訣別の時
「すっげー!!一番グレードの高いリムジン!」
車に乗り込んだ優が、真っ先に声を上げた。
リムジンには何度か乗ったことのある優と雪見だが、こんなハイグレード車は初めて。
マネージャーに至っては、緊張のあまり顔がこわばってる。
「さすがハリウッドの大スターともなると、乗る車も違うもんねぇー。
でもさ、タクシーじゃなく自分の車を迎えによこすんだから、優くん相当期待されてるよ。
めちゃくちゃ嬉しくない?」
さっきのひと騒動などすっかり忘れ、雪見はキャッキャとはしゃいでる。
が、向かいに座った学の一言に、優と同時に大声をあげた。
「これ、俺の車だけど。」
「え!?」
「ええーーっ??ウソでしょ?これが学の車ぁぁあ!?」
広い車内が、にわかに騒然とした。
いくら権威ある賞を獲り、テレビではアメリカ大統領さえも魅了する人気者とは言え
根本的には科学者である。
下世話な話、そこまで儲かる職業では無いことを、一緒に学んだ雪見はよく知っていた。
「この前ホワイトハウスに行った時、車は持ってないって言ったよね?
あの後に買ったの?こんな車を?しかも運転手付きで??
あんた一体、どんな生活してんのよっ!」
「別に。それなりの生活。」
ニコリともせずそう言うと、学はプイと窓の外に視線を外した。
再び唇はキュッと噛まれ、何かを堪え忍んでるようにも見えた。
どうしたの?あなたに何があったの?
ロジャーとは今…どういう関係?
二人きりなら即座に問い詰めただろう。
だが、唇を噛む理由が昔と同じに理不尽さによるものだとしたら、
その答えはきっと、今ここで他人には聞かれたくないものに違いない。
いや、もし二人きりだとしても…。
もう昔みたいに、助けてあげられないよ。
ごめん…。わかってね……。
いま全力で関わるべきは健人であって、学ではないことを自分に言い聞かせる。
そしてあえて明るく、何も気付かぬふりして学に言った。
「そう!これだけ稼げてるんなら、仕事もうまくいってるってことね。良かった。
私も毎日忙しくてさ。今回も二日間しかこっちに居れないの。
きっと明日は、健人くんが散らかした部屋の片付けで一日が終わっちゃう(笑)」
「ゆき姉も大変だよねー。家事のまったく出来ない男をダンナにすんだから。
その点、俺と当麻は優秀だよ。完璧に主婦業、こなせるもんね(笑)」
場を和ませようと、優が話に乗っかってくれたのがわかる。
だが和んだのは自分らだけで、学の横顔は、より一層の悲しみをまとったかに見えた。
どうしよう…。
この場で私がしてあげられることは何だろう…。
ほんの数分前まで、関わりを遮断しようとしてたはずなのに、今は頭をフル回転させ
学が笑顔になる方法を探してる。
……あ、そうだっ!
雪見は膝の上のバッグに手を突っ込むと、何やらガサゴソ探し始めた。
あれもこれもを持ち歩くため、大きなバッグはいつもパンパンのゴチャゴチャ。
部屋は整頓出来るのに、なぜか鞄の中だけはどうにもダメなのだ。
と、突然「あった!」と叫んだものだから、優とマネージャーがギョッとした。
「な、なにっ?ビックリするじゃん!」
大きな身体に似合わず、少々ビビリ屋の優。
「ごめんごめん(笑)家に忘れて来ちゃったかと思って。
…これ。」
満面の笑みでバッグから取り出したのは、一枚のCD。
そのジャケットには雪見の姿が。
「え?これって、ゆき姉…の??
……うわぁぁぁあああーー!!『YUKIMI&』のCDじゃん!
出来たの?世界デビューアルバム!」
「えへへっ。出来たてのホヤホヤ♪
て言っても、まだサンプルなんだけどね(笑)
出がけに届いたから、私もまだ聴いてないの。
ねぇ。これ、かけてくれる?」
そう言って雪見は、今だ外を眺める学の前にグイとCDを突き出した。
が、優があんなに騒いだにも関わらず『なに?これ』という顔をしたので
相変わらず人の話なんか聞いちゃいないんだな、とクスッと笑った。
「私の世界デビューアルバム。学に、一番に聴かせてあげる。」
「えっ?」
思いがけない言葉に、学は我に返った。
手渡された物をジッと見てみる。
四角いケースの中の雪見が、小さな小さな子猫を両手でそっと包み込んでる。
それはまるで、か弱き命をすくい上げる聖母マリアのような慈しみ深き微笑みで、
優しく美しく凛として……。
「ねぇ、早くかけてよ。」
「あ、あぁ…。」
雪見に言われなければ、いつまでも眺めていたかも知れない。
学は慌ててジャケット写真の封を切り、 CDを指先で取り出した。
こんなハイグレード車のオーディオ機器だ。もちろん最高級品に決まってる。
アーティストでもある優は、そのスピーカーから流れるであろう最上級の音色を想像し、
ワクワクしながら吸い込まれゆくCDを見守った。
と、少しの間を置いて流れてきたのは『YUKIMI&』のデビュー曲。
そこから何曲かはアップテンポな曲が続き、その後はバラードあり洋楽カバーあり。
世界デビューだけあって、二曲を除いては全て英語で歌われていた。
音響の良さも相まって、みんなは雪見の歌に酔いしれてる。
そして最後の曲。
「これって…。ホワイトハウスで歌った時の音源じゃ…。」
学がすぐに気付いた。
忘れるはずもない。あの時あの場に居た誰もが息を飲み、涙しながら聴いた歌声
『アメイジング・グレイス』を。
「そう。よくわかったね。ラストはどうしてもこれを入れたかったの。
許可をもらうのが大変だったみたいだけど(笑)
でも私が世界デビューなんて、夢みたいなことが出来たのは、あの場所で
この歌を歌わせてもらったお陰。
全部、学のお陰だよ。感謝してる。ありがとう。」
突然雪見からもらった感謝の言葉で、心に赤みが差した。救われた気がした。
あの日の想い出があれば、生きていける気がした。
アカペラで歌われたアメリカ合衆国の愛唱歌は、雪見の声が消えると同時に大歓声に包まれた。
鳴りやまない拍手の中、「Thank you so much.」と雪見の声が小さく聞こえる。
それに対し「No, thank YOU.」(いいえ、こちらこそ感謝です)と誰かが返事した。
「…ん?どっかで聞いたことある声なんだけど…。
……え!?も、もしかして…だいとうりょぉお!?Oh my God!」
優のリアクションに、雪見と学が顔を見合わせ笑った。
私にしてあげられるのは、こんなことぐらい。
あなたに寄り添うことは出来ないけれど、せめて私の歌があなたに
元気を与えてくれますように。
その笑顔が、いつまでも続きますように…。
CDを二回ほど聴き終えるとほぼ同時に、リムジンはアカデミーの門をくぐり抜けた。
いよいよ愛する人の待つ場所へ。世界へ飛び出す瞬間を見届けに。
だが、そこにはすでに長蛇の列が。
「うそ、どうしよう!これじゃあ席なんて、もう無いよ、きっと。
ヤだぁ…。健人くんの大事な日だっていうのに…。」
今にも泣き出しそうな雪見に、学が優しく微笑んだ。
「大丈夫だよ。席はちゃんと用意されてるから。
そっちの関係者入り口から入って、ロジャーの招待だ、って言えばいい。」
「えっ?」
思わず顔を見返したが、学はもう唇を噛むことはなかった。
瞳が『何も心配はいらない。さぁ早く行きなさい。』と言ってる。
雪見は、いつもはしない握手をするため、学に右手を差し出した。
なぜか、これが最後の別れであるかのように…。
握った瞬間、手のひらから『さよなら』が聞こえた気がした。