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第百十八話 リサという女。

 自分の弟子であったカチヤと、今まで魔法使いだとは思われていなかったテレーゼの魔力が増強された原因を探ろうとした、気が強い女魔法使いリサ。

 彼女はその名に恥じぬ実力の持ち主であったが、俺との決闘でそのゴージャスな衣装とメイクが取れたら急に大人しくなってしまった。


 メイクが取れた後は、魔力増強の件は聞かれなくなった。

 大人しくなったリサは極度の人見知りで、派手な衣装とメイクがないと碌に男性とも話せないからだ。


 大人しくなったリサは、今は屋敷に居候しつつ、それでも朝には真面目に魔法の特訓を行っている。

 その魔法の精度は、カタリーナが称賛するほどであった。

 最初の印象とは違って、魔法に関しては真面目に練習をおこなうようだ。


 ただ、一つ問題があった。


「俺は、十五年も前からの顔見知りじゃねえか!」


 急にオドオド系美女になってしまったリサは、ちょい悪オヤジであるブランタークさんが苦手なようだ。

 彼を見ると、誰かの陰に隠れてしまうようになった。

 

「お前、俺が魔法を教えていた時にはもっと偉そうだったじゃないか!」


 ブランタークさんが怒ると、リサは怯えてカタリーナの後ろの隠れてしまう。

 日々こんな調子なのだが、逆にそのせいで女性陣からの非難は一切消えた。

 元の高慢ちきなキャラよりも、よっぽどマシだからであろう。


「元の服装とメイクに戻せよ」


「……なるほど……リサさんは、この恰好でも普通に人と話せるようにしたいそうです」


 ブランタークさんからの提案に、リサはカタリーナに小声で伝えて代弁してもらう事で答える。

 どうやら、男性であるブランタークさんに直接は言えないようだ。


「それは可能なのか?」


「ブランタークさん、こういう事は時間が必要なのでは?」


「まあ、伯爵様が逗留を認めている以上は、俺が口を出す案件じゃないけどな……」


「……ヴェンデリンさんに感謝しているそうです」


「それはどうも……」


 皮肉な事に、屋敷にいる男性の中でリサに一番好かれているのが俺であった。

 まだ直接は話せずに女性陣の通訳が必要だが、顔を合せても怖がられたり目を逸らされたりはしていない。

 エルと導師は、最初から怖がられてしまって駄目であった。


「うーーーん、難儀な人だな……」


 自分も避けられてしまっているので、エルはどうにも手が打てないといった態度だ。


「このままだと問題なような……」


「徐々に慣らすしかないんじゃないか?」


 エルの意見はありきたりなものであったが、一番手堅くもあった。


「慣らすために、少し出かけたらどうだ?」


 エルからの勧めにより、俺達は王都に出かける事にした。

 普通に考えればデートなのだが、今のリサに俺と二人きりの状況など耐えられるはずもない。

 他にも色々と事情があって、王都行きは俺、リサ、カチヤ、テレーゼ、アマーリエ義姉さんというメンバーになった。


「これはもうデートじゃないな」


「私は通訳? 王都に行けるのは嬉しいけど」


 リサは、アマーリエ義姉さんの傍から離れなかった。

 この人と二人きりでデートするという事が、俺が死ぬまでに実現するのであろうか?

 非常に興味深いどころだ。


「まあ、貴族の子息や令嬢が二人きりでデートなどというのは滅多にないからの。下級貴族ならばいざ知らず」


 テレーゼに言われて俺は思い出した。

 そういえばエリーゼと初めてデートした時も、セバスチャンのみならず、他にも何名か護衛がいたのを。

 護衛の方は俺達に気がつかれないようにしていたが、間違いなくホーエンハイム枢機卿の差し金であろう。


「エリーゼ達は妊娠して『瞬間移動』は危険、ヴィルマはエリーゼ達の世話で残った。比較的、新しくヴェンデリンの妻になったか、そういう関係になった女ばかりじゃの」


 リサと……アマーリエ義姉さんも違うが、彼女はいちいちそんな細かい事を指摘して時間を無駄にするような人ではない。

 テレーゼとカチヤは、まだ一緒に出掛けた事が少ないので誘ったというわけだ。


「どんな事情があるにせよ、今日はお休みなのじゃ。ヴェンデリン、エスコートせい」


 その時点で既に、お休みなのにお休みではないような気もしたが、俺は気にしない事にして王都での時間を楽しむ事にする。

 とは言っても、女性が四人もいるのだ。


 メインは、買い物というのが定番となっていた。


「バウルブルクのお店も大分品数が増えたが、やはり一国の主都には負けるというものよ」


 商業街にある洋品店で、テレーゼは色々な服を……今回同行したカチヤに当ててみながら話を続ける。


「テレーゼ、あたいはいいよ」


「いいわけがあるか。私服の基準が、動きやすいのみなのはどうかと思うぞ」


 テレーゼの指摘どおりに、カチヤはあまり服を持っていない。

 冒険者としての装備と、嫁ぐ時に実家が用意した貴族の妻として相応しい他所向きの服。

 これを除くと、地味な動きやすい服しか持っていなかった。

 

 実家であるオイレンベルク領時代からの生活を、そのまま引き摺っているのだと思う。


「誰も困らないじゃないか」


「バカ者、お主はヴェンデリンの妻なのだから、プライベートでもそれなりの服を着て当然じゃ」


 テレーゼは、カチヤに説教を始める。

 本人はよくても、カチヤの服装のせいで俺が非難されたり侮られる事もあるのだからと。


「貴族の妻になった以上は、諦めてある程度は着飾ってもらうぞ」


「わかったよ……」


 カチヤは渋々と言った感じで了承するが、口調とは違って綺麗な顔をしているのでどんな服装もよく似合った。


「それとな、妾達がある程度浪費しないと下々に金が届かぬであろう? 浪費で家を傾けるのは論外じゃが、ある程度の消費は下々のためなのじゃ」


 やはり、こういう貴族的な常識ではテレーゼが圧倒的に理解が深い。

 生まれながらの貴族だからなのであろう。


「わかったけど、それでもあたいは姉御よりはマシだぞ。何しろ姉御は、あの派手な服以外持っていないんだからさ」


 あの派手な服装でないと言動が保てなかったので、リサはプライベートでもずっとあの格好だったそうだ。

 実は今着ている服は、背格好が近いカタリーナから借りている物であった。


「だから、アマーリエと選んでおるではないか」


 確かに、二人で沢山の服を試着しながら選んでいた。


「ヴェル君、リサさんはどう?」


「よく似合っていますね」


 アマーリエ義姉さんのセンスもよかったようで、リサは以前のハデハデしい服装ではなく、落ち着いた綺麗なお姉さんに見える服装になっている。

 アマーリエ義姉さんは、コーディネートが上手なようだ。


「リサさん、似合っているって」


 アマーリエ義姉さんにそう言われると、リサは顔を俯かせて少し恥ずかしそうだ。

 どうやら、まだアマーリエ義姉さんの通訳がないと俺と話ができないらしい。


 通常の生活では主にアマーリエ義姉さん、魔法の修練などではカタリーナが通訳をしてくれるようになった。


「他にも、色々と見繕いましょう」


 アマーリエ義姉さんの意見に女性三人が従い、ここぞとばかりに服を見定め買い始める。

 こうなると、一番暇になるのは男である俺だ。

 俺も服には無頓着な方だし、それでも伯爵ともなれば勝手に着る服は準備されるようになった。

 ここは女性専門の洋品店で、俺はただ三人を見守り、試着した服が似合うか似合わないか言うのみである。


「似合うと思うよ」


「ヴェンデリン、もう少し女性を褒める語彙を磨けよ」

 

 似合うか似合わないかしか言わなかったら、テレーゼから注意されてしまった。

 だが、俺にそんな高度なものを求められても困ってしまう。


「ああ、君は薔薇のように可憐だね」


「寒気がするの……」


 せっかく勇気を振り絞って言ったのに、テレーゼの評価は酷いものだ。


「テレーゼが語彙が少ないって言うから!」


「言えばいいというものではないぞ」


「ううっ……今度、エーリッヒ兄さんでも聞いてみようかな?」


「なかなかに洗練された兄君らしいの」


 俺の努力は無駄に終わったが、服の買い物は無事に終わったようだ。

 みんな自分で出すと言ったが、俺は有名人で周囲の目もある。

 俺が金貨を出して全額を支払った。

 

 応対している洋品店の店主が、誰でもわかるほど嬉しそうな顔をしている。

 俺達は、よほど気前のいい客だったようだ。


「ありがとうございました」


 店を出ると、もう時間はお昼の少し前であった。

 さすがにお腹が減ってきた。


「じゃあ、そろそろ飯でも……」


「ヴェンデリン、まだ終わっておらぬぞ」


「何ですとぉーーー!」


 最初の洋品店だけで二時間以上の時間を費やしたというのに、まだ買い物は終わっていないとテレーゼが言いだす。


「ヴェル君、あとは下着とか、アクセサリーとか、靴とかも必要でしょう?」


 アマーリエ義姉さんは、テレーゼと同じ意見であった。

 まだ買い物は終わっていないと言う。


「旦那、あたいも飯が食いたいんだけど……」


「カチヤ、お主の分もあるのじゃから欠席は許さぬぞ」


「そんなぁーーー!」


 俺とカチヤの願いは空しく、その後も俺達は店を梯子して四時間以上も時間を費やすのであった。





「もうこんな時間か……昼飯とオヤツを要求する!」


「あたいも!」


 テレーゼとアマーリエ義姉さんが長時間買い物に付き合わせるので、もう時間はお昼を大分回ってしまった。

 もうオヤツの時間で、俺とカチヤは何か食わせろと声をあげた。


「お主ら、気が合ってよかったの」


 貴族らしくない貴族家の生まれという共通項もあり、俺とカチヤは行動パターンや好みに共通項が多かった。

 冒険者としての装備には手を抜かないが、私服はどうでもいいし、美味しい食事が好きなどの共通点があったのだ。


「リサさんも、何か食べたいそうよ」


 静かに、リサも俺とカチヤの意見に賛同してくれた。

 これで過半数だ。

 何か食べに行くという意見が優勢になった。


「別に、食べに行かぬとは言っておらぬではないか」


 テレーゼも、お腹が減っていたようだ。

 食事に行くという俺の意見を否定しなかった。


「さて、何を食べに行こうか?」


「肉!」


「カチヤ、お主は年頃の女子とは思えぬの……」


 テレーゼは、誰に憚る事なく天下の往来で肉が食べたいというカチヤに呆れていた。

 俺は別におかしいとは思わないのだが……ああ、導師がいつもこんな感じだからか。

 でも、カチヤは導師ほど食べるわけでもないし、好きな物を食べた方がいいと思う。


「アマーリエ義姉さんとリサは何が食べたい?」


 俺は男性なので、女性に譲って何か食べたい物がないか聞いてみる。


「そうね……私は夕食までそんなに時間もないから軽い物を。リサさんは、甘い物が食べたいそうよ」


 甘い物か……。

 普通の女性らしい反応だな。


「それじゃあ……」


 無難に、少し高級なレストランに行く事にした。

 そこならある程度メニューが充実していて、デザートの種類も多いからだ。


 俺は一応有名人であり、レストランはお昼時をすぎて客も少なく、奥の特別室に入れてもらった。

 ウェイターに注文すると、三十分ほどで次々と頼んだ料理が出てくる。


「美味そうなステーキだな」


「カチヤ、そんなに食べて大丈夫か?」


「テレーゼこそ、お腹が空かないか? 最近、食べる量が増えたんだよな。その割には、少し痩せたし」


「それは、魔力が上がったからだな」


 魔法使いは、大量の魔力を消費する人ほどカロリーも消費するので大食になる。

 カチヤは魔力が上がった分、魔法を使うと消費するカロリーが増えたというわけだ。


「いや、それは妾も知っておる。確かに、以前よりも食べる量は増えたの」


 テレーゼは、魚料理とサラダ、パンを頼んでいた。

 一般的な食事量であったが、魔法使いになる前のテレーゼは小食だったから、食べる量は確実に増えている。


「最近、服を着ると少し緩かったのじゃが、やっぱり妾は痩せたのじゃな」


「いいわねぇ……魔法使いって、そういうメリットもあるのね」


 アマーリエ義姉さんが、カチヤとテレーゼを羨ましそうに見る。

 女性にとって、ダイエットとは永遠の課題のようだ。


 ただし、昔の実家では考える必要がない問題でもあった。


「という事は、リサさんはこれを全部食べても大丈夫なのね……」


 リサは、パフェ、ケーキセット、クレープを頼み、紅茶を飲みながら美味しそうに食べている。

 さすがの俺でも、少し胸ヤケがしそうな量だ。


「姉御、甘い物なんて食べるんだな」


「えっ? 大好きだって聞いたわよ」


 アマーリエ義姉さんはリサの通訳をしているので、男性がいない場所では彼女と色々と話をしているようだ。


「あれ? でも、昔にあたいを食事に連れて行ってくれた時には……」


 カチヤは、リサが蒸留酒と味の濃いツマミばかり飲み食いしていたと話す。


「それは、あの格好と言動を維持するために必要な演技ですって」


 アマーリエ義姉さんは、リサに信頼されているようだ。

 カチヤの疑問に、本人の代わりに答えられるくらいなのだから。


「演技で、大ジョッキを二十杯以上も空けられるのかよ……」


「お酒はあまり好きじゃないけど、飲んでもあまり酔わないそうよ」


 酒があまり好きじゃない大酒飲みというのも凄いと思う。

 確かに、甘い物はとても美味しそうに食べている。


「何か、あたいの中の姉御像と全然違って、初めて出会った人みたいだな」


 ブランタークさんと同じく、リサと面識があったカチヤも彼女の変化に戸惑いを感じているようだ。


「まあ、どっちでも姉御には変わりないか。ステーキお替り!」


 カチヤは、あまり細かい事を気にしないらしい。

 すぐに気分を切り替えて、ステーキのお替りを頼んだ。


「よう食べるの」


「肉は美味しいじゃないか」


「美味しいのには賛同するが、妾ではこんなに食えぬわ」


 食事の後は、留守番をしているエリーゼ達へのお土産を選んでから屋敷に戻った。

 リサとはまだ直接話せないが、アマーリエ義姉さん、カチヤ、テレーゼとも出かけられたし、有意義な休日であったと俺は思うのであった。





「はあ? 大酒飲みなのも演技だったのかよ!」


 集団デートから数日後、所用で屋敷を訪ねてきたブランタークさんが、リサの話を聞いて目を丸くさせた。

 まさか、彼女が酒に酔わない体質なだけで、本当は酒があまり好きではないなどとは微塵も思っていなかったのであろう。


「大酒飲みの方が、冒険者として舐められないと思ったそうです」


 また律儀に、アマーリエ義姉さんが通訳をする。


「それは間違っていないけどな。だが男からすると、大酒飲みの女なんてご遠慮願いたいぜ」


 確かに、男性に対してあまりいい印象を与えないはずだ。 

 だからリサはこの年まで未婚……これだけが原因ではないと思うが、原因の一つではあるはず。


「昔に一度だけ食事に行ったけど、物凄く飲んでたもんな」


 リサと同じくブランタークさんから指導を受けた魔法使い達と、一度だけ懇親会を兼ねた食事会をした事があるそうだ。

 その時にも、一人で蒸留酒を大ジョッキで二十杯以上空け、ブランタークさんを呆れさせたらしい。


「それで、今は一滴も飲まずか……」


 今のリサは、酒を飲まずに間食や食後のデザートで出てくる菓子を楽しみにしている。

 普段飲んでいる飲み物も、紅茶に変わった。


「まあ、いい事じゃねえか。好きでもないのに酒を飲むなんぞ、酒への冒涜だし」


 酒好きであるブランタークさんから言わせると、酒が好きではない奴は酒を飲むなという事らしい。


「俺が飲む分が減るからな」


 だが、その理由は完全に自己中心的なものであった。


「ブランタークさんの事だから、『俺の方が沢山飲める、勝負だ!』とか言うのかと思った」


「おいおい、伯爵様。俺は導師じゃないんだぜ」


 と、ブランタークさんが俺に言った直後に、彼は大切な事を思い出した。

 それは、今日は導師もバウマイスター伯爵領に来ていたという事実をだ。


「面白い、ブリザードのリサが某よりも酒飲みだというのであるか!」


「ブランタークさん……」


「口が滑った……」


 導師は、しょうもない理由でムキになる事が多い。

 食事の量で常にヴィルマに勝負を仕掛け、勝手に負けて悔しがったりしている。

 今回も、リサが酒が飲めるという事実が、彼の心の稜線に引っかかったのであろう。


「ブリザードのリサよ! 勝負なのである!」


 突然導師から勝負するようにと言われたリサは、相変わらず導師が苦手なのでアマーリエ義姉さんの陰に隠れてしまった。


「伯父様、お酒の勝負は危険です。お止めください」


 エリーゼが、慌てて止めに入る。

 この世界でも、過度な飲酒で急性アルコール中毒になって命を落とす人がいる。

 酒飲み勝負など論外というわけだ。


「いや、これは某の矜持に関わる問題なのである!」


 飲酒の量がどんな矜持に関わるのか俺にはわからないが、導師にとっては大切な事のようだ。

 彼は、エリーゼからの諫言を一切聞き入れなかった。


「これは、実際に勝負しないと導師は引かないのでは?」


「ブランタークさんが妙な事を言うから……」


「いやあ、すまんな」


 結局、仕方なしに導師とリサによる飲酒対決がスタートするのであった。





「リサ、本当にすまないけど」


 導師と酒飲み勝負をする羽目になったリサに、なぜか俺が謝る羽目になった。

 酒が好きではない人に飲酒勝負をさせるのだから、ここは素直に謝るしかない。

 

 ブランタークさんだと謝ってもリサが隠れてしまうし、導師も同じで……勝負が終わるまで謝るはずもないか……エルは今頃ハルカと楽しい新婚生活のはずだ。

 邪魔をするのは……何か微妙に腹が立ってきたな。

 

「構わないそうよ」


「えっ? どうしてですか?」


 リサは特に怒るでもなく、導師の勝負を受け入れた。

 俺がなぜかと聞くと、通訳のアマーリエ義姉さんが説明をしてくれる。


「将来の旦那様のためだからだって」


「(うがっ!)」


 夫になる俺のお願いだから受けてくれるそうだ。

 導師のせいで、ますます俺の逃げ道がなくなったような気がする。

 

 もしかすると、導師はわざと勝負を挑んだのでは……まあそれはないか。


「無理しないでいいから」


「大丈夫、勝てるって」


 リサはえらく自信満々のようだ。

 アマーリエ義姉さんを通じてだが、導師には負けないと宣言した。


「ふっ! その自信も今日までである!」


 自分から勝負を言いだすだけあって、導師は物凄く酒に強い。

 ブランタークさんでも勝てず、大食いではヴィルマに負けてしまう導師の自慢のタネでもあった。


「ヴェル様、お酒臭い……」


 勝負のために度数が高い蒸留酒の瓶が大量に準備されたのだが、栓が空いた酒瓶からアルコールの匂いが周囲に漂う。

 プロの狩人で匂いに敏感なヴィルマは、急ぎ鼻を手で塞いだ。


「ヴィルマは、お酒が苦手だものな」


「美味しくないから嫌い」


 ヴィルマは、お酒が苦手であった。

 乾杯時の食前酒でも、絶対に一口しか口をつけない。


「物凄い数の酒瓶ね……テレーゼが準備したのよね?」


「我が故郷、フィリップ公爵領特産のアクアビットじゃ。イーナも飲むか?」


「妊娠したから、お酒はパスね」


「そうじゃったな、すまんすまん」

 

 アクアビットはジャガイモを材料にした蒸留酒で、フィリップ公爵領の特産品でもある。

 アルコール度数は、四十パーセントを超えている代物だ。


「これを沢山飲んだ方が勝ちなんだよね? ボクも苦手な匂いだなぁ……」


 ルイーゼも、ヴィルマと同じくほとんど酒は飲めない。

 イーナは普通に飲めたはずだが、普段は飲まない。

 俺があまり飲まないので、他の妻達もあまり飲まなかったのだ。


「くれぐれも無理はしないでください。体調が悪くなったら、私に言ってくだされば『解毒』をかけますので」

 

 導師に押し切られてしまったエリーゼは、救護役に就任した。

 エリーゼも前に悪酔いして大騒ぎになったので、普段は絶対に酒を口にしない。 

 彼女にとってのお酒とは、料理やお菓子の材料という認識だ。


「匂いが凄いですわね……」


「カタリーナは、酒は大丈夫か?」


「まあ、普通に飲めますわ。普段はあまり飲みませんけど。カチヤさんは?」


「あたいもそんな感じ。食事会とか、お祝い事とかじゃないと飲まないかな?」


 ギャラリーはいつものメンバーなので緊張感も欠片もないが、勝負の準備は整った。


「薄めるのは自由だけど、あくまでも原酒の量で勝負だからな」


「ブランターク殿が何を言うかと思えば、男ならそのまま飲むのである!」


「いや……酒を割るのに男も女も関係ないような……」


 こんなに濃い酒をそのまま飲む人は少なそうだが、導師の中では普通の事らしい。

 グラスすら準備せず、ラッパ飲みで勝負するようだ。


 もう一方のリサは、自分の魔法で氷を作ってグラスに入れた。

 ロック割りで勝負するらしい。


「テレーゼ様、余ったらこの酒くださいよ」


「ブランタークには魔法の修練で世話になっておるからの。余らなくても、あとで取り寄せて贈呈しよう」


「はははっ! 原酒の大瓶で五十本ですよ。人間二人で飲める量じゃありませんって」


 急遽審判役になったブランタークさんが、笑いながら勝負開始の合図をする。


「うむ、スッキリと飲みやすい、いい酒である!」


 勝負開始の合図と共に、導師は豪快にラッパ飲みでアクアビットの大瓶を飲み始める。

 これだけアルコール度数が多いと味もへったくれもないような気もするが、導師は美味しそうに物凄い勢いで一本目を飲み干した。


 リサは、グラスに自分で作った氷を入れてからアクアビットを注いで静かに飲んでいる。

 飲む速度はそれほど早くはない。

 だが、常に一定のスピードで飲み干していく。


「いけるのである!」


「いけるのはいいけど、せっかくの酒が勿体ねえなぁ……」


 ブランタークさんが、導師の飲み方にケチをつける。

 彼は、ゆっくりと楽しみながら酒を飲む人だからだ。


 勝負開始から十分ほど、導師は既に五本の大瓶を空けた。

 二分に一本というハイペースで、もしこれがテレビ放送されていたら『一般の方は、真似しないでください』とテロップが出ているであろう。

 導師の顔は少し赤かったが、そんなに酔っているようには見えない。

 飲むペースもまだ落ちていなかった。


「リサの方は……」


 リサは、一定のペースで飲み続けていた。

 グラスに大瓶から酒を注ぎ、ゆっくりと飲んでいく。

 氷が少なくなると、自分で作ってグラスに追加した。

 ブリザードの二つ名に相応しく、氷は常に自前のようだ。


 何より凄いのは、リサは顔色一つ変えていない。

 これまでに飲んだ量は導師には負けるが、丸々二本を空けている。

 これも驚異的なペースだ。


「共に底無しじゃの」


「常人には真似できないわね」


 テレーゼとアマーリエ義姉さんは、二人の飲む量に呆れ顔だ。

 そして、勝負開始から一時間後……。


「まだいけるのである」


 威勢はいいが、やはりというかさすがに導師は飲む勢いが止まった。

 二分で一本を空けたのは最初の十分だけで、今の時点で二十本。

 顔にも赤みが増してきている。


「当たり前だよなぁ……」


 原酒の大瓶を一人で二十本も空けたのだから、今の時点でも十分に化け物であろう。

 だが、導師は飲むのを止めようとしなかった。

 なぜなら……。


「リサさん、大丈夫?」


 アマーリエ義姉さんの問いに、リサは軽く頷いて答えた。

 彼女は五分で一本というペースを乱さずに、これまでで十二本。

 だが、まったく顔色に変化がなく酔っているようにも見えない。


 まだ導師が勝っているが、リサが変わらぬペースで飲み続けるので彼は危機感を抱いたようだ。

 だが、いくら導師でももうこれ以上飲めるなずがない。


 エリーゼが止めるまでもなく、手が動かない状態であった。

 そして二時間後……。


「ああ……酒がなくなってしまう!」


「ブランターク、あとで贈呈するから泣くな。お前は子供か」


「だって、全部なくなるなんて想定外じゃないですか!」


「妾だって想定外じゃ、五十本も準備したのじゃぞ」


 リサは、わずかに飲むペースを上げたようだ。

 今の時点で二十四本と半分、導師は奮戦したが一時間で二本しか飲めなかった。

 

 五十本もあった酒瓶がすべて空になりつつあり、ブランタークさんは酒がもらえないと嘆いてテレーゼから呆れられた。


「ぬぉーーー! このままでは!」

 

 リサが二十六本を飲んだ時点で、導師の敗北が決定する。

 そこで、急ぎ二十三本目を気合で飲み干し始めた導師であったが、酒がもっと大量にあってもリサはこのまま同じペースで飲み干してしまいそうだ。


 元々、導師に勝ち目はなかったのだと全員が思った。


「まるで格が違うよね。ちょっと、お酒が飲めるとかいうレベルを超えているもの」


 ルイーゼの発言が耳に入ったのか?

 導師が何とか気合を入れて二十三本目を飲み干したが、彼はここで限界を迎えたようだ。

 二十四本目に手が伸びず、顔もゆでダコのようだ。

 

 朝市とかで売っていたら、美味しそうだとつい手が伸びてしまいそうである。


 それを口にすると導師にぶん殴られそうなので、俺は絶対に言うまいと思ったが。

 そして、その間にリサが二十六本目を飲み干していた。


「勝負あったな。リサ、もういいよ」


 俺が声をかけると、彼女は二十七本目に手を出さずに少し迷ってからブランタークさんにそっとアクアビットの酒瓶を差し出した。


「ありがとう、リサぁーーー!」


 ブランタークさんが、泣いてリサにお礼を言う。


「ブランタークさん……」


「残ってよかったぁ」


 この勝負でわかった事は、俺達の想像以上にリサが酒に強く、俺達の想像以上にブランタークさんが酒に関しては意地汚いという事実であった。




「負けた以上は仕方がないのである!」


 勝負終了から三十分ほど後、導師は水を飲みながら酔いを醒ましていた。

 顔色は、既に少し赤い程度にまで回復している。

 間違いなく、肝臓が大型竜並に頑丈なのであろう。

 

 リサに関しては、理解不能なまでの酒への強さであった。


「勝負が終わったら、お腹が減ったな」


 夕食は食べたが、少し時間が経っていた。

 勝負観戦でエネルギーも使ったようで、軽く夜食でも食べたい気分だ。


「あなたがそう仰ると思って、準備しておきました」


 エリーゼが、夜食用に焼いたバナナパイを持ってきてくれる。

 魔の森特産のバナナを使用した、子供からお年寄りにまで人気の、バウマイスター伯爵領内で大流行しているお菓子である。


「美味しそうだな、導師はどのくらい食べますか?」


「いや、さすがにもう少しいいのである……」


 さすがの導師も、あれだけの酒を飲んだ後では甘い物には手が出ないようだ。


「あれだけ飲めば当然ですか。リサはバナナパイを食べるか? 取っておいてあとで食べるという手もあるけど……」


 念のためにリサに聞いてみると、意外な返答がきて俺達を驚かせた。


「甘い物は好きだから、大きめに切ってほしいって」


 アマーリエ義姉さんの通訳であったが、どうやら彼女は甘い物は別腹らしい。


「負けたのである……」


 それを聞いた導師が、珍しくがっくりと肩を落とすのであった。

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― 新着の感想 ―
また嫁さんが。 増えーる。ʅ(◞‿◟)ʃ
[一言] 今度、エーリッヒ兄さんでも聞いてみようかな?  →今度、エーリッヒ兄さんにでも聞いてみようかな?
[一言] リサも嫁になるんかい
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