1‐3‐5 Again
「明、鏡、大丈夫だよね」
涙をぬぐい水月が独白する。現状では、彼らの勝利を裏付ける要素など何一つとしてなかった。今の彼女にできることと言えば、ただ信じて待つだけだった。
緑の丘に風が吹き、白いロングスカートがはためく。無力であることが、こんなに悔しいとは思ったことがなかった。
そして、自身の持つアビリティ『共感』を嫌悪した。
自分だけが相手の考えを知ってしまうことがこんなにも辛いことだと理解した。
「きっと、鏡も同じ気持ちだったんだね」
涙ながらに抱擁を交わしたあの時、たとえ言葉は聞こえなくとも、相手の思考を読み取る『共感』の所為で鏡の考えは通じてきた。友情と恋愛、愛情と憎しみ、優越感と嫉妬、複雑な感情が入り乱れ、それでも助けるという強い意志が伝わってきた。
「でも、同じ人を好きになってお互いに嫉妬するなんて、本当に似たもの同士だよ」
どんなに相手に想われても答えることができない立場、どんなに相手を想っても答えてもらえない立場、この二つにどんな違いがあるのだろうか。
幼少の頃に見たような、王子様がお姫様を救い出すというストーリー。当時の彼女は、安易な考えでお姫様に憧れたこともあった。だが、実際になってみればこれほど嫌なものはないだろう。
助ける、ということが成立するためには、自身の生存が条件である以上、仮にどんな目にあっていても自殺することもできないし、いつ助かるのかもわからない。
自身を捕まえている相手の気分次第でどうにでも変わる立場や状況。仮に王子が、自分を捕まえている相手を首尾よく倒すことができたとしても、相打ちでは意味がなく、その前に王子が死んでしまっても意味がないのだ。
とてもではないが、こんな状況は手放しで喜べるものではない。
いや、それでもハッピーエンドが約束されている物語の中でなら、自分自身の立場に少しは酔うことができたのかもしれない。だが、彼女は自分の親友の気持ちを知って理解してしまった。
そんな状況で、彼女の前で愛を誓うことなどができるわけもなく。親友の愛している人間を目の前で奪うことなんて、したくはない。それもこんな、つり橋効果のような方法でならなお更のこと嫌だった。
しかし、現実に明は自分を助けに来ているし、助けられてしまえばその先の展開はもう決まっているだろう。
その未来を彼女の心が望むと望まざるに関らず。
そして、時間はもう余り残されていない、選択も限られている。
そもそも親友と恋愛を天秤に掛けるという選択ができない以上、最初から答えなど出るはずもない。
終わりの見えない思考の迷路の中、今の彼女にできることは祈ることだけだ。胸に掛けられた、明と鏡とおそろいの銀の十字架。特に信仰がある訳ではないが、彼がくれた宝物だった。そんな些細なことで喜べた、昔の自分が懐かしい。
「無力であることが、こんなに悔しいなんて、思わなかったよ」
首から提げた十字架を食い込むほどに強く握り、水月は仲間の無事を祈る。
緑の丘から見上げる塔の頂は、分厚い雲に包まれていた。
***
【REINFORCEMENT】
ビジュアルエフェクトのカットインが挿入された直後に、フェアリーの目の前にウィザードのAAが現れる。
「【Red shield】(赤い盾)」
AAの出現と同時に鏡が声高に叫ぶ。
ウィザードのローブを構成する複数の赤い剣が、彼女の声に応えるかのように瞬時にその形を変えていく。出来上がった円形の大盾を構え、眼前に迫っていたケルビムの白刃を受け止める。
激しく火花を散らし、金属と金属が激しくぶつかる音が響く。
「か、鏡なのか」
対人戦における任意の地点へのポップ、本来座標情報のみで判断するその位置を彼女は、『神眼』によって全て把握した上で戦闘に介入した。
「はあ、はあっ。間に、合った。よかった」
聞こえたのは親しい女性の声。
ぼやけた視界の中、呆けるように明がつぶやく。
そんな彼を叱責するように鏡が叫ぶ。
「明。何をしている、早く反撃を!」
「助かった、礼は後でする」
そして、即座に平静を取り戻した明は左右から迫る二体のケルビムを仕留めるべく右手に携えたミスリルソードを薙ぎ払い、対面の一体には左手に構えたリニアライフルをしこたま打ち込む。
「解放、【Crimson lotus】(深紅の蓮)」
即座に援護に回った鏡が、凜とした声で言い放つ。赤い盾は、彼女の声に応えるかのように分離し、解き放たれたように赤い剣が空を駆ける。そして、何十もの剣が、雲の先にいた三体目のケルビムを包囲して串刺しにした。
風に舞う花弁は赤き剣、恐ろしくも美しい深紅の花が天使の体を突き抜け咲き誇る。
「こいつらは複体。構わずにセンサーに表示されている本体を仕留めて、明」
「わかった、援護してくれ。鏡」
「もう一匹忍び込んでいたネズミはあなたでしたか。私自身の手で殺せないのが少々残念ですが、幕引きの時間です」
雲海から新たに出現した六体のケルビムの一体から声が発せられる。
フェアリーとウィザードの正面に三体のケルビムがそれぞれ配置され、それら全てが完全に一致した動作で赤々と燃え立つ剣を構える。
同時にコントロールできる数は、六体が上限なのだろうか。六体を越えての攻撃は今のところない。黒木の駆るケルビムと、複体が五体。この距離ではセンサーが役に立たないので最終的には何体倒せばすむのか検討もつかない。
あるいは、制限などないのかもしれないが。
「なら、皆殺しにするまでだ」
アビリティによって加速し、雷光と見紛うばかりの速度で正面にいたケルビムに切りかかるフェアリー。
薙ぎ払うように構えられたミスリルソードの刃が敵を捉える。
しかし、その刃がつきたてられる瞬間にビジュアルエフェクトが視界に映る。
【TIME UP】
「くくく。招かれざる客には、ご退場願おうか」
視界の端に表示されていた三分のカウントダウンの消失から僅かに遅れて、機械音声によるアナウンスが無慈悲に響く。同時に明の位相がずれ、剣での攻撃はケルビムの胴体をすり抜けて空を切る。
「馬鹿な、システムに干渉したのか?」
一瞬の忘我の後に、明の口からそんな言葉が漏れる。基本的に、仮想空間上で行われる戦闘は時間無制限でのサバイバルマッチだった。それ以外の勝敗の決定条件を明は見たことが無かった。
「言ったはずですよ、ここでは私が神であると。あははははは」
残響のように響く黒木の嘲笑の中、二人の視界に新たな文字が浮かび上がる。
【THE END】
「くそくそくそくそ、畜生。こんなところで、水月、水月ィィィッ!」
自身を構成するポリゴンが空中に霧散していく中で明は叫び、手を伸ばす。
彼女がどこにいるかもわからない、届かない叫びだと理解もしていた。
それでも、見えない何かに抗いたかった。
こんなところで終わってしまうのを認めたくなかった。
そして、何より追い続けてきたものを絶対に諦めたくなかった。
システムの音声が響くと徐々に視界が黒く埋め尽くされ、そこで彼の意識は途絶えた。
おわらなーい。修正作業はまだ続く。