お揃いの待ち受け
『どんべい』の入り口前。
いつもなら何も考えずに、いい匂いにつられて駆け込む雪見だが、
今日は足がなかなか店内へと、進んではくれなかった。
「ゆき姉!こんなとこに突っ立ってたら、俺、誰かに見つかるって!
早く入ってよ!」
大きなマスクに眼鏡姿の健人が、雪見を急かす。
「やっぱり今日はやめとかない?だって健人くん、今週ここ何回目?
もうそろそろ飽きてきたでしょ?違う店にした方が…。」
「いいから、つべこべ言わずに入んなさいって!
俺が一番に可愛いゆき姉だって言ってるのに、
もしマスターがなんか言ったら、俺が怒ってやるから!
もう腹減って死にそうだから、どこにも動けないよ。
さ、入って入って!」
健人に手を引っ張られて、雪見は重い足取りで店の暖簾をくぐった。
こんな女の子チックな服着てる私を見て、マスターは何と言うだろう。
いつもジーンズかパンツばかりで、スカートなんて冠婚葬祭ぐらいにしか今は履かない。
そんな私がワンピースにペチコートだなんて…。
ていうか、33歳の私がこんなかっこしても罪ではないのか?
撮影の時はみんなに乗せられて、その気になってしまったが
今、真由子にばったり会ったとしたら彼女はなんて言うだろう。
しかも、お化粧だっていつもと全く違う。
ワンピースに合わせて、ふんわりとした少女っぽいお化粧だ。
そのお陰で、健人との見た目年齢が、ぐっと縮まったことは確かである。
何が嬉しいって、綺麗だの可愛いだの、そんな誉め言葉よりも何よりも
健人と年が近く見えること、つまりは若く見えることが雪見は一番嬉しかった。
マスターの反応に怯えながらも、雪見は健人に連れられて
おずおずとマスターの立つカウンター前までやって来た。
「マスター!また来たよ!」健人が先に声をかけた。
開店直後だけあって、まだカウンター席には誰も座ってはいなかった。
「おぅ、健人くん!いらっしゃい!
おとついは雪見ちゃんを怒ってやったかい?約束をすっぽかすなんて。
あ…、今日は初めてのお友達を連れてきてくれたんだ…。
雪見ちゃんには内緒かなぁ?」
マスターが健人に向かって小声でささやいた。
健人と雪見が思わず顔を見合わせる。
そして一瞬の間を置いて、二人で大爆笑!
「マスター!そう来る?マジで?めっちゃウケるんだけど!」
健人がお腹を抱えて笑ってる理由が、マスターには理解できなかった。
「健人くん!怒ってくれるって言ったじゃない!
一番うけてんのは健人くんでしょ?ほんとにもう!」
「ごめんごめん!だって判らないなんて事、想像してなかったから!
そこまでいつもと違うかなぁ?まぁ、めっちゃ可愛いのは可愛いけど。
マスター!これ、ゆき姉なんだけど!わかんなかった?」
「ええっ!雪見ちゃん?雪見ちゃんなの?
いやぁ、声は似てたんだけど雰囲気が別人だったから、
またてっきり健人くんが、違うお友達でも連れて来たのかと思って
内心ヒヤヒヤもんだったんだぜ!早く言ってくれよ!」
マスターは目をひん剥いて、雪見を凝視した。
「早く言ってくれはないでしょ!こっちこそ、早く気づいてよ!
ひっどいなぁ、マスター!私、何年ここに通ってると思ってんの?
だから今日はここに来たくなかったのに、
健人くんがどうしてもマスターに見せたい!って言うから…。
グラビア撮影の後だからこんな格好だけど、今日だけだからね!」
「なーんだ、そういうこと!おじさんをからかわないでよ!」
「誰も、からかってなんかいないでしょ!
もういい!マスター、早くビール持ってきて!」
雪見はプンプンしながら、一人でさっさといつもの小上がりに消えてった。
「健人くん。俺、なんかまずかった?
いや、めちゃくちゃ可愛い人を健人くんが連れて来ちゃった!
って思って、焦ってよく顔を見れなかったもんだから…。
絶対雪見ちゃん、怒ってるよね。健人くん、上手くなだめといて!
俺は大至急、雪見ちゃんの好物をありったけ作るから!
ビール二つ入れるから、悪いけど持ってってくれる?」
マスターが健人に苦笑いを見せながら、ビールを注いで二つ渡した。
「どうしても、って引っ張って来たのは俺だから。
でも、マジでめちゃ可愛いでしょ?俺、みんなに自慢したいもん!
なんだけど、ゆき姉は今イチ自信なさげで…。
マスター!あとで一緒に怒られよう!じゃ、美味いもん、よろしく!」
健人がぺこっと頭を下げて両手にビールを受け取り、
こぼさぬようにそろそろと、小上がり方面に歩いて行った。
「ゆき姉、お待たせっ!ビールもらってきたよ、開けてー!」
健人が、障子の向こうの雪見に声をかけた。
ご機嫌斜めかどうか、少しドキドキする。
すーっと開いて立っていたのは、予想外に笑顔の雪見であった。
「遅いっ!ねぇ、マスターなんか言ってた?」
いつもの調子に戻ってる雪見に、健人はホッと胸を撫で下ろす。
「めちゃくちゃ可愛いかったから、顔を合わせられなかった!
って言ってたよ!謝ってた。
俺もまさかマスターが、ゆき姉だって気が付かないなんて
考えてもなかったから、焦ったよ!」
健人はそう言いながら雪見とジョッキを合わせ、お疲れ!
と、お互い一気に半分近くを喉に流し込んだ。
「ほーんと、マスターだったら失礼しちゃうよね!
私のことを判らないなんて。
そこまでいつもは可愛くないってこと?どっちにしても失礼だ!」
雪見が笑い半分、マジ半分といった顔して健人に訴える。
「まぁまぁ。そんだけ今日のゆき姉は可愛いってことなんだから、もっと自信を持ちなよ!
明日の会見だって、また牧野さんと進藤さんが可愛くしてくれるって。
そうだ!今日のゆき姉を待ち受けにしたい!一緒に写メしよ!」
「えーっ!やだ、待ち受けなんて!
普段の私に戻ったら、ケータイ見るたびにがっかりするじゃない!」
「そんなこと絶対ないから!俺、そんなやな奴に見える?
じゃ、待ち受けにはしないから写メしよ!ほら、早く隣に来て!
さっきの撮影みたく、可愛い顔してよ!はい、チーズ!」
「見せて見せて!あ、結構いい感じ!私にも送って、これ。」
「ねっ!だから言っただろ?やっぱ、待ち受けにしよーっと!
ほい、送信!っと。ゆき姉も待ち受けにしなよ。絶対いいって!」
健人と雪見のケータイには、今ここにいる美男美人カップルが
幸せそうな顔をして、新しい待ち受け画面になっていた。