幸せな待ち時間
鼓膜が破れたかと思った。
まだ耳の奥がキーンとしてる。
「ちょっとぉ!どんだけ大声出すのよ。
耳が聴こえなくなったら、どーしてくれんのさ!」
「あ、あんた!怒らないから正直に言いなさい。
斎藤健人と、一体どーいう関係 ⁉︎」
真由子の声が、心なしか震えて聞こえる。
やっぱ私の鼓膜、イっちゃったか?
「どーいう関係って、ばあちゃん同士が姉妹だから、はとこっていうやつ?
埼玉に住んでるんだけど、よくうちのばあちゃんに連れられて遊びに行ってた。
ばあちゃん死んでからは、ぜんぜん会う機会無かったんだけど、先月十年ぶりに会ってさぁ。
今日会うのが二回目。あ、大人になってから、ね。」
「あんた!今まで隠してたわけ?斎藤健人と親戚だってこと。
あたしがこんだけアイドルおたくだって知ってて?」
「ねぇー。なんか勘違いしてるでしょ?前にも同じようなことあったよ。
これ作ってもらった出版社の人達も、勘違いして大騒ぎだった。
知ってるよ。同姓同名のイケメン俳優がいるんでしょ?
残念ながら、うちの健人くんは俳優なんかじゃありませーん。」
「じゃ、なにやってる人?こんなに瓜二つでイケメンなのに。」
「うーんと…。たぶん大学生…かな?」
「どこの大学?街歩いてたら絶対スカウトマンがよってたかるでしょ。
今までテレビのそっくりさん番組に出たことないのかな?
ぜーったい優勝して、賞金ガッポリもらえると思うんだけど。」
「なに言ってんの。人の親戚で金儲け企んでるわけ?」
「だって雪見!これって凄いことなんだよ?わかってる?
こんなにそっくりってことはだよ?
あんたがこのコとご飯してたら、ホンモノの斎藤健人と間違えられて、フライデーとかに写真売られたらどうすんの ⁉︎」
「ちょっとぉ!ホンモノってなによ、本物って。
うちの健人くんだって、本物の斎藤健人なんだから。」
いつの間にか「うちの健人くん」になってる。
「ねぇねぇ、一回冷静になって考えてみよう。
瓜二つのそっくりさんであっても、名前まで一緒なんだよ?
今日の二人のご飯風景をシミュレーションしてみて。
周りの誰もが本物の…いや、俳優の斎藤健人だと思うでしょ?
で、ちょっとちょっと!斎藤健人が年上のおば…じゃない、女とご飯食べてるよ!って店中が騒然とするわけ。」
「今、おばさんって言おうとした!」
「どーでもいいの、そんなこと。
いい?そうなった場合、あんた達はいいとして、濡れ衣を被せられる俳優の斎藤健人の立場はどうなるのよ!」
「濡れ衣って、人聞きの悪い…。
だって私達、何にも悪いことしてないのにご飯も食べに行けないわけ?
そんなのおかしいでしょ。」
「あんたは世の中に疎くて、斎藤健人がどんだけ凄い俳優か知らないでしょ。
写真集を出せばバカ売れ。ブログの閲覧数なんか、ずーっと一位なんだから!
ドラマに映画に引っ張りだこだし、CMもたくさん!
こんな人気者、そうそういないわよ!」
「ふ〜ん。そんなに凄い人なんだ…。
けど、じゃあどうすればいいのよ。今日のご飯、キャンセルしなさいってこと?」
「まぁまぁ、そんなにアツくならないでよ。
で、今日の約束は何時?どこで待ち合わせ?」
「それがさぁ…。まだ時間も場所も、連絡こないの。」
「なんで?今日の夜ご飯を食べに行く約束なんでしょ?もう夕方じゃないの!
なんで連絡こないのさ。こっちからメールしてみなよ!」
「だって、連絡を待て!って書いてあったし…。」
「待つにしたって、いつまで待たせるのよ!
これだから若いもんは、なってない!大人の女をなめんな!」
「なんで真由子が怒ってんのさ。きっと台湾から帰って、疲れて私みたく一眠りでもしてるんだと思う。
いいのいいの。どうせ明日は日曜だし、夜は長いんだから。」
「はぁぁ…。そんなんだから、いつも男に逃げられるんだわ。」
「ちょっとお!なによ、逃げられるって。
誰が男に逃げられたってのよ!」
「あんたね。今までの経験を全部思い出してごらん?
あんたから男に連絡しないから、それをいいことに浮気されてさ。
挙げ句の果てにケータイ番号変えられても気づかないなんて、お笑い以外の何物でもないわよ!」
「なにもそんな古い話、持ち出さなくても…。
もーいいのっ!ご親切は感謝しますけど、そろそろお引き取り願います!
写真集ラッピングしたりカード書いたり、出かける前にやりたいことがたくさんあるのよ。」
「はいはい!これ以上言っても無駄なようだから、私はここらで退散するわ。
デート終わったら連絡ちょうだい。」
「デートなんかじゃないから!」
「わかったわかった。じゃ、帰る。今度、イケメンの親戚くんを紹介してね。」
「ふふふっ、今度ね。今日はありがと。また香織も誘って飲みに行こう。じゃ!」
嵐が通り過ぎたような静寂さを取り戻し、私は買ってきたラッピングペーパーで写真集を、一冊ずつ丁寧に包装した。
健人の喜ぶ顔を想像しながら、心をこめてゆっくりと…。
これから健人に会えるんだと思うと、不思議と穏やかな安らぎを覚えた。
それが、すでに芽生え始めた恋心だとも気づかずに…。