1‐5‐2 Start
(無力な私は、せめて祈りを捧げよう。この演奏に乗せて)
水月はテラスに脇に置いてあった大型の黒いグランドピアノを弾いていた。演奏している間は全てを忘れることが出来る彼女であったが逃避であるとは考えていなかった。
自身のすぐ隣で起きている現実はどう足掻いても変えられないものでしかなく、黒木が作った空間で響く この楽器であれば、自分自身の存在を外部に認知させることが出来るかもしれないと考えた。
ピアノに走らせる指は、踊るように鍵盤を叩く。
彼女にブランクはあったが思考と行動が直結したこの空間では間違いなど起こりようが無かった。文字通り思った通りに体が動くのだから。
「私は、ここにいます」
風に乗って、時に軽快なリズムが、時に切ないメロディが響く。陽光が照らす緑の陽だまりで水月は演奏を続ける。目を瞑っていても指は正確に鍵盤を打鍵する。すぐ近くに来ているのだろう、彼女には手に取るように感じられる彼らの鼓動に息づかい。
もう彼らが戦闘を始めて何分になるだろうか。
今回は、確実に決着が付くのだろう。
どちらかが死ぬことによって。
中度半端な決着など、ありえないのだ。
ならば、せめて戦いに祈りを捧げこの曲を贈ろう。
そんな感情が水月を突き動かしいていた。
そう、これはこれから現れる死者に対するレクイエムだった。
どちらが死ぬにしても、死者を送ることが間違っているとは思わなかった。あるいは、彼女にとってこれは感情の前払いなのかもしれない。
黒木が死んだとしたら、それはつまり仲間との再会を意味していた。
喜びの中で彼を労わる事など出来ないだろう。
明たちが死んでしまった場合は、悲しみで何もすることが出来なくなっていることは容易に想像できた。
だから、彼女は演奏する。
生者ではなく、死者のために。
「お願いだから、諦めないで」
***
耳に響く懐かしい音楽。
確か水月が奏でていたタイトルの無い曲。
「ここにいたんだな。すぐに助けるから、あと少しだけ待っていてくれ」
明は小さくつぶやくと、武器を構え再度臨戦態勢を取る。
「馬鹿な、この私が直撃だと。ありえない、ありえない、ありえない」
どさりと地面に落下したケルビムの胸部には、深々と貫かれた跡が見える。戦闘中の機体へのダメージは精神へとフィードバックするはずだが、それ以上に自分が被弾したことがショックなのか、放心するようにありえないといい続ける黒木。
その周りでは、燃え立つように上がる白煙。そして、全身を赤く灼熱させたケルビムが取った次の行動は闘技場の大地に剣を振り下ろすことだった。
音を立て崩れ落ちる天上の大地。
突然の奇行に明は相手の意図を見失う。
(逃走? 誇り高い死といった黒木が?)
僅かな迷いが、後方に出現した一体のケルビムの攻撃への対処を遅らせる。
空中から降るように落下してきた二本の剣を手に何とか斬撃を防ぐが、そこからの蹴りに対して無防備になる。
叩き落される形で、本体に追いすがる。距離が離れた一体には、プラズマライフルを浴びせこれを撃破する。落ちるように加速する眼前には、新たに五体のケルビムが顕現し、その輪郭を明瞭にしていく。
こちらにケルビムが出現したのは、鏡が死んでしまった可能性を意味しているが、彼女の生死に関しては、信じるしかない。
どの道、今は眼前の敵に集中するしかないのだ。
目指す相手は、紛い物の天使達の先にいる。
(時間稼ぎではないとするなら、逃走不能な場所での包囲網の形成か)
左右を石柱やレンガに囲まれたこの場所でならば、瞬間的な逃走は不可能に近い。
下へ下へと降下するケルビムの本体を追うべく、フェアリーはその速度を上げていく。いつ反転し攻勢を仕掛けてくるか、しかし、近付かないことには倒すことはできないという状況への葛藤はあった。
それでも、死の恐怖を押し殺し地面へ激突すれば確実に死ぬであろう速度へと明は加速していく。五体の敵を素通りし目指す敵へ、あるいは、罠へと自ら踏み込む。
初動の違いか、縮まらない互いの距離を保ちつつ明は二丁の銃を構えドッキングさせて一つの武器へと再構築する。熱によって揺らぐ視界を補正プログラムで修正、照準をオートで合わせつつ、複数の項目を瞬間的に再確認する。
充填率が上昇するにつれて、背面で羽のように展開されていたブースターの燃焼が大きな蝶の羽ように広がる。
【反応炉、出力上昇】
【充填率88%】
視界に投射されるマーカーがケルビムの本体へと重なる。伏せ撃ちの姿勢のまま降下するフェアリーの 背後からは、追従するかのように五体の敵が続く。
【照準固定】
【充填率98%】
砲身が熱を帯び、大気が揺れる。
視界の隅では、アルファベットと無数の数式で構成された文字列が認証されたものから続々と過ぎ去っていく。
【エネルギー還流完了】
【All readiness】
【充填率108%】
僅か一秒足らずの時間で、無数の文字列と記号が頭の中を駆け巡り、認識される毎に処理されていく。
戦いの中で昂揚する明の精神を表すかのように、フェアリーの翼の輝きが落下する動きに合わせ羽ばたくかのように燃え盛る。
そうしている間にも、刻一刻と石畳の床が近付いてくる。
こちらの狙いに気が付いたのか、ケルビムがその身を反転させフェアリーへと迫る。
赤く燃える剣を振りかぶり、右へ左へと狙いを外す。
【充填率118%】
電気を帯びたリニアレールガンの砲身加熱が徐々に過熱し、オーバードライブとエラーメッセージが視界に表示されるが無視して充填率をさらに増加させていく。
(一発だけでいい。今度こそ確実に仕留める)
両手に構えた銃を左手に持ち替え、右手には剣を構える。
オートに任せていた照準にマニュアルで補正を掛け、マーカーを再度重ねる。
【充填率128%】
触れる程の距離にまで相手を引き付ける。
(まだ、もう少し)
【充填率138%】
砲身が熱を帯び、その熱が空気を伝わる。
振るう剣の内側にケルビムが潜り込み、右腕に向けて刃が迫る。
(ぎりぎりまで引き付ける)
突き出した右腕に熱を帯びた刃が突き立てられ、装甲が切り裂かれると内側から燃えるような痛みが走るが構わずに引き金を引く。
(今だ!)
ゼロ距離まで密接した銃口を中心に、中空に薄く光の輪が重なる。
直後、光の矢が塔の中を駆け抜ける。
すさまじい衝撃波が空気を裂き、音を越えて突き抜ける。
ケルビムが防ぐ動作に移る間も無く、音速を優に超えた弾丸がその肉体を貫通する。
光を思わせる速度の弾丸が通過した直後に、止まっていた時が動き出したかのように崩れ行くケルビムの機体。視界に映し出される光景は破壊と創造を体現するかのようなある種の美しさすら垣間見える。
中空に光が迸り、目の前で神の偶像が破壊されていく。
「これで私も行ける、愛ある世界へ」
システムに死亡したと見做されたケルビムのヒット判定が消えた斬撃が機体を通り過ぎた直後にビジュアルエフェクトが表示される。
【THE END】
衝撃で吹き飛ぶよりも先に相手が死亡したという、その事実を再認識するがために強引に制動を掛け後方に向き直る。その視線の先では透過した天使の肉体がフェアリーの後方で無数のポリゴンとなって霧散していく。
視界をさえぎるものが消えると青い空が覗く。そこには、このまま死んでもいいと思わせるような美しい景色が広がっていた。雲間から差し込む光は、神の啓示か死に行くものに対する祝福か。
目に映るのは、分厚い雲の隙間から指し込む光。レンブラント光線、あるいは、天使の梯子とも言われる自然現象が見上げる空に広がる。
その眩しさに、明は思わず手を伸ばす。
(ここで死んだら、行き先は天国か地獄か)
落ちていく意識の中、機体は地面へと近付いていく。戦闘は終わっていても、肉体の延長であるAAが地面に叩きつけられれば、待っているのは死だ。敵を引き付け過ぎたことが完全に裏目に出てしまっていた。
「全く最後の最後で詰めが甘いんだね、君は」
塔の下部にある扉を大剣で破壊して、傷だらけのウィザードが現れる。鏡のウィザードが迎え撃つかのようにフェアリーに対して剣を向ける。
「【Magic circle】(魔方円)」
口頭で発せられた発動キーにあわせ、ぼろぼろの剣が空を駆け、フェアリーに迫る。
(裏切り?)
一瞬、そんな言葉が明の脳裏に浮かぶがぼやけた意識では機体の駆動すらままならない。何も出来ないのならせめて彼女を信じることにした。明の眼前には、複数の剣を基点に浮かべられた淡い光で作られた星を象った魔法陣が浮かぶ。
そして、そこで彼の意識は完全に途切れた。
AAが方陣に包まれると急激に減速し空中に静止する。
「ふう。君が死んだら、何にもならないだろうが」
明を受け止めそういう鏡の声はどこか優しさに満ちていた。
修正したぜ。