第百十四話 そうすんなりと開通のわけがない。
「突然山がなくなって洞窟が出来たと、領民達が駈け込んできたので驚きました」
大リーグ山脈を貫く縦貫トンネルの出口の土砂を回収して外に出たところ、予想に反してそこはブライヒレーダー辺境伯領ではなかった。
農夫達が畑を耕す牧歌的な光景が広がっていて、俺達の登場に驚いた農民の一人が領主を呼びにいく。
姿を見せた領主は、四十歳くらいであろう。
辛うじて貴族とわかる服装で、もしかするとうちの実家よりも貧しいのかもしれない。
しかし、驚きだ。
昔のバウマイスター騎士爵領よりも、貧しそうに見える貴族領があるなんて。
彼の両脇には、二十歳ほどに見える人の好さそうな青年、多分後継ぎ息子であろう。
父親と同じような恰好をしている。
あとは、知らせに行った農夫と、七十歳ほどに見える老人。
老人の方は、執事か家臣だと思われる。
なぜわかるのかというと、俺の実家と同じような感じだからだ。
「すいません。実は……」
俺が事情を説明すると、彼らはとても驚いていた。
「まさか、そんなトンネルが存在するなんて」
「知己の考古学者の成果ですね」
「なるほど」
中年領主は、アーネストを見て感心したような表情を浮かべる。
隣の後継ぎ息子と執事も同じであった。
「それで、出口がうちの領地に繋がっていたと?」
「はい、それでここってどこですか?」
「そういうお話は、屋敷でいたしましょうか。粗茶ですが、お出ししますので」
俺達はトーマス達にトンネル入り口の警備を任せ、遠慮なくこの中年領主の申し入れを受ける事にする。
彼の案内で畑を抜け、斜面にある畑を降り、また畑を抜け……。
ほぼ畑ばかりなのであとは省略するが、次第に民家が見えてくる。
「(前のバウマイスター騎士爵邸よりもボロいな)」
「(しっ!)」
俺は、失礼な事を呟いたエルの口を塞ぐ。
エルの言うとおりではあるのだが、もし聞かれでもしたら大問題になるからだ。
「我がオイレンベルク領は、このようにのどかな農村でして……」
屋敷へと向かう道すがら、お互いに挨拶をする。
この中年貴族はジギ・フランク・フォン・オイレンベルクといい、人口三百名ほどの農村地帯を治める騎士であった。
若者はやはり後継ぎで、ファイト・フランク・フォン・オイレンベルクだと自己紹介する。
老人は、執事のゲオルクと名乗っていた。
みんな農夫にしか見えないけど……。
「俺は、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスター伯爵です」
今度はこちらが自己紹介をすると、なぜか突然三人はその場で土下座を始めてしまう。
突然の事に、俺ばかりかエリーゼまでもが驚きを隠せない。
「あの……オイレンベルク卿、俺達は同じ王国貴族ですから」
俺は、彼らを立ち上がらせる。
いくらオイレンベルク領が零細でも、王国から領地と爵位を下賜された貴族なのだ。
同じ貴族である俺に土下座はいけない。
「ど田舎にあるオイレンベルク領にはなかなか世間の情報も入ってきませんが、私達でもバウマイスター伯爵様の事は存じております。このような辺鄙な領地によくぞ……」
「あのですね……」
同じ貴族のはずなのに、オイレンベルク卿は恐ろしく腰が低くて卑屈であった。
息子と執事も同じで、あまりに卑屈過ぎて逆にこちらの居心地が悪くなる。
「大英雄たるバウマイスター伯爵様がいらしてくれたのに、大したおもてなしも出来ませんが……」
「……」
オイレンベルク騎士爵領の屋敷は、バウマイスター騎士爵領よりも小さくボロかった。
世の中、下には下がいると失礼な事を考えてしまう。
「このようなボロ屋で申し訳ありません」
「あはは……」
もう何を言っても、この人は卑屈なままだ。
俺達は諦めて、屋敷というか大きな農家にしか見えない家に入る。
内部も、昔のバウマイスター騎士爵邸といい勝負だ。
ヘルマン兄さんが継いでからは、ある程度直してマシにしたから差は広がっているか。
居間に通されて席に座ると、オイレンベルク卿と同年齢くらいの中年女性がお茶を出してくれる。
「家内のローゼです」
「我が家にはメイドがいませんので、私が……」
バウマイスター騎士爵領にも、どちらかというと『冥途』に近いがメイドくらいはいたのに。
オイレンベルク領には存在せず、領主夫人が自らお茶を淹れてくれた。
エリーゼもお茶を淹れたり料理はするが、それは内向きや戦場での話だ。
今は来客があれば、屋敷のメイドが客にお茶を淹れる。
「喉が渇いていたから美味しいや」
ルイーゼがお茶のお替りを頼んだ。
昔のバウマイスター騎士爵領とは違って、白湯に近いマテ茶で誤魔化すような事はしないようだ。
ちゃんと客をもてなす分、昔の実家よりも誠実で善良である。
「お茶受けは、『マロイモ』を蒸かしたものかしら?」
俺は見た事はないが、イーナはこの野菜の正体を知っているようだ。
見た目はサツマイモとジャガイモの相の子のように見える。
皮の色は鮮やかな黄色で、サツマイモのように蒸してあった。
貴族に出すお茶受けとしてはどうかと思うが、食べてみると甘くて美味しい。
この芋の存在を知らなくて、今まで損をしていた気分だ。
「この芋、美味しいな」
「奥方殿、お替りが欲しいのであるな」
女性陣のみならず、エルとアーネストにも好評であった。
というか、この状況で平然とお替りを要求できるアーネストが少し羨ましい。
まあ、お替りがくれば俺も食べるけど。
「エリーゼは、この芋を知っている?」
「イーナさんが言う、マロイモというお芋の名前は聞いた事があるのですが、現物は見た事がありません」
「エリーゼでも現物を見た事がないのか」
「だって、ブライヒレーダー辺境伯領内でもたまにしか出回らない芋だもの」
所謂、『地方野菜』という扱いなのかもしれない。
生産量が少ないので、なかなか世間に出回らないのだと思う。
「あれ? という事は、ここはブライヒレーダー辺境伯領に近い?」
「近いと言いましょうか、ここはブライヒレーダー辺境伯領に囲まれた少領なのです」
ようやく卑屈度が低くなったオイレンベルク卿が、一枚の地図をテーブルに広げる。
「王国南部領域は、大リーグ山脈より南がバウマイスター伯爵領、北西部がブライヒレーダー辺境伯領で、北東部が少領主連合と比較的単純な配置になっています」
「そうですね」
俺も、持参した地図で確認をする。
「地図によっては記載されているのですが、ブライヒレーダー辺境伯領と地図で書かれている部分にも、いくつかの小さな貴族領があるのです」
全て、規模はオイレンベルク領と大差ないそうだ。
そんな騎士爵領がいくつか存在しているが、知名度に関してはお察しであった。
「人口二百人から五百人くらいですね。本当にささやかな騎士爵領ばかりです。位置はここですね」
オイレンベルク領の位置は、アーネストが予想したトンネル出口地点と大差なかった。
唯一違ったのは、ここがブライヒレーダー辺境伯領ではなくてオイレンベルク騎士爵領であるという事か。
「そうだったのか。なら話は早い」
「話が早いですか?」
「ええ。大リーグ山脈を貫くトンネルが発見されたので、これを稼働させたいのです。こちら側の入り口が領内にあるオイレンベルク卿にも協力していただきたく」
「えっ? 私がですか?」
「いやだって、入り口はオイレンベルク領内にありますし」
加えて、トンネルの半分ほどの権利はオイレンベルク卿にある。
なぜなら、トンネルの上にある大リーグ山脈部分も、書類上ではオイレンベルク卿にあったからだ。
「というわけで、オイレンベルク卿にも警備兵を配置していただきたいのです。代わりに、通行料を取れるから大儲けですよ」
魔導飛行船による便は増えていたが、新たに発掘されないと増えないし、運賃が高いという欠点もある。
トンネルを通ると時間はかかるが、昔のように山道を進むよりも遥かに時間を短縮可能であった。
小規模の商人なども参入しやすく、バウマイスター伯爵領に大きな利益をもたらすであろう。
「勿論オイレンベルク領もですよ。よかったですね」
ブライヒレーダー辺境伯領ではなかったのは、ブライヒレーダー辺境伯にとっては不幸かもしれないが、俺からすれば誰でも反対側の入り口を管理してくれればいいのだから。
「私が管理するのですか?」
「ええ、何か不都合でも?」
「無理です! 私には無理です!」
「私もです!」
オイレンベルク卿のみならず跡取り息子にも必死に否定され、俺達は困惑の表情を浮かべるのであった。
「「ブライヒレーダー辺境伯様! ははっーーーー」」
「あの……、私達は同じ王国貴族で……」
トンネルの警備と管理をオイレンベルク卿に拒否されてしまって困惑した俺は、急ぎ『瞬間移動』でブライヒレーダー辺境伯とブランタークさんを連れて戻った。
そして、ブライヒレーダー辺境伯を見たオイレンベルク親子は再び土下座を始め、それをブライヒレーダー辺境伯が窘めるというどこかで見た光景が展開される。
「あなた方親子はなぜこうも卑屈なのです? 私達は同じ貴族なのですから……」
勿論建前ではあったが、いつもこれではブライヒレーダー辺境伯も困ってしまうであろう。
他の貴族に知られて、ブライヒレーダー辺境伯への攻撃材料にもされかねないのだから。
「それにしても……」
ようやくオイレンベルク親子は落ち着いていたが、ブライヒレーダー辺境伯はドンヨリとした表情を浮かべて肩を落としていた。
なぜなら、運命の気まぐれにより大縦貫トンネルの位置が自分の領地ではなかったからだ。
「伯爵様、事前に確認しておけよ」
「ですがこの地図、王国政府が出した正式版ですよ。第一、確認してあったとしても問題は避けられなかったのでは?」
「事前にわかっていれば、先に手が打てたじゃないか」
「それはそうですけど、地図に書いてませんでしたし。この地図ではブライヒレーダー辺境伯領なんです」
地図は軍事情報なので、その作成には軍が関わっている。
各貴族家はなかなか領地の情報を出したがらないが、王国軍は密かに人を出して詳細な地図を作製していた。
はずなのに、なぜかその地図にはオイレンベルク領以下いくつかの小領主領の記載がされていないのだ。
「しかもこの地図、最近出た今年度版ですよ」
「本当ですね。去年までは普通に記載されていたのに、なぜ急に消されたのでしょうか? 全く! 手抜きも甚だしい!」
他の地図だと省略されているケースが多いそうだが、王国政府が出している正式版で記載されていないのはまずいはず。
怒ったブライヒレーダー辺境伯は魔導携帯電話を取り出すと、ある人物の元に電話をかける。
「通信用の魔道具!」
「父上、うちでは、とても買える物ではありません。さすがは、ブライヒレーダー辺境伯様」
「お館様、私は初めて現物を目にしました」
「私も、子供の頃に出先の町で一度目にしただけだ」
「父上、大貴族様は凄いのですね」
貴族なのに小市民的な親子は、執事と共にブライヒレーダー辺境伯の魔導携帯通信機を羨ましそうに見ていた。
「……何か調子が狂いますね……。エドガー軍務卿ですか?」
ブライヒレーダー辺境伯の通話先は、地図作製の最高責任者であるエドガー軍務卿であった。
地図は軍事情報でもあるので、その管轄は軍に存在しているというわけだ。
「今年度の王国地図なんですけど……」
『何だとぉーーー!』
ブライヒレーダー辺境伯が事情を話すと、こちらにも聞こえる怒鳴り声が響いてくる。
当然声の主はエドガー軍務卿で、自分も与り知らぬ事であったようだ。
『バウマイスター伯爵はいるか!』
「はい、傍に」
『迎えに来い!』
というわけで、俺は王城へと『瞬間移動』で飛び、その足でエドガー軍務卿を連れてくる。
同行者に、小動物のように震える一人の法衣貴族を連れて……。
俺は見ていた。
エドガー軍務卿が、王国国土院という役所に怒鳴り込むのを。
そして、地図作製担当の責任者である法衣貴族の首根っこを掴んだのもだ。
あの光景は、導師の戦闘シーンに匹敵する恐ろしさがあった。
「マイザー子爵! どういう事か説明して貰おうか!」
俺とエドガー軍務卿によってブライヒレーダー辺境伯の元に連れて来られたマイザー子爵という初老の貴族は、オイレンベルク邸の床で土下座をする羽目になっていた。
なぜかその隣で、オイレンベルク親子と執事も土下座をしていたが……。
「なあ、バウマイスター伯爵。あの三人は何か悪い事でもしたのか?」
「ええとですね……」
「お義父さん、あの三人は雲の上の存在だと思っていた閣僚級の大貴族を見て緊張しているだけ」
俺の代わりに、エドガー軍務卿の義娘であるヴィルマが事情を説明してくれた。
「そうなのか。でも、同じ王国貴族だからそういうのは困るよな……」
オイレンベルク親子のあまりの卑屈さに、エドガー軍務卿の怒りのテンションも下がってしまったようだ。
「まあ、それであなたの責任が減るわけでもないんですけどね。マイザー子爵」
エドガー軍務卿の怒りが消えて安堵の溜息をつくマイザー子爵に、すかさずブライヒレーダー辺境伯が釘を刺した。
「はい……それは理解しております……」
「ならいいですけど」
マイザー子爵が地図の作成で手抜きをしてしまい、そのせいで俺達はトンネルの出口がブライヒレーダー辺境伯領だと思ってそのまま繋げてしまった。
罪状になるのかもわからない案件ではあったが、そのせいで事態が混乱しているのも事実だ。
何しろ、人口三百人の貴族領に大トンネルの管理など荷が重いのだから。
「先に聞いておくか。なぜこういう事になったのだ?」
先ほどまでの大激怒はなかったが、マイザー子爵を追及するエドガー軍務卿の目には殺意が籠っていた。
怯えたマイザー子爵は、特に抵抗もしないで事情を説明し始める。
「経費削減のために、地図を作製する工房の変更を……」
地図は本と違って印刷が難しいし、毎年細かな地形の変化、貴族領の増減、その領地を統治する貴族家の変更、未到達であった土地への測量成功などで細かく変化する。
作るのに大変な手間と経費がかかるので、マイザー子爵はどうにか経費だけは減らせないかと努力したらしい。
「経費の削減を決めるのは、その職責を持つマイザー子爵の管轄だがよ。手抜きは困るじゃないか」
「ですが……。本当に細かいミスでして……」
確かに、本来ならば気にもされないミスだ。
何しろ、エドガー軍務卿とブライヒレーダー辺境伯ですら指摘されるまで気がついていなかったのだから。
王国政府が人間の集合体である以上、このくらいのミスは探せばいくらでも見つかるはずだ。
「だがな、マイザー子爵は間が悪かったな」
「そんなぁ……」
そう、マイザー子爵は間が悪かった。
普通は、この程度のミスで処分などされない。
気がつかれるかも怪しいどころだ。
ブライヒレーダー辺境伯領内に囲まれてるいくつかの小領地など、知らなくて困る人などほとんどいないのだから。
「マイザー子爵のせいで、トンネルの開通は遅れる事が必至だ。これは当然陛下の耳に入るな」
「陛下のお耳に?」
「当然だろう。南部バウマイスター伯爵領の開発は陛下の肝煎りなんだぞ。それを促進可能なトンネルが完璧な状態で残っていたのに、こんな理由で開通が遅れる。誤魔化せると思うか?」
「いえ……思いません……」
「チェックが足りなかった俺の責任もあるから、公式には罰しないがな」
「私もちゃんとチェックしていなかった責任がありますしね」
というわけで、憐れなマイザー子爵は今の役職と当主の座を退く事となった。
公式な理由は、大病による療養目的という事にして。
こうやって、一般庶民が誰も知らないところで貴族が責任を取らされたりするのだと、俺は自分も気をつけようと思いながら見ていた。
「それで、どうするよ?」
「私達だけでは決められませんよ」
「そうだな。バウマイスター伯爵、また頼むぞ」
「はい」
俺は燃え尽きているマイザー子爵とエドガー軍務卿を連れて、また王都へと『瞬間移動』で飛ぶ。
そしてその足で、エドガー軍務卿が指名する人達を拾ってオイレンベルク邸に戻った。
「大リーグ山脈を貫く大規模トンネルか。いい物を見つけたな。バウマイスター伯爵」
「エリーゼも婿殿も、元気そうで何よりだ」
「バウマイスター伯爵、あとでトンネルを見学させてくれ」
「イシュルバーグ伯爵の作品か。参考になりそうだな」
ルックナー財務卿、ホーエンハイム枢機卿、レーリヒ商務卿、魔導ギルドの研究部長ベッケンバウアーさんなど、トンネルに関係があったり興味がある偉い人達が連れてオイレンベルク邸の居間に戻る。
「エルも元気そうでよかった。あとで、内乱時の話を聞かせてくれ」
「ワーレン師匠? という事は……」
連れて来た人の中には、ワーレンさんもいた。
彼は近衛騎士団の中隊長なので、ここに呼ぶほどの重要人物ではない。
だが、急遽ここに顔を出す事になった方の護衛としては必須であった。
姿を見せたワーレンさんは、弟子であるエルに声をかける。
彼は快楽殺人者というわけではないが、やはり実戦を経験して功績を挙げた弟子が羨ましかったようだ。
あとで話を聞かせて欲しいと頼んでいた。
「複雑な話になると聞いたら、陛下が自分も出た方が話が早いと」
「これも、手間を減らすためのコツよ。王というのは忙しいものでな。ワーレンも連れてきたし、ここには帝国内乱を勝利に導いた精鋭が多い。余の安全は確実であろうな」
「陛下もですか……」
さすがに、ブライヒレーダー辺境伯も陛下自らの出座には驚きを隠せないようだ。
「こういう話は早い方がいいからの」
「ありがたくはあります」
ブライヒレーダー辺境伯くらいの大物貴族ともなれば、陛下との会話にも慣れている。
ところが、この他にも閣僚級の大物貴族や中央で権威のあるギルドの大物幹部に教会の枢機卿と、えらい人ばかりが続々と自分の家に現れて精神状態が限界に達している人がいた。
「あなた、オイレンベルク卿が……」
「ヴェル、さっきから土下座をして動かないわよ」
エリーゼとイーナに指摘されたので視線を向けると、そこには土下座をしたまま微動だにしないオイレンベルク親子と執事の姿があった。
「可哀想に……今日一日で偉い人達ばかり姿を見せたから……」
「今まで、こんな事はなかったのだと思う」
ルイーゼとヴィルマは、いまだに土下座したまま微動だにしないオイレンベルク親子に同情の視線を向けていた。
「ところで、バウマイスター伯爵よ」
「はい」
「この者達は、なぜこんなに卑屈なのだ?」
「ええと……」
「領地の場所が場所なので、襲爵の儀以外で陛下にお会い出来るなど考慮の外だったのでは?」
俺の代わりに、カタリーナが事情を説明する。
「なるほどの……オイレンベルク卿とその息子よ、もう頭を上げて普通にするがいいぞ」
「すいません! こんな場所に領地を持っていてすいません!」
「跡継ぎですいません!」
オイレンベルク親子は、なぜか陛下に必死に謝っていた。
陛下もわけがわからず困惑気味だ。
「駄目だこりゃ……」
この人達に、トンネルの警備と管理など不可能だ。
俺は、この案件の収拾には意外と時間がかかりそうだと覚悟を決めるのであった。
「マロイモというのか、これはいいお茶受けだの」
「陛下にお出しするような品ではないのではと、恐縮する次第でして……」
「物に身分などない。美味しければ、それを出された方も嬉しいのでな」
「我が領の特選品ですから」
「なるほどの。蒸かしただけでこの上品な甘さ。下手なお菓子などよりも、余はこちらの方が好みであるな」
関係者が集まったので、話を続ける事にする。
オイレンベルク邸の居間を会議室として、その壁際にはワーレンさん、エル、イーナ、ルイーゼ、ヴィルマ、ブランタークさん、カタリーナが配置され、もしここに暗殺者が襲撃しても一瞬であの世に送られるはずだ。
エリーゼは、オイレンベルク卿の奥さんと共にお茶やお茶請けである蒸かしマロイモの給仕を行っていた。
大物貴族ばかり見て卑屈になっているオイレンベルク親子に比べると、奥さんの方は愛想よく陛下と接している。
いざとなると、女性の方が度胸があるのはどの世界でも同じだ。
「しかし、あまり市場では見ないの」
「イーナは知っていたよな?」
「ええ。滅多に市場には出ないけど、一回だけ見て名前だけは聞いていたの」
作られている場所が少なく、この辺ではオイレンベルク領だけなのでたまにブライヒブルクの市場に並ぶだけなのだそうだ。
王都周辺だと、更に市場に出る頻度が下がるそうだ。
「美味しいのにね」
「少し栽培条件が特殊らしいわよ。ですよね? オイレンベルク卿」
「はい。斜面の畑で、夜と朝に気温が下がる土地でないと栽培できないのです。他にも、土質や栽培方法などを間違えると甘くなりません」
オイレンベルク領は、大リーグ山脈に接している。
その斜面に作った畑で栽培しているのだが、本来の山の斜面だと飛竜やワイバーンが飛来して農作業にならない。
ところが、オイレンベルク領にある斜面は古代魔法文明崩壊以後に出来た山の斜面なので飛竜とワイバーンが飛来しない。
だから栽培可能なのだと、オイレンベルク卿は説明した。
ようやく少し慣れて、イーナが相手ならそこまで卑屈にならなくなったようだ。
「地方限定か。貴重な品なのだな。確かに上品な甘さが美味しい」
ルックナー財務卿達も、マロイモの美味しさを気に入ったようだ。
「さて、話をトンネルの話に戻すが、ブライヒレーダー辺境伯、この問題の本質は何なのだ?」
「簡単に言いますと、トンネルのもう一つの入り口がうちなら、ここまで揉めませんでした」
「すいません!」
「だからですね。別にオイレンベルク卿の責任ではなくてですね……」
オイレンベルク卿からすれば、みんな偉い人なので経験の無さもあって卑屈になってしまうのだが、ブライヒレーダー辺境伯達からするとそこまで卑屈にされると逆に困ってしまう。
同じ王国貴族なのだから当然だ。
外に漏れると、自分達が傲慢だと世間で噂されて困ってしまうのだし。
「トンネルは巨大な物らしいの」
「はい」
片側が五車線ずつあり、故障車両専用の避難車線まで付いている。
照明や空調設備まで揃っていて、それらを動かす動力室には巨大な魔晶石まで設置されている。
道路やトンネルの壁面には当時最新の素材と工法が使われ、ちゃんとメンテナンスをすれば数千年は使えるはずであった。
「魔導飛行船による輸送にも限界があるからの」
「道路の整備が必要ですが、陸路でも輸送網があった方がいいですな。もし戦時になれば、魔導飛行船は空軍に徴発されてしまいますし」
帝国内乱では、例の装置のせいで魔導飛行船の空軍による徴発案は流れた。
だが、これから先も徴発されないという保証もない。
もしそうなると、バウマイスター伯爵領への輸送が滞るので、陸路があれば安心だとエドガー軍務卿が説明をする。
「多少時間はかかりますが、山道を歩いて輸送するよりも時間も輸送量も圧倒的に上です。魔導飛行船よりもコストが低いのもいい」
ルックナー財務卿も、トンネルの早期開通を主張する。
「魔導ギルドとしましては、調査は開通してからでも出来ますからな。王国経済のために、一日でも早く開通させるべきでは?」
ベッケンバウアーさんもというか、この件で反対の人間などいないはずだ。
「開通にあたり、問題はいくつか。まずは、物が物なので警備は必須です」
入口を破壊して塞ぐなど、テロ行為が行われる危険性がある。
いくら講和を結んで停戦中でも、帝国は仮想敵国なのだから。
他にも、バウマイスター伯爵家に敵対する貴族の妨害行動がないとは絶対に言えなかった。
「おかしな犯罪者や流民が、無秩序に出入りしても困るな」
「というわけで、双方が一定数の警備兵を雇って常に警備する必要があります。定期的な点検と補修も必要ですね」
「金の問題……。いや、それは通行料で補える。逆に大きな利益が出るな」
ルックナー財務卿は、一番の問題が金の問題ではない事を理解する。
「上り線と下り線の通行料が違うと混乱しますから、それはバウマイスター伯爵と協議して決めればいいのです。片道百セントくらいで十分でしょう」
「そうだな。そのくらいの通行料なら、多くの利用者を望める。新規に商売に参入する者も多いか」
高額な魔導飛行船の運賃や、険しい山道に躊躇していた者達が参加して商売の幅と量が増える。
それは、王国全体に利益をもたらすはずだ。
「そこで問題となるのは、オイレンベルク領が小さな領地だという事です」
「すいません! 小さな領地ですいません!」
またも、オイレンベルク卿がペコペコと謝っている。
注意しても治りそうもないので、みんな無視するようになっていた。
「人口三百人の領地で、トンネルの警備と管理をして、通行料を取るのか……」
事実上不可能と言ってもいい。
新規に人を雇えばいいと言う人もいると思うが、そんな急に何百人も人を雇って彼らを上手く動かすなど不可能に近いであろう。
何しろ、オイレンベルク卿は……。
領民達と一緒に畑を耕しながらささやかに仲良く暮らしてきた、およそ世間の貴族像とは程遠い貴族なのだから。
可愛そうに、彼は自分の身の丈に合わない事を強制されようとしているのだ。
跡取り息子も同じで、彼にもそういう事は似合わないというか、出来ないであろう。
「エドガー軍務卿、物が物なので王軍からも警備隊を出して何とかしません?」
「バウマイスター伯爵、それはいいがな。トンネルの権利はバウマイスター伯爵家とオイレンベルク家にあるんだ。うちは三分の一しか出せないからな」
それ以上兵を出すと、貴族の利権に王国が嘴を突っ込んだと思われて統治的に好ましくないらしい。
「三分の一で、千人くらいですよね?」
「そうだな」
管理・補修・通行料の徴収と不審者や密輸、違法な品の取り締まりなども合わせると、そのくらいは必要となる。
年中無休で、二十四時間交替で仕事をしないといけないのだから。
「そんなぁ……千人も新規で雇うなんて不可能ですよ……」
人口三百人の領主が、その人数をいきなり指揮するのも難しい。
そんなに人を雇う財力もなく、彼らとその家族を生活させる場所の確保などもある。
そんな事は不可能だと、オイレンベルク卿は半分涙目であった。
「こうなったら、ブライヒレーダー辺境伯が業務を受注するとか?」
「そういうのはよくないですね」
小なりとはいえ、オイレンベルク家はれっきとした貴族家である。
そこの統治に口を出すばかりか、実際に領中に入って仕事をしてしまえば、それはブライヒレーダー辺境伯家が他の貴族家を支配下に置いて食い物にしているという悪評に繋がってしまうのだそうだ。
「相手がどんなに小さな領地の領主でも、それはいけません。そのために、紛争システムなんていう面倒なものがあるのですから」
気に入らなくても、相手を滅ぼすのはタブー。
だから、利権調整のために面倒な紛争をしているというわけだ。
「領地を交換しませんか? ここよりも遥かに豊かな領地と、オイレンベルク領を交換で」
「それは王国の領分で、私は口を出せませんから。もし可能でも、私への悪評が鰻登りですよ」
ブライヒレーダー辺境伯は、トンネル利権を貪るために立場の弱いオイレンベルク家に無理を強いた。
こんな悪評が蔓延したら堪らないと彼は言う。
「うちは、バウマイスター伯爵が寄子で大分得をしていますからね。今でもやっかみが凄いですから」
「じゃあ、王国が転封をしましょう」
「それも駄目だの」
ここを王国直轄にしてしまうという案も、陛下自身が否定していた。
「魅力的な案ではあるが、場所がよくないの」
「場所がですか?」
「うむ。ブライヒレーダー辺境伯領に囲まれておるからの。こういう事を露骨にすると、王国とブライヒレーダー辺境伯家との関係を揶揄する輩が現れる」
「そうですね。ありもしない緊迫状態を演出して、己の利益を狙うのがいますね」
ここ二百年の平穏な情勢というのは、何も運がいいだけでそういう風になっているわけではない。
為政者達の神経質なのではないかと思うほどの配慮から成り立っているのだと、俺は理解する。
「となると……どうしましょうか?」
「暫くは、トンネルのチェックに、魔導ギルドもそうだが、魔道具ギルドも調査に入るであろう。その間は時間が稼げる。各々持ち帰っての宿題というわけじゃな」
問題の先伸ばしとも言えるが、他に手がない。
会議の参加者は、今日はこれで御開きという事にする。
「では、バウマイスター伯爵に送って貰う前に、このマロイモを買っておくとするか。ワーレン」
「はっ!」
陛下の命令で、ワーレンさんはサイフを出してローゼさんにお金を払っていた。
すぐに、執事が大量のマロイモを麻袋に入れて持参する。
他にも、購入している人が多かった。
勿論俺も買って帰るつもりだが、『マロイモ人気すぎだろう!』と思ってしまう。
あまり人気になると、俺が買えなくなってしまうじゃないかと。
「早速石焼きイモにして食べるんだ」
「婿殿は、相変わらず新しい料理の研究に熱心じゃな」
「趣味ですから。ところで、今日は晩餐でも一緒にいかがですか?」
「それもいいかもな。ワシの出番はトンネル開通が進まければないからの。両方の出入り口に巡礼所を設置するくらいか」
トンネルなので、安全祈願も込めてそういう施設と常駐の神官が必要となるわけだ。
たかがトンネルと思う人もいるであろうが、日本でも利権などを含めて政治家や官僚達がや悲喜交々の争いをしているので同じであろう。
「では、マロイモを買って……。オイレンベルク卿?」
「うーーーむ。彼には陛下の突然の来襲と、トンネルの話は重たかったようだな……」
今日一日で様々な事があったオイレンベルク卿は、跡取り息子共々その場で土下座をしたまま気絶していた。
少し可哀想な事をしてしまった気分になる俺達であった。




