真夜中のデート
「ねぇ。ここから歩いて帰ったら、どれぐらい時間かかるかなぁ?」
健人とつないだ手を、ブラブラ揺らしながら聞いてみた。
「うーん、一時間もあったら着くんじゃね?」
「健人くん、疲れてる? もう眠たい?」
「いいよ。歩いて帰ろ。このまま歩いて帰りたいんでしょ?」
「ほんとに?いいの?
やったぁ!あと一時間、健人くんとおしゃべりできる♪ 」
夜中の二時過ぎ。
人目を気にすることなく堂々と手をつなぎ、他愛もない話をあれこれする。
それはそれは嬉しくて、楽しくて。
子供みたいにはしゃぐ私に健人は「少し落ち着いたら。」と笑って言った。
「ねぇねぇ。真由子のお父さん、うまく契約採ってくれるかなぁ。」
「きっと採ってくれるよ。俺、あの人は信用できる。
それにしても、よくポンポンと思い付くよね、ゆき姉は。
だってさ、俺と飯食いに行くはずだったんだよ?
それをすっぽかされて、まさかの展開。」
健人は思い出したように苦笑い。
「ごめんごめん!私だって健人くんとご飯行くつもりだったよ。
けど、その何十秒後に思い付いちゃったんだもん。
勝手に足が、どんべいとは反対の方向に歩き出しちゃったの。
恨むなら、この足を恨んで。」
「足のせいにするんかい(笑)。
まぁね。今じゃ、その勝手に歩き出す魔法の足に感謝してるよ。
そのお陰で、ゆき姉と一緒に仕事出来るんだから。
なんかさ、運命の道に導いてくれる足なんじゃない?
俺もそんな足、欲しいよ。」
「健人くんはね、こんな足なんて持ってなくていいの。
私が導かれる道は、ぜーんぶ健人くんに繋がってるんだから。
あ。だから、もしまたご飯すっぽかしても怒らないでね(笑)。」
「え?俺、まだまだすっぽかされる可能性あるってこと? ヤバっ。」
健人は笑いながら私を抱きしめた。
愛しさに鳴った、キュンという胸の音をごまかすために。
その隣を、二人のおじさんが通り過ぎてゆく。
今どきの若いもんは!と言うような顔をしながら。
「ちょ、ちょっと健人くん!おじさんが見てるってば。」
「いいじゃん、別に見られたって。
ゆき姉が、抱きしめたくなるようなこと言うから悪いんだ。」
健人が耳元でささやいた。
「あっそう。私のせいなんだ。じゃ、このままでいいや。
健人くんっていい匂い。どこの香水?」
もう少し、いい香りに包まれていたかったのに健人が身体を離してしまった。
「これ?これは俺のオリジナル。
人とかぶるの嫌だから、青山にある専門店で創ってもらってんの。
いい匂いでしょ。」
「うん、すっごくいい匂い!私の好きな系統の香りだ。
ねぇ、今度私も創ってもらいたい!そのお店に連れてって。」
「いいよ。俺も一緒に選んであげる。
ゆき姉に似合う匂いって言ったら…やっぱ、猫の匂い?」
「ひっどーい!どんな匂いの香水よ、それ。
でも、それ付けたら猫がたくさん寄ってきて、撮影しやすくなるかも?」
「グッドアイディアだった?」
「んなわけ、ないでしょ!」
深夜の街に、二人の笑い声がこだました。
このまま二時間でも三時間でも、どこまでも一緒に歩いて行きたい。
別れを惜しんで健人は、つないだ手をもう一度ギュッと握りしめた。
その日のちょうどお昼頃。
健人は、一時から始まるグラビア撮影前の準備で、ヘアメイク室の椅子に座ってた。
ふぁ〜ああ!と、大あくび。
髪をセットしてた男のヘアメイクさんが健人に聞いた。
「あれ、すでにお疲れモード?仕事、忙しそうだからなぁ。」
「いや、違うんっすよ。昨日の夜中、一時間半かけて歩いて帰ったから。
歩いてる時はよかったんだけど、朝起きたら足がつりそうでヤバかった。」
「なんでそんなに歩いたの?しかも夜中に。」
「後ろでカメラ構えてる人が、歩こう歩こうってうるさくて。
今日最初の仕事がこれで良かった(笑)。」
私はカメラを下ろし、鏡越しに健人をにらみ付けた。
と、その時だ。
健人の手の中で、待ちに待ったケータイが振動した。
「もしもし、斎藤です!昨日はご馳走さまでした。
え?採れました?本当ですか!ありがとうございます!
はい、ゆき姉もここにいます。あー良かった!
はい…、はい…わかりました。じゃあ明日お伺いします。
本当にありがとうございました!失礼します。」
健人が弾ける笑顔で、後ろを振り向いた。
「吉川さん、採れたって!やったね!」
「うそ?ほんとに?やったぁー! 」
二人で大騒ぎだった。
ヘアメイクさんが訳を聞いて祝福してくれる。
「へぇ、凄いじゃない!
『ヴィーナス』とのコラボ写真集なんて、絶対ヒットでしょ!
あ、ヘアメイクは、ちゃんと俺を指名してよ。」
「もちろん!俺、宮越さんのヘアメイクが一番好きだから、その節はよろしくお願いします!
あ。でも今回の写真集、素顔の斎藤健人がコンセプトだからなぁー。
ゆき姉が、わざと寝癖ついた頭を狙ったりするから、宮越さんの出番、あんま無いかも。
かっこよくしてもらっても、ゆき姉にボツにされる可能性が高い。」
「えーっ!そうなの?雪見ちゃん。
でも変な健人ばっかじゃなく、超かっこいいのも撮してやんないとファンが怒るよ?」
「そう?じゃあ、いま撮してあげる。」
カメラを向けた先の健人は、ヘアメイクは完成してたが、まだ首にケープを巻いたまま。
「ちょっとぉ!そーじゃないだろ(笑)
これ取ってからにしろよな。」
ケープを外し、椅子からスッと立ち上がった健人は完璧だった。
黒縁眼鏡に黒マスクの、プライベートな健人とはまるで別人。
イケメン俳優 斎藤健人、ここに降臨!といった風格である。
私はカメラを覗きながら『本当にこの人が私の彼氏?』と今更ながら思うのであった。
さぁ、いよいよ二人のプロジェクトの発進だ!