2‐4‐1 Truth
午後2時、アリーナ内部の控え室にて。
『水月と愉快な仲間たち』の面々が、再度二つのソファに男女別に腰掛けて向かい合っていたところ、来客があった。
「一回戦突破、おめでとうございます。明さん」
恭しく礼をして、祝いの言葉を述べるヘイフォンだが、少し低めの冷たい声色のせいかどこまで本気で言っているのか、いまいち判別が付かない。
「ついさっき倒したばかりの相手からそう言われるのは、妙な気分だな」
「古来より、戦いの勝者には最大限の賛辞を、敗者には服従が約束されていますからね。至極当然のことですよ」
さも、それが常識だと話すヘイフォン。
いったいそれはどこの世界の、何時の時代の常識なのだと問いただしたくなる明だったが、適当に流すことに決める。
「それはまた、ずいぶんと極端な話だな。それで賭けは俺の勝ちだな、ヘイフォン」
「ええ。これで私は明さんの愛の奴隷ですね」
その発言を聞き『水月と愉快な仲間たち』の一同は一瞬で凍り付き、そして、止まっていた時が動き出す。
「不潔な! 戦闘中にそんな訳のわからないやり取りをするなんて、君という奴は」
「明の馬鹿! いつのまにそんなうらやましい関係に……。って、あれ?」
二人は、身を乗り出して明に詰め寄る。
もちろん、明にそんな心当たりは無かった。
「二人とも落ち着け、誤解というか、冗談だよな? ヘイフォン。しかし、面と向かって話したことはほとんど無かったが、あんたそういうキャラだったんだな」
「さあ、どうでしょう?」
片目をつむり、口元だけで笑うヘイフォン。
どうやら、完全に遊ばれているようである。
「頼むから、火に油を注がないでくれ。収拾が付かなくなる」
「少々惜しいですが、あなたがそう望むのでしたら。奴隷ですしね」
名残惜しそうに三人を見渡し、目で合図をすると明の隣に腰掛ける。
ただし、やたらと体を密着させて。
「とりあえず、離れろ。ヘイフォン」
「いけず、ですね。まあ、そんなところが気に入っているのですが。関係はゆっくりと進めて行くとしましょう。ふふふ」
演技でもしているつもりなのか、かなり大げさにすごすごと引き下がるヘイフォン。
とりあえず、明には女性陣二人の視線が痛かったのでじりじりとソファの端っこまで移動しつつ口を開く明。
「それで、あの日の真実を教えてくれるんだな。ヘイフォン」
「ウーで構いませんよ。まあ、お好きな方でお呼び下さい。それでは、黒木智樹、並びに黒木愛について、私が知っていることをお話しするとしましょう」
「なら、ウーちゃん。って、呼びますね」
「私はウーさんで」
「そういうところだけ反応いいな、お前ら。まあ、俺はそれなりに付き合いも長いことだしウーと呼ばせてもらうよ」
「本当に面白い方達だ。では、話を始めましょう。まず、黒木智樹には黒木愛という妹がいたことはご存知ですね」
「ああ。それは、データで確認した」
「彼女がこの話のキーパーソンとなっていたようです。彼女は、皆さんと同じ学校の生徒でしたが病気がちのため、病院に入退院を繰り返すような形だったそうです。とはいえ、流石にあの黒木智樹の妹だけあって、成績は優秀だったそうです」
「そうか、続けてくれ」
少しうつむいて、明は話の続きを促す。
「学校も、今は仮想技術を使った遠隔地からの出席が認められていますから特に問題は無かったようです。そして、昨年その彼女の容態が悪化したそうです」
「先生は、そんなこと一言も言っていなかったな。いや、わざわざ生徒たちに言うようなことではないか」
「手の施しようが無い、その最後通告を受けて彼は彼女を仮想で生き永らえさせようと持てる全ての知識を動員したようです。黒木智樹は、もともと仮想空間の開発に関わっていた人間ですから」
「その発想が既に狂気であると、気付かなかったのか」
胸の前で十字架を握り、鏡が押し殺したような声でつぶやく。
「そして、彼の実験は成功を収めますが、彼は自らの行為を呪い狂気に取り付かれます」
「でも、実験は成功したんだよね?」
「そうです、水月さん。あくまで、客観的に見た場合は成功であるのですが、しかし、主観的に見た場合はおそらく自分自身の手で一番救いたかった人間を殺してしまったことになると思います」
感情のあまりこもっていない彼女の声だからこそ、明にはそれが真実なのだと思えた。
「それは、俺が仮想で見た黒木愛と関係しているのか?」
「それが実験の成功例なんですよ。現代の技術を以ってしても不可能と言われている完全なAIとして生まれ変わった姿、それが今の黒木愛」
「完全な自律思考を獲得したとでもいうのかい?」
不可能だ、とでも言いたげな鏡。
「計算と記憶をコンピュータが、思考と判断の部分を人間が分業している状態の擬似AIではありますが。今では人間と見紛う程のものとなった。それは、明さん自身が目にしているでしょう?」
確かに明としても彼女に対して違和感はあったが、それが人間ではないという判断には至らなかった。実際に、自分自身が会話していてもなお、黒木愛という存在がただのAIであったとは思えなかった。
そう思えるほどには彼女の会話は人間的だった。
「今、という言葉が散見しているが、作られた当初は不完全だったということか?」
「当初は、機械的なプログラミング程度のものだったようです。特定の入力に対して特定の出力を返すという旧世代の遺物。しかし、黒木愛のデータを取り込んだことにより成長の概念を獲得したAIは、仮想に存在する膨大なデータを参照に自己を修正し始めた」
参照されるデータとは、こうやって会話している自分達やそこに存在する全ての人間の行動を指しているのだろう。
より人間のする行動へと近付こうとするAIであるが、人間をベースに作られたAIはむしろ最初から人間そのものなのではないだろうか。
「『バベルコード』が急速に使いやすくなったのと同じ、ということなの?」
子リスのように少し首を傾けて水月が質問をする。
「そもそも『バベルコード』の開発者は黒木智樹ですよ。といっても、こちらはあまり表の世界に出て来ない話ではありますが。宗光学院へは新城大地氏の招聘で、教職は隠れ蓑となっていたそうで」
「つまりは、より人間に近い思考を獲得する以前の状態のAIを見て、妹を救うはずがむしろ自分自身で殺してしまったと思い、狂ってしまったとでもいうのか?」
「私が調べた情報と、私自身の推測が一部含まれていますが、概ねその通りかと」
「今、彼女はどうなっているんだ?」
「肉体は植物人間状態で安置され、現状は仮想で思考ルーチンのみの存在ですね。仮想に脳を複製し、その記憶を継承し、統合されたAIは判断経路を参照にする。そして、仮想においてAIと統合された彼女は神そのものと言えるでしょう」
「黒木先生が言っていた女神、ってそういうことなのかな。私を彼女と勘違いしていたみたいだけど」
「実際に確認したという訳ではありませんから、本当のところの黒木智樹の真意の程は測りかねます。ですが、そう外れてもいないと思いますよ」
「どういうことだ?」
「そのままの意味ですよ。とはいえ、彼にとっては仮想で神になるよりも、人間として再会したかったのでしょうが」
「そうか。俺は先生の事情なんて考えもしなかったな」
うつむき、明が搾り出すような声で話す。彼は、その時その場での知り得る情報のみで一方的に判断してしまっていた。天宮水月がいなくなり、彼女を女神と称する黒木との間にどんな事情があったかなど考えもしなかった。
「自分の正義が、相手にとっても正しいかなんて誰にもわからないさ。それに知ったところでどうなるようなものでもないだろう。水月を助けるにはどの道、他の選択なんて無かった。説得できたかもしれないなどと思うのは、うぬぼれだよ」
「鏡、言い過ぎだよ」
そういった可能性もあったのかもしれない。しかし、それは助けられた水月の口からは言えない側面でもあった。
「いや、鏡の言う通りだ。知ったところで何も変わらなかっただろう」
だが、といって明は続ける。
「知ってしまってからなら、今ならきっと何かできることがあるはずだ。せいぜい今の俺達にできることをしよう」
「前向きですね。さて、これで私から話せることは終わりです。またのご利用をお待ちしております、明さん」
立ち上がり、扉へと向かうヘイフォン。
「ああ、その内また利用させてもらう。そのときはよろしく頼む」
外に出ようとするヘイフォンを見送り、手を振る三人。
去り際の彼女の顔は、さわやかな営業スマイルだった。
修正再開。まだまだ行きます