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第百八話 巨大砲は男の浪漫?

「前方反乱軍の降伏を確認」


 軍勢を進めていると、先行する偵察隊から進路上にいる敵軍の存在を報告される。

 ただ、向こうはこちらに気がつくと戦闘もしないで降伏した。


「またかよ……」


「まただが、無視するわけにもいくまい」


 もうこれで何度目かのフィリップの正論だが、これが最後なわけもないので困ってしまう。

 『敵が降伏した』と、歴史書なら一行で済むが、これを処理する面倒臭さを本に書いておいてほしいものだ。


「わかっているけど、面倒だな……」


「あなたが、お顔を出さないといけませんしね」


 そう、エリーゼの言うとおりで、お飾りで名目上の司令官でも別に仕事がないわけではないのだ。


「終わったらお茶の時間にしましょう。昨日、クッキーを焼いておきましたので」


「本当? エリーゼが焼いたクッキー、甘さ控えめで美味しいんだよな」


 エリーゼは、俺の好みに合わせてお菓子を作ってくれるのでありがたい。

 早く降伏する貴族の言い訳を聞いて、楽しいオヤツの時間にしよう。


「それで、降伏した軍を指揮する貴族の名は?」






 帝国の新しい支配者としてライバルであるテレーゼを強制引退させたペーターは、素早く体勢を整えてからニュルンベルク公爵に対して反撃を開始した。

  

『来年の春までには片づける』


 そう宣言した彼は、支配下にある全ての領域から軍勢を集め、ジワジワとニュルンベルク公爵率いる反乱軍の領域を削り取り始める。


 所属が曖昧な、西・東部の南部寄りの位置に領地を持つ貴族に『今の内に降れば、爵位と領地は保全しよう』と声をかけ、その大半を降らせる事に成功する。

 ペーターは彼らの領地の位置を考えて、反乱軍側に付いた事を不問としたのだ。


 その代わりに、彼らも兵を出してニュルンベルク公爵討伐軍に加わる事を条件とした。


 幸いにして、ニュルンベルク公爵が彼らへの援軍などのフォローを行わなかったために、ほとんど戦闘は発生していない。

 一部苛烈に抵抗した貴族もいたが、彼らは帝国軍によって討伐されるか、中には家族や軍勢を引き連れてニュルンベルク公爵に合流している者もいて、西部と東部は短期間で帝国軍の勢力下となっている。


 続けて、先の討伐軍によって荒らされた南部領域北部の占領にも成功していた。

 ここを領地とする貴族や領民達からすれば、帝国軍は自分達の故郷を荒らした敵でしかない。

 当然抵抗も激しく、それでもペーターは復興を支援するなどの条件を提示し、硬軟織り交ぜてどうにか占領と補給体制の確立に成功する。


 段々とニュルンベルク公爵が支配する南部領域が帝国軍の占領下に入り、既にニュルンベルク公爵領の一部地域も占領されていた。


 南部を領地とする貴族は、降爵や領地の減少・没収を条件に降伏する者。

 やはり家族や一部軍勢を連れてニュルンベルク公爵に合流してしまった者と、それぞれに対応が違う。


 それでも、今までに発生した大規模な会戦や死闘に比べれば、そこまで大変というわけでもない。


 南部領域を進む、王国軍軍人や一部傭兵で編成されたバウマイスター伯爵家軍は、隣で一緒に進むミズホ伯国軍と共に、前方に立ち塞がる小勢が降伏したのを受けてその処理に当たっていた。


「ええと……、誰の軍勢?」


「カシラー子爵の紋章じゃの」


 相変わらずというか、元々外国人である俺が指揮するバウマイスター伯爵家軍には様々なワケ有りの人達が集まって軍を成している。


「よくわかるな」


「妾も、そこまで南部貴族に詳しくはないのじゃがな。カシラー子爵家の紋章はたまたま覚えておった」


「たまたまか。俺なんて、王国貴族ですら碌に名前を覚えていないのに」


「紋章官任せか? 別にそれでも構わないがの。第一、帝国も王国も貴族の数が多すぎるのじゃ」


 バウマイスター伯爵家軍には、『暇過ぎるのも困り物じゃの』となぜかテレーゼが押しかけ参謀として付いて来ていた。

 あの引退劇からさほど時間が経っていないので大丈夫かと思ったのだが、彼女はペーターに直接言って、こちらとの合流を決めたらしい。


『ヴェンデリンの軍に、帝国貴族に詳しい者を混ぜた方がいいか』


 表向きはそう言って、あっさりとテレーゼの合流を認めている。

 どうせ俺達がニュルンベルク公爵に合流するなどあり得ないし、こちらもミズホ伯国軍も現地での交渉という点では人材面に不安が残る。


 道案内は現地の人間を雇うとしても、反乱軍方の貴族や軍勢が降伏などを望んだ時の交渉をする人間がいない。

 そこで、引退して一時は隠棲生活をしていたテレーゼに白羽の矢が立ったわけだ。


『使える者は何でも利用しないとね』


 ペーターからすれば、テレーゼが帝国軍の下で働いているという事実が重要なのかもしれない。

 周囲からすれば、彼女がペーターの軍門に完全に下ったと見られるからだ。

 俺達やミズホ伯国軍と行動を共にしているのは、さすがに帝国軍本軍で働くとギクシャクしてしまうからで、一部にテレーゼが俺達と組んでペーターに反抗すると心配する者達もいるようだが、さすがにそれは心配し過ぎであろう。


 ここでまた戦況を混乱させて戦争が長引いてしまったら、俺は今まで何のために苦労したのかわからなくなってしまう。

 ペーターもそんな事は気にしていない。

 いや、あえて気にしないフリをして自分の豪胆さをアピールしているというわけだ。


『本音で言わせてもらうと、人手が足りないんだよね。テレーゼ殿は軍勢を率いなくても、出来る仕事は多いし』


 これが、ペーターの語った本音だ。


 テレーゼは、自ら敵兵を斬った事もあるので自分の身くらいは守れるし、指揮、軍政、交渉と何でも器用にこなせる一流の人材である。

 軍勢は任せていないが、今もこうして役に立っているというわけだ。


「フィリップ公爵殿?」


 降伏した小勢を率いている貴族は、テレーゼを見て目を丸くさせた。

 まさか、彼女がこんなところにいるとは思わなかったのであろう。


「色々とあって引退した身じゃ。して、カシラー子爵殿は何を望む?」


「これまでは地理的な条件のためにニュルンベルク公爵殿に従うしかありませんでしたが、今の彼は極端な防衛戦術に出て内部に引っ込んでしまいました。そこで、帝国の実権を握られた摂政ペーター殿に縋るしかないと……」


 そんなに簡単に所属を変えていいのかと思ってしまうが、これも小領主の悲哀であった。

 下手に片方に義理立てなどをしても、それは滅亡の原因でしかないのだから。


「降伏するのがいいと妾も思うがの。無料というわけにはいかぬぞ」


 東西部の貴族とは違って、南部貴族には降ればそのまま許す事を認めるわけにはいかなかった。


「やはり、何かを差し出さないと駄目ですか?」


「領地の一部か金銭が普通かの。あとは、軍勢を整えて帝国軍に合流する」


 軍勢が消費する食料などは自腹なので、小領主にはかなりの負担になる。 

 それでも、帝国軍によって滅ぼされるよりはマシであろう。

 可哀想だとは思うが、これも小領主の宿命であった。


「領地の縮小は勘弁して欲しいので、何とか金銭で交渉を纏めるしかないですな。分割払いは可能なのでしょうか?」


「そこは、要相談じゃの。支払いが滞るような事がなければ大丈夫であろう」


 貴族にとっての領地の広さとは、世間にわかりやすい力のバロメーターであった。

 それを削られるというのは、例え収益が落ちないにしても簡単に容認できる話ではない。

 それでも、今回の戦乱で減封・改易された貴族は多数存在していたが。


「時に、ペーター殿は独身でしたよね?」


「カシラー子爵殿、気持ちはわからないでもないが、それは止めておいた方がいいと忠告しておくぞ」


 俺と同じ年のペーターは独身であった。

 なぜか浮いた話題は一切存在せず、彼は普段から傍に置いている魔法使いエメラを寵愛している。

 ペーターがエメラを口説き、それを彼女が冷たく否定する場面ばかり見てるが、それでもエメラはペーターの傍を離れないので、まあそういう関係なのであろう。


 そういう事を細かく詮索するのは野暮というものである。


「摂政殿は、新政権下での自分の立場を高めるために娘や妹を差し出そうとする貴族を快く思っていないからの」


「それは、怒りを買うとそのまま改易とか?」


「いや、そこまではないと思うが、よくは思われないのは確かじゃの」

 

 ペーター自身は、父親である前皇帝が正妻の一族に配慮して帝国の政治をおかしくしたのを直接見ている。

 俺は、娘を差し出すと言っても碌な結果にはならないとカシラー子爵に忠告しておく。


「わかりました。何とか罰金と従軍で済ませて貰えるように交渉してみます」


「妾が手紙を認めておこう。役に立つのかは不明じゃが、一切の抵抗や戦闘がなかった事は書いておく」


「ありがとうございます」


 カシラー子爵は俺とテレーゼに深々と頭を下げてから、ペーターが指揮する本陣へと向かった。


「テレーゼが交渉役で助かったわね」


「そうだな。俺にはこういうのはわからない」


 護衛として俺の横に控えていたイーナが、カシラー子爵の後姿を見ながら安堵の溜息を漏らす。

 既にフィリップ公爵でもなく、単身で俄か参謀扱いのテレーゼはイーナ達に『もう殿や様を付けるな。敬語もいらぬ』と言って、それを実行させていた。


「さすがは元公爵様ですね。テレーゼさんは」


「苦労して嫌な貴族と沢山顔を合わせて経験を積んだだけじゃ。大したものではない」


 エリーゼだけは『さん』を付けるが、これは彼女の癖のようなものなのでテレーゼも気にしていない。

 

「でもさ、戦闘なんて無くてこんな交渉ばかりだよね」


「戦闘が無いに越した事はない」


「ううっ……、ヴィルマは言う事が真面目だね」


「『神速の狙撃手』として、多くの狙撃を行ってきたヴィルマだからこそ言える至言じゃの。好き好んで人など殺せるものではない」


「それもそうだね」


 ヴィルマだけではない。 

 ルイーゼも投石で多くの兵士を倒しているし、量産型のドラゴンゴーレムの破壊にも貢献している。

 戦争だから仕方なしにしている事で、これから早く狩りの生活に戻りたいと思っているのであろう。


「妾はここで功績を挙げて、バウマイスター伯爵領への移住を勝ち取らねばな」


「テレーゼさんは、本当にバウマイスター領に移住なさるので?」


 同じく癖でテレーゼを『さん』付けで呼んでしまうカタリーナが、確認するかのようにテレーゼに問い質す。


「名誉伯爵の年金は送ってもらえばいいし、帝国と王国の交流が復活すれば里帰りついでに取りに行ってもいいの。何にせよ、ペーター殿が実権を握った帝国に妾など不用じゃ。彼は妾を殺したくないから引退させたのであろうが、帝都に残留してそこに妙な連中が接近した場合、不本意ながらも妾を始末するという手を取らざるを得なくなる」


「それは考え過ぎでは?」


「カタリーナよ。権力者というのはそういうものじゃ。大のために小を犠牲にする事もある。逆を行う権力者というのも問題じゃからの。妾はペーター殿の人間性は信頼しておるが、同時に権力者としての能力も信頼しておるのでな」


 テレーゼの皮肉の籠った言葉に、カタリーナは思わず返答に詰まってしまう。


「次期ヴァイゲル家当主の母親である、カタリーナが気にする事でもないか。というわけで、妾はバウマイスター伯爵殿から移住の許可を貰うために、こうやって働いておるわけじゃ」


「本当に移住するのか? 大分気候とかも違うぞ」


 身一つで、数千キロも離れた土地に移住する。

 俺としては、本当にそれでいいのかと心配になってしまうのだ。


「暖かいから、衣装代がかからぬかもしれぬの。今帝都の屋敷にいるメイドや警備兵は全員短期間の雇用だと伝えてあるのでな。バウマイスター伯爵領内で雇う予定なので、妾は身一つで向かう」


「ペーターとうちの陛下次第かな?」


「それならば安心せい。必ず許可は出るからの」


 どういう根拠かは知らないが、テレーゼは自分のバウマイスター伯爵領移住が認められると確信しているようだ。


「妾の事は後でもどうにでもなる。それよりも、早く進撃しないでいいのか?」


「そうだった。ミズホ伯国軍が待っているんだった」


 再び両軍の進撃が始まるが、今度は何も現れないで暇だった。

 防衛戦闘でも仕掛けてくるのかと思ったが、本当にニュルンベルク公爵は戦力を一カ所に纏めているらしい。


「バウマイスター伯爵が前にニュルンベルク公爵家の従士長を討っただろう? あの影響もあるな」


 ニュルンベルク公爵が己の右腕と公言していた従士長のザウケン、彼がいなくなりニュルンベルク公爵は一万人以上の軍勢を預けられる人材を失ってしまった。

 これはフィリツプの考えであったが、あながち間違っているとは言えないであろう。


「地の利がありますからね。別働隊での奇襲や輸送路の襲撃など、それを率いるはずだったザウケンの死は痛いはずです」


「それで抵抗が少ないのか」


 一部あるが、それは放置された貴族や領民達で、しかも前の帝国軍の悪行の被害者が大半だ。

 彼らは再び土地を荒らされ全てを奪われると思い、帝国軍に対して絶望的な抵抗を行っている。

 ペーターの説得で降だる者も多いが、人間とは戦争で受けた被害をそう簡単には忘れられない。


 『ニュルンベルク公爵も帝国も信用ならない!』と言って、過酷なゲリラ戦を行う者も存在していた。


「それは少数ですし、ニュルンベルク公爵は選びに選んだ精鋭に大量の資金や食料などと共に防衛を行うでしょう。それを破るのは、ペーター殿でも至難の業かと」


 追い詰めるまではさほど苦戦しないが、追い詰めてからが困難というわけだ。

 クリストフの推論にペーターが気がついていないはずはないので、今は懸命に対抗策を練っているのかもしれない。


「何にしても、もう少しで帝国の内乱も終わるはず。終われば、俺達は王国に戻れるというわけだ」


「兄さん、生徒の教育はどうなのです?」


「初歩くらいは教えたかな」


 現在ハルカと共に先陣に立っているエルを教育して来たフィリップは、この仕事もあと少しだと感慨深げな表情を浮かべている。

 確かに、この短期間でエルが千人ほどの軍勢を率いる姿が様になりつつあった。


 指揮官としても教育者としても、フィリップが優れている証拠だ。


「初歩だとまだまだなのかな?」


「バウマイスター伯爵、あとはそっちで何とでもなる。というか、ここまで教えたら、あとは時間が経たないと指揮官としては熟成されないぞ」


「ワインみたいな事を言うんだな」


「ワインみたいなものだ。若い天才指揮官とかは別として、普通の指揮官には老練さとかも必要だからな」


 指揮官として上にいるのだから、普通は若造よりは中年や初老の人の方が経験を積んでいて安心というわけだ。

 会社で上司が自分よりも圧倒的に若いと、モヤモヤして心配してしまうのと同じ感覚なのかもしれない。


「ある程度の軍司令官などは、五十歳前後で働き盛りという感じかな? エドガー軍務卿がそんな感じだろう? アームストロング伯爵でもう何年か先、彼の場合はそれを補う筋肉があるけどな」


 エドガー軍務卿は見たままで、アームストロング伯爵の体の大きさと引き締まった筋肉は、軍指揮官として決して無駄な要素ではないものらしい。

 確かに、中年太りのオジサンが指揮官よりは兵士達の安心感を得られそうだ。


「そういう加齢と共に現れる才能もあるから、ワインと似ているわけだな。最初から駄目なのを熟成しても腐るだけという点も似ている」


 フィリップは、最初にその指揮下に入ったレーガー侯爵の事を言ったのであろう。


「ニュルンベルク公爵は若いけど」


「だから、若くてしてそういう才能を持つ者もいるさ。俺は実際に顔を見た事が無いが、鷲のように眼光が鋭くて、それに見つめられるとその命令に逆らえないという風に感じてしまうそうだな。それも指揮官として稀有な才能だ。実際に能力もあって、あの男は例外というわけだ」


「ペーターもなのか?」


「あの摂政殿は……あの人は軍人ではない。ギルベルト殿に一任して涼しい顔をしているだろう? それが出来るトップなどそうはいないさ。あれを、将の将と呼ぶのさ」


「帝国の若い才能ねぇ……」


 残念ながらニュルンベルク公爵はお陀仏の予定であったが、残ったペーターが家柄などに囚われずに人材を登用していけば、内乱で衰えた国力の回復も意外と早いのかもしれない。


「ただ、一番性質が悪いのはバウマイスター伯爵かもしれないな」


「俺が? なぜ?」


「もし大負けをしても、自分さえ生き残ればいくらでも再起可能だからだ。敵に回すのに、こんなに面倒で嫌な敵はいない」


「そう思うのなら、俺に敵対しない事だ」


 褒められてるのか、それともゴキブリ並だと思われているのか。

 正直、少し複雑な心境なので強気に答えておく。

 

「それは十分に承知している。なあクリストフ」


「敵対する力も財力も無いので、そんな事はしませんね」


 そのまま、両軍による進軍は続く。

 たまに降伏する軍勢の処置と後方移送を行い、占領した町や村を軍政専門の部隊に任せて前に進む。

 目の前には晩秋の風景が広がり、両軍はまだ一度も戦闘をしていないので、みんなノンビリと歩いていた。


「今までの苦戦って何だったのかしら?」


 イーナが不思議に思うのも無理はない。

 既に、ニュルンベルク公爵領にも大分入り込んでいた。

 それでも抵抗は皆無で、占領した村や町の住民は素直に帝国の支配下に入っている。

 働き手の男性が大分徴兵されていたが、それでも家族を助けて欲しいとか、侵略者に反撃などという行動を取る者は皆無だ。


 それが余計に怖く感じるが、彼らはこう思っているのかもしれない。 

 『前回と同じく、どうせ侵略者達はニュルンベルク公爵によって討たれる』と。


「バウマイスター伯爵、ニュルンベルク公爵の館と中心街が無血で占領されたそうだぞ」


 最新の報告を持って姿を見せたミズホ上級伯爵は、誰にでもわかるほど渋い顔をしていた。


「どこが防衛拠点なんです?」


「館から南方に五キロほど。岩山ばかりのクライム山脈だそうだ」


「山岳砦ですか?」


 あのニュルンベルク公爵が、無条件で館を捨てるはずがない。

 どこかに籠って防衛戦を行うのだと思って、その場所をミズホ上級伯爵に聞いてみる。

 案の上、館近くにある山岳地帯に籠って防戦を行うようだ。


「防衛施設のメインは地下にあるらしい。元々広大な地下遺跡があって、その施設を利用しているようだ」


「他を全て放棄して、そこでの防衛に全てを賭けているわけですね」


 既に、大半の帝国領土はペーターの手に落ちている。

 国力比で勝ち目の無いニュルンベルク公爵は、防衛戦闘で帝国軍に出血と補給不足を生じさせて撤退をさせようとしているのであろう。


「非情の決意とも言えるな」


「となると、そこを攻略する戦闘になるわけですね」


 どの程度の戦力で籠ったのかは知らないが、攻撃側は最低でも戦力が三倍以上は無いと勝てないと聞いている。

 これを落とすのは、間違いなく至難の技となるはずだ。

 

「それで、ペーターはどう考えているのですかね?」


「まずは定番の、蟻の出る隙間も無いほどに囲む……。は、不可能か……」


 山脈の地下にある遺跡を利用した防衛施設なので、よほどの大軍で囲んでもどこかに穴があるはずだ。

 ニュルンベルク公爵領の領民達がえらく従順なのは、密かに食料などの補給や情報伝達を行う地下組織が既に結成されているからとも言えた。


「勝ち目はあるんですか?」


「さあな? 俺達は急いで合流しないでもいいそうだ」


 間違いなく、もう俺達に功績を挙げさせないためであろう。

 既に戦いは終盤であり、あとは生粋の帝国貴族達だけでニュルンベルク公爵を討伐するというわけだ。


「向こうが働かなくてもいいと言うのだから、今日はこの辺で適当に野営でもしようではないか」


「そうですね」


 場所はニュルンベルク公爵家の屋敷とクライム山脈の中間点にあり、適当に開けた平地もあるので両軍で野営を行う事にする。


「野営の準備だ!」


 王国軍組千人ほどを率いるエルによる指示の出し方も、大分様になって来たようだ。

 

「あとは、帝国軍が面倒で犠牲も多い地下要塞攻略戦を行ってくれるんだろう? もうこれ以上は犠牲を出さずに王国に戻れた方がいいさ」


 全軍の野営準備を統率しながら、フィリップも無理にこれ以上は戦おうとは思わないようだ。

 最初は八千人いた王国軍先遣隊も、紆余曲折の後に四千人と少ししか残っていない。

 半分近くが帝国で屍となり、故郷である王国に生きて戻れなかったのだ。

 戦争とは、いかに悲惨であるかの証明であろう。


「あっそうだ。今日は宴会でもしましょうか?」


 ただ、いつまでも悲しんでいるのも建設的では無い。

 この世界の人達のメンタルは、地球の人達よりも強いようだ。

 クリストフが、主だった面々による宴会を計画していた。


「一応戦地なので飲酒はなしで、食事をよくしようかと思います」


「いいのかなぁ?」


「少しいい食事を出すくらいですよ。降伏する反乱軍の処理で前に出てみんな疲れていますし」


 ニュルンベルク公爵の館までは先鋒だったのに、クライム山脈の地下要塞の存在が知れたら帝国軍によって後方に下げられたという結果になったので、みんな拍子抜けしてしまったのかもしれない。


「兄さんが、奇襲や破壊工作などの防衛体制をちゃんと整えていますから」


「ならいいか」

 

 ペーター達帝国軍の方が、急いで来なくてもいいと言っているのだ。

 もしかすると後で出番があるかもしれないし、今の内に寛いでおく事にする。

 

「食事会みたいなものか? 酒がないのは残念だがな」


「某は、料理がよければ十分なのである」

 

 ブランタークさんと導師の賛成も得て、設営した野戦陣地の本部で食事会が行われる。

 酒は出せないが、ミズホ上級伯爵が食材を提供したので食事は俺にも馴染みのミズホ料理が多かった。

 基本和食なので、これは悪くない食事会だ。


「季節は晩秋、ミズホ伯国では『実りの秋』と言って食べ物が美味しい季節となる。特別に旬の材料を取り寄せたから堪能してくれ」


「こうなると、急いでクライム山脈まで急がなくてよかったな」


 元々帝国の内乱だ。

 最後くらいは自分達だけで締めくくると言うのだから、任せてしまえばいい。

 俺達は、目の前にある大量の料理に目を輝かせていた。


「サツマイモ、クリ、カボチャ、米も新米、サンマ、カキ、サケ、イクラ、そしてマツタケもあるぞ」


 ミズホ上級伯爵は、相当気合を入れて食材を集めたようだ。

 日本とほとんど同じ秋の食材がプロの調理人達によって調理され、みんなの前に並んでいた。


「ミズホ上級伯爵殿。このキノコは美味しいのであるか?」


 導師はマツタケを焼いた物を指差し、その味をミズホ上級伯爵に聞いた。


「我がミズホ伯国では、大変に高価とされるキノコだな。外国人にはその価値がわからない者も多いが」


「特徴的な香りであるな。味も悪く無い」


 導師なら何でも美味しく食べてしまいそうだが、マツタケを気に入ったらしい。

 一人で何十本も食べていた。


「導師、高いキノコらしいから遠慮しろよ」


「ブランターク殿、こういうものは豪快に食べると美味しいのである。それに高いとは言っても、一本百万セントもするわけでもなかろうて」


「そうだな。そちらの貨幣で言うと、一本五十セントから百セントくらいだな」


 日本のスーパーで見た外国産の物よりも遥かに高い。

 これはやはり、全部ミズホ伯国産の弊害なのであろうか?

 などと、元は庶民の俺は考えてしまう。


「そのくらいであれば、食べたくなったら飛竜を一匹倒してくれば沢山食べられるのである」


「そんな事が出来る奴は、導師と極少数だけだよ……」


 その気になれば幾らでも稼げる導師に相応しい発言かもしれない。

 ブランタークさんは、少し呆れているようであったが。


「このキノコ、そんなに高いのか……。実家で秋に取ったキノコとは全然違うんだな」


 エルは、マツタケを恐れ慄きながら口に入れていた。


「あれ? 普通に美味しいけど、そこまで凄い物か?」


「マツタケが高価なのは、その香りゆえですから。味はマイタケ、シメジとかよく言いますね」

 

 ハルカは、エルに解説をしながら自分は他の旬のキノコを使ったキノコ鍋を食べていた。

 タケオミさんも同じで、この兄妹はさほど裕福な家の生まれではないのでマツタケなど食べた事が無いのかもしれない。

 

「ハルカさんの言う通りに、キノコ鍋美味しいですね」


「これを食べると秋が来たという感じじゃの」


「テレーゼさんは、毎年食べているのですか?」


「フィリップ公爵領は隣じゃからの。キノコ鍋は取り寄せやすいのじゃ。美容にいいと女性に評判だし、マツタケ以外はそれほど高くはない」


 テレーゼは、フィリップ公爵領内の女性にキノコ料理が人気であるとエリーゼに説明していた。


「ただ、キノコは判別が難しいのでな。たまに買うのをケチって自前で採ってきたのはいいものの、毒キノコを食べて死ぬ者がいて、それも風物詩かの?」


「おい……」


 そんな風物詩は嫌だと俺は思ってしまう。


「そういう人は、やっぱりいるのね……。うちの道場の門下生で笑い茸に当たって、一週間くらい笑い続けていた人がいたわね。稽古の間中もずっと笑っていて不気味だったわ」


「ボクの知り合いは、幻覚を見てそれと懸命に戦ってたね」


 キノコは大陸中で採れるので、平民やイーナとルイーゼの実家レベルやそれに近い家だと自分で採りに行く事が多い。

 無料で食べられるのはいいが、種類の判別に失敗して最悪死に至るのはこの世界でも同じなようだ。


「魔法で『キノコ鑑定』とか出来ないかな?」


 試しにマツタケに魔力を送ってみるが、何も起こらなかった。

 

「ヴェンデリンさん。まずはキノコの関する知識を得ないと、魔法での判別は難しいのでは?」


「確かにそうかもしれないな」


 俺は、カタリーナの意見に思わず納得してしまう。


「ミズホ伯国は、シイタケ、シメジ、ナメコ、マイタケなどは栽培技術が確立されているのでな。他のキノコと間違えて中毒になどならぬよ」


 キノコの人工栽培技術まで持っているとは、ミズホ伯国侮りがたしである。

 やはり俺は元が庶民なので、実はマツタケよりもシメジやマイタケの方が美味しいと思うからだ。

 シイタケは、これは干せば出汁として使える。

 購入はしてあるが、これも俺の食生活には必要であった。


「お魚。美味しい」


「サンマを焼いた物が美味しいなぁ」


 秋といえばサンマであろう。

 さすがはミズホ伯国とでも言うべきか。

 オロシ大根と、カボスらしき青いかんきつ類も一緒に付いていた。


「ヴェル様、これは付け合わせみたいな物?」


「付け合わせとは違うかな? オロシ大根はショウユをかけてから身と一緒に食べると脂っこさが抜けて美味しいし、この果物は絞って汁をかけるんだ。そうすると、これもサンマがサッパリとした風味で食べられる」


「さすがはヴェル様、よく勉強している」


 勉強しているというか、前から知っているだけであったが。

 

「なるほどそうやって食べるのであるか。妙に酸っぱいとは思ったのであるが……」


「導師、カボスをそのまま食べたのですか?」


「種も多いし、妙だとは思ったのだ」


 導師はカボスをそのまま食べてしまい、その酸っぱさで顔を萎めていた。

 

「だが、食えない事もないのである」


「ですが、無理にカボスを食べなくても……」


「あははっ、バウマイスター伯爵はミズホ文化の吸収が早いではないか。もしかしたら、前世はミズホ人かもしれないな」


 ミズホ上級伯爵は、宴会に出した料理を気に入って貰えて嬉しそうだ。

 こうして秋の夜更けに、俺達は一時内乱を忘れて楽しい時間を過ごしたのであった。





「様子見で攻め込んだら負けちゃった」


「いや、負けちゃったじゃないと思うが……」


 翌朝、両軍はゆっくりとクライム山脈に向かって包囲陣に加わろうとしたのだが、急用だとペーターから伝令が来て、急ぎ現地へ向かう羽目になっていた。

 ペーターがいる帝国軍本陣横に着陣してから挨拶に向かうと、新しい帝国軍首脳部は大慌てで全軍に指示を出していた。


 ギルベルトさん達も忙しいようで、俺達に軽く挨拶をしてから作業に没頭したままだ。


「あれ? 男爵様は?」


「負傷者が多いので、治癒魔法で救援に向かった」


 スラムの主であった男爵様は、ペーターから本当に男爵に任じられていた。

 今は法衣扱いで、スラムの住民有志を諸侯軍として率いている状態であったが、内乱が終われば、俺達が主を討伐した魔物の領域を領地として与えられる事になっている。


 結局彼は、自分がどこの貴族家の出かを話さなかった。

 相当に嫌な思い出があるのと、どうやらその実家はニュルンベルク公爵への過度の服従でペーターから改易されてしまったらしい。


 改易された途端に男爵様に家族がタカろうとしたらしく、彼は家族を元家族に認定して記憶から消去する事にしたようだ。


 本人が嫌がって話さないので、その辺の事情を知るのは本人とペーター達だけなのであろう。


「あなた、私も治療に向かいます」


「そうだな。頼む……。俺も行くか」


「私も軽傷者くらいならば」


「某も行くのである」


 四人で急ぎ負傷者の治療に当たる。

 負傷者の人数は多かったが、既に半分以上の治療を終えていたので俺達が助けに入ると一時間もしないで全負傷兵の治療は終わっていた。


 治療を終えて戻ると、ペーターが昨夜の軍事行動について説明してくれる。


「謎の地下遺跡を利用した地下要塞だからね。様子見で攻撃させたんだけど……」


 その地下要塞には、強固な牙が大量に設置されていた。

 例のドラゴンゴーレムが装備していた無属性のブレス魔法を吐く装置の小型版が各所に設置されていて、ギリギリまで引き寄せられた帝国軍はモロに反撃を食らってしまったらしい。


「死者は三千二百七十四名。負傷者は四千百十一名。泣けてくる損害さ」


「俺からは何とも」


 この地下要塞を落とせば内乱終結なので、これ以上は俺達に功績を挙げさせず帝国軍だけで対応するのは政治的には間違っていない。

 それに、俺達が攻め寄せたからといって勝てる保証も無いのだから。


「のうペーター殿、様子見にしては犠牲が多くないかの?」


「テレーゼ殿、そこは功名心に逸った貴族がいたというわけさ」


 後発で帝国軍に加わった貴族、元は反乱軍に組していた貴族達と、これが最後の戦いなのでペーターにいいところを見せて功績を稼ごうと無理をしてしまったようだ。

 前進を声高に叫んで、自分も戦死してしまった者も数名いたらしい。


「この地下遺跡は思ったよりも厄介なようだね」


「地元住民からの情報によると、元は古代魔法文明時代の巨大地下遺跡だったそうで」


 ペーターの傍に控えているエメラが、俺達に聞かせるように地下要塞の情報を開示していた。


「また古代魔法文明の遺産かよ」


 ブランタークさんが愚痴る。

 今までに、ニュルンベルク公爵が発掘した魔道具によって散々な目に遭って来たからであろう。


「魔法使い複数による火力集中で穴を空けて突入。この方法では駄目なのであるか?」


 導師の作戦は、一見大雑把に聞こえるが実は最も効率がいい。

 全軍で囲んで徐々に包囲を狭める作戦など、下手をすると余計に損害が増える可能性があるからだ。


「それがね。試したんだけど……」


 ペーターはエメラに視線を送る。

 現在の帝国では、彼女が一番多くの魔力を保有している魔法使いのはずだ。 

 その彼女と残っている帝国有数の魔法使い達が共同して、大規模魔法を地下遺跡に向けて発射したのだそうだ。


「それで、どうなったんです?」


「防がれちゃった」


「そんなバカな……」


 いくら内乱で魔法使いの数が減っているとはいえ、複数で攻撃して全くダメージを与えられないはずがない。

 ブランタークさんは、地下遺跡を守る『魔法障壁』のおかしさについて疑問を感じていた。


「試してみてよ。特にヴェンデリンに頼みたい」


「伯爵様、試そう。俺と導師とカタリーナの嬢ちゃんも協力する」


「わかりました」


 早速四人で地下遺跡のあるクライム山脈に向かう。

 どうやら相当な大軍で攻め寄せたようで、まだ回収されていない死体が散乱している。

 負傷者の収容を優先したのであろう。


「向こうは撃ってきませんわね」


「こちらも防げるから撃つだけ無駄だと思っているのかも」


 四人だけで麓に立っているのに、地下要塞側からは何の反応もなかった。

 こちらがしようとしている事を掴んで、『やれるものならやってみろ』とほくそ笑んでいるのかもしれない。


「四人でやっていきなり破れたらどうするんだろう?」


「それはペーター殿が考える仕事だな」


「左様、ただ四人で魔法を集中させればいいのである」


「私、火系統の魔法は少し苦手なのですが……」


 それでも四人共上級以上の魔力を持つ魔法使いだ。

 高密度に収束させた『火弾』を作り、それを四連続で同じ場所に命中させる。

 ヴィルマがレインボーアサルトの頭部を撃ち抜いたのと同じ戦法だ。


「いくら展開されている『魔法障壁』が強固でも、同じ場所に四連続で『高収束火弾』を食らえば……」


 と思ったのだが、『高収束火弾』は山脈の岩肌に命中する直前で突如発生した『魔法障壁』によって弾かれてしまう。

 

「ヴェンデリンさん、物凄く強固な『魔法障壁』ですわね」


「撤収だな」


「そうですわね」


 これ以上無理をして魔法を放っても魔力の無駄遣いであろう。

 俺達は、とっととペーターがいる本陣へと引き揚げた。


「あれ? 諦め早くない?」


「全然、あの『魔法障壁』を普通の魔法で破るのは無理」


「ヴェンデリンでも駄目かぁ……」


 俺はきっぱりと断言する。

 あそこまで強固な『魔法障壁』を張るには、何か特別な方法を使うしかない。

 ならばそれを破るには、何か特別な方法を用いるしかないのだ。


「大量の魔法使いを動員しただけじゃないの?」


「いや、それだと効率が悪い」


 いつ攻撃されてもいいように、二十四時間常に監視を行う必要があるからだ。

 

「ああ、そうか。監視だけじゃなくて常に魔法発動の準備をしないとね。物凄く非効率だ」


「だから、何かしらの手を使っているはずなんだ」


 『移動』のキャンセルと『通信』の遮断する装置に、師匠の木偶を発生させる装置もあった。

 これは地下遺跡から発掘された古代魔法文明時代の遺産だと聞いたので、これと同じような発掘品の数々を利用して地下要塞を守っているのであろう。


「古代魔法文明時代の遺産か。俺達はよく関わるよなぁ」


 俺達の冒険者デビューに付き合ってドラゴンゴーレム二体と戦闘を行い、ヘルタニア渓谷でもゴーレム軍団と戦って、この内乱でも自爆型ゴーレムを戦っている。

 魔道具職人でもないブランタークさんからすれば、昔の魔道具には関わりたくないのであろう。


「ヴェンデリンは、何か方法を思いついたのかな?」


「思いついたというか、結局は強固な『魔法障壁』を打ち破るしかないわけで」


「それはそうなんだけど、その方法が問題なんだよ」


 魔力量がトップ3に入る俺、導師、カタリーナで魔法をぶっ放したのに、『魔法障壁』はビクともしなかったのだ。

 何か特別な手を使わないとこれを討ち破るのは難しいであろう。


「多少準備に時間はかかるけど、手がない事もない」


「教えて。教えて」


 俺は、そっとペーターに耳打ちをするのであった。





「勇猛果敢なニュルンベルク公爵もーーー。遂には防戦一方なのであるなーーー」


「お前は常に発言が失礼だな」


「全て事実なのであるな」


 ここは地下遺跡を利用して作られた地下要塞の最深部で、俺ニュルンベルク公爵の他は誰も入れない決まりになっているこの地下要塞の中心部だ。

 とはいえ、この部屋には特に重要なものはない。


 ただ、大量の本や資料、これまでに使用した発掘品のレポートを読みながら魔族が椅子に座って寛いでいるだけだ。

 

「吸着魔法陣の改良型は大成功であるな」


 地下要塞に装備されたブレス発射装置、強固な『魔法障壁』、『移動』と『通信』を阻害するキャンセラーの維持は、全てこの魔族の魔力を用いて行われている。

 この部屋の天井と壁に魔力を吸収する魔法陣が書かれていて、この魔族から吸収した魔力が地下要塞の維持に使われる仕組みだ。


 この魔族のおかげで、帝国軍の連中は手も足も出ずに一方的に叩かれたというわけだ。

 

 俺も見ていたがその力は圧倒的で、気に食わないがこいつがいれば我々は十年は立て籠もれるはず。


 十年ひと昔ともいう。

 占領した我がニュルンベルク公爵領の領民達もそう簡単には懐かないはずだし、内政・外交で失敗して俺に出番が訪れる可能性もある。

 

 今は盤石のヘルムート王国でも、何か混乱が起こるかもしれない。

 この世に、何の影響も及ぼさない出来事などないのだ。


 あのバウマイスター伯爵は、今回の帝国内乱で他者を圧倒する戦果を挙げた。

 彼が王国に戻るだけで、あの国には混乱が発生する可能性がある。


 あの澄ました名君面をしたヘルムート三十七世や、その目立たない王太子がバウマイスター伯爵に嫉妬して排除を目論む可能性があった。

 

 それに、あのバウマイスター伯爵の事だ。

 素直に粛清などされまい。

 本人が混乱の拡大を望まなくても、周囲が彼を守ろうと王国に盾突く可能性がある。

 そこまで事態が進めば、さすがにバウマイスター伯爵でも反旗を翻す覚悟をするであろう。

 あの男とて、若くして死にたくないはず。

 そう、守っていれば俺にも再びチャンスが巡ってくるのだ。


「色々と小賢しく、政治的な思案に耽っているのであるな」


「まあな。俺は小者だから、色々と考えないと生き残れないのだ。お前はなぜ俺を助ける?」


「我が輩が発掘後に修理した様々な古代魔法文明の遺産を、貴殿は実戦に使ってレポートなども貰ったからであるな。分析や、他の発掘品のメンテに研究、この地下遺跡にはまだ調べていない場所も沢山あるのであるな。それをしていれば、十年の月日などあっという間なのであるな」


 俺のためではなく、あくまでも考古学者である自分の知識欲を満たすためか。

 いや、こいつは上手く誤魔化しているが、実は魔族の国に情報を流して大陸進出派と手を繋いでいるのかもしれない。


 今のところは外部との連絡は取っていないようだが、この魔族相手に油断などあり得ない。


「このまま何も無ければ何年でも籠城可能ではあるが、敵もさる者、何か考えているのでは?と、我が輩は愚考するのであるな」


「考えているだろうな」


 ただ、今は強固な『魔法障壁』で時間を稼げている。

 この間に、共に籠る家臣と兵達に、その家族が長期間の籠城で士気を落とさない体制作りが最優先だ。

 それには、この地下遺跡をもっと改築してこの中に日常を作るのが一番であろう。


「結局のところは、我が精鋭が細かな変化にも上手く気がつき対応すれば大半の難事は防げる。今は、地下町の建設が最優先だ」


「長期間籠るのに、日常を創設するのであるな。しかしながら、よくこんな無謀な籠城について来たのであるな」


 大きなお世話だ、この魔族が。

 俺がこの兵団を作るのにどれだけ苦労したと思うのだ。


 まあ、この魔族はムカつくが使える。

 利用し尽して、今は籠城に備えるとしよう。





「なるほど、強力な魔砲を用いてその『魔法障壁』を破るのだな」


「ええ。そのためには、ミズホ上級伯爵とカネサダさんの力が必要です」


「私は、刀鍛冶で得た技術を新型魔砲に用いれば良いわけか」


「はい。今回の魔砲はとてつもない大きさで、大量の魔力を篭めて発射した特殊砲弾の打ち出しで砲身が割れるのを防ぎたいので」


「うーーーん。確かに難事だな」


 俺がペーターに示した案は単純明快だ。

 『魔法障壁』が強固ならば、それよりも強い威力の砲で打ち破ればいいじゃないという作戦であった。


 ヒントは、ヴィルマがレインボーアサルトを狙撃した時に利用した巨大な狙撃銃である。

 今回はそこまで照準精度に拘らなくてもよく、要は膨大な魔力で砲弾を発射した時に割れない砲身を作るのが一番の難事という事になっている。


 この手の金属加工技術は、他のファンタジーな世界ならドワーフさんがいるのかもしれないが、この世界にはいないので技術力のあるミズホ人に任せるのが一番というわけだ。


「ミズホ上級伯爵殿、ヴェンデリンの要求に応えられそうな魔砲はあるのかな?」


「一応設計図だけは……これです」


 ミズホ上級伯爵は、ペーターに一枚の設計図を見せる。

 その設計図には、かなり巨大な魔砲が詳細に描かれていた。


「これを本当に作るの?」


「このくらい大きくないと、計算上では例の『魔法障壁』を破れません」


「こんなに大きな大砲で弾を撃ち出すと、最悪砲身が爆発しない?」


「します。この試作品の試験で、過去には死者も出ていますので。発射時の衝撃に耐えられずに砲身が破裂して職人に犠牲が……」


「大丈夫なの?」


「バウマイスター伯爵には解決案があるそうですよ」


「ヴェンデリンは、金属加工の魔法も使えるのかな?」


 これ以上悩んでいても仕方が無い。

 今は、『魔法障壁』を破るためにこの魔砲を作るのが先決だ。


「あの『魔法障壁』を破れないと攻め入れないから任せるよ」


 ペーターの許可も得たので、俺はミズホ上級伯爵と協力して巨大な魔砲の製造に取り掛かるのであった。





「不可能だと言われた巨大な魔砲、不足する砲身の強度を得るための金属素材、正確に真っ直ぐ砲口を切削する方法、巨大な特殊砲弾の製造、砲弾を飛ばす魔力を蓄える魔晶石の連結と、周辺装置の開発。多くの困難が男達を襲うが、彼らはそれを乗り越えていく」


「ヴェル。正しいとは思うけど、どうして言い方がわざとらしいんだ?」


 早速『大魔砲』の製造に入るので、前世で子供の頃に見た某○ロジェクトX風のナレーションにしてみたのだが、そんなものは知らないエルには不評であった。

 これは、放送するに値する難事だと思うのだが。


「ただ、この大魔砲製造の困難さがよくわかるのは確かだな」


 ミズホ上級伯爵は、俺のナレーション風の発言に納得するように首を縦に振っていた。


「まず最初の困難は、砲身の素材である金属の加工だな」


 カネサダさんは、早速第一の問題を口にする。


「丈夫な金属を作るですよね?」


「エルヴィン殿、ただ丈夫な金属ならば全部オリハルコン製にすればいいわけだが」


「いや、そんなにオリハルコンを集められないでしょう」


 設計図によると、砲身だけで直径が一メートル近くある。

 砲身の長さは二十メートルほどで、これを全てオリハルコンで作る事は不可能であった。

 大陸中のオリハルコンを全て集めても、量が不足しているのだから当然であろう。


「それで、どうするんですか?」


「合金を作る」


「合金?」


「高品質の鋼を造り、それに微量のミスリルとオリハルコンを混ぜるわけだ」


 ミズホ上級伯爵は、エルに強度の高い合金の作り方を説明する。


「そこで、カネサダさんの経験と知識が生きるのですね」


「いや、エルヴィン殿に評価して貰えるのは光栄だが、私には無理だな」


 肝心のカネサダさんは、その合金作りではあまり役に立たないと断言する。


「幾つか問題があってな。まず、合金の強度を均一化するために鋼も均一した強度が必要だし、ミスリルとオリハルコンを混ぜる時にも材料に偏りが出てはいけない」


 刀一本分ならともかく、巨大な魔砲の砲身である。

 これの材料を均一に鋳溶かしてスを作ってはならず、刀一本分の素材ならともかく通常の作り方ではそこまで巨大な鋳物を作る技術はないそうだ。


「えっ? じゃあどうするんですか?」


「バウマイスター伯爵なら作れるであろうな」


「確かにそれはあるかも」


 エルが俺に視線を送る。

 集めた金属で純度の高いインゴットを魔法で作れるし、磁器作りでも粘土の成分調整を魔法で行った。

 合金の成分調整も、やったことはないが出来なくもないと思う。


「初めての試みだから、まずは練習しないと……」


 俺は杖を取り出してから、大量の鉄素材を鋼に変えるところから始める。

 確か、丈夫で粘りのある鋼には少量の各種金属類が混じっていて、それはタングステンだったり、クロムとかニッケルであったと思う。


 鉄材と一緒に鉱石の類も置いてあって、それを『探知』で探ると微量ではあるが採取できた。

 合金の素材なので、それほど量はいらないはずだ。

 あとは炭素、これも混じっていたはずだが、日本の鉄鋼メーカーは特殊鋼の配分比率を公表していない。

 企業秘密なので当然だが、おかげでどの程度混ぜればいいのかわからない。


 更に、それに加えてオリハルコンとミスリルまで混ぜるのだ。

 地球にこの二つの金属は存在しないので、正直どうやって配合比率を知ろうか迷ってしまう。


「一応、大昔の文献があるのだが……」

 

 ミズホ上級伯爵が見せてくれた文献の一部には、古代魔法文明時代にミズホ人の先祖が製造した鋼よりも頑丈な特殊合金の配合比率が書かれていた。


「失伝している技術だな。その配合率通りに作っても、なぜか成功しないのでな」


 それはそうであろう。

 特殊な炉でも使えば可能であろうが、魔力燃料の反射炉に毛が生えたような炉では鉄に不純物が混じって成功するはずがない。

 材料を均等に混ぜるという条件も、成功を阻害している。

 もし完成しても、少しでもスが入れば強度不足で使えなくなるであろう。


「バウマイスター伯爵、大丈夫かな?」


「試行錯誤します」


 とにかく魔法で極力鉄から不純物を抜き、その重さを計って他の金属の配合率を決める。


「というか、成功の基準がよくわからないんだけど」


 帝国の所有する貴重なオリハルコンとミスリルを持参したペーターが、もっともな質問をミズホ上級伯爵にしていた。


「文献には、鋼、オリハルコン、ミスリルが決められた分配比で加減よく均等に混じると、一瞬だけ青白い光が発生する。この状態で製造された合金を『極限鋼』と呼び、多目的な物の材料として最高の性能を発揮すると書かれておりますな」


「成功の目安があるのなら安心だ。失敗の度に、貴重なオリハルコンとミスリルを供出させられるのかと思った」


「いや、材料はもうこれ以上は使わないさ」


 炉で作るとなれば失敗もあるが、魔法で製錬する以上は失敗してもまたやり直せばいい。

 それに、オリハルコンとミスリルは鋼の重量に比例した量だけでいい。

 それよりも問題なのは、古代魔法文明時代でもタングステン、炭素、クロム、ニッケルなどの認知度が低く、材料の鋼にどれだけ含めればいいのか文献に書かれていないのだ。


「(その辺は全部試行錯誤だよなぁ)」


 繰り返し、配合比率を細かく変えて何千・何万通りも試行錯誤する必要があるであろう。


「こんな複雑な合金の配合試験を一日中ですか。私には不可能ですわ」


 様子を見に来たカタリーナが、話を聞いただけで諦めてしまった。

 彼女も鉄くらいは収集して現金にしていたそうだが、あまり品質がよくなく高く買ってもらえなかったそうだ。


 魔法使いによる鉄などの収集は、個人によって品質に差が出る。

 不純物の方が多くて鉄鉱石よりもマシ程度の値段でしか買い取って貰えない人や、師匠のように出身孤児院の財政を支えられるレベルの人もいる。


 いかに、自分に合ったイメージで不純物を取り除くかがポイントなのだ。

 俺の場合は、なるべく鉄の原子が理路整然と並び他の原子を外部に排出するイメージでやっている。

 他の金属も同じで、だから俺の作る金属インゴットは品質がよかった。

 こうなると、学生時代の授業も役に立ったというわけだ。


「ヴェンデリンさんは、地味にこういう魔法が得意ですわね」


「あーーーはっは! 伊達に未開地で一人修行はしていないさ」


「修行にはなったのでしょうが、なぜかあまり凄いとは思えませんわね……」


 カタリーナがそう思う理由は簡単だ。

 俺と同じで、ボッチよりも子弟ネットワークが凄いブランタークさんの方が凄いと感じてしまうからだ。


「ブランタークさんは、今日も先生役を?」


「ええ」


 彼ほど指導が上手な魔法使いはそういない。

 そのせいか、ペーターの頼みで大量の新人魔法使いの面倒を見ていた。

 ある程度熟練した帝国の魔法使いが内乱で消耗したので、その補充のために下は七~八歳から上でも十二~三歳の魔法使いの卵達が集められ、帝国軍内で下働きをしながらブランタークさんが指導を続けていた。


『この中に、第二のバウマイスター伯爵がいるといいのである!』


『導師、あまりに無茶な修行は駄目だからな!』


『なぜであるか? この年齢の頃にはバウマイスター伯爵は……』


『伯爵様は、滅多にいない例だからだな』


 彼らの指導に最近は暇そうな導師も加わり、俺と同じように鍛えようとしてブランタークさんから釘を刺されているそうだが。


「配合比率を百分の一パーセント単位でズラしていって、大量の配合パターンを虱潰しにしていく」


「それが可能なのは、魔力が多いヴェンデリンさんだけですわね」


 既に大まかな配合と成形は終わっている。

 ミズホ上級伯爵が準備した石製の特殊な台の上に、直径一メートル、長さ二十メートルの砲身が乗っかっていた。


「それにスを作らないように、金属を均等に配分するイメージを忘れないようにしながら配合比を少しづつ変えていく……」


 同じ作業の繰り返しというか、見た目には両手に杖を持ちながら砲身の素材に魔法を連続してかけているだけである。

 一日中なので、夕方には大半の魔力を使い果たして寝るだけであった。


「根気よく続けるわね」


「ボクには一番向かないタイプのお仕事だね」


 翌日のお昼、エリーゼからのお使いで昼食を持参したイーナとルイーゼは、砲身の前に座る俺に話しかけてくる。


「配合パターンはその気になれば無限大にあるからな。多少の許容範囲はあるはずだ。でなければ、いくら古代魔法文明時代でも製造できるはずがない」


 許容範囲内に入れば、砲身は一瞬だけ青白く光る。

 俺はそれを目指して根気よく魔法で成分調整を続けていくだけだ。


「もしかして、前に戦ったアルフレッドさんの影響もあるの?」


「あるな」


 一見地味だが、この魔法を繰り返すと前に師匠に言われた『コントロールの雑さ』を直す練習になる。

 師匠よりも遥かに大量の魔力を持ちながら苦戦した俺に対する試練とも言える。


「でも、ブランタークさんが言っていたわよ。いくら天才のアルフレッドさんでも、今のヴェルくらいの年齢の時は全然大した事はなかったって」


「自分も、アルフレッドさんに同じ注意をしたんだって」


 魔力の多さで注目はされていたが、やはり若い魔法使いは魔法のコントロールが甘くなる。

 当時はブランタークさんも若手だったので、年嵩の魔法使いから同じような注意を受けたのかもしれなかった。


「どちらにしても、これは完成させないと地下要塞に侵入できないから。俺はただ挑むのみさ」


 今は、とにかく砲身の素材を完成させるだけだ。

 ただそれだけで、毎日を過ごしていく。


「ヴェル様、お弁当」


「ありがとう、ヴィルマが発射・照準担当だって聞いたけど」


「レインボーアサルト討伐の実績を買われて」


「そうか、頑張れよ」


「うん、頑張る」


 大砲と同じ扱いの魔砲なので細かな照準は必要ないのだが、大型の試作型狙撃魔銃での経験と、それを使った時に同じ場所に二度も銃弾を当てた実績を買われたそうだ。


「砲架や発射装置周りの製造も始まっている」


 この大魔砲の運用には、多くの周辺装置が必要だ。

 砲を支える強固な砲架に、照準機、発射装置、膨大な魔力を溜めておく魔晶石、これは一つでは間に合わないので複数を連結するそうだ。

 ヘルムート王国では、巨大魔導飛行船に用いようとして失敗した技術なのでこれも困難が予想された。


 他にも、高性能の冷却装置が必要となる。


「ヴェル様が作った、弾の研磨も始まっている」


 これも、タングステンなどで製造していたが、俺の成形だとまだ凸凹や大きさに差があるようで、複数の職人が丁寧に研磨をかけている状態だ。


 このように、大魔砲造りには多くの人達が関わっている。

 なので、失敗は許されなかった。


「ルイーゼも動員されるんだっけ?」


「補助魔力供給係としてね。ボクにも頑張れと言わないと駄目だよ」


「ルイーゼも頑張れよ」


 ルイーゼは、ヘルタニア渓谷でのロックギガントゴーレム戦で自分の魔力量の数倍もの魔力を拳に込めて技を放った。

 その特技を生かし、魔晶石経由での魔力供給を補佐する役目を負っていた。


「訓練で変な線をもって立っているけど、実はあまり苦労もしてないね」


 他の魔法使いが魔力を溜めた魔晶石を用いて拳に限界まで魔力を溜め、それを謎のコードで大魔砲に送り込む。

 連結魔晶石からの魔力と合わせて、大量の魔力を一気に爆発させて大口径の特殊砲弾を撃ち出すというわけだ。


 当然、普通の魔砲の砲身素材では破裂してしまう。

 俺が作る『極限鋼』の出来にかかっているというわけだ。


「ヴェル様も頑張って」


「頑張ってね」


「おう頑張るぜ」


 それから一週間、細かい配合比率の調整は進んでいたが、なかなか砲身は青白く光らない。

 近くでは、段々と砲架や周辺装置が形になっていた。


「あなた、大丈夫ですか?」


「古代に失われたオーパーツの再現とは、ヴェンデリンも大変じゃの」


 今日は、エリーゼとテレーゼが弁当を持って姿を現していた。


「エリーゼは、救護所は大丈夫なのか?」


「はい。最近は戦闘も無いのでそこまで忙しくないですから」


 地下要塞が強固な『魔法障壁』で覆われているので、ただ周囲を包囲しているだけで戦闘などない。

 たまにニュルンベルク公爵の支援者や密偵が侵入を試みて、小規模な戦闘が発生するだけだそうだ。


「その程度なら、帝国の魔法使いでも何とかなるからの。それに……」


「それに何です?」


「若い兵士達が、エリーゼの治療目当てにわざと擦り傷やら切り傷を作ってきおっての」


 聖女様に治療されたいと、わざと傷を作って救護所に並ぶ事態になったそうだ。

 

「気持ちはわかるけど……」


「気持ちはわかるか。ペーター殿も同じ事を言っておったの」


 俺と同じ年の男なので、綺麗なエリーゼに治療されたいという気持ちはわかるらしい。

 だが、貴重な魔力の無駄遣いになるので、『その程度の怪我で救護所に並ぶな!』という通達を出したそうだ。


 救護所には、ニュルンベルク公爵領への宣撫活動もかねて、地元住民には無料で治療を行うと宣伝している。

 彼らへの治療が、わざと怪我をした兵士達によって邪魔をされては堪らないというわけだ。


「あとは、導師も激怒しての」


『我が姪に邪な感情を抱くとは! そんなに怪我をするのであれば、某が治してやるのである!』


 わざと傷作って来た連中は、全員導師に抱き付かれて地獄を見たそうだ。


「そんなわけで、意外と平穏じゃの。ヴェンデリンが大魔砲の素材を完成させないと、戦況が動かぬ」


「平穏ですけど、大規模動員をしている帝国軍の方が痛手ですね」


「エリーゼの言う通りじゃな。軍は動員しているだけで金と食料を消費するからの」


 ニュルンベルク公爵は、帝都から奪った財宝と食料を抱えて強固な『魔法障壁』に守られて籠城戦をしている。 

 間違いなく、時間を稼いで帝国側の消耗を待っているのであろう。


「懲罰で兵を出しているような貴族に不満が溜まると危険ですか」


「ニュルンベルク公爵と示し合わせて、夜襲でもかけられたら大変じゃ」


 そんなわけで、俺は急いでこの大魔砲の素材を完成させないといけないのだ。


「もう四万五千七百八十二回目ですけどね」


 ある金属含有率の百分の一パーセントの増減、こんなパターンを根気よく丁寧に続けている。

 果たして答えはいつ見つかるのか?

 正直少し飽きてきたところであったが、ある組み合わせで砲身の素材を再構成すると一瞬だけ砲身が青白く光った。


「やった! 成功した!」


「あなた、やりましたね」


「やったーーー!」


 古代魔法文明時代に失われた合金の完成に、俺はつい嬉しくて二人に同時に抱きついていた。


「これは予想外……じゃが悪くないの」


 俺に抱きつかれたテレーゼは、満更でもない顔をしていた。

 だが、彼女はやはり生まれ持った大貴族である。

 すぐに真面目な顔になり、俺に小声で耳打ちする。


「今の炉では製錬できない失われた合金か。ヴェンデリンクラスの魔法の精密さが必要じゃが、詳しい含有比率がわかれば、全く出来ないわけでもないか」


「テレーゼさん?」


「これから世話になるからの。そなたの夫に忠告じゃよ」


 テレーゼは、そっと俺に小声で話しかける。


「その合金の含有比率は、ペーター殿やミズホ上級伯爵に漏らすなよ。その合金の製造で、そなたの子孫代々が飯を食えるかもしれぬ」


「ミズホ上級伯爵には、古い資料を見せて貰った恩がありますけど」


「鋼の条件付けが曖昧な資料じゃ。でなければ、ヴェンデリンが何日も試行錯誤するはずがない。鋼に交じっている他の金属の含有率を秘密にして、『資料通りでした。ありがとうございます』だけ言っておけ。お礼は丁寧にの。何しろ、ヴェンデリンは大貴族じゃからの」


 テレーゼの忠告は、まさに大貴族に相応しいものであった。


「どうせ、お礼を言うどころではないがの」


 確かに、『極限鋼』の配合比率は複雑であった。

 オリハルコンとミスリルは資料通りに混ぜておけば問題ない。

 だが鋼には、クロム、ニッケル、ケイ素、タングステン、炭素などが混じっている。

 この配合比率が書いておらず、俺は何日も試行錯誤する羽目になったのだ。


「ヴェンデリン、成功したって?」


「遂に、古代魔法文明時代の万能金属『極限鋼』が!」


 ペーターとミズホ上級伯爵が転がるように飛び込んでくるが、すぐにテレーゼの予想どおりの発言をする。


「それで、『極限鋼』の詳細な配合比率は? やっぱり、我々が認知していない金属とかがあるのかな?」


「バウマイスター伯爵、その配合比を五千万リョウで売ってくれないか」


 純オリハルコンと純ミスリルよりは強度が低いが、兵器にも使用可能な『極限鋼』の製造方法を手に入れようと俺に押し寄せてきたのだ。


「ヴェンデリン、売ってくれないかな?」


「オリハルコンとミスリルの配合比の資料を出したのはうちだから、教えてくれると嬉しいのだがな」


 テレーゼの予想どおりであった。

 『極限鋼』の強度があれば、高性能な魔銃や魔砲のみならず、従来の武器や防具も簡単に強化可能であったからだ。


「いや、こういう技術は秘密なので」


「ええーーーっ! 売って欲しいな」


「通商の便宜ならいくらでも検討するぞ」


「はあ……」


 あまりの迫力に、俺は先にテレーゼから釘を刺されていてよかったと思っていた。

 でなければ、強い押しに負けて『はい』と言ってしまうところであったからだ。


「大魔砲の完成と運用が成功したら改めて交渉しよう」


「バウマイスター伯爵、また大量に高級食材を持ってくるからな」


 何とか『極限鋼』の配合比を手に入れようとする二人を見送っていると、テレーゼが意味ありげな笑顔を浮かべながら俺に言う。


「皇族だの、大物貴族だのは本当に大変よな。引退できてよかったと思うわ」


 俺は、思わずテレーゼの発言に納得したかのように首を縦にふってしまうのであった。





「砲身素材が完成したならば、そこに砲口を彫る私の仕事だな」


 完成した砲身素材の前で、カネサダさんが気合を入れた格好で現れる。

 新しい作務衣に着替え、後ろに立つ二名の弟子が三方の上に塩とお供えを載せて彼に従っていた。

 

「この砲身の素材は一本のみ。失敗しても作り直せばいいのであろうが、初めからそれを考えていたのでは成功も難しい。素材は一本しかないつもりで進める」


 カネサダさんは、完成した砲身の前で一礼してから弟子達に三方の上に載った品を砲身の前に供えさせる。

 そしてすぐに、砲身の中心点を探す作業を始めていた。

 これをしくじると、砲身を切削する作業に失敗してしまう。

 工作機械などないので、彫るのは全て手作業だから、失敗するとますます完成に遠ざかる。


 失敗すれば切腹くらいの気持ちで、砲身の中心部を探っているようだ。

 彼の緊張感がこちらにまでビシビシと伝わっていた。


「ここだな」


 カネサダさんが中心点に印を付けると、今度は後ろに立つ弟子から大型のノミとハンマーを受けとりその体からは想像もつかないパワーとスピードで削り始める。


「ええっ! 手で削るの?」


 工作機械とは言わないが、何か魔道具を使って削るのかと思ったのに、まさか手でノミを振るって削るとは……。


 しかも、カネサダさんの本職は刀鍛冶のはずなのに。

 

 俺は、超一流のミズホ職人の凄さを肌で感じていた。


「しかも、あの砲身は『極限鋼』なのに」


 オールオリハルコン製よりは劣るが、鋼よりも圧倒的に硬度が上の素材なのだ。

 それを削るとは……と思ってノミを見ると、それはオリハルコン製であった。


「魔砲の砲口を削る工作魔道具はあるのですが、『極限鋼』ですと強度不足でして……」


 補助をしている弟子の一人がそっと俺に事情を説明してくれる。


「手で削るとなると、師匠にしか出来ません」


 カネサダさんは、刀鍛冶だけではなく金属成形の名人でもあるそうだ。

 ノミ一本で、この大砲身を削るというのだから凄い。


「どのくらいかかるのですか?」


「そうですね。師匠は二週間を予定しています」


 エリーゼの問いに、若い弟子は答える。

 同時に照準機、魔晶石連結装置、冷却装置などの製造と設置もあるし、最終的には完成した砲身との組立作業もある。

 大魔砲自体の完成は三週間後を予定していると、その若い弟子は説明していた。


「カネサダさん、大変そうだな」


 一度も削り間違えが許されない条件下で、カネサダさんは一心不乱にノミとハンマーを下ろし続ける。

 大まかに終わった場所を、もう一人の弟子が『極限鋼』で作ったノミで削って加工面を綺麗にしていく。


 もうすぐ冬なのに二人は滝のような汗をかき、時おり塩を舐めながら水を飲んでいた。

 

「大変であるな」


 様子を見に来た導師が、カネサダさんを見ながら呟く。

 

「完全な手作業だからな」


 ブランタークさんも姿を見せるが、彼は周辺装置を製造している職人達の様子を見て来たらしい。

 俺に、進捗状況を教えてくれる。


「照準機はそれほどの精度は必要ないし、大型だから順調だそうだ。冷却装置も、ヴィルマの嬢ちゃんが使った大型狙撃魔銃のものを改良しているから問題はない。一番梃子摺っているのは魔晶石の連結だな」


 帝国の所有していた大型魔晶石の大半は、今はニュルンベルク公爵が地下要塞内に持ち去っている。

 強固な『魔法障壁』を含む地下要塞の保持に使われている可能性も高く、これを討ち破るためにペーターは準備できる限りの魔晶石を集めていた。

 これに魔力を満タンに入れ、全て繋いで一気に砲弾を撃ち出すというわけだ。


「やはり、王国が失敗したのと同じ連結部の加熱に悩んでいるようだが、これは期限までに何とかするそうだ」


「補助のルイーゼは?」


「こっちは、ルイーゼの嬢ちゃんが順調だから問題ない」


 ルイーゼの自身の数倍の魔力を拳に溜めて撃ち出す技を応用し、拳に溜めた魔力を導線で送り出して補助動力にする。

 技術的には、魔力を伝達する導線を作るのに少し苦労しただけで、ルイーゼ自身はもう本番まで仕事はないそうだ。


「原理は簡単なのに大変であるな」


 砲身は『極限鋼』製ではあるが、弾は前装式でライフリングなども削っていない。

 新式の魔砲と魔銃には彫られているのだが、無くても計算上は威力に問題ないと今回は見送られていた。


 後装式にしたが、強度不足で砲身が爆発した。

 ライフリングの切削に失敗して、砲身を駄目にしたというリスクを避けたのだと思われる。


「ヴェル、お昼御飯よ」


「わかった」


 カネサダさんがおにぎりを食べ始めたところで、俺達にもイーナが食事だと呼びにきていた。


「そんなにする事はないですけど、魔力の補充で疲れますわね」


 みんなで昼食を食べていると、大魔砲で使用する大量の魔晶石に魔力を補充しているカタリーナが少し退屈そうだ。

 魔力を補充すると、他の魔法関連の仕事がほとんど出来なくなってしまうからだ。


「それは、俺達も同じだし」


 大魔砲製造における砲身素材製造を終えた俺も、あとは残りの魔力を魔晶石に込める作業のみを行っていた。


 あとは、イーナやエリーゼと共に王国軍組に関わる書類の整理だ。


「最近、やっと書類仕事に慣れたな」


「そうかな? ハルカが半分以上やってない?」


「それでも、前よりは出来るようになったぞ」


 ルイーゼからの指摘に、エルは億面もなく答える。

 確かに、以前に比べれば相当な進歩であった。

 

「大魔砲を打ち込んで『魔法障壁』を破壊するんだよな?」


「そうだけど」


「一度壊しても、すぐに『魔法障壁』が復活しないのか?」


 事情に詳しくない人でこういう疑問を感じている人は多いのだが、ちゃんとそれについてはペーターも考えている。


「あの強度の『魔法障壁』が破られ、それをまた張るとなると膨大な魔力が必要となるからな」


 それに、大魔砲は連射ができるように準備している。

 発射して『魔法障壁』を破り、新たにニュルンベルク公爵が張らせた『魔法障壁』をまた破壊する。

 この繰り返しで大量の魔力を消耗させて、遂には『魔法障壁』を張れない状態にしてしまうわけだ。


「あの質量と強度の弾が命中するんだ。地下要塞にも被害が出る」


 『魔法障壁』が張れなくなる頃には、山腹とその下の地下要塞施設はズタズタのはずだ。

 防衛側も混乱するはずで、その隙に全軍で突入という作戦になっている。


「その際には、俺達も突入するからな」


「俺が指揮する部隊と共にだろう? フィリップさんから聞いたよ」


 エルとハルカが指揮する王国軍組千名ほどと、ブランタークさん、導師、エリーゼ達も同行する。

 標的はニュルンベルク公爵ではない。

 あんな反乱者のクビなど、ペーターに任せておけばいいのだ。


 それよりも、あの装置の破壊をしなければならない。

 それも、二度と再生不可能なぐらいにバラバラにだ。


「俺も装置の破壊には賛成だな」


「どうしてそう思うんだ?」


「内乱を起こしたニュルンベルク公爵は役に立っていると思っているけど、互いに足ばかり引っ張られて、かえって損をしていないか? あの装置」


「実際、エルの言う通りなんだよな」


 クーデターを起こした当初に、標的を混乱させたくらいであろう。

 あとは、どの勢力も損ばかりしてるように俺も思うのだ。


「ニュルンベルク公爵の軍勢の大半は侵入する帝国軍の相手で忙しいだろうし、俺達と千人もいれば十分だろう」


「そうだな。必ずしも大軍が有利という場所でもないし。ハルカさんも手助けしてくれるから大丈夫だろう」


 エルが微妙にノロけているような気がするが、何より先にあの装置を破壊したい。

 下手に残っていると、ペーターが変な欲をかく可能性があるからだ。


「ミズホ上級伯爵もだな。装置の回収を狙うかも」


「それはありますね。使えるかはともかく……」


「研究用の素材としては欲しいでしょうからね」


 ハルカとタケオミさんは、その口調からミズホ伯国には装置が渡らない方がいいと思っているようだ。


「『ミズホ伯国のために装置の確保を!』とかはないの?」


「いえ。あんな装置を持っていたら、帝国ばかりか王国にも目を付けられてしまうので」


 ハルカは、あの装置を厄介のタネだと思っているようだ。


「私は、他の重臣の方々から完全破壊を確認するように言われています。魔法技術研究のための資料なら、他にも一杯地下要塞から出てくるでしょうし」


 そんなわけで、ミズホ伯国の妨害はないようだ。


「ヴェンデリン、今戻ったぞ」


 そして、いつの間にかどこかに行っていたテレーゼも戻ってくる。


「テレーゼさんは、どこに行っていたのですか?」


「少し、ペーター殿と相談じゃ。例の装置についてな」


 テレーゼの返答に、エリーゼ以下全員の視線が集まる。


「妙に見られておるの」


「あの装置をペーターが欲しがっている?」


「うん? ヴィルマもそう考えたか。念のためにペーター殿に相談に行ったのだがな。彼もいらぬと言っておったぞ」


 理由は幾つかあるようだ。


 まずは、帝国は内乱で疲弊した。

 王国との争いは暫く避けたいところだが、あの装置を確保している事が知られると王国に出兵論が出て来る可能性がある。


「その装置を量産されて、戦争に使われるかもしれない。王国北部を混乱させた装置を堂々と保持している帝国は危険だ」


「そんなところじゃの。それを出兵の理由にされてはかなわぬ」


 次は、やはりあの装置の性能自体が原因となっている。


「敵だけ『移動』・『通信』魔法を無効化できるなら有用じゃが、そんな事は古代魔法文明時代でも不可能じゃった。膨大な魔力を使うようだし、ペーター殿に言わせると何のためにあるのかわからないそうじゃ。下手に将来の有効活用のためとか言い始める輩が増える前に、王国貴族であるヴェンデリン自ら破壊した方が、のちの交渉でもよい材料になるであろうな」


「そう言われるとそうかもしれない」


 とはいえ、今はあの装置に一番乗りして木っ端みじんに破壊するのみだ。

 戦争にまでなった両国の講和は、これはうちの陛下とペーターに任せればいいであろう。


「それにしても、テレーゼはそういう事を考えつくのが早いな」


「元フィリップ公爵じゃからの。妾は戦後にはバウマイスター伯爵領で悠々自適の日々だし、その前にお世話になる人のためにひと仕事というわけじゃの」


 テレーゼは軽く言うが、この手の交渉になるとエリーゼでも不可能であった。

 もしペーターがいなければ、やはり彼女が女帝だったのであろう。


「ペーター殿は、能力もやる気もある。妾は、能力はともかくやる気は薄かった。それだけの事じゃ。気にするな、ヴェンデリン」


 大魔砲製造開始から一か月後、遂にその巨大な魔砲は完成していた。

 砲身の先は地下要塞に向かい、周りは多くの職人と技術者で賑わっている。


 これを可能な限り発射してから、いよいよ全軍による突入作戦が始まるのだ。


「さて、完成した大魔砲はどんな音を奏でるかの」


 ミズホ上級伯爵による発射準備の命令が下り、いよいよ帝国内乱はクライマックスを迎える事となる。

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