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第百二十四話 過去の思い出と現実。

「お館様、いかがなさいますか?」


「そうだな。エリーゼブルク、イーナバーグ、ルイーゼフルト、ヴィルマドルフ、カタリーナベルク……」


「お館様は、愛妻家でいらっしゃいますな」


「(いや、他に思いつかないんですけどね……しかも、ドイツ風の命名限定だし……)」


「お館様、何か?」


「いいや、何でもない」


 バウマイスター伯爵領の開発は順調に進んでいる。

 バウルブルクを中心に、道、橋、町、村、農地、港などの建設に俺達が魔法を駆使し、ローデリヒが金を回しているので人も大量に集まっていたからだ。


 魔法だけでも人手だけでも開発が遅れるので、両方があるバウマイスター伯爵領の開発速度は驚異的であった。

 

 俺も父親になる以上は、子供達を飢えさせないように頑張らないといけない。

 前世の商社マン程度の給料だと生活に四苦八苦したであろうが、今の俺は貴族で魔法使いでもある。

 頑張って稼いで、子供達にある程度発展したバウマイスター伯爵領を残してあげないといけない。


 家臣や領民も増えているので、一代で終わりという無責任な事もできないのだ。

 前世だと貴族や王族って傲慢に思われているのかもしれないけど、普通の貴族は色々と責任があって大変だよな。

 俺は魔法があるからいいけど、なければサラリーマンの方が確実に気楽だと思う。


「それでお館様、他には?」


「そうだな……カチヤバーグとか? テレーゼフルト、リサドルフ、フィリーネベルク、アマーリエ……ベルク?」


「お館様、あとは?」


「ええいっ! そんなに急に思いつくか!」


 俺は、一つの困難に直面していた。

 それは、バウマイスター伯爵領各地に建設中の町や村の命名についてだ。

 元々バウマイスター伯爵領は未開地で何もなかったが、今ではそこに数十の村や町が建設中で、まだまだいくらでも増える予定だ。

 既にある程度移住が終わっていて、人が住んでいる村や町も多い。

 

 他にも、河川、街道、港、森、湖、池、草原などいくらでも命名しないといけないものが多い。

 人が住んでいる村や町が名無しというのもおかしいわけで、そしてそれを命名するのは領主である俺の役割というわけだ。


「領民の投票とかで決めない?」


「いえ、それはいけません」


 沢山考えるのが面倒なのでそこに住む住民による投票で決めようと俺が言うと、ローデリヒはキッパリと否定した。


「お館様は、このバウマイスター伯爵領の絶対権力者なのです。領民に決めさせるなど絶対にいけません」


 この辺が、民主主義と封建制度の絶対的な差というわけだ。

 

「どんなにお館様のネーミングセンスが最悪でも、お館様自身がお決めにならないと意味がありません」


「ううっ……そうなのか……」


 ローデリヒが何気に俺をディスっているような気がするが、いくらダサイ命名でも俺自身が地名などを決めないと駄目なのは事実であった。


「こうなると、ローデリヒブルク……」


「お館様、いきなり私の名前を使うのはよくありません。奥方様などは構わないのですが……」


 貴族が、自分の愛する妻の名前を町や村の名前につける。

 これはよくある事のようだ。

 ただし、昔はという条件がつくそうだが。

 今はそう簡単に町など増えないので、新しい命名がされる機会は少ないというわけで、つまり、バウマイスター伯爵領は久しぶりの大量命名例というわけだ。


「宿題にしておいてくれ。そんなに急に沢山思いつかないよ」


 今まで何もなかった土地なので、碌にヒントすらない。

 命名基準だって、ドイツ風が基本なため範囲が思いっきり狭いので困ってしまう。


「畏まりました、なるべく早めにお願いします」


 そんな急に、沢山の地名などが思いつくはずもない。

 今日は久々にお休みなので、俺はローデリヒを残して執務室をあとにするのであった。







「というわけで、俺はエリーゼ達の名を後世に残そうと思うんだ。受け取ってくれるかな?」


 自分で言ってて歯が浮きそうなセリフであったが、彼女達に了承してもらわないと最初の十個ですら不採用になって俺は詰んでしまう。

 そう、俺は愛する妻達のために永遠に残る地名や町村名をプレゼントする、洗練された男にして大貴族様でもある、バウマイスター伯爵様になりきっていた。


「はい、喜んで」


 エリーゼは基本いい娘なので、俺からのプレゼントを嬉しそうに受け取ってくれた。

 新興貴族が、開発した領地の地名などに愛する妻の名前を採用する。

 貴族の世界では、宝石にも勝るプレゼントなのだとローデリヒが言っていた。

 俺には、いまいちピンとこないのだが。


「少し恥ずかしいような気もするけど……」


「でも、後世にボクの名前が残るって面白いかも」


 イーナもルイーゼも、気恥ずかしそうながらも満更でもないという感じだ。


「ヴェル様、ありがとう」


「私の名前が残る。貴族になったと実感できますわね」


 ヴィルマとカタリーナも嬉しそうでよかった。

 特にカタリーナは、自分が貴族である事に拘っている人だ。

 口調はいつもどおりだが、とても嬉しそうな笑顔を浮かべている。


「ありがとう、旦那。うちの実家じゃあり得ない事だよなぁ……畑の名前とかに採用されそうだけど……」


「ありがとうございます」


 カチヤとリサも嬉しそうであったが、問題はここからであった。


「エリーゼ達はわかるが、妾達の立場を考えると、受け入れていいものか判断に悩むの」


「そうね、私とテレーゼはどうかと思うのよ」


 正式な奥さんではない、もしくは奥さんになる予定がないテレーゼとアマーリエ義姉さんからは、微妙な顔をされてしまった。

 確かに、愛人の名前を残すというのもどうかは思う。

 でも、二人の名前も入れないと……候補が減るんだよなぁ……。

 そんな一度に数十もの町の名前なんて、普通は考えられないのだから。


「(エリーゼ、別に構わないんだろう?)」


「(はい、例がないわけでもありません)」


 こっそりとエリーゼに聞くと、たまに大貴族が新しい町を開いた時、領民達があまり聞き覚えのない女性の名前がついていると、大半がこのパターンらしい。


「(そういう事をするのは大物貴族が多いですから、あまり正面きって批判する方はいません)」


 いつまでも名無しの町だと困ってしまうので、とりあえず名前がつけば町に住む住民はどうでもいいと思うそうだ。

 そりゃあ町の住民からすれば、貴族様の愛人の名前なんてどうでもいいわけだし。


「(その辺の悪評をねじ伏せるのも大貴族ですから。それに、同じ名前の別の女性から命名したと言われてしまえばそれまでです)」


 なるほど、つまり俺の自由にやっていいわけだ。


「大丈夫だよ、小さな町の名前とかにしておけばいいし」


「何もない広大な土地に大貴族領が生まれると、こんな苦労があるのか。普通は数年から数十年に一度くらいが関の山じゃからの。新しい村や町の命名など」


 テレーゼは、フィリップ公爵領でもそう簡単には新しい村や町などできず、新しい町の名前を考えるのに苦労するなんて思わなかったと言う。


「元大貴族である妾にも予想外の出来事じゃの。まあ、あまり大きな町の名前とかは止めておいてくれよ」


「私も、小さな村の名前とかでいいかな」


 残るフィリーネは、あのブライヒレーダー辺境伯の娘なので問題ない。

 多少大きな町の名前に採用しても、それは寄親であるブライヒレーダー辺境伯家への配慮という風に受け取られるからだ。

 娘バカなブライヒレーダー辺境伯からすれば、大歓喜な出来事であろう。


「それで、あとの数十個はどうするんだ?」


「エルヴィンブルグ?」


「そこで何で俺なんだよ?」


「もうネタが尽きたから」


 なぜって、嫁さんの名前を流用したら、あとは子供とか功臣の名前を流用するしかないからだ。

 子供はまだ産まれていないので、これはあとで新しく流用するとして、あとは功臣の名前を使うしかない。


 ローデリヒが文句を言っていたが、彼は間違いなくバウマイスター伯爵家一の大物家臣である。

 ゆえに、彼の名前を採用しないなどあり得なかった。

 それにだ、どうせ名前を取る家臣が足りなくなってある程度の家臣なら名前を流用される事になる。

 その親族や子孫を、そこの代官職にしてもいいのだし。


「というか、一度に多すぎなんだよ……」


 俺達が魔法で整地し、街道に近い村や町が異常な速さで増えている。

 家の建築には手間がかかるとはいえ、もうバウマイスター伯爵領ができてから一年以上の時間が流れた。

 レンブラント男爵が中古住宅を大量に移築し、バウマイスター伯爵領は景気がいいと大工が集まって家を急ピッチで建設している。

 王国には大工が不況で困っているという地域もあり、彼らが出稼ぎに来たり、移住する者も多かった。


 バウマイスター伯爵領ならば、いくらでも仕事があるからだ。


 出稼ぎが嫌な者は現地の空地に家を建て、それをレンブラント男爵が移築するという手法もあり、住宅不足は……それでも足りないんだよなぁ……。

 ちょっと凝った建物とかだと、まだ全然不足しているし。 


「まあいい、まだ締め切りには時間がある」


「命名ねぇ……奥さんの名前がネタ切れなら、あの娘達の名前でも使ったらどうだ?」


「あの娘達って誰だよ? エル」


「ヴェルが特に可愛がっているじゃないか。女子生徒三人組をさ」


 エルが言うあの娘達とは、俺が今魔法を教えているアグネス達の事であった。


「アグネス達の事か? あの娘達は俺の弟子にして生徒だ。名前を流用なんてできないさ」


 その辺は、ちゃんと区切りをつけないとな。

 俺が初めて魔法を教え、その中でも特に目をかけている三人であったが、彼女達はバウマイスター伯爵家の人間ではない。

 きちんとケジメはつけないと、ローデリヒにも怒られてしまうのだから。


「えっ? あの娘達って、将来ヴェルが奥さんにするんじゃないの?」


「エル、お前なぁ……」


 俺は、そんなわけがあるかと思ってしまった。

 確かにあの三人は可愛がっているが、あくまでも魔法の弟子としてだ。


「俺には責任があるんだ。あの三人は、師匠の孫弟子にもあたる。ちゃんと一人前の魔法使いにして、師匠の名を汚すわけにいかないんだ」


「えっ? 色事は一切抜き?」


「当たり前だ!」 


 そう、師匠の唯一の弟子たる俺がしっかりと弟子を育てあげ、師匠の偉大さと功績を後世に確実に伝えなくてはいけないのだから。


「遊びでやっているんじゃない。というわけでだ。下種な勘繰りは止めたまえ。エルヴィン君よ」


「はあ……ヴェルがそう言うのならそうなんだろうな……」


 エルがいまいち納得していないような表情を浮かべるが、どこの世に十二歳から十四歳の女子生徒に手を出す教師がいるというのだ……前世ではたまにいて、ニュースや新聞で報道されていたか……。


「とにかくだ。今日はお休みだ」


 アグネス達の話は、これで終わりだ。


 とはいえ、エリーゼ達が妊娠しているので遠出ができない。

 そこで、バウマイスター伯爵邸の中庭でピクニックのような事をしていた。

 当初は何もない中庭であったが、伯爵家に相応しい見栄えにするために庭師を雇い入れて相応の内容にしている。

 観賞用の草花や木々が植えられ、それらは適切に管理されていた。

 庭師を専属で雇う、いかにも大貴族である。

 実家の場合だと、母やアマーリエ義姉さんや使用人達が花壇に自分で花とか植えていただけだし。


 中庭の中心にはテーブルと椅子が置かれ、そこで軽食やお茶を楽しみながらノンビリとした時間をすごすのだ。


「ちょっと、あたいには合わないかもだけど……」


 俺よりも貧乏性の気があるカチヤは、こういうノンビリとした時間は苦手なようだ。

 もうそわそわしていた。


「カチヤさんも妊娠するとわかりますよ。あまり動けなくなってしまいますから」


 とは言いつつも、エリーゼはいつも通りにテキパキとマテ茶を空いたカップに注いでいた。

 ただ、やはり外出する機会などは減っている。


「ドミニクにも言われてしまいました。お腹の子はバウマイスター伯爵家のご世継ぎなのだから、慎重に行動してくださいと」


 もしエリーゼの身に何かがあったら大変だという事らしい。

 確かに、エリーゼについている護衛やメイドの数が増えていた。

 もし今の彼女に何かがあったら大変だと、護衛達は緊張した表情を崩さない。


「私やルイーゼも似たようなものだけど、これは出産後に冒険者に復帰するのが大変かもね」


「鈍った体を元に戻そうとしたら、また妊娠したりして」


「ローデリヒさんは、それを望んでいるようね」


 俺がバウマイスター伯爵家の初代なので、分家や有力家臣家の創設でいくらでも子供の数はいてもいいというわけだ。

 イーナとルイーゼも、あまり派手に動けなくなったと愚痴っていた。

 二人もどちらかというと、カチヤのようにじっとしているのが苦手なタイプであったからだ。


「そうですね、私もすぐに復帰できるでしょうか?」


 今日は、エルと一緒にハルカも中庭の茶会に参加していた。

 彼女もエリーゼ達とほぼ同時期に妊娠したので、同じく剣術の稽古などは休んでいる状態だ。


「五人の赤ん坊が次々と産まれるのか。賑やかでいいではないか。ところで、エルヴィンよ」


「何です? テレーゼ様」


 テレーゼは、エルに聞きたい事があるようだ。


「そなた、側室は取らぬのか? お主は、バウマイスター伯爵家でもかなりの地位にいるし、甲斐性もある。妻がハルカ一人では周囲も納得すまい」


「ううっ……」


 テレーゼの問いに、エルは言葉に詰まってしまう。

 確かに、今のエルが奥さん一人だと色々と周囲がうるさいであろう。

 俺もローデリヒから、その手のアプローチがうるさいという話は聞いている。


「ローデリヒさんは、奥さんが一人だし」


「今のところはであろう? あとで、成長したルックナー財務卿の孫娘をもらうではないか。誰が見ても見事なまでの政略結婚じゃが、貴族とはそういう生き物じゃ。諦めい」


「テレーゼ様がそれを言いますか?」


「妾はそういう世界から抜け出した身、しかしながら、世話になっているバウマイスター伯爵家のために忠告くらいはするというわけじゃ。して、どうなのだ?」


「はいはいっ! テレーゼ様! 私がいますから!」


 テレーゼの問いに、俺達の傍で給仕をしていたメイドのレーアが手をあげた。

 彼女はドミニクの従妹で、密かに……ではなく堂々とエルの側室の座を狙っていた。

 その堂々たる態度には、俺も他のメイド達もある意味感心している。

 レーアがエルの側室になれば、この屋敷でドミニクの補佐として働き続けられるという利点もあった。


「(エル、レーアはどうなんだ?)」


「(面白い奴ではあるんだよな……)」


 エルの返答は微妙であったが、俺は知っている。

 最近では、ハルカに促されて定期的にデートなどをしているのを。

 ハルカは、下級ではあるが貴族の出みたいなものだ。

 サムライイコール貴族だからであり、家の当主に側室がいても当たり前だと思っている。

 なので、自分の妊娠中にエルとレーアとの仲を纏めようとしているのだ。


「(エルの嫁さんって、完璧超人だよな……)」


「(俺もそう思う……)」


 俺は、ハルカはエリーゼにも負けない高スペックな奥さんだと思っている。


「そうなのか、余計な心配じゃったの」


「あのう……まだそうと決まったわけでは……」


「ええっーーー! 私、エルヴィン様のお嫁さん失格ですか?」


 気恥ずかしかったのか? 

 レーアを嫁に貰うと即答しなかったエルに対し、彼女が目に涙を浮かべながらその真意を聞いてくる。

 

「いや! そんな事は……」


 まさか泣かれるとは思わなかったようで、エルは思わず口籠ってしまった。

 確かに、女の涙は俺でも経験値不足で対処が難しい。


「エル、デートまでしていてそれはないんじゃないの?」


「そうだよ、レーアが可哀想じゃないか」


 続けてエルは、つき合いの長いイーナとルイーゼにまで攻め立てられてしまう。


「考えていないわけじゃなくて、結婚するとなると色々と準備が大変だなって思っただけだよ」


 エルは、そう簡単にほいほいと結婚しますとは言えないから躊躇しただけだと反論した。


「そう、ならいいのよ」


「よかったね、レーア」


「はいっ!」


 そして、最初からグルであると思われるイーナ、ルイーゼ、レーアに言質を取られてエルは二人目の嫁を貰う事になった。

 どこかで見たような光景……デジャヴだと思ったら、俺にも似たような事があったからだと思う。

 

「お父さんとお母さんに手紙を書かないと駄目ですね」


「式までの準備も色々と必要よ」


「ええと……最短の日程は……」


「あのぉ……そんなに急がなくても……」


 しかし、エルも学習しない男だな。

 俺を見て、結婚を了承した後に猶予期間があると思っているとは。

 余程の事情がない限りは、他に抜け駆けされないように話は勝手に進んでいくのさ。

 本人は了承したらそれで終わり、あとは勝手に周りが準備してしまう。

 その本人の了承だって、100パーセント自分の意志なのか怪しいものだからな。


「エル、お前もそういう身分になったのだ」


「それは喜ばしい事なのか?」


 それは、俺にもわからないな。

 貧乏貴族の八男のままでいた方がよかったのか、バウマイスター伯爵の方がいいかなんて。

 二つを同時に経験なんてできないわけだから。


「それじゃあ、エルとレーアの婚約が決まったから乾杯!」


「「「「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」」」


 マテ茶ではあるが、みんなで乾杯してから再び軽食とお茶菓子を楽しむ事にする。

 エルが何とも言えない表情をしているが、人間誰しも程度に差はあるがマリッジブルーになるものだ。

 終わってしまえば、すぐに元通りになるさ。

 俺もそうだったし。


「旦那様、おめでとうございます」


「うん……」


 そして、そんなエルにお祝いを言ってのけるハルカという女性。

 俺は、彼女のミズホ撫子ぶりに感心してしまう。

 ただ、俺の奥さんでなくてよかったかもしれない。

 何というか説明はできないのだが、実はエルの手足を見ると操る糸がついていて、ハルカが上手く操作しているような感覚を覚えてしまうからだ。


 本人が幸せそうなので、俺は何も言わないけど。


「お館様」


「どうかしたのか?」


 そんな風に考えていたら、突然屋敷の警備責任者が俺に声をかけてきた。


「実は、お館様に用事があるというお方が」


「アポなしはパスだな」


 最近、やたらと俺に会いたいという人達が増えている。

 理由は想像の範囲内が大半なので今さら説明しないが、全員に会っていたら俺には一日が四十八時間ほど必要になってしまう。

 大半をローデリヒに任せ、俺が自分で会う人など滅多にいない状態にしていた。


 俺にアポなしで会える人は、ブランタークさんと導師くらいであろう。


『お館様がアホの話を一時間聞いている間に、魔法で土木工事をしていただいた方が……』


 ローデリヒの話によると大半が碌でもない用件のようなので、俺は滅多な事がなければそういう連中とは会わないようにしていた。


「屋敷の前でうるさいのですが、実はレガート男爵様と名乗っておりまして……」


「貴族本人でも、アポなしは駄目なんだがな……」


 とはいえ、屋敷の前に直接貴族本人がアポなしで訪ねてくるケースは珍しい。

 だからこそ、警備責任者は俺に判断を仰ぎにきたのでろう。


「それで何の用事だと?」


「はあ……どうしても直接仰りたい事があるようで……」


「しょうがない」


 俺は一人で、屋敷の正面門まで行く。

 すると、本当に貴族らしい格好をした若い男性が立っていた。

 年齢は二十前後だと思われる。


「バウマイスター伯爵殿でしょうか?」


「そうですが、こういう方法は反則なのでは?」


 レガート男爵のやり方は、貴族としてはルール違反である。

 俺はその点だけは釘を刺しておく。


「とは思いましたが、私の提案が受け入れられれば、バウマイスター伯爵家の更なる発展が期待できますから」


「お聞きしましょうか? その提案とやらを」


「はい、義父上」


「はあ? 義父上?」


 嫌な予感がしたが、レガート男爵はそのままバウマイスター伯爵家発展のための提案とやらを語り始めた。


「奥方殿達が懐妊されたそうで、おめでとうございます。娘が生まれたら……いやあの人数ならば必ず生まれるはず。お一人をこのレガート男爵の妻にしていただければ。さすれば、バウマイスター伯爵家とレガート男爵家との関係が強化され……」


 まさかとは思ったが、まだお腹にいる子供を嫁にほしいとは……。

 しかも娘が生まれたとして、成人になった頃にはこのレガート男爵は四十近いおっさんになっている。

 個人的にも、自分よりも年上の娘婿は勘弁してほしいと思う。


 少なくとも、このバカで軽薄そうなレガート男爵は御免蒙りたかった。


「お義父さん、お義母さん。娘さんは、必ず私が幸せにしますから」


「一昨日、来やがれぇーーー!」


 瞬発的にブチ切れた俺は、レガート男爵を風魔法でバウルブルクの大通りにまで吹き飛ばしてしまう。

 彼は、大通りの真ん中で気絶して倒れ込んでしまった。


「あのアホは、二度と相手にもするな! ローデリヒに、絶縁状の作成依頼を出しておけ!」


「ははっ!」


 普通は、誰かを使者にそういう頼みをするのが当たり前なのに、レガート男爵は直接自分が交渉に行って優位に立とうとした。

 勿論浅はかな考えで、俺の怒りを買っただけだ。

 こういうルール違反をする貴族に対しては、絶縁状という手が使える。


 『こういう理由で、お前の家とは二度とつき合わない』という手紙を出す制度で、滅多に行われないが、その分効果は絶大であった。


「まったく……どこの世にお腹にいる娘を嫁にほしいなんて言う奴がいるんだ……」


 俺が気絶したレガート男爵を見ながら文句を言っていると、その横で別の人が門番とやり取りをしている。

 よく見ると、俺達よりも少し年下の美少女であった。


「エルヴィン様は、このお屋敷にいらっしゃると……」


「本日はいらっしゃるが、エルヴィン様もそう簡単にアポなしで会わせるわけにはいかないんだ。我慢してくれ」


「ですが、私にはもう時間がなくて」


 エルヴィンと言っているので、この美少女はエルに会いたいと思っているのは確実だ。

 どんな用事かは知らないが、この美少女は相当に切迫しているらしい。

 俺がすぐ隣で貴族を魔法で吹き飛ばしても、それを気にもしていないのだから。


「とにかくだ! アポを取ってくれ。エルヴィン様もお忙しい身なのだから」


 普段はそうかもしれないが、残念ながら今日のエルは思いっきり暇である。

 ついでに言うと、俺はこの美少女とエルとの関係が物凄く気になり始めていた。

 

「なあ、ちょっといいか?」


「お館様?」


「エルヴィン様が御仕えしている、バウマイスター伯爵様でいらっしゃいますか?」


「そうだけど、君とエルとの関係は?」


「はい、幼馴染です」


「(エル、許すまじ……)」


 俺は、当主権限でその美少女を屋敷の中に入れてあげる事にした。

 なぜって?

 幼馴染同士を会わせてあげないといけないという親切心から……嘘です、このような美少女といつ知り合ったのか厳しく追及するためであった。







「エル、君には失望した」


「いきなり何だよ……って! アンナか?」


「はい! お久しぶりです、エルヴィン様」


 俺がその美少女を中庭まで連れていくと、本当にエルの幼馴染だったようだ。

 早速親しそうに話をしており、この時点でエルは、俺の中では有罪確定である。

 その罪はかなり重い。


「急にこんな遠くまで、どうやって来たんだ?」


「持っていたお金で、長距離馬車を乗り継いで来ました」


「それは大変だっただろう」


 エルの実家は西部にあり、このバウマイスター伯爵領に来るにはブライヒブルクを経由しないといけない。

 魔導飛行船を乗り継げれば一週間とかからないが、お金がかからない長距離馬車経由だと一か月以上もかかってしまう。


 このアンナという美少女は、エルに会うためにそこまでの苦労をしたというのだから凄い。

 俺の中では、エルは終身刑相当の罪人となった。

 

「エル、許すまじ」


「ヴェル、俺はアンナから事情を聞くのが忙しいから、その発作はもう少しあとで頼む」


 エルに軽くかわされてしまい、俺の中でエルは終身強制労働刑レベルの罪人扱いとなった。


「うきぃーーー! エルの癖に生意気な! 幼馴染とか聞いてねえよ!」


「ヴェルにその話をするのが可哀想だったから?」 


「お前、俺と大して差がない貧乏貴族の五男なのに、何で美少女の幼馴染とかが存在するんだよ! 俺にはいなかったぞ!」


 俺には、同性の幼馴染すらいなかったというのに。

 俺は、ただ運命の神を呪うのみであった。


「まあ、事情を聞いておこうか……」


 そうだ、この悲しみと怒りはあとに取っておこう。

 俺はバウマイスター伯爵、冷静に事情を聞くくらいの度量は見せないといけない。


「そんなに複雑な話じゃないけどな」


 五男であったために、実家で兄達に苛められ、搾取され、苦労の連続であったエル。

 そんな彼と普通に接してくれたのは、平民の子供達だけであった。


「その時点で、俺を凌駕しているな」


「ヴェンデリン、黙って話を聞け」


「はい……」


 なぜかテレーゼに怒られてしまい、俺はエルの話を聞くのに集中する。

 エルがその中でも一番仲がよかったのは、領内に唯一存在する商店の三女であったアンナであったそうだ。


「よくありそうな話ね。でも、今まで聞いた事がなかったわ」


「俺は過去を捨てた男なんだ」


 別にエルが格好つけているわけではなく、三女でも地元の商店の娘となればそこで結婚して生活をしなければいけない。

 父親から『○○の家に嫁げ!』と言われれば、彼女は断れない立場にあるのだ。


「俺は領地を出ていく身だったし、まさかアンナを連れて出るわけにもいかない。うちの親父もアンナの父親も激怒するだけだろうし、当時十二歳の俺に何ができるよ? 一人で精一杯だったというだけの事だ。それよりも、アンナ。お前は、名主の次男ベッカーと結婚するんじゃなかったのか?」


 エルも、既にバウマイスター伯爵家の家臣という身分になっている。

 勝手に故郷から逃げてきたアンナという少女に対して、厳しい口調で詰問した。


「そのお話は、なしになってしまいました……」


 平民でも、親同士で婚約を決めても色々な事情で取り消しになってしまうケースが多い。

 結婚とはあくまでも家と家同士のものであり、家長の意向が大きく影響するからであった。

 この世界の現状を平成日本人が知れば、古典的で堅苦しいと笑うかもしれない。

 だが、この世界はこれで回っているのだ。


 平成日本みたいに、結婚しない自由、子供を産まない自由など、そう簡単に認められるはずがないのだから。

 家が存続しないと以上の恐怖など、この世界には存在しなかった。


「なしになった?」


「はい、リーラお姉様が代わりに嫁ぐそうです」


「何でそんな事になっているんだ?」


「それが、名主様の跡継ぎであったゲッツ様が病でお亡くなりになりまして……」


「ゲッツの奴、死んだのか……」


 知り合いが死んだと聞いて、エルは表情を少し曇らせた。

 だが、そこまで悲しいという表情でもない。

 名主の跡取りともなれば、エルの兄貴達に擦り寄っていたのであろう。

 もしかすると、エルにとっては嫌な奴であったのかもしれない。


「悲しくはないな。それで、ベッカーが急遽跡取りか……」


「はい、そうなると三女の私だと家格の釣り合いがというお話になりまして」


 上のお姉さんの方を、名主家の跡取りの嫁にする。

 田舎の領地だとよくある話であった。


「それで、アンナはどうなったんだ?」


「それが……名主様の後添えという事になりまして……」


「はあ? 何でそうなる?」


「ゲッツ様と同じ病が奥様にも伝染ってしまい、ほぼ同時期にお亡くなりになってしまわれたのです」


 名主が妻を病気で亡くしたので、急ぎその後添えをという話になった。

 後添えとはいえ、普通の農民の娘を嫁がせるわけにもいかず、急遽婚約話が消えたアンナに白羽の矢が立ったというわけだ。


「クソ親父、もう少し考慮しろよ……」


「名主様が独り身というわけにはいかないそうで……」


「そういう場合は、普通年増の未亡人などを当てるのが普通なのじゃがな……」


「そうなのか? テレーゼ」


「ああ、下手に若い嫁をもらって子供が生まれると、先妻の子と揉めるからの。夫を亡くしたもう子供は産めなさそうな女性を、形だけ後妻に押し込むというわけじゃな。妾も、昔にそんな裁定というか斡旋というか、した事があるぞ。そいつは年老いた重臣であったがの。当時は、未婚の妾がなぜこんな事まで配慮せねばならぬのかと悶々とした記憶がある」


 自分の婚約者も決まっていないのに、六十を超えた老臣の後添えを探すのに奔走したテレーゼ。

 確かに、俺でもそんな仕事には違和感を感じてしまうかもしれない。


「普通は、こんな若い後添えは選ばぬのだがの。その名主はいくつなのじゃ?」


「はい……六十近いです」


「思ったよりも年寄りだな」


「名主はうちの親父の庶兄で、名主家に婿養子に入ってから結婚したから晩婚なんだよ」


 つまり、エルの祖父である前領主が他所に子供を作って飼い殺しにしていたけど、たまたま名主家の婿の座が空いたからそこに押し込んだ。

 息子が二人生まれたが、嫡男が病死して次男が跡を継ぐ事になった。

 妻も同じ病気で亡くなり、独り身になってしまった名主は若い後添えを欲したという事情のようだ。


 名主家はエルの実家と親戚関係にあるので、アンナの実家も断れない。

 それでもアンナは結婚が嫌で、幼馴染を頼って逃げてきたというわけだ。


「複雑な家庭環境だな」


「そうか? 田舎の貴族領なんて、みんなこんなものだぞ」


 前世だと、時代錯誤だとか散々に批判されそうな話である。


「それで、どうするの?」


 事情もわかったところで、さてこれからどうするかだ。

 ルイーゼが、エルにストレートに尋ねた。


「どうするも、領地に戻って結婚しろとしか俺には言えないよ」


「そんな……エルヴィン様……」


「俺もアンナももう子供じゃないんだ。それはわかるな?」


 領主と親戚である名主家の後妻候補が、勝手に昔の幼馴染を頼って逃げ出してしまったのだ。

 エルが気ままな冒険者のままなら、このまま彼女を連れて逃げてしまうという選択肢も可能である。

 どうせ、エルの実家に駆け落ちしたカップルを探す余裕などないのだから。


 だが、今のエルはバウマイスター伯爵家の家臣である。

 エルがアンナを匿うと、バウマイスター伯爵家とアルニム騎士爵家との争いになってしまう可能性があった。

 この二家だけの争いとなればいいが、寄親である西部の雄ホールミア辺境伯家が顔を出してくるのが容易に想像できるというのが困ってしまう。


「アンナ、俺とお前は昔は仲がよかったよな」


「はい、私もエルヴィン様も半端者の扱いでしたからね」


「アンナは、嫁入り要員に思われていただけマシ……でもないか……」


 貧乏貴族で将来出ていく事が確実な五男と、三女で冒険者としての資質もなく、出て行こうにも田舎なので出て行けず、婚姻の道具としてしか見なされなかった少女。

 二人は、自然と仲良くなっていった。


 エルがアルニム領を出てから二人の交流は途絶えたが、アンナは今もエルを忘れていなかった。

 でなければ、彼を頼って一人でバウマイスター伯爵領まで来たりはしなかったであろう。


「昔に冗談で、『将来結婚しようか?』とか俺が言った事があったな」


「私は、本気にしていましたよ。エルヴィン様」


「だがな、アンナ。もう今の俺の立場ではお前を守ってやれないんだ。バウマイスター伯爵家に迷惑をかけてしまうからな」


 エルは、自分なりに懸命に考えて今の結論に至っていた。

 自分がアンナを匿ってしまえれば、どんなによかったかと。

 だがそれは、バウマイスター伯爵家のために選択できない。

 もしこの件で、アルニム騎士爵家とホールミア辺境伯家とトラブルが発生してしまえば、それはバウマイスター伯爵領開発の足かせとなる可能性があるのだからと。


「アンナ、運賃は出す。アルニム領に戻れ」


「エルヴィン様……」


「これは、どうしようもない事なんだ」


 エルは、昔の未練を苦渋の選択で振り切った。

 その仕打ちに冷たいと思う人も多いと思う。

 それでも、自分はもうバウマイスター伯爵家の家臣なのだからお前を匿えないと、昔の幼馴染に故郷に戻れと心を鬼にして言ったわけだ。


「(俺は理解できたんだけど……)」


 いや、結婚を約束した幼馴染とか、ここで俺の嫉妬砲が炸裂してもおかしくはないのだが、その前にエルが冷徹にアンナを振り切ってしまったからな。

 彼女は涙を流しながら俯いていたが、その様子を見てうちの女性陣がどう思うのか?


 確実に暴発確実だとわかったから、俺は静かにしていた。

 人間、ちゃんと学習しないとまた大変な事になってしまうからな。


「ちょっと、エル。それはあまりにアンナさんが可哀想じゃないのよ」


「イーナ、俺も苦渋の選択……」


「どこが苦渋の選択よ。ここで幼馴染の一人くらい匿う度量を見せなさいよ」


「そうだよ! 第一、エルがバウマイスター伯爵様じゃないんだから、立場とか偉ぶっているのが変!」


「ちょっ! ルイーゼ!」


 イーナとルイーゼは、エルの選択がおかしいと噛みついてきた。


「いやだから、俺は自分の今の立場を考えてだな……俺は正しいよな? エリーゼ」


「いえ、特に気にする必要もないかと……」


「あれ? そうなの?」


 エリーゼの予想外の回答に、エルは己の態度の根拠を失って狼狽えた。

 これまでのクールな姿勢が台無しになった瞬間である。


「こう言うと失礼になるかと思いますが、王国でも有数の大貴族家であるバウマイスター伯爵家の重臣と、ささやかな騎士爵家では、前者の方が力がありますから」


 まあ、至極当たり前の話である。

 今のバウマイスター伯爵家の重臣相当であるエルと、アルニム家の、しかも名主風情とどちらが偉いのかと。

 

 実は俺も、後ろにいるアルニム家とかホールミア辺境伯家が出てきて面倒になると思っていたけど……。


「つまり、エルヴィンさんの決断次第というわけですわね。考えすぎなのではありませんか?」


「ここはビシっと、俺が妻にもらうくらい言うべき」


 カタリーナとヴィルマにも散々に言われてしまい、まずますエルの立場がなくなってしまう。


「そんなぁ! 俺は色々と考えたのにぃ!」


「エルヴィンはあたいと同じでバカなんだから、あまり深く考えるとドツボに嵌るぞ」


「アンナさんは貴族の娘ではないので、わざわざ時間と運賃をかけてバウマイスター伯爵領まで取り戻しに来ないと思いますけど……」


 最後に、カチヤとリサに止めを刺されて、クールな決断をするエルの構図は一瞬にして崩れ去った。

 やはり、人は慣れない事をしてはいけないのだ。


「ほら、エル」


「言いなさいよ」


「アンナ、お前さえよければ、俺の傍にいてもいいんだぞ」


「はい、喜んで。エルヴィン様」


 ルイーゼとイーナに促され、エルはアンナも嫁として娶る事になった。

 可愛そうに、今回の件でエルはうちの奥さん達に首根っこを掴まれた形だ。

 俺にはあまり格好よく見えなかった。


「でも、なぜか気に入らないような……」


 俺が気に入らない理由は簡単だ。

 何と、俺と似たような境遇であったはずのエルに、過去にプロポーズまでした事がある幼馴染がいたというのだから。


「エル、今日はデートでもしてきたら?」


「そうね、レーアも連れて」


「私もですか? アンナさん、エルヴィン様の二番目か三番目の妻になるレーアです」


 エルはルイーゼとイーナの勧めどおり、アンナとレーアを連れてバウルブルクの町にデートに出かけてしまった。

 今回の件でエルは、完全にイーナ達に頭が上がらなくなってしまったようだ。


「大きな町ですね、エルヴィン様」


「アルニム領と比べるまでもないさ」


「アルニム領には、うちの実家しかお店がありませんからね」


「バウマイスター伯爵様のご実家には、昔はお店がなかったそうですよ」


 妊娠中のハルカが遠慮したので、エルはレーアとアンナと両手に花で楽しそうに屋敷を出て行ってしまった。

 式を挙げるまでに、互いの相互理解をというやつであろう。

 まあ、デートなんだけど……。

 

「うぐぐ……」


 エルがプロポーズをした事がある幼馴染の存在、俺は再び嫉妬の感情に支配されつつあった。

 何度思い返しても、俺にはそんな人はなかったというのに……。

 しかもあのアンナという少女、最初はエルに結構冷たくされたのに、今は物凄く嬉しそうだし。


「解せぬ……」


「ヴェル君、バウマイスター騎士爵領時代のヴェル君には私がいたじゃないの」


「アマーリエ義姉さん……」


 そうだな、俺にはアマーリエ義姉さんがいた。

 実家にいた頃の俺が出かけたり戻って来たりすると、ちゃんと『行ってらっしゃい』や『おかえりなさい』と言って話しかけてくれたし。

 母はその点がかなり適当だったけど、アマーリエ義姉さんは違ったんだ。


 浮ついた会話とかはなかったけど、あの時はアマーリエ義姉さんが俺の唯一の心の癒しだった。


「ここは、親友兼家臣であるエルヴィンさんの幸せを喜ぶのが、ヴェル君らしくて私はいいと思うな」


「そうですよね、俺にはアマーリエ義姉さん達もいますし」


「そうよ」


 休日にこのような出来事があり、エルはバウマイスター伯爵家の重臣に相応しく三人の妻を娶る事になるのであった。

 そこに本人の意志がどの程度入っていたのか、問うてはいけないのだが。






「それでだ、俺は手紙を書かないと駄目なんだよ」


 別にこのままでもいいような気がしなくもないが、アンナはアルニム領の名主に後妻として入る予定の女性であった。

 それがエルの奥さんになる以上は、一応連絡だけはしないといけないわけだ。


 俺も大貴族である以上は、相手に付け込まれないように上手く手紙を出す必要があり、そのマナーをローデリヒに聞いてみる事にする。


「拙者が教えてもいいのですが、実務で経験があるテレーゼ様に聞くのも手ですな」


「ああ、そうか。テレーゼは、そういうのは慣れているよな」


 ローデリヒの勧めに従い、俺はテレーゼに手紙の書き方を教わる事にする。


「二通であったな」


「えっ? 二通?」


「アンナという少女の前に、まだエリーゼ達のお腹に入っている子供を嫁にほしいと騒いでいたアホ男爵がおったではないか」


「いたな、そんな奴」


「お主が忘れてどうするのじゃ」


 魔法で吹き飛ばしたらスッキリしたし、アンナの件があってすっかり忘れていたのだ。

 ムカつく以外で、特に印象に残る奴でもなかったし。


「これは普通に絶縁状を叩きつけ、知り合いの貴族にアホ男爵の所業を手紙で知らせておけ」


 先制してレガート男爵の悪行を伝え、相手の反撃を許さないためである。 

 相手も追い詰められている以上、嘘八百を並べてバウマイスター伯爵家を攻撃してくるかもしれない。

 彼が不審者扱いで新設された牢屋に入っている間に、絶縁状などは出しておくべきであろう。


「生まれたばかりの赤ん坊同士で婚約という話は聞いた事があるが、お腹に入っている子供の婚約は初耳じゃの。久々に聞く、空前絶後のアホ貴族じゃな」


「それで、絶縁状ってどう書くんだ?」


「これは、それほど難しい文面でもないの。ありのままに事実を書き、そういう理由なのでレガート男爵家の者とは金輪際つき合わないと最後に書けばいい。あとは家臣達への徹底じゃの。レガート男爵家の者がいたら、バウマイスター伯爵領から叩き出すように命令しておけ」


「なるほど、慣れているんだな」


「大物貴族などしておるとな。極論すれば、半分が味方で半分が敵じゃからの。半分すべてを敵視はしない。仲が悪くても、距離感のあるつき合いというのもあるであろう? 中には一部どうしようもない貴族家があって、そのために絶縁も必要というわけじゃ」


 テレーゼも、フィリップ公爵時代に絶縁状を出した経験があるのだと語る。


「帝国にも王国にも、貴族家などいくらでもある。一つや二つ絶縁しても大した影響などないわ」


 テレーゼはそう言って笑っているが、確かに今でもなかなか貴族の名前を覚えきれない俺が、男爵家一つくらいと絶縁しても大した変化もないんだよな。


「絶縁状はこれでいいとして、アルニム家への書状はどういう風に書くんだ?」


「これも、思いっきり上から目線で書け! 相手に言質を取られるな! 以上じゃ」


「そんなんで大丈夫なのか?」


「大丈夫じゃ。伺いなど立てるな。相手はそこから攻めてくるからの。エルヴィンの実家は騎士爵家であろう? それも、たかが名主の後妻候補を奪っただけの事。相手が文句を言ってきたら西部との取引をちょっと締めてやればいい。相手もそれを考えるであろうから、何も言ってこないと思うがの」


「寄親は出てこないのかな?」


「出てくるはずがないであろうが。ヴェンデリン、お主は西部との取引を制限しておるか?」


「いいや」


 特別扱いをしておらず、正常な取引のままであった。

 勿論、優遇もしていないけど。


「寄親とは言うがな。エルヴィンの実家の直接の寄親は、子爵家なのであろう?」


「そんな話だったな」


 俺は以前にエルから、そんな話を聞いたのを思い出す。


「その子爵家の寄親がホールミア辺境伯家なのじゃから、寄子の寄子の名主の話に口など出さぬわ。ホールミア辺境伯家とやらも暇ではないし、沽券に関わるからの。その名主が領主の庶兄だとしても、既に青い血でもない。気にするな」


「なるほどな」


 以上のような参考意見をテレーゼから聞き、俺はアルニム家に書状を認めた。

 貴族への手紙は色々と面倒なルールがあるので、その点は要約してここに記す事にする。


 『西部は今、陽気な春だと聞いたけど、お前ら元気? 実はさ、うちの家臣があんたの領地の娘を嫁に貰う事にしたんだわ。別に、お前ら如きに教えてやる義理もないんだけど、一応礼儀だから知らせておくわ。まさか文句はないと思うけど、あったらうちだけに直接知らせてくれないかな? 別に青い血の娘でもないんだから、寄親とかにチクるとこちらも騒ぎを大きくしちゃうぞ。あっ、祝儀とか式の参加は不要だからね。それじゃあ』


 勿論このままの文面ではなく、決まりに従って文章を飾り立ててあるが、要約するとこんな内容である。


「思いっきり、失礼な内容だな」


「アルニム家とやらの以前の対応を聞くに、こちらが下手に出るとつけ上がる可能性が高いからの。騎士爵家ひとつに嫌われるくらい、伯爵家ではよくある事じゃ。気にするな」 


「さすがはテレーゼ様、素晴らしい手紙ですな」


「それなりに経験があっただけじゃ」


 ローデリヒが手紙の中身を確認するが、素晴らしい出来であったようだ。

 彼は、テレーゼを絶賛している。

 俺は全然内容を考えておらず、手紙を言われたままに書いただけだからな。


 それにしても、あまり手紙なんて書く風習がないから疲れてしまった。


「ヴェンデリンは、魔法と自分が興味のある事以外にはやる気が薄いからの」


「時間は有限だからな」


 俺は器用じゃないので、熱中する事を取捨選択しているだけなのだから。


「子供のような男じゃの。まあ、しょうがない。妾やアマーリエ、リサなどでフォローくらいはしてやる。年上女達もたまにはありがたかろう?」


「テレーゼ、あたいも一応年上なんだけど」


「そうは見えぬが……というわけじゃ」


「テレーゼが酷ぇ……」


「カチヤは、もう少し大人の女にならぬとな」


 テレーゼ監修の手紙がアルニム家に届けられたが、返事はこなかった。

 つまり、黙認というわけだ。

 こうしてエルは、無事にレーアとアンナを奥さんにするのであった。

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リサがエルヴィンに話しかけてる……成長したなぁ(´;ω;`)
[一言] ヴェルの所は貧乏貴族な事より、陸の孤島だった事の方が大きいんじゃないかな。
[気になる点] 町と村の名前に関してなんだが、両親と兄(クルト、異母兄と異母姉は除く)、更に師匠であるアルフレッドの名前もつければ良いんじゃね?
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