4‐2‐2 Irregular
彼に援護などいらないということは、初めからわかっていた。
しかし、明の目の前に映し出される光景は、一種異様な空間だった。そこだけが、まるで時計の針が逆転しているかのような、襲い掛かる者と襲われている者を見間違ってしまうようなそんな錯覚。
確かに出現し敵に向かっているはずのエンジェルシリーズは、出現から移動先まで見越した上でその線上に配置されたアンカーブレードに串刺しにされ、砕け散ったその場で再構築され武器としてあるいは盾として利用される。
その速さや正確さとは対照的にゆったりと動いているように映るビショップ姿は、あたかも聖人が水の上を歩くが如く優雅で、静かに法衣をなびかせて突き進む姿は戦慄する程に美しく夜気に映えていた。
「あれはガーディアンの出現位置の乱数パターンを読み切っているのか? 技術や反射的な行動でどうこうできるレベルを超越している」
自身が行う出鼻くじきとは異質な強さを前にして昂ぶる感情。それに呼応するかのように機械の妖精は、武装を解放しリアクターの出力を上昇させていく。淡く赤く燃え立つように背面部の羽が輝き、脚部の刃を露出させる。
「いや、俺には俺のできることをやるか」
脱力し一歩を踏み出し、体を落とすと肩があった位置にアークエンジェルのメイスが通過していく。空ぶった勢いのままに進む天使の胸部に剣を突き立てリアクターを破壊し、引き倒すように投げ捨てる。
爆炎を目くらましに背後から迫っていた敵から間合いを取り直す。ミスリルソードの腕部に内蔵されたアンカーを接続し交差させた手を開くようにして二本の剣を投げつける。槍の武装で一本は防がれたが、もう一本はアークエンジェルの腹部に突き刺さる。
アンカーを巻き取り、武装を回収しつつ敵との距離を詰める。さらに腕を引くことで体勢を崩しつつも襲い掛かる機械天使の動きをコントロールする。間合いもタイミングも外れた攻撃は既に脅威ではなく、頭部をみにしてすれ違い様にゼロ距離射撃を叩き込む。
「……二体目、次」
レーダー上の光点の数は、常に十程度を維持しているがマクトの周辺にある光点は出現と消滅を繰り返し常に点滅していた。明の方を本気で潰すつもりになったのか彼の方へと一時的に光点が集中する。
「今度は、十二体同時か。だが、その程度なら」
倒せる、という確信にも似た自身があった。黒木智樹の戦闘データを利用した演習で鍛えてきた自分ならばこの程度のことをこなせないはずがない。数の上では演習よりも高いハードルだが、それでも不思議と恐怖は無い。
地上にいる自分を半球状に包囲する布陣だった。
「丁度、三角錐が三つか」
ポップアップする直前の空間の歪みとレーダーの位置を照らし合わせ、相手の布陣を瞬間的に把握する。そして、それは出鼻くじきを三角錐の頂点となる位置にいる敵に仕掛けたとしても三重の包囲網から脱出するのは困難だということを意味していた。
「……面白い」
一体いつからだろうか。
強者に勝利したい、誰よりも強くありたいという思いは、純粋に戦いたいという欲求に変化していった。
その欲求は少しずつ強くなり、破壊衝動にも似た黒い炎となり明の内側にくすぶっていた。それはデモムービーを見たときからなのか、それともニクムの操るサタンと対峙したときか、あるいは四葉が『教皇』に殺されたときなのかもしれない。
「俺にはそこにいるマクトのように正確な未来予知はできないし、『教皇』のような並外れた技術もないし、ニクムのような獣染みた感覚を持ち合わせているわけでもない」
ブースターの燃焼の排熱でフェアリーの周囲が陽炎で揺らめく。
ふと、もれ出た言葉は、自身に同等の才能がないことへの嘆きや嫉妬ではなく。単なる事実の確認以上の意味を持ち合わせてはいなかった。
「それでも、俺は越えなきゃならない。だから、俺は、こんなところで、こんな奴らに負けるわけにはいかないんだよっ!」
臨界すれすれまで反応させたリアクターのバーニアを吹かし砂煙を巻き上げながら、空へ向かって地面を蹴りつける。上部からは降り注ぐように、三方からは押しつぶすかのように自身へと敵が殺到する。
左右に投擲する二本の剣、背面と正面に放たれる砲撃。
螺旋を描くような上昇と共に剣を巻き取り四体の撃破を確認する。研ぎ澄まされた意識の中では、降り注ぐ破片や爆発の燃焼さえ彼をさえぎることは無い。
フェアリーが後方に通り過ぎた炎を抜けて迫る第二波。
肉薄した機体を脚部の内臓ブレードを使ったオーバーヘッドキックで切り裂き、左右から迫る敵をギリギリまで引きつける。左右の二体はアンカーで巻き取った剣を交差させるように突き出し破壊する。
天使の姿をした魂無き人形は、死してなお刃を向けて襲い来たりて彼を攻める。神風染みた攻撃は、体を反らし両手を広げる動作で二体を重ね合わせて無力化。脚部で切り裂いた一体は反対の足で地面に蹴り落とす。
「……残り五体、このまま蹴散らす」
宙返りすることで完全に背中を見せることになった一機の攻撃は、広げた両手を閉じることで交差させた剣で振り下ろす斬撃を受け止める。強引な動きで不安定な体勢だったところを地面へと叩き伏せられる。地面へと急速に落下しながらアンカーの接続を解除、二丁のライフルと二本の剣を収める。
地へ堕ちた機械の妖精は、天を仰ぎ、両の手で一振りの剣を抜く。
(イメージしろ。あいつの姿を)
セルゲイ・ロマノフのエンペラーを圧倒し、四葉の仕組んだ包囲網を突破したミカエルの戦い方を、魔女と呼ばれたあの女と共に戦った記憶を想起する。駆け巡るイメージに自分自身の動きを重ね合わせていく。
「あああああああああああああぁぁぁぁっ!」
加速した意識に呼応するように機体は音の壁を突き破る。五体のうち先行していた一体に稲妻のような速度で振り下ろす一撃を加え、返す刃で薙ぎ払い、刃を肩から持ち上げる動作と共に高速ですれ違っていく。
連なった敵を見渡し、小手先のわずかな機微、人間を模したがために再現される視線の動きから攻撃のパターンを予測する。一秒にも満たない時間で繰り返されるであろう連続攻撃とそれを受けた場合に確実に訪れるであろう死を予見する。
(もっと早く、もっと正確に)
恐怖は無い。
それ以上にあるのは、この程度のこともできない自身の無力さへの嘆き。
(いや違う、さらにその上だ)
脳裏に焼きついた稲光の中で見せ付けられた『教皇』の動きを再現する。
肉体と精神が分離したような浮遊感を伴い、針の糸を通すような生き残る道を潜り抜けるために身体を動かしていく。
意識が認識に先立ち、ゆっくりと現実が追いついて来るような奇妙な感覚のトンネルを進んでいく。
それはつまり、自身の予測するイメージと敵対する相手の行動が完璧に一致していることを意味する。
そして、自身の死ではない未来をイメージした明には勝利という結果が遅れて追いついてくることとなる。
幾重にも重なりあった残像が収束して一つの映像として再現された現実は、瞬く間に切り刻まれた四機の天使と歓喜に叫ぶ青き機械の妖精の姿だった。