況だと力を発揮できないからな」
「私も同じようなタイプなのに」
「嘘をつくな、エミリー。お前は、歴代の女性枢機卿の中で一番力があるだろうが。ケンプフェルト商会の一族なのだから」
「ケンプフェルト……ああ、王国一の材木商の」
ケンプフェルト枢機卿は、王国で一番規模が大きい材木商の一族であった。
なるほど、ならば女性でも影響力は大きいか。
「回りくどい話はやめるぞ。ワシはエミリーを支持する。次の総司教をポーツァルに回せ」
「私もひ孫と遊ぶ時間がほしいから、五年だけやってあげるわ」
「……まあよかろう」
俺はなぜか、ホーエンハイム枢機卿とケンプフェルト枢機卿による権力談合を最初から最後まで聞かされる羽目になってしまうのであった。
「フリードリヒ、お爺ちゃんだぞぉ」
密談が終わってからホーエンハイム子爵邸に戻ると、エリーゼのお父さんがフリードリヒを嬉しそうに抱いていた。
やはり、孫は可愛いのであろう。
「ザームエル、エミリーが私用でこの屋敷に来るからな」
「私用って……そんなわけがないですよね?」
「何を言うか。ワシとエミリーは、仲のいい幼馴染ではないか。空いた時間に遊びに来るくらい普通であろうが」
先ほど別れたばかりなのに、あのばあさん、もう遊びに来るらしい。
勿論遊びのはずはなく、総司教選挙対策で生臭い話をしにだろうけど。
「ホーエンハイム枢機卿とケンプフェルト枢機卿が幼馴染?」
「はい、そうですよ。私も幼い頃にはエミリー様によく遊んでいただきましたから」
エリーゼの説明によると、二人は同じ年の幼馴染で子供の頃は毎日のように一緒に遊んでいた仲であった。
子爵家の跡取りと豪商一族の娘、一時は側室ながらもケンプフェルト枢機卿がホーエンハイム枢機卿に嫁ぐという話もあったそうだ。
「エミリー様は次女でしたので、それで構わないというお話だったのですが……」
彼女の姉が急死して、急遽婿を取らなければいけなかった。
そんな理由で二人は結婚しなかったというわけだ。
ケンプフェルト家には娘しかいなかったので、あのばあさんが継ぐしかなかったというわけだ。
「育児と商会の仕事に勤しむ傍ら、エミリー様は空いている時間に教会への奉仕活動を始めました」
最初はボランティアであったが、若くに婿入りした旦那が亡くなり、商会を継いだ息子達が一人立ちすると、本格的に神官として活動を始めたそうだ。
「四十をすぎてから教会に入り、二十五年で枢機卿になった女傑だからな。婿殿も要注意だ」
エリーゼのお父さんの言うとおりだ。
ホーエンハイム枢機卿が幼馴染なのに警戒するわけだ。
私的な友情と、教会幹部としての対応を分けているというわけか。
「父上とケンプフェルト枢機卿が男女の仲だと噂する者も多いな」
二人の気安い会話を聞いてしまうと、確かにそんな関係かもと思ってしまう。
その真相は、当事者同士にしかわからないであろうが。
「ふんっ、枯れたジジイとババアの間にくだらぬ噂を立ておってからに」
「あら、老いらくの恋ってのも物語としては成立するのよ」
「そういう事を言うと、また変な噂が広がるぞ」
「言わせておけばいいじゃないの」
そこに、セバスチャンの案内で噂のケンプフェルト枢機卿が姿を見せた。
今の彼女の服装は、大商家の奥さんに相応しい上品ないでたちだ。
神官服ではないのは、あくまでも私的にホーエンハイム枢機卿を訪ねた形式にしたいからであろう。
「エリーゼ、出産おめでとう」
「ありがとうございます、エミリー様」
「あの小さなエリーゼがお母さんとは、私も年を取ったわけね。それもそうよね、エクムントがもうお爺さんなんだから」
「お互い様だ。年の話はお互いに言わない方が幸せだぞ」
「それもそうね。早速、次代のバウマイスター伯爵であるフリードリヒ様を見せてもらおうかしら」
フリードリヒが寝ている部屋にケンプフェルト枢機卿を案内すると、彼女はすぐにフリードリヒを抱いた。
その様子はとても様になっている。
「子供、孫、ひ孫と慣れているから当たり前よ」
そういえばこの人、ちゃんと結婚して子供も産んでいるんだよな。
どんな旦那さんだったんだろう?
典型的なマス夫さんだったとか?
もしかして早死にしたのって……これ以上は考えるのを止めよう。
「この子は、いい跡継ぎ様になれるわね」
「そうであろう」
「いいわ、協力してあげる」
なるほど、協力には見返りが必要なのですね。
俺にでも容易に想像がついた。
「私のひ孫で、先月に生まれた娘がいるのよ。名前はシュテファーニエというのだけど」
「エミリー、わかっているとは思うが……」
「うちは商家で平民だから、その辺は弁えているわよ」
「というわけだ。婿殿」
産まれたばかりの娘が俺の妻になるわけがないから、フリードリヒの奥さんになるというわけだ。
というか、この子は俺よりも凄いな。
物心つく頃には、奥さんが何人になっているんだ?
それでも受けるしかないのか。
彼女以外の総司教が当選すると、うちにちょっかいをかけてくる可能性が高いから。
「お互いに利はあるのよ。うちは材木商だから」
バウマイスター伯爵領は未開地ばかりなので、木が沢山生えている。
そのおかげで、木材ってものをまったく輸入していなかった。
自分達で切り出してくればよかったからだ。
「開発が落ち着いたら、今度は材木を他領に輸出する計画くらいローデリヒさんは立てていて当然よね?」
「ええまあ……」
それは聞いている。
普通の木材もそうだが、特殊な種類の木などもだ。
他の領地だと樹齢が長い大きな木が不足している場所もある。
そこに高く売れるというわけだ。
「そろそろ、盗伐に注意しないと駄目よ。バウマイスター伯爵領へのアクセスがよくなってきたから、利益が出やすくなっているし」
盗伐についてはローデリヒも警戒していたが、それを防ぐノウハウがほぼ皆無なのが辛かった。
ただ木がある場所に警備兵を置ていたら、いくら金があっても足りないからだ。
「その辺のノウハウも提供するわ」
俺が無条件にフリードリヒの側室の件を受け入れるはずがないと、ケンプフェルト枢機卿ほどの女傑が気がつかないはずもないか。
「貴族が家の事を第一に思うように、平民の商人も家が大事なのよ。うちが破産すると、路頭に迷う人も多いのだから」
確かに、ケンプフェルト商会規模になると、そう大物貴族と変わらない人を雇っているだろうからな。
「贔屓目かもしれないけど、シュテファーニエは可愛くなると思うのよ。フリードリヒ様も気に入ると思うけど」
「はあ……」
ただ、それをまだ首が据わったばかりの乳飲み子であるフリードリヒに確認する術がなかった。
ちょっと席を外してローデリヒと相談したけど、彼はいい条件だから受け入れるしかないという。
これで、フリードリヒの婚約者は二人となった。
「フリードリヒ、お前は俺以上にモテモテだな」
「あーーー」
フリードリヒが、『まあな』と言ったような感じがした。
もしかすると、俺とは違ってモテ道を驀進してしまうのか?
そんな事を考えていたら、屋敷に数名の神官が飛び込んでくる。
「ホーエンハイム枢機卿、ケンプフェルト枢機卿。総司教様が天へと旅立たれました」
「そうか」
「始まるわね」
何が始まるのか?
察しのいい人ならすぐにわかると思うが、次期総司教を巡る選挙が始まるというわけだ。
そして、間違いなく俺も巻き込まれるのだと思うと、なるべく早く終わってほしいと願うのみであった。
「カタリーナ、総司教の葬儀に一緒に行こうぜ」
「私、ちょっとお時間の都合が……」
「カタリーナは貴族じゃないか。ここは是非に参加しないと」
「私は零細貴族ですし、この場合はヴェンデリンさんだけが参加なされた方がよろしいですわよ」
本洗礼が終わってから一週間後、亡くなった総司教の葬儀が王都で行われる事となった。
葬儀にカタリーナも誘ったのだが、なぜか断られてしまう。
「貴族なら、ここは出ておこうよ」
「私のような零細貴族が、本部で礼拝などおこがましいですわ」
カタリーナめ。
貴族関連の行事なら喜んで出るのに、教会関連の行事だから面倒だと思ったな。
実は、カタリーナのような貴族は多い。
王都在住の貴族だと小身の者でも出席するけど、地方の貴族は総司教なんて雲の上の存在だから嫌がるのだ。
地方で活動している神官達も、よほど地位が上でないと出席はしない。
バウマイスター騎士爵領にいるマイスター殿も、教会で独自に祈りを捧げるそうだ。
交通費と距離的な関係で、来られない人が多いというわけだ。
「エリーゼの他で、誰かついてくる人いないかな?」
見事に誰も手を挙げなかった。
あきらかに、堅苦しいから行きたくないというオーラが漂っている。
「私、身分が低いから」
「ボクも」
「エリーゼ様、フリードリヒの面倒は任せて」
イーナ、ルイーゼ、ヴィルマは速攻で辞退した。
カタリーナも同様だ。
「ヴェンデリン、妾が行くと色々と面倒じゃぞ」
「それはそうだけど……それで本音は?」
「教会の連中が面倒なのは帝国でも同じじゃ。それとつき合わなくてもいい身分になったのに、何を好き好んで総司教の葬儀などと面倒なものに出ないといけないのか」
「ですよねぇ……」
テレーゼ、俺も出たくないんだけど。
「あたいは粗相をするかもしれないから遠慮しておくよ」
「私も教会は苦手でして……」
カチヤとリサにも断られてしまったか。
冒険者って一部の信心深い人を除くと、教会は治癒のお礼を支払う場所くらいの感覚しかない人が多いのだ。
たまにミサに出る人でも、総司教の葬儀に出るのは嫌な人が多いと思う。
「天国へと旅立つ総司教様を見送るだけの儀式なのですが……」
エリーゼは基本的に善人だから、純粋に亡くなった総司教に祈りを捧げたくて葬儀に出たいのであろう。
俺達の結婚式で神父役をしてくれたから、不義理はできないという理由もある。
「エリーゼ。そうは言うけど、参列者が凄いから気後れする人は多いのよ」
王族も来るからなぁ……。
俺も心情的にはそっちの人間だから、できれば参加したくない。
まあ、途中でブライヒレーダー辺境伯を拾っていかないと駄目だから不可能なんだけど。
「護衛役の俺は参加せざるを得ない。緊張するなぁ……」
愚痴ってばかりいても仕方がないので、フリードリヒの世話をイーナ達に任せて出かける事にする。
メンバーは、俺、エル、エリーゼの三名のみ。
途中で、ブライヒレーダー辺境伯とブランタークさんを拾っていく予定だ。
「よう、伯爵様」
ブライヒレーダー辺境伯とブランタークさんは、今日は正式な礼服姿だ。
魔法使いはローブ姿で葬儀に出てもいいのだが、教会の総司教ともなると話は別だ。
だから当然、俺とエルも礼服を着用している。
そうする事によって、他の人に対してよりも弔意を表すわけだ。
エリーゼも、普段は着ない黒い神官服を着ていた。
いつもと違ってシックな感じでよく似合っているが、それを口にすると不謹慎だと言われそうなのでエリーゼには言っていない。
「面倒だよな」
「ブランターク、それを本部内で言わないでくださいね」
「当然ですよ」
「私も面倒だとは思っているのですから」
亡くなった総司教を悼む気持ちがないわけでもないけど、この人の葬儀で王国中が振り回されている。
王様の葬儀なら理解できるが、総司教の葬儀はなぁ……でも、影響力を考えると無視もできないし。
この辺が、大半の大貴族の心情なのだと思う。
「バウマイスター伯爵がいて幸いでした。早めに王都に向かわないで済んで」
魔導飛行船を使っても、移動で数日無駄にしてしまう。
領地の統治や寄子達への対応で忙しいブライヒレーダー辺境伯からすると、無駄な時間に感じられてしまうのであろう。
「若い方が亡くなると葬儀も悲しくなりますが、総司教は……いくつでしたっけ? ブランターク」
「確か八十半ばくらいかと」
「最近の総司教は、本当に死ぬまで辞めませんね」
「辞められるのですか?」
「ええ、本人にその気があればですけど」
ああ、そうか。
ケンプフェルト枢機卿が、五年だけ総司教をやるって言ってたものな。
総司教が生きたまま引退すると、上皇という名誉職が与えられて年金も出るそうだ。
ところが、年金の額よりも総司教の給金の方が高いからなかなか辞めない傾向にあった。
本人が辞めたがっても、家族が押し留めるケースも多い。
そのせいで、近年では総司教に就任する年齢が上昇するばかりなのだそうだ。
「昔は、数年で潔く辞めてしまう人が多かったそうですよ。結構大変なお仕事ですからね。年を取っても地位に汲々とする。嫌なお話です」
その辺も、教会関係者が微妙な評価を受ける原因になっていた。
敬うし寄付も出すけど、あまり深入りしたくない。
という信者を増やす原因になっていたのだ。
「次の総司教は……ホーエンハイム枢機卿が出馬しないと聞いたので本命はなしですね。バウマイスター伯爵は何か聞いていますか?」
「はい」
ホーエンハイム枢機卿が、ケンプフェルト枢機卿の支持に回る。
この件は話してもいいと言われていたので、俺はブライヒレーダー辺境伯に事情を説明した。
「なるほど。やはりホーエンハイム枢機卿は侮りがたいですね」
「初の女性総司教誕生の生みの親ですか」
「それを話題にする方は多いでしょうけど、肝心なのはそこではないですよ」
自分が総司教になると、力を持ちすぎだと周囲から非難される可能性がある。
そこで、一旦ケンプフェルト枢機卿の支持に回る。
ケンプフェルト枢機卿はホーエンハイム枢機卿ほど支持基盤が強くないから、円滑に総司教をしたかったらホーエンハイム枢機卿に頼らないといけない。
本人は繋ぎでしか引き受けないからそれに不満もなく、彼女の次はまだ五十代と若い腹心のポーツァルが総司教になる。
総司教にはならないけど、二代に渡って総司教に強い影響力を持つわけか。
教会の裏の権力者と思われるのだろうな。
本人の最大の目的は、教会がバウマイスター伯爵家に必要以上に介入しないようにするためだけど。
「別にそれで纏まれば私としては文句ありませんけどね。どうせ、投票権もないですし」
名誉司祭には、総司教を決める選挙への投票権がなかった。
これは、それを認めると教会に対して貴族と王家の影響力が強まってしまうからという理由による。
平民でも出世できるという教会の不文律を侵す事になるというわけだ。
とはいっても、やはり貴族出身の幹部は多いのだけど。
「エリーゼさんには投票権がありますよね?」
「はい」
エリーゼは司祭なので、総司教選挙に投票権があった。
いつの間にか、助司祭から出世していたようだ。
ちなみに、彼女では総司教選挙に立候補はできない。
教会に二十名しかいない枢機卿しか立候補できないからだ。
「選挙の方も大変そうですね……と、そろそろ時間ですか」
そろそろ葬儀の時間なので、俺達は『瞬間移動』で王都へと飛んだ。
本部前には一般市民、小身の貴族用に弔問スペースがあり、そこで手伝いの神官が花や香典を受けつけている。
「(ヴェル、凄い大金だな)」
「(エル、しぃーーー!)」
俺は慌ててエルの口を塞いだ。
名誉司祭でもあるバウマイスター伯爵が、香典で銀貨を持ってくるわけにはいかない。
本部での葬儀に参加できる者も、それなりの額を包まないといけないので、金がかかると愚痴を溢す貴族は多いのだ。
「(葬儀で黒字だったりして)」
「(黒字ですよ)」
「(えっ! 本当ですか?)」
エルは、ブライヒレーダー辺境伯から真実を聞いて驚きを隠せなかった。
「葬儀では黒字でも、亡くなられた総司教の銅像とか、説話集の作成と販売……これは無料みたいな値段なので赤字です。モミュメントの作製と設置、ステンドグラスの製造をして、新しい教会に設置したりするので、まあトントンですかね」
総司教の死は、教会にとっては一大イベントというわけか。
あとは、職人や工房に仕事を回す経済政策でもあるわけだ。
「バウマイスター伯爵、そろそろ中に入りましょうか?」
「そうですね」
葬儀会場である本部聖堂内に入れる者は少ない。
教会の幹部、王族とその家族、大貴族とその家族。
これだけで、ほぼ聖堂は埋まってしまうからだ。
俺はバウマイスター伯爵だから、ブライヒレーダー辺境伯も同じ理由、ブランタークさんは高名な魔法使いで、エリーゼは有名人だしホーエンハイム枢機卿の孫娘なので聖堂に入れる。
だが、入れるからといって幸せというわけでもない。
「(香典が高い……)」
聖堂に入れる者が出す香典の相場、伯爵で十万セントである。
日本円にして一千万円の香典。
ローデリヒが言うには、その額が相場だそうだ。
ブライヒレーダー辺境伯など、二十万セントを包んでいる。
陛下や王太子殿下はもっと多く、なるほど葬儀で大幅な黒字になるわけだ。
聖堂に入れない信者の香典も合算すれば相当な額になる。
大商人などは多めに出すのが普通で、口の悪い者は総司教の葬儀を行うと儲かるから総司教を死ぬまでやらせるのだと批判する者もいた。
俺はホーエンハイム枢機卿の手前、あまり批判できないけど。
時間になると葬儀が始まるが、この辺はまあ想定の範囲内だ。
ただ、ホーエンハイム枢機卿以下、全枢機卿が説話を始めるので非常に退屈で眠くなってくる。
ここで寝ると大顰蹙なので、寝ないようにするのが大変だ。
「……っ!」
「(エル、寝るな!)」
早速エルが居眠りを始めたので、俺は慌ててひじ打ちを入れて起こす。
「(護衛役の俺は聖堂の前まででいいじゃないか!)」
「(エルも巻き添えだ)」
「(ひでえ!)」
長かった説話が終わると、総司教の棺に順番に花などを入れていく。
他にも生前に使っていた品や、好きな食べ物なども入っていた。
何と言うか、日本の葬式を思い出す。
「(いい年をした爺さんの好物がクッキーって……)」
エルはそう言うが、神官はあまり人様の前で肉を貪り食ったり酒を飲んだりできない。
できなくもないが顰蹙を買うので、出世できるような神官はちゃんと弁えている。
そのせいで、制限がない甘い物が好きな神官は多かった。
実は、棺に好物の肉や酒を入れると問題になるので、遺族が甘い物しか入れないという人もいるそうだが。
「(俺の棺の中には、酒だけ入れてほしいな)」
「(ブランタークさんなら、そう言うと思いましたよ……)」
「(死んでまで人様に気を使って、坊主ってのは大変だよな)」
葬儀が終わると棺が聖堂の外に運び出され、そのまま火葬場へと運ばれた。
近年王都では、墓場不足と、遺体がアンデッド化しないようにという理由で火葬が推奨されていた。
田舎だと土葬の地域も多かったが、王都とその周辺は次第に火葬が増えているそうだ。
「(総司教だから土葬かと思った)」
「(大昔に死んだ総司教の遺体がゾンビになった事があってな。風聞が悪いから、火葬してしまう事になったんだよ)」
「(よくご存じですね)」
「(その総司教のゾンビを焼き払ったのは俺だから)」
極秘の任務っぽいけど、ブランタークさんも過去に色々とやっているな。
「(焼いても、スケルトンになったりして)」
「(そうならないように、高温の魔法で焼くのさ)」
「(へえ誰がって……導師?)」
総司教の棺を火葬する役は、何とあの導師であった。
火葬場には木で組まれた祭壇があり、その上に棺が乗っている。
祭壇ごと棺を魔法で焼き払うわけだ。
「(大丈夫ですかね?)」
というか、総司教の葬儀なのに意外と適当というか……。
「では! 必殺のバースト・ライジング!」
「……」
「なぜ必殺なのか?」
ブランタークさんのみならず、誰もがそう思ったはずだ。
別にそんな掛け声をかけなくても、普通に火葬できそうなものなのだが……。
「火力が大きすぎるような気も……」
もう一つ、火力が大きすぎだと思う。
火葬なのだから、少しは骨を残さないといけないのに……。
俺の心配は当たり、火葬は速やかに終了したが、焼け跡には碌に骨が残っておらず、若い神官達が懸命にわずかな骨を探す羽目になっていた。
あんまりな結果だが参列者は笑うわけにもいかず、総司教の葬儀はおかしな終わり方をしてしまうのであった。
「導師、やりすぎ」
「必殺のって、総司教はもう亡くなっていますけど」
「バウマイスター伯爵、その指摘はいかがなものかと……」
葬儀終了後、俺達は導師と合流して近くの喫茶店でお茶を飲んでいた。
よく見ると、同じく葬儀に参加していた者達もちらほらと見える。
みんな、堅苦しい葬儀が終わって気を和らげているようだ。
「そんな席で、必殺のと言えてしまう導師が凄いですね」
「遺体を火葬するだけなのだから、他の魔法使いを呼べばよかったのである! それを王宮筆頭魔導師だからという理由で某を呼ぶからである!」
あれは、意趣返しだったのか。
というか、よく教会に喧嘩を売れるよな。
導師だからこそできる行為だと俺は思ってしまった。
「葬儀が終わったので、次の総司教を決める選挙ですね」
「選挙で選ぶのですね」
「昔は密室で決めていたらしいですけどね」
その方法だと王族や貴族の総司教ばかり出るので、信徒達の不満が溜まってしまったそうだ。
ちょうどその頃に腐敗したカソリックに対抗すべくプロテスタントができた時期であったりしたため、多数いる平民階層の神官や信徒達の不満を逸らすべく、投票によって総司教を決めるようになった。
「選挙になって、ようやく貴族と平民で半々くらいの比率になったそうですよ」
ただ、平民出身の総司教も実家が金持ちだったりとかするのであまり変わらないという意見も多いそうだ。
それでも、以前よりはマシだと信徒達からは思われているらしい。
「投票権がある司祭以上の階級にある人間の七割が平民出身者です。彼らの支持をいかに取り込むかが総司教に選ばれるポイントだそうですよ。私は投票権がないですけどね」
大金を叩いて名誉司祭になっている貴族や大商人には投票権がなかった。
つまり、俺にもないわけだ。
「導師もないですよね? 投票権」
「いや、あるのである!」
そういえばそうだった。
導師は聖魔法が使えるから、司祭に命じられていたのだ。
それにしても、こんな信仰心の欠片もない人を……せめて名誉司祭にできなかったのだろうか?
「誰に入れますか?」
「候補者がさっぱりわからないのである」
「導師、それを自慢げに言うなよ……」
一応、王宮筆頭魔導師なんだからさと、ブランタークさんが導師に釘を刺した。
「世の中には、もっと気にしなければいけない事が沢山あるのである! エリーゼにでも聞いて、適当に投票するのである」
導師、さすがに適当はまずいと思いますよ。
「投票の日、エリーゼと二人だけでは寂しいのである! バウマイスター伯爵、つき合うのである!」
「(なんでだよぉーーー!)」
断るのも勇気がいるため、俺も仕方なしに投票について行く事になるのであった。
「今日が投票日? それにしては準備が……」
「あなた、今日は違いますよ。立候補締め切りと、立候補したと名乗りをあげるための日です」
総司教の葬儀から三日後、俺とエリーゼは再び教会本部に向かう。
今日は、総司教選挙に立候補する人物が、本部中庭で名乗りを挙げるのだそうだ。
なぜ中庭なのかというと、その中庭が昔の聖堂の跡地だからで、そこの地下に教会を建設した始祖が眠っているのだという。
本当に眠っているのかは、俺にはわからなかったけど。
「始祖様に、自分が総司教に立候補すると宣言するのです」
中庭での宣言は、投票権がある全員が聞けるわけではない。
詳細はすぐに纏められ、王国中の司祭以上の者に伝えられる。
王都まで投票に来れない人は、投票用紙に記載して運んでもらうそうだ。
そんな事が可能っていう時点で、教会は大きな力を持っているんだよな。
いわば、宗教世界の王様を選ぶ選挙というわけだ。
「導師は来ないよなぁ……」
「はい……」
今朝、エリーゼに候補者を聞いておいてくれと、導師から魔導携帯通信機で連絡があった。
投票も、エリーゼがよさそうだと思う候補でいいそうだ。
というか教会、なぜ導師に投票権なんて与えたんだ?
「実質、エリーゼが二票持っているようなものだな」
「二票でも大した影響力はありませんけど……」
投票権がある者だけで三千名以上もいるので、確かに微々たるものか。
「ホーエンハイム枢機卿から、ケンプフェルト枢機卿が出馬するのは聞いているから、問題は他の候補者だな」
「お爺様が出馬せずにエミリー様を推薦しているので、ほぼエミリー様で決まりだと思います」
ホーエンハイム枢機卿の派閥に属する人達は、ほぼ全員ケンプフェルト枢機卿に投票するだろうからな。
「私も、エミリー様に投票しようと思います。エミリー様は、奉仕活動に熱心ですから」
大商家の実質的なオーナーであるケンプフェルト枢機卿は、今の教会で一番奉仕活動に熱心な人物なのだそうだ。
同業者達から寄付を集めるのも上手で、その中からいくらかを自分のポケットに……などという事にも無縁、これはケンプフェルト枢機卿が大金持ちだからだろうけど。
わざわざ小銭を着服して、自分の評判を落とすような真似はしないであろう。
孤児を教育して、自分の商会に職を用意したりもしている。
ケンプフェルト商会の幹部には、孤児出身者も多いそうだ。
すべて商売で儲けるためにやっているのだが、それで実際に救われている人も多いわけで、ケンプフェルト枢機卿は庶民には人気がある枢機卿であった。
ちなみにホーエンハイム枢機卿は、陛下からも妖怪扱いされているせいであまり人気はない。
俺に言わせると、ケンプフェルト枢機卿の方がよほど曲者のような気もするが……。
「予想よりも出馬した人が少なく、お爺様は対策で大忙しのようです」
支持基盤が薄い立候補者が複数出て得票が分散し、ホーエンハイム枢機卿とその派閥の支持するケンプフェルト枢機卿の当選を阻むというわけか。
あれ?
でも、ホーエンハイム枢機卿の派閥は最大派閥だったはず。
当選できないという事はないような……。
「当選できなくても、立候補をする人は多いのです」
「自分の力を誇示するためか」
「はい」
得票率二割で当選できなかったとしても、その立候補者は二割の力を持っている事になる。
総司教が交替すると、色々な役職も交替になる。
当選した新しい総司教は、自分のライバルの派閥にも一定の配慮しなければいけないわけだ。
それを聞くと、やはり宗教というものは好きになれない。
「新しい総司教の得票数が少ないと、指導力が弱いと見られます」
帝国の皇帝を決める選挙と違って、そうそう全国から投票用紙を集められない。
過半数に達しないとやり直しというルールがなく、過去には得票率が三割くらいでも当選してしまう総司教がいた。
当然そういう人は力がないので、ホーエンハイム枢機卿はケンプフェルト枢機卿のために得票数を少しでも増やそうと活動しているようだ。
なるほど、そこに信仰はないと、ホーエンハイム枢機卿の言ったとおりだな。
「候補者は四名か……」
ケンプフェルト枢機卿は勿論、他はラングヤール枢機卿、ブュヒャー枢機卿、ゾルガー枢機卿という顔ぶれだ。
ラングヤール枢機卿は七十五歳、傍流ながら王族の出だそうだ。
教会建築の仕事に長年携わってきたので、建設を行う商会、教会内の装飾品、ステンドグラスを作る工房に顔が利く。
日本の政治家でいうと建設族か……。
ブュヒャー枢機卿は七十三歳、彼も貴族の出だ。
聖書を含む書籍を印刷、販売する仕事に長年関わってきた。
書籍の校正、印刷、製本を行う工房、書店にも顔が利くから文教族か。
ゾルガー枢機卿は聖堂騎士団のトップなので、あまり神官には見えなかった。
筋肉で神官服がピチピチなのだ。
彼は平民の出で六十八歳、候補者の中で一番の若手だ。
六十八を若手と呼べてしまうのが教会という場所であった。
彼は聖堂騎士団に装備を卸す工房に顔が利く、防衛族というわけだ。
「(何か、○民党の総裁選みたい……)」
選挙という民主的な手段で総司教を決めるはずなのに、どこか生臭いんだよなぁ……。
立候補宣言を聞いた足で、俺とエリーゼはホーエンハイム子爵邸へと寄った。
今日は、ありがたい事にパーティーに招待してくれるそうだ。
ご馳走が一杯食べられて嬉しいなぁ……って、そんなわけあるか!
主催はケンプフェルト枢機卿で、ホーエンハイム枢機卿が共催という怪しさ満点のパーティーだ。
一応会費制らしいが、その金額はわずか十セント。
神官が主催するパーティーなので酒は出ないが、ケンプフェルト商会がバックアップするのでいい料理が出てくるであろう。
会費は、孤児院の建設費用として全額寄付される予定になっている。
そういえば、まだ生きていると思う田舎のお爺さんが言ってたな。
昔は地元の政治家が安い会費で歌舞伎鑑賞とか、温泉旅行に連れて行ってくれたって。
あきらかにそれと同じだよなぁ……。
「すまないが、この席だけは顔を貸してくれ」
「はあ……」
俺に投票権はないが、ホーエンハイム枢機卿の義孫だからパーティーに顔を出す事に意義があるのであろう。
ホーエンハイム枢機卿は、全力でケンプフェルト枢機卿を支援すると周囲に表明するわけだ。
「初めまして、バウマイスター伯爵です」
「妻のエリーゼです」
俺とエリーゼは、ホーエンハイム枢機卿についてパーティー参加者に挨拶をしていく。
とてつもなく面倒だが、これもフリードリヒ達の未来のためだ。
子供達よ。
お父さんは、お母さんと共に頑張っているぞ。
「ホーエンハイム枢機卿、バウマイスター伯爵、聖女様の支持か……ケンプフェルト枢機卿の勝ちは固いかな?」
「あとは、残り三名の立候補者がどのくらい票を取れるかですな」
パーティーの参加者は、ちょくちょく出入りを繰り返している。
実は、他の候補者も似たようなパーティーを主催しており、掛け持ちをしている神官も多かった。
パーティーを開けない神官は立候補すらできないというわけだ。
「盛況だな、エミリー」
「支援者が素晴らしいからよ」
ホーエンハイム枢機卿と共にケンプフェルト枢機卿に挨拶に行くと、彼女の周囲には多くの女性神官達がいた。
投票権を持つ年嵩の司祭以上だけ……かと思ったら、俺達とさほど年齢が違わない少女達も沢山いる。
「可愛い娘達ばかりでしょう? バウマイスター伯爵」
「おい、エミリー」
即座にホーエンハイム枢機卿が、ケンプフェルト枢機卿に釘を刺した。
俺に若い女性を押しつけようとしている風に見えるからだ。
「そんなつもりはないわよ。あなたがバウマイスター伯爵に対するガードを固くしちゃうから、顔を見たいって娘が多いのよ。この娘達の親御さんも支持者だから」
「お前なぁ……」
そう言われてしまうと、ホーエンハイム枢機卿も反論できない。
実際に顔を合わせた結果、俺が彼女達を見初める事があってもそれは仕方がないよねという意図が見え隠れする。
ケンプフェルト枢機卿……相当に食えないばあさんだな。
「初めまして、リーファ・ケンプフェルトです」
しかも、何気にケンプフェルト枢機卿の孫娘が数名混じっていたりする。
ケンプフェルト商会ほどの大規模な商会になると、子弟を教会で手伝わせるのが普通だ。
大半が嫁入り修行も兼ねたお手伝い程度のものだが、子育てが終わると教会の活動に戻る女性も多い。
彼女達も、そんな人生設計を立てているのであろう。
「デムミン通りに新しいお菓子のお店ができたんですよ」
「へえ、どのようなお菓子なのでしょうか?」
「シュトロイゼルクーヘンの専門店なのですが、中に入っているフルーツがバウマイスター伯爵領産のフルーツなんです。他のシュトロイゼルクーヘンとは違う美味しさだって評判ですよ」
「それは知りませんでした」
同年代の女の子達と話す。
いまだにその手の経験値が貯まっていない俺であったが、話題が王都に新しくできたお菓子屋やレストランのお話なので助かった。
最近、バウマイスター伯爵領産のフルーツや魔物の肉を用いたお店の新規オープンが増えているそうだ。
女性は食べ歩きなどが好きである。
教会に手伝いに行っている時以外は普通の女の子という事もあり、この手の話題が豊富であった。
まあ、俺の好みがよく研究されているわけでもあるが……。
やっぱり、ケンプフェルト枢機卿は食えない婆さんだ。
「今度、一緒にいかがですか?」
「最近は忙しいので、機会がありましたら」
あくまでも社交辞令の範囲で了承の返事を出しておく。
まあどうせ、俺のスケジュールを管理するローデリヒが弾いて終わりだ。
楽しく話はしているけど、これはあくまでもケンプフェルト枢機卿の選挙支援の一環だ。
「ご苦労じゃったな、婿殿。おかげで、ケンプフェルト枢機卿の大勝利は確定した。まあ、相変わらずの食えない幼馴染じゃが……」
個人的には仲のいい幼馴染だが、教会内ではライバルでもあるというわけか。
隙あらば俺に女性を送り込もうとするあたりは、この二人、夫婦になったらお似合いだったかも。
「あなた、そろそろ戻りましょうか?」
「そうだな」
エリーゼはパーティー中は、俺の正妻として上手く振る舞っていた。
ケンプフェルト枢機卿が多くの女性神官を連れて来た時も、表面上は無難に対応している。
でも、さすがにいい気分がしないのは確かで、そのくらいは女性に疎い俺でもわかる。
そこで、戻る前に王都でデートをしていく事にした。
エリーゼも出産や子育てで大変なので、こういう時間を作った方がいい。
彼女は真面目なので、上手く息抜きをさせないと育児ノイローゼになるかもしれないからだ。
他の奥さん達も、たまに連れて来た方がいいかもしれない。
「このお店、ブランタークさんの知己が開店させたんだってさ」
「ブランタークさんのお知り合いといいますと、冒険者の方ですか?」
「みたいなんだよ」
女性を連れてのデートなので、向かったのは女性向けの洋品店であった。
最近オープンしたばかりだが、なかなかに好評だというブランタークさんからの話だ。
洋品店でブランタークさんの知己がオーナーだというから女性かと思ったら、男性らしい。
男性で冒険者で、洋服に興味があるというのも妙であったが、店内に入ってオーナーと顔を合わせたら納得できた。
「あら、いらっしゃい。ブランタークちゃんのお弟子さんで、竜殺しの英雄バウマイスター伯爵様ね。うーーーん、若くていい男」
「どうも……」
「……」
彼は、いわゆるオカマさんであった。
多分、ブランタークさんとそう年齢も違わないはずだ。
男性なのに、化粧をしてスカートとフリルのついたシルクのYシャツを着ているが、まったく女性には見えない。
導師ほどではないが筋肉質で、シャツの上からでも筋肉が凄いのはわかってしまう。
冒険者としても、相当に実力があったはずだ。
「バウマイスター伯爵様、私の事はキャンディーって呼んでね」
「はい……キャンディーさん……」
「……」
何とか気力を振り絞ってそう呼んでみたが、五十超えでマッチョなオカマキャラの迫力に俺は圧倒された。
俺は、前世でこういう人は見た事があるからまだいい。
会社の接待で、何度かオカマバーに行った事があるからだ。
お嬢様育ちであるエリーゼは見慣れないオカマに衝撃を受けたようで、言葉を発する事ができないようだ。
「私、こんな成りだけど、中身は乙女ちゃんなの」
乙女ちゃんて……久々に導師に匹敵するとんでもない人物が出現したようだ。
『乙女とか抜かすな! オカマ野郎!』とか言ったら、殴り殺されそうなイメージしか浮かばない。
「ブランタークさんとは、古い知り合いなのですか?」
「そうなの。ブランタークちゃんて、若い頃は可愛かったのよ。私も狙っていたんだけど、彼はノンケだからお友達にしかなってくれなかったの。あの人、女の子の扱いが上手だから私を翻弄してくれたのよ」
「……」
俺の隣にいるエリーゼは、半ば機能を停止していた。
同性愛は教会ではタブーであるし、キャンディーさん自体がこんなに濃いキャラをしている。
どう対応していいものか、頭が処理し切れていないのであろう。
「ブランタークさんとは、冒険者仲間だったのですか?」
「たまに、臨時でパーティを組んだりしてね」
さすがのブランタークさんとアルテリオさんも、この人と常時パーティを組む精神力はなかったみたいだな。
「キャンディーというのは、冒険者時代のニックネームみたいなものですか?」
「私の本名ってバルストなんだけど、似合わないから魂のネームがキャンディーなの」
魂って……見た目だけで言えば、凄く似合っている名前だけどな。
バルストって、格好いい名前だし。
「冒険者時代もキャンディーで通していて、現役時代の二つ名は『血塗れキャンディー』って言われてたわ」
血塗れって……このおっさんが怪我をするとは思えないから、魔物の返り血をよく浴びていたとか、そんな理由なんだろうな。
というか、この人魔力はないけど隙がないというか、尋常でない実力の持ち主だ。
「冒険者なのに、洋品店って珍しいですね」
「私、小さい頃からお洋服を縫うのが得意だったの。でも、小さい頃から実家が貧乏で、仕方なしに冒険者になったのよ」
冒険者として家族の生活を支え、ようやく引退して洋品店を開いたというわけか。
それにしても、そんなにゴツイ指でよく女性用の洋服が縫えるものだと感心してしまった。
「奥さんのお洋服ね。いいわ、似合うのを見繕ってあげる」
「お願いしようかな。エリーゼ、見てもらいなよ」
「はい……」
見た目が見た目なので、最初エリーゼはキャンディーさんをえらく警戒していた。
神官としても、オカマさんと仲良くするのはどうかという考えなのだと思う。
でも実際に服を見てもらっていると、すぐに仲良くなったようだ。
キャンディーさんは見た目はアレだけど、確かに乙女っぽくて物凄く女性受けがよかったのだ。
「もう少しで、この色が流行になってくるはずなの。エリーゼちゃんは髪の色が金髪だから、色が被る黄色系統の服はやめた方がいいけど、エンジ色やえんたん色系くらいまでならよく似合うわよ。青系統や緑系統だけに拘ると、レパートリーが減っちゃうものね」
「確かにそうです。あまり暗い色ばかりはよくないですよね」
「そうそう、若い娘は明るい色のお洋服を着た方がいいわ」
エリーゼが、一瞬俺を見ながらキャンディーさんとの話を続ける。
幼い頃から知り合いであったケンプフェルト枢機卿が俺に孫娘達を紹介した件で、不安を感じているのかもしれない。
いや、エリーゼさん。
これ以上嫁が増えるのは、本当に勘弁してほしいんです。
あのクソババアの思惑どおりにはなりませんので。
「エリーゼちゃんは綺麗だしスタイルもいいから、基本的には何を着ても似合うけど。お母さんになったから、教会のお仕事以外の時間はもう少しアダルティーにいきましょうよ。旦那さん、あなたに惚れ直すわよ」
「本当ですか?」
「エリーゼちゃんは、もっと自信を持たないと」
「そうですね」
「そうよ、そうよ」
前世でもそうだったけど、こういう業界にはオカマさんが多かったよな。
そしてこういう人は、中身が本物の女性よりも女性らしいから、女性のハートを掴むのが上手なのだ。
「あとは、こういう組み合わせもいいわね」
ぱっと店内を見た感じ、キャンディーさんのお店で売っている商品は貴族の令嬢にでも通用する品が多かった。
展示されている服の数が少ないのは、キャンディーさんが自ら縫製したか、気に入った品しか仕入れていないからだそうだ。
彼女は……このおっさんは、お客にコーディネイトのアドバイスをしながら、その客に似合う服を薦めるという商売を行っていた。
出てきたお茶とお菓子も美味しいし、商売はとても上手いと思う。
引退前は有名な冒険者だったから資金力が豊富なせいか、お客に無理矢理商品を勧めたりしない。
そのおかげで、いい常連客を掴んでいるようであった。
ガツガツ稼ぐ必要がないから、上品に商売ができるわけだ。
まあ……店主が筋肉質のオカマな点だけはどうにもならなかったが……。
「お勧めは、これとこれね」
「じゃあ、それをいただこうかな」
「あなた、ありがとうございます」
バウマイスター伯爵が奥さんと一緒に買い物に来て、買った物の代金を奥さんに支払わせるわけにはいかないし、お屋敷内で着る服だからそこまで高いわけでもない。
俺はキャンディーさんに服の代金を支払った。
「バウマイスター伯爵様って、太っ腹。他の奥さんもコーディネートしてあげるからまたいらしてね」
見た目はちょっとアレだけど、キャンディーさんは確かに中身は乙女なんだよなぁ……などと思っていたら、突然店の外から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「このクソアマ! 俺様の肩が外れたじゃねえか。治療費と慰謝料を払いやがれ!」
「そんな……先にぶつかってきたのは……」
「そんなのはどうでもいいんだよ! 俺の肩が外れちゃったの。わかるか?」
チンピラがざわと若い女性にぶつかり、因縁を吹っかけているようだ。
この通りは下級貴族街寄りだから、この手の輩が出るのは珍しかった。
もしかすると、兄貴分や親分に納める上納金が不足してこちらに出稼ぎに来たのかも。
「あなた」
「やれやれだな。町の美観を損ねやがって」
俺が顔を出せば、暴力的な手段を用いずともチンピラは逃げるはずだ。
そう思って店の外に出ようとすると、キャンディーさんの方が先に動いていた。
「バウマイスター伯爵様、私に任せて」
笑顔を浮かべながら俺にウィンクするキャンディーさんは、正直不気味だった。
彼は店の外に出ると、すぐにチンピラに絡まれていた女性の前に立つ。
「駄目よぉ、女性を怖がらせるような事をしちゃ」
キャンディーさんは、笑顔と優しい声でチンピラに手を引くようにとお願いした。
俺と同じく、暴力的な手段で排除するつもりはないようだ。
ところが、チンピラの方がまったく引く気配がない。
「何だぁ? オカマの癖に余計な口を出すんじゃねえよ! お前も俺に治療費と慰謝料を払うか?」
「治療費?」
「そうだよ! 俺様の肩が外れちまってよぉ! 早く医者に行かねえといけねえんだよ!」
チンピラは最初、ガタイのいいキャンディーさんに驚いたようだが、オカマ姿なのを見てすぐに舐めてかかるようになった。
「肩が外れているように見えないけど……」
「ほら、見てみろよ! 俺様の肩は外れているだろうが!」
チンピラは、外れていると自称している右肩をキャンディーさんの前に差し出した。
「そうかしら?」
目の前に肩を差し出されたキャンディーさんは、素早く触って確認する。
「外れてないわよ」
「外れてんだよ!」
「私、元冒険者でそういう怪我をした人を散々見ているからわかるけど、肩なんて外れていないわね。そういう事だから、あなたはお家にお帰りなさい」
「ありがとうございます」
キャンディーさんは、後ろに匿った女性を上手く逃がした。
チンピラに絡まれていた女性は、彼女? おっさんにお礼を述べてからその場を立ち去ってしまう。
「てめえ! 勝手に逃がしてんじゃねえよ!」
「だってぇ、肩なんて外れてないし」
体をウネウネしながら反論するキャンディーさんは、やはりちょっとキモかった。
とてもいい事をしているから、俺もエリーゼもキモいなんて思ってごめんなさいという気持ちになってしまう。
「外れてるって言ってんだろうが!」
「しつこいわね。肩が外れるってこういう状態を言うのよ」
しつこいチンピラに、遂にキャンディーさんはキレてしまったようだ。
あっという間に、チンピラの両肩を外してしまう。
やはり、キャンディーさんは冒険者としても凄腕のようだ。
いきなり両肩の関節を外されたチンピラは、両肩をダラっと下げてしまった。
「腕が動かねえ!」
チンピラは両腕を動かせなくなってしまい、その場で悲鳴をあげた。
「肩が完全に外れていたら、腕なんて動かせないもの」
「てめぇ! 元に戻せよ」
「いいわよ、はい」
チンピラから外した肩を元に戻せと言われたキャンディーさんは、やはり一瞬で外れた肩を継いでしまった。
キャンディーさんのガタイのよさで勘違いしてしまったが、この人はとてつもなく技巧派の冒険者でもあったはずだ。
「なに人の肩を勝手に外してんだ? おらぁ! てめぇの店をぶち壊すぞ!」
自分の思い通りにならないチンピラが、遂に口にしてはいけない事を言ってしまった。
冒険者をしながらお金を貯め、ようやく持つ事ができたお店を壊す。
などと言われたら、キャンディーさんがキレて当然であろう。
彼は一切の予備動作なしに、チンピラをネックハンギングで宙に浮かせた。
「おらぁーーー! 俺の店に手を出したら、お前の組織をその構成員ごとバラバラに引きちぎるぞ!」
「しゅいません……」
窒息死する前にチンピラはネックハンギングを外してもらえたが、突然豹変したキャンディーさんにトラウマを植え付けられたようで、目から涙が流れていた。
俺もエリーゼも、キャンディーさんの豹変ぶりに背筋が凍る思いだ。
「今度、この近辺で見かけたらバラすぞ!」
「すっ、すいませんでしたぁーーー!」
チンピラは脱兎の如く逃げ去ってしまう。
そしてキャンディーさんは、チンピラがいなくなったのを確認すると、俺とエリーゼにいつもの笑顔を向けた。
「やだ、私ったら。ちょっとお転婆しちゃった」
「「……」」
俺とエリーゼはお互い無言であったが、言いたい事は同じであった。
決して、キャンディーさんを怒らせてはいけないのだと。
「相変わらずだな、キャンディ―の奴は」
エリーゼの服を購入してから『瞬間移動』で屋敷に戻ると、ブライヒレーダー辺境伯のお使いでブランタークさんが来ていた。
本日のキャンディーさんの様子を教えると、納得の表情を浮かべている。
「あいつは、女性に優しいからな」
「そうですね」
彼女から洋服について親身になって相談してもらったエリーゼは、ブランタークさんの発言に頷く。
「冒険者時代からそうだったんだよ。女性冒険者ともなると、色々と大変な事も多い。キャンディーはよく面倒を見ていたんだ。裁縫はプロになるほど上手だし、接客も丁寧。料理も上手でな。あいつが女だったら、俺も結婚していたかもしれないな」
ブランタークさんの考えに、俺も納得した。
確かに見た目は凄いのだけど、中身は本当に乙女でいい人なんだよな。
怒らせると大変な事になるという事実も判明したけどね。
「その辺のチンピラなんて、キャンディーなら一秒とかからず殺せるからな。魔法使い以外なら最強かもしれん」
冒険者としても超一流で大成功を収め、第二の人生である洋品店も上手く経営している。
唯一侭ならないのが、自分が男性だという事か。
『性転換』の魔法はないからなぁ……。
「エリーゼ、その服、いつもとイメージが違っていいね」
「キャンディーさんに選んでもらったんですよ」
「へえ、キャンディーさんって人、センスいいんだね」
ルイーゼは、珍しく赤系統の服を着ているエリーゼが新鮮だと褒めていた。
改めて見ると、確かに大人の女性のイメージがしていいと思う。
「ヴェル、ボクもその内に連れて行ってね」
「その内?」
「ボクよりも、先に服を見てもらった方がいい人物がいるもの。ねえ、イーナちゃん、ヴィルマ」
三人の視線の先には、俺とエリーゼが買ってきたお土産のクッキーを食べるカチヤの姿があった。
「あたい?」
「カチヤは、自分で服を選ばなすぎ!」
「服なんて、着れて見苦しくなければいいじゃん」
程度の差はあるが、一流の女性冒険者にはこういう人が多い。
ついでにいうと、俺の前世もこんな感じだった。
ファッションとか言われても、何を着ていいのか迷ってしまうのだ。
結局、○ニクロとか○印良品とかの無難な服になってしまう。
仕事が忙しくてスーツ姿でいる時間も多かったからな。
「ある程度、自分で着る服を選べないとヴェル様が恥をかく」
「ヴィルマはどうなんだよ?」
「私は大丈夫」
ヴィルマは俺の奥さんになってから、エリーゼやテレーゼに教わって屋敷にいる時はちゃんとした服装をしている。
服の選択やコーディネートも悪くない。
ヴィルマは、俺達の中で一番環境適応能力に優れていた。
多分、平成日本に飛ばされてもすぐに順応してしまいそうだ。
「ヴィルマはちゃんとしているわよ。私も機能性だけで服を選んでいたりした時もあったけど、カチヤほど酷くないわ」
「ううっ……味方がいねぇ……」
イーナにも事実を指摘され、カチヤは一歩後ろに下がってしまう。
「姉御は……テレーゼとアマーリエが教えていたものなぁ……」
リサも、派手な衣装とメイクがないと男性と話せなかったので私服など皆無な状態であったが、テレーゼとアマーリエ義姉さんに教わって普通の服装をするようになった。
魔法使いとして仕事をする時も、あの派手な衣装とメイクは止めている。
「カチヤ、エリーゼが投票に行く時に服を見てもらえ」
「それがいいわね」
「拒否は許しません」
「わかったよ……」
テレーゼ、アマーリエ義姉さん、リサからも説得され、カチヤが最初にキャンディーさんのお店に行く事になるのであった。
「旦那、ここは教会の本部じゃん」
「先にエリーゼが投票を済ませてからだ」
今日は、総司教を決める投票の日だ。
あらかじめ地方からの票は集めてあるので、あとは王都やその近辺にいる司祭以上が清いかどうかはわからない一票を投じる。
どうせ自分が所属する派閥の決定に従って投票する者が多いから、民主的とは……それを言うと日本の選挙も選択肢が豊富ってわけでもなかったか。
俺は、自慢じゃないけど一度も選挙の投票に行った事がないけど。
貴重な休日を潰されて堪るかと思ったわけだ。
「バウマイスター伯爵、エリーゼ。今日は狩猟日和であるな」
教会本部の入り口で待ち合わせた導師は、投票に対しまるでやる気を見せていなかった。
仕方なく来てやったという顔をしている。
「エリーゼは誰に入れるのであるか?」
「ええとですね……」
「わかったのである! とっとと投票して、今日は狩りに行くのである!」
導師はエリーゼが投票する候補者の名前を聞くと、駆け足で投票所へと駆け込んだ。
「では、これにてなのである!」
素早く投票すると、『高速飛翔』で王都郊外へと飛んで行った。
出会ってからまだ五分と経っていない。
どうやら、心の底から選挙が面倒だったようだ。
「エリーゼ」
「はい、早く投票を済ませましょう」
嵐のように去って行った導師に唖然とし、その場で停止してしまった俺達であったが、気を取り直して投票のために教会本部へと入った。
「やあ、バウマイスター伯爵」
「あれ? ルックナー財務卿って投票権がありましたっけ?」
なぜか神官でもないルックナー財務卿が、投票所の前で声をかけてくる。
「いや、ワシに投票権はないんだが、ラングヤール枢機卿の父親に昔世話になってな……」
そんなわけで、最後のお願いに協力しているらしい。
というか、財務卿なのに応援に参加させられて大変だと俺は思ってしまった。
「バウマイスター伯爵には、投票を頼めないよなぁ……」
「その前に、俺には投票権はないですし」
俺はあくまでも、エリーゼの付き添いで来ているのだから。
「エリーゼは自分で最善だと思った人物に投票するでしょうし、俺は本当に付き添いだけですよ」
「そうだったな。まあ、どうせバウマイスター伯爵へ投票の依頼なんてできないがな」
ルックナー財務卿は、新しい投票者を見つけてラングヤール枢機卿への投票を依頼していた。
選挙の最後のお願いみたいである。
「よう! バウマイスター伯爵じゃねえか」
ルックナー財務卿と別れた直後、続けてエドガー軍務卿の姿も見つけた。
彼も特定の候補者の応援をしているようだ。
というか、現役の閣僚がそんな事をしていいのであろうか?
「せっかくの休みなのに、投票の応援で潰れてしまったぜ」
「ゾルガー枢機卿の応援ですか?」
「王国軍にいた頃に世話になった人でな……あとは、聖堂騎士団と王国軍との絡みもあるな」
軍と聖堂騎士団は別の組織だが、聖堂騎士団の中には一定数軍を退役した者が所属している。
軍事関連の情報……新しい武器や装備品、戦術、軍政関連の知識を得るため、聖堂騎士団が王国軍に幹部候補生を送り出すケースもある。
軍を退役した年寄りが、天下りで聖堂騎士団に臨時で雇用されるケースもあった。
人材交流があるので、エドガー軍務卿も気を使うというわけだ。
軍務卿として投票の応援をするのは問題のようで、わざわざお休みの日だと強調していた。
ルックナー財務卿も同じである。
「頼まれても、俺に投票権はありませんよ」
それに、エリーゼもゾルガー枢機卿には投票しないと思う。
「逆にゾルガー枢機卿に入れたら問題があるものな」
「何か、拍子抜けな応援ですね」
俺はエドガー軍務卿が、もっと強く投票を依頼するかと思った。
「投票権があるのはバウマイスター伯爵の奥方だし、ホーエンハイム枢機卿の孫なんだから、ゾルガー枢機卿に入れるわけにいかないのはわかっているんだよ」
ここで強引に、ゾルガー枢機卿に投票してくれと頼むと問題になるわけか。
ルックナー財務卿も同じような理由なんだろうな。
「どうせゾルガー枢機卿は選ばれないし。あとはどのくらい票を取れるかだが、ゾルガー枢機卿は頭もいいからな。大体の得票数は掴んでいるよ」
大体予想通りの票数を確保できそうなので、これなら聖堂騎士団の重鎮としてある程度の影響力を維持できそうだ。
ラングヤール枢機卿も、ブュヒャー枢機卿も最初から当選は狙っていない。
ホーエンハイム枢機卿がケンプフェルト枢機卿を支持した時点でそれはわかっているというわけだ。
「俺達もよぉ。貴族として、敬虔な信徒としてこうやって縁のある枢機卿の応援で顔を出さなきゃいけないわけだ。参加しないと、あとで面倒だからな」
渡世の義理というべきか、こうやって選挙応援に参加しましたからねとアピールしないといけないわけか。
結果はある程度わかっているが、応援に参加する事に意義があるわけだな。
会社の組合の選挙応援に似ているな。
顔も知らないおっさんに投票してくれ、立候補後の決起集会に出てくれと、本業でクソ忙しいのに参加したからな。
あれ、参加を拒否すると、社内で孤立するリスクが高いし。
俺も一応は出世したいとか思っていたから、組合関係の雑務を断るという選択肢はなかった。
ルックナー財務卿も、エドガー軍務卿も、貴重な休日をご苦労さんというわけだ。
俺は二人にちょっと同情してしまう。
「そろそろ行きますね」
「そうだな、俺はもう少しここにいないとな」
投票箱が置かれている本聖堂の中に入ると、ケンプフェルト枢機卿が自分の投票を行っていた。
彼女は様々な年代の女性神官を大量に引き連れ、彼女達の熱い声援を受けている。
ケンプフェルト枢機卿の選挙戦略は、史上初の女性総司教という触れ込みであった。
前世でもあったが、女性の支持が大きいというわけなのであろう。
支持者の前で投票するのは、これもテレビで見た事がある。
典型的な政治的パフォーマンスというわけだ。
「あら、エリーゼも投票なの」
「はい」
「清き一票をお願いね」
ケンプフェルト枢機卿は、やはり食えないばあさんだ。
エリーゼが自分に入れるのをわかっていて、清き一票をだなんて言えるのだから。
「投票が終わったら、お茶でもいかがかしら?」
「お忙しいのでは?」
「もうやる事はないわ。私も投票を済ませたから」
「では、少しだけ」
本当はこの後、カチヤを連れてキャンディーさんの店に行こうと思ったのだが、少し予定が変わってしまった。
断るのも失礼だし……などと思った俺が甘かったのかもしれない。
ケンプフェルト枢機卿は、本聖堂内にある会議室のような広い部屋に俺達を案内した。
そこは選挙事務所のような使い方をしている部屋のようだが、既にほとんどの仕事は終わったと、テーブルの上に大量のお菓子とティーセットが置かれていた。
そして……。
「すげえなぁ。若い女の子ばかり。これは素晴らしい」
「エル、嫁さんに言いつけるぞ」
「ヴェルこそって……嫁さん二人いるんだよな」
エルは、部屋にいた多くの若い娘さん達に鼻の下を伸ばしていた。
気持ちはわからなくもない。
綺麗どころばかり揃っているからだ。
ケンプフェルト枢機卿の選挙応援をしていた若い神官に、神官服は着ているがあまり神官ぽくない娘も多い。
多分、普段は教会にボランティアで来ている娘達だ。
ほとんど投票権を持っていないはずで、その目的は……。
「バウマイスター伯爵様に会ってみたいという娘が多くてね。ちょっとお時間を頂けるかしら」
「はあ……」
やはり、ケンプフェルト枢機卿は食えないばあさんだ。
俺を出汁に、この娘達の親に投票の依頼や選挙資金の援助などを頼んだのであろう。
ホーエンハイム枢機卿の手前、この娘達を強引に嫁に貰えとは言わないが、顔を合わせた結果、俺が彼女達を見初めても仕方がないよねという形にしているのだと思う。
「さあ、どうぞ」
この茶会は、投票権もない俺が主役のようだ。
真ん中の席に座らされ、周囲を神官服を着た若い女の子達に囲まれる。
気分はさながら、女の子を大量に指名したキャバクラのようであった。
「バウマイスター伯爵様、私はマルガレータ・テンツラーと申します。食料を扱うテンツラー商会が実家です」
「フリーダ・フォン・ロッシュです。ロッシュ騎士爵家の娘です」
次々と自己紹介されるが、数が多くてなかなか覚えきれない。
ケンプフェルト枢機卿が傍に置いて実家に支援を頼む娘達なので、下級貴族や商会の娘が多かった。
特に綺麗な娘の中には、一般庶民の娘も多い。
彼女達は、俺が気に入るかもしれないからというチョイスであろう。
「エルヴィンさんは、バウマイスター伯爵家でもいちにを争う重臣だとか?」
「いやあ、そんな事はないんですけどねぇ……」
どうやら、エルもターゲットのようだ。
彼も若い子達に囲まれて鼻の下を伸ばしている。
あとでハルカに知れたら、刀で斬り殺されるかも。
「お茶のお代わりをどうぞ」
「バウマイスター伯爵様、このクッキーは私の実家で大人気の品ですよ」
エルはとっくに、俺も若い女の子達に囲まれ、お茶を注いでもらったりしている内に段々と気分がよくなってきた。
あきらかにケンプフェルト枢機卿の罠なのだが、実際問題、この誘惑に抗うのは難しい。
女の子達とお茶を飲みながらお話しているだけ。
浮気じゃないと思ってしまうからだ。
「バウマイスター伯爵様、このタルトは美味しいですよ。食べさせてあげますね」
「さすがにそれは……」
「遠慮なさらずにどうぞ」
「じゃあ……」
周囲の空気に呑まれて少しくらいいいかと思ったその時、突然俺は殺気の籠った視線を二つ感じた。
慌ててその方向を見ると、そこには笑顔でお茶の入ったカップを持っているエリーゼとカチヤの姿がある。
二人は笑顔を崩していないが、俺にはその笑顔がとても怖く感じてしまった。
「ええと……子供じゃないから……このタルトは美味しいなぁ……野イチゴの酸味がちょうどいいアクセントで」
「エルヴィン様、今度時間があったら実家に遊びに来てくださいね」
「俺も護衛で忙しいから機会があればだけど」
「ありがとうございます」
俺はエリーゼとカチヤのおかげでこれ以上は崩れなかったが、エルは沢山の綺麗な女の子に囲まれて理性を失ったようだ。
何人かの女の子と連絡先を交換していた。
ケンプフェルト枢機卿の思惑どおりに動いてしまうとは……。
だが、家に帰ればハルカ達に何を言われるやら、それまでの楽しみだと、俺はお茶とお菓子を楽しむ事に集中するのであった。
「あのばあさん、かなり露骨だよな。旦那も鼻の下を伸ばしてさ」
「失敬な。俺は常に冷静だぞ」
「そうかな? 最初の頃はさも仕方がないみたいな顔をしながら、物凄く楽しそうだったぜ」
前世の接待で行ったキャバクラのようで楽しかったのは否定しないけど、エルのように鼻の下は伸ばしていないと思う。
「支援者対策であなたに会わせますという名目なので断れません。お爺様は、ケンプフェルト枢機卿様の支援を約束しているのですから」
ケンプフェルト枢機卿の罠で、楽しいお茶会は二時間ほどで終了した。
俺は誘惑になんて負けていない。
だって、エルみたいに何人かの女の子と連絡先の交換なんてしていないから。
「俺はヴェルの盾となるべく、わざと鼻の下を伸ばして連絡先の交換などをしつつ、向こうの期待を俺に引き寄せたのだ。これは、俺の策なんだ」
「嘘臭っ!」
エルの言い分を、カチヤはすぐさま否定した。
俺も、本能のままに楽しい時間を過ごしていた風にしか見えない。
「では、エルヴィンさんは連絡先を交換した紙を活用なさらないのですね?」
「これは……ローデリヒさんと相談してからだな。ほら、商会の娘さんが多いから、バウマイスター伯爵家との取引で有利になるかもしれないし……」
エリーゼに冷たく問われても、エルは連絡先を交換した紙は使い道があると言い張った。
色々と経験を積んだおかげで、上手い言い訳を考えられるようになったみたいだ。
「わかりました、ハルカさんにはそのように報告しておきます」
「なっ!」
ただし、やはりエリーゼの方が一枚上手であった。
「連絡先の件は、ちゃんとローデリヒさんに伝えてくださいね」
「ううっ……」
エルがエリーゼに言い含められて肩を落としたところで、俺達はキャンディーさんのお店に到着した。
「旦那、あたいは他のお店でも……」
「えっ? 何で?」
「カチヤさん、キャンディーさんのお店にはいい品が多いですよ」
なぜかカチヤが嫌がって俺とエリーゼが不思議に思ったのだが、その理由はすぐに判明した。
「あらぁ、カチヤちゃんじゃないの」
「やっぱり、覚えられていたぁーーー!」
「当たり前じゃないの。カチヤちゃん、素材はいいんだから」
「知り合いなんですか?」
「そうよ」
キャンディーさんによると、カチヤとの最初の出会いは彼女が駆け出しの冒険者だった頃だそうだ。
「カチヤちゃんは可愛いのに、お洋服に全然興味を持たないんだもの。私、注意したのよ」
「冒険者としての注意なら受けるけど、服はいいじゃないか。別に変な格好とかしてないし」
ああ、カチヤは俺によく似ているな。
前世の俺は、本当に服に興味がなかったからな。
サラリーマンになったのも、スーツを着ていれば様になるからだ。
カチヤも、冒険者としての装備をちゃんと整えれば、プライベートなんて見苦しくなければいい程度の認識なんだ。
それを、せっかく可愛いのだからとキャンディーさんが注意した。
高名な冒険者が新人の自分に声をかけたと思ったら、もう少し可愛い服を着ろでは、カチヤも混乱したかもしれない。
「こういう娘が多いから、私はお洋服屋さんになったのよ」
「あんた、まだ全然冒険者として衰えていないじゃないか! 冒険者を続けろよ! 業界の大損失だぞ!」
カチヤは、キャンディーさんの引退は冒険者業界にとっての損失だと言い切った。
やっぱり凄い人だったみたいだ。
「えーーーっ、私、こっちのお仕事の方が性に合ってるしぃ。冒険者って、私お転婆になりすぎちゃうから嫌なの」
先日のチンピラへの態度を見れば一目瞭然だ。
二つ名持ちの凄腕で、その二つ名が『血塗れキャンディー』だものな。
見た目どおり、パワータイプの前衛で戦士、スピードも悪くないから、魔物にとっては災難だったと思う。
血塗れという二つ名があるにしては体に傷がないから、血塗れなのは魔物の血で塗れていたって事だ。
「……」
「どうした? エル。急に静かになって」
「何なの? このおっさん」
気持ちはわかる。
初見だと、どう接していいかわからないものな。
「あらぁ、この子、逞しくて私の好みよ。年を取ると、ブランタークちゃんみたいになりそう」
「俺?」
エル、お前は本当に色物によく好かれるな。
瑕疵物件にいたバアさんの幽霊とか。
「私、男性用のお洋服も作れるのよ。ちょっと試着してみましょう」
「いえ……俺は、今日はお館様の護衛で……」
「あらぁ、奥ゆかしいのも私の好み」
「ですから、俺は……」
「試着させてあげる」
「俺は仕事でぇーーー!」
エルは、キャンディーさんによって強引に店の奥に連れ込まれて行った。
当然エルは抵抗したが、パワーでも、冒険者としての力量でも敵うはずがない。
抵抗も空しく、キャンディーさんによって引きずられていく。
「エルの抵抗を子供のようにあしらうとか……」
世の中には、凄い人が一杯いるなと俺は思った。
「脱がせてあげる」
「自分でできますから!」
「奥ゆかしくて可愛いわね。あらぁ、ちゃんと鍛えてあってとても素敵」
「「「……」」」
店の奥でエルが大変な事になっているが、俺もエリーゼもカチヤも止める気が起きなかった。
キャンディーさんによって、必ず阻止されてしまうような気がしたからだ。
「ヴェル、恨むぞ……」
「似合っているじゃないか」
ちょっと前までキャバクラ状態で天国だったのに、キャンディーさんに気に入られて地獄に突入か……。
世の中ってのは、、ちゃんとバランスよくできているようだ。
「でも、本当に似合っていますね」
「エルヴィン、少し大人っぽく見えるな」
見た目はアレだけど、キャンディーさんのセンスは凄いと思う。
一見シンプルに見えるけど、上質の素材を用いた服のおかげでエルが大人になったような雰囲気を感じたからだ。
「エルヴィンちゃんはバウマイスター伯爵様の家臣なんだから、このくらいのセンスがないと、王都で他の貴族の家臣にバカにされるわよ」
「言い返せない……」
バウマイスター伯爵家は、これからも大きくなっていく。
重臣であるエルがダサイ格好していると、俺の評判も落ちるという事か。
キャンディーさん、見た目で損しているけど優しい人だよな。
「こういう服装だと、鍛えたエルヴィンちゃんの体の線も出ていて素敵ぃーーー!」
そこに実利もあったみたいだ。
「でもぉ……」
「あれ?」
突然キャンディーさんが、エルの左胸を指で軽く突いた。
すると、それだけでエルは体のバランスを崩してしまう。
「私、男の子の筋肉は大好きだけど、エルヴィンちゃんは左右のバランスが悪すぎ」
「そんなバカな……」
やはり、キャンディーさんは強い。
あのブランタークさんが一目置くのだから当然か。
今のエルだと、戦っても子供のようにあしらわれるはずだ。
「剣を持つ右側が強すぎなのよねぇ……でもぉ、せっかく鍛えた右側を衰えさせるのは駄目だから、もう少し左側を鍛える頻度を上げないとね。剣士はどうしても剣を持つ方が強くなってしまうけど、左右の差が小さい方がいいものね」
冒険者の先輩として、キャンディーさんはエルに鍛錬方法のアドバイスをした。
その鋭い指摘に、エルは静かに聞き入っていた。
「そうやって鍛えられたエルヴィンちゃんはもっと素敵かも」
「あの……俺、妻帯者なので……」
「あらぁ、残念。真実の愛ってどこにあるのかしら?」
キャンディーさんの哲学的な問いに、俺達は答えを出す事はできなかった。
「カチヤちゃんにもいい服があるのよ」
「エルヴィンで忘れられていたと思ったのにぃ!」
「そんなわけないじゃない。今日はカチヤちゃんが主役だもの」
「その割に、エルヴィンに時間をかけてたじゃないか!」
「だってぇ、エルヴィンちゃん、私の好みのタイプだしぃ」
エルで寄り道をしたが、キャンディーさんはカチヤの服を選ぶという本来の目的を忘れていなかった。
「カチヤちゃんに似合いそうな服を用意したわよ」
「あたいに似合いそうな服?」
「そう、とてもよく似合うと思うわ。試着室に準備してあるから」
「では、私がお手伝いします」
カチヤは、エリーゼの手を借りて着替え始める。
「エリーゼ、本当にこれを着るのか?」
「あら、とてもよく似合っていますよ」
「何か、動きずらいし……」
暫く着替えに時間がかかったようだが、着替え終わるとカチヤは恥ずかしそうに顔を出した。
「キャンディーさん、この服は?」
「私が考えたのぉ。素敵でしょう?」
キャンディーさんがカチヤに準備した服は、ゴシックロリータ、いわゆるゴスロリ服であった。
黒を基調としているのでカチヤの髪の色と被るかと思ったが、光沢のある黒に映えてよく似合っている。
前世で何度か見た事があるが、それよりも素材は上質で細かな刺繍と装飾にも手を抜いていない。
「旦那、これはどうなの?」
「とてもよく似合っているじゃないか。黒ってどうかと思ったけど、黒の方が似合うな」
「私もとてもよく似合っていると思います。私も黒は葬儀以外で着た事がないですけど、これはいいですね」
エリーゼも、カチヤのゴスロリ服を絶賛した。
それにしても、ゴスロリ服を自分で思いつくとは……。
実は、キャンディーさんは俺と同じく他の世界から?
それはないか。
「エルヴィン、何か言えよ」
「おおっ! この服いいな! ハルカさんに買って帰ろうかなぁ」
エル、それを奥さんに着せてどうするつもりだ?
というか、服よりもカチヤを褒めろよ。
「ごめんね、エルヴィンちゃん。まだこれ一着しかないの」
縫うのに手間がかかりそうだからな。
そういえば、このお店の服はほとんどキャンディーさんの手作りだったのを思い出した。
「この服の評判がよかったら、知り合いの服飾工房に注文を出そうかなって計画なの。貴族のご令嬢や若い奥さんがターゲットよ。色も色々と変える予定なの」
「価格帯でいうと、上の下くらいを狙って利益を確保するためですか?」
「あら、バウマイスター伯爵様、商売にも詳しいのね。やっぱり、お貴族様向けの商品があった方が利益を確保しやすいからよ。もうちょっと品質を落として、ちょっとお金持ちのお嬢さんを狙う計画もあるけど」
このおっさん、商売にも長けているようだ。
「なあ、もうこれで終わりだろう?」
「そんなわけがないじゃない。カチヤちゃんはどうせ滅多にお洋服屋になんて来ないんだから、沢山試着してもらうわよ」
「カチヤ、一日だけ我慢するんだ」
「旦那、実はあたいと同じ人種だろう?」
「着る服を他人が準備してくれるなんて最高!」
「同じ人種だぁーーー!」
俺も、前世ではなかなか服屋に行かなかった人間だからわかる。
切羽詰まらないと服を買いに行かないのだ。
デートでも、服屋に行くと心身ともに疲れてしまう。
そんなんだから彼女にフラれたのかもしれないが、この世界では子供の頃は持っている服が少なかった。
今は、エリーゼ達かメイドが着る服を準備してくれるので大変に楽である。
「ここで頑張っておけば、あとは二~三年くらい服を買いに行かなくてもいいかもしれないぞ」
「それは最高だな、旦那」
「あなた達、もう少しお洋服に興味を持ってよ……」
この日、カチヤはゴスロリ服を含めて結構な数の服を購入した。
それを見たイーナ達もキャンディーさんの洋品店の常連となっていき、彼の店は順調に客を増やしていくのであった。
「キャンディーさん、ゴスロリ服を注文します」
「エルヴィンちゃんの奥さんってどんな人なのかしら。楽しみね」
有言実行で、エルはハルカの分のゴスロリ服をキャンディーさんに注文した。
ゴスロリ服も、女性の間で大きく流行していく事となる。
「ヴェル様、選挙は?」
「あんな出来レース、結果など問うまでもない」
「投票に意味があるのかわからない」
「ヴィルマ、俺もわからないんだ」
総司教選挙は、下馬評どおりにケンプフェルト枢機卿が当選して教会は静かになった。
ホーエンハイム枢機卿は総司教ではないのに教会を影から支配する人物だと言われるようになり、それでもそのおかげでバウマイスター伯爵家は余計な干渉を受けないで済むとは皮肉としか言いようがなかったが。