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第九十一話 これは偽善か、奉仕活動か?

「今までの功績をもって、ヴェンデリン・フォン・ベンノ・バウマイスターに帝国名誉伯爵の爵位と解放軍参謀の地位を授けるつもりだが、諸卿のお考えは如何に?」


 翌日、再び開かれた会議でテレーゼは集まった貴族達に俺への叙勲と、正式な地位への任命を発表していた。

 

「いえ……。特に反対意見などはございません」


「バウマイスター伯爵は、実際に功績を挙げておりますれば……」


「両国の爵位の兼任とは聞いた事がありませんが、名誉爵位ならば一代限りですし……」


 内心ではどう考えているのか知らなかったが、貴族達の中で露骨に反対した者はいなかった。

 他国の貴族である俺が、解放軍で力を持つようになるのが気に入らない奴は多いはず。

 だが、解放軍内で有力な戦力である俺達を今の時点で排除してしまうと、反乱軍との決戦で敗北してしまう可能性が高い。

 間違いなく、心の中で複雑な感情がせめぎ合っているはずだ。


「任命はどうされますか?」


「と申すと?」


「帝都皇宮は、ニュルンベルク公爵が抑えておりますれば」


 一人の老貴族が、唯一の懸念を口にしていた。

 爵位を任命できるのは皇帝のみであり、反乱軍に囚われたアーカート十七世帝は軟禁されていると言われていて、ニュルンベルク公爵は独自に皇帝位を僭称している。

 クーデター政権なので反乱軍の中でもあまり浸透していない呼び方であったが、それでも独自に爵位や地位などを与え始めているという情報も流れていた。


 クーデター時に始末したり解放軍にぶつけて殺した貴族の爵位や領地を、己の子飼いの家臣達に与え始めたらしい。


「あの男がいかに皇宮を抑えて皇位を自称しても、それは偽りの物でしかない。こちらは帝都を解放後に正式に叙勲すればよい。今は戦争の時間なので、仮の叙勲というわけじゃ」


 こうして、一代限りという条件で俺は帝国の貴族になった。

 本当は王都の陛下にお伺いを立てないといけないのだが、例の妨害装置のせいで連絡の取りようがない。


 阻害される魔法が限定的な分、妙に効果範囲が広いようで、内戦開始から一か月以上も経つが王国からは何の情報も入って来ない。

 ここに使者を送るにしても、帝国南部と中央は反乱軍のテリトリーなので難しいはずだ。


 そういえば、帝都に置いて来てしまったシュルツェ伯爵達はどうなったのであろうか?

 魔法使い達は数名殺されてしまったようだが、貴族に手を出すほどニュルンベルク公爵が愚かではないと信じたい。


 皆殺しにでもされていたら、さすがに陛下も懲罰的な出兵を検討せざるを得ない状況になってしまうからだ。

 利益以前に国家としての面子もあるし、長期的に考えれば懲罰を与えた方が利益になるというのも国家運営である。

 綺麗事だけで済む世界では無い事だけは確かであった。


「密偵の情報によると、遂にニュルンベルク公爵が自ら軍を率いるようじゃな」


 テレーゼは、真面目に反乱軍の情報を集めていたようだ。

 二度の大規模戦闘で数万の屍を作り出した両軍であったが、このままだと埒が明かないと思ったのかもしれない。

 反乱軍は大規模な動員をかけているとの報告であった。


 対する味方解放軍も、出来る限りの戦力を集めようとしている。

 ただし早馬を使った伝令が主力となったので、どうしてもリアルタイムで情報が入らない。

 時間がかかる点がもどかしかった。


「それで、戦力比は?」


「反乱軍が十二万人で、我らが九万人ほどかの」


 帝国の最大動員兵数など知らないので、俺にはこれが多いのか少ないのかが判断できなかった。

 

「これは限界ギリギリの戦力なのでしょうか?」


「そこまでは、双方共に兵力を出せぬよ」


 帝国の人口数で考えれば、百万人の兵士の動員も理屈では可能である。

 だが、そこまで兵力を増やすためには、普段は農民や職人などをしている一般庶民を徴兵しないといけない。

 ところがそれを行うと、その貴族の領地や帝国直轄地の生産力が落ちる。


 徴兵された人達の稼ぎが減って、税金を納められなくなるからだ。

 兵士として徴兵された人達は、最低限の衣食住は保証されているが給金はお小遣い程度しか貰えない。

 戦争で活躍すれば褒美が出る事もあるが、活躍できるほど強い人は元から職業軍人などになっているという罠もあって、正直なところは堪った物ではないはず。


 過去の戦争で略奪が認められていたのは、彼らの収入減を補う必要があったからだ。

 女性への暴行なども、口の悪い奴に言わせると風俗代の節約らしい。


 酷い話だが、戦争なんてこんな物である。

 

「なるべく生産力を落とさないように集められる、ギリギリの戦力というのが正解じゃの」


 それでも、両勢力共に頭の痛い問題であろう。

 生産力の低下に、両勢力が敵対勢力圏への流通を停止させているので、交通・流通の麻痺による経済活動の低下という問題もある。

 

「妾達は戦力不足で、ニュルンベルク公爵もクーデター政権故に想像以上に地盤の強化に苦戦しておる」


 邪魔な貴族を解放軍に始末させる作戦はある程度成功したが、今度は敗戦のせいでニュルンベルク公爵の軍事的才能を危惧する声が上がっているようだ。

 先の戦いでも、戦略的には一度奪われた拠点を全て取り戻しているので勝利であったが、戦術的には戦死者の数は圧倒的に反乱軍の方が多かったという事実がある。


 今回の大規模動員は、その懸念を払拭するための物らしい。


「ニュルンベルク公爵としては、思ったよりもこちらの戦力を殺げなかったというわけじゃの。まあ、迎え撃つしかあるまいて」


 テレーゼの作戦方針は、この野戦陣地での迎撃と、損害を蓄積させて撤退を促すという物であり、これに異を唱える者はいなかった。


「明日には配置などを発表するので、各々で準備を怠らぬように」


 会議は、俺への叙勲と反乱軍の迎撃を行うという二点の発表で終了していた。

 俺が部屋を出ようとすると、ニコニコと笑顔を浮かべるテレーゼによって拉致され、なぜか彼女の執務室で大量の書類と格闘する事になっていた。


「なぜ? しかもこんなに一杯?」


 俺の目の前には、大量の書類が積まれていた。

 商社マン時代にだって、こんなに大量の書類と格闘した事などない。


「そなたは参謀であろう?」


「それは、お飾りでは?」


「お飾りでも、妾の書類が減ればそれで良いのじゃ」


「その前に、書類の処理は参謀の仕事じゃねえ!」


「解放軍で一番偉い妾が命じれば、その瞬間から参謀も書類の処理をしなければいけないのじゃ」


「(何という傲慢な思想……)」


 当たり前と言われればそれまでだが、大軍が動けばそれだけ大量の書類が発生する。

 反乱軍は帝都を抑えているので、協力的な中央の官僚達に任せておけばいいが、解放軍はフィリップ公爵家の家臣達に負担が重く圧し掛かる。

 ミズホ上級伯爵家やバーデン公爵家も手伝っているが、他の貴族家はここまで大規模に集まって軍を編成した経験などない。

 慣れない軍事行動に右往左往して、とても手伝える状態ではなかった。


「あまり役には立てないと思うけどね……」


 それでも、サラリーマン時代の癖ですぐに書類を読み始めてしまう。

 一緒に手伝えそうなのはイーナとエリーゼなので、分担して書類に書かれている内容から確認を始める。


「イーナ。ルイーゼは?」


「逃げたわ」


「だと思った」


 頭は悪くないが、半ば直感で生きているルイーゼに書類仕事など不可能である。

 性格的にもこういうチマチマした仕事は苦手で、既に脱兎の如く逃げ去っていた。


「エリーゼ。ヴィルマは?」


「ヴィルマさんには難しいかと……」


 ヴィルマは字は上手であったが、基本的に書類仕事など経験が無かった。

 義父があの人なので、間違いなく教えてもいないであろう。


「カタリーナは? あいつは意外と大丈夫そう」


「他の仕事だそうです」


 エリーゼによると、ブランタークさんと共に魔法使い達に訓練などを行う仕事を任されたそうだ。

 今から魔力など上がらないが、ベテランのブランタークさんに指導させて効率良く戦わせたい。

 テレーゼから頼まれて。カタリーナはブランタークさんの補佐だそうだ。


「導師は?」


「ヴェルは、本当に導師様に書類仕事を任せたいの?」


「あなた。伯父様には一番不向きな仕事だと思います」


 二人に真顔でそう言われると、俺は黙って頷くしか無かった。

 確かに導師が素早く大量の書類を処理する様子など、頭の中に思い浮かべるだけでもおかしいと感じてしまう。

 すぐに面倒になり、その書類で鼻でもかみそうな感じだ。

 

「伯父様は、陣地の外に馬除けの溝を掘りに行っています」


 前の防衛戦でも役に立った、騎馬隊を近付けさせない溝を増やす工事に駆り出されているらしい。

 しかしながら、イメージ的には一番導師に似合う仕事とも言える。

 ガテン系の格好をして溝を掘っている導師が容易に想像できた。


「それで、この三人か」


 一番真面目に勉強しているイーナに、完璧超人のエリーゼと。

 三人で簡単そうな書類から見ていく事にする。


「軍編成への具申? ローザス伯爵とハイネン子爵は仲が悪いので近くに配置しない方が……。シンジェロルツ子爵からの具申書類?」


「現在、九万人を三つの軍団に再編成しようと考えておってな」


 テレーゼの作戦案では、自らが中央の軍団の大将となり、左右のどちらかをバーデン公爵公子に任せる計画らしい。


「残り一つは、ミズホ上級伯爵ですか?」


「いや。中央に組み込む。あの家は特殊だからの。いきなり上位指揮権を与えても、下にいる貴族が反発するであろう。逆にミズホ伯国軍とて、顔も見た事が無い貴族に指揮されるのは嫌であろう」


 貴族の諸侯軍を纏めて指揮する事の難しさがここにある。

 率いている軍勢の数や練度はバラバラで、上位指揮官を置くにしてもあまり特定の諸侯軍ばかり消耗させてしまうと、これは後の諍いの種になる。

 その前に、上位指揮官がわざと仲の悪い貴族の軍勢を消耗させようとしたり、逆にそれに反発して命令を聞かなかったりと、解放軍は全て諸侯軍から成っているので、編成案を考えるだけで頭の痛い問題であった。


「反乱軍の方が楽であろうが、程度の問題じゃな」


 仕方なしに従っている貴族も多いので、下手に苦戦すると戦場で裏切られる可能性もある。

 それに警戒した編成にすると、今度は軍の強さや指揮の効率が落ちてしまう。

 反乱軍であてになるのは、ニュルンベルク公爵家諸侯軍と一部帝国軍だけであろうとテレーゼは予想していた。


「ただ、それでも数も練度も反乱軍の方が上じゃ」


「帝国軍がいますからね」


 常設で、実戦経験は治安維持くらいであろうが、定期的に集団で訓練は受けているのでマシな部類に入るからだ。


「結局、フィリップ公爵家諸侯軍と、ミズホ伯国軍だけが頼りか……」


 先の具申書類など、困難の一部でしかない。

 組み合わせの配慮が多すぎて、約九万人の軍勢を三つに割るのに三万人ずつにならない。

 中央ばかり四万人になってしまい、一番少ない二万人ほどの軍団が苦戦すれば援軍を出す羽目になるであろう。

 放置すれば、野戦陣地の土壁に取り付かれてしまうのだから。


「他にも、食糧の備蓄状況に、備品購入リスト……。何でこんなに高いんだ?」


 素人の俺でもわかるほどに、日用品の売買なのに単価が物凄く高かった。


「こういうネズミは多いの」


 テレーゼは、俺が見付けた書類に朱で印を付けると、すぐに呼び鈴で担当の家臣を呼んで責任者を処罰しておくように命じる。

 人間が十万人近くも集まっていると、一定数の悪事を働く人間がいる。


 他にも、部隊内での窃盗事件、兵士同士の喧嘩、陣地を訪れた行商人に金を払わなかったとか、数名で近隣の村に侵入して強盗をしたり村の娘を犯したりと。

 これの最終的な判決もテレーゼが出さないと駄目で、彼女の顔には疲労の色が浮かんでいた。


「この困難を乗り越えてから、あのニュルンベルク公爵との決戦がある。一度で終わるはずもなく帝都とニュルンベルク公爵領を落とすのにどれだけ犠牲が出るか……」


 そして戦後には、新皇帝を選出しないといけない。

 ほぼテレーゼが女帝で決まりらしいが、即位すればボロボロになった帝国の立て直しでまた苦労する羽目になるはずだ。

 可哀想だとは思うが、ここで変に同情すればテレーゼが既成事実の履行でも求めてきかねない。

 ここは心を鬼にして、ビジネスライクに動くべきであろう。


 つまり、この大量の書類の処理を黙々と行えばいいのだ。


「ようやく終わったか……」


「ヴェンデリンは、領主としても十分にやれそうじゃの」


「今も一応は領主だけどね。お飾りだけど」


 そういえば、ローデリヒは上手くバウマイスター伯爵領の開発を進めているであろうか?

 情報がまるで入って来ない事が、これほど不便だとは思わなかった。


「そういえば、エリーゼ殿は救護所に行かぬのか?」


「今日は、怪我人が出たら伯父様が担当するそうですので」


 テレーゼは、エリーゼを本来の担当である野戦救護所に行かせて、その間に俺を口説こうとでも考えているのであろうか?

 その考えが透けて見えるからこそ、エリーゼは俺の傍から離れなかった。


「導師がか?」


「実は、最近『聖治癒』魔法を覚えまして」


「あの者は、魔法界の常識を色々と覆すの」


 テレーゼが驚くのも無理はない。

 普通ならば二十歳前後には止まる魔力の成長が四十歳を超えても続いているし、今までは辛うじて発動だけはしていた『聖』魔法をいくつか使えるようになっていたのだから。

 ただ、攻撃も治療も相手に抱き付かないと行えないので、導師の練習も兼ねた治療は兵士達には不評であった。


『エリーゼ様に治して貰いたいだ』


『オラも。同じ効果でも、導師様とは色々と違うよな』


『言えてる』


 兵士達の気持ちは良く分かる。

 俺だってもし魔法で治療して貰うのであれば、絶対にエリーゼの方を選ぶであろう。

 誰だって、四十過ぎで筋肉達磨の、ヤクザも真っ青な強面をした導師に抱き付かれたくはないであろうからだ。


「俺は、ある程度自分で治せるけど」


 師匠が言うにはかなりの才能らしいが、俺の治癒魔法は『水』の系統なのでエリーゼや導師のとは少しだけ違う。

 怪我などが治るのには違いが無いのでどうでも良いとも言えるが、なかなか練習する機会が無いので少し不慣れな点が問題であろうか?


「近々、大規模な戦闘があるから練習しようかな?」


「それが良いと思います。私も手伝いますから」


「それは心強いな」


 エリーゼの治癒魔法は、本当に優れていた。

 前に治療を見た事があるのだが、怪我人も病人も、軽傷ならば所持している効果拡大の魔法陣が記された特殊な織り方をした敷物の上に集めて一気に治療してしまうからだ。

 魔力も上がったので一日に対応できる人数も増え、兵士達の間ではエリーゼは大人気になっていた。


 『聖女様』と呼び、中には崇める兵士までいたが、それに比例して俺の評判は落ちている。


 『エリーゼ様と結婚しているバウマイスター伯爵は死ね!』と、主に独身の兵士達の間で広まっていた。

 ついでにもう一つ、『他に四人も綺麗どころばかり嫁を連れて来やがって! やはりバウマイスター伯爵は死ね!』という物もあった。

 勿論表だって言う者はいないが、この世界でも男の嫉妬には根深い物があるようだ。


 しかし、『やはり』って何なのだと思う。


「私達は夫婦なのですから当然です。共に治癒魔法も使えるのですから」


 エリーゼの発言には棘があった。

 間違いなく、テレーゼに向けて言っているのであろう。


「確かに、妾には魔法は使えぬ。じゃが、エリーゼ殿は『聖』魔法で、ヴェンデリンは『水』の治癒魔法。素人でも、大分違うとわかるぞ」


 しかし、エリーゼに負けじとテレーゼも言い返していた。


「素人のテレーゼ様にはわからないと思いますが、系統が違っても同じ治癒魔法です。イメージの仕方や魔力のコントロールなど、共通する事柄も多いので」


「それは知らなんだ」


「では、そろそろ失礼します」


 エリーゼはそう言うと、俺と腕を組みながらテレーゼの執務室をあとにする。

 エリーゼが露骨に腕を組んだので後ろのテレーゼがどんな表情をしているのか気になったが、怖いので敢えて後ろを見ないようにしていた。


「(私。何も言えなかったわ。怖くて……)」


「(俺も怖いけど……)」


 イーナが俺だけ聞こえるように俺に呟き、俺もその意見に賛同する。

 エリーゼとテレーゼのぶつかり合いに、イーナは退室するまで静かに書類の整理を続けていた。

 やはり、こういう時に本人の性格が出てしまうようだ。


「あの方は、油断なりません」


「結局、ヴェルを帝国貴族にしてしまったものね」


 一代限りとはいえ、貴族は貴族である。

 報酬を誤魔化される可能性も考慮したのだが、テレーゼはそれを理由に断られると考えたのか?

 今の給与体制の継続も認めてのこの条件だ。


 財政の関係で、俺達への給与はどうせ戦後になってからである。

 勝てれば帝国政府や取り潰すニュルンベルク公爵領の資産があるので十分であろうし、負ければ考慮する必要が無いわけでこういう部分がテレーゼが貴族であると実感する部分だ。


「どうせ、爵位は受けざるを得なかった」


「そうですね……」


 先のターベル山地砦への出兵は、俺達が傭兵でなければ断れていた。

 一体どういう意思決定をするとああいう命令になるのか不明であったが、今の俺は帝国伯爵で解放軍総大将であるテレーゼの参謀の一人で側近だ。


 彼女が俺を傍においておけば、無謀な命令で使い潰される可能性は少ない。

 その分、エリーゼは誘惑が増えると思っているようで、実際にそうなりつつあったが。


「ヴェルの今の状況を見て、受けざるを得ないのを理解して言っているから悪辣よね」


 イーナの言う通りで、俺への名誉爵位授与はテレーゼと共に利益があるので受けざるを得ない。

 だからこそ、テレーゼの貴族としての手腕に翻弄されているとも言えるのだが。


「気にしても仕方がない。導師の元に行こうか?」


「そうね。患者になった人達の悲鳴が予想できるけど」


 イーナの予想通りで、野戦救護所に三人で行くと、そこでは青白い光を全身に発しながら次々と患者に抱き付いて治療を行っている導師と、悲鳴をあげる患者達の姿があった。


「ぬぁーーー!」


「大した怪我ではないのだ。男がそれくらいで悲鳴をあげてはいかんぞ」


「(ただ単に、導師に抱き付かれるのが嫌なんだと思うけど……)」


 それと、導師は軽く抱き付いている認識なのであろうが、兵士達からすると万力で絞められたような感覚を覚えているはず。

 骨折患者からすれば、『逆に怪我が酷くなってしまうのでは?』というイメージを抱かれても当然であろう。


 治療を待つ兵士達は、一カ所に集まって子猫のように震えていた。


「導師。代わります」


「バウマイスター伯爵か。大丈夫であるか?」


「エリーゼ先生に教わりながらやりますので」


「ならば、安心であるか」


 導師はそう言うが、俺はそこまで治癒魔法が下手ではない。

 少なくとも抱き付いたりはしない。

 導師と交代すると、三度始まった野戦陣地工事で負傷した兵士や病人などが十数名いる。

 戦闘は無いし、先に導師や他の治癒魔法使いが治しているのでこんな物であった。


 早速、腕に切り傷を負った若い兵士の治療から始める。

 傷口を焼酎で消毒してから軽く治癒魔法をかけると、すぐに完治してしまう。


「軽傷患者ならこんな物か……」


 続けて、木材の下敷きになって骨折をしてしまった患者を治療する。

 単純骨折なので折れた部分を添え木で固定してから治癒魔法をかけると、これもすぐに治ってしまった。


「ありがとうございました」


 更に十数名の患者を次々と治していくが、重傷者などいないのでそれほど苦戦はしなかった。


「教える事がありません」


「その内に、ちゃんと教えて貰う事があると思うから」


 俺は、教える事がなくて拗ねていたエリーゼへのフォローを行う羽目になる。


「あんまり、治癒魔法の練習にならなかったな……」


「それでしたら、巡回看護に参加されませんか?」


「巡回看護?」


「はい。この近辺の小さな町や村に治療に赴くのです」


 野戦看護所を管理する初老の神官から、巡回看護なる物を勧められる。

 戦争で迷惑をかけているので、普段は治癒魔法使いなどいない村や町などを訪問して無料で治療を行い、ついでに解放軍の支持率を上げていこうという意図もあるらしい。

 テレーゼなら考えそうなというか、ある程度目端の利く貴族なら考える事だ。

 

「そんなに遠くなければ行きます」


「ここから往復で半日ほどですよ。馬を使ってですけど」


 治癒魔法の練習になるし、戦闘よりは遥かにマシである。

 俺達は、馬に乗って巡回看護に向かっていた。


「ヴェルは、あの野戦陣地にいなくていいの?」


「まだニュルンベルク公爵の軍勢は到着していない」


 ようやく乗るのに慣れてきたドサンコ馬の上で、俺は同乗するルイーゼの問いにそう答えていた。

 巡回看護には、俺とルイーゼ、エリーゼとイーナ、エルとなぜか導師も付いて来て、ドサンコ馬三頭で村を目指している。

 他のメンバーは、みんな忙しいので野戦陣地に残って他の仕事をしていた。


「なまじ通信魔法が使えない分、真面目に偵察しているからいきなり襲撃はないそうだ。今日くらい巡回看護に出ても問題ない」


「テレーゼ様に呼び出されると面倒だからね」


「参謀なんてお飾りだと思ったら、今日はいきなり書類整理だものなぁ……」


「ヴェルが気に入っているのと、ヴェルくらい凄い魔法使いを側に置く事で、テレーゼ様は周囲に自分の力がアピールできるからね」


 ルイーゼの言う通りで、俺は男としても貴族としてもテレーゼからロックオンされているわけだ。

 ここは、仕事名目で離れていた方が無難であろう。


「馬にも大分慣れたけど、魔導四輪が使えないのは辛いね」


「本当にな……」


 『魔導四輪』とは、あの魔の森の地下倉庫から出た車の事であった。

 他にも、正式名称が『魔導二輪』であるバイクに、『魔導工事機』と呼ばれるショベルやブルトーザーのような物に、『魔導農作業機』と呼ばれる耕運機などがある。


 全て王国の魔道具ギルドに販売していたが、技術格差が酷いので再現に相当な時間がかかると予想されている。

 俺も魔法の袋に入れていたのだが、例の装置のせいで全く動かない。

 どういう仕組みなのかは知らないが、実に困った装置でもあった。

 魔道具の走行が、『移動』系魔法と認識されているのかもしれない。


「帝国領であるここで使うと、手に入れようと貴族や商人が五月蠅いかもよ」


「そうだな」


 魔導四輪がここで使えるかの実験は、エルとハルカがいない時に密かに行うくらいであったから当然と言える。

 もし使えていたら移動に便利なので、五月蠅い連中をあしらいながら使おうと思ったのだが、移動する魔道具の作動さえ止めてしまうとは、ニュルンベルク公爵はとんでもない装置を開発した物である。


 いや、発掘したというべきか?


「あなた。もう少しで到着します」


「いきなり死にそうな重傷者とかはいないよね?」


「さすがに、そういう方は滅多にいませんけど……」


「エル。敵とかはいないよな?」


「解放軍の完全なテリトリー内で敵襲があったら、それはテレーゼ様の責任になってしまう。ここは野戦陣地からも近いし、あり得ないよ。警戒は続けているけど」


 エルの言う通りに道中で敵襲などもなく、村の入り口に到着すると村人達が大勢で出迎えていた。


「本日は、魔法で治療を行っていただけるそうで。大変にありがたい事ですじゃ」


 七十過ぎに見える村長とおぼしき白髪の老人が、村人達を代表して挨拶を述べる。

 

「この村には、治癒魔法使いなどはおりませんで……」


 教会に神官はいても、全員が治癒魔法を使えるわけがない。

 魔法を使えない神官は薬学などを独自に勉強して薬草を配合し、それを投与する人が多い。

 田舎の村で教会が支持を得るためには、ただ説教だけしていればいいわけではないのだ。

 だが、薬は高価であり、村は今回の戦争で経済的に困窮している。


 せっかく北方街道の近くにあるのに、人の行き来が減って実入りが無くなってしまったからだ。

 巡回看護を行うのは、彼らの批判を避ける狙いもあった。

 不満をそのままにしていくと、いつの間にか反乱軍に協力していたという事もあり得るのでフォローは必須であろう。


「それでは、早速に始めるとしようか」


「あなた様も治療を行えるのですか?」


「まだ未熟ではあるが、任せるのである!」


 村長は、俺達に同行している導師を護衛だと思っていたようだ。

 ローブ姿なので魔法使いなのは一目瞭然であったが、第一印象は完全なデストロイヤーで治療魔法を使うようには見えない。

 普段から神官の格好をしているエリーゼと、何とか俺も治癒魔法の使い手として見てくれていたようだが。


「人数が多いのは大歓迎です」


「そんなに怪我人や病人がいるのですか?」


「うちの村だけではありませんで。事前にフィリップ公爵様からご連絡がありまして、周辺の村や町からも患者が集まっているのです」


「それもそうか」


 俺達がいちいち各村を巡回するよりも、一箇所に集めて纏めて治療した方が効率は良いのだから。

 テレーゼも、そう考えて通達を出したのであろう。


「では、始めますか」


 早速に、集まった大量の患者を二つのグループに分ける。

 一つは女、子供、老人のグループであり、もう一つは男性のグループである。


 なぜかと言われれば、当然この人がいるからだ。


「足を捻挫したのか。某が速やかに治療しよう」


「うぎゃぁーーー!」


「大の男が、この程度の怪我で悲鳴をあげるでないわ!」


「いえ。この人は別の理由で悲鳴をあげていると思います」


 捻挫くらいで、導師に思いっ切り抱き付かれながら治療を受ける男性は不幸という他は無い。

 普通に完治するので文句を言うわけにもいかないが、治療を受けている男性が悲鳴をあげているのは、エルの言う通りで怪我の痛みが原因ではないとだけ明言しおこうと思う。


「エリーゼの言う通りに、女性、子供、老人はヴェルの担当にして良かったね」


 治療待ちの患者を順番に並ばせながら、ルイーゼが俺に声をかけてくる。


 女性に導師が抱き付くのは倫理的にどうかと思うし、子供はトラウマになるであろうし、老人はお迎えが早まりそうなので俺が担当する事になった。

 俺は時おりエリーゼから助言を受けながら、次々と治癒魔法をかけていく。


「痛いぃーーー!」


「はははっ! 仕方がないであるな! エルヴィン少年よ、もっと良く押さえておくのである!」


「はいはい……」


 男性患者は、次々と導師に抱き付かれながら治療されていく。

 中には暴れる者もいたので、それらは全てエルが押さえつけるのを手伝っていた。


「何か。悪い事をしているみたいだな……」


 エルの言い分に、俺達は心の中で『わかる』と答えていた。


「こちらの治癒魔法使い様は、静かでいいですね」


 俺から治癒魔法をかけて貰った老婆が感想を漏らすが、治癒魔法は俺がやっているような感じで行うのが普通なのだ。

 導師みたいなのは、滅多にいない例外なのだから。


「大分慣れてきたな」


「あの……。宜しいでしょうか?」


 数百人の治療を無事に行い、いよいよ最後の人となる。

 患者は若い女性で特に怪我人や病人には見えなかったが、彼女の顔にはかなり目立つ火傷の跡があった。

 何でも、数か月前に火事で顔を火傷してしまったそうだ。


「命には関わらないのですが、この娘は来月には嫁入りをする予定でして……」


「でしたら、お顔は綺麗な方が良いですね」


 同じ女性として、エリーゼは彼女の治療に乗り気であった。


「俺も賛成だが、どうやって治療するの?」


 実はこの火傷跡は、一度治癒魔法で治した物らしい。

 火傷は治ったが、酷い跡が残ってしまった。

 こういう事例は多いそうだが、ここに追加で治癒魔法をかけても跡が消えるはずもない。


 困っていると、エリーゼが治療方法を教えてくれる。


「最初に、しなければいけない事があるのです。切れ味の良いナイフをお願いします」


 エリーゼにナイフを渡すと、彼女は火傷のある女性に声をかける。

 

「火傷跡を一度削るので、我慢してくださいね」


 そう言うと、麻酔とまではいかないが怪我の治療の時に傷口にかけると痛みが和らぐ薬を火傷跡にかけ、ナイフでケロイド状の火傷の跡を削り始める。

 時おり痛みで女性が体を動かすが、エリーゼはそれを気にしないで全てのケロイドを削ってしまう。

 患部とエリーゼの両手は血塗れであった。


「あなた。強力な治癒魔法を」


「わかった」


 考え方としては、ケロイド状の部分を削ってしまい、一から治癒魔法で皮膚を再生させるという事なのであろう。

 少し多めに魔力を持っていかれたが、次第に傷口から綺麗な皮膚が再生していく。

 数分後にエリーゼが濡れた布で患部を拭くと、火傷の跡は完全に消えていた。


「おおっ! 凄い」


「凄いって、ヴェルの魔法じゃない」


 ルイーゼはそう言ってくれるが、一度傷口を削るという方法を知らなければ治療に失敗していたところだ。


「でも、綺麗に治る物だねぇ……」


 ただ治癒魔法をかければ、それで全ての怪我や病気が完璧に治るわけでもないようだ。

 こういうノウハウの蓄積が、教会の強みという物なのであろう。


「これで安心して結婚できますね」


「ありがとうございます」


 火傷が完治した若い女性は、俺とエリーゼにお礼を述べていた。


「旦那さんも安心するでしょう」


「実は、彼も一緒にここに来ているのです。火事の時に私を庇って、もっと酷い火傷を負っていたので……」


「えっ? そうなの?」


 全員の視線が急ぎ導師への向かう。

 その婚約者の男性の安否がとても気になったからだ。


「火傷の跡であるか。某が治してしんぜよう」


「導師。普通に治癒魔法だけじゃ無理だから!」


「物は試しという奴であろう。某の奥義を見るがよい。ふんっ!」


 導師は今まで以上の青白いオーラを体に発生させ、それと同時に顔に酷い火傷の跡がある若い男性に抱き付いていた。

 とても治療行為には見えず、何か強大で禍々しい魔物でも倒すかのような雰囲気だ。


「ひっ! ふぬぁーーー!」


「結婚するのであろう? 男ならば、我慢するのである!」


 俺達は、その非常識な光景に絶句してしまう。

 治癒魔法だけでは駄目だと専門家であるエリーゼが言っているのに、それを無視して今まで以上の魔力と力で患者を拘束したのだ。

 一応治療なのだが、どう見て治療に見えない。

 あまりの締め具合に若い男性は悲鳴をあげ続けるが、それを止められる者などいなかった。


 婚約者があんな状態なのに、ショックが大き過ぎて女性は何も言えないでその場に佇んでいた。

 そして数分後、ありえない光景が目撃される事となる。


 男性の顔から、火傷の跡が完全に消えていたのだ。


「何で?」


「よほど強力な『聖』治癒魔法なのでしょう」


「でも、もしボクならエリーゼの方法を選ぶよ」


「そうだな。少し痛いくらいだろうし……」


 どんな負傷でも治るが、その度合いが強ければ強いほど導師に抱き付かれる強さと時間が増えていく。

 よほどの緊急時以外は、あまりお世話になりたくない魔法であった。


「センドリック! 大丈夫?」


 火傷は治ったが意識が飛んでいる若い男性に、同じく火傷が治った婚約者が詰め寄って懸命に介抱していた。

 彼はそれから一時間ほどで目を覚ますが、せっかく二人とも火傷が治ったのに、誰も導師に対して尊敬の念を向ける者はいなかったのであった。





「あのセンドリックさんという人。大丈夫かな?」


「火傷の跡は完璧に治ったじゃないか」


「いやさ。心の傷の方が……」




 巡回看護は、好評の内に無事に終わっていた。

 全ての患者が俺やエリーゼの治癒魔法によって治療され、今日はもう暗くなったので村に宿泊する事となる。

 幸いにして空いている民家が一件あったので、そこを村長の許可を取って借りる事にした。


『あの……。何も無い空き家ですけど……』


『家具は持参しているので、お構いなく』


 ベッドも、椅子も、調理器具も家具も全て魔法の袋に仕舞ってあるので、俺達は手間のかからない客だと思う。

 内戦のせいで村人達は収入が落ちているので、あまり何もかも要求しては彼らを余計に困窮させてしまうからこれで良いのだと思う。

 ただ、あまりに何もしないと心苦しい物があるようなので、食料だけは供出して貰っていた。

 

 エリーゼとルイーゼは、それを材料に夕食を作っている。

 魔導コンロに大鍋をかけて『ミソシチュー』を、これはエリーゼが独自に開発した料理である。

 元日本人からすると色物に見える料理であったが、実際に食べると美味しい。

 パンにもご飯にも合う不思議なシチューなのだ。


 他にサラダを作り、魔法の袋に仕舞っていた魔物の肉を焼いたり、出来合いのデザートなども準備しているが、二人だけに任せて大丈夫そうなのでエルと先ほどの導師の治療の話になっていたのだ。


「心の傷って、別にそこまで……」


「じゃあ。ヴェルがセンドリックさんの立場だったらどうだ?」


「嫌に決まっているだろうが」


 導師は村の見物を兼ねた散歩に出ていたので、俺は正直に自分の心境を漏らしていた。

 いくら死にそうになっても、出来れば導師の治療は避けたい物がある。

 本当に死んでしまうとなると、受け入れるしかないのだが。


「嫁さんの方も、微妙な顔で導師にお礼を言っていたじゃないか」


 とある村で、子供の頃から幼馴染の関係にあった男女が火事に遭い、男性は婚約者を庇って大火傷を、女性も顔に酷い火傷の跡を負った。

 火傷は神官の治癒魔法で治ったが、火傷の跡は担当した神官ではどうにもならなかった。

 村にいるような神官に、そこまでの腕前を求める方が酷である。

 むしろ、村に治癒魔法を使える神官がいた奇跡をありがたがるのが普通だ。


 だが、これから結婚する若い男女に火傷の跡が残ったままでは可哀想だ。

 これが、二人がここに来た理由である。


「女性の方はエリーゼが綺麗に治して、男性の方も導師が綺麗に治した。美談なのに全く感動できない」


「ヴェルの言う通りにこれは美談だよな? 普通は……」


 エリーゼの治癒方法は見事であった。

 魔法による治癒魔法は、極論すれば膨大な魔力と術者のイメージ力があれば、下半身が吹き飛ばされても再構築が可能である。

 そんな人は、百年に一人もいれば良い方だが。

 限られた魔力で、いかに程度の重い患者を沢山治していくか。

 ここに治癒魔法の極意があり、そのノウハウを一番蓄積しているのが実は教会である。

 村ごとにある教会で、特に地方に赴任する神官は薬学や簡単な医術を習得している物が多い。


 軽い怪我や病気ならば、治癒魔法を用いずともある程度治してしまうのだ。

 応急処置で保たせて、その間に現地の神官が周辺の治癒魔法を使える神官を呼ぶという手もたまに使うようだ。

 近年、腐敗が問題になっている教会ではあったが、こういう実務面の助けがあるので今も強大な権力を保持していた。


 役に立つので、一定の支持を得られるからだ。


「エリーゼは、凄い事をしたようだな」


「教会では普通に使う手みたいだけど、俺は魔法には詳しくないし」


 一度治療してケロイドになってしまった皮膚を、元の美しい状態にするのは意外と難しい。

 それこそ膨大な魔力が必要で、そこで一度その部分を切り落としてから治癒魔法をかけるという独自の方法を使う。

 骨折などは、当然一度折れた骨の位置を元に戻す。 

 これをしないで普通に治癒魔法をかけると、骨が妙な形でくっ付いてしまうからだ。


「エリーゼは、簡単な医術の心得もあるわけだ」


「それは凄いな」


「ああ。エルの一万倍くらい賢いかもな」


「反論できねぇ……」


 将来のために軍の指揮方法などを独学しているエルであったが、少し覚えが遅いという欠点があった。

 あとから資料を読んだイーナの方が理解度が圧倒的に早く、今では彼女の解説を聞きながら勉強している有様なのだから。


「どうせ俺は、剣術バカですよ」


 ただ、エルに軍指揮官としての才能が無いわけではない。

 今でに何度か前線に立って戦っているが、素早く敵軍の弱い部分に斬り込んで崩すのは得意である。

 前線指揮官としては、この上なく優秀であろうというのがトリスタンなどの評価であった。


「エリーゼって、案外血を見ても動揺しないよな」


「俺でも最初は吐きそうになったがな」


 戦場跡で死体の山を見てみんな最初は等しく吐いていたが、エリーゼはそうでもなかった。

 彼女は、治療の過程で死体を見た事があるのかもしれない。 

 過去には冒険者ギルドから依頼を受けて、魔物に襲われた冒険者などの治療もしていたと語っていたし。


「エリーゼは、俺達よりも芯が強いのさ」


「それよりも、色々な部分が強過ぎて常識外れなのは導師だな」


 全身にケロイドがある患者に抱き付いて、『聖』の治癒魔法だけで完全に元に戻してしまったのだ。

 今になって考えると魔力の無駄遣いのような気もするが、治れば問題無いとも言える。


 勿論俺やエリーゼが同じ方法を用いても、あの男性のケロイドは完全には治せなかったであろう。

 そこが導師の非常識な部分なのだ。


「導師は、『ただ強力』としか言いようがない」


 戦場に出ても、普段の言動も、今日は治療魔法ですら強力であった。

 強烈過ぎて周囲が引くのは、まあいつもの事であろう。


「お腹が減ったのである。早く食事を」


 そんな話をしている間に導師が戻ってきて、既に食事の準備を終えていたエリーゼとルイーゼによってテーブルに料理が運ばれてくる。


「慣れない事をしたからお腹が減ったな」


「あなた。沢山食べてくださいね」


 伯爵の正妻なのだから料理などしなくても良いという人も多いが、エリーゼは自分で料理をする事を止めなかった。

 他の妻達も同じで、テレーゼもそれを不思議がっている。

 俺は冒険者稼業も兼任なので当たり前だと思っているのと同時に、変な女を避ける意味でも役に立っていた。


『妾も、それなりに出来るぞ』


 などとテレーゼは言っているが、正直なところかなり怪しい。

 忙しい公爵様がじきじきに料理など本当に作るのか、疑問に思ってしまうのだ。


「今日はもう寝て、明日の朝に戻ればいいよね」


「そうだな。もう患者はいないだろうし」


 ニュルンベルク公爵の軍勢の動きもあるので、念のために早めに戻った方が良いであろう。

 その前に、この村には一切の娯楽が無いという問題もあったのだが。


「寝るまでトランプでもしようよ」


 風呂も無いので今日は『洗浄』の魔法で済ませ、ベッドを並べて全員で寝る事になった。

 一応の警戒も込めて、全員で同じ部屋に寝る事にしたのだ。

 まだ時間が早いので、ルイーゼの希望でトランプ遊びをする。


「ルイーゼは、言いだしっぺの癖にまた大貧民だな」


「貧民のエルに言われたくないね」


 この世界にもトランプは存在していて様々な遊び方も普及していたが、大貧民だけは存在しておらず、俺が考案した事にしていた。

 暇な時間にやると盛り上がるので、狩りに出た夜にする事も多い。

 

「ヴェルは強いねぇ……」


「考案者が弱いと問題だろう」


 暫くずっと一位で勝ち続けていたが、急に導師がカードを四枚出す。


「クーデターであるな」


「なっ! それに何の意味が?」


「やったーーー!」


「逆転だぁ!」


 導師による意味不明な『クーデター』によってエルとルイーゼだけが喜び、俺は大貧民へと転落していた。

 大貧民なので本当は『革命』というのが正解なのであろうが、あまり馴染みの無い単語なので『クーデター』に変更している。

 クーデターならば、『王宮内のクーデターで、軍務卿であった○○伯爵が没落』とかそういう歴史もたまにあるので、理解して貰えたからだ。


 帝国で起こっている反乱も、テレーゼ達に言わせるとクーデターなのだそうだ。

 あまり革命という単語に馴染みが無いようであった。


「畜生。俺の持っている2が……」


 結局、俺はゲーム終了まで大貧民のままであった。

 再びクーデターを起こせるほどカード運に恵まれなかったからだ。


「珍しく大勝だから、ぐっすり眠れるね」


「俺もそうだな」


 珍しく勝ったルイーゼとエルの表情は明るい。

 普段は俺やイーナに鴨にされているので、よほど嬉しかったとみえる。

 別に賭けなどはしていないが、勝てたこと自体が嬉しかったようだ。


「そろそろ寝ようぜ。ヴェル。あれを」


「わかった。導師。失礼」


 俺は導師に、『静寂』の魔法をかける。

 これをかけておかないと、導師と同じ部屋で寝るなど不可能であったからだ。

 そのくらい、彼のイビキは酷かった。

 

「某はまるで感じないのだが」


「自分のイビキが五月蠅くて起きる人って聞いた事がありません」


「まあよかろう。『静寂』の魔法には、周囲の騒音を防ぐ効果もあるのでな」


 そう言うと導師はベッドに横になり、十秒と経たない内に夢の世界へと旅立っていた。

 恐ろしいまでの寝入りの早さである。

 冒険者でもあったので、早寝、早起き、早食い、早糞が身に付いているのであろう。

 下品に思われるが、実はこの言葉、冒険者予備校ではかなり初期に教えて貰える事だ。


「羨ましいほどの寝入りの早さだな」


 エルが、導師の寝入りの早さを感心していた。

 イビキはかいているのであろうが、『静寂』の魔法のおかげで何も聞こえない。

 これで、俺達も安心して眠れるであろう。


 と思ったところに、突然ドアがノックされる。

 エルが警戒しながら開けると、そこには村長と十二~三歳の少女の姿があった。


「村長さん。何か用事でも?」


「はい。本日は私共の村ばかりか、周辺の村落の怪我人や病人を治していただき感謝に絶えません。現在村は内戦によって流通が絶たれている状態なので、お礼できる物も少ないのですが……」


「お礼は不要ですよ」


 エルの代わりに、俺がきっぱりと謝礼を断る。

 内戦で迷惑をかけている帝国臣民達への慰撫が目的なのに、ここで謝礼を受け取ると本末転倒になってしまうからだ。

 

「ですが、何も無しというわけには。そこで、このフィリーネを名誉伯爵様の傍でお仕えさせようかと」


「フィリーネと申します。よろしくお願います」


「あの……。人手は十分に足りている……「それはご丁寧にありがとうございます」」


 俺が断ろうとすると、エリーゼが強引に割り込んでその娘を引き取ってしまう。

 まさかの展開であったが、村長は受け取って貰えて安心したようで、すぐにドアを閉めていた。


「エリーゼ?」


「ええと。フィリーネさんでしたね?」


「はい。エリーゼ様ですね」


「今日はもう皆眠る時間ですので、詳しいお話は明日にしましょう。おやすみなさい」


「はい。おやすみなさい。エリーゼ様。旦那様。皆様方」


 フィリーネはまだ子供なので、エリーゼがベッドに寝かせると、すぐに寝息を立て始めていた。

 きっと緊張して疲れていたのであろう。


「まさか。エリーゼが受け入れるとは思わなかった」


「俺もルイーゼの意見に賛成」


 ルイーゼとエルも、エリーゼの決断には驚いている。

 俺からしても、ある推測しか浮かばない。

 村に、名誉付きでも治癒魔法が使える貴族が来たので、謝礼にその娘を差し出した。

 仕えるとは、メイドでも、愛人でも村側は関与しませんという事なのであろう。


「貴族が来た時に、その村が女性を差し出すとか聞くけど」


「昔はありましたね」


 帝国では知らないが、王国の領域がもっと狭かった頃はそういう事もあったらしい。

 勿論直轄地だけであったが、貴族様が来るので歓迎をしないとという理由と、外の血を入れるためにという理由も存在していた。

 今は、そこまでしなくても外部との交流はある程度あるし、下手な隠し子は相続を面倒にするので逆に貴族の方が避けている。

 女と遊びたければ、自分で見付けた愛人を囲うか、娼館などに行けば良いという考えだからだ。


「じゃあ。何で俺に?」


「この村に余裕が無い証拠でしょう」


 要するに、今スヤスヤと寝ているあの娘はこの村ではいらない人員という事になる。 

 俺に預けて、食い扶持を一人でも減らす算段なのであろう。


「男なら畑を耕せるし、狩りにも行けるからな」


 子供を生む若い女性は貴重だが、逆に生産性が低いので外に出されるケースもある。

 エルの言う通りに、最悪娼館に売られてしまう女の子も多いのだ。


「この娘。孤児とかなんじゃないの?」


「かもしれないなぁ……」


 ルイーゼの言う通りかもしれないし、そうでなくても村ではいらない者扱いされた娘だ。

 受け入れを断ると、もっと悲惨な待遇に置かれるとエリーゼは気が付いたのであろう。


「この状況でメイドを増やすか……。見習い扱いにして、成人後にどこかに嫁に出してしまおう」


 まだ未成年なので、見習い扱いで構わないであろう。

 家事などはエリーゼ達が教えるであろうし、衣食住を保証して小遣いくらい出しておけば経費もそうかからない。

 内戦で負けて領地に戻れない可能性については、これは考えていなかった。

 考えるだけ無駄だからだ。


「でもさ。今のヴェルにメイドが必要かな?」


「私達がいますからね」


 俺は五人の妻達によって交代で面倒を見られているので、確かにフィリーネは必要ないかもしれなかった。

 それと、まだ未成年にしても俺が手を出す可能性についても考慮されていると思われる。


「まだ子供じゃないか」


 俺が竜を退治した年齢と同じくらいのはずだが、こうも幼く見えるとは俺も年を取った物だと感じてしまう。


「まだ十六歳だけどな。俺達」


「年齢に似合わない困難さに直面しているけどね」


「そうだな。ルイーゼは余計にそう思うな」


「何か引っかかる言い方だね。大人でセクシーなボクは、エルの戯言なんて気にしないけどねっ!」


「じゃあ。殴るなよ……」


 ルイーゼを子供扱いしたエルは、軽く彼女に殴られていた。 

 フィリーネとルイーゼの見た目年齢に、そう違いが無かったからとも言えるのだが。

 むしろ、フィリーネの方を年上だと思う人の方が多いであろう。


「それで、どうしますか? あなた」


「見捨てていくと、夢見が悪いよなぁ……」


 これがオッサンとかなら余裕で放置するかもしれないが、可愛らしい女の子なのが良くなかった。

 だが、下手に周囲に置くと他の女を誘発しそうな気配もあり、正直扱いに困る娘であった。


「要は、俺の専属だと思われなければいいわけだ」


「そんな方法があるのか?」


「ある! あるぞ!」


「どんな手だ?」


「俺の家臣で、重臣候補の癖に碌にメイドすら雇っていないのがいる」


「そんな奴がいたっけか?」


「いる。俺の目の前に!」


 俺が受け入れると問題になるのなら、エルに任せてしまえばいいわけだ。

 成人して嫁に出すまで面倒を見るも良し、気に入って妾や側室にするのも良し。

 実に素晴らしいアイデアといえた。


「俺?」


「そうだ。エルも領地に戻れば、屋敷でも建ててハルカと生活を営まなければならない。その練習だと思え」


「ヴェル。俺に押し付けようとしていないか?」


「そんな事は無いさ。お前もフィリーネが可哀想だと思うだろう? なあ。エリーゼ」


「あの娘は、生贄のような存在です。私達が何とかしてあげないと。勿論、全てのああいう娘を救う事は出来ませんが、これも何かの縁だと思って」


 フィリーネを受け入れたエリーゼに話を振ると、彼女は見事な論法でエルを説得していた。

 エルの力量では、それに反論など出来ないはずだ。


「エルは、ハルカさんが怖いんだと思う」


「なるほど。もう尻に敷かれていると」


「ハルカさんって、結構シッカリしているからね」


 ルイーゼも、エルがメイドとはいえ他の少女を連れて帰ると、ハルカに怒られるからだと上手く彼を挑発していた。

 

「そんなわけがあるか! 事情さえ話せばハルカさんは優しいから受け入れてくれるはず!」


「じゃあ、メイドの一人くらいいいじゃない」


「ううっ……」


 見事にルイーゼの誘導に引っかかり、エルは少女の受け入れを認めてしまう。


「気に入ったら、本当に愛人にでもすればいいしな。ハルカが怖くて言えないだろうけど」


「ヴェル。お前なぁ……」


「この娘。結構可愛いし、エルは女好きだから有りだよねぇ」


「ルイーゼ。女好きはお前の夫だろうが」


「なぜそうなるよ」


「五人も奥さんがいるから」


 エルの回答に、俺は何も言えないで黙ってしまう。

 だが、次第にエルが受け入れる考えに纏まりつつあると信じ、俺はここで切り札を出していた。


「エル。主君命令な」


「お前の主君命令は、常にある意味最悪だ。ハルカさんに聞いてからな」


 条件付きの受け入れであったが、ハルカに聞いてからというのがエルの現状を示しているようにも見えた。


「ヴェル。ボクの言う通りでしょう? エルはもう……」


「本当に、尻に敷かれているんだな」


「違うわ! 夫婦になるからちゃんと相談しているだけだ!」


 こうしてなし崩し的にフィリーネの受け入れが決まっていた時、一番の年長者である導師は一人豪快にイビキをあげて寝ていた。

 『静寂』の魔法のおかげで、その音は全く周囲に漏れていなかったが。

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