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マスターからのエール

一杯目のビールを飲み干す頃、やっとマスターが料理を運んできた。


「ごめんごめん!お待たせっ!はい、まずはビール!

それから雪見ちゃんの好きな、ポテトグラタンとシーザーサラダ、

海老の生春巻きに軟骨つくねに石焼きビビンバ!」


そう言いながら、マスターはテーブルの上いっぱいに雪見の好物を並べた。



「すっげ!全部ゆき姉の好きなもんばっかじゃん!

で、俺の好きな唐揚げは?」


「あー、後でね!まずは雪見ちゃんのお腹と心を満たさないと。」


「それを言うなら、ご機嫌を取らないと!でしょ?」


健人が、唐揚げを後回しにされた腹いせに、憎まれ口を叩く。



「雪見ちゃーん、さっきはごめんね!

いやぁ、雪見ちゃんは元がいいから何着ても似合うわ!

ほんと、可愛いよ!健人くんの自慢の彼女だな、こりゃ!」


「もういいよ、マスター。今日のことはどうでもいい…。」


おだて作戦に反撃するどころか、何の反応もない雪見を

マスターは急に心配になって、健人に向かって聞いてみる。



「どうしちゃったの?雪見ちゃん。なんかあったの?」


「いや、明日の一時から、写真集の制作発表があって、

初めて二人で記者会見をするもんだから、段々緊張してきちゃってて。

ゆき姉にとっては何もかもが初めての事だから…。」


そう言いながら健人は、表情の硬くなった雪見を心配そうに眺めた。



マスターも、今までに見たことのないくらい沈んでいる雪見を、

どうにかしてあげたいと思っていた。


「そうなんだ。凄いね、雪見ちゃん!

やっとプロのカメラマンとして、メジャーデビューするんだ!

おめでとう!俺、自分の妹が有名カメラマンになるみたいで

めちゃくちゃ嬉しいよ!」


「えっ?嬉しい?」


「当たり前だろ!雪見ちゃんの周りの人は、みんな嬉しいに決まってるさ!

だって、雪見ちゃんは夢に一歩近づいたんだから。」


「夢…って。私の夢…。」


雪見は、しばらく思い出すことのなかった自分の夢を

もう一度、心の引き出しから出して確かめてみようとした。



「そう。雪見ちゃんの夢さ!昔よく雪見ちゃんがカウンターの前に座って、

お互いの夢を語り合ったじゃん!」


「うん。」


「俺はいつか、石垣島のきれいな海のそばで、

こじんまりとした焼き鳥屋のオヤジになりたい!って。」


「うん。そんな話してたね。けど今はダメ!って引き留めた。

私の居場所がなくなっちゃう!って…。」



段々と雪見は記憶を蘇らせていた。


健人との関わりが出来たここ何ヵ月間かのあいだに、劇的に生活が変化して

ゆったりと自分のペースで生活していた事なんて

遥か昔のことのように感じていた。


気の向くままに猫を撮して旅を繰り返していた頃は、

確かに夢を抱いて仕事をしていたと、今やっと思い出してきた。



「そう…。私、昔は夢に向かって歩いていたよね…。」


「なぁに?ゆき姉の夢って。」 健人が聞いた。


「フフッ。私ね、たーっくさんの捨て猫の、お母さんになりたかったの。

野良猫として外で生きる猫は、捕らわれない限りは自由に生きられる。

そりゃ餌の確保は大変だよ。でも自分で生きてく時間は与えられてる。

けど、保健所に連れて来られた猫たちには、たったの五日間しか

生きる時間を与えてもらえないの。たったの五日間よ!

私はその子たちを、みんな生かしてあげたい…。」


そう言いながら、雪見は涙をこぼした。



「ごめん。いっつもこの話して泣いちゃうんだよね、マスターと。

私ね、そんな猫たちを保健所から引き取って、猫村に放したいんだ。」


「ねこむら?なに、それ?」 健人が不思議そうに聞く。


「猫が自由に暮らせる無人島!まぁ、人も住んでかまわないんだけど。

小さな島を買って、そこに猫が住むための大きな家を建てて…。

家の中には餌と水がきちんとあって、猫は自由に島の中で遊んで

疲れたら家に帰ってご飯を食べて寝る、みたいな。

もちろん全部の猫に避妊手術を受けさせてからじゃないと、

島の中で大繁殖しちゃっても困るからね。

で、私はそんな猫たちのお世話をする、お母さんになりたいの。

そう…。この前まで、そう思って働いてたんだ、私…。」



雪見は今、はっきりと思い出した。


実現出来るか出来ないかは別として、

それを目標に一生懸命仕事してきたことを…。

頑張ってお金を貯めてきたことを…。



「雪見ちゃん。これって、凄いチャンスなんじゃないの?

雪見ちゃんの夢を叶える最大のチャンスだと、俺は思うけど。

よく言ってたよね。もっとカメラマンとして売れて、

この仕事で夢を叶えたいって。

今、そのチャンスが目の前にあるんじゃないの?」


マスターが微笑んでいる。健人と雪見に向かって。



「雪見ちゃんが自分で動かしたんだよね、人生を。

自分から健人くんの事務所に飛び込んで、自分から出版社に売り込んだ。

それはすべて、健人くんのためにだけ動いた事なんだけど、

実は自分の夢にも繋がっているとは思わないかい?」


「自分の夢にも繋がっている…。明日の制作発表が、夢に繋がってる…。

…うん。そうだね。そうかもしれない。

すっかり忙しくなって、夢のことなんか忘れてた。

ありがとう、マスター!大事なことを思い出させてくれて。

これで明日からの仕事の意味をちゃんと心に留めて、

頑張って乗り越えていける気になったよ。

明日から私、頑張るからね!ちゃんとサポートしてよ、健人くん!」


雪見の顔がパッと明るくなり、やっといつもの元気が戻ってくる。

その表情を見て健人とマスターは、心から安堵していた。



健人には、明日記者会見をしてから大きく流れが変わる、

雪見を取り巻く環境の変化が、自分の経験から容易に想像できた。


それは雪見にとって、良いことばかりではないだろう。

辛いことも大変なことも、逃げ出したくなることもあるはずだ。

だが心に目標さえあれば、なんとか乗り越えていける。

それも健人は経験から知っていた。



「俺がちゃんとついてるから!

写真集が出るまでは、俺とゆき姉は一心同体だろ?

二人でいれば何だって乗り越えられるさ!だから安心して明日を迎えよう。

ってことで、明日からの俺たちにカンパーイ!って、

なんかもう、ビールの気が抜けちゃってる!

マスター、唐揚げと新しいビール、お願い!」


「はいよ!大至急ねっ!」 マスターがキッチンに駆けていく。




雪見と健人は、取りあえずは気の抜けたビールで

明日からの自分たちにエールを送った。


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