2‐5‐4 Hell
双頭の竜が天に向かって雄叫びを上げながら、蒼の騎士へと牙を剥く。
明の操るフェアリーは、いつの間にか増えた四本の鉤爪と双頭の猛攻を三本の剣を以って縦と横の斬撃を同時にこなしつつ敵の攻撃を往なしていく。
通常の人間型AAであれば、ありえない挙動と彼の驚異的な反射神経が正面からの近接戦闘を可能にしていた。
脇を掠める竜の牙、鋼鉄すらも易々と切り裂く鉤爪の間を抜け、肌を焼く灼熱の火炎を潜り抜け、もう何度切り結んだのだろうか。アンカーを打ち込み、曲芸の如き立体軌道で攻撃を交わしつつ、銃を放つ。
何度も撃ち貫き、切り裂いても手応えはない。
体感時間が無限に引き延ばされる死の舞を続け、麻痺した感覚の中で、どれだけの時間の間剣を振るい、銃を放ったのか明は覚えてはいない。
しかし、実際の戦闘時間は一分経ったかそこらだろう。
今はまだ、恐れよりも興奮が勝っていた。
だが、勝てないことを自覚していることは、必ずしも弱さではない。
自分が弱者であると自覚することは、強者に対し驕らないということでもある。
(今の俺になら、できるはずだ)
明は、あの時その眼に焼きついた光景を自分なりにアレンジして再現する。
そう、予選においてセルゲイ・ロマノフの操るエンペラーを一蹴して見せた技、目の前にいる男に教皇と呼ばれていた、アティド・ハレが使用していたもの。
(いや、あいつがこの動作を技として認識しているかはわからないか)
どこかずれた思考。
そして、明はあえて、二本の剣を脇に収め炎の剣を振りかざし思考を脳裏に焼きついた一枚の画像へと集約していく。
「いつまでも目の前をちょろちょろと、うざいんだよ、蝿があああぁっ!」
それは、ニクム自身が強者であると自覚しているがゆえにできた間隙だった。
自身が相手を一方的に蹂躙する側であると自覚している彼は、近付いてきた弱者を噛み砕くべく獰猛な牙を剥く。
明には、自身に喰らいつこうと迫る竜の牙が酷く雑な動きに見えた。
「驕ったな、あんた」
ぞくりとするような殺気と共に、静かにつぶやいた明。
相手が弱者であると決め付けた思い上がりが、作り出した偶然の産物。
爪や炎による何十もの波状攻撃を交わし、耐え忍ぶことでやっと辿り着いたチャンス。
歓喜に明の心が昂ぶる。
だが、そんな興奮状態にある精神とは真逆に彼の肉体は冷静に、そして、完璧に動き完全な形で技を再現していく。
すれ違いざまに抜刀と同時に切っ先による一太刀、
返す手で二発目が、
体が重なる瞬間にもう一度右手で切り裂き、
左手に渡された剣は背面から敵の首筋を目指し走る。
突き刺された切っ先を支点に円舞曲でも踊るかのように体位を強引に反転させサタンの背面と向かい合う。回転した速度を乗せた剣を再度右腕に持ち替え袈裟懸けに振り下ろし、再度、剣を収める。
(ここまでは、完璧。あとは、これを可能な限り加速し続けて放ち続ける)
明が認識できたのは、この五連動作の繰り返しの初動と後半のみだった。間のつなぎの部分は目視したものなのか残像なのだが判別できなかった。それでも間違ってはいないと明は確信していた。
意識の加速に合わせて高まる肉体の動きと精神の高揚。
『累進加速』による無限の上昇感覚を味わいつつ、一太刀毎にアクセラレートしていく自身の思考速度。
ほとんど反射的に剣を振るい、マグマの噴出の如く激しい斬撃を重ねていく。
無意識の内に口から出たのは、言葉にならない叫び。
「――ううううぅぅおおおぉぉぉぉっあああぁぁっ!!」
「あんた、最高だぜ。あひゃ、あひゃ、あは」
痛みなどまるで存在しないかのように、切り刻まれながらも不気味に笑うニクム。
明もそんなことはお構い無しに、否、構っている余裕などないからこそ、ひたすらに攻撃を放ち続ける。
そして、思考と直結しているがゆえに、こういった脳内麻薬が過剰分泌しているような興奮状態のときの音声は、曖昧なものとなる。
今の明には、自身に見えている視界が仮想のものであるのか、ぼやけた思考が生み出した幻想なのか判別できなかった。
加速していく程にシビアになっていく斬撃のタイミングに、一瞬を無限に分割したような時がついには現実に戻る瞬間が訪れる。行きつけの駄賃とばかりに持ち替えた手で相手を思い切り弾き飛ばし、その反作用を利用し自身を加速させ間合いから離脱する。
数秒という時間に何十の剣戟を重ねたのか、明はもう覚えていない。
(これで、必要な時間は稼いだはずだ)
明の後方では、ずたずたになったサタンのAAが即座に再構築されていく。
――《Magic Circle》(魔方円)――
この間だけは、無防備になるというタイミングに水月のAA、ウィンディーネがサタンの真下からウィザードによって打ち出される。ロケットのような勢いで強制的に加速されられたAAは高々と天空へと飛翔する。
そして、加速装置として使われたウィザードの装甲兼ねるソードビットは、完全に展開され無防備な本体が地面に構える。彼女の構える右手の先には円柱のように細く五重に連ねられたリング状の電磁障壁が展開されている。
――《Water Sprite》(水の精霊)――
空を飛ぶウィンディーネは、自身の周りにある水球の水をぶつけ、儀式槍をサタンに突き刺しさらに技を重ねる。
――《Flash Freeze》(瞬間凍結)――
突き刺さったままの武器を放棄して、即座にその場から離脱する水月。
「薙ぎ払え、我が剣よ」
突き出されたウィザードの手の先で展開された、五重の魔方陣の中央には、雷光を纏い静止した剣が見える。電気の弾ける音に空気が震え、暗い闇を薄っすらと照らしている。
――《Excalibur》(聖なる剣)――
祈りの言葉と共に放たれた剣は、夜気を裂き、音を置き去りにして天へと駆け上る。
「まさか、この俺が。クソったれ」
凍り付き身動きの取れないサタンにこれから起きる攻撃は避けようがなかった。
だが、ニクムが本当に恐れているのは、本体を粉々にされることではなかった。はき捨てられた言葉の直後に、ばらばらに砕け散った破片の中にはコアユニットは存在せず、剣は黒い空に赤々と燃える太陽へと立ち上る。
そして、サタンのAAを貫通した剣は、太陽の光に隠されたコアユニットを完全に捉え破壊したのだった。
「そこのガキ、お前の名前は?」
破壊されてから行動停止するまでのわずかな時間に話し掛けるニクム。その言葉に明は短く思案し答えた。
「……新城明だ」
「貴様が死ぬまでは、覚えといてやる」
(どうやら俺は、自分が思う以上に厄介事に巻き込まれやすい体質らしい)
行動停止処置が為され、完全に沈黙するサタンのAA。
三対一、それでもなお手強い相手だったと明は感じていた。
格下の相手だと、油断をしていてくれたこと。
水月や鏡が指示した作戦通りに的確に動いてくれたこと、そして、最後は読み通りの位置にコアユニットが存在していたこと。
勝てたのは偶然が重なっただけに過ぎなかった。
「勝ったんだな」
宙に浮かぶミカエルのAAから声が聞こえる。
「偶然が重なっただけだ」
「偶然を重ねるのも実力の内だろう。君自身の手で勝ち取ったものならば、それは誇ってもいいものだ」
全てを見透かすように話すアティド。
偶然が重なった、というのではなく、『重ねる』と言う辺り、明のことを過大評価しているのかもしれない。
「あんたの技、勝手に使わせてもらった。すまんな」
「そんなことで咎めたりはしないさ。だが、あれを完全に再現できたのならAIの加護にあやかった、ということか」
意味深な発言だったが、明にはそれが何を意味しているのか理解できなかった。
「今度は、メインディッシュだけ取りやがったな畜生」
相変わらず苛立ちを隠せない声で話すのは御堂雷雅。
「やはり、神代様は美しい」
心酔するかのような声で話すのは、御堂風雅。
「お疲れ様でした、お三方」
最後に聞こえた穏やかな声は、天正院縁。
神国皇族連の機体は一体どれだけの攻撃を受けたのか、細かく刻み込まれた傷が縦横に走っている。いや、傷を付けるだけですませられたということは、手心を加えられたということだろう。
あれだけの傷を付けるなら、撃破する方が容易いことであるのは想像に難くない。
「『白の教団』は、いつでも君を歓迎しよう。それでは、失礼する。《Return》(帰還)」
三人にはまるで興味がないのか、教皇は明に一方的に連絡先を送りつけると、もうこの場には用はないとばかりにリターンプロセスへと入り、ミカエルは直後にフィールドから姿を消したのだった。
「フィールドに残っているのは、私達だけみたいだけど最後に一戦やるとする?」
神国皇族連に対して、挑発的な言葉で確認するのは鏡。
「現状の我々の戦力での戦闘の継続は、困難です。ここは、今回の立て手役者に手柄を譲るとします。構いませんね、風雅、雷雅」
「女性の誘いをお断りするのは心苦しいですが、御前の意思を尊重します」
「うう、異論ねえよ」
ミカエルに遊ばれたというのがわかっているためか、口惜しそうに雷雅がいい、それを了承と受け取り天正院達は、リターンを始める。
フィールドには明達三体のAAを残すのみとなり、直後に響く戦闘終了を告げるシステムアナウンスの機械音声。
――【THE END(戦闘終了)】――
『地獄』フィールドの暗澹とした雲は掻き分けられて、煌々とした光が勝者を祝福するかのように照らしていた。
勝者、『水月と愉快な仲間たち』。
修正しました。ごちゃごちゃしてた部分が読みやすくなったと思います。