第百二十五話 教師生活でも、色々と面倒が増える。
「お館様、これからのバウマイスター伯爵家の繁栄は、いかに多くの子を成して一門衆を形成するかにかかっているのです。歴史ある貴族家では、多すぎる子は争いの元になりますが、バウマイスター伯爵家はお館様が立ち上げた家です。よって、その心配もありません」
「そうなんだ」
「お館様、そんな他人事のように……お若いのですから、これからも頑張っていただきませんと」
「はあ……」
俺が臨時講師を引き受けてから三か月、季節は初夏となっていた。
バウマイスター伯爵領は常に気温が高いが、これからはとても暑い真夏の時期を迎える。
そんな状態の中で、俺は家宰にして政務を丸投げしているローデリヒから説教でもないが、励ましのようなものを受けていた。
正直、その必要があるかはわからない。
「エリーゼ様達は既に妊娠四か月ほど、待望の後継ぎの可能性が高く、我ら家臣一同安堵の溜息をついております」
エリーゼ、イーナ、ルイーゼ、カタリーナと。
ほぼ四人同時に妊娠したので、もし今俺に何かがあってもバウマイスター伯爵家が無継断絶になる心配はない。
それがないと、爵位と領地継承でいらぬトラブルになる事がある。
ようやく職を得た家臣達からすれば、それが原因でリストラされる可能性もあるのだ。
安堵して当然であろうか。
「続きましては、ヴィルマ様とカチヤ様ですが……」
実は、この二人も妊娠していた。
ヴィルマは十五歳になったからで、カチヤももうこれ以上は魔力が上がらないのと、もうすぐ二十歳なので実家の方から催促が来るようになってしまったらしい。
そこでというわけでもないが、俺が奮闘したわけだ。
「よかった。これでバウマイスター伯爵家も安泰です……ううっ……」
どうやら俺に説教したいわけでもないらしく、ローデリヒが勝手に感涙に咽んでいる。
こういう時、俺はどう対応していいものやら迷ってしまうのだ。
男の涙に優しくしてあげる必要はないと思うんだよなぁ。
「おかげで、魔物の領域に狩りに行けなくなったけどな」
「当たり前です。安全が確保できるパーティを組んでいないのですから」
これにて、ドラゴンバスターズの女性陣はほぼ全員産休に入った。
よって今は、たまにエルと近隣の森へ狩りに行くくらいである。
それも、エルが数名の護衛を連れてだ。
「護衛とか、堅苦しいよね」
「何をおっしゃいます! もしお館様の身に何かあれば!」
偉くなるのも考えものかもしれない。
ただ、ローデリヒはエリーゼ達が付いていれば行動の自由を認めてくれる。
今は仕方がないというわけだ。
「テレーゼもなぁ……」
結局、上級の中レベルの魔力量まで上がった彼女は、自主的に避妊を止めて妊娠してしまった。
本人曰く、『魔法の練習は妊娠中でも出来るであろう。妾ももう二十一じゃ。一人くらい子供を産んでおきたいからの』だそうだ。
「テレーゼ様に関しては、別に問題はありません。お察しがいい方なので大変に楽でした」
その子はバウマイスター伯爵家の継承権はないが、男子ならば新たに立ち上げる重臣家の当主にする。
それでテレーゼとは話がついていると、ローデリヒが語る。
いつの間にと思ったが、面倒がなくて俺からすれば好都合だ。
「リサ様ですが、結局手を出しましたな」
「こら、ローデリヒ。今さら階段を外すか?」
彼女に関しては、あのメイクと衣装のままだと誰ももらってくれないし、スッピンにすると俺以外の男性とは話せない。
うちの女性陣とは普通に話せるようになったので、訓練の効果がなかったわけでもないのだが……。
甲斐甲斐しく領地の開発を手伝ってくれるし、アマーリエ義姉さんなどに言わせると『年上なのに可愛いからつい面倒を見てしまう』人で、俺もそう感じていたので本人の希望を受け入れる事にした。
そして彼女も妊娠し、その前に魔力も上がっている。
カタリーナとほぼ同じ量まで増えていたが、やはり元から超一流の魔法使いだと伸びしろが少ないようだ。
「リサ様は、嬉しそうではないですか」
確かに、今の彼女はエリーゼ達と共に赤ん坊用の産着などを縫って日々を過ごしている。
もうすぐ三十歳になる彼女からすれば、年増の自分に奇跡が起きたと思っているのであろう。
日本なら特に珍しくもない年齢なのだが、この世界だと間違いなく高齢出産であった。
「この前は、大変な目に遭ったけどな……」
「リサ様が、臨時講師をなされた件ですか?」
「そう、それ」
俺は、先月にあった出来事を思い出す。
『えっ? 工事? 俺は今日は駄目だぞ』
リサの妊娠が発覚する前、その日は予備校の講義だったのだが、ローデリヒから是非に急ぎ魔法で工事して欲しいと頼まれた案件があった。
急ぎだというので俺は講義を翌日にズラそうとしたのだが、そこに名乗りをあげたのがリサであった。
しかも、臨時講師の方をだ。
工事の方は大規模で、俺が担当しなければ魔力が足りなくなってしまうので逆は不可能であるとローデリヒが言う。
『リサ様が臨時講師の方を受けてくださるそうです』
『ならいいか』
以前にカチヤが、リサは魔法を教える時は理論的だと言っていたし、生徒達も色々な魔法使いに教わった方が視野が広がっていいと思う。
俺だって、師匠、ブランタークさん、導師と魔法を教わり、魔法使いとは色々なんだなととても参考になった。
『じゃあ、お願いしようかな』
『はい』
こうして、その日はリサが臨時講師を務める事になった。
『リサ? あんたが、あのブリザードのリサ?』
その日の朝、彼女を予備校まで送っていきヘリック校長に事情を説明すると、彼は目を丸くさせながらリサを見ていた。
俺もその気持ちはよくわかる。
以前とは、まったくの別人のようになってしまったのだから。
『よろしくお願いします』
『バウマイスター伯爵殿、俺はあんたを尊敬するぜ……』
ヘリック校長は、俺がリサを矯正したと思っているらしい。
正確には化けの皮を剥いだか、本性を暴いたといった感覚なのだが。
『バウマイスター伯爵殿が急用ならば、是非にお願いしようかな』
ところが、今のリサには欠点が一つある。
いまだに、俺以外の男性と碌に話すら出来ない点だ。
いくら未成年ばかりとはいえ、魔法使いクラスの半分は男性であった……。
『あの……』
『先生、何を言っているのかよく聞こえません』
当然、自己紹介すら出来ないでオドオドする羽目になってしまう。
生徒達も、碌に口すら利けない臨時講師に不満を漏らす。
正直、なぜ引き受けたのかと思ったのだが、すぐにその理由は判明した。
もっともこれらの話は、俺はもう工事現場に向かっていていなかったので、ヘリック校長が様子を見に行ってわかった事実である。
『少し、失礼します……』
生徒達が今日の臨時講師に不満を抱くなか、リサは小さく断ってから教室を出て行き、十分ほどで戻ってきた。
以前のメイクと派手な衣装に身を包んで。
『ブリザードのリサだ! クソガキ共! 今日は鍛えてやるから感謝するんだな!』
教室内は、一気に阿鼻叫喚の渦に包まれたそうだ。
それはそうであろう。
冒険者を目指す魔法使いで、リサの名と普段の言動を知らない人はいないのだから。
教室内は、一気に危険ゾーンに突入した。
『さっきのと同一人物? 詐欺だ!』
『うっさいね! 凍らせるよ!』
ある男子生徒の発言にキレたリサが、周囲に冷気を漂わせる。
教卓の上に置かれた花瓶と花がまるで彫刻のように凍りついたのに生徒達が恐怖し、彼らは大人しくリサからの講義を受けた。
講義内容の方は、納得のできる理論的なものであったそうだ……。
『前回の臨時講師はどうだったかな? 先生、前回は急用があって出られなかったんだ』
『とても参考にはなりました……怖かったですけど……』
『教卓のお花は天に召されましたので、新しいお花を持ってきました。ためにはなったけど、怖かったです』
『水と風系統の魔法理論は素晴らしかったです。怖かったですけど……』
アグネス、シンディ、ベッティ他、すべての生徒達があのメイクと衣装のリサを見て肝を冷やしたようだ。
それにしてもあの衣装、替えがあったのかと、俺は妙な感心をしてしまった。
『リサのあの衣装、もう一度見てみたいかも』
『すいません、旦那様になる人には見せられません』
そんな経緯もあり……何がそんな経緯なのかわかないが、俺はリサも奥さんとして娶った。
勝負して破ったから嫁にするとか、こんな事を続けていると俺は死ぬまでに何人の女性を嫁にするのであろうかと思ってしまったが。
「それにしても、アマーリエ様がいてよかったですな」
確かに、ローデリヒの言うとおりだ。
ここまで奥さんが増えてみんな妊娠してしまった。
なので、彼女が妊娠したエリーゼ達の面倒を見てくれるとありがたい。
公式には侍女長扱いのアマーリエ義姉さんであったが、ローデリヒは俺の奥さんとして扱っている。
彼に言わせると、『子供を産んだ経験があり、まだ若いので頑張ってください』なのだそうだ。
「さすがに、これ以上は奥さんを増やせませんか……」
「おい……」
ローデリヒがとんでもない事を考えていやがった。
だが、寄親であるブライヒレーダー辺境伯との兼ね合いもあるので、これ以上は不可能であろう。
彼は俺に奥さんの数を合せる事をしてきたのだが、さすがにもう勘弁してくれと、この前魔導携帯通信機で連絡してきた。
彼は文系肌の人物であり、別に好色でもなかったからだ。
成人してからだが、フィリーネも合わせて合計八人、非公式の愛人二人。
字面だけで言うと、貴族とは淫靡な生き物である。
いや、ライオンの群れか?
官能小説などのネタになるわけだ。
もっとも、実際にそうなると面倒な点もあったりする。
特に俺は、女性を上手くあしらうスキルに欠けているのだから。
「最低でも、三十人はほしいですな」
しかし、ローデリヒに言わせるとその制限がもどかしいらしい。
一体、俺の将来はどこに進もうとしているのだ。
「何をだ? ローデリヒ」
「勿論、お子の数です」
「おい……あえてもう一度言う。おい……」
そんなに沢山、俺は戦国武将や江戸幕府の将軍かと思ってしまう。
「分家の創設に、半分は女子と考えて婚姻の引き合いも多いですからな。男子とて、婿養子に欲しがる家などもあります」
子供が娘しかいない家からすれば、うちから婿養子を受け入れ関係を結び、利益を得るくらいの事は考えるそうだ。
普通の貴族家なら子供の行き先で頭を悩ませる事態になるが、俺が初代のバウマイスター伯爵家ならまったく問題ない。
「生臭い話だな」
「それが貴族ですので」
「わかったから」
「というわけですので、頑張ってください」
俺はローデリヒにガッチリと両肩を掴まれた。
これ以上、俺に何を頑張れというのであろうか?
「わかったから!」
俺は話を打ち切ると、急ぎそのまま『瞬間移動』で王都へと飛んだ。
生臭い貴族の世界のお話は忘れ、早く純真な生徒達と接したいと思ったからであった。
「今日の講義はここまで。質問があったらいつでも聞いてくれ」
今日の講義も無事に終わった。
教室にいる六十一名の生徒達は、まだメモを取り続けている。
最初はボケた老講師のために出席日数ギリギリで構わないと顔を出していなかった生徒達も、俺が講師だと聞いてほぼ全員が出席している。
たまに体調不良などで一人、二人休むくらいだ。
俺のネームバリューもあるのであろうが、こうして俺が教えている事を懸命に聞いてくれる生徒達を見ると心が和むというものだ。
このまま教師を続けるのも悪くないかもと、俺は思い始めていた。
本当、貴族の柵とはクソ食らえである。
「先生!」
「質問か? アグネス」
「はい」
最近では、生徒達の名前と顔も覚えた。
その中でも一番よく質問してくるのは、やはり委員長キャラであるアグネスだ。
彼女の実家は眼鏡屋さんであり、目が悪い彼女はそのおかげで高価なオーダーメイド眼鏡を複数所持している。
たまにかける眼鏡を変えてくるのだが、彼女にその理由を聞くと実家の宣伝だと言っていた。
真面目な彼女は、父親に言われてそうしているらしい。
眼鏡とはそう滅多に売れるものでもないので、少しでも宣伝になればという事のようだ。
高価なので富裕層向けであり、庶民で買えるのはあの胡散臭い不動産屋のように商売で成功した人間だけであった。
確かに、リネンハイム氏は眼鏡も胡散臭いものをかけている。
アグネスに聞くと、彼もあのお店の常連だと言っていた。
わざわざあの胡散臭い眼鏡をオーダーメイドするとは、さすがはリネンハイム氏だと言わざるを得ない。
アグネスの実家は、俺が提案したサングラスの販売でそこそこ潤っている。
リネンハイム氏も、プライベート用にサングラスを注文したそうだ。
仕事用でなくてよかった。
どう見ても地上げ屋になってしまうからだ。
「『魔法障壁』の角度についてお聞きしたいのですが……」
「ああ。それね……」
『魔法障壁』は、魔力が少ない者からすると悩ましい魔法である。
全身を包むと消費魔力量が増えるし、展開を維持すればやはり魔力を消費していく。
魔力をケチって『魔法障壁』を薄くし過ぎると、呆気なく貫通してしまい展開する意味がなくなってしまうというわけだ。
そこで俺は、ある方法に辿り着いていた。
戦車の傾斜装甲のように、『魔法障壁』に傾斜をつけるようにしたのだ。
これならば、多少『魔法障壁』が薄くてもある程度までの衝撃は防げる。
魔力が少ない魔法使いからすれば、大きな助けとなるであろう。
ただし、同じ『魔法障壁』の厚さと角度でも防御力には個人差が出る。
その見極めを確実に行ってから実戦で使用するようにと、俺は講義で説明した。
アグネスは、早速自分なりに『魔法障壁』の改良を行いたいのであろう。
「私も、お願います」
もう一人、この娘はシンディという名前で、黒髪をオカッパ頭にした少女であった。
年齢は十二歳と最年少であったが、現時点での魔力量は最優秀のアグネスとそう違いはない。
実家は大きな花屋であり、彼女はそこそこのお嬢さんであった。
俺は、たまに奥さん達に贈る花を購入している。
「先生、私にも教えて欲しいです」
三人目は、実家が飲食店であるベッティであった。
彼女もアグネスと魔力量に差がなく、俺は特にこの三人に目をかけている。
駄目な兄が店を潰しかけたが、今は俺のインチキコンサルティングのおかげで人気店になっていた。
立飲み屋なのでたまに導師と待ち合わせて一緒に飲んでいるが、居酒屋とは違って長っ尻にならないので、俺も導師も使い勝手のいい店だと喜んでいる。
現在、アルテリオさんが同形態のお店を王都に何店舗かオープンさせていた。
「先生、俺にも教えてください!」
他にも多くの生徒達が手をあげたので、ここからは課外講義として外に出る事にした。
裏庭にて、早速『魔法障壁』の実演を行う。
「見やすいように、色を付けたから」
『魔法障壁』に色を付けるのはそう難しくない。
対人戦闘だとその厚さが一目瞭然になってしまい戦闘で不利になるので、みんな透明に近い『魔法障壁』しか張らないだけだ。
魔物に『魔法障壁』の厚さがわかるのか? という疑問もあるが、魔物の知性についてはいまだ研究途上だし、冒険者をしていると人間とトラブルになる可能性もある。
魔法使いで色付きの『魔法障壁』を張っている人は少なかった。
「傾斜をつけすぎると大分前で展開しないといけない弱点も出てくるから、四十五度くらいが限界かな? もしくは……」
『魔法障壁』に丸みを帯びさせる。
形状のコントロールが難しいので練習が必要になるが、これも防御力を上げる効果があった。
「なるほど。これなら同じ魔力使用量でも防御力が増える」
「難しい……『魔法障壁』に丸みを帯びさせるのが……」
「それは、ライナルトが魔法の練習をサボっているからだろうが」
「俺はちゃんと毎日練習しているぞ!」
一人の男子生徒が同級生にどやされ、彼はそれに反論した。
一部要訓練の者もいるが、何とか全員に理論を理解してもらえたようだ。
時間外指導を終えて校長室に向かうと、そこでヘリック校長からとある行事に参加して欲しいと要請された。
「『大野外遠足』ですか?」
「魔法使いクラスを引率してほしいのだよ」
「引率ですか……先生らしい仕事ですね」
「そうだろう? もし時間が空いていたらでいいんだが」
遠足の引率とは、俺も教師業も本格的になったというわけだ。
「勿論応援はくるさ、一人で六十人も引率はしないから」
「ですよね」
プロの教師でもない俺が、一人で六十名もの行動を監視など出来るはずがない。
さすがに、その辺は考慮してくれたようだ。
「予定は空いていますからいいですよ」
「すまないな」
「いえ、俺は先生ですから」
俺は引率の件を了承した。
屋敷に戻ってエリーゼにその話をすると、彼女は大野外遠足について知っているようだ。
俺にその内容を教えてくれる。
「教会から何名か神官を派遣しますので、概要は知っています」
大野外遠足とは、王都近郊の狩猟場に全員で出かけて狩りをする行事だとエリーゼは説明する。
どうやら、俺が考える遠足よりもアクティブに動く行事のようだ。
なら、『大狩猟祭』でもいいのにと俺は思ってしまったけど。
「未成年の学生さんか、卒業前の生徒さんばかりなので、当然魔物の領域では行いません。通常の狩猟場で、みんなで狩りを成果を競い合うのです」
神官は、負傷した時のためのボランティアだそうだ。
エリーゼも一度参加した事があると言う。
「たまに軽傷者は出ますが、ほぼ顔を出すだけで終わりでした。そこまで危険でもありませんし」
王都郊外の狩り場だから、当たり前といえば当たり前だ。
冒険者でなくても、野草などを取りにくる人もいるくらいなのだから。
「ヴェルは何をするんだ?」
「監視だな。危険がないように」
俺は、エルに当日の仕事を説明した。
「結構、過保護なんだな。王都の予備校は」
ブライヒブルクにある冒険者予備校には存在しない行事だ。
俺達は滅多に王都の冒険者予備校に行かなかったので、実はこの行事が存在する事すら知らなかった。
「俺は予定が空いているから付いていくよ」
エルが、俺の護衛と手伝いのために付いてくる事になった。
「狩猟か……監視役でもいいわね」
「ボク達はもう行けないからね」
妊婦に『瞬間移動』は禁止で、イーナとルイーゼは参加できないのを悔しがっていた。
あまり動けないので、少しストレスが溜まってるのかもしれない。
「気持ちはわかるけど、大人しくしていなさい。母子共に危険なんだから」
「わかりました」
「お母さんになるには大変だなぁ」
動きたくてたまらない二人に、アマーリエ義姉さんが釘を差した。
流産でもしたら大変だと思っているのだと思う。
「それに、言うほど動けないわけじゃないじゃない。冒険者の運動量に比べれば、動いていないのに等しいのでしょうけど……」
二人も含めて奥さん達は屋敷とその周辺は自由に動き回れるし、訓練も魔法主体のものは今も行っている。
だから、そこまで行動に制限があるわけでもなかった。
「ヴェル様、魔法使いばかり六十人も監視するの?」
「いや、それは正確ではないか」
当然、魔法使い達は他の冒険者見習い達と編成しているパーティで参加する。
放課後既に活動しているパーティに、この行事のために臨時で編成したパーティ、あとは現地で人数が少ないパーティとソロの人間を集め、講師が勝手にパーティを組んでしまうケースもあると聞いた。
俺の仕事は彼らの監視であった。
「まさしく……」
「ヴェンデリンさん、なぜ私とリサさんに視線を?」
カタリーナとリサの二人は、それにも逆らってボッチで大野外遠足に参加していそうだからだ。
担任の先生から『○名でグループを作ってください』と言われた時に、余り者同士でグループを作ってしまうのはボッチ見習いでしかない。
それにも逆らって一人で行動するからこそ、真のボッチと呼ばれるに相応しいのだから。
「私は西部の予備校でしたので、大野外遠足という行事はありませんでしたわ。狩猟ランキング制度はありましたけど」
在学中一年間の狩猟の成果をカウントして、成績優秀者を表彰する制度だそうだ。
「私、十二歳の頃から三年連続で一位でしたわ」
「カタリーナ、凄い! どういうパーティで狩猟をしたの?」
「……私ほどの魔法使いになると、一人で十分に対処可能ですから……」
ヴィルマの質問が堪えたようで、カタリーナは顔を引き攣らせていた。
きっと彼女は、ずっと誰ともパーティを組まないで一人で狩猟を行ったのであろう。
「リサは?」
「私は王都の冒険者予備校の出なので、『大野外遠足』には出ました……」
ヴィルマは続けてリサにも聞くが、口籠って後半の言葉が出ない。
出会った頃のリサを考えると、間違いなく彼女一人で参加したのであろう。
「一人でも、優秀な魔法使いは何とかなるからの。妾もそれは理解できたわ」
魔法を使えない冒険者見習いが一人ではどうにもならないが、魔法使いなら一人でも好成績を上げてしまう。
カタリーナとリサは、典型的なボッチ魔法使いというわけだ。
いや、こういう場合は孤高の魔法使いであろうか?
俺も他人の事は言えなかったが……。
「しかしわからぬの。その時だけでも適当にパーティを組めばよかろうに。のう、カチヤ」
「あたいはソロだったけど、臨時パーティならよく組んだぜ」
それは、テレーゼとカチヤがそっち側の人間だからだ。
テレーゼならば、自分がリーダーになってパーティが組める。
カチヤもこう見えて、誰とでもすぐに仲良くなれるスキルを持っている。
普段はソロ冒険者であったが、定期的に臨時パーティを組んで狩猟を行っていたそうだ。
冒険者予備校時代からの知己も多く、実は彼女はコミュニケーション能力に優れていた。
「カチヤ、凄いんだな」
「えっ? そうか? 旦那」
俺も基本的にはカタリーナとリサ寄りだから、カチヤを羨ましく思ってしまうのだ。
「大野外遠足ならあたいも出たけど、あの草原や森は危険は少ないからピクニック気分でいいと思う」
ウサギ、鹿、アナグマ、ハクビシン、鴨、ホロホロ鳥。
獲れる獲物はこのくらいで、まず死者など出ない。
だから、大野外遠足なのだそうだ。
「お気楽な行事なのか?」
「俺は半分お休みのようなものだな」
エルはのん気そうだが、翌日俺達は予想外の喧騒に巻き込まれる事になる。
「これはこれは、バウマイスター先生ではありませんか。私は講師のヨーゼフと申します」
「普段はなかなか挨拶が出来ないので。ラードルフです」
遠足は家に帰るまでが遠足だと、日本で学校の先生が言っていた。
大野外遠足も同じであったが、冒険者予備校は学校ではない。
現地集合現地解散なので、早速遅れてくる生徒達が続出した。
王都からそんなに距離は遠くないのにこの体たらく。
だが、冒険者では珍しくない。
少しくらい遅刻しても、冒険者とは稼げれば問題ないからだ。
勿論、貴族家に仕えようとすればそんな奴は駄目だが。
そんな理由で生徒達を待っていると、俺に正規・臨時を含めて多くの講師達が挨拶に訪れる。
ちゃんと対応はしているが、数が多くて相手をするのが面倒だ。
「みんな、必死だな」
隣にいるエルが、ボソっと呟く。
「何で、臨時講師の俺に挨拶を?」
「お前なぁ……ローデリヒさんの計画書をちゃんと見ているか?」
「見ているけど、それが?」
「バウルブルクの冒険者予備校建設計画だよ」
それは俺も見たが、それは一年後に開校予定のはずだ。
いくら魔法で工事できるとはいえ、そうポンポンと何でも出来るわけがないのだから。
「正規講師は予備校の幹部と校長の椅子が欲しいだろうし、臨時講師は正規講師の椅子がほしいだろうな」
俺のような短期間のみの臨時講師とは違って、正規講師員職の空きを待ちながら臨時講師を続けている者も多い。
彼らからすれば、バウルブルクの冒険者予備校で正規講師枠が増えると期待しているというわけだ。
「採用なんて、校長にした人に丸投げする予定だけど」
「それでも、領主様の鶴の一声は貴重だろう?」
「かもしれないけどな」
他にも、多数の生徒を引率するので多くの冒険者も参加している。
アルバイトなのであろうが、彼らも俺を食い入るように見つめていた。
「彼らは?」
「貴族の子弟とかじゃないの?」
生活のために冒険者になったが、出来れば仕官したい。
そういう連中がこのアルバイトに潜り込んだようで、必死にアピールを続けていた。
「何か、やりづらいな……」
彼らは、俺の方にばかり視線を向けるので困ってしまう。
「無視しとけ。仕官なら、正式な窓口から申し込めばいいんだから」
他人に見られ続けて居心地の悪さを感じていたが、ようやく生徒が全員集合した。
大野外遠足は校内行事なので、最初に開会式がある。
パーティ毎に整列し、ヘリック校長が挨拶をしてから注意点などを話していた。
俺とエルは、校長の横に講師達と共に並んでいる。
「至極当たり前の事ばかりだけど、念のために言うんだな」
「そこは、予備校だからだろう」
やはり、いつ聞いても校長先生の話など退屈なものだ。
幸いだったのは、元は優秀な冒険者であるヘリック校長なので無駄話はしなかった点であろうか。
あと、学校の朝礼では恒例の倒れる生徒はいなかった。
その程度で倒れてしまう奴に冒険者は不可能だから当然であったが。
「では、開始の合図を!」
「はい」
ヘリック校長に促され、俺は上空に向けて『ファイヤーボール』を放つ。
花火代わりというわけだ。
これが開始の合図となり、生徒達は事前に地図を見て検討したポイントに向けて走り出す。
「各講師の方々も、臨時雇いの冒険者の方々も。所定のポイントでの監視を続けてください」
そう言うと、ヘリック校長は本部に指定したテントに引っ込んでしまう。
他にも、治癒担当の神官数名と幹部クラスの講師達も一緒だ。
「若い連中が汗を流せってか?」
エルが早々に引っ込んでしまったヘリック校長達を皮肉っていたが、待機も仕事であろう。
気合を入れて現場に来られても逆に困るのだから。
「エル、行くぞ」
「了解」
俺とエルも、事前に話し合って決めたポイントへと向かう。
「草原に一部森か……悪くないな」
「そうだな」
俺とエルが担当するエリアは草原と森が隣接するエリアで、悪くない狩り場だと思う。
エルも同意見であった。
俺はすぐに、はぐれた大猪や熊などがいないかを確認。
いれば駆除をして、生徒達に危険がないようにする。
これも、講師役の仕事であった。
「何だ、大物がいるじゃないか」
「本当か? 一匹だけでも狩りができてラッキーじゃないか。行こうぜ、ヴェル」
俺は『探知』でそれらしい反応を見つけ、早速二人で現場へと向かう。
熊はいなかったが、巨大な猪がいたのですぐにエルが矢を放ち、俺が『ブースト』をかけた。
額のど真ん中に矢が刺さった猪は、すぐにその場に倒れて絶命する。
「やっぱり、王都の予備校は甘いよな」
「校内行事だからだろう。放課後の狩りではこんな事はしないし」
行事で冒険者に死なれると面倒だから、こんな事をしているのであろう。
気にしても仕方がないと、俺は猪をその場で血抜きしてから魔法の袋に仕舞う。
他の反応も探すが、あとは小型の反応ばかりでここは安全な狩猟場のようだ。
これにて駆除が終わり、あとはウロウロと監視するだけしか仕事がなくなってしまう。
「あーーー、狩りがしたい」
「ヴェル、生徒達の獲物を奪うなよ」
「ならば、他の物を採ろう」
というわけで、エルには監視を続けさせ、俺も『探知』で監視を続けながら野草の採集を始める。
「この草は天ぷらにすると美味しい。この木の新芽はお浸しにすると最高だ。この草の根っこはあとで味噌汁に入れよう」
「妙に詳しくなったな」
「先生がいいからさ」
「エリーゼ先生かよ」
エリーゼは、教会の炊き出しに使う素材の採集を経験しているので、野草にも詳しかった。
俺も教えてもらって、ある程度はわかるようになっている。
「毒とか大丈夫か?」
「ありきたりで、確実に大丈夫なものしか取っていないから大丈夫」
魔法で解毒もできるが、たまに魔法が効かない未知の毒もあるのでその辺は警戒していた。
『バウマイスター伯爵、野草の毒で死す』では格好がつかない。
「これくらいで十分だな。早速調理を……」
ある程度採集を終えたら、今度は野外調理の開始だ。
ただ監視もあるので、携帯魔導コンロでご飯を炊き、味噌汁を作り、野草の天ぷらとお浸しを作るくらいである。
「いや、十分に作りすぎだから!」
「メインは、持参しただけだぞ」
さっき獲った猪ではないが、これは事前に大きな鍋で角煮を作っていた。
豚肉ではないが、エリーゼの作なので味は美味しい。
これも温める事にする。
「いい感じに昼食が出来たな」
遠方では、生徒達が懸命に狩りをしている。
成績上位者には表彰と賞金も出るそうで、他にも高名な冒険者というのはみんな大野外遠足においても好成績を上げていたそうだ。
当然、生徒達は優秀な成績を目指す事になる。
みんな懸命になって当然なのだ。
「ご飯、野草の根の味噌汁、野草の天ぷら、野草のお浸し、猪の角煮。食事はバランスよくな」
「こんな場所でそんな事を気にするのは、間違いなくヴェルくらいだろうな……」
生徒達に特にトラブルもないようので、俺達はのんびりと食事を始める。
ヘリック校長達も食事を取っているであろうし、他の講師達も弁当くらい持参しているはず。
生徒達も、各々自由に昼食を取るはずだ。
時間の指定などない。
そのくらい、自分で考えて取れという事なのだ。
「先生、美味しそうですね」
「いいなぁ……」
「豪勢ですね」
食事をしていると、顔見知りが声をかけてくる。
魔法使いクラスでトップ3で俺が目をかけているアグネス、シンディ、ベッティの三人であった。
彼女達は仲がいい三人でパーティを組んだようだ。
「すまないな。規則上、分けてあげられないんだ」
飯の確保とその時間配分も大野外遠足の課題に含まれているので、あげると失格になってしまうからだ。
「ルールですから。当たり前です」
やはり、委員長キャラであるアグネスの性格は真面目そのものであった。
「魔法使い三人のパーティか。ヴェル、みんな可愛い娘だな」
「お前なぁ……ハルカに言いつけるぞ」
「なぜ、女性を褒めただけで浮気扱いなのか?」
「まったく、他人の教え子にちょっかいを出して」
「思いっきり濡れ衣なんだが……」
嘆くエルは放置して、俺は三人に狩猟の成果を聞く。
「かなり上位を狙えるはずです」
「それはよかったな」
三人とも優れた魔法使いなので、別におかしい事でもない。
上級がいないので今年は不作だと騒ぐアホな講師もいたが、彼女達はまだ魔力が伸びている状態だ。
今の時点で決めつけるのはどうかと思う。
それに、俺の周りには魔力量の多い魔法使いが多いが、本来であれば中級でも十分に優れていて、そうそう一緒にパーティなど組めないのが普通なのだから。
「弓を使える奴を入れなかったのか?」
「三人の方が連携が楽ですし、弓なら持っていますから」
三人は弓も持っており、これを射て矢を魔法で強化する戦法も使って数を稼いでいるようだ。
魔法使い用の袋に、獲物が大量に入っていると思われる。
俺とエルもよく使った数稼ぎ用の戦法で、懐かしさを感じてしまう。
「先生のおかげで、前よりも大分狩猟の効率が上がりました。ありがとうございます」
シンディが俺にお礼を言うが、こういう光景を見ていると心洗われるようだ。
以前は素直にお礼を言う少女ではなく、普段は何か裏のあるお礼も言わないオッサンやジジイを相手にしていると余計にそう感じてしまう。
「怪我のないように頑張ってくれよ」
「先生」
「何かな? シンディ」
「もし優勝したら、何かご褒美をください」
最年少であるシンディは、俺に褒美が欲しいとストレートに言う。
図々しいお願いではあるが、彼女の愛らしい容姿と声によってまったくそうは感じられなかった。
「優勝したらな。王室御用達のフルーツパーラーで食べ放題だ。他のクラスメイト達にも伝えておいてくれ」
「やったーーーっ! ありがとうございます」
俺から優勝したら奢るという条件を引き出した三人は、素早く準備したお弁当を食べると狩猟に戻っていく。
その対象が彼女達だけでなく、他の魔法使い達も入っていたのは、先生として依怙贔屓はよくないと思ったからだ。
「俺達にも、あんな風に可愛い頃があったな」
「ヴェル、お前はジジイか。俺達はまだ二十歳前だぞ」
「とはいえ、これまでの苦労を考えると……」
とても、十七歳の少年少女がしていい苦労ではない。
俺は、中身がおじさんだからこそ耐えられたのだと思っていた。
「それは考えるのを止めようぜ。確かに幼く感じるよな」
「だろう?」
俺に巻き込まれて苦労しているエルも、アグネス達を見て昔を思い出しているようだ。
「でもみんな、ルイーゼよりは胸があったがな」
「エル、それを本人の前で言うなよ……」
確実にぶん殴られるはずだ。
俺ならそんな恐ろしいタブー、口に出すのも躊躇われる。
「当たり前だろうが。ルイーゼの場合、手加減されても滅茶苦茶痛いからな」
健康に留意した昼食を取ってから午後も監視を行うが、そろそろ駄目なパーティが目立ってくる。
準備した矢の数が少なくて狩猟ができなくなる者、午前中に張り切り過ぎて動きが極端に落ちてしまった者。
みんな経験不足だから起こるミスであり、今の内ならばまあいい経験であろう。
「三人組は頑張っているな」
三人は、いまだにペースを落とさずに狩猟を続けている。
これなら優勝するかもしれない。
夕方になりヘリック校長の元に戻ると、彼から再び上空に『ファイヤーボール』を撃つようにとお願いされる。
これで、大野外遠足の終了というわけだ。
集まった生徒達は、パーティごとに獲った獲物を集計してもらう。
一時間ほど後に、ヘリック校長から成績発表があった。
「優勝は、『マジカルトライアングル』!」
俺の予想どおりに、優勝はアグネス達のパーティであった。
二位以下のグループを大きく引き離しての圧倒的な勝利だ。
マジカルトライアングルとは、彼女達のパーティ名である。
魔法使いが三人なので特に捻りもないパーティ名であるが、俺はとても似合っていると思った。
他にも、魔法使いを入れたパーティは例年よりも優れた成績をあげているところが多い。
俺の指導も、少しは役に立ったのかもしれない。
表彰台の上で賞状と賞金を貰う三人を見ながら、俺は一人感動に浸っていた。
「ヴェル、特に波乱もなく優勝したな」
「約束どおりに奢ってあげないと。先生は約束を守るものだ」
「そういうものなのか?」
「そういうものなのだ」
「まあ、好きにしたら?」
そして三日後、俺は約束どおりに三人を王室御用達のフルーツパーラーへと案内した。
このお店は老舗の果物屋で、王宮にも果物を卸しているせいで王室御用達の看板を掲げている。
ケーキ屋も経営していて、そこでは仕入れたフルーツを使ったスィーツが人気となっていた。
バウマイスター伯爵家も冒険者ギルド経由で魔の森産フルーツを卸しているので、お得意さんでもある。
「先生、本当にこんな高いお店でいいのですか?」
真面目なアグネスは、お店の門構えと建物の豪華さを見て申し訳なく思ってしまったようだ。
一番安いスィーツでも一個十セントなので、庶民にはなかなか手が出ないお店である。
分不相応だと思っているのかもしれない。
「優勝のお祝いなんだし、今日くらいは構わないだろう。約束した以上は、先生はそれを守るさ」
「ありがとうございます」
それでもやっぱり女の子なので、彼女も甘い物には目がないようだ。
アグネスはとても嬉しそうな顔をする。
「一杯食べるぞ。おーーーっ!」
「一杯食べてくれよ」
優勝したら奢ってほしいと言い出したシンディは、無邪気に喜んでいる。
「限定のケーキ。これ食べたかったんです」
ベッティも大喜びなので、このお店にしてよかったと思う。
早速四人でお店に入ると、そこには品の好さそうな初老の男性が待ち構えていた。
「バウマイスター伯爵様、お待ちしておりました。フルーツパーラー『ブリュンヒルト』のオーナー、ツェーザルと申します。本日はようこそお越しくださいました」
「これは、オーナー自らどうも」
人気のお店なので一応予約を入れておいたのだが、それがオーナ自らの出迎えに繋がったようだ。
やはり、俺はVIP扱いのようだ。
「最近では、魔の森産フルーツとそれを使ったスィーツが好評でして、私共の商いも広がっております。それでお礼を申し上げたいと思いまして」
この店のオーナーは、アルテリオさんと知り合いなのだそうだ。
彼と組んで、今では王都とその周辺に支店網を広げているらしい。
高価ではあるが、ここぞという時には『ブリュンヒルト』でというイメージで、帝国内乱時には北部地域の流通がダメージを受けたが、全体的には南部・パンゲニア平原開発、王都再開発、スラムの大幅な減少などもあり、王都周辺は好景気に沸いていた。
なので、たまには庶民が奮発して購入というケースも増えていたのだ。
「特別室をご用意いたしました。どうぞ」
「わざわざすまないな」
「バウマイスター伯爵様は有名ですので、その……」
ブリュンヒルトのカフェスペースには多くの客がいて、特に貴族達は俺に注目している。
同じスペースで喫食をすれば話しかけられて面倒なはずなので、オーナーが俺達に気を使ってくれたのであろう。
「ご案内いたします」
オーナー自らの案内で、俺達はVIP専用の個室に案内される。
「こちらがメニューでございます」
「好きな物を頼んでくれ。食べきれなくても、持ち帰ればいいんだし」
「魔法の袋ですね」
この前の講義で、師匠に教わった魔法使い用の魔法の袋の作成実習を行った。
魔力量が低いとカバン一つ分くらいしか収納できないのだが、この三人はかなりの量を魔法の袋に収納できる。
お土産のケーキくらいなら、いくらでも入るはずだ。
「魔法の袋に入れておけば鮮度が下がらない。つまり……」
「わーーーい、暫くブリュンヒルトの味が堪能できる」
シンディとベッティは、大喜びで自分の魔法の袋の確認をした。
「お待たせいたしました」
「凄い……」
「美味しそう」
「夢のようです」
テーブルの上には、ケーキ、プリン、ババロア、パフェなど大量のスィーツが並んだ。
注文していない品もあり、他にもメニューにない新製品などもあるようだ。
「来週からお出しする予定の新製品もあります。ご感想などをいただければ幸いです」
オーナーが気を使って、新製品を俺達に無料で提供してくれた。
エリーゼ達にも持ち帰ってあげようと思う。
「じゃあ、遠慮なくいただこうか」
「「「はいっ!」」」
俺達は順番にスィーツを食べ始める。
このために昼食を抜いているので、かなりの量が入るはずだ。
「甘さ控えめで、いくらでも入りそうです」
「美味しい」
「幸せです」
三人とも、スィーツを食べながら幸せそうな顔をしていた。
その様子を見ると、連れて来た甲斐もあったというものだ。
「でも、他のみんなに悪いような……」
「条件が優勝だから問題ないさ」
真面目なアグネスらしい意見だが、冒険者や魔法使いの世界は実力本位なのだ。
俺が優勝したらという条件を飲み、それをアグネス達が達成したので連れて来た。
他のクラスメイト達も条件が同じであった以上は、これに文句をつけても仕方がない。
もし奢って欲しければ勝てばよかった。
この世界では、みんなそんな風に考えるのが普通だ。
「お腹一杯です。先生、ありがとうございました」
「先生、ご馳走様でした」
「とても美味しかったです。ご馳走様でした」
沢山のスィーツを食べ、お土産も大量にある。
三人はとても満足そうで、その顔を見ていると俺もなぜか嬉しくなってしまうのであった。
「つまり、新しい嫁候補だと?」
「エル、お前はどこをどう聞くとそういう話になるんだ? 先生として優勝した教え子三人に、約束どおりスィーツを奢った。それだけの事じゃないか」
「本当にそうなのかなぁ?」
その日の夜、俺は屋敷に戻ってエリーゼ達にもお土産のスィーツ類を振る舞っていた。
エルも姿を見せてケーキを食べていたが、突然とんでもない事を口にする。
「俺は先生として、頑張った可愛い生徒達にご褒美を出しただけだぞ」
「いや、そんなブリュンヒルトほどの高級店。貴族や金持ちが、若い姉ちゃんの気を引こうと連れて行くようなシチュエーションにしか見えない」
「嫌だねぇ……心が穢れている人は」
「だから、ヴェルがどう思うかじゃなくて、世間の人がどう思うかなの。わかるか?」
「そんな事は、いちいち気にしていられないよ」
帝国内乱での功績に、トンネルでの騒動もあった。
いちいち世間での風聞を気にしていたら、俺にはカウンセラーが必要になるかもしれない。
「大丈夫よ、エル。世間の人はこう思うわ。ヴェルは弟子を取ったのだと」
イーナが言うには、俺が冒険者予備校の魔法使いクラスの中で最優秀の三名を弟子として囲おうとしている。
そういう印象を受けるようだ。
「弟子かぁ……魔法使いの師弟制度って、俺にはよくわからないけど……」
「私にもわからないけど……その辺ってどうなの? リサさん」
「正式な登録が必要というわけでもないですし、お互いに承知するだけです」
最近やっと普通に喋れるようになったリサは、魔法使いの師弟制度について説明する。
「こういう時に、前はブランタークさんだったけど」
「お師匠様は、お忙しいのです……子守りに……」
ここのところ、ブランタークさんは姿をほとんど見せない。
その理由は、内乱中に子供が生まれたので、家族との時間にウェイトを置いているからだ。
なので、本当に用事がある時でないと俺も迎えに行っていない。
ルイーゼやカタリーナからすると、今までは究極の独身主義者だったのに、今では子供に掛かりきりのブランタークさんが面白くて仕方がないのだ。
「私もカチヤに教えましたけど、やはり男性は男性同士で、女性は女性同士の方がいいかもしれませんね」
「器合わせの問題か……」
親子や恋人、配偶者以外の器合わせが世間から色眼鏡で見られる以上は、男性は男性同士、女性は女性同士が好ましいとされていた。
ただ、器合わせさえしなければ、性別の違う師弟は珍しくない。
「でもよ、カタリーナの師匠はブランタークさんだろう?」
「器合わせは、ヴェル様とした」
「なら問題ないのか」
ヴィルマの返答にカチヤは納得した。
カタリーナは、俺達と出会うまですべて独力で魔法を学んでいる。
その後で俺と器合わせをし、他の指導は全てブランタークさんが行っているので、彼女の師匠はブランタークさんという事になる。
「あたいは姉御が師匠で、魔力の伸び担当は旦那だもんな……」
自分で言いながらカチヤは顔を赤く染めていた。
恥ずかしかったのであろう。
「カタリーナは凄いよな。あたいよりも年下なのに、姉御が感心するくらい独学で魔法を習得していたし」
「私も、基礎はブランタークさんなので」
リサですら、成人前にはブランタークさんから指導を受けている。
それすらないのに独学で一流の魔法使いになったカタリーナに、彼女は感心していた。
「それは、カタリーナが……」
「ヴェンデリンさん、何なのです?」
「何でもないよ」
「怪しいですわね……」
カチヤのようにコミュニケーション能力がないので、独学で何とかしないといけなかった。
必要に駆られてというやつだ。
これは、口に出して言えなかったが。
「エリーゼは、教会だよね?」
「はい、治癒魔法使いの方に基礎を習いました」
そして、俺と器合わせをする前に魔力の伸びがほぼ限界に達してしまった。
その後、俺が他人様の前では言えない方法で伸ばしていたが。
「ブランタークさんからも、細々としたコツなどを教えてもらって感謝しています。私もそうですが、ルイーゼさん、イーナさん、ヴィルマさんもそうですよね?」
ルイーゼの師匠は導師という事になっているが、ブランタークさんからもたまに指導は受けていた。
俺と結婚後に魔法使いになったイーナとヴィルマは、一からブランタークさんの指導を受けている。
「あたいもそうだし、旦那もそうだから、ブランタークさんの教え子が多いよな」
内乱中には、帝国の魔法使い達にも指導していたので、弟子の多さでは大陸随一かもしれない。
「そのせいで、引き抜きのお話もあったそうですが」
「エリーゼ、それはホーエンハイム枢機卿経由の情報かな?」
「はい」
王国がブランタークさんを法衣貴族にしてしまい、冒険者予備校の校長職を任せる計画があったそうだ。
エリーゼは、ホーエンハイム枢機卿から聞いたと話す。
「ですが、ブライヒレーダー辺境伯様はいい顔をしませんし、ブランタークさんも嫌がっていました」
自分が貴族になると面倒だと考えている人だし、ブライヒレーダー辺境伯家での待遇は悪くない。
冒険者予備校の校長の件も、貴族にしたブランタークさんを押し込んで予備校校長職を貴族固定にしてしまおうとする貴族達の陰謀があったようだ。
「ブランタークさんは、お世話になったヘリック校長を押し退けたくはありませんし、有能でちゃんとお勤めを果たしている方を、そんな理由で退職させるのかという話になりまして」
ブランタークさんは突っぱねてしまったために、その話はお蔵入りになってしまったそうだ。
「面倒臭い話だな」
「ですが、その三人の魔法使いの方々はどうするのですか?」
「えっ? どうって……」
どうもこうも、このまま一年間のカリキュラム終了まで教えて、修了式で他の生徒達と共に『よく頑張ったな』と褒めて、ドラマの教師のように感動に浸るだけである。
それが終われば臨時講師期間も終了なわけで、卒業後にも師匠として個々に面倒は見るが、これはケースバイケースだな。
「間違いなく、他の貴族達はピリピリしていると思います」
才能ある若い魔法使い達なので、どうにか自分の家に引き込もうとしているのに、俺が殊更可愛がれば、バウマイスター伯爵家で確保するつもりなのではないのか?
そういう風に考えているのであろうとエリーゼが予想した。
「そうでなくても、うちは伯爵家にしては魔法使いの数が多すぎますから」
当主である俺の他は、全員妻なので文句も言えない。
だが、ここで他の魔法使い確保に走ればただでは済まないぞ、と思っている貴族も出てくると、エリーゼは警告する。
「決められた期間は教えるけど、あとの進路は自分で決めてほしいな。勿論、指導や相談は常に受けるけど」
師匠なので助けはするが、最終的には自分で進路などを決めてほしい。
俺はそう思っているのだが、周りが色々とうるさいのは優れた魔法使いの宿命であるか。
それでも、アグネス達には自由にやってほしいものである。
今の俺が完全な自由とはほど遠いところにいるので、余計にそう感じてしまうのだ。
「彼女達の進路は自分で決めるべきだ。先生は、そのための努力は惜しまない」
「本当、このわずかな期間で先生にかぶれたな」
「かぶれた言うな!」
思わずエルに言い返してしまったが、それから数日後早速に予備校で変化があった。
「アグネスさん、俺達のパーティに入らないか?」
大野外遠足の結果もあり、アグネス達三人はよく他の生徒達からパーティに誘われるようになっていた。
「すいません、私達は三人で動いていますから」
ただ、三人とも今のパーティで十分だと思っているようで、誘いはすべて断りを入れている。
魔法使い三人のパーティというのは珍しいが、それで成果が出て本人達が納得しているのなら文句を言う筋合いのものではない。
だが、中にはおかしな連中もいる。
「魔法使いという希少な才能を持つ者が三人も固まっているのは、はなはだ効率が悪い。僕が分割してパーティーを組み直してやろう」
なぜかこういう上から目線のアホが定期的に出てくるが、命をかけて仕事をしないといけないのに、なぜ出会ったばかりでよく知らないお前にパーティーの編成を任せないといけないのだ。
それをアグネスが指摘すると、そいつは逆ギレした。
「魔法使い三人のパーティ一つよりも、魔法使いが一人のパーティ三つの方が効率がいいだろうが! 僕はこういう知識に長けているんだ!」
「はいはい。そこまで」
俺は、アグネスに怒鳴りつけるアホを制止する。
年齢は俺よりも数歳上に見えるが、なぜかそれだけでとても偉そうである。
「何だね? 君は」
「冒険者パーティとは自分で決めるものであって、他人に強制されるものではない。お前は、そんな事もわからないのか?」
「僕が一番効率がいい方法を言っているのだ。何しろ僕は、ベイヤー男爵家の者だからね」
段々と話が見えてきた。
どうやらアグネス達を手に入れるために、このバカ達が予備校に送り込まれてきたのであろう。
来たばかりなので、俺の顔を知らなかったようだ。
「(ローブ姿なんだけどな……)効率って言うけど、分割して戦力が落ちたパーティが犠牲を出せば、その時点で全体的な効率が落ちるけど」
何度でも言うが、命がかかっているのに戦力の公平な分布もクソもない。
パーティメンバーは、自分の意志で決めるものなのだから。
「君は魔法使いかね? 魔法使いは魔法は凄いが、冒険者としてパーティを組む時などは、幼少の頃より高度な教育を受けた貴族たる僕に任せたまえ」
戦闘力はあまりないけど、指揮、調整能力は優れていると言いたいらしい。
軍隊ならともかく、人数が少ない冒険者パーティで戦闘力が低いのは致命傷だと俺は思うのだが……。
「君はまだ若いではないか」
言うほどこの貴族のボンボンと年齢差はないと思うが、二十歳は超えているのでアグネス達の確保のために実家から送り込まれて来たようだ。
ただし、跡取りや有能な者は公的な仕事で忙しい。
ここに送られてきた時点で、間違いなくこいつは家ではオマケ扱いのはずだ。
「言い分は聞きました。ですが、やはり冒険者パーティは本人が決めるものです。それに、この娘達はまだ未成年なので」
「それについては安心したまえ。我がベイヤー男爵家からの出陣命令で、いくらでも魔物の領域に入れるから」
「あんたはバカか……」
俺は十二歳の頃に、王国政府からの従軍命令でグレードグランドの討伐に赴いた。
貴族家でも家族や領民に同じような命令を課す事は出来るが、まともな貴族はそれをしない。
領内の魔物の領域解放を目指すなら成人した凄腕冒険者達に任せるのが常識で、内乱の鎮圧、紛争、山賊の退治などでも領主や家臣が跡取りや子供を出陣させる時くらいにしか使わないからだ。
貴族家が、自分達の利益のためだけに魔法使いを囲って魔物の素材などで利益を上げる。
こういう搾取行為は、世間から白い目で見られてしまうからだ。
「まず前提条件がおかしい。この娘達はベイヤー男爵家の領民ではない。もし従軍命令を出すにしても、それは王国政府の領分だろうが」
「それも、我がベイヤー男爵家の領民に転籍すれば問題ないさ」
「おい……」
この目の前のバカは、自分の領地によほど自信があるのか?
いや、それはないだろう。
うちの実家を見ればわかる。
王国直轄地で普通に暮らす住民達からすれば、何が悲しくて名も知らない男爵領になど移住せねばならないのかと思うからだ。
貴族領には当たり外れがあり、子爵領以上だとそう外れもなく、ブライヒレーダー辺境伯領などは生活レベルが王国直轄地と大差ない。
だが、男爵領以下は賭けになる。
当主や統治システムが優秀で暮らしやすい場所と、駄目な場所がある。
ベイヤー男爵領は、このバカを見れば一目瞭然だ。
間違いなく外れであろう。
アグネス達に金を稼がせようとしている意図が透けて見える。
「大体、君は何だね? 生徒のようだけど、これ以上うるさいと父上に言って罰を与えるぞ」
「罰ですか……」
どんな罰なのか、気にはなるところである。
「そうだ! いくら魔法使いでも、平民風情は黙って……」
「あのさぁ。見てわからないのか? 俺は講師なんだが。臨時ではあるけど」
世の中には、予想を超えるバカが存在するらしい。
俺の格好を見ても、魔法使い志望の貧乏な平民にしか見えないというのだから。
「講師? その若さでか? 嘘を言え!」
「いや、嘘じゃないけど。ちなみに、俺の名前はヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターです。二度と会わないと思うけど、一応自己紹介はしておく」
「なっ……竜殺しの英雄……」
俺の名前を聞き、ベイヤー男爵家の若い男とその取り巻き連中は足早にその場から立ち去ったのであった。
「それは、凄いバカと遭遇したな」
バカ達を追い払った後にヘリック校長に事の顛末を報告すると、彼は呆れた表情を隠そうともしなかった。
「まともな貴族は、もっとスマートに勧誘するがな。ちゃんと条件も提示するし」
お金がなかったり欲深な貴族だと、ああいう勧誘をするらしい。
仲間に入れてから、貴族の子弟が強引に妾にしてしまい、稼がせて実家に貢がせる。
稀に、こういう寄生行為の被害に遭う女性魔法使いがいるそうだ。
「ベイヤー男爵家か……ギルドに報告しておく」
「報告するとどうなるのです?」
「当然、ブラックリスト入りさ」
ブラックリストに入ると、指名依頼がほぼ出せなくなる。
冒険者が寄り付かなくなるので、領内に魔物の領域を抱えていると自力で狩りをしなくてはいけなくなるのだそうだ。
「何でそんなバカな事を……」
「領内に、魔物の領域がないんだろうな」
ただの貧乏男爵領なので、余り者の息子に女魔法使いを誑かせて実家に仕送りをさせる。
それにより、領地の財政状態を改善するというわけだ。
それにしては、あの男はイケメンでもなかったな。
ヒモを目指すのであれば、せめてイケメンでないと難しいであろう。
「そういう貴族ってのはプライドばかりが高くてな。例えば正妻や身分の確定している側室にでもするならわかるけど、高貴な我が家に平民の血は入れられないからとか抜かすんだ」
非公式の妾にして、金だけ搾取する。
女性魔法使いからすれば、関わり合いにならない方がいい連中とも言えた。
「あーーー、これは注意喚起しないとなぁ。勧誘が増えた原因の一つには、実はバウマイスター伯爵達もあるんだけど」
「俺がですか?」
「間接的にだな。帝国の内乱で大活躍したじゃないか」
俺、導師、ブランタークさん、カタリーナ、エリーゼなどが帝国内乱で大きな戦功をあげている。
魔法使いが戦争で活躍する事は誰にでも予想がつくが、実際にその成果を聞けば自分の家にも魔法使いが欲しくなってしまう。
そこで、予備校で学んでいる生徒達への勧誘が激しさを増しつつあるのだ。
「魔法使いの数から考えても、魔法使いを雇っていない貴族家の方が圧倒的に多い。バウマイスター伯爵は魔法使いに恵まれ過ぎている。戦争のみならず、領地の急速な発展も現実となれば、欲しくてたまらないだろうな」
例え初級でも、いるのといないのでは大きな違いがあるというわけだ。
その得意魔法によって、実はあまりニーズに合わない魔法使いもいるのだが。
その最たる例は、カチヤであろうか。
彼女の魔法では、領地開発や農作業の役に立たない。
本人は身体機能を強化していくらでも農作業が可能なのだが、一人だけ元気に畑を耕してもあまり成果は増えないであろう。
「これは、計画を前倒ししないとな」
「前倒しって、もしかして……」
「そう、冒険者予備校バウルブルク支部の開設をだな」
ヘリック校長との話を終えてから屋敷に戻ると、俺はすぐにローデリヒを呼び出す。
そして、予備校側からの要請を伝えた。
「予備校開設の前倒しですか。それは十分に可能ですな」
「予定では一年後になっているけど大丈夫か?」
「はい、実は敷地も校舎もほぼ完成しているのです。寮は建設中ですけど、それは他の宿泊先を臨時に宛がえばいいのです。どうせ、最初はそれほど生徒を抱え込めませんので」
「相変わらず、手際がいいな」
さすがはローデリヒ、もう領主は彼でいいのではないかと思ってしまう。
「予備校の開設で一番時間を食うのは、手続きが面倒な上に審査でも時間が物凄くかかるからです。向こうから急げと言っている以上は、それが早まると考えるべきですな。ところでお館様、今何か不穏な事を考えていませんでしたか?」
「気のせいじゃないかな」
さすがはローデリヒ、妙に鋭い部分を見せる。
俺が領主の座を押しつけたいと、心の中で願っているのに気がつくなんて。
「準備を進めておきましょう」
そんな話をしてから一週間後、冒険者予備校バウルブルク支部はあっという間に開設された。
「手続きとか、審査って何なのでしょうか?」
「実は審査の大半は、王国政府が行っているからね。でも、最近は新規に冒険者予備校が立ちあがる話も少なく、その気になれば大分審査期間は短縮可能なのさ」
「それは知りませんでした」
「あんまり公にも出来ない話だからね、仕方がないよ」
開校した冒険者予備校の中庭で、エーリッヒ兄さんが俺に事情を説明してくれた。
仕事が少ない担当者は、その少ない仕事を引き伸ばしたがる。
どこの世界でも、役人とは同じ事を考えるようだ。
だが、今回は冒険者ギルドにせっ突かれて、急ぎ審査を終えたというわけだ。
学生寮が完成していないので人数の受け入れ制限があり、他にも入学シーズンではないので編入生ばかりだが、バウルブルク支部は活動を始めた。
校長は元冒険者でヘリック校長の知り合い、講師陣は王都の予備校に在籍している非常勤講師を昇格させて対応、生徒も王都の予備校からの転校生が大半であった。
とりあえずはこの状態で始動しつつ、来年の春までに新入生を受け入れる体制を整えるのだそうだ。
「さすがに一週間は無茶だから手続きと審査は今も継続中だけど、特に問題もなく正式な許可は出る。どんなに伸びても、新入生入学時までには終わらせるそうだよ」
「助かりました、エーリッヒ兄さん」
「私は何もしていないよ、今日はただのメッセンジャーだから」
冒険者予備校を開設すると、王国政府から補助金が出る。
その関係でバウルブルクまで来たエーリッヒ兄さんは、俺に裏の事情を説明した。
「妙な貴族から魔法使いの卵達を守る。それはわかりますけど、うちが囲い込みをしていると思われるのもどうかと……」
王都の予備校生達にバウルブルク支部への転校を打診すると、希望者が殺到した。
特に、魔法使いは全員が転校希望を出している。
うちに集まった人数が多いような気がしないでもない。
「ヴェルの奥さん達は産休中だけど、バウルブルクの予備校なら講師が出来るじゃない。講師陣の充実ぶりでは王都の予備校でも勝てないかもね。卒業後に無理矢理囲い込まなければ大丈夫だよ」
実際に、冒険者ギルド側から要請が入っている。
そこで無理をしないように、エリーゼ、カタリーナ、リサなどが対応する予定であった。
「バウルブルクなら安定して指導を受けられるし、バウルブルクはアルバイトにも有利だしね」
エーリッヒ兄さんの言うとおりだ。
まだ発展途上で手付かずの自然が多いバウルブルク近郊には、多くの獲物が存在する。
予備校生達がアルバイトで稼ぎやすいという事情もあった。
「だからって、魔法使い全員か……」
冒険者予備校バウルブルク支部の生徒数は二百名ほどであったが、その三分の一近くが魔法使いであった。
他の予備校では考えられない魔法使いの人数である。
「勧誘に関しては、卒業後に一人前になったらいつでも出来るからね。狩猟の場所に関しては、今は魔の森が一番のスポットになっている。他の支部の卒業生も結局、魔の森に集まっているのさ」
魔の森産の素材と採集物は不足しているので、その買い取り額が高い。
同じ命をかけるのなら、稼げる場所を選ぶのは当然ではあった。
「未成年の間は面倒を見るけど、成人後にどの貴族の勧誘についていこうと自由ですか……」
ベイヤー男爵家のバカが問題になったのは、まだ予備校生であるアグネス達を勧誘しようとしたからだ。
法的には問題ないが、それは暗黙の掟で禁止されている。
冒険者ギルドからすれば、駄目な貧乏男爵家くらいならそれを罰するのに躊躇わないというわけだ。
「ヴェルは、春までは大変だね」
「そうですね」
冒険者予備校バウルブルク支部に転校した魔法使い達への指導に、王都の予備校でもまだ指導の仕事が残っている。
王都の予備校に所属する魔法使いの人数がゼロになってしまったので、十歳から十一歳くらいまでの、入学可能年齢に達していない魔法使いへの指導も発生してしまった。
入学前に基礎力を付けるとかで、ヘリック校長がどこかから魔法使い見習いを集めてきたのだ。
どうやら、エリーゼ達が出産するまで俺を手放さないつもりらしい。
「これも、エリーゼ達が出産するまでですよ」
「本当にそれで終われるのかな? ヴェルの指導って、予備校側の評判がいいんだよね。それに……慕われているね」
新設された冒険者予備校バウルブルク支部の前でエーリッヒ兄さんと話をしていると、アグネス達三人が駆け寄って来る。
「先生、もうすぐ講義の時間ですよ」
「新しい校舎って、木のいい匂いがしますね」
「先生、質問があるんですけど。先生のお兄さんって、うちのお兄さんと違ってしっかりしているんですね。格好いいし、羨ましいなぁ……」
「エーリッヒ兄さん、また夜に」
「そうだね。夕食をご馳走になりに行くから」
エーリッヒ兄さんと別れた俺は、三人に手を引かれながら真新しい校舎へと向かう。
そして結局、これからも冒険者予備校バウルブルク支部の臨時講師を続けていく事になるのであった。