4‐5‐5 Devil
朝日が仮想の城を照らす。
テラスには二人の男女が向かい合っていた。
「こうして会うのは、久しぶりだな。黒木愛」
白い法衣をまとった男こと、アティド・ハレが話す。その堂々とした姿は、司祭のようでいて若き帝王を思わせる。否、魔王が如く君臨したマクトを撃破した彼は、英雄あるいは次の魔王そのものとでもいうべき存在だった。
「貴方は、まるで別人のように変わってしまいましたね。友達歴が長い私以外にはきっと見抜けないでしょう、ふふ」
本人の趣味なのか、純白のドレスを着た黒木愛が苦笑しながら答える。
「本来、ここにいるべき人間ではないからな。俺は」
アティドは自嘲気味に笑い、眼下の踊場へと視線を向ける。
「私だって一度死んでいます。だから、似たようなものです」
見つめる視線の先には、朝霧に濡れた草花、白桔梗が風に揺れている。庭一面を覆い尽くすように白桔梗の花が植えられているのは、このエリアを以前に所有していたマクトの好みなのだろうか。
「変なところで張り合わなくていいと思うが。まあ、君らしいとは思うが」
そよぐ風がマントをなびかせ、ほおをなでる。
「最後には、愛に勝って欲しいと思いますから。自分の名前でもありますし」
彼女個人にとっては、革命がどうとか秩序がどうだとかという事よりも、個人の恋愛感情の方が、優先順位が高かった。
「俺の強さは、あくまでも現時点での最強だからな。未来がどうなるかは、わからないさ」
「そのために私がいます。貴方があいつを倒すべきなのです」
「無論、そのつもりさ。そのために、俺はここにいる。彼女を助け出すために俺はこれまで生きてきた。たとえそれが、奇跡にすがるようなことだとしても」
「きっと、大丈夫ですよ。奇跡なんて簡単に起こるものですから」
見つめ合う二人、風は穏やかだった。
「君は、楽観的だな」
ため息を吐き、呆れるようにアティドが言う。
「人と人が出会って愛し合うことなんて、それだけで十分に天文学的な確率ですよ。七十億の二乗の確率で出会って、更に互いが互いを好きになる必要があるんですから。これが奇跡でなくてなんだというんですか?」
些細な偶然がきっかけで出会うこともあれば、その逆もまた然り。たった一歩踏み止まっただけで訪れる出会いもあれば、当人達がどれだけ強く望んでいたとしても出会うことのできない人間もいる。
「まあ、死んだ人間が生き返ってこうやって再会するよりは高い確率かもしれないな」
ただ、大概のことであれば、奇跡のような偶然を積み重ねた最たる存在である黒木愛に出会うことよりもはるかに簡単なことであるかもしれないと彼は笑う。きっと、奇跡と呼ばれる偶然の収束点は、人の手によってのみ成されるものなのであろう。
観測者なくして、因果は発生しないのだから。
「相変わらず酷いですね、貴方は。人をゾンビのように扱うなんて」
とはいえ、彼女の本体は、意識の存在しない人間、哲学的ゾンビともいえる存在だ。彼女が再現しているのは、人間の表層であり、本質ではないのだ。人間のように振る舞い、人間を模した存在。しかし、それは決して人間足り得ない。
模倣はどこまで行ってもよくできた模倣でしかない。たとえ、それが本物と見分けがつかないほど精巧な贋作であったとしても。
「それを言うなら、仮想にいる人間は全員ゴーストみたいなものだと思うが」
実体をもたない、情報の集積。それは、記号の変動によって表現される魂のない交換原則でしかなく。
「ふふ、冗談です」
美しいとも恐ろしいとも取れる笑みで、彼女は微笑む。この仮想という世界において、彼女は神であるとも魔王でもあるといえる。
「やれやれ。こうして気楽に話せる人間は、君くらいになってしまったな」
多くの戦友、友を失った悲しみ、そして、先程自ら手に掛けた相手を想う。涙はなくとも、苦悩を帯びた微笑みには、彼の悲しみが現れる。
「私が唯一の理解者、とでも」
彼女はただ、見つめ返す。
その瞳には、光が映っていた。
「そんなところだ」
付かず離れずの距離。
二人を隔てている、近過ぎず遠過ぎない空間が、今の彼らには心地よかった。
何も望まないことを望む、ただお互いを認め合う関係。信頼でも契約でもない、愛よりも確かで未来のように不確かな何かが彼らをつないでいる。それは、夜から朝へと変わっていく今というこの時のように儚くも、尊いものだった。