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癒しの空間

健人と雪見は無言のまま、タクシーに乗り込んだ。

行き先は、当麻と待ち合わせている『秘密の猫かふぇ』


本当だったら行くのが楽しみで、ウキウキしながらタクシーに

乗り込んでたはずなのに、予想もしなかったカレンの出現で

二人の心は、鉛の塊を抱え込んだかのように、身動きが取れなくなっていた。


「どうしたらいいんだろう…。」 雪見がうつむいてつぶやく。


「この先、何も無いとは思わない方が良さそうだ。」

健人がそう言いながら、雪見の手をギユッと握り締めた。




『秘密の猫かふぇ』店内は、初めて来た時よりも混んでいた。

ここでは、お互いが秘密を守り合うのが鉄則なので、

例え顔見知りが誰と一緒にいようが、一切無視しなければならない。


なので健人と雪見も、顔を隠さず堂々としていられるはずなのに、

この日に限っては、またどこからか、カレンが現れるのではないか

という妄想に取り憑かれ、うつむいていた。


薄暗い店内を、二人は固く手をつなぎ顔を伏せて歩いている。

今日は、入り口近くにあるバーカウンターが満席であった。

見るつもりは無かったが、大御所俳優と若い女性が

二人でワインを傾けているのが目に入った。

だが、見なかった事にして足早に通り過ぎる。


当麻と、先に着いた方が場所を確保しておく約束だったので、

健人と雪見は店の奥へ奥へと進んで行った。

第一希望の場所は、もちろんあの気持ちいいウォーターベッドのある

パーティースペースである。

ラッキーなことに、そこには誰もいなかった。


「良かった!空いてるよ!」 やっと少しだけ雪見が笑顔になった。


その笑顔を見て健人も、「やった!当麻が来るまで昼寝しよう!」と、笑って言えた。


その時、白い子猫が一匹、二人が来るのを待っていたかのようにスッと現れた。

雪見が、いい子だねぇと言いながら子猫を抱き上げる。

なんて心が嬉しくなる生き物なんだろう、猫って。

癒されるとは、こういう事を言うのだろう。

この一匹のか弱い子猫が、傷付いた神経や細胞を一つ一つ

ゆっくりと修復してくれるかのようであった。


「白ちゃんも良かったね!ここにもらわれて来て。

みんなに可愛がってもらうんだよ。」

そう言いながら雪見は、白い子猫を手の中からそっと下に降ろした。

その瞬間、自分の心が少し元通りになっていることに気が付く。


『私って今まで、ずっとこうやって猫に心を助けてもらいながら生きてきたんだ、きっと…。

もしかしたら、自分が傷付くのが嫌で猫ばかり撮してるのかも知れない。

人は人を傷付けやすいから…。』


そう自分の一面を理解した時、またしても人を撮す事に対しての

微かな恐怖心にも似た感情が湧き出してしまった。


『いけない!今そんなことを思っては、ゴールまで辿り着けなくなる。

とにかく今は、健人くんの写真集にだけ意識を集中させなければ…。』


頭の片隅から出て来ようとした、『猫の写真家に戻りたい』という

今思ってはいけない感情を払いのけ、雪見は現実を見ることにした。



「あれぇ?ほんとに健人くん、寝ちゃったの?」


雪見が自分自身と対話していたわずかな時間に

すでに健人はすやすやと寝息をたてて夢の中にいた。

そのいつ見ても綺麗な寝顔は、猫と同じくらいの癒し効果があると、雪見は思っている。

『いつまで見てても飽きないのは、猫と一緒だな。』

そう思いつつ、ただじーっとベッドの上で頬杖をつきながら、

健人の寝顔だけを見つめて時間が流れた。



「見〜ちゃった!ゆき姉、健人にキスしてただろー!」


突然後ろから声がしてビックリして振り向くと、

そこには両手に袋を下げた当麻が、ニヤニヤしながら立っていた。


「当麻くん!違うって!私なんにもしてないからねっ!

ただ健人くんの寝顔を覗き込んでただけでしょ!」


雪見の慌てた大声に、健人がやっと目覚めた。


「おぅ、当麻!お疲れ!思ったより早かったじゃん。

あれ?俺またいつの間にか寝てた?このベッド、やっぱりいいわ!

お金貯めて買おう!」


「俺も欲しいんだ!今度、どこに売ってんのか聞いてみよう。

あ、ご注文通りにお買い物して来ましたよ!」


そう言いながら当麻は、両手の袋をぐんっと前に突き出した。


テーブルの上があっという間にパーティー会場へと変身した。

紅白のワインにロゼのシャンパン。

三種のチーズ盛合せに、その他美味しそうなデリがいっぱい!

最後に出てきたのは、物陰に隠してあった大きなケーキの箱と

真っ赤な薔薇の花束だった。


「見て!こんなの書いてもらっちゃった!」


当麻が箱を開け、中から大きなデコレーションケーキを取り出した。


『大好きなゆき姉へ 先輩二人の言うことはよく聞くこと!』

と、チョコレートのプレートには書いてある。


「こんなこと、ケーキ屋さんに書いてもらったのぉ?」


「そう!これは俺と健人からのプレゼント。可愛い後輩にねっ!」


そう言いながら当麻は、雪見に小さくウィンクしながら花束を渡した。


「なんか笑える!どんな顔して当麻くんがこれ書いてもらったのか。

でも嬉しいよ!ありがとね、二人とも。そしてこれからもよろしく!」


雪見がちょっと照れながら、二人に頭を下げた。

みんなの顔にパッと笑顔が弾ける。

その空間だけが甘いケーキと薔薇の香りに包まれて、

嫌な事など無かったことにしてくれた。


それから三人は、お祝いのシャンパンを開けて乾杯をし、

飲んだり食べたりしながらいろんな事を語り合った。


「今日の健人のプライベート旅行発言、うちのマネージャーに散々怒られたよ!

一緒にワンセグで記者会見見てたんだけど、

お前ら勝手に決めんなよー!とか言って騒いでた!」

当麻が口を尖らせて言う。


「俺も今野さんに怒られた!お前の作戦には乗らないぞ!だって。

けどこの話って、本当はゆき姉が今野さんに交渉してくれる約束じゃなかったっけ?」

健人と当麻の視線が雪見に注がれた。


「えっ、私?そんな約束したっけ?全然記憶に無いんだけど…。」


「うそだろーっ!あんなに三人で盛り上がった話なのに、忘れたのぉ?」


「あー、かもしれない!」


「じゃ、今日の記念日は忘れられたら困るから、あんまりゆき姉には飲ませないでおこう!」

そう言いながら当麻が、雪見のグラスを取り上げた。


「うわーっ!この先輩、意地悪なんだぁ!社長に言いつけてやる!」




いつまでもこの空間には、笑い声が響いていた。


日々の心の痛みを、三人はお互いに癒し合っている。


当麻の中ですでに雪見は、なくてはならない存在にまで

成長してしまっていた…。


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