2‐3‐5 Arrive
時は、鏡の戦闘が終わる少し前にさかのぼる。
水月とグリゴリーの戦闘に選ばれたフィールドは古代の闘技場、アリーナ。そこでは、水月の操るウィンディーネとグリゴリーの操るヘッジホッグが対峙していた。
「こうして戦うのって本当に久しぶり。わくわくしてきます」
オープン回線越しに無邪気に話し掛ける水月。
本来であれば使用している言語が異なるために通じるわけがないのだが、仮想空間上では機械言語を介して即時翻訳がなされるのでどのような人間とでもかなりの部分で意思疎通が可能だった。
『バベルコード』と呼ばれるプログラミング言語を介して、自動翻訳がAIによってなされるためにごくごく自然に会話が成立する。仮想空間では、行動と意識がイコールであるがゆえに思考から記号変換される過程を逆に翻訳することで万能翻訳機としている。
もっとも使用され始めて初期の頃は精度の悪い翻訳機能しか持っていなかった。しかし、仮想空間上に無数に存在するモルモットたちのデータを参照にその精度を徐々に確かなものへ進化させるに至った。
「ブランクがあっても勝てると思っているのか? この俺も舐められたものだ」
「ブランク? 関係ありませんよ、そんなことは。それに今の私は、誰にも負けないと思います」
「ジョークにしては笑えないな。君が俺より強いとでもいうつもりかい」
「言葉を尽くしても無駄でしょう。結果が全てを示します」
「一分で終わらせよう。時間は有限だ」
「その意見には同意です。では、始めましょう」
両者は戦闘後、初めて武器を構える。
――《Water Sprite》(水の精霊)――
水月の思考と連動してウィンディーネは、先端に装飾が施された儀式槍を構え水流を展開する。予選のときのように防御主体ではなく、攻撃にもすぐに移れるように展開されたそれは、彼女を守護し共に戦う精霊のようにも映る。
対するヘッジホッグは要塞が如く、全ての砲台をあらゆる方向に展開する。標準装備されている『多重照準』のアビリティよる命中補正を受けた攻撃は、そのプレイヤーのレベルが一定水準以上であれば回避は限りなく困難になる。なぜなら、紙一重で回避を行った場合には全て命中したものとみなされるからだ。
互いの戦闘準備が終わり、両者の視線が交錯する。
「それでは、演武を始めましょう」
「お前が踊るのは、俺の掌の上だ」
オープン回線越しに挑発的な言葉を放ち、戦いが始まる。
強制ではないのに、こういったやり取りが度々みられるのは、対戦型ゲーム故なのかもしれない。
先手を打ったのは、強気な言葉を放ったグリゴリーの方だった。波のうねりのように、複数の砲台から弾幕が展開されていく。
ミサイル、弾丸、光学兵器、チャフ、あらゆる種類の兵器がわずか数秒でアリーナを覆い尽くす。その鮮やかな手腕は、海賊連中には期待するべくもない力量差の表れでもある。
対するウィンディーネは、フィールドの表面に薄っすらと水を張りその上を滑るように進んでいく。
牽制の目的なのか、わざと外すように近くで爆発が散発的に起こる。
(安易で、愚直なまでの攻撃。優秀な戦術ではあるけれど手管は見えています)
その後も爆撃染みた攻撃が、彼女の前に後ろに上空からここぞとばかりに降り注ぎ続ける。しかし、それでも水月の操るウィンディーネは、一度たりとも被弾しない。防御の姿勢を取りつつ移動しているが、それが防御するために使われたことはない。
十秒、二十秒と攻撃を完璧に交わされ続け、やっと事態の異常さに気付いたのかグリゴリーの方にも焦りが見て取れる。別段、彼女は高速移動しているわけでもない、しかし、ゆっくりとではあるが確実に水月の操るウィンディーネがヘッジホッグに近付いてきているのだ。
「……ありえん。俺は悪夢でもみているのか?」
『GENESIS』におけるプレイヤーの強さとは、攻撃の正確さ、状況に対する反応速度、防御技術、回避技術、技術を行使する判断能力、そして、それら全てを同時にこなす並列処理ができるかどうかが重要になってくる。
ヘッジホッグは機体の火力とアビリティの補正があるために初心者にも使いやすい機体という認識が広まっているが、実際のところは武器が多過ぎるために完璧に使いこなすのは初心者には不可能だった。
これらは、全て同時に展開して初めて強力な武器としての意味を持つからだ。
基本的な戦術としては、チャフを散布しつつ相手の動きを牽制、移動を制限して火力で問答無用に仕留める。そういった攻撃パターンがセオリーであると言える。しかし、実際にはそれらを並列的に全て処理できる人間などほとんどいないのが現実である。
エンペラーを扱っていたセルゲイのように半自動化してしまえば、あるいは普通の人間にでも扱えるのかも知れないが、そんなことができる人間はグリゴリーなどを含めてほんの一握りである。
「左右からの誘導に上空からの牽制も含め、全て、全てこちらの思惑通りに動いているはずだぞ。なのに、なのに、なぜ当らん!」
切り忘れているのか、それとも、ただ単に付けっぱなしにしているのだろうか、オープン回線越しにグリゴリーの声が響く。
その声には怒りや焦りのようなものが見え隠れする。
「ふふ、一分までは、あと30秒もありますね」
弾丸の嵐を掻い潜り、ついにヘッジホッグの眼前に辿り着くウィンディーネ。
今の彼にとってその声は、ただの少女のそれではなく、獣の咆哮にも似た恐ろしささえ感じ取れる。
少なくとも大会での死ぬと言うことは無いが、しかし、自分自身が追い詰められているという状況に久しくなっていなかった彼の恐怖は、一体どれほどのものだろうか。
――《Aqua Lance》(水の突撃槍)――
その言葉を発動キーとして、ウィンディーネの持つ儀式槍に周囲の水が巻き上げられる。
移動しながらも彼女の周囲を渦巻いていた水流の全てがそこに集まっていく。そして、巨大なランスは、武器でもあり盾であった。
至近距離で回避しきれなくなった弾を全て受け止めながら直進していく。
肉薄されたヘッジホッグは、正面に装備された二門の大型砲身を放つ。それを水月は槍に集められた水流をヘッジホッグにぶつけることで無効化しつつ、飛び上がる。
水の塊に包まれたヘッジホッグを飛び上がったウィンディーネの儀式槍が捉える。その一撃は片側の砲身を潰し頭部を貫通する。
――《Flash Freeze》(瞬間凍結)――
水月の言葉を合図に、フィールドを薄っすらと覆っていた水は一部を気化させ急速に失われた熱量で凍結する。
出来上がったのは氷の結晶のような粗い氷の彫像。別段周囲に潤沢な水源があるわけでもないので、大した足止めにもならないが時間稼ぎには一瞬で十分だった。そして、儀式槍が地面に突き刺さると同時に彼女はさらに高く飛将する。
壊れた砲身から誤爆しつつもなんとか状況を把握するグリゴリー。しかし、その間に行われるはずだった弾頭の制御やチャフの散布は完全に空白となる。制御からあぶれた兵器が周囲に意味もなく撒き散らされる。
「……槍で棒高跳びだと」
相手を見失うが、それでも直後に意識を立て直す。グリゴリーは敵の位置をレーダーで確認すると視点を別のカメラに切り替えウィンディーネを再度視界に捉える。そこには、反転し水の槍を構える水の巫女が投影される。
――《Blue javelin》(青い投槍)――
ARMによって高速かつ自動化された動きが彼女の思考に従い再現される。大気を凝縮し高密度に圧縮された水の槍がその手に大きく掲げられる。
上空で渦を巻き回転する水の槍を、ウィンディーネはヘッジホッグに向けて思い切り振り下ろす。
矢の如き速さで放たれた水の刃は、氷を打ち砕きヘッジホッグの背面部の砲身を貫通し突き抜ける。そして、彼女の着地直後に、アリーナに響く戦闘終了を告げるシステムアナウンスの機械音声。
――【THE END(戦闘終了)】――
「ふふ、本当に一分掛からなかったな」
目の前で起きたことは、彼女自身が一番信じられなかった。
ただ、戦闘中に異常に冴えてくる自分自身の意識と相手の思考を先読みしてそのわずかに先へ先へと移動していた。対戦相手であるグリゴリーは、初めはそれを自分の戦略の上で起こっているものと勘違いしていた。
だから、彼女のわずかに後ろや横で爆発が起こり、弾丸が通過した。射線が重ならない軌道であればその攻撃にアビリティの補正は掛からない。カス当りが直撃に変わるという程度のものではあるがそれでも一撃死がありうるこのゲームではかなり強力なアビリティだった。
「……私はもう、誰にも負けたくないから」
そうつぶやいた彼女の心中は、氷のように冷え切っていた。
目の前のことなど水月にとってはどうでもいいことだった。ただ、すぐに終わらせて少しでも長く彼と一緒にいたい。
一時であっても離れたくない。
そして、自分の弱さによって以前のようなことが起きるのも二度とごめんだった。
砕け散った氷と水滴がダイヤモンドダストとなり、彼女の勝利を彩るかのように輝き、無数の欠片となって霧散した。
とりあえず編集一時中断。ちょいちょい直して行きます。