1‐2‐1 Heart
世界初の自律思考を伴った演算装置は、いくつかの生体部品を取り込むことで作成された。当初、暗礁に乗り上げていたこのプロジェクトは、開発チームのメンバー数名が突然死した直後に急激に好転し、完成に至るという不気味な展開を見せた。
一説には、開発チーム内に派閥が形成され内部で牽制しあっていたところに敵対勢力の突然死によって完成にこぎつけたのではないかという黒い話もあるが真相は定かではない。
完成した演算装置は、驚異的な演算能力と自律思考によって自己進化する特性を併せ持っていた。『仮想空間』という旧来とは異なる独自のネットワークを構築し、物理的なハードウェアを使用せずに億人単位での人間への同時サポートが可能でだった。
そして、今や第二の現実となった仮想空間。その実態は、現実にできない欲求を仮想で満たすことであった。現実とは分離した空間であるが、そこで現実の情報がやり取りされる以上、そこで起こりうることは現実と相違無い道理だ。むしろ、現実では不可能なことまで実行可能な分、現実以上に厄介な存在でもある。
真実は虚構によって上書きされ、不正コピーやスラング、ヴァーチャルドラッグ、仮想空間上での擬似性行為、裏取引などの悪徳が栄えるのは旧来のネットワークとほぼ同様と言えるだろう。
現実を急速に侵食していくヴァーチャルリアリティ。
そして、その火付け役となったのが『GENESIS』という仮想ハードウェア用のOS『The Book』内にプリインストールされているプログラムだった。
通常に起動すれば、ただのオンラインロボットアクションゲームであったはずだが、それがサイバースペース上で使える唯一のハッキングツールであるという側面を持っていたことで、その意義が娯楽から離れるのにそう時間は掛からなかった。
マーケットとしては、世界中の富の半分以上を仮想空間でやり取りする昨今。
馬鹿げた海賊行為が横行するのは、時間の問題だったのかもしれない。現金輸送車を制圧することが誰にでもできるのなら、襲わない方がおかしいのだろう。そして、その方法が馬鹿げていた。
文字通り、相手を襲うのだ。
擬似ハッキングツール『GENESIS』は、仮想空間上で戦闘によって物理的に強奪することを可能にした。ゲームの延長として、相手を破壊する事で、データが自動統合されるシステムを逆手に取り、対戦を仕掛け、相手の持つ全てデータを根こそぎ奪うのだ。
鋼鉄の巨人が瞬間的に音速を超えて空を飛び交い、斬り合い、撃ち合うといったレトロゲームのような戦闘を誰が創造できたろうか。まるで旧世紀に思い描かれていたような世界が、現実の一部として再構築されるなどと誰が信じていただろう。
そして、そこで行われている行為は、オンラインゲーム上で起きていたPKと呼ばれるプレイヤーを標的にした殺傷行動やRMTと呼ばれるネット上の物品を現実の金品に変換する行為よりももっと直接的な行為であった。
あるいは、ゲームとしてではなく、現実の一部として同様の行為が発生していると言う方が正しいだろう。結局のところは、彼らは現実のリソースの奪い合いをしているわけなのだから。
過去のゲームを模したプログラムが、今の現実を侵食し、その方法が戦闘による奪い合いなどとは、人類は一体どれだけ過去に逆行すれば気が済むのだろう。否、誰しもが平等に力を手に入れることができ、なおかつ、日々の糧を得ることを可能にしたこの場所は正しく『楽園』なのかもしれない。
たとえ、その方法が相手を殺すことであったとしても。
***
白銀の剣が振られ、弾丸が飛び交い、金属が爆ぜる。
火花を散らしながら、ソルジャーと呼ばれる黒い機械の兵隊の体が両断され、レーダー上のソルジャーのマーカーが消滅し、敵対勢力のAA(avatars agent――意識体代理人)の破壊を確認する。
黄昏時の戦場では、鋼の身体と蝶のような淡い光の羽根を持った機械の妖精が空を舞う。フェアリーの相手はヘッジホッグと呼ばれる灰色の重武装タイプのAA。過剰と思えるほどに武装された砲塔が、あたかもハリネズミのように見えるのでこういった名称にされているという。
(前衛のソルジャータイプは始末した。あとは、後衛のあいつを仕留めるだけだ)
数分前まではオフィス街といった街並みだったこの場所も、激しい銃火器の応酬で廃墟と化してすっかり見晴らしが良くなっていた。
「あんたで最後だ、無駄な抵抗は止めろ」
フェアリーの操縦者である新城明は、無駄だと解かりつつもいつものようにオープン回線越しに警告する。そして、仮想空間上で機械の妖精がヘッジホッグにリニアライフルの銃口を向ける。
「言われて止める馬鹿がいる訳ねえだろ! クソ野郎が!」
怒鳴りつけるようにヘッジホッグのプレイヤーが叫び、文字通り死に物狂いで攻撃する。彼は、複数の弾頭に分離する多弾頭ミサイル、高い追尾性能を持つホーミングミサイルやらガトリングガンを無造作に撃ちまくる。
「だろうな」
くすりと笑う声に呼応するように、仮想空間でフェアリーが淡い燐光を纏い宙に浮き、ヘッジホッグに向けて加速する。自身に迫る無数の弾丸は、正面、左右、背後とありとあらゆる方向から押し寄せる。
しかし、彼は絶望的な火力の差にも慌てることなく、アシストプログラムを起動し弾道の予測軌道を瞬時に割り出す。予測射線が自身の視界を真っ赤に覆いつくすが、明は気にすることなくそのデータを参照に機体の航行をオートからマニュアルへと変更。
自身の軌道に重なる攻撃は、左腕に持ったリニアライフルで迎撃する。幾重にも重なり合う赤い予測射線は、大きな波が作り出すパイプラインのようにも映る。その隙間を抜けるように、機体の速度を上昇させていく。
ゆるりとした空気の壁を抜ける感覚に、
自身の機体の速度が一瞬で音速を超えたことを知覚する。
視界に映るのは、
赤く黒く明滅する光。
耳に届くのは、
そこで起きる映像よりも僅かに遅れて響く爆発音。
弾丸の雨の中を通り抜けるという狂気染みた操作方法に、ヘッジホッグの操縦者は恐怖し絶望し絶叫するのだった。
「死ね死ね死ね、死ぬ、死ぬ、死ぬ。いやだ、死にたくない、死にたくない」
付けっぱなしのオープン回線越しに相手の取り乱す声が聞こえる。
こうなると、まともにこちらを狙っている攻撃は皆無だった。放たれる攻撃は無秩序で正面から相手にしたくは無い。瞬時に自身の進行ルートを変更、軌道を脳内に思い浮かべるとそのイメージをトレースするかのように機体が連動する。
サイバースペース上で、フェアリーが螺旋を描くように旋回しながら加速する。前後左右のあらゆる方向から迫る弾丸を、舞い踊るかのような動きで回避していく。
そして、眼前に迫るミサイルを迎撃してついにヘッジホッグに肉薄する。
迎撃したミサイルの爆炎を抜ける。
突進と同時に右腕に握るミスリルソードを構え、
そして、
振り抜く。
「じゃあな」
黒い巨体とすれ違う刹那の内に振り抜かれた剣が、機械の動物の胴体を両断した。
センサー上でマーカーが消え、突き抜けた後ろで爆発が起こる。
徐々に減速して行くうちに残響のように爆発音が耳に届く。
それは、改めて機体の速度が音速を遥かに凌駕していたことを改めて知覚させ。そして、ソニックブームを受けて黒煙を巻き上げる街並みには生々しい破壊の傷跡を残すこの場所はまさに戦場だった。
そんな空虚な瓦礫の山を、機械の妖精の無機質な視線が見下ろしていた。
まだまだ、修正キャンペーンは続く。