健人の不安
「ちょっと、おじさん!なんで一部屋なの?!普通、二部屋でしょ!
二部屋!隣の部屋だって空いてんでしょーが!他にお客さんいないんだから。」
雪見は、六畳ほどの部屋にぎっしり敷き詰められた、三枚並んだ布団を
見た途端、バタンと勢いよく部屋のドアを閉めた。
そして階下にいるおじさんに向かって、悪い冗談はよしてよ!と
二階から凄い勢いで食ってかかる。
健人と当麻は、顔を見合わせ何やらひそひそ話。
ところが階段の下から上を見上げたおじさんは、真面目な顔をして言った。
「悪いけど、今日はその部屋しか空いてないんだわ!
他の部屋は午前中にペンキ塗っちゃったから、臭くて今日は入れない。
雪見ちゃんの部屋だけ、他の部屋の荷物を移して置いといたから
まだペンキ塗って無かったの!済まないけど、一晩我慢してよぉ!」
「我慢って、そういう問題じゃないでしょ、おじさん!
私たちに何か問題でも起きたらどうするの?」
雪見の剣幕に健人たちは、速攻「ない、ない!」と首を振る。
「仕方ないじゃん!そういう事情なら。どうせ俺たち、背中が痛くて
寝れそうもないし、このまま朝まで起きてたって平気だよ。
だからゆき姉は安心して寝ていいから。」
健人が雪見をなだめるように言った。当麻も笑っている。
「そうだよ!こんなとこで俺たちがなんかするように見える?
いいじゃん!修学旅行みたいに三人で語り明かしても。
俺、いっぱいゆき姉に聞きたいことあるし!」
「なに、聞きたいことって?なんか怖いんだけど!
うーん、しょうがないかぁ…。今からよそに行くのもなんだし、
突然泊まらせてもらう原因を作ったのは私だもんね。
いいや。じゃあ、おじさん!ここ一晩借りるね!
朝はまた悪いけど、港まで送ってくれる?」
「あぁ、いいさぁ!7時45分の船なら7時半出発で間に合うね。
七時前には朝飯の準備しておくから、下の食堂に降りといで。
じゃ、おやすみ!また明日。」
雪見たちが部屋に入ってみると、よその部屋の荷物は綺麗に片付けられ
敷いてある布団の上には、民宿のサービスには無い歯ブラシとタオル、
それに袋に入った真新しいTシャツが三枚置いてあった。
「おじさん、私たちが何も持ってないから用意してくれたんだ!
明日お礼を言わなくちゃ。ここの突き当たりに共同のシャワー室がある
から、シャワー浴びてこのTシャツに着替えさせてもらおう。
潮風と汗でベタベタだもん!」
雪見に促されて最初に健人がシャワーを浴びに行った。
が、戻ってきた健人のTシャツを見てびっくり!
白いTシャツの胸に青い文字でデカデカと「海人」と書いてある。
「あ!そのTシャツ見たことある!うみんちゅTシャツだ!」
当麻の言う通り、それは石垣島のショップオリジナルの有名Tシャツだった。
「どう?結構似合ってるでしょ!」
さすが、イケメンという人達は何を着てもさまになる。
健人に続いて着替えた当麻も、そのままグラビア撮影してもいいほどに
着こなしていた。
シャワーを浴びてさっぱりした三人は、一階にあるビールの自販機から
ビールを買ってきて部屋に戻り、布団の上に丸く座って乾杯をした。
「なんか笑えるね!三人お揃いのTシャツにブレスレットだよ!
私たちって『チームうみんちゅ』のメンバーって感じ?」
雪見が、改めて自分たちの姿を見て笑い出す。
「そうだ!これも写真に撮っておこうっと!こんな姿の斎藤健人と
三ツ橋当麻は、もう拝めそうもないしねっ!」
雪見がカメラを構えようとすると、健人が待ったをかけた。
「ずるいよ、俺たちだけ!『チームうみんちゅ』なんだから、ゆき姉も
一緒に写らないと!」
雪見は、ほとんど剥げた化粧で写真に写るのは気が進まなかったが、
渋々三脚を立て、二人の真ん中に収まって記念撮影をする。
本当にこの三人だけしか知らない、秘密の記念写真だ。
それから三人は、それぞれ自分のカメラを取り出し、今日一日の作品を
披露し合った。お互いのカメラを交換し、データを再生して見る。
健人は猫の写真が一番多く、一匹ずつ色んな角度から猫の様々な表情を
切り取っては写真に収めていた。本当に猫を愛する目で見た、優しい
優しい写真である。
当麻の写真は、さすが元写真部員!と思わせるカットが何枚もあった。
「この写真、凄くいいじゃない!こっちのアングルも、プロっぽいね。
なんかもったいないなぁー。こんないい写真撮れるのにカメラ持たない
なんて。写真って、やれば結構ハマる人多いんだよ、最近。
当麻くんも、またカメラ持って歩けばいいのに。」
当麻は、プロの雪見が評価してくれたことが、とても嬉しかった。
と言うよりも、好きな人に褒められたことが嬉しくて嬉しくて仕方ない
といった顔で、ニコニコと笑って話を聞いている。
「俺ね、写真ってやっぱりおもしろいなぁ!と思いながら撮ってた。
また初めてもいいかなぁ、って。そしたらゆき姉、教えてくれる?」
「もちろん!当麻くんがカメラ再開するなら私は全面的に応援するよ!
時間のあるときに撮したデータを送ってくれたら、一枚ずつ評価して
指導してあげる。」
「ほんとに?ありがとう、ゆき姉!俺、また頑張ってみるよ!」
当麻と雪見のあいだに、健人には入っていけない別の空間が生まれる。
つないでは欲しくなかった一本の糸が結ばれたのを、そのとき健人は
感じ取ってしまった。
ふとした瞬間に襲われる、言いようのない不安。
そんな健人に気づかぬまま、当麻は雪見との写真談義に盛り上がる。
そのあとも三人は、布団の上に寝ころびながら、子供の頃の話や初めて
付き合った人の話、仕事の話など、いくら話しても話し尽きる事がない
と言うように、色んな事を語り合い笑い合って夜を明かした。
東の空が白々と明ける頃、雪見がいつの間にかすやすやと眠ってしまった。
健人はそっとタオルケットを掛けてやり、当麻と二人でその寝顔を眺める。
「なんか、ちっとも年上になんか思えないよね。俺と一回りも違うって
ほんとかなって思う。俺がもっと早く生まれて、この世界に入らないで
サラリーマンにでもなってたら、今すぐゆき姉と結婚するのに…。」
健人はわざと「結婚」と言う言葉を当麻に聞かせた。
当麻は、「そうだね…。」と答えるのがやっとであとは黙り込んだ。
初めて「結婚」と言う単語を口にした健人自身、その言葉の意味と
自分の本当の思いを考え込み、それ以上は何も言えなかった。
関係が新たになった三人の、また新しい一日が始まろうとしている。