表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/443

幸せの中のまどろみ

健人と雪見は、ふかふかのラグの上にぺたっと座り、

運ばれてきたビールでまずは乾杯をした。


「お疲れ〜!はぁ〜っ。仕事のあとのビールって、

なんでこんなに美味いんだろ!生き返るぅ〜!」


「ほんとだね!さすがに私も今日は疲れたなぁ…。

やっぱり、やり慣れない事をするって大変な事だよね。

そう考えると、健人くんって凄いよなぁ!

毎日毎日、違う仕事の連続でしょ?

それを難なくこなして行くんだから、尊敬してます!」


雪見が健人に向かって頭をぺこんと下げた。



「えっ?俺ってゆき姉に尊敬されてんの?マジで?

だったら、すっげー嬉しいんだけど!」


「いっつも尊敬の眼差しでカメラ覗いてるのに、気が付かなかった?」


「カメラ覗いてたら、目なんか見えないっつーの!」


「なんだ、残念!」



いつものように、バカ言って笑い合える時間が愛しかった。


撮影の終わりに見せた健人の憂いの表情は、一体何だったのか…。

影も形も見えなくなった今となっては、その原因を探る方法がない。


私の勘違いだったの?だとしたら、それで良かった。


今はただ、明日からの忙しさに備えてエネルギーの充電だけを心がけよう。



明日はいよいよ一時から、写真集の制作発表だ。

きっとそこから劇的に、物事が動き出すに違いない。


その先の変化は、雪見にはまだ想像すらつかずにいた。



「ねぇ、明日の制作発表会、どんな格好で行けばいいんだろ?

テレビで日本中の人が見るんでしょ?

やだな、考えただけで震えがきちゃう!」


雪見は、初めてのグラビア撮影にだけ、全神経を集中させていたので、

今やっと明日の会見を思い出し、段々と不安な気持ちが募っていった。



「大丈夫だよ!服なんて向こうで衣装を用意してるから。

明日はいつも通りに会場に行けばいいだけさ。

また牧田さんと進藤さんが、ちゃんとやってくれるって!」


健人は、何度も何度もこんな不安を乗り越えて、

今の堂々とした健人が出来上がったに違いない、と雪見は思った。



「まだ、たったの21歳なのに、いっぱい苦労も辛い思いもしてきたんだよね。

歯を食いしばって頑張ってきたから、今の人気者の斎藤健人がいるんだよね。

健人くん、頑張ったね…。」


健人のここまでの道のりを思うと、簡単ではなかったことが容易に想像できて、

雪見の瞳からは涙が突然溢れてきた。



「な、なんで泣いてんの!? 俺、なんか嫌なこと言ったぁ?」


「ごめんごめん!なんでもない。なんで最近すぐ涙が出ちゃうんだろ。おかしいなぁ。」


そんな泣くような話の流れではなかったのに、なぜ今涙が溢れたのか、

自分でも解らずに雪見は戸惑った。



「大丈夫?無理してない?」健人が心配そうに雪見の肩に手を置く。



その時、どこからともなく一匹の黒い子猫が忍び足で現れて、

雪見のそばにやって来た。

生後二ヶ月ほどであろうか。一番子猫らしい時期の子猫である。



「うわぁ!可愛い黒ちゃんだ!いい子だね、こっちにおいで!」


子猫の出現に二人は一気に盛り上がり、つい何十秒前の涙の事なんか

きれいさっぱりと洗い流してくれた。



「すっげーツヤツヤしてる。いいもん食わせてもらってんな!

お前良かったなぁ、ここに拾われて…。」


そう言いながら、健人が黒い子猫の頭を撫でた。



「えっ?この子、捨て猫だったの?」


「そう。ここの猫は全部、保健所から引き取ってきた猫なんだって。

ここに慣れさせるためには、子猫しか引き取れないんだけど、

それでもかなりの数がここにもらわれて来てるみたいだよ。

これだけ広い店の中を自由に歩き回れて、ご飯がもらえて、

猫が好きな人達に可愛がられて…。

こいつらは、ラッキーな星の下に生まれたんだ。」


良かったな、良かったなと言いながら子猫の頭を撫でる健人の瞳にも、

うっすらと涙が滲んでいた。



「そうだったんだ、知らなかった。いいお店だね、ここって!

教えてくれた当麻くんに感謝だね!」


「そう!あいつ、すっごくゆき姉に会いたがってんだけど!

会うたびにゆき姉を紹介しろ、紹介しろ!ってうるさくて。」


「やだぁ!当麻くんに会ったって、何話せばいいのかわかんない!

また健人くんったら、当麻くんに私のこと誇大広告してない?

会ってがっかりした!とか言われたら私、立ち直れないから。」


「当麻はそんな奴じゃないよ。すっげーいい奴!

優しいし年下なのに頼りになるし、けど俺と一緒で優柔不断!」


「うん、わかる気がする!健人くんも、結構優柔不断なとこあるよね。

お互い似てるとこがあると、すごく近くに感じて嬉しいよね。

けど、優柔不断男が二人でいたら、何かを決める時に大変そう!」


「当たりっ!飯食いに行こうって時に決められない!

誰か決めて〜!って感じになる!」



当麻の話をする健人は本当に嬉しそうで、大事な親友なんだと言うことが

ひしひしと伝わってくる。

そんな健人の笑顔は、雪見の心をも温かくした。



『当麻くん。健人くんのことを、これからもよろしくね!』


まだ見ぬ当麻に向かって、雪見は心の中でそんな事をお願いした。



そのあとも、いろんな猫たちが入れ替わり立ち替わり、二人の元へ挨拶にくる。


健人と雪見は、時間も忘れて猫たちと戯れた。


ベッドの上で猫と遊んでは二人でおしゃべりしたり、写真集をのぞいたり。


当麻から聞いていた通りの気持ち良いウォーターベッドは、

二人の疲れた身体を包み込み、目を閉じると一瞬で夢の中へと

落ちて行きそうだった。



「まだ時間はあるから、健人くんは少し寝て!

このベッドなら短時間でも熟睡できそうじゃない。

ここんとこ寝不足が続いてるんだから、少しでも休まなきゃ。

私はまだまだ読みたい本があるから、一時間ぐらいしたら起こしてあげる。

それからご飯食べに行こう!」


「いいの?じゃあ、少しだけ寝ていい?

さっきまでは全然眠くなかったのに、このベッドに横になったら

急に眠気がきちゃった。ごめん、じゃ少しだけ…。」



そう言ったかと思うと、スッと健人は眠りに落ちた。

まるで催眠術にかけられたかのように…。


「何にも言わないけど、疲れてるんだね…。おやすみ。」



健人の寝顔を横に見ながら、雪見はそっとベッドの上から降り、

傍らに寄りかかりながら、また違う写真集のページを開いた。



静かに静かに、二人の幸せな時間が流れていった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ