俳優健人と女優?雪見
撮影の準備が整い、二人に声がかかる。
「じゃ、始めまーす!
健人くんと雪見さんは、まず中央にお願いします。あ、その辺でOK!
二人とも、最初はこっちに目線下さい!」
カメラマンの阿部が、早速撮影を開始した。
みんなの注目を浴び、私は心臓が爆発しそう。
まったくもって地に足が着いてる感覚が無く、ふわふわと宙に浮いてるかのようである。
顔にしたって、どんな顔をすればいいのやら。
はたまた自分は今、一体どんな表情をしているのかさえ全く解らなかった。
さっきのおまじない、すでに効力ゼロ。
「雪見さーん!普通でいいですよ、作らなくていいです。
最初は無表情のカット撮りたいんで、目線だけこっちにお願いします!」
「あ、すみません!わかりました。」
阿部の注文に、慌てて顔を作り直す。
「どうせなら、最高にかっこいいグラビアに仕上げようよ。
もっと自信持って大丈夫だから。
今日のゆき姉、俺が今まで見た中で一番だよ。」
健人が視線をまっすぐカメラに向けたまま、隣りの私に話しかける。
肩の力を解きほぐすような、柔らかで優しい声で。
その気遣いに、心がふわりと軽くなった。
「明日になったら、シンデレラみたいに元通り。
ま、一生に一度のことだろうから、変身ごっこを楽しむか。
よーし。じゃあ世界で一番可愛いカメラマンに、変身!」
そう笑いながら言った瞬間、まったく違う自分が現れた。
カメラのファインダーを覗いてた阿部は、女優のように表情が一変した雪見に驚いた。
どんな注文にもすぐさま反応し出し、健人と共に息の合ったポーズを次々と決める。
視線が定まらなく、オドオドしてた先ほどとはまるで別人。
女優かトップモデルの撮影だったか?と錯覚するほど堂々とした振る舞いだった。
後ろで見守ってた吉川を始め今野、牧野、進藤もその変化にすぐ気付き、息を飲んで見入ってる。
と、その時。吉川が動き出した。
「悪いが、急いで『シャロン』の編集長を呼んできてくれないか。
どうしても見せたいものがあるから大至急来い!とな。」
伝言を託された牧野は「はいっ!」と答えてスタジオを飛び出した。
「これは、大変な宝石を堀り当てたかも知れないぞ…。」
吉川が、誰に言うともなくつぶやいた。
程なくして牧野が、三十代向けファッション誌『シャロン』の編集長、北村を連れて戻ってきた。
「お疲れっ!悪いな、忙しい時に呼びつけて。
まぁ彼女を見てくれないか。
とんでもない大発見をしたかもしれんぞ、俺は。」
興奮ぎみに話す吉川に、北村は「誰なんだ?彼女は。」と色めき立った。
スタジオの真ん中だけが、オレンジ色に輝いてる。
健人と雪見によって、太陽みたいな熱いエネルギーと強烈な光が放たれていた。
北村が、雪見の隅々を観察する。
身長156cm、体重47kgぐらいか。
胸まである髪にはゆるやかにウェーブがかかり、ふんわりと顎の下あたりで二つに結ばれている。
生成り色のオーバーワンピースに、下からのぞくアンティークレースのペチコート。
足元は、生成のくしゅくしゅルーズソックスに、焦げ茶色のサボサンダル。
手にはコサージュの付いた、大きなカゴバックを持っていた。
それらをナチュラルに着こなした雪見は、大人可愛い少女といった雰囲気。
健人との年の差も、三、四歳ほどといった印象を受ける。
だが、着こなしもさることながら、みんなが注目したのはその豊かな表現力だ。
お互い小声で「雪見さんって、お芝居の経験あるのかな?」とヒソヒソ。
カメラマンの阿部も、イケメン俳優と女優の撮影だったか?と錯覚するような二人であった。
セット転換のため、二人は一旦スタジオの隅へ。
テーブルと椅子が用意され、小粋なパリのカフェテラスがスタジオに出現。
テーブルにはカフェオレが用意され、二人は再びセットに戻る。
「えーっと。次はカフェデートしてる風でお願いします!
楽しそうにおしゃべりしてて下さい。」
撮影と言えども、大好きなカフェオレを飲みながらの健人とのおしゃべり。
私はやっと一息ついて深呼吸した。
「どう?疲れてない?」
気遣いのわかる、柔らかな声。
耳にも心にも優しい健人の声は、いつだって私を落ち着かせる。
「私なら大丈夫。健人くんこそ、ここんとこ忙しいから疲れたでしょ?
今日はなんか美味しい物、食べに行こうか。」
「さっき餃子が食べたいって、おまじないしたじゃん。
あれからずっと餃子のこと考えてた(笑)。
どっか美味しいとこ、知ってる?」
「そうだなぁ…。あぁ、あるある!前に本で見て行ったとこ。
そこね、クロたんっていう可愛い看板猫がいるんだよ。
餃子はもちろん美味しかったし、あんかけ炒飯も絶品だった。」
「いいねぇ!そこ行こ。猫が見たい。コタとプリンも元気かなぁ…。
あ、そうだ。さっきみんなに配った写真集、なんで小さかったの?また作ったの?」
健人が、口にしかけたカフェオレをテーブルに下ろし、思い出したように聞いてきた。
「あぁ、あれね。健人くんが鞄に入れて持ち歩くには、もうちょい小さい方がいいかなと思って。
あとで健人くんにもあげる。」
「さすが、ゆき姉。あの写真集のお陰で、あっという間にみんなとも打ち解けたし。
やっぱ、俺の自慢の彼女。」
健人がほおづえを付きながら、目を見て言った。
「ありがと。もちろん健人くんも、自慢の彼氏だよ。
本当に自慢出来ないのが悔しいけど。」
笑いながら私は、健人の真似してほおづえついた。
二人の様子は誰の目にも、カフェで語らう恋人同士にしか見えなかった。