1‐3‐4 Again
淡い光に包まれ、視界がぼやける。
光のトンネルを抜けると不意に視界が開ける。ゲートを通過する数秒の間は完全に沈黙していたセンサーに視認した情報が新たに書き加えられる。光点が示す位置情報と名称にはケルビムと表記されていた。
その視線の先には、白き神の御使いがいた。
天を衝く巨大な塔を包み込むように、青黒い空に雲が流れていく。大空には黄金の鐘の音が鳴り響き、エリアが重なると同時に明とその敵対者の視線が交錯する。
視界が一瞬、白い光に包まれる。
【JIHAD】
明は初めて見る視覚エフェクトに戸惑いを覚えるが、システムのアナウンスが響き渡り戦闘開始の合図を告げる。今は、そんな些細なことを気にしている場合ではないと意識を切り替える。
「ガーディアンか。俺の前に立塞がるのなら、倒すまでだ!」
腰に携えた二本の剣を抜きながら明は独白する。
「私は、ただのガーディアンではないのだがね。まあ、『フロアマスター』であるこの私、黒木智樹を倒すことが、この戦闘を終わらせるための条件であることを考えれば、似たようなものではあるが」
オープン回線越しに返答する声が響く。
声の主は、正面をホバリングする白い天使。
「悪い冗談だ。なぜ、あなたがこんな事をしている。答えてくれ、黒木智樹!」
怒り、憎しみ、不安、頭の中を駆け巡る負の感情を押し殺し、黒木を名乗る人物に対して質問を投げかける。かつて自分が師としていた彼を殺したくはない、間違いであって欲しいと願っていた。
「いい殺気だ。返答次第では私を殺すと言う強い意志が伝わってくる。それから、閉じ込めてはいないよ、女神がここにいるのは彼女自身の意思だ」
中空でケルビムは両手を大仰に広げ、操縦者である黒木が演説するように語る。
即座に自分自身のデータバンクにある情報と彼のデータを照会してみるが、目の前にいる彼は紛れも無く本物の黒木智樹だった。
「事実がどうあれ、盗人が盗んだのは自分でしたなんていう訳ないだろ。あんたは彼女を女神として崇めて、司祭にでもなったつもりか」
黒木の陶酔するような口調に、その狂気染みた言葉に、彼との対話を断念した。
今この瞬間、
自分が対峙しているのは、
かつて自分自身が師として敬った相手ではない。
そう自分に言い聞かせて。
「そうだ、ここでは私は司祭であり神なのだよ。それが『支配者』の力、全てを司る神のなせる業よ」
「確かにアビリティはそれ一つで驚異的な力を発揮する。しかし、それだけで神を気取るとは笑わせてくれる。黒木智樹、いや、お前は『GENESIS』の道化だよ」
そう、ここにいるのはかつて自分が師として仰いだ人物ではないのだ。ただ単に『GENESIS』という巨大なシステムに踊らされているだけの哀れなピエロ。
「いいだろう。その身を持って理解するがいい、神に喧嘩を売った愚かさを」
「箱庭の神が、偉そうにほざくな。お前はただ、水月を閉じ込めている狂人だよ」
敬意は敵意へと、憎悪が怒りへと変わり、感情が昂ぶってくる。
「違うな、女神は自らの意思でそこにいる。これは、神の思し召しなのだ」
「狂信者が。何を言っても無駄なようだな」
これは、もはや対話ではなかった。
「もとより問答するつもりはない。ここに踏み込んだ以上、私が自ら殺すまでだ」
「それがあなたの本性と言うわけか。それなら」
剣を向け、自身の迷いを断ち切るように強く言い放つ。
「あなたを越える。今日、ここで」
明の胸にもう迷いはなかった。一体何が原因で狂ってしまったのかは定かではないが、少なくとも今の彼は、自分の敵であり目的そのものなのだ。
もう、ためらいはなかった。
目の前にいるのは、倒すべき相手なのだから。
「さあ、始めよう。そして、全てを捧げよう。女神のために!」
四翼の天使が大剣を振り下ろすと、塔を囲むように巨大な炎の円陣が現れる。相手の動作に合わせて、天空の塔に配置された無数の大窯から燃え立つ赤々とした炎。宙に浮かぶ巨大な闘技場のようになった、フィールドから音が聞こえる。
聞いたことのあるリズム。
そう、この合唱は、ベートーヴェン作曲の第九交響曲。
異国の歌をBGMにケルビムとフェアリーはフィールドの中央部で刃を交える。
重なる剣戟の音に合わせ、夜空に舞い散る火の粉が赤く黒く明滅する。
繰り返される旋律と、湧き上がるような歓喜の声に合わせ、中空で幾度と無く斬り結ぶ。吹き抜けの塔の頂上で切り結ぶ度に両者は、円を描くように徐々に間合いを詰め、火花を散らしながら鍔迫り合いで出方を伺う。
「神への祈りは済ませましたか? 司祭たる私に刃向かったその愚かさを、自身の破滅を以って知るがいいいいいぃぃぃっ!」
「戯言をほざくな! お前なんかに構っている暇はないんだ」
ケルビムは、単調な鍔迫り合いに痺れを切らしたのか、大剣で力任せにフェアリーを弾き飛ばす。
力で劣るフェアリーは為されるまま後方へ押し返される。
追撃を仕掛けるべくケルビムが前方へ加速する。
大上段に構えられた大剣で、羽虫を叩き潰すが如く振り下ろすのは白い神の化身。
フェアリーは、右手のミスリルソードで攻撃を受け流しつつ、逆の手に持ったミスリルソードで薙ぎ払う。
天使の胸部に深々と刻まれる、傷の刻印。
明は自身を鼓舞させ、更なる連続攻撃を仕掛けるべく機体を加速させていく。
「これで、片付けてやるよ」
空気の壁をつき抜ける感覚に、
機体の速度が音速を超えたことを知覚する。
視界に映るは繰り返される剣戟、
切り結ぶたびに飛び散る火花、
一瞬に輝き消えていく姿は、
未来の自身の生か死か。
彼は望む運命を引き寄せんがために、
引き金となる言葉を脳裏に思い描く。
【Attract tempest】(引き寄せる暴風雨)
鍔迫り合いから、互いが離れる瞬間に合わせショットアンカーを放つフェアリー。
その言葉が引き金になり、フェアリーは登録された動作を完璧に再現する。
事前に登録した動きを再現するアシストプログラム『ARM(Auto Response Move――自動対応行動)』を利用した簡易コンボ。そして、この瞬間から全てが高速に自動に処理されていく。
フェアリーの手首から放たれた鋼鉄のアンカーが、互いの距離をゼロにした直後、薙ぎ払うようにミスリルソードがケルビムの装甲を切り裂く。
さらに傷跡を抉るかのように、
両手に持った剣を交互に袈裟懸けと逆袈裟に振り下ろす。
崩れ落ちるように、よろける機械の天使を突き飛ばすようにクロスさせた二本の剣を切り上げる。
後ろに倒れるように大きくのけぞる相手に、右足のひざ蹴りのめり込ませ、左足で駆け上がるようにさらにサマーソルトを決める。
弧を描くように、宙返りしつつ中空で反転し剣を収める。
傷付きぼろぼろになったケルビムに、止めとばかりにプラズマライフルを浴びせ、ひび割れたボディに止めとばかりにリニアライフルを放つ。
自動で再現された動きはここで終了する。
最後に放たれた弾丸が天使の胸部装甲を貫通し、空中でケルビムのAAが爆発し無数のパーツがとなって四散する。動きこそオートで再現されるが、感覚としては肉体の限界を超えての九連続攻撃。
現実の世界においてはごくごく普通の人間である明にとっては、それなりに負担であり仮想の空でフェアリーが、呼気を荒げ胸を上下させるように動かす。
AAに呼吸器官などは存在しないが、現実の自分が激しく動いたような錯覚がサイバースペース上で動きとして再現されていた。暗闇を照らすように、赤々と燃え上がる炎に囲まれて、フェアリーは中空でホバリングする。
周囲を覆っていた、爆発によって生じた黒雲が風によって流れていく。
歓喜が全身を突き抜け、全身に広がる心地よい疲労感。
「これで、終わったのか」
BGMとして流れるケルビムを讃える歌詞の第九の合唱でさえも、今は自分自身の勝利を讃えるかのように聞こえる。塔を囲むように燃え上がる炎を見据えつつ、二丁の拳銃をホルスターに収める。
水平線には燃えるような太陽が見える。
そのまぶしさに、一瞬だが明は視界を失う。
白い光に包まれた直後に、同時に六体のケルビムに包囲される。悪い夢でもみているかのように明は震える声でつぶやく。
「馬鹿な! 確かに倒したはず。くそっ、なんなんだよ」
幾重にも重なってぼやける天使が大剣を振りかぶりフェアリーに迫る。
敵の接近を見落としていた自分に舌打ちしつつ、腰部に収めた二丁の銃を取り出し、再度間合いを確認する。
「君は愚かだなあ、神に刃向かうなんて!」
即座に両手にリニアライフルとプラズマライフルを構え、正面とその右にいるケルビムに攻撃する。右の一体を仕留めるが、もう一体は仕留め損ね、左と背後と正面の三方向からの攻撃が迫る。
急上昇し包囲を逃れるが、追いすがる五体のケルビム。
「俺の邪魔を、するなぁぁぁっ!」
左右に迫ってきた二体に弾丸とプラズマの火球をしこたま打ち込み沈黙させる。
「さあ、全力で抗ってくれたまえ。醜く、見苦しく、のた打ち回れ! あははははは」
狂人染みた声で黒木が叫ぶ。
三対一になったとはいえ、現状はまだ不利であった。
牽制の射撃を続けつつ、虚空を翔け、敵を自身と直線状に配置するように移動する。
目前に迫る巨大な雲海の中に飛び込み避難する。位置情報はレーダーで解かってしまうかもしれないが、近接戦闘がメインのエンジェルシリーズが相手ならば目くらまし程度には十分だった。しかし、そういった経験が、逆に彼の勘を鈍らせる結果となる。
一瞬の安堵、反転して攻撃をしようとして逆に背後を敵に見せることとなる。雲海の先に新たに三体のケルビムの反応を検知した時には、もう遅い。
「神への供物よ、断末魔の悲鳴を上げて喝采するのだ。ヒステリックな赤子のように、泣き、叫び、喚くがいい」
「こんなところで俺は死ぬのか、今度もまた、何もできないままで」
自分自身が踏み出した一歩、越えてしまった境界線。それが勇気であったのか、それとも無謀であったのか。降り掛かる目の前の現実は後悔する時間すら与えてくれない。幾重もの刃がフェアリーを捉える。
刹那、ぼやけた明の視界は無数の剣で多い尽くされた。
修正。