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第百三十話 ヴェンデリン、父親になる。

「うーーーん……まだ産まれないのか……」


 アグネス達の卒業からすぐ、遂にエリーゼが産気づいた。

 父親である俺は彼女の傍にいてやりたかったが、この世界では妻が出産を行う部屋に男性は入れない。

 ホーエンハイム枢機卿が寄越してくれた助産婦と神官達も、全員が女性であった。

 出産に関われる男性は医者のみで、それも事前の診察しかできない。

 更に、出産の時には入室できないというのだから驚きだ。


「まだか、まだか……」


 分娩が行われている部屋の外で、俺はただひたすらに待ち続けた。

 あまりにもどかしく、手持ち無沙汰になったので、俺は近くの窓を開けて空気を入れ替えようとした。

 すると、一本の巨大な木が視界に入る。

 風に吹かれて数枚の木の葉が落ちそうになったので、俺は地面に落ちる前に極小の『ファイヤーボール』をつぶけて焼く事を繰り返す。


 なぜそんな事をしているのかというと、とにかく焦りばかりで何かをしていないと心配で堪らなかったからだ。

 魔法の特訓にもなってイライラが静まり、一石二鳥というやつである。


 他に意味はない。


「名付けて『ファイヤーガン』、もう葉は落ちないのか……」


 すぐに落ちる葉がなくなり、俺はまた椅子に座ってから貧乏ゆすりを始めた。

 今まで生きてきてそんな事をする癖はなかったのだが、これをすると落ち着くような気がする。


「うーーーん」


 ところがまたすぐに気分が落ち着かなくなり、今度は魔法の袋から師匠の書き残した本を取り出して読み始める。

 師匠が書き残したものはすべて目を通しているが、見落とした部分に出産で役に立つ知識や魔法が書いてあるかもしれないと思ったからだ。


「ない……出産に役立つ魔法が……ああ、師匠は男だからな……独身だったし……」


 だが、新しい発見はなかった。

 もう十年以上も前にもらった本なので、一字一句すべて読み尽くしていたからだ。


「次は……」


 再びイライラしてきたので、今度は空の魔晶石を取り出して魔力を補充しようとすると……。


「魔晶石がキラキラと輝いていく。綺麗だなぁ……って! 当たり前じゃないか!」


 魔力を補充すれば、魔晶石は光り輝くのが常識であった。


「ヴェル、いい加減に落ち着けよ」


「いや、しかしだな……」


「お前が焦っても、何も状況は変わらないからな」


 一緒にエリーゼの出産を待っているエルが、俺の落ち着きのなさを注意した。


「ちょっと遅くないか?」


「まだ産気づいて二時間しか経っていないぞ。エリーゼは初産だから、少し時間がかかるのと違うか?」


 エルは出産について知識があるようだ。

 俺は、今まで生きてきて出産に縁がなかったからなぁ……。

 前世では一歳下の弟がいたけど、彼が産まれた時の事なんて覚えているはずがない。

 この世界でも俺は一番下の弟だったし、アマーリエ義姉さんが子供を産んだ時には、田舎領地ほど男は邪魔だと追い出されるからなぁ。

 正直、よくわからないのだ。

 

「エルは、詳しいんだな」


「実家の領地で定期的に出産があったからな。手伝っているわけじゃないけど、産婆が駆けつけて半日とか一日かかる場合が多い。凄く早い人もいるけどな」


 なるほど、実家の領民の出産を見ているからなのか。

 俺は魔法の修行に忙しくて、気にした事もなかったな。


「ヴェル君、これを飲んで落ち着いてね」


 エルと話していると、メイド服姿のアマーリエ義姉さんがきてマテ茶の入ったカップを渡してくれる。


「こういう時には、父親がドンと構えていないと駄目よ」


「ドンとですか?」


「そう、ただ静かに座っていればいいのよ」


「わかりました」


 アマーリエ義姉さんからの忠告で、俺はようやく心が落ち着いてきた。


「やれやれ、アマーリエさんがいてくれてよかったよ……」


 更に時は進み、もう何時間経ったであろうか?

 俺とエルは、ただひたすら待ち続ける。

 こういう時に、煙草でも吸えればもっと気が紛れるのであろうか?

 前世で大学生の時に一度試しに吸ってみたのだけど、、物凄く噎せてしまって合わなかったんだよな。

 この世界にはタバコなんてないから、自分で作らないといけないわけだが。

 いや、探せばあるんだろうけど、俺はタバコ葉を知らないからな。

 食べ物じゃないから興味がなかった……○Tにでも就職していれば詳しかったかもしれないのに。

 まあ、あんな超一流企業、俺には縁がなかったけど。


 おっと、話がそれてしまった。


「ブランタークさんでもないから、酒を飲むわけにも……」


「いくらブランタークさんでも、こういう時に酒は飲まないだろう……」


「わからないぞ」


 何と言っても、あの何よりも酒を愛するブランタークさんなのだから。

 この場で酒盛りを始めても、俺は不思議に思わない。


「待てよ、酒で気を紛らわすという手も……」


「それは不謹慎だから止めとけ!」

 

 自分の子供が産まれる時に酒盛りをする奴はいないとエルから注意されてすぐ、エリーゼが出産している部屋から、大きな赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。

 遂に、俺の子供が産まれたのだ。

 

「おぎゃーーー! おぎゃーーー!」


「ヴェル!」


「エル!」


「生まれたぞ!」


「ああ!」


 俺は慌てて部屋のドアを開けようとするが、まだ鍵がかかったままであった。


「おーーーい、もういいよな?」


「あっ、はい。すぐに開けますね」


 俺がドアを開けるようにと命令すると、分娩室の中から助産婦の声が聞こえた。

 さすがは超ベテラン、助産婦はまったく動じていない。

 出産で慌てている助産婦ではみんな不安になるだろうから、正しい態度である。

 彼女は、ノンビリとした声でドアの鍵を開けてくれた。

 すぐにドアが開き、俺がドアを引いてわずかな隙間が出来た瞬間、中から眩いばかりの光が漏れる。


「魔法の光?」


「何だ? この眩しさは?」


 慌ててエルと共に中に入ると、俺達の視界には光り輝く赤ん坊の姿が見えた。

 やはり眩く光っているのは、エリーゼが産んだばかりの赤ん坊だったのだ。


「さすがは、俺の子供。もう輝いているぜ。いや、俺に似ずに素晴らしいカリスマだ」


「もう親バカかよ。というか、普通の赤ん坊がこんなに輝くか? 絶対に、何か魔法的なものだぞ」


 赤ん坊の輝きは一分ほどで消えてしまうが、すぐに魔力を探ってみると、俺の子は生まれたばかりなのに既に下手な初級魔法使い並の魔力があった。


 はからずも、俺の子供は高確率で魔法使いになるというアーネストの指摘が現実のものとなった瞬間であった。






「エリーゼ、光り輝く元気な男の子だぞ。よくやったな」


「はい。元気そうな男の子でよかったです」


 赤ん坊は元気だったので、まずは初めての出産で疲れているエリーゼに治癒魔法をかけながら声をかける。

 実は使えるけど、エリーゼよりも下手なので普段あまり使う機会のない治癒魔法が、久しぶりに役に立った。


「男の子で安心しました」


 間違いなくエリーゼは、実家からは男の子を期待されていたのであろう。

 それが果たせたのもあって、彼女は安堵の表情を浮かべていた。

 俺は、どっちでも無事に産まれてくれればよかったけど。


「バウマイスター伯爵様、エリーゼ様は初産にしては安産で安心いたしました。出産時の痛みを和らげるための治癒魔法も、ほとんど使わずに済みました」


 ホーエンハイム枢機卿が寄越した超ベテランの助産婦が、予定よりも大分早く産まれたと教えてくれた。

 念のために治癒魔法が使える神官も複数待機していたが、あまり出番はなかったらしい。

 難産で出産が長引くと神官による治癒魔法が頻繁に使われるのが、この世界の出産の常識であった。

 ただし、治癒魔法を使える人を呼べる身分の人だけという条件はつく。

 普通の人は、昔の日本と同じようにリスクを背負いながら子供を産むというわけだ。


「そうか、それはよかった」


 完璧超人なエリーゼは、出産でもその完璧ぶりを示したというわけだ。


「可愛いな、髪は俺と同じ色か……」


 あとは猿みたいなのでこれからだが、赤ん坊はバウマイスター家の特徴である濃い茶色の髪を受け継いでいた。

 きっと、この子はイケメン、リア充になるはずだ。

 男の子は母親に似るというし、俺のようにボッチにはならないであろう。


「あなた、この子のお名前をお願いします」


「そうだな……ちょっと候補が多いけど、ちゃんと決めておくよ」


 かなり前から命名の準備はしていたのだが、どの名を選ぶのかで迷っている最中だったのだ。

 どれかに決めようとすると、もっといい名前があるような気がして考え込んでしまう。

 この一週間ほど、俺はずっとそんな調子であった。


「お願いします」


「ホーエンハイム枢機卿が、名付けたいとか言っていなかった?」


 可愛がっている孫娘の出産とあって、彼は王都でも一二を争う優秀な産婆と、治癒魔法を使える神官を派遣してくれた。

 彼女達は、王族の出産でも指名されるほどの凄腕なのだそうだ。

 

 そこまでしてくれたとなると、実は自分で命名したいのかもしれない。


「お爺様は、必ずあなたが命名すべきだと。この子は、バウマイスター伯爵家の跡取りですから」


 いくらひ孫でも、この子は他の伯爵家の次期当主だ。

 ホーエンハイム枢機卿が命名するのは、道理が通らないというわけか。


「ヴェル、まだ決めていないのか?」


「なかなか一つに絞れないんだよ」


「名前は数日後でもいいけど、凄く光っていたよな? その子」


 生まれた子供が次のバウマイスター伯爵になるという件は、既に決まっている件なのでいい。

 それよりも、本来遺伝しないはずの魔法使いとしての特性をこの子が継いでいるという点だ。

 出産時に眩しく光る、謎の発光現象もあった。

 ヴェンデリンも、産まれた時に発光したのであろうか?

 父に聞くと、何か藪蛇になりそうで怖いんだよな……。

 

「エリーゼ、こういう話をどこかで聞いた事があるか?」


「いいえ、初めて聞きます」


 エリーゼは、早速生まれた赤ん坊にお乳をあげ始めた。

 なかなかに飲み応えがありそうに見える。


 エルはその前に部屋を出てしまった。

 主君の妻の胸を見るわけにいかず、エリーゼの友人としても気を使ったのであろう。


「ヴェル、いいか?」


「ああ」


 エリーゼが初乳を飲ませ終わった直後、エルがある人物を連れて戻ってくる。

 それは、我が家の危ない客人にして魔族の考古学者アーネストであった。


 彼は、一か月ほど前新たに探索した地下遺跡の論文を書くとかで、このところまた缶詰になっていたのだ。


「バウマイスター伯爵、奥方殿、出産おめでとうなのであるな」


 意外というと失礼かもしれないが、アーネストにも俺達にお祝いを言うくらいの常識はあったようだ。

 その前に、サラっと俺の特殊性を指摘して色々と混乱させてくれた過去があるにしてもだ。

 アーネストの推論が間違っていれば、たまに学者が述べるトンデモ学説で済んでしまったのだが、実際に赤ん坊には魔力があった。


 次代バウマイスター伯爵としてこの子も大変かもしれないが、俺も色々と大変になりそうな予感である。 


「アーネストの言うとおりとは……学者特有のトンデモ理論ならよかったのに……」


「バウマイスター伯爵、いくら天才の我が輩でも時に間違った論文を発表してしまう可能性はなくもないのであるな。だが、人工魔法使いに関する理論は大昔から専門の学者が研究しており、結論も確定しているものなのであるな。間違いはないので、諦めるのであるな」


「そうかよ……」


 アーネストに言わせると、魔族の国では古代魔法文明の人工魔法使いに関する研究はとっくに終わっているそうだ。


「古代魔法文明時代の者達は、我ら魔族のように魔法の才能を人工的に遺伝させようとしたのであるな。ところが、魔族と人間とでは差がありすぎて、恒久的な遺伝要素にするのには失敗したのであるな。これは、人間が魔法に関する生物設計図の継承能力に弱いという研究結果が出ているのであるな」


 しかし、生物設計図とはね……遺伝子が認知されていたとは、古代魔法文明時代の科学力は侮れない。

 魔族では魔法に影響する遺伝子が優勢遺伝で、人間では劣勢遺伝となってしまうというわけか。


「なら、ハーフはどうなんだ?」


「昔はいたと、記録に残っているのであるな」


 人間と魔族は子供を作れるそうだ。

 両者は見た目は魔族が少し耳が長いくらいで、他はあまり差がないからな。


「ただ、ハーフ同士では子供が作れないのであるな」


 魔法に関する遺伝子を固定化するには、ハーフ同士で子供を作るのが一番効率がいい。 

 ところが、ハーフ同士では子供ができないそうだ。


「ハーフが人間と子供を作ると人間に、ハーフと魔族が子供を作ると魔族になってしまうのであるな」


 だから、この大陸にはハーフが存在しないわけか。

 魔族が遥か西方に住んでいて、一万年近くも交流がなかったのだから。 


「詳しい方法は伝わっていないのであるが、古代魔法文明時代の人間は何らかの特殊な方法で、大分先の子孫まで魔法使いにしてしまう方法を編み出したというわけなのであるな」


 人工魔法使いも古代魔法文明が滅んでからは存在しなくなったが、たまたま俺が先祖返りとして復活したというわけか。


「不思議な話ではあるな。だが、なぜ俺がそうだと言い切れる? もし本当にそうなのならば、産まれた直後に家族に気がつかれないか?」


 産まれたばかりの赤ん坊が、あんなに眩く光るのだ。

 両親が気がつかないはずはない。

 もっとも、産まれたばかりのヴェンデリンが魔力を持っていたのかは不明である。


「生物設計図が生後に変化するはずもないのであるが、バウマイスター伯爵が魔法使いの才能に気がついたのは五~六歳の頃だと聞いているのであるな。その時に何かあったのでは?」


「いいや、特に何も」


「うーーーん、謎なのであるな」


 五~六歳というのは、俺がちょうどヴェンデリンに乗り移った頃だ。

 魂が入れ替わった時に、ヴェンデリンの遺伝子に何か変化があったのか?

 そう考えると、納得のいく部分があった。


 どちらにしても推論だし、真相を知ったところでどうにかなるわけでもない。

 その前に、俺にはしなければいけない事があった。


「名前……候補が多すぎるぜ……」


「そっちの方が悩みなのかよ」


「名前は重要だぞ。その子に一生ついてまわるからな」


 というわけで、キラキラネームを採用するわけにはいかないのだ。

 俺は、魔法の袋からヘルムート王国人名事典を取り出してページを捲り始める。

 とにかく、この生まれた子供の名前をつけないといけない。


「いくつか候補があるって言っていなかったか?」


「まだいい名前があるかもしれないし……」


 俺は、また子供の名前で深く悩んでしまう。


「エリーゼ、生まれたのね」


「男の子かぁ、よかったぁ」


 同じく出産直前のイーナとルイーゼが最初に部屋に入ってくるが、エリーゼの子供が男の子で安心していた。

 もし女の子で、その後にイーナとルイーゼの子供が男の子だと、継承権に首を突っ込む輩が増えるからだ。


「家格的に無理があるんだけど、その無理を通そうと騒ぐ人達がいるのよね……」


「ブライヒレーダー辺境伯家の一部家臣とか……」


 エリーゼの子供よりも、イーナとルイーゼの子供の方がコントロールが容易いと思って動くかもしれないそうだ。

 まったくお話にならないが、さすがのブライヒレーダー辺境伯家でもすべての家臣がまともではないし、完璧に統制など出来るはずもない。


 必ず暴走する輩が現れる。

 だから、エリーゼが嫡男を産んでひと安心というわけだ。


「貴族って、本当に面倒くさいよな……」


「それよりも、まだ命名で悩んでいるのか?」


「エルはどうなのよ?」


 ハルカももうすぐ出産なので、エルも子供の名前を考えないといけないはずだ。


「男ならレオン、女ならエマ」


 何と、エルは既に子供の名前を決めていた。

 迷わずに候補をあげている。

 その決断の早さは、正直羨ましい限りだ。


「どういう基準なんだ?」


「いやあ、ヴェルが持っている本を適当に捲ってね」


 目に留まった名前を迷いなくチョイスしたそうだ。

 かなりの適当さを感じてしまうが、悪くない名前である。


「こういう事は悩み始めるとキリがないからな。バウマイスター家には伝統の名前とかないんだろう?」


「ないな……」


 エルは、バウマイスター家に何を期待しているのであろうか?

 伝統の名前とか、両親や兄達からも聞いた事がない。


「うちの実家にはあるけどな。嫡男は数代前の当主の名前をつけるのさ」


 これはエルの実家だけの話ではなく、かなりの数の貴族家が実践しているそうだ。

 当主にしかつけない名前をつけるという事は、その子が跡取りだと周囲にアピールできるからだ。


「でもさ、もし嫡男に何かあって次男に出番が回ってきたら?」


「次男も数代前の当主の名前をつけるんだよ。だから、予備扱いなの」


「名前は当主名でも、扱いは部屋住みで予備か……」


 この世界における次男の扱いの軽さに、俺は同情を禁じ得なかった。

 優遇されているのは名前だけとは……。


「でも、俺は八男だから知らされていないだけで、実はバウマイスター家には厳密な命名基準があるのかもしれない……」


 そう思った俺は魔導携帯通信機でパウル兄さんに連絡を取り、エリーゼが男の子を産んだ報告をしてから話し相手を父に代わってもらった。


『男の子が産まれたか。よかったな』


『はい、安心しました』


『初めての子供だと、親は色々と心配はするものだ』


 父は、俺に跡取り息子が産まれた事を喜んでくれた。

 すぐに母に変わり代わり、彼女も男の子が産まれた事を喜んでくれる。


『女の子だと駄目という事もないが、貴族は跡取り息子に拘るものだからな。なかなか子供が産まれなくて悩む貴族も多い。家の存続に関わるからな』


 婿養子、親族からの養子で家を保つわけだが、やっぱり血を分けた息子に家を継がせたいのが親の心情だ。


『我がバウマイスター家は、子供が産まれないで困った事は一度もないらしいが……』


 規模と懐具合は微妙だが、跡取りが産まれなくて苦労した事はないらしい。

 そういえば、兄さん達もみんな、結婚してすぐに子供が産まれた。

 父も十人の子持ちだから、どちらかというと余っている子供の行き先で悩む方が多い家なのであろう。


『ところで、父上。バウマイスター家に決められた命名基準などはあるのですか?』


『なくもないな。数代前の当主の名前とかだな。厳密に決まっているわけではないが……』


 意外にも、バウマイスター家にもそういう伝統があったようだ。

 クルトとヘルマンは、昔の当主の名前なのか。

 ああ……でも、クルトは今後命名されない可能性があるよな。


『ヴェンデリン。その命名基準が使えるのはヘルマンのところだけだぞ。パウルも初代だから、自分で決めていた。ヘルムートとエーリッヒは、婿入り先の決まりがあるからそれを尊重するだろう』


 そうか、俺は自分が初代だから自分で子供の名前を決めないといけないのか。


『パウルも悩んでいたが、そういう時には王国人名辞典が大変に役に立つ。パウルも使っていたぞ。最終手段として、こうページをパラパラと適当に捲ってだな……』


『はあ……』


 子供の名前に悩んだら、王国人名辞典に頼る。

 これはうちだけではなく、ヘルムート王国に住む多くの父親が頼る定番商品のようだ。

 どうやら、俺のヴェンデリンという名は父が適当に辞典を捲って目に留まった名前っぽいな。

 十人目だと、父親も手抜きをするようだ。


『もう少し大きくなってから孫の顔を見に行くよ』


『はい、お待ちしております』


 父との話を終えると、俺は魔導携帯通信機を切った。


「名前を考えないとな……」


 子供の名前なので、もっとこう色々と親の願いとかが籠ったいい名前をつけるべきであろう。

 あれ?

 親の願いが籠った名前?


 俺は、とてつもない違和感を感じ始める。

 中身が日本人である俺からすれば、名前に漢字が使えないと願いもクソもなかったからだ。

 この世界、言語は日本語なのに、なぜ名前はドイツ風が多いのであろうか?


「(ドイツ風の名前の意味なんてわからないな……)」


 ドイツ語は大学で第二言語として選択したけど、もうほとんど覚えていない。

 『グーテンモルゲン』『バウムクーヘン』……子供の名前には使えないな……。

 第一、俺のヴェンデリンだってどういう意味なのかわからないのだ。

 となると、ここは方針変換をしないと駄目であろう。


「王国人名辞典は役に立つぞ」


「すべての候補は記載されているからな、見てみるか……」


 俺は、持っていたヘルムート王国人名辞典を適当に捲ってその手を止める。

 開かれたページの中で、一つの名前が俺の目に留まった。


「フリードリヒにしよう」


「早っ!」


「これ、いい名前じゃないか?」


「確かにいい名前だな」


 前世の世界史の授業で、そんな名前の王様だか皇帝の名前を聞いた事がある。

 それに、恰好いい名前だと俺は思う。

 そこはかとなく、大物になってくれそうな名前なのもいい。


「決めた! この子の名前はフリードリヒだ!」


「フリードリヒ・フォン・ベンノ・バウマイスターですか。いい名前ですね」


 エリーゼも賛成してくれたので、赤ん坊の名前はフリードリヒに決まる。

 この子が、次のバウマイスター伯爵としてこの領地を更に発展させていくのだ。


「フリードリヒ、早く大きくなって俺を引退させてくれよ」


 この子が真面目に領主をやってくれるのなら、俺は安心して自由に冒険者稼業と隠棲生活を送れるというものだ。


「色々と台無しだよ! 跡取りが産まれた感動とかすべて!」


「ヴェルはまだ十代じゃないの。今から年寄りみたいな事を言わないでよ」


「いくらこのところ色々とあったからといって、それはないと思うな」


 なぜかエル、イーナ、ルイーゼから立て続けに批判されてしまったが、とにかく無事に生まれてよかった。

 まずはひと安心といったところであったが、それから半月もすると今度はイーナ達も立て続けに産気づいた。


 これより、バウマイスター伯爵家では出産ラッシュが続く。


「これは、想像以上に痛いわね……」


「イーナさん、治癒魔法をどうぞ」


「ありがとう、エリーゼ……痛たたたっ!」


「もう少し強くかけます」


「ありがとう、物凄く楽になったわ」


 日本よりも、この世界では出産が楽な部分もある。

 勿論、自前で治癒魔法使いを確保できたらという条件はあったが。


 イーナは、エリーゼの治癒魔法のおかげで無事に女の子を出産した。

 俺はフリードリヒの時と同じく、ただ待っていただけ……とはならなかった。


『お館様、確実に気が紛れる方法がありますぞ』


『そんな凄いものがあるのか。それで、それは何だ?』


『お館様、お仕事です』


『子供が産まれるのにか?』


『お館様、お生れになったら魔導携帯通信機にてお知らせいたしますので、すぐに『瞬間移動』でお戻りください』


『ローデリヒ! お前は鬼だ!』


『これも、産まれてくるお子達のためです』


 ただ、イーナ以降は俺が出産を待っていると落ち着かない点を突かれ、ローデリヒによって出産直後まで仕事のスケジュールを組まれてしまった。

 産まれたらすぐに戻ればいいのだけど、やはりローデリヒは鬼である。


『生まれてくるお子達のために、お館様は頑張りませんと。領地の発展は、お子達の生活の安定に繋がりますし、子は父親の背中を見て育つのです』


『産まれたばかりの赤ん坊は、俺の背中を見れないけど』


『……お仕事です』


『ローデリヒ、誤魔化しただろう?』


 ローデリヒの言う事は正論だが、子供が産まれるまで仕事で主君を扱き使う家臣というのも酷いと思う。

 俺は新しい町が建設される場所で整地を行いながら、早く子供が産まれないかと待ち続けた。


 そして数時間後、ようやくイーナにも子供が産まれたと通信が入る。


「髪の色はイーナ譲りか。女の子も可愛いな」


 本当は、どちらも産まれたばかりだと猿みたいだけど……。

 でも、すぐに可愛くなるさ。


「エリーゼの時と同じで、この子も眩しいわね」


「予想はしていたけど、この子もか……」


 アーネストの説明どおりに、イーナが産んだ俺の娘も眩く光った。

 続けて……。


「ボクも女の子だね。そして光るわけだ」


 バウマイスター伯爵家に出産ラッシュが続く。

 ルイーゼの後も、数か月の間にカタリーナが男の子を、テレーゼが女の子を、ヴィルマが女の子、カチヤも女の子、リサも女の子と。


 わずか数か月、俺が十八歳になる頃には男の子二人、女の子六人の父親になった。

 しかし、八人か……。 

 父をすぐに抜いてしまいそうだな……。


「ちょっと女の子が多いけど、フリードリヒ、カイエン。数少ない男として頑張るんだぞ」


「ヴェンデリンさん、赤ん坊が何を頑張るというのです?」


「男というのは男同士でつるみたいから、多くの女性にずっと囲まれると疲れる時もあるのさ」


「そうなのですか?」


 カタリーナが意味がわからないという風な表情をしているが、男には切実な問題であった。

 子供は女の子の方が成長が早く、口も達者だ。

 フリードリヒとカイエンは、姉や妹達に囲まれて大変かもしれない。


 日本でいうところの、『女の中に男が一人』状態というわけだ。

 二人いるから、孤立しないだけマシか。


「エルヴィンさんのところの、レオンもいるではないですか」 


 出産が終わると、産まれた赤ん坊達は専用の子供部屋に移される。

 収容人数の多さから大きな部屋が宛がわれ、まずは人数分のベビーベッドが置かれて、そこが彼らの生活の場となった。

 貴族家では子供が産まれると世話を乳母を頼む事が多いので、部屋にはハルカと他の家臣の奥さん達が集まっている。


 ただ、母乳が足りなくならなければ、基本的に母親本人が乳をあげる事になっていた。


「エリーゼは、それでいいの?」


「貴族家によって対応はバラバラですから、私は自分でお乳をあげたいですし」


 完全に授乳を乳母に任せてしまう家、足りない分だけ補う家、出来る限り母親が何とかする家。

 どれを選ぶかはその家の伝統であったり、たまに自分の意見を押し通す当主や妻がいたりするそうだ。


 つまり、適当というわけだ。

 ただすべてのケースで、子供の面倒を母親と交替で見るためにベビーシッター扱いで乳母を雇う事はするらしい。


 雇うとはいっても外部の人間を入れるはずもなく、子供を産んだ時期が近い家臣の妻というケースが大半で、我が家もエルの奥さんであるハルカを乳母として雇った。

 ハルカの場合、赤ん坊達の護衛としても期待できる。

 現状で、俺の子供達を狙うような輩はいないと思うけど、念のためというやつであった。


 勿論、ハルカが産んだレオンも一緒にベビーベッドで寝ている。

 彼は、フリードリヒ達の乳兄弟になるというわけだ。


「乳母の子供も一カ所に纏めて、子育ての効率を上げるのです」


「効率か……」


「みなさん、忙しいですから」


 家臣の妻達も、別に暇ではない。

 カタリーナの言うとおりに、一緒に纏めて育てた方が効率がいいのは確かだ。

 あとは当主と家臣の子供を一緒に育て、連帯感を養い、忠誠心溢れる家臣にするという目的もある。

 うちは新興だからこそ、当主と家臣の連携を強めないといけないのだから。

 レオンばかりでなく、年の近い家臣の子供達も集められる予定であった。

 

「いい風習だと思うけど、実家ではそんな事はなかったなぁ……」


 ヴェンデリンの記憶によると、乳母や乳母兄弟のような存在はいなかった。

 俺はどこまでもボッチであったらしい。

 我ながら、泣けてくるような生い立ちである。


「地方領主では、そこまで手が回らない方も……」

 

 それでも、家臣の妻が乳を分けたり、同世代の子供同士を幼馴染の関係にして忠誠心を強固な物にする事は行われているそうだ。


「ただし、跡取り長男のみだな」


 俺と同じく、五男なので放置されていたエルは乳母兄弟などいなかったと明言する。


「おおっ! 仲間だ!」


「嫌な仲間だな。ハルカさんは、跡取りのレオンを無事に産んでくれてホっとしたよ」


 エルヴィン家も、これで安心だというわけだ。

 俺とエルが見ている傍で、ハルカは産まれた赤ん坊達のオシメを順番に換えている。

 

「ハルカ、上手じゃないか?」


 今回が初めての出産だったはずなのに、ハルカは随分と赤ん坊の世話に慣れていた。

 理由を聞くと、子供の頃から親戚の子供の面倒を見ていたそうだ。


「下級のサムライは貧乏ですからね」


 男女共に働かないといけないので、親族同士で子供を集めて年長の子供に面倒を見させる風習があるらしい。

 ハルカは年下の子供達の面倒を見ながら、空いている時間に刀を稽古して抜刀隊に選抜されたのだと話した。


「さすがは、刀術の天才だな……」


 もし俺がそんな環境だったら、間違いなく赤ん坊の世話しかできなかったであろう。

 

「でも、経験者がいるのはありがたいな」


 他の乳母達にも赤ん坊の世話をした経験がある者がいて、自分の子供と合わせてフリードリヒ達の面倒を上手く見てくれた。

 あの大お見合い会で婚姻した家臣達にも次々と子供が産まれ、バウマイスター伯爵領は空前のベビーラッシュであった。

 

「それよりも、大きな問題が……エリーゼさんのフリードリヒも、私の息子のカイエンも、他の全員の子供も……」


「母親の才能を継ぐのはいい事では?」


「それ以上の危険を感じますけど……」


 さすがのカタリーナでも、産まれた赤ん坊全員が魔法使いの素養が有りだと逆に不安になってしまうようだ。

 とにかく産まれる度に光るので、ホーエンハイム枢機卿からから派遣されてくる助産婦と神官達はもう慣れてしまったらしい。

 何も言わないのは、彼女達を派遣したホーエンハイム枢機卿から固く口止めされているからだと思う。

 その代わりに、教会には情報がだだ漏れだ。


 これから向こうがどう出るかと考えると、不安ではある。

 、

「次期ヴァイゲル家当主になる、カイエンが魔法使いなのは嬉しいのですが……」


 こうも魔法使いばかり産まれると、色々とまた大変なのではとカタリーナは心配していた。

 この場合の大変とは、俺への嫁の押しつけである。


「そこは、断固として拒否すればいいさ」


 俺は、三冠を制したサラブレッドじゃないんだ。

 種馬にされてたまるか!


「そうですわね。あの三人は仕方がないにしても」


「うっ!」


 カタリーナにアグネス達の事を指摘され、俺は心に何かが突き刺さる。

 しかしながら、今の彼女達はいまだ俺の指導を受ける弟子である。

 年齢的にも妹のような存在で、それを奥さんにするのはどうかと思ってしまう。


「どちらにせよ、今は目の前に差し迫った問題がありますぞ」


「差し迫った問題?」


「はい、貴族の家で子供が産まれると、色々と大変なのです」


 自分の子供も預けているので様子を見に来たローデリヒに、実はこれからが大変なのだと脅されてしまう。


「お祝いを貰って御礼状を送るくらいだろう?」


「まあ、基本はそうなのですが……」


 とりあえず、八人で一区切りとなったベビーラッシュが終わったが、それから暫く、バウマイスター伯爵家は様々な騒動に巻き込まれる事となる。

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