優しい見舞客
「おっ!やっと気付いたか?良かった…。心配したぞ。」
「……え…っ?ここ…って?」
うっすら開いた目に写る真っ白な天井を、雪見はボーっと見つめてる。
ここはニューヨーク?健人くんとベッドに寝転がって見る天井も白かった。
でも違う。あの部屋の天井はもっと高い。
じゃあ…どこ?健人くん…は?
「病院だよ。トークショー終わって引き上げてる最中に廊下でぶっ倒れて、
救急車で運ばれたんだぞ?覚えてないのか?
ビックリして、俺まで卒倒しそうだったわ(笑)」
今野に聞かされ、やっと記憶が蘇る。
そうだった。あの時…。
苦手なトークを何とかクリアした…ってホッとしたら、急に身体から力が抜けて
目の前が真っ暗になって…。
でも救急車で運ばれてたなんて…。みんなに…迷惑かけちゃった…。
『人に迷惑掛ける』という行為が、自分も母同様、一番嫌いなんだ…。
沈み込む自分の心を俯瞰して、ぼんやりとそう思う。
それを知ってか、今野はやけに明るく笑いながら言った。
「しっかし、ただの過労で良かったぞ!
いや、良くはねぇけどよ、重大な病気で入院されるよりは百倍マシだ(笑)
一晩点滴して回復したら、帰ってもいいそうだ。」
「あの…私、もう大丈夫です。それにこれからパーティーが…。」
身体を起こそうとしたのだが、頭がクラッとしてまた目をつぶる。
「いーから寝てろっ!夜のパーティーは、とっくにキャンセルしたよ。
『スミスソニア』だって、倒れた奴に無理してでも来いとは言わなかったから安心しろ。
明日の取材も午後に変更してもらったし、今夜は思う存分寝ていいぞ。
俺は美人ナースに挨拶して帰る。また明日の朝来るよ。じゃあ、おやすみっ!」
今野が病室を出て行こうとした時だった。
「今野さんっ!!」
雪見に呼び止められ、そんだけ大声出せるなら大丈夫だな、と安堵しつつ今野は振り向いた。
「健人くん…には?」
「あぁ、今は稽古中だろうから、昼休みにでも電話入れとくよ。」
「言わないでっ!…下さい。私なら、もう大丈夫ですから。
健人くんに…余計な心配かけたくない。お願いします…。」
懇願する雪見の瞳があまりにも真剣過ぎて、今野は少々心配になった。
『こいつら…夫婦として大丈夫なんだろうか…。』と。
「 そっ、そう…か?
まぁ…本人が大丈夫ってんなら黙っとくか。
頼むから、体調管理だけはしっかりしてくれよ。この先もスケジュールは詰まってんだ。
どうにかしてやりたいが、俺じゃどうにもならん。
とにかく移動時間もこまめに寝て、栄養あるもん食って。
健人はあれだけ売れて忙しくなっても、体調管理は完璧だろ?
お前も見習ってプロに徹しろ。」
「はい…。本当に済みませんでした。明日からまた頑張ります。」
決して叱ることをせず、穏やかに言って今野は病室を後にした。
ぱたりとドアが閉まる。
雪見は寝たまま頭だけを少し動かし、その部屋をぐるりと見回した。
白い壁に掛かる時計が、午後10時10分を指している。
ニューヨークは午前9時10分か…。
目前に迫った発表会の稽古に、真剣な眼差しで励む健人が頭に浮かぶと、
夢でいいから逢いたい…と雪見は再び瞳を閉じた。
………ゆき姉…
どれほど時間が経ったのか。
夢うつつに誰かに名前を呼ばれた気がした。
…ゆき姉っ?
『………えっ?健人…くん? 今、健人くんの声が聞こえた。
うそ…来てくれた…の?』
夢には出てきてくれなかった人が、来てくれた!
雪見は嬉しくて、まだ半分夢の中にいる自分を叩き起こした。
そして目をパチッと開け、声のした方に首を向けると…。
「ゆーきねっ♪」
「…え?しょ、翔ちゃん!?」
なんと、ベッドの横に立ってたのは健人ではなく、ニコニコ顔の翔平だった!
「あ。もしかして、健人だと思った?思ったよね?
よっしゃああー!健人の物まね、ゆき姉のお墨付き、頂きましたぁ〜!
今度、テレビで初公開しよーっと。」
レパートリーがまた増えたぞ♪と、ご機嫌な翔平。
ところが。声も発せずボーゼンとする雪見を見て慌てた。
「うそっ!ほんとにショックだったのぉ?
…え?まさか泣くとかやめてよ?
マジで?ゴメンゴメンっ!!
いや、ホテルに顔出したらさ、ゆき姉が救急車で運ばれたって聞いて。
そんで、すっ飛んで来たわけよ。で…大丈夫なの?」
翔平は「これ、お見舞い。」と花かごを床頭台に乗せ、ベッド脇の椅子に腰を下ろす。
「どうして…ホテルに行ったの?」
「ちょっと。俺の質問聞いてた?
大丈夫なの?って聞いたんだよ?(笑)」
そう言いながら翔平は安堵した。
相変わらず、少々天然なゆき姉だ、と。
「ホテル?あぁ、俺も招待されてたから。
ほら、一応俺も『スミスソニア』の顧客なもんでね。
あなたの、お高ーいウエディングドレス買ったお客様だから。
ま、一人で買ったわけじゃねーけど(笑)」
「そっか…。その節はありがと。」
大袈裟にふんぞり返ってふざけてみたものの、雪見は笑いもせず反撃もせず。
やっぱりか…と思った翔平は、ここが夜の病室であるにも関わらず、
更にテンション上げて話し続けた。
「いえいえ、どーいたしまして。
ほんとはさ、トークショーでカミカミなゆき姉見て笑いたかったんだけど、
仕事が押しちゃって。
まぁ、パーティーに駆け付ければ、セクシードレス姿ぐらいは拝めると思ったのに、
すでにあなたはいなかった(笑)」
「残念でしたっ!カミカミなんかじゃ、なかったもんねー。
それに、翔ちゃんにセクシードレス姿なんて、見せないよーだ!」
「良かった…。いつものゆき姉だ。」
「…えっ?」
やっと雪見らしく食いついてきたのを、翔平が安心したように微笑んで見てる。
だが。すぐ真剣な眼差しに置き換え、雪見の顔を覗き込んだ。
「みんなが心配してるよ。最近のゆき姉、忙し過ぎだって。
前みたいに笑わなくなった、って。
みずきも当麻も、優も心配してた。でも…。
もちろん、一番は健人だけどね。」
「健人くん…が?」
「あいつ、ゆき姉に関してだけは、からっきし情けない男だって知ってた?
まぁ健人が情けないと言うよりも、天下の斉藤健人をあそこまでグダグダにすんだから、
浅香雪見が恐るべしなんだよな、きっと(笑)」
「 グダグダって…。健人くん、お芝居うまくいってないのっ!?
もうすぐ発表会なのに…。」
雪見の顔が曇ってしまったのを見て、翔平は再び慌てふためいた。
「ちげーよっ!違います!そーじゃなくてさ。
あいつはさ、ゆき姉が可愛くて可愛くて仕方ないんだよ。」
「可愛い…?」
「そ!過保護な母親みたいな?いや、娘を溺愛する父親か?
とにかく。
俺らはこの世界の忙しさに慣れてるし、忙しいにしてもONとOFFを使い分け出来る。
でもゆき姉は、素人がいきなりこの世界の忙しさに飲み込まれたようなもんだから。
で、健人が心配になっちゃうわけよ。
ゆき姉、ちゃんとご飯食べてるかな…とか、辛い思いしてないかな、とか
寝れてないんじゃないか、って。
あんまり心配すっから、オカンか!って突っ込んどいたけどね(笑)」
ドキッとして涙がじゅわっと湧いてくる。
そこまでお見通しならば健人に弱音を吐いて、もう全てを白状して楽になりたい…。
取調室で自供寸前の犯人みたいに、心が重荷を下ろしたがった。
が、ギリギリのところで冷静な自分が待ったをかける。
いや、今、話すわけにはいかない。せっかくここまで来たのに…。
母さんとの約束、どうしても守らなきゃ…。
発表会まであと少し…。あと少し…。
「もーぅ!健人くんって心配性だなぁー。ほんと、オカンみたい(笑)
私が元気だって言っても信用しないから、翔ちゃんから言っといて。
あ、でも私が救急車で運ばれたなんて言ったら、ぶん殴るからねっ!」
いつもと変わらぬ口調で笑いながら言うので、翔平はまんまと信じ込んだ。
「そっか。わかった。あとでメール入れとくよ。
そーなるとさ、やっぱセクシードレス写真も一緒に送りたかったなぁー。
健人も元気ビンビンになるやつ(笑)」
油断してたら点滴した手で、胸にグーパンチをお見舞いされた。
痛かったけど、やっぱゆき姉はこうでなくっちゃ。
大切な友の大切な人は、俺らにとっても大切な人。
いつも笑顔でいてくれるようにと心から願いながら、消灯後の薄暗い廊下を
足早に立ち去った。