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第百十六話 結局、こういう解決方法になる。

「結局、そういう結論に至りましたか……」


 発見されたトンネルの管理は、オイレンベルク家側の希望により他家に譲渡される事となった。

 この場合は地理的な要因により、ブライヒレーダー辺境伯家が管理する事となる。

 王国直轄地にすると王家とブライヒレーダー辺境伯家の対立が噂されてしまうので、妥協点として警備と管理の人材は、王国、バウマイスター伯爵家、ブライヒレーダー辺境伯家が均等に出す。

 王国警備隊の経費は、バウマイスター伯爵家とブライヒレーダー辺境伯家で分担するなどの条件が出されるはずだ。


 生臭い政治的なお話であり、なるほど、オイレンベルク家の人達は嫌がるはずだ。

 他の貴族とは滅多に顔を合わせない彼らに、王家やブライヒレーダー辺境伯家との政治交渉など不可能なのだから。


 ただその代わりに、ブライヒレーダー辺境伯家はオイレンベルク家がマロイモを栽培できる代替地を準備しなければならない。


 今よりも条件がよくて大規模な場所を準備する必要があるし、ファイトさんとの婚姻を希望する貴族達に事情を説明して回る必要もあるであろう。

 どう補佐しても、オイレンベルク家の人達にそんな芸当は無理だ。


 海千山千の貴族達に翻弄され、おかしな約束でもされると困ってしまう。

 結局、ブライヒレーダー辺境伯が何とかするしかなかったのだ。

 

「こういう予感はしていましたけどね……」


「ここを乗り切れば、大きな利益になりますよ」


「バウマイスター伯爵はいいですよね。ローデリヒさんに任せればいいのですから……」


 うちは新興だし、まだ十七歳でしかない俺の領主としての実力など未知数である。

 だから、ローデリヒが積極的に動いて勝手にやってくれるので楽であった。


「将来、傀儡にされますかね?」


「バウマイスター伯爵を傀儡に? 無理でしょう」


「俺は、貴族としての仕事をあまりしない駄目領主ですからね」


「いいえ、それは違いますね」


 ブライヒレーダー辺境伯は、俺の発言をきっぱりと否定する。


「聞けば、バウマイスター伯爵は内乱時に参謀として事務処理などもしていたとか? あなたは、その辺の貴族よりもよっぽど頭がいいではないですか。ただ、仕事のリソースが、冒険者や魔法使いの方に割かれているだけです。敗戦知らずで巨大な武勲も持っていますし、よほどのバカでなければバウマイスター伯爵を傀儡にしようとしません。ローデリヒさんは、極めて有能な方ですしね。人格面でも信用に足る人物です」


 俺もローデリヒも、ブライヒレーダー辺境伯からえらく評価されているようだ。

 別に俺の頭がいいわけではなく、現代日本の教育制度と商社での仕事が役に立っただけであろう。

 そう思うと、現代日本って教育レベルが高かったわけだ。 


「そうなんですよね。だから俺は楽ができる」


「楽というのはどうですかね? 私なら、巨大地下遺跡で死にかけたり、一万人の軍勢に魔法をかけたり、ヘルタニア渓谷を解放したり、内乱で主戦力になったりとか嫌ですけど」


 改めて他人から言われると、俺達は色々とやっているよなと思う。


「要は、役割の分担というわけです。バウマイスター伯爵が色々と派手に動いて結果的にバウマイスター伯爵家が多くの利益と利権を得る。それを、ローデリヒさんが上手く運用して領地が発展する。ただ……」


「ただ、何ですか?」


「こういうやり方は、初代だからこそ通用するやり方なんですよね」


 俺の子供が魔法使いになるかどうかはわからないし、ローデリヒのような全権を持った家宰という存在は、後には災いとなる可能性がある。

 次世代からは、色々とやり方を変える必要があるというわけだ。


「ローデリヒさんの事ですから、エリーゼさんが産む予定の後継ぎには厳しい教育を施すでしょうね。あとは、自分の仕事を若い家臣達に分割して後継者を指名、それぞれに教育を施すとか。これで、次世代以降はバウマイスター伯爵の後継ぎが家臣団を使って領地を運営していくわけです」


「恒久的な統治システムの構築ですか」


「領主の権限は強いですけど、領主一人では何もできませんからね。おっと、話が逸れましたね。トンネル利権の譲渡ですけど、私も考えましたがそれはあくまでもオイレンベルク家からの要望があったというアリバイが必要なのですよ」


 オイレンベルク家側が、『うちでは無理だ! だからブライヒレーダー辺境伯家に任せます!』と公式に白旗をあげる必要があった。

 それがないと、ブライヒレーダー辺境伯は他の貴族達から非難を雨霰と受ける事になる。


「面倒な話ですね」


「貴族は本当に面倒です。王国を混ぜるのだって、警備隊隊長などのポストが増えるのと、彼らの経費は我々が負担するでしょう? そうする事で、王国に利益供与しているのですよ。王国貴族は有事の際には諸侯軍の派遣が義務になっているので、王国に上納金を納める必要がないという決まりを破らないためです」


 それは聞いた事がある。

 昔は、軍役と領地の規模に比例した上納金の制度があったのだと。

 ただ、当時は帝国との長年に渡る戦争が続いていて、その負担の重さから一部貴族が王国からの離脱を計画した事があったらしい。

 その動きは上納金制度を止める事で治まったそうだが、上納金制度をブライヒレーダー辺境伯家が復活させたと言われてしまっては堪らない。


 だから、駐留警備隊の経費負担というわけだ。


「こういう時には、教会の方が相手が楽です。ここに巡礼所や教会を建てましょうで済みますから」


 あとは、寄付金を出しておけば済むからだ。

 良くも悪くも、教会の運営システムは洗練されている。

 『俗っぽい』と同義語でもあったが。

 

「では、オイレンベルク領に行きますか」


 思わず長話になってしまったが、俺はブライヒレーダー辺境伯を迎えにきていたのだった。

 彼を連れてオイレンベルク領へと戻ると、過大な仕事を押しつけられずに済んだオイレンベルク卿とファイトさんの表情は明るかった。

 

「ブライヒレーダー辺境伯殿」


「飛竜やワイバーンが飛んで来ず、マロイモの栽培に適した斜面があり、他の作物も沢山作れる代替地ですね。我がブライヒレーダー辺境伯領も、大リーグ山脈に接している場所は多いですからね。探せば必ずありますよ」


「よかった」


 ファイトさんは、顔を綻ばせていた。

 彼からすれば、トンネルの管理よりもマロイモの栽培なのであろう。


「すぐに新しい領地で土造りを始めませんと。ようやく土造りのノウハウを獲得しましたが、マロイモが今の甘さになるには十年はかかりますし」


「それでしたら、バウマイスター伯爵に土を運んでもらったらどうですか? その方法で、領地一つ分の畑の土を運んだ事もありますし」


「凄い事ができるのですね。バウマイスター伯爵殿は」


 農業で一番面倒なのは、土造りである。

 なら、移転時にそれを運んでしまえというのが俺の考え方だ。

 

 そして、それが可能な俺をファイトさんは尊敬の眼差しで見ていた。

 今までは怖がられてばかりだったので、初めて尊敬されたような気がする。


「どのみち、オイレンベルク領は大規模に工事をしないといけませんし……」


 農地と斜面を削って、トンネルに続く広い道路を作らないといけない。

 それを怠れば、トンネルに入る前に大渋滞を引き起こす可能性があった。

 山崩れなどの災害対策もある。


 他にも、大規模商家に向けての倉庫群、馬車の待機場、休憩所、宿泊施設、飲食店街、歓楽街など。

 トンネルの両出入り口近くに、これらの施設を大規模に作る必要があった。


 バウマイスター伯爵領側も、既に建築家でもあるレンブラント男爵に依頼を出して設計図を書いてもらっているところだ。

 それが出来上がれば、俺は基礎工事で暫く働かないといけない。

 建物なども、職人が多い王都で建造させてからレンブラント男爵の『移築』で運ぶという短縮工法がローデリヒの考案で始まっていた。


「トンネルの管理のみならず、そういった開発も合わせると、ますますうちには無理ですね」


「そういう物を作ると、マロイモの栽培は難しいですね」


 オイレンベルク卿は自分達の能力の限界を超えていると嘆き、ファイトさんは建設工事をするとマロイモの畑が消えてしまう事を憂慮していた。


「今マロイモの畑がある斜面は、土砂崩れを防ぐために補強工事をしないといけません。土は持って行ってください」


「ありがとうございます」


 ブライヒレーダー辺境伯からの好意に、ファイトさんがお礼を述べる。

 最初は色々とあったが、これでようやく難題が解決した。

 よかったよかったとみんなで喜んでいた時に、再びの難題が突然訪れる。


 バタンとオイレンベルク邸の玄関ドアが勢いよく開き、一人の人物が飛び込んできたのだ。


「親父! 兄貴! 正気か! オイレンベルク家大躍進のチャンスなのに、何嬉しそうに人様に金の卵を譲ってんだよ!」


「「カチヤ?」」


 飛び込んできたのは、俺達とそう年が違わないように見える少女であった。

 男勝りの口調なのでどんな逞しい女性なのかと思えば、身長は百五十五センチほどしかなく、黒に近い茶髪をツインテールにして膝下まで伸ばしている。


 顔も、まるで人形のように整った美少女であった。

 

「カチヤ、随分と早い里帰りだね。予定では来月だと」


「カチヤ、前に渡した干しマロイモが足りなくなったのかい?」


「それはまだもう少し余裕が……って! 違うよ! 実家がこんな状態だって噂だから、急いで帰って来たんだよ!」


 カチヤという少女は、口調とは違って家族仲もよく定期的に実家にも帰省しているようだ。

 ファイトさんから干しマロイモの事を聞かれて素直に答えているので、意外といい娘なのかもしれない。

 

 しかし、干しマロイモか……。

 これは盲点だったな、帰りに買って帰らないと。


「オイレンベルク卿、私の勉強不足で申しないのですが、こちらのお嬢さんは?」


「娘のカチヤです。ファイトの妹になります」


「娘さんですか……」


 ブライヒレーダー辺境伯は、自分の寄子なのにオイレンベルク家に娘がいる事を知らなかったようだ。

 ただ一つ弁解させてもらうと、それを知っている他の貴族家が一つもなかったのでみんな同罪だとは思うのだが。


「カチヤさんは、外で働いていらっしゃるのですか?」


「おうよ、冒険者としてな」


 冒険者だからか、本人の気質なのか?

 カチヤは、相手がブライヒレーダー辺境伯でも口調を変えない。


「カチヤ、そちらの方は……」


「ブライヒレーダー辺境伯様だろう? 生憎と、今のあたいは冒険者だからな」


「別に構いませんよ」


 ブライヒレーダー辺境伯は、彼女の口調を気にもしていなかった。


 確かに、カチヤは一目で冒険者だとわかる格好をしている。

 彼女はスピード重視の剣士のようだ。

 白いタンクトップとデニム地に似た短パン、防御力を補強したブーツと、その上から薄手の防御用の手甲、胸部用のプロテクター、あとはなぜか鉢金はちがねもしていた。


 ミズホ公爵領からでも輸入でもしたのであろうか?


 武器は細身の長い剣を背中に二本挿しているようだ。

 鞘についたベルトが、前側で十字にクロスしていた。


「あれはサーベルだな」


「サーベルかぁ……」


 剣の収集を趣味にしているエルが、カチヤが装備する二本の剣がサーベルである事を教えてくれる。


「サーベルって珍しいのか?」


「一応剣の一種だから貴族が使っても問題ないけど、なぜか人気がなくて一段下に見られるな」


 通常の剣のように、重厚さがないからだと言われているそうだ。

 重厚感のあるサーベルもあると思うのだが、とにかく剣よりも一段低く見られるので貴族で使っている人が極端に少ないらしい。


「似たような扱いの剣に、エストックもあるな。細くて突きが主体だから卑怯に思われるんだよな」


 そのせいで、貴族で使っている者はほとんどいないそうだ。

 確かに、王都で挿している貴族をあまり見た事がないし、武芸大会でも使っている人は少なかった。 


「確かに、あの双剣は軽量化重視だな」


 日本刀は違う形の、斬るを重視する剣の形というわけだ。

 カチヤは女性で、戦闘方法は軽量化された防具を見るにスピード重視であった。


「あとは、腰の部分を見てみろ」


「短剣? ナイフ?」


 腰のベルトに、小さな投擲用の小剣が十本ほど挿してあった。


「スピード重視の戦闘をするから、遠方から投擲して接近するんだ」


 小さなナイフでも、無視すれば自分に刺さってしまう。

 特に顔を狙われる事が多いので、対戦相手はみんな顔を狙って飛んでくるナイフを剣で弾くという動作を強要される。

 それで出来た隙を突いて、接近を図るのだそうだ。


「なるほどな」


 エルの解説に、俺は納得した。

 さすがは、剣の才能をワーレンさんに認められているだけの事はある。


「ヴェンデリンさん」


 カタリーナが俺のローブを引っ張った。

 彼女の言わんとしている事はわかる。

 それは、彼女が魔力持ちだという事実だ。

 わずかに中級には届いていないが、その魔力を剣の腕前に上乗せすれば相当に強いはずだ。


「ちっ、冒険者ギルドで情報を集めないとな」


 ブランタークさんが、カチヤを見て舌打ちする。

 もしかすると、高名な冒険者かもしれないからだ。

 冒険者の情報は防犯上の理由でなるべく秘密にされているが、ブランタークさんなら知己の幹部などから入手可能である。

 『蛇の道は蛇』というわけだ。


「バウマイスター伯爵様の子分達か? 実戦経験有るって感じだな」


「大体合っているけど、子分じゃなくて家臣と呼んでほしいな」


「子分って……私は妻ですけど」


「俺は、一応師匠の一人でもあるな」


「すまないね。あたいは冒険者なんだ。多少の口の悪さは勘弁してくれないか」


 別に、エル達も気にしているわけでもない。

 ただ言っただけであろう。

 

 エルとブランタークさんは、カチヤに女性としては興味ないといった感じだ。

 カチヤは見た目は美少女であったが、それはハルカも同じだし、内面もミズホナデシコの鑑だとあのシスコン兄貴が褒めているくらいなのだから。

 

 ブランタークさんも、奥さんの方が好みであろう。

 この人は、意外にもおしとやかな女性が好きだし。

 

「それで、カチヤさんは何が不満なので?」


「何がって……トンネルの利権は誰がどう見てもオイレンベルク家の物じゃないか! それを寄親だか王国だか知らないが、力技で強引に奪い取るなんて!」


「ですからねぇ……」


 どおりで、ブライヒレーダー辺境伯が最初は断ったわけだ。

 この世界にはニュースやネットなど存在しないから、トンネルの利権が零細貴族であるオイレンベルク家の物だという噂が流れると、ブライヒレーダー辺境伯家が取り上げるのではないかという憶測が勝手に広がる。


 カチヤがそれを心配して戻ってみれば、自分の父親と兄が噂通りにトンネル利権をブライヒレーダー辺境伯家に譲る相談をしていた。

 慌てて怒鳴り込んだというのが真相であろう。


「ただ無責任に、通行料だけ取ってウハウハじゃないんですよ」


「そんな事はわかってるさ!」


「本当にですか?」


「おおっ!」


 トンネルが人との物の流れを加速させる以上は、負の案件も増える。

 違法な薬物や犯罪者などの移動も増えるのだ。

 他にも、トンネルはブライヒレーダー辺境伯領とバウマイスター伯爵領を結ぶ重要なインフラとなる。

 帝国とは講和を結んだとはいえ、また戦争になればここを塞ぐ破壊工作が行われる可能性がある。

 敗死したニュルンベルク公爵一派の残党が、王国と帝国を争わせて再起を目論むためにトンネルをテロの標的にする可能性もあった。


「だから、王国警備隊も混じっているのです。彼らがいるにしても、バウマイスター伯爵家側に権利がある魔導灯管理室などを除くトンネルの半分を、責任を持って警備・管理しないといけない。相応の手間もかかるのですよ」


「それは、オイレンベルク家で準備すれば……」


「それが出来ないから、こういう結論に至ったのですけどね。他にもあります」


 出入り口付近の道や、利用者のための周辺設備の整備もある。

 利用者の身分や、持ち込む荷などをチェックする税関的な施設の運用も必要になる。


「多額のお金と、人材、ノウハウが必要です。出入り口が、バウマイスター伯爵領側が順調なのに、オイレンベルク騎士爵領側がいつも渋滞では困ります。もしそうなると、王国から職務怠慢で領地を奪われますよ」


「ううっ!」


 ブライヒレーダー辺境伯からの鋭い指摘に、カチヤはタジタジとなってしまう。


「それでも兄貴が……オイレンベルク家が管理する方法だって……」


「ない事もないですね」


「あるじゃないか」


 方法があると知って、カチヤの顔に笑みが戻る。


「それは、ファイト殿がこのお見合い話を受け入れる事です」


 ブライヒレーダー辺境伯は、机に積まれた大量の見合い写真を指さす。


「資金、人材、ノウハウを持っている子爵家以上が多いですね。ファイト殿の奥方と一緒に、その実家から資金と人材が送り込まれて彼らがトンネルを維持します。看板はオイレンベルク家ですけど、実態は奥さんの実家に乗っ取られたというわけです」


 実家が乗っ取られる。

 その可能性に、カチヤは苦い表情を浮かべていた。


「ブライヒレーダー辺境伯家としては嫌な状況ですが、我慢はできます。王国軍も駐留するから変な事にはならないでしょうし、奥方の実家側も妙な事はしませんでしょう。何しろ、オイレンベルク領はブライヒレーダー辺境伯領に囲まれていますし」


 彼らはトンネルの利権が欲しいのであって、ブライヒレーダー辺境伯家の利権に嘴を突っ込みたいわけではない。

 無用な衝突や対立は避けたいと願うわけだ。


「ちなみに、ファイト殿に奥方を送り込むという案では我らブライヒレーダー辺境伯家が有利です。何しろ、オイレンベルク家はブライヒレーダー辺境伯家の寄子ですし」


 寄親が寄子の跡取りに奥さんを紹介すると言えば、他の貴族は黙るしかない。

 その結果、ブライヒレーダー辺境伯家の縁戚か仲がいい寄子から資金と人材が入ってきて、実質オイレンベルク家は乗っ取られるわけだ。


「世間への評判が悪いから避けたい方法なんですけど、もしファイト殿が他の貴族家から奥さんを迎え入れると決意するならば、その策を強行する事も考えました。結果は、オイレンベルク卿とファイト殿が堅実で、最良の選択をしてくれたのでよかったですけど」


 こういう事情を聞くと、ますますトンネルの管理をオイレンベルク家が単独で行うのは困難だと感じた。

 

「一言で言えば、身の丈にあった選択をですな」


「それもありますし、トンネル周辺の工事をすると大半の農地を潰さないと駄目ですから……」


「兄貴! そんな儲からない農業よりもトンネル管理だろうが!」


「農業は人の基本だよ。食べないと人は生きていけないのだから。それに、カチヤもマロイモが好きでしょう? 帰郷の際には、必ず大量の干し芋を持って帰るし」


「マロイモなら、トンネル管理で儲かったら他に農地を買えばいいだろうが!」


 農業とマロイモ栽培で細く長くが基本の兄に、トンネルで管理でオイレンベルク家の躍進をと考える妹。

 実家に残っている兄は保守的で、実家を出た妹は新しい事に挑戦していきたいみたいな感じであろうか?

 

「カチヤさん、残念ながらそれは出来ません」


「周囲は全部、ブライヒレーダー辺境伯領だからか?」


「それもありますけど、貴族同士での土地の取引きは王国から禁止されていますので」


「そうなのか?」


「えっ? 知らなかったのですか?」


「ううっ……」


 それはそうだ。

 勝手に売買されて領地が増えたり減ったりすれば、貴族を管理する王国側としても堪らないであろう。

 騎士爵領が土地の買収でいつの間にか伯爵領規模なったりすれば、王国の貴族管理政策において重大な支障が出るであろうし。


「勝手に土地なんて売ったら、王国から罰せられてしまいますから」


「土地の交換はいいのかよ!」


「それは王国が許可しますので」


 貴族法の大本である王国が許可をすれば、法に触れる行為も例外として黙認されるわけだ。


「畜生! ずるいぞ!」


「ずるいって……これは、オイレンベルク卿とファイト殿が現実を見て判断した決断でして、最善に近いと思うのですが……」


「親父! 兄貴! ここは踏ん張れよ! 上手くやれば、男爵どころか子爵にもなれるぞ! ここで諦めてどうするんだよ!」


 ブライヒレーダー辺境伯に論破されてしまったカチヤは、今度は矛先を父親と兄に変えて二人に気合を入れようとした。

 理論的に論破されたので、感情に訴える作戦に出たようだ。


「エリーゼ、これは、故郷を失う悲しさから意固地になっているのかな?」


 俺は、カチヤが感情的なのは故郷を失うからだと思っていて、その正否をエリーゼに尋ねてみる。


「トンネルの管理が出来れば、オイレンベルク家は躍進する。自分は家を出ている人間だけど、実家が躍進してくれれば嬉しい。こんなところだと思います」


「また面倒な……」


 カチヤが出てこなければ、話は解決していたのに。

 俺は運命の神を呪ってしまう。


「兄貴が嫁を迎えると駄目なんだろう? だったら、あたいが婿を取ってそいつを責任者にしてトンネル関連の仕事を任せようぜ」


「(なぜそうなる……)」


 俺は小声で、カチヤの意味不明な判断を愚痴った。

 そんな変則技を使っても、オイレンベルク家が傀儡化する事実に変化はないのに。

 ブライヒレーダー辺境伯も、露骨に顔を顰めさせていた。


「貴族家の娘としての立ち位置に戻る。おかしくはないのよね……」


 イーナの言うとおりではある。

 どこかの貴族家に嫁ぐべきであったカチヤは、オイレンベルク家の特殊性によって家を出て冒険者になるという自由な行動が出来た。

 それが、本来の立ち位置に戻るだけなのだから。


「というわけで、あたいに有能でオイレンベルク家のために頑張る婿を紹介してくれ。寄親のブライヒレーダー辺境伯様」


「なっ!」


 いきなりわけのわからないお願いをされて、ブライヒレーダー辺境伯は混乱した。

 カチヤの見当違いな策のために、トンネルを巡る情勢は余計に混乱していく事となる。






「ただいま」


「お館様、あの娘っ子の情報をもらってきました」


「ご苦労様です」


 結局、カチヤの乱入で振り出しに戻ってしまった。

 このままオイレンベルク卿が当主権限でカチヤを黙らせればいいと思うのだが、それをするとあの暴走小娘の事なので独自に婿探しを始める可能性がある。

 こういう混乱に付け入って利益を得ようと考える貴族は多いから、小娘一人でも注意が必要だとブライヒレーダー辺境伯が言う。


 最悪、カチヤと彼女と組んだ貴族による当主押し込めが発生しかねない。

 ファイトさんも、気が強い妹には弱い部分があるようだ。

 押し切られてしまう可能性もあった。

 

『カチヤを納得させないと』


 と言って、ファイトさんはオイレンベルク卿と共に説得を続けている。

 その間に、ブライヒレーダー辺境伯はブランタークさんにカチヤの情報を収集するように命じた。


 俺がブランタークさんを、『瞬間移動』で王都にある冒険者ギルド本部へと送ったのだ。


『ちょいとグレーゾーンだから、伯爵様は目を瞑ってくれるとありがたいな』


 トラブルを避けるために、冒険者ギルドは冒険者の個人情報の流出を避ける傾向にある。

 特に稼ぐ冒険者ほどそれが顕著で、それはおかしなタカリや犯罪の被害に遭って稼げなくなると、ギルドが大損失を受けるからだ。


『よう、オイラリー殿はいるか?』


 ブランタークさんは冒険者ギルド本部の裏口から入り、対応した若い女性事務員にある人物の名を告げ、出てきた初老の男性と内緒話をする。


『あまり詳しい情報は出せないぞ。ブランターク』


『それがな……』


『そんな事になっているのか。あの娘にそういう頭を使う仕事は無理だぞ。しょうがない……冒険者に戻るように動いてくれるのなら……あと……』


『安心しな、オイラリー殿。情報源は秘匿するから』


『懲罰会議はゴメンだからな。あとで一杯奢れよ』


『それは任せてくれ』


 オヤジ同士の話し合いの後に、ブランタークさんは一枚の書類をもらった。

 それを持って、俺達はオイレンベルク領に戻ったわけだ。


「それで、彼女はどうなのです?」


「まずいです」


 ブランタークさんが貰って来た資料をブライヒレーダー辺境伯に見せると、途端に顔を渋くさせる。


「かなり稼いでいますね……」


「資金有りか……」


 カチヤが強気の理由がわかった。

 彼女は冒険者として稼いでいて、結構な自己資金があるのだ。


「王都の冒険者予備校を卒業して、十五歳から四年間で一千万長者を超えていますか……」


 なぜ、これほどの逸材がブライヒレーダー辺境伯の目に留まらなかったのかと言えば……。


「登録名がカチヤのみですか……」


 実家の情報を一切周囲に言わず、南部の田舎村の出だとしか言っていない点にあった。

 更に、彼女は女性なので家臣にはできず、貴族も詳しくカチヤの事を調べようとは思わない。

 嫁に迎え入れるにしても、あの男勝りの口調と強さでは相手の方が嫌厭してしまう。

 貴族の娘だと公表していなかったから、『妾にしてやる』ではカチヤの方が砂を蹴って断るであろう。


「どうして貴族だって言わなかったの?」


「『冒険者に出自なんて関係ねぇ! 稼げれば偉いんだ!』が口癖なんだと」


「正論だけど、面倒そうな人」


 ヴィルマの感想に対し俺達は全員で首を縦に振ったあと、続けて一斉にカタリーナに視線を向ける。


「なぜ私を見るのです?」


 俺たちに見られて、カタリーナは居心地が悪そうな表情を浮かべる。

 どうやら彼女は、最初に俺達と出会った時のトラブルを忘れてしまったようだ。


「初見が面倒な部分が一緒」


「さすがはヴィルマさん……容赦がありませんわね……」


 今日も、ヴィルマの毒舌が冴えわたっていた。

 カタリーナが顔を引き攣らせる。


「そういう性格だから、自分が優秀な婿を受け入れてトンネルの経営を行うつもりなのでしょうか?」


「一千万セント以上の資金があるのでしょう? なら、強気になりますよ」


 いつの世でも、どこの世でも、何よりも偉いのはスポンサー様である。

 ブライヒレーダー辺境伯も、それは誰よりも理解していた。


「自己資金から必要経費を捻り出すか」


「冒険者を続けて稼げば、追加の資金も出せるでしょうからね……ただ、それで上手くいったとしても……」


 紐付きでないか、紐が細い優秀な婿を入れたとしても、ここで兄と妹との対立が発生する可能性があった。

 カチヤが資金稼ぎのためにオイレンベルク領を留守にする時間が長ければ長いほど、その婿と集めてきた人材が、ファイトさんや前からの領民達と対立する可能性がある。


「オイレンベルク領の方々は農業が好きだから残っているのに、みなさん開発で農地を奪われますし」


 やりたくもない仕事をやらされた挙句に、余所者達と次期領主の妹とその婿が上から命令をくだす。

 暴発は必至だと、エリーゼは顔を強張らせる。


 オイレンベルク領は、昔のバウマイスター騎士爵領とは違うのだ。

 その気になればすぐに領地を出て他の仕事を選べるという点で、そんな彼らから農業を奪うのは大変に危険であった。


「カチヤって、そんなに稼いでいるのですか。凄いですね」


「情報によると、バウマイスター伯爵様達は例外としても、若手のホープという扱いか。『神速のカチヤ』と呼ばれているらしいな」


 スピード重視で、魔物をサーベルで切り裂く。

 魔法は不得意だが、魔力でスピードを上げるのが得意で、魔物の首筋などを狙って一気に切り裂くらしい。


「そんなわけで、素材の状態がいいでの評判だと書いてあるな。得意な魔物はワイバーン。待ち伏せして、一気に首筋を切り裂く」


 その方法は飛竜だと通用しないが、ワイバーンだとスピードを魔力で増したサーベル攻撃ならいけるかもしれない。

 それだけの自己資金を持つカチヤなので、サーベルもいい物を使っているであろうからだ。


「それにしても、カチヤさんはどうやって婿を探すのでしょうか?」


 カタリーナは、カチヤの直情的で場当たり的な行動に疑問だらけのようだ。


「冒険者としてのツテで?」


「冒険者として求められるものと、領地開発とインフラ維持に求められるものは違いましてよ」


 確かに同じならば、とっくに婿を連れてきているはずだ。

 となると、カチヤは貴族側の人材を見繕わなければいけない。

 

「ローデリヒさんのような人を探す?」


「ルイーゼさん、ローデリヒさんのような人材はそう簡単に見つかりませんわよ」


「だよねぇ」


 最初は何となく雇い入れたが、あれほどの逸材はそう簡単に見つからないのも事実だ。


「何かツテがあるのでしょうか?」


 ブライヒレーダー辺境伯も首を傾げていたが、やはりカチヤは独断専行型で行動力が過多のようだ。

 俺達の度肝を抜く方法で、婿探しを宣言するのであった。





「貴族の諸君! オイレンベルク領の情勢は知っているな! では、単刀直入に言う! 私の婿になりたい者は、私と戦って勝てる者のみである!」


 王都の中心地で、カチヤは多くの観衆を前に婿探しの条件を高らかに叫ぶ。

 平民達からは大きな歓声が上がっていた。


 何か面白い事が始まると思ったからだ。


「極秘裏に進めていたトンネルの件が……」


 逆に、ブライヒレーダー辺境伯は顔面蒼白だ。

 ややこしい政治と利権の話だから極秘裏に進めていたのに、カチヤが全て喋ってしまったからだ。

 これで、搦め手は全て封じられたのだから当然であろう。


「あのカチヤさん。一見バカそうに見えて、実は色々と計算して動いていますか?」


 カチヤがトンネルの件を世間に公表してしまったがために、トンネルを誰が管理するか平民達に注目される事となる。

 貴族がよく使う、搦め手や裏技を全て封じてしまったのだ。


 計算してやっているのなら、実に大した手腕だと思うのだが……。


「ただ勢いで動いているだけだと思う。動物と同じ」


「ですよねぇ……」


 ヴィルマの容赦ない毒舌に、ブライヒレーダー辺境伯は納得の表情を浮かべた。


「トンネルの管理なのに、カチヤさんに勝てないと駄目なの? おかしくない?」


「それが、おかしくないんですよ。イーナさん」


 候補者を減らす目的があるのだそうだ。

 家柄自慢だけで、実家と共にオイレンベルク家の乗っ取りを謀るようなバカを排除する狙いもあるらしい。


「用件に沿う人材を広範囲で探せば、それなりの数はいるものです」


「それもあるけど、あたいはこの通りに気が強いからな。あたいを抑えつけるくらいの旦那が欲しいじゃないか」


 発表を終えて戻ってきたカチヤが、婿を戦闘力で選ぶ理由を俺達に向けて話す。

 文武両道で、コネも持っている。

 そんなリア充、本当に存在するのであろうか?

 魔法しかない俺には、そんな天才の存在自体が理解できなかった。


「トンネルの管理を行える能力と、自分を超える強さねぇ……。ちと贅沢ではありませんか?」


「この国は広いんだ。一人くらい、そういうのがいそうじゃないか」


 気が強い自分を抑えられるという部分に、何となくカチヤの好みの男性のタイプも混じっているような気がする。

 

「(何というか……強さが基準なんだな……)」


 女だてらに実家を出て冒険者になるくらいなのだから、相当に気は強いのであろう。

 あとは、基本的に他人と自分とを比べる時に、戦闘力で計る人なのかもしれない。


「(実は、戦闘ジャンキー?)」


「その条件だと、力自慢の『脳筋』しかこないと思うけどね」


 ルイーゼが、脅すわけではないが、カチヤに忠告めいたことを言う。


「ですから、『貴族に告ぐ!』なんですよ」


 トンネル管理の人員を揃えられるコネも持つという条件で、さり気なく同業者の冒険者は阻害している。

 いくらカチヤより強くても、トンネルの管理が出来なければ意味がないからだ。


「商人の子弟は?」


「ルイーゼさん、カチヤさんは貴族の娘なのです。降嫁ならともかく、入婿が商人では駄目なのです」


 ブライヒレーダー辺境伯は、ルイーゼに商人が駄目な理由を説明した。


「厳しい条件だなぁ……」


 カチヤとしては、厳しい選考条件を貴族達に強気で発表して主導権を握りたいようだ。


「それだけのものだからな。あたい達が主導権を握り続けるには、このくらいはしないと」


 見栄でも、強気の態度を崩さない。

 小身の貴族としては、これが唯一できる大物貴族達への対抗手段なのかもしれない。


「策があって結構だけど、カチヤ殿が勝負を行うコロシアムの予約は俺がしないと駄目なんだけどね……」


 誰が管理するにしても、それが決まらないとせっかく開通したトンネルが使用できない。

 結果、俺が王城に行って例のコロシアムの予約をする羽目になる。


 陛下達にも、詳しい事情を説明しないと駄目であろう。


「バウマイスター伯爵様、暫く世話になるぜ」


 気軽に頼んでくれるが、もう一つ婿決め武芸大会が開かれるまで、カチヤを王都バウマイスター伯爵邸で預かる事になった。

 

 婿決め武芸大会は王都で行われるし、カチヤの独断は父と兄との意見の対立を生んでいて、実家には泊まらないと宣言したからだ。

 ブライヒレーダー辺境伯としても、今の時点で彼女を預かる義理など存在しない。


「それはゴメンだな。何か企まれると困るからな!」


 女冒険者が、一流になってここまで稼いでいるのだ。

 誰よりも疑り深くなって当然かもしれない。

 ただ、うちが何かを企む可能性も……ローデリヒもみんなも忙しいのを思い出した。

 俺は意外と知恵が回るカチヤに対し、あとで必ず文句を言ってやると決意するのであった。





「俺は王城に向かいます」


「大変だな、伯爵様」


「本当に、何でこうなるのかな?」


 俺は首を傾げながら、護衛役のエル、ブライヒレーダー辺境伯、ブランタークさんと共に王城へと向かう。

 陛下との面会を希望すると、すぐに謁見の間へと通された。


 カチヤの大胆な口上は、王城の方でも話題になっていたらしい。

 陛下の横には、導師、ホーエンハイム枢機卿、ルックナー財務卿、エドガー軍務卿などのお歴々が全員揃っていた。


「バウマイスター伯爵よ、困ったじゃじゃ馬が現れたの」


 陛下の言う『じゃじゃ馬』とは、勿論カチヤの事だ。


 父と兄の意見に逆らい、出来るかどうかもわからないトンネル管理に手を挙げ、そのパートナーとなる自分の婿を民衆の前で堂々と募集する。

 その行動は素早く大胆で、一見無鉄砲にも見えるのだが、今まで碌に名前も知られていなかった零細貴族家の戦い方としては間違っていない。


 カチヤは、『世間からの目』というものを味方にしたのだ。


「おかげで、全ての搦め手を封じられたの」


「陛下も、王族の方々を婿として送り込む案をお考えになられたので?」


「その手を考えなくもなかったが、警備隊が費用負担ゼロで置ける方が重要じゃの。ブライヒレーダー辺境伯家との仲を勘繰られるのは、王国としては嫌なのでな」


「痛くなくても、腹を探られるのは嫌ですね」


 ブライヒレーダー辺境伯も、陛下の意見に賛同する。

 それが本心かは知らないが、共にそういう認識があるのは確認できた。


「というわけで、うちが管理しようかと思った矢先に、あのじゃじゃ馬が現れまして」


「しかもあのじゃじゃ馬、厳しい条件を出すものよの」


 あの完璧超人募集要項には、俺も絶句した。


「王族に、そんな者はおらぬわ」


「代々武芸が駄目なブライヒレーダー辺境伯の一族に、あのじゃじゃ馬に勝てそうな者はいませんよ」


「有象無象を減らすのが狙いであろうが、困った条件を並べ立ててくれる」


 腕の立つ代理人を出すのも禁止とカチヤは宣言して、それを聞いていた民衆は面白がって歓声をあげていた。


『あのアホ公爵と同じ事をされても興ざめだからな』


『あの時は、バウマイスター伯爵様の魔法が凄かったけどな』


 民衆からすれば、偉い貴族様なのだから代理人なんてセコい事を言わずに自分で戦えよとカチヤに賛同したわけだ。

 前に俺と戦って無様を曝したヘルター公爵の件で、代理人を出し難い空気が作られてもいた。


 陛下からすると、それも頭が痛いようだ。

 カチヤに勝てそうな貴族の子弟で、コントロールが効きそうな者に覚えがないのであろう。


「実家のコントロールを受け付けないで、あのじゃじゃ馬に勝てる。そういうのは扱いが面倒かもしれぬからの」


 元々、跡取りがカチヤに勝負など挑むはずがない。

 予備の次男や、いらない三男以下ばかりが出るので、カチヤに勝てても彼女と組んで実家を利用するだけして反逆する可能性もあった。


「そうなると、その実家とトラブルになり、トンネル周辺が騒がしくなる可能性もある。不安定要素は多くは必要ないのだがの」


「ワシらからすれば、ブライヒレーダー辺境伯家か、他の貴族の紐付きの方が扱いが楽だからの」


 ルックナー財務卿クラスになると、そんな小さな貴族家の興亡などどうでもいい。

 ただトンネルが安定して使用されて、王国経済にプラスになればいいのだから。


 彼らからすれば、カチヤは土壇場で現れた反逆者と同じなのだ。


「本人がやりたいと言うのであれば、任せればいいのである」


「それで失敗したらどうするのだ?」


「ルックナー財務卿殿。その前に、貴族のもやし共にそのじゃじゃ馬に勝てる者がいるのであるか? 某はそれだけが心配である」


 導師の意見は、ある意味一番辛辣だ。

 カチヤに勝てる貴族の子弟はいない可能性が高いと言っているのだから。


「一人くらいはいるであろう。そこまで言うのであれば、導師が出ては如何かな?」


「元より資格もないが、某はああいうじゃじゃ馬は苦手なのでな」


 導師ならカチヤに余裕で勝てるであろうが、彼が陛下の傍を離れて在地貴族になるはずがない。

 ルックナー財務卿とてそれはわかっていると思うが、半分嫌味で言ったのであろう。


「某は、普段はおしとやかな女性が好きなのである」


 意外にも、導師の奥さん達はそういう女性ばかりだ。

 エリーゼもお気に入りの姪で、実は導師はそういう女性にモテるらしい。

 人は、自分と正反対の資質を持つ異性を求めるのかもしれない。


「何とも不安な話ではあるな。一応王族を何人か参加させてみるかの。勝てれば問題ないのだから」


「陛下、勝てるのでしょうか?」


「一応軍人で、剣の腕はなかなかというのが数名おる。これは賭けじゃの」


 その王族達も軍人をしないと居場所がない立場で、それでもカチヤに勝てれば王国からの支援が期待できるというわけか。


「貴族達は、何も言わないでも勝手に参加者が集まるであろう。ところでバウマイスター伯爵よ、そちらのトンネル開通の準備はできておるのかな?」


「はい、予定通りに」


 問題があるわけがない。

 ローデリヒが計画を立て、俺が基礎工事で明日から扱き使われるのだから。

 むしろ心配なのは、揉めている反対側の方だ。

 トンネルは、両出入り口が開通しないと使えないのだから。


「公にされた以上は、民達もある程度は納得する結論を出さぬとな。一週間後に、コロシアムで試合形式の婿選び戦を行う。余が準備をしておこう」


 こうなっては、カチヤを倒せる強い貴族に期待するしかない。

 陛下達もトンネル開通に関するゴタゴタに巻き込まれ、その準備に奔走する事となる。






「エル、どうだ?」


「うーーーん。駄目っぽいな」


 カチヤの婿を選ぶ武芸大会の開催が決まり、王国中の貴族が続々と参加者を連れて王都入りしている。

 みんな、トンネル利権を得ようと気もそぞろのようだ。


 ここは是非に自分の子弟を婿入りさせ、美味しいトンネル利権を得たいのであろう。


 他の一族の食い扶持にも関わるので、みんな必死にコロシアム内で実戦に備えた練習をしていた。

 陛下が許可を出してコロシアムを練習用に開放したのだ。


 代理人が不可なので本人達が剣を振るっているが、それを見たエルの表情は冴えない。

 

「勝てそうな、騎士団の人達とかは出ないのか?」


「そういう人だと、勝ててもトンネル管理の人員を出せないだろうが。ワーレン師匠せんせいなら勝てると思うけど、あの人は出ないだろうな」


 勝てそうな人だとトンネル管理の人員を出せず、出せそうな貴族の子弟でカチヤに勝てそうな人はいない。

 そんな状況を知り、エルは溜息をついている。


「あのじゃじゃ馬は、強いものな」


「ああ、あんな強い冒険者がいたんだな」


 俺の屋敷に居候している関係で、カチヤは剣に優れたエルに勝負を挑んだ。

 とりあえず戦ってみて、それで相手を判断する。

 こういう人は、物語では一定数いるのかもしれない。

 現実にいたら鬱陶しいので、エルも内心では面倒臭がっているように見える。


『思った以上に強い! 硬い!』


『防ぐのに精一杯で、なかなか攻撃できないな!』


 王都バウマイスター伯爵邸の庭で行われたエルとカチヤの模擬戦闘は、スピードで翻弄しながら攻め続けるカチヤと、その攻撃を防ぎながらたまに的確な反撃を行うエルによって千日手となった。


 基礎能力では魔力持ちであるカチヤの方が上だが、エルが内乱等で得た経験を利用して上手く凌ぎ、隙を見て反撃しているという構図である。


『エルヴィン殿は強いな!』


『カチヤは対人戦闘の経験がほとんどないようだな。その隙を何とか突けたぜ……』


 結局、二人の勝負は引き分けに終わった。

 

『バウマイスター伯爵家には、強そうなのが多くていいな』


 なぜか嬉しそうなカチヤであった。

 エルのみならず、俺の妻達とも戦いそうな顔をしている。


『ただなぁ……俺よりも、うちは女性陣の方が強いから……』


 エルのボヤキは、カチヤには聞こえなかったようだ。


 続けて、バウマイスター伯爵家の女性陣に勝負を挑むカチヤであったが、ここで彼女は立て続けに負ける事になる。


『……そんな……あたいの方がスピードはあるのに……』


『スピードがあるという事は、その分動きを単純化する必要があります。ある程度目で追えれば、あとは先読みと気配で何とでもなります』


 まずは、魔力はエルと大差ないが刀術の達人であるハルカと戦い、十分ほどで死角から首筋に刀身を添えられて敗北した。


『年下なのに、凄い技術だな』


『私は、三歳の頃から刀術を習っていますから』


『そうなのか……あたいなんて、剣の師匠すら碌にいなかったからなぁ……』


 オイレンベルク卿が剣を振るっている場面など想像もできないし、ファイトさんも同様であろう。

 聞けば、共に武芸大会にも出た事がないとか。

 そんな環境の中で、カチヤが本格的に剣を持ったのは成人後であったらしい。

 幼少の頃から行っていた農業の手伝いが、彼女の驚異的な身体能力の元となっていたわけだ。


『バウマイスター伯爵様』


 カチヤとの勝負を終えたハルカが、俺に話しかけてくる。


『カチヤさんですが、武芸大会までこのお屋敷にいるのですよね?』


『あと五日くらいだけど』


『それでも、まずいです』


『えっ? 何で?』


 俺には、ハルカが抱く懸念がわからなかった。


『成人するまで剣など碌に持った事もなく、高速化魔法を使って斬りつけるのみであの強さですよ。さっきエルさんと戦ったせいで、私が戦った時にはわかるくらい強くなっていました』


 なまじまともな剣術の経験がないだけに、エルやハルカのような熟練者と戦っただけで、すぐに経験を吸収して強くなってしまう。

 このままこの屋敷で模擬戦闘を続けると、カチヤはもっと強くなってしまうとハルカは危機感を覚えているようだ。


『今の時点でも、彼女に勝てる者が出るか不安視されているのに……』


『相手が強ければ強いほど、向こうは得る経験が多いからな。というか、完全な独学でよくあそこまで強くなれるよな……』


 エルも、カチヤの底の知れない才能に気がついたようだ。


『とはいえ、イーナ達に断れとも言えないだろう』


 ただの練習や模擬戦闘なのだから。

 そして、ハルカの嫌な予感は現実のものとなる。


『負けたぜ! 強いなイーナは。やっぱり、子供の頃から槍術をやっているのか?』


『はい、物心ついた頃にはもう槍を持っていました』


『凄いんだな。それと、あたいに敬語なんて不用だぜ』


 自分よりも強い者と戦って経験を積んで強くなる。

 それが楽しいらしく、カチヤはイーナの槍術にあしらわれても、ルイーゼの妙技に翻弄されても、ヴィルマの剛力に押されても、とても楽しそうであった。


『ルイーゼも子供の頃からか。羨ましいよな』


『でも、カチヤが強いのは生まれついての身体能力と、農作業で得た頑強さのせいだと思うよ』


『それもそうか。子供の頃は、親父と兄貴に斜面の畑ばかり耕させられてな。当時は、『こんな領地絶対に出て行ってやる!』って思ってたけど』


 オイレンベルク家では貴族でも農作業を行うのが家風のようで、カチヤも子供の頃は農作業ばかりしていたと話す。


『ヴィルマも強いしな。あの大規模な帝国内乱で活躍したんだから当然か。義父のエドガー軍務卿に鍛えられたとか?』


『私は、先生が付いての鍛錬は十歳を過ぎてだから遅い方。狩猟は、五歳からしていたけど……』


『それも凄い話だな。強いのが納得いくぜ』


 貴族的には腹が立つ事をしてくれたカチヤであったが、こうやって実際に接してみると性格がサッパリとしていて付き合いやすい。

 模擬戦闘で負けても恨み言などは言わず、相手を褒めて自分も頑張ろうとする。


 彼女がトンネルの件で意固地なのは、実家が弱い存在だから自分なりにどうにか守ろうと懸命だからなのであろう。


『私も戦えたらいいのですが、生憎と戦闘は苦手ですので』


『エリーゼの治癒魔法は凄いけどな。あたいなんて魔力量も少ないし、使える魔法は簡単な『身体強化』と『加速』だけだぜ。簡単な怪我とかを治せたら、もっと強くなれるのに』


 カチヤは、エリーゼ達ともすぐに仲良くなった。

 朝は庭で模擬戦闘がメインの訓練を行い、それが終わるとエリーゼがお茶や食事を出してみんなで食べる。

 昼は、俺はトンネル関連の工事でいない事も多かったが、独自に鍛錬をしたり、エリーゼ達とお茶を飲んだり、女性だけで王都で買い物を楽しんだりしているようだ。


『エル、トンネルの当事者である俺は早期開通に向けて工事で忙しいのに、なぜもう一方の当事者であるカチヤは遊んでいるのかな?』


『ヴェル、俺もそう思わんでもないが、女性同士が楽しそうにしているところに口は出さない方がいいぞ』


 カチヤは武芸大会まで鍛錬に遊びにと楽しそうなのに、俺はバウマイスター伯爵領側のトンネル工事で忙しかった。

 ローデリヒ立案による、鬼の開発計画が進んでいたからだ。

 護衛で工事についてきたエルに、思わず愚痴を溢してしまう。


『トンネルの件が決定したら、ヴェルが急ぎ反対側の工事に参加できるように、先にバウマイスター伯爵領側の工事を済ませるだっけか?』


 トンネル出口と近くにある街道を繋げる道路工事に、トンネル通行者向けの倉庫や宿泊施設、商品の取り引き場などの建設をスムーズにするため、近くの土地を均したりと俺は忙しかった。


 そしてそんな日々が何日か続いた後、遂に武芸大会が目前に迫った。


『エリーゼは料理も上手だな。あたいは実家の田舎料理と、冒険者だから雑な野外料理しか作れないけど』


『今度、習ったら如何ですか?』


『そうしようかな。結婚するとなると、もう少し色々と作れた方がいいかもな。このお屋敷で出る料理は本当に美味しいし』


 カチヤは、バウマイスター家で出る料理を気に入ったようだ。


 今回の騒動は、当事者以外からすれば楽しみなイベントでしかない。

 コロシアムで行われる武芸大会に向けて王都には多くの貴族とその関係者に、観戦を希望する平民達も集まって、お店などは売り上げ増で嬉しい悲鳴をあげていた。


 その観光客の中には、テレーゼも混じっている。

 彼女は自分で泊まる場所を探すと言ったのだが、彼女の立場を考えるとうちで保護するのがの当然という事で、王都バウマイスター伯爵邸に滞在していた。


『そうか。であれば、妾が懸命に作った甲斐があったの』


『テレーゼさん、大分上手になったわね』


『先生がいいからの。しかも、二人もおる』


 テレーゼと共に、アマーリエ義姉さんも王都屋敷に滞在していた。

 面倒事ではあるが、結局俺も反対側のトンネル利権の話なので他人事な部分もある。

 そこで、俺の世話役という名目でアマーリエ義姉さんも連れて来ていたのだ。

 彼女は、エリーゼと共にテレーゼに料理を教えていた。


『このお屋敷は、バウマイスター伯爵様の奥さんが多いよな』


『そうかえ? 伯爵でこの人数なら普通であろう』


 元公爵であり、帝国貴族にも知己が多いテレーゼからすれば、俺の奥さんの数など平均値でしかないと思っている。

 父親であるオイレンベルク卿に一人しか奥さんがいないカチヤからすれば、複数の奥さんを持つ貴族は驚きなのかもしれない。


『うちの親父は特殊だったのか……』


『そうよな。普通は、正妻に子供が生まれなかったらとか考えるからの。貴族家同士の繋がりもあるから騎士爵でも最低は二人、その内一人は名主や商人の娘にして序列をつけるのが普通かの』


『それで、余った子供を外に放り出しか。あたいは自ら望んで冒険者になったけど、仕方なしに冒険者をしている貧乏貴族の子供は沢山いたぜ』


『子供の数をちょうどよくするのは難しいからの』


 足りないよりは、余っていた方がいい。

 病気などで死ぬ子供がいる以上は、余分に子供を作っておくのが貴族家の安全保障政策であった。


『元公爵様は言う事が違うよな。だから、バウマイスター伯爵様の愛人なのか』


『えっ?』


『ほう、そんな噂が流れておるのか』


 驚く俺とは違って、テレーゼは楽しそうな表情になる。


『流れてるぜ。帝国内乱で大活躍したバウマイスター伯爵様は、新皇帝陛下のライバルであった元フィリップ公爵様を戦利品としてもらって囲っていると』


『いや、色々と政治的な事情で預かっているだけなのですが……』


 カチヤが語る世間の噂に、俺は冷や汗をかいてしまう。


『表向きはそうでも、実際は……ってなるのが噂だし、噂も時に真実を突く事があるからな』


 そう言ったカチヤの視線は、アマーリエ義姉さんにも向いていた。


『私ね……色々と言われているようだけど、別に気にしていないわよ』


 アマーリエ義姉さんも、世間では『弟を暗殺しようとした、夫であった兄の代わりに償いで身を差し出している』とか言われているそうだし。


『今が楽しいからそれでいいわ。新しいお友達も出来たし』


『そうよな』

 

 俺達は、夜になるまで屋敷を留守にする事が多い。

 残留するアマーリエ義姉さんから料理などを習うためにテレーゼが屋敷に出入りするようになり、二人は仲良くなっていた。


『今の妾はただの居候じゃからの。将来はどうなるかいざ知らず』


『あたいから言わせると、バウマイスター伯爵様は稼いでいるんだから、別に構わないだろう。冒険者にだって、何人も奥さんを持っている人がいるし。女冒険者で、若くて格好いい男を何人も囲っている奴もいるからな』


 男性ほどいないだけで、別に多夫一婦状態でも何か法に触れているわけではない。

 やり手の女冒険者や商人に、そう言う人は一定数いるそうだ。


『うちの兄貴もな……バウマイスター伯爵様と同じにとは言わないけど、何人か奥さんを持って貴族らしくすればいいのに』


 幼馴染とはいえ、名主の娘一人を奥さんにしてそれで終わりでは、オイレンベルク家が他の貴族達に舐められてしまうとカチヤは思っているのであろう。


『カチヤさんは、マリタさんがお嫌いなので?』


 魔法使いなのでカチヤとは模擬戦闘を行ってはいないが、よく話すようにはなったカタリーナが彼女に質問する。


『嫌いじゃないさ。あたいとも幼馴染で、昔は毎日一緒に農作業をしていた仲だし。すげぇいい奴だけど、名主の娘だからなぁ。本妻は他の貴族の娘で、自分は妾として名主家の跡継ぎを産むという風に考えてほしかった』


『そういう事ですか。ですが、ファイトさんはそこまで好色に見えないといいますか……奥さんが一人でも満足してしまうタイプのような……』


『カタリーナにもそういう風に見えるのか。まったく、貴族家の跡取りなのに兄貴はなぁ……』


 兄が頼りなく思えるからカチヤは動いた。

 決して嫌いなのではなく、心配で堪らないのであろう。


『それで、婿決めの武芸大会か。しかし、カチヤに勝てる貴族の若様がいるかの?』


『一人くらいいるさ』


 王国貴族は三千家を超える。

 一人くらいは、カチヤの条件に合う者もいるはずだ。


『妾には、心当たりがあるの』


『イーナ達では駄目だぜ。女だからな』


 エルでは引き分けられても勝てないし、そもそも俺が手離す気がない。

 ハルカ、イーナ、ルイーゼ、ヴィルマが女性なので、カチヤの婿になれるはずがなかった。


『そうではない。ヴェンデリンがカチヤと戦えば勝てるであろうに』


『俺は貴族家の当主で、参加資格はありませんから』


『かもしれぬが、一番上手く治まる手だと妾は思うのじゃがな』


『上手く治まるねぇ……』


『もし妾がまだヴェンデリンやブライヒレーダー辺境伯の立場にいれば、利権配分がどうの、政治勢力均衡的にどうのと一緒になって悩んでいたであろうが、幸いにして妾はもうお気楽な身分。ならば、トンネルを発掘したのはヴェンデリンなのじゃから、全部権利を取ってオイレンベルク家には大リーグ山脈南側に代替地を準備すればよかったと、気楽に言えてしまうのじゃ』


 その手が一番簡単だとは思うが、ブライヒレーダー辺境伯や他の貴族達の手前もある。

 あまり取り過ぎるのもどうかと思うのだ。


『出る杭は打たれると思うたか? それは今さらだと思うがの。ヴェンデリンの杭は、もうハンマーも振り下ろせないほど遥か頭上にあるわ』


 テレーゼの言い方に、俺は思わず上手いと感じてしまう。


『暫くは、表立ってはヴェンデリンと敵対する貴族などおらぬよ。もしそうなれば、ヴェンデリン達に殲滅されるからの』


 圧倒的な戦功のせいで、俺達と表だって揉めようとする貴族など当分出ないとテレーゼは言う。


『件のヘルタニア渓谷であったか? あれと同じじゃ。王家と警備を案分して経費を負担すれば、王家がいい盾になってくれたのにの』


『ブライヒレーダー辺境伯の手前もありますし……』


『仲がいいのであろう? 事前に相談せい。まったく、ブランタークがいてこれを思いつかぬとは……。トンネル出入口の開発を少なめにして、隣接するブライヒレーダー辺境伯領に割り振れば、彼も納得したのにの』


『ううっ……その手があったか……』


 さすがは、ペーターには負けたが元次期皇帝候補者。

 俺達が煮詰まっている間に、素晴らしいアイデアを思いつく。


『もっともこれは、妾が無責任な場所から様子を見ているから思いついたとも言える』


 なるほど、だから昔の王様は道化を置いていたのかもしれない。

 自分の客観的な位置を正確に掴み、最善の判断をするというのは難しいのだと。


『武芸大会で、誰もカチヤに勝てない悪夢がないといいの』


『どうなんだろう?』


 カチヤの宣言から一週間後、王都にあるコロシアムで武芸大会が始まる。

 王族・貴族の子弟が沢山集まり、カチヤを破って夫となりトンネル利権を手に入れようと集まったのだ。


「人数が多いな」


「多いけど……」


 エルは、本番に備えて最後の練習などを行う参加者達を見て溜息をつく。

 どう贔屓目に見ても、カチヤに勝てそうな者が見つけられないようだ。


「エルさん、気にしても仕方がありませんよ」


「それもそうか」


「お弁当を作って来ましたから」


「ありがとう、嬉しいな」


 婚約者手作りのお弁当を食べながらコロシアムで行われる試合観戦とか、もはや完全にエルはリア充と化している。

 挙句に……。


「エルヴィン、やんごとなき参加者達はどんな感じかな?」


「ワーレン師匠せんせい、今日はお休みですか?」


「ああ。最近、子供達とどこにも出かけていなかったからね。遊びがてら観戦に来たんだ」


 ワーレンさんは、奥さんと子供達を連れてコロシアム観戦に来ていた。

 綺麗な奥さんと、子供は男の子と女の子が一人ずつ、眩しいほどのリア充家族である。


「エルヴィン様の婚約者で、ハルカ・フジバヤシと申します」


「なるほど……出来る人みたいだね」


 ワーレンさんは、ハルカの姿勢だけを見て彼女の力量を見切ったようだ。

 しかし、婚約者を紹介する弟子と、家族連れでレジャーに来る師匠とか、これをリア充集団と言わずに何と言えばいいのであろうか?


「相変わらず、妙な事で鬱屈しているな」


 隣に座るブランタークさんが、俺を奇妙な視線で見つめる。

 

「バウマイスター伯爵殿、今日はボックスシートに入れていただき感謝いたします」


 今回も、バウマイスター伯爵家の名で広めのボックスシートを予約した。

 ブライヒレーダー辺境伯はフィリーネを連れて来ていたし、ブランタークさんはその護衛だ。

 他にも、エーリッヒ兄さん、ヘルムート兄さんも家族連れで来ていて、導師も早速エリーゼが作った軽食のサンドウィッチを貪るように食べている。


「ますますただのレジャーね……」


 イーナは少し呆れているようだが、こちらにはもうやる事がないのだから、せめて武芸大会を楽しむしかない。


「ワーレンさんは参加しないのですね」


「私ですか? まあ、勝てなくもないですよ」


 謙遜口調だが、実際にワーレンさんとカチヤが戦えばいくら彼女でも勝てないはずだ。


「参加なさらないので?」


「私は、剣の腕だけで近衛騎士団の中隊長になりましたからね。トンネル維持の人員の確保とか、管理・運営なんで出来ませんよ」


 これが、今回の武芸大会の難しさだ。

 カチヤよりも強い騎士や冒険者はいないでもない。

 だが、それだけでは応募しても弾かれてしまうのだ。

 逆に、そういうコネや能力がある奴はカチヤに単独では勝てない。

 果たして、勝者が出るのか不安になってくる。


「この一週間ほどで大分強くなっているようですしね」


「えっ! わかりますか?」


「私は、カチヤ殿と面識がありますから」


 近衛騎士団の任務の一つに、凄腕の冒険者の実力を知るというものがあるそうだ。

 

「そういう強者が暴れたりすると、通常の警備隊では鎮圧するのに犠牲が多いので騎士団の騎士が派遣されますしね」


 一種の治安任務として、ワーレンさんも高名な冒険者の実力はほぼ把握しているらしい。


「彼女、上手くなったのか?」


 コロシアムの別の場所でカチヤも準備運動を兼ねたウォーミングアップをしているが、それを見たワーレンさんが首を傾げていた。


「ええと、エル達が模擬戦闘訓練を一週間ほど」


「それでですか」


「まずいですか?」


 『勝てる奴がいないと話にならないのに、強くしてしまってどうするんだよ!』と怒られるかと思ったのだ。

 

「いいえ。何しろ、強くなる前でも誰も勝てそうにないですから」


 剣では一切妥協しないワーレンさんは、参加者達の腕前をボロクソに非難する。

 確かに、一週間前のカチヤでもあの連中に不覚を取るとは思えない。


「何か奇跡でも起きるといいですね」


「奇跡って、そう簡単には起きませんけど……」


「それもそうですね」


 というわけで試合が始まったのだが、さすがに総当たりではカチヤが疲れてしまう。

 そこで、まずは挑戦者を絞るための予選が行われた。

 カチヤと戦えるのは八名まで、クジ引きの後にトーナメント戦が行われるのだが……。


「ワーレン師匠せんせい、酷いですね」


「本来、剣の腕なんて必要ない人達ばかりだからね」


 まるで、下手なダンスのような試合が展開される。 

 今まで碌に剣など練習していないのに、一週間で達人になれるはずもない。

 緊迫感の欠片もない試合が続いている。

 いや、本人達は真面目にやっているのだが、とてもそうには見えないのだ。


「あの人は、まあまあですね」


「ハルカさん、彼が『神速』に勝てるとでも?」


「無理ですね……」


「カチヤ殿に勝てるというラインに達しないと、意味がないからね」


 盛り上がらない予選が続く。

 エル、ハルカ、ワーレンさんは真面目に試合を見ているが、それすら放棄している者達がいた。


「ぷはぁーーー! 王都は帝国に比べると暖かいからな。ミズホ酒は、まだお癇をしない方がいいな」


「内乱で苦労した甲斐があるのである! いい酒のツテができたのは幸いであったな!」


 バウマイスター伯爵家専用のボックスシート内で、ブランタークさんは導師と共に昼から酒盛りをしている。

 ツマミも、枝豆、冷奴、冷製トマト、イカの塩辛、アジの開きなどと、今日は全てミズホ公爵領からの輸入品だ。


 帝国からの褒美は二十年ローンとなったが、その分で自由にミズホ公爵領から物が買えるようになった。

 注文、見積もり、承諾を得ると、その請求が帝国政府に行くようになったのだ。


 ブランタークさんと導師は、これ幸いと好き勝手にミズホ公爵領から多くの産品を個人輸入している。

 俺達は顔パスで、よほど貴重な物でもなければ自由に買える。

 貴重な品でも、頼めばミズホ公爵が融通してくれた。


「フィリーネ、ああいう駄目な大人になっては駄目ですよ」


「お父様、お酒は大人になってからと、夜に適量ですね」


「そういう事です。今日は、新しいお店でケーキを買ったので一緒に食べましょう」


「はい」


 ブライヒレーダー辺境伯は、初めて出来た娘フィリーネを跡取り息子よりも傍に置いて溺愛していた。

 今日も、彼女と一緒にケーキを食べながら試合を見ている。


「導師様、変わった食べ物ですね」


「うむ。遥か北方の産物でな。フィリーネも食べるか?」


「はい」


 それでもフィリーネは、やはり導師がお気に入りであった。

 彼に話しかけ、茹でた枝豆などを貰っている。


「ミズホ公爵領産の食材は美味しい物が多いですけど、流通量が少ないから値段が高すぎていけません」


「その辺は、領地も広がったし増産を計画しているそうですよ」


「私も、その内に挨拶に行かないと駄目ですね」


 どういうわけか、俺達のお気に入りという理由で、王都周辺や一部大貴族の領地ではミズホ食ブームが始まろうとしていた。

 健康にいいと、女性にも評判だ。

 ただ、流通量が極端に少ないので、末端では恐ろしい金額になっていたのだが。


 直で仕入れられる俺達は、圧倒的に割安でミズホ食を楽しめるのだ。


「内乱で苦労してよかったのである」


 バウマイスター伯爵家専用のシートでは、もうひとグループが全く試合など見ないで遊びながら食事やお茶を楽しんでいた。


「カール、そこはビシっと! 慎重に取るんだ!」


「兄さん、指が震えている。それを抑えないと」


「取らないで欲しいな。次はボクの順番じゃないか。これ以上は無理! 崩れる!」


 俺達は、試合など見ないでゲームに集中していた。

 アマーリエ義姉さんに会わせるために連れて来たカール、オスカーに、エーリッヒ兄さん、ヘルムート兄さんの家族と共にジェンガを囲んで遊んでいた。


 エリーゼ、アマーリエ義姉さんは、お茶や食事の世話をしながらジェンガゲームの様子を見ている。

 この世界に存在していなかったゲームだが、俺が領地の木工職人に指示して作らせていたのだ。


「ふう……上手く抜けた」


「やったね、カール兄さん」


「次はボクか……」


「ルイーゼ、降参してもいいよ」


「降参なんてしないよ。ボクの計算では、三割の成功確率があるからね。次はヴェルだから、ここは集中して……」


 尋常でないほど高さを増して傾いているジェンガの山を前にルイーゼは精神集中を始め、それから目にも止まらぬ速さでジェンガを抜き去った。


「成功だ!」


 ジェンガの山はわずかに傾いたが、崩壊には至らずルイーゼは賭けに勝った。

 そして最悪な事に、次は俺の番である。


「俺の計算では……一パーセントの成功もねえよ!」


「ヴェル、ジェンガを魔法で凍らせるとかは反則だよ」


「そんな事をしたら、場が盛り下がるからしないよ!」


 慎重に指をプルプルさせながらジェンガを引き抜こうとするが、その前に限界を迎えたジェンガの山は崩れてしまう。


「やっぱり駄目かぁーーー!」


「ヴェルはこれで五連敗だね」


「エーリッヒ兄さん、俺が弱いのではなく、運が悪いのです」


「どちらでも、あまり嬉しくないような……」

 

 絶対に不利にならない男エーリッヒ兄さんも、嫡男のイェルンを膝に乗せてジェンガに参加しているが、これまで一回も負けていない。

 やはり、俺の運勢には何か特別なものがあるのかもしれない。


「俺の場合は、単純にヴェルの後だから負けないんだな」


 まだ生まれてさほど経っていない嫡男アレクシスを膝に載せているヘルムート兄さんも、順番が俺の後なので一回もジェンガを崩していなかった。


 単純なゲームだが、多人数でやると盛り上がるので作成を依頼した木工職人の工房では量産を開始するそうだ。

 真似される前に大量に売り捌くと、意気込んでいたのを思い出す。


「こういう休日もいいものだな。うちは、義父さんがまだ現役だから休みは取りやすいけど」


「私も法衣貴族でお役所勤めなので、お休みは取りやすいかな? パウル兄さん達も来ればよかったのだけど……」


 パウル兄さんは、領地がトンネル出入り口に近いので宿場町建設計画のために忙しい。

 ヘルマン兄さんも、領地で生産しているハチミツ酒を特産品として本格的に売り出し始め、今は生産設備拡張のために忙しかったので今日は欠席であった。


「その内に、みんなで集まる事もあるでしょう」


「それもそうだね」


「あの……お館様?」


 公式には屋敷の侍従長扱いのアマーリエ義姉さんが、俺に話しかけてくる。

 屋敷内では『ヴェル君』と呼んでいるが、ここには外の目があるので俺をお館様と呼んでいた。


「何ですか? アマーリエ義姉さん」


「試合を観戦しなくてもいいのですか?」


 アマーリエ義姉さんは、懸命に戦う生まれのいい方々の試合をちゃんと観戦しないでいいのかと思っているようだ。


「見る価値ないですし」


「アマーリエ義姉さん、一生懸命に観戦したからといって、カチヤさんに勝てる人が急に出るわけでもないですし」


「本音で言うと、あまり面白くない」


 俺、エーリッヒ兄さん、ヘルムート兄さんの三人は、それなら子供や甥達とゲームでもしていた方がマシだと考えていた。


「カールとオスカーには、剣術の参考になるのでは?」

 

 母親としては、そういう理由も合わせて試合をちゃんと観戦した方がいいと思っているのであろう。


「カールとオスカーの剣術なら……」


 俺がワーレンさんに視線を向けると、彼はこちらに気がついて話しかけてくる。


「短時間ですけど、私が少し見ますから」


「ワーレン様がですか?」


 ワーレンさんの剣術指南を受けられる人間など、スケジュール的に考えてもそう多くはない。

 それを知っているアマーリエ義姉さんは驚いていた。


「多少は融通を利かせますよ。バウマイスター伯爵殿のお願いですから」


 ワーレンさんは、教えるのも上手い。

 一時間ほど練習を見てから、その人が上達するのに最適な課題と訓練メニューを組む。

 休みの日などは、家庭教師業で相当な額を稼いでいた。


 お得意さんが大貴族家ばかりなので、これがお金になるのだそうだ。


「ヘボの試合を何時間も見るよりも、ワーレンさんとの一時間の訓練の方が圧倒的にためになりますから」


 魔法でも同じだ。


 師匠、ブランタークさん、導師からの指導はためになるが、他の魔法使いの魔法は見ていてもあまり参考になる事がない。

 それなら、昔の魔法使いの本でも読んでいた方がよっぽど勉強になるであろう。


「カールとオスカーのためにありがとうございます」


「お気になさらずに」


 こういう部分はやはり母親である。

 アマーリエ義姉さんは、ワーレンさんに深々と頭を下げる。


「ワーレンさん、参加者達はどうなのです?」


「そうですね。暫くトンネルの開通は無理じゃないですか? 陛下も参加者名簿を見て溜息をついていましたし。ああ、インチキもいましたね」

 

 勝てそうな代理人を変装させ、替え玉で出場させようとして数名が失格になったらしい。


「それなりの大貴族なのにバレないと本気で思ったのか、係員達も首を傾げておりました」


「魔道具を使ったのでは?」


「変装用の魔道具を使えば、王宮にいる魔導師達に一発で見破られますから」


 魔道具でいくら完璧に変装できても、魔法が使えない人間の周囲に常時魔力が流れている状態になる。

 流れている魔力は微量でも、ある程度技量がある魔法使いなら簡単に見破ってしまうのだ。


「そういえばそうでした」


「戦えても、腕前の問題で意味がないかもしれませんが」


 それから一時間ほどで、八名の予選突破者が確定する。

 この八名が、順番にカチヤに挑むのだ。

 だが、ワーレンさんはその中でカチヤに勝てそうな者がいないと断言する。


「勝てないとどうなるのですか?」


「さて、陛下はどのようにお考えか……」


 ここまで話が拗れると、あとは陛下の決断が重要となる。

 国王には一定の力があるので、みんな『まあ、陛下がそう仰るのであれば……』となるケースが多いからだ。


「八人の中に余の甥もいるのでな。できれば勝ってほしいところではあるか……」


「陛下!」


 俺達がいるシート席に、フードを深々と被った三人組みが入ってきたのでお忍びの貴族が挨拶に来たのかと思ったら、それは陛下と護衛の騎士二名であった。

 今日はコロシアムに来ていないと思っていたら、変装して俺達のブースに紛れ込んできたのだ。


「陛下」


「ワーレンは、今日は休暇なのだから休んでおれ。上の者が休むまぬと、下の者も休めぬからの」


 護衛の二名の騎士はワーレンさんの部下で、そっと彼に目礼をしてから陛下の両脇を固めた。


「陛下、お忍びですか?」


「先ほども言ったが、我が甥が出ておっての。勝ってくれればよいのだが、余が表立って応援にに行くと、妙な勘繰りや、必要もない行動を取る者がおるのでな」


 陛下が自分の甥をカチヤの婿に望んでいると強く思い、オイレンベルク家やカチヤに『わざと負けるように』と圧力をかける貴族が出かねないとか、そんなところであろう。


「それを予期して、あのじゃじゃ馬は公衆の面前で武芸大会の宣言をしたのであろうからな」


 こんな平和な世の中だ。

 王様が下級貴族に自分の願いをゴリ押ししたなどと噂が流れると、予想以上に悪評が広がる可能性がある。

 平時の王様も、これでなかなかに大変なようだ。


「さてと、試合を見るとするかの」


 陛下は俺の隣の席に座ると、エリーゼが準備したミズホ公爵領産の食事を摘み始める。


「エリーゼの調理技術もいいのであろうが、これは美味しいものじゃな。王宮で貴族達が噂をしておったわ」


「陛下、ここはミズホ酒を飲みませぬと」


「クリムトか。では辛口の酒を頼むぞ」


「ほう……陛下は既にミズホ酒を?」


「酒は、余くらいの身分になると手に入りやすいというわけじゃ」


 陛下は導師から注がれたミズホ酒を飲み、導師も反対側の席に座って始まった試合の観戦を始める。


「一人目は、ディンドルフ子爵家の者じゃったかの?」


「確かそうですな」


 導師は、勝ち残った八名のプロフィールが記載された紙を見ながら陛下の問いに答える。


「どうなのだ?」


「そこそこは強いはずですが……」


 導師がその言葉を言い終わる前に、魔法で加速したカチヤに一撃で剣を弾かれて敗北してしまう。


「……一人目ですからと言った方がいいのでしょうか?」


「そういう事にしておこうか、バウマイスター伯爵」


 続けて、トイフェル伯爵家の三男、リースフェルト伯爵家の三男、グリーベル侯爵家の四男と、大物貴族のボンボンにしてはまあまあ評判がいい若者達であったが、みんな五分と保たないでカチヤに敗れてしまう。


「弱いぞ!」


「貴族! 普段は威張っているんだから、こういう時くらい頑張れよ!」


 本来の武芸大会よりも圧倒的に盛り上がらない試合に、観客達からは罵声とブーイングが鳴り響く。

 不敬罪で捕まりそうな気もするが、そんな理由で平民を捕えて処罰したなどという噂が流れたら評判がガタ落ちしてしまうので、まずそれはないそうだ。


 いちいち捕まえていたら、キリがないという理由もあるらしいけど。


「まるで反論できぬの」


「陛下、もっと強い候補者がいたのでは?」


「いない事もないのじゃがの……」


 そういう人に限って、既に結婚している人が多いので試合に出られないそうだ。


「あのじゃじゃ馬の実家が持つ利権を考えるに、アレを正妻として受け入れるのが当たり前。そうなると、あのじゃじゃ馬に勝てそうな者の正妻を離縁なり側室に下ろす必要があるのじゃが……」


 そんな事をすれば、当然正妻の実家から苦情が出てしまう。

 正妻の実家だって、それなりの貴族家であるケースが大半だからだ。


「八方塞がりですか……」


「だから、ヴェンデリンがカチヤを倒せば一番すんなりと事が進むと言ったであろうに」


「ご隠居殿か……なるほど、確かにそれは正しい意見じゃの」


 陛下は、テレーゼが漏らした独り言に感心しているようだ。

 

「さすがは、元フィリップ公爵殿というべきかの?」


「陛下、妾は政争に破れて隠居した気楽な身分に過ぎませぬから」


 陛下がテレーゼを『ご隠居殿』と呼ぶのは、彼女が既に現役を退いていると周囲に知らしめるためであった。

 その割には、陛下に独り言のフリをして意見具申はしていたが。


「当事者同士だとどうしても複雑に考えてしまう。一歩退くと単純明快でよい案が出てくる事もあるか。ご隠居殿だからこそ出る案かもしれぬの」


「陛下、今さらそれはないでしょう」


 それなら、最初にそうしてしまった方が問題が少なくて済むのだから。


「とはいえ、誰も勝者が出ぬのではの。そうだ、最後にグイードが残っておったの。我が甥の勝敗を見てから決めるとしよう」


 最後の一人は、陛下の甥でグイードという青年であった。


「余の弟の息子での」


「なるほど、軍の重鎮にして剣の腕前も優れていると?」


「いや、時間があるものだから剣の練習に時間を割いておるが、ワーレンほど才能があるわけでもなし、余もあれの将来をどうしようかと悩んでおる」


「えっ? そうなんですか?」


「バウマイスター伯爵も、辺境にある騎士爵家の八男で大変だったであろうが、王族も楽ではないからの」


 王族は次々と増える。

 公爵家の数は決まっているし、一度創設してしまうとその公爵家の中でしか継承権が動かない。

 例外は、ヘルター公爵家のように後継者がいなかったケースのみだ。

 

「余の不詳の叔父は、たまたま運よくヘルター公爵家へ養子に入れたわけじゃな。もっとも、その後はあの様で家を潰したわけじゃが……」


 増え続ける王族に対して、いちいち公爵家を増やしていたのでは王国の予算がいくらあっても足りない。

 

「娘は降嫁という手段があるので、かえって楽だの」


 大物貴族家からすれば、王家から嫁を貰えるのだから名誉である。

 嫁ぎ先などいくらでもあるのだ……なぜか余っている人もいるけど……。


「ただ、息子はのぉ……」


 下手に婿入りさせると、王家からの干渉が強くなるので嫌厭する貴族家が多いらしい。

 エーリッヒ兄さんとヘルムート兄さんの場合は、互いが小身の貴族家だからこそ、そう揉めずに話がついたというわけだ。

 あくまでも、王族よりはと付け足しておくけど。


「一応、軍で当たり障りのない役職を与えておるがの。まあ、する事もないわけじゃ」


 上司も部下も接するだけで気苦労だと思うので、特にする事もなく剣の練習だけしていたらしい。

 

「陛下……それって……」


「冷や飯食いだの、穀潰しだの、裏では色々と言われておるの」


 陛下の返答も相当にぶっちゃけていた。


「可愛そうだと思うが、ここで情けをかけて公爵家を増やせば後に財政規律が崩れるからの。心を鬼にして、余っている王族を平民に落とす事もある。ただ、グイードは真面目で素直な青年じゃからの。伯父としては何とかしてやりたい」


「あんた! 王族にしては結構やるな!」


「ここで負けられないのでね!」


 ワーレンさんは匙を投げていたが、グイードさんの剣の腕前はなかなかのものだ。

 一番長くカチヤと戦えていた。


「やるとは思うが、あたいにも未来図があるのでね!」

 

 そう言うのと同時に、カチヤは自身のスピードを更に上げる。

 『加速』の強さを上げたのだ。

 グイードさんはこれに上手く対応できなかった。

 すれ違いざまに剣を弾かれてしまい、これで八人の挑戦者は全員が敗北した事になる。


「一人も勝てないじゃねえか!」


「弱過ぎるぞ!」


 観客達は、貴族達のあまりの不甲斐なさに大ブーイングをあげる。

 カチヤに勝てる者がいなかったので、トンネルの件は再び暗礁に乗り上げた。

 さて、どうしようかと思った時に、突然陛下は護衛の騎士二名と共に試合会場へと入り、そこでフードを脱いだ。


「確かに、余でも不甲斐ないと思うぞ! この余、ヘルムート三十七世でもな!」


 突然の陛下の登場に、今までブーイングをあげていた観客が一斉に歓声をあげる。

 

「ここまで揉めに揉めた案件ではあるが、ならばここで余が解決策を提示しよう!」


「おおっ!」


「陛下!」


 観客に向かって、自分の決断を告げると宣言する陛下。

 ある種の劇場型政治に、観客達は興奮して歓声を強くする。


「こうなれば、もうあの男に任せようではないか! これまでに多くの功績をあげ、竜であろうが、帝国軍であろうが負け知らずのあの男に! バウマイスター伯爵!」


 陛下の呼び出しに、俺は思わず試合会場へと移動してしまう。

 偉い人に命令されると体が勝手に動くのは、商社員時代からの癖が抜けきっていないのであろう。


「トンネルは、バウマイスター伯爵が見つけた物だ。ならば、発見者が管理をするのが筋! そして、カチヤよ」


「はい」


 突然の陛下の登場に驚いてはいたが、カチヤはどうにか返事をする。


「オイレンベルク家発展のためか。気持ちはわかるが、世の中はそんなに甘くない。貴族家とはの。バウマイスター伯爵のような例外を除けば、何代もかけてコツコツと大きくするものだ。そなたは強いようじゃが、異才に倒されて己の今の力を知るがよい」


「バウマイスター伯爵様が?」


「皆の者! バウマイスター伯爵の魔法が楽しめるぞ!」


 陛下はカチヤにそこまで言うと、最後にそう宣言して元の席に戻った。


「「「陛下! 陛下! 陛下!」」」


「バウマイスター伯爵様! 勝ってくれよ!」


 あとに残された俺に、陛下の分と合わせて多くの歓声が投げかけられる。


「勝負しないと駄目か」


「ここにきて竜殺しが相手か。悪くねえ」


 バトルジャンキー疑惑があるカチヤは、俺と戦えて嬉しいようだ。

 恰好の獲物をみつけたという表情を浮かべながら、俺と対峙を始める。

 

「八連戦して、疲れてないのか?」


「最後のグイード様以外は、全然疲労感すらねえから大丈夫さ」


「カチヤがそう言うのなら……」


「バウマイスター伯爵様、勝ちを確信して油断しないようにな」


「それは心配ないから」


 一旦、お互いに距離を置いてから戦いが始まる。


「先手必勝!」


 カチヤは、いきなり最高速の『加速』をかけてから俺に向かって突進を始める。

 前の俺ならばビビってすぐに分厚い『魔法障壁』を張るのであろうが、内乱時の師匠との戦を経て、大分落ち着いて対応できるようになった。

 同じく『加速』をかけてから、カチヤがサーベルをかざしてすれ違う面に最小の『魔法障壁』だけをかけ、最低限の魔力だけで攻撃をかわす。


「へえ、見切っているのかい」


「カチヤは早いけど、まだそれだけが強いね」


 俺もまだそうだが、カチヤはもっとスピードだけに頼っている。

 だからこそ、この一週間の鍛錬で劇的に実力を上げたのであろう。


「だが、攻撃魔法は当たらないぜ」


 スピードがあるから、かわせると思っているのであろう。

 以前の俺なら広範囲魔法で逃げ道を塞ぐのだが、それでは魔力の無駄遣いを窘める師匠の教えに反する。

 ここは、新しい魔法を披露する事にする。


「カチヤ、高そうなサーベルなのに悪いな」


「えっ?」


 俺は、指先に二本の小さな『青火蛇』を作ってから、それを高速でカチヤに向けて飛ばす。

 スピードに自信があるカチヤは避けるが、『青火蛇』はその動きに合わせて移動し、最後に彼女のサーベルに巻き付いた。

 小さいが超高温の『青火蛇』は、カチヤのサーベルをドロドロに溶かしてしまう。


「あちっ! あたいのサーベルが!」


「だから、最初に謝っただろう」


「あくまでも、魔法であたいを倒そうっていうのかい!」


「当然だろう。俺が剣を持って何になる?」


「冒険者であるあたいが、予備のサーベルを準備していないとでも?」


 カチヤは、腰に下げていた袋から素早く予備のサーベルを取り出した。

 やはり、魔法の袋を持っていたようだ。


「バウマイスター伯爵様の物ほど量は入らないけどな。一応、汎用だぜ。高かったからな」


 再び『青火蛇』でサーベルを溶かそうとするが、今度は連続加速で上手くかわされてしまう。


「二度も同じ手は食わないさ!」


 続けて、上空にソフトボール大の『ファイヤーボール』を浮かべてから、それをカチヤの目前まで飛ばす。


「そんな『ファイヤーボール』くらい……」


 カチヤが油断した直後に、『ファイヤーボール』は散弾のように弾けた。

 散弾が一発くらいは命中するかと思ったが、カチヤは『加速』とサーベルの乱舞ですべてを弾き、回避してしまう。


「速いな」


 スピードだけなら、ルイーゼにも匹敵するであろう。

 だが、彼女の魔力量を考えれば『加速』が使える時間は容易に想像がつく。

 次々と、『岩槍』、『氷弾』『ウィンドカッター』で連続攻撃を続けてカチヤの接近を許さない。


「ちっ! やっぱり一流の魔法使いだな。隙がねえ!」


 何とか隙を作ろうと、カチヤは腰に刺していたナイフを何本か連続して投擲した。

 俺の顔、腹部、手足を狙ったようだが、咄嗟に高温の『火壁』を形成、ナイフは全て地面に溶け落ちてしまう。


「特注品のナイフが……」


「しかし、当たらないなぁ……」


 反撃とばかりにいくつか魔法を繰り出すが、カチヤは上手く回避してしまう。

 多彩な魔法とそれを華麗にかわすカチヤのせいで、客席からは盛大な歓声があがった。

 

「うぃーーーっ、今日の俺達ってこのためにいるのかね?」


「お師匠様、酔っていらっしゃいますね」


 元々剣術の武芸大会なので、観客保護のために『魔法障壁』を張る魔法使いがいなかった。

 代わりに、既に酒で出来上がっているブランタークさんとカタリーナが客席に『魔法障壁』を展開する。


「ですが、観客席に飛んできませんわね」


「その辺は、伯爵様も考えているんだろうな」


 観客に当たれば大変なのだし、幸いにしてカチヤはほとんど三次元の動きができない。

 上手く魔法をコントロールすれば、客席に飛び込む事などない。


「あたいは、手を抜かれているのか?」


「そうだな」


「何ぃ!」

 

 カチヤも高名な冒険者なので、それは理解しているはず。

 だが、実際に俺から言われると頭にくるのであろう。

 顔を真っ赤にして激高する。


「剣術だけなら、俺がカチヤに勝てるはずなどない。だが、総合戦闘力でカチヤが俺に勝てるはずがないだろうが」


「ううっ……」


「ここで、カチヤは強いって言ってもらって嬉しいか?」


「思わない……逆に腹は立つが……結局どちらでもムカつく!」


 カチヤは俺が飛ばし続けている魔法をかわしつつ、徐々に体勢を立て直してから再び二本のサーベルを構えて、俺に突進してきた。


「懐に入れれば!」


 唯一の勝機だと感じ、全ての魔力を振り絞って今までにない『加速』を絞り出す。


「これが、切り札だ!」


 魔力切れが間近のようで、今度は何発か魔法が掠って負傷する。

 一瞬だけ負傷で顔を顰めるが、カチヤは速度を落とさずに俺の目前にまで迫った。


「いける!」


 カチヤは、自分は賭けに勝ったと思ったのであろう。

 勝利を確信した笑みを浮かべるが、俺には対策が山ほどある。


 とっくに体に合わせた『魔法障壁』を張っているので、カチヤによる俺の胴を凪いだ一撃は完全に防がれてしまった。

 渾身の一撃を弾かれたカチヤは、そのまま後ずさってしまう。


「硬い!」

 

「もしまともに食らっていたら痛かったのに。無茶してくれるな」


「そのローブは、下手な鎧よりも頑丈じゃないか」


「何だ。知っていたのか」


 カチヤの動きが止まった隙に、今度は滅多に使わない魔力剣の柄を取り出す。

 篭める魔法は、当然火系統の物だ。

 温度の高い青い炎の刀身を、フェイントなどもかけずに上段から一気に振り下ろす。


 この一撃を、カチヤは二本のサーベルをクロスして防ごうとしてしまう。

 だが、そのサーベルは少々のミスリルを混ぜた鋼製にしか過ぎない。


 再び超高温の火炎によって溶かされてしまった。


「またサーベルをごめんな」


「まだまだ!」


 諦めの悪いカチヤは、再び魔法の袋からサーベルを取り出そうとするが、さすがにそれを許すほど俺は甘くはない。

 小さな『ウィンドカッター』を飛ばして、腰に着けていた魔法の袋を切り落とした。


 しゃがんで取ろうとすれば魔法の餌食になるのがわかっているカチヤは動けず、これで完全に武器を失った。


「降参して欲しいな、魔力ももうないでしょう?」


 カチヤの魔力がほぼ尽きたのは簡単にわかった。

 『加速』が使えない以上は、もうどうする事も出来ない。

 彼女の頭上にはいくつかの『ファイヤーボール』が滞空したままであり、少しでも動けばカチヤを攻撃する手はずとなっている。


「くそっ……剣術だけなら……」


「実戦だと、剣術だけ指定なんて出来ないよね? 残念だけど、そういう事だから」


「降参だ……」


 カチヤが両手を挙げるのと同時に俺の勝ちが決まり、観客席からは多くの歓声があがる。


「魔法で剣を溶かしたぞ」


「色々な魔法が出たな」


「サーベルで切られても、傷一つ負わなかったぞ」


 面白い物が見れたと、観客席にいるみんなは満足のようだ。

 今の王都の住民達からすれば、この手の武芸大会などただの暇潰しで娯楽なのであろう。

 貴族や王族が必死に求めた賞品だって、彼らには縁がないものなのだし。


「負けた事がないわけじゃないけど、圧倒的な差を感じるぜ。今までの戦績は伊達じゃないんだな」


「大半が、巻き込まれてとか、頼まれての結果だけど。そうだ」


 俺はカチヤに近づくと、魔法が掠った場所を探してから治癒魔法をかける。

 

「放置しておくと跡が残るぞ。せっかく綺麗に生まれたんだから」


「あたいが、綺麗?」


「お世辞じゃなくて客観的に見てな。カチヤがブスなら、世間の女性の大半がブスだろうし」


「あたいが……綺麗……」


 なぜかカチヤが俯いてしまったので、俺は試合を観戦していた陛下に近づいて話しかける。


「陛下、順当に勝ちました」


「久しぶりに面白いものを見たの。あのじゃじゃ馬はバウマイスター伯爵が倒したのだから、そなたが責任を持って娶るがいい」


「やっぱり、そうなりますよね……」


 この状況にまで至って、もはや断るわけにもいかない。

 トンネル利権も、結局は他の貴族に渡して事態が複雑化するよりも、俺が一括して管理した方が安全という事か。

 今になってみると、テレーゼの意見が正しかったとも言える。


「トンネル警備隊の創設に、上納金代わりの経費負担。当事者が王国とバウマイスター伯爵家だけになったから兵員は半々。王国としては得というわけじゃ」


 それに関わる他の貴族達からの嫉妬も、王国が盾となってくれる事を期待するしかない。

 

「バウマイスター伯爵、なるべく早くにトンネルを開通させないとな」


「はい」


 トンネルという資産は増えたのだが、それに合わせて嫁が増えるという結果に陥ったのは、予想外というか、これも避けられない運命だったのだと俺は思う事にするのであった。






「大リーグ山脈大縦貫トンネルの開通です!」


 俺がカチヤを討ち破ってから一週間後、大突貫作業で準備を進めてトンネルは無事に開通した。

 トンネル自体に問題はなかったのだが、他の準備で大忙しだったのだ。


 まずは、両出入り口周辺の基礎工事や、渋滞を防ぐための道の整備、馬車などの待機場、宿泊施設などの整備が必要であった。

 宿泊施設などの整備は当分続くが、それは仕方がない事だ。


 バウマイスター伯爵領出入り口に近いパウル兄さんの領地や、ブライヒレーダー辺境伯領側出入り口に近いブライヒレーダー辺境伯領でも、宿泊施設の整備が進んでいる。


 魔導飛行船は速いが、運んでいる商人と荷物に高額の運賃がかかる。

 空港に到着しても、バウマイスター伯爵領は広いので、そこから馬車を出して各地に荷を運ぶとどうしてもコストがかかってしまう。

 

 山越えだと、どうしても二か月近くもかかってしまうし、あまり大量の馬車が動くと野生動物や飛竜に狙われる可能性が増えるので、トンネルは小規模の商人が新しく商売をするには最適であった。


 通行料は片道百セントと定められたが、開通日には多くの商人が馬車で大量の荷を積んで押しかけてきた。


 この世界でも、開通イベントが存在している。


 俺、ブライヒレーダー辺境伯、オイレンベルク卿などが飾りの付いたナイフで、トンネル入り口に張られたリボンを切るのだ。

 こういう光景はニュースでしか見た事がないので、自分も参加できてワクワクしている。


「混んでるなぁ」


 リボンが切られるのと同時に、多くの馬車がバウマイスター伯爵領に向けて走り始める。


「それはそうでしょう。魔導飛行船よりは時間がかかりますがコストはかからない。山歩きよりは圧倒的に時間もコストもかからない。大商人以外でもバウマイスター伯爵領で商売が可能になりました。取引量が圧倒的に増えますから」


 バウマイスター伯爵領の経済は活性化し、通行料でトンネルの維持費と用心棒代わりの『王国軍大リーグ山脈大縦貫トンネル警備隊』の経費も賄えるというわけだ。

 

「ただ、本来引き受けるはずだったブライヒレーダー辺境伯には悪いかも」


「いえいえ。旧オイレンベルク領の大半を譲っていただきましたから」


 本来トンネル利権に加われるはずであったブライヒレーダー辺境伯家にも、一定の配慮をする必要があった。

 本人同士は納得済みでも、家臣達への手前もあったからだ。


 特に俺などは、『山脈越えの水呑み騎士の八男』なのだから。

 

 そこで、新しいオイレンベルク領はバウマイスター伯爵家で準備、場所は大リーグ山脈寄りのマロイモの大量生産に適した山地であった。

 これは、ほとんど手つかずの場所だったのですぐに見つかっている。


 オイレンベルク卿とファイトさんと領民達は、新しい広大な領地で早速マロイモの生産を始めていた。

 

「ブライヒレーダー辺境伯殿、マロイモ畑の土をいただいてすいません」


 どうせ使わないからと、マロイモ畑の何十年もかけて作った土は、すべて俺が新しいオイレンベルク領へと運んだ。

 

『土は、農業にとって命なのでありがたいです!』


 ファイトさんは、これならすぐにある程度の収穫が望めると喜んでいた。


「我々はマロイモを栽培しませんからね。どうせ工事で削ってしまう土なので、有効活用してください」


 旧オイレンベルク領も、トンネルの出入り口の極狭い範囲のみバウマイスター伯爵領として、そこには警備隊の駐屯地と通行者の検問所くらいしか置いていない。

 他の領地はブライヒレーダー辺境伯家への譲渡となり、そことブライヒレーダー辺境伯領に大規模な馬車の待機場と宿泊施設の建設が進んでいた。


 馬車でトンネルを通行すると、トンネル内で何日も野宿をする羽目になる。

 その前に宿に泊まっておこうという需要を満たす宿場町の運営を、ブライヒレーダー辺境伯家に委託したのだ。


「その辺の利権の調整って難しいですよね。私もたまに面倒になるんですけど、家臣や領民達の生活もありますから」


 トンネル近くの宿場町が栄えれば、ブライヒレーダー辺境伯家の利益になる。

 利益があれば、うるさ型の家臣でも案外黙ってしまうものらしい。


「人は霞を食べては生きていけませんからね。バウマイスター伯爵は、その辺の理解が早いからとても助かるのです。若い貴族だと、どうも突っ走ってしまう傾向にありまして……」


「ううっ……すまねぇ……」


 ブライヒレーダー辺境伯の発言に反応して、項垂れながら謝る人物がいる。

 結果的にトンネル利権問題を複雑化させてしまったカチヤであった。


 今日の彼女は、オイレンベルク卿の御供なのでドレス姿であった。

 元が綺麗なので、彼女は多くのトンネル開通式参加者達の注目を集めている。


 ただし……。


「彼女が勇ましい行動を取ったオイレンベルク卿のご息女か」


「並み居る貴族や王族のご子息達を全員撃破したそうだが」


「私は試合を見ていましたとも。ただ、最後のお相手が悪かったですな」


「バウマイスター伯爵殿であろう。さすがの女丈夫も、竜殺しには勝てませんか」


「元フィリップ公爵殿に続き、バウマイスター伯爵様の戦利品となったわけですか」


 随分と女性に失礼な言い方に聞こえるが、この世界の貴族の認識などこんなものである。

 カチヤも、俺に負けて俺の物になった。

 王国中で、みんなが同じような事を言っているはずだ。


「お気持ちはわかるのですが……」


「私もファイトもトンネルの管理はねぇ……農作業の方が好きだし」


 人間、慣れない、合わない事を家業にすると苦労するものだ。

 だから、最初にトンネル利権を譲る事を承諾したのであろう。


「カチヤが、オイレンベルク家の事を真剣に考えてくれていたのはわかってたんだ。ファイトも、カチヤを嫌っているわけじゃない。これは生き方の問題でな」


「親父……」


「それに、我がオイレンベルク家は農業で確実にゆっくりと繁栄する。人は食わねば生きていけない。幸いにして、バウマイスター伯爵殿の手助けもあるからな」


「バウマイスター伯爵様が農業の?」


「勿論、専門的な事じゃないよ」


 つまり、今の時点でが知名度は低いが美味しいマロイモの栽培技術を独占しているのだから、それを生かした開発を進めればいいのだと。


「サツマイモよりも、マロイモの方が高く売れる。つまり稼げるというわけだ」


 比較的温暖な王国では、サツマイモの栽培とそれを使った産品が名物になっている領地が多い。

 そこに参入するのは困難であったが、栽培条件と方法が特殊なマロイモならば競争相手がいないので十分に商売になる。


「ファイト殿には質を維持したまま栽培量を増やして貰うとして、それで作った加工品の販売も手がけて収入を増やす」


 干しイモ、カリントウ、チップス、イモアメ、酒などを作ってもいいであろう。

 これらの食品はサツマイモで作っている地域が複数あるが、その味ではマロイモに到底敵わない。

 何しろ、甘さが圧倒的に違うのだから。


「王都のお菓子屋に材料として卸してもいい。王都で流行すれば、引く手数多になって仕入れ値が上がるから」


「なるほど、そういう商売方法があるのですか」


「トンネル利権の代金の中には、新領地の開発や産業育成のアドバイスなどもあります。商人も紹介するので、ご安心を」


 その条件でもバウマイスター伯爵家が圧倒的に利益を得るので、そのくらいは援助しないと駄目であろう。


「ファイトが気合を入れていましたよ。品質の維持は大変ですけど、領地が広がったのでオイレンベルク領の発展に期待が持てると」


「兄貴にも、ちゃんと貴族としてのプライドがあったんだな」


「他の貴族とは少し違うがな。だから、安心してカチヤは嫁に行くといい」


「そういえばそうだった」


「初めて貴族的な事を言わせてもらうが、カチヤがバウマイスター伯爵に嫁がないとうちは色々と大変になるからな」


 援助の中身が減ってしまうので、ちゃんと嫁に行け。

 これは、先に貴族としての誇りが云々と言ったカチヤへの意趣返しかもしれない。


「わかったよ、あたいは納得して嫁に行くし」


「これは意外ですね」


「ブライヒレーダー辺境伯様、あたいを圧倒的な強さで倒す男なんて、そういるもんじゃないんだぜ」


「なるほど」

 

 やはり、カチヤは戦闘力で他人を計る事が多いようだ。

 俺に負けたから、俺に奥さんになっても構わないというのだから。


「冒険者の男って、一定数を除いてしょうもない奴らばかりだからな。その点、冒険者兼業でもバウマイスター伯爵様は紳士だからな」


「俺が紳士ねぇ……」


 どうにも紳士の基準がわからないが、カチヤがそう思っているのだから問題はないのか。


「あたいの事を綺麗なんて言う男性は初めてだから。野蛮とかガサツとはよく言われるけど……」


 これだけ綺麗な娘を綺麗だとは思わないのか。

 冒険者ってのは、意外と余裕がないんだなと俺は思ってしまう。

 カチヤはなぜか再び俯いてしまったが、その様子も結構可愛いと思ってしまう。


「これで無事に解決という事で。そういえば、王国警備隊のトップはグイードさんですけどね」


 陛下は、不遇な甥グイード様を心から心配していた。

 

「グイード様は王弟殿下のご子息なのですが、母親の身分が低くて四男でしたから」


 行先がなくて軍で捨扶持を与えられている状態であったが、本人は決して腐らずに剣の稽古に励んでいたというわけだ。


「あたいが言うと生意気に聞こえるけど、真面目に修練した積み重ねた剣技だよな」


「決して才能があるわけでもないのに、懸命に苦労して覚えたのでしょうね」


 その褒美なのであろう。

 陛下は、彼を法衣子爵にしてトンネル警備隊の隊長に任命した。


「武芸大会は一人も勝てないで大ブーイングでしたけど、最後のグイードさんが唯一まともにカチヤさんと戦えていましたからね。それで面目を保てた部分もあるのですよ」


 そんな理由もあって、陛下が珍しく強権を発動して決定したそうだ。

 他の貴族達も反対はしなかった。

 もし反対すると、他の不甲斐ない参加者達の話が必ず出てしまうからだ。


 彼らの大半は、自分達の子弟である。


「なるようになったという事か」


「そのグイードさんですけどね」


「グイードさんが何か?」


「いえ、子爵家を立ち上げたので、お見合いの話が増えましてね」


 トンネル利権は手に入らなかったが、警備隊隊長職はほぼ世襲が決まっている。

 そこに潜り込もうと、まだ独身であったグイードさんとのお見合いを企んだらしい。


「結局、全て断ったようですが」


「婚約者でもいたのですか?」


「うーーーん……みたいなものですかね?」


「みたいなもの?」


「ええ」


 陛下の甥なのに、母親の身分のせいで昔から扱いが悪かったグイードさん。

 それでも彼は、目をかけてくれる陛下のために決して腐らず、真面目に日々の生活を送っていた。


「そんな彼には幼馴染がいたそうで……」


 その娘は、ポイス子爵家の次女であった。

 他の貴族からはほとんど無視されている彼の、唯一の理解者だったそうだ。


「グイードさんは、もし自分が独り立ちできたら結婚しようと彼女に言っていたそうで。泣けるお話ではありませんか」


 出たよ、また再び出てしまった。

 幼馴染が結婚を約束して、それが実現してしまう。


 先のファイトさんに続き、再び俺のトラウマを刺激する敵の登場である。


「へえ、純愛だね。あたいでも羨ましくなるぜ。でもそうなると、あたいが勝って結果的にはよかったのか?」


「かもしれませんね。陛下もお認めになられたそうで。前から二人の関係を知っていたから、許可を出したそうです」


 どうやら陛下も、自分の甥には甘いらしい。

 いや、ああいう立場の甥だからこそ、好きな人同士で結婚するのを認めてあげようと思ったのか? 


 しかし、なぜか無性に腹が立ってきた。

 エリーゼ達はいい奥さんだと思うが、それとは関係なしに感じてしまう理不尽なまでの怒りとでもいうべきか。


「くあぁーーー! 貴族として失格!」


 俺は突如大声をあげてしまう。

 そんな結婚は、今度こそは阻止しないといけない。


「貴族が恋愛結婚などありえない!」


「そうかもしれませんが、グイードさんと家格が釣り合っていないわけでもないですし、反対する理由もないですけど」


「ブライヒレーダー辺境伯、そこに純愛物語を贔屓する補正がないと断言できますか?」


「ないとは言いませんけど、別におかしな話ではないでしょう? 第一、陛下がお認めになっていますから」


「そういえばそうだった……」


 ブライヒレーダー辺境伯の正論に、俺は急にトーンダウンしてしまう。

 どうしても商社員時代の癖で、偉い人の許可という言葉に弱いのだ。


「さっぱり理解できませんね。バウマイスター伯爵は何を怒っているのですか?」


「それはですね……」


 いつの間にか、エルが姿を見せてブライヒレーダー辺境伯に何かを吹き込んでいる。

 主君の悪評を広げるなど、とんでもない家臣である。


「幼馴染が羨ましい? 何です? それ」


「十二歳でブライヒブルクに来るまでにトラウマがあったのかな? と思う次第でして。たまに変になるんすよ」


「今は、こんなに綺麗な奥さん達に囲まれているからいいではないですか。バウマイスター伯爵、私も兄が急死して家督を継ぐまでは、女性とはほとんど縁がありませんでしたよ。兄は自分の寿命を悟っているような人でしたから梃子でも結婚しませんでしたし、次男の私だって、兄よりも先に結婚して子供を作るなんて許されませんでした。私には文学があったので寂しくはなかったですけどね」


「ブライヒレーダー辺境伯っ! 俺達は仲間ですね!」


 俺も十二歳になるまでは、魔法だけが友達だった。

 だから、文学だけが友達だったブライヒレーダー辺境伯は仲間。

 そう思うと、つい嬉しくなってしまう。


「ええと……喜んでいただけて何よりです……」


「あたい、この人と結婚して大丈夫かな?」


「奥さんには優しいから大丈夫だと思うよと言っておく」


「そうなんだ。エルヴィンは一緒にいるからわかるよな」


「たまにわからん事もあるけどな……」


 こうして無事にトンネルは開通し、結果的に俺の嫁がもう一人増えたのであった。

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これって単純に作者がヴェルの嫁を増やしたかっただけだよね。 工事が多少面倒なものになるけどトンネルのルートを変えれば良かっただけのこと
冒険者カチヤと話す必要は無いし、貴族の娘として話すなら礼節は必要では? それを理由に話の主導権を取り貴族の礼儀をたたき込めば良いのにね。 それにトンネルは片方だけでは成立しない。故に開発させてから財政…
[一言] プロットが良き出来ていて、幕間の無駄なSSが無ければ、テンポも良く、大変面白いのですが、所々に致命的なストーリーが紛れ込んできて、その度にゲンナリしてしまう。 まるで、不出来作家の担当した際…
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