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兄には言えない

「少し…落ち着きましたか?」


秋人が雪見の肩からそっと手を離し、柔らかに微笑んで雪見を見る。

その一部始終から目を離すもんか!と使命に燃えてるつぐみは、砂糖を入れそびれた

苦いコーヒーを我慢して飲みながら、さりげなく秋人を監視した。


「ごめんなさい…。もう大丈夫。

きっと、つぐみちゃんの顔を見てホッとしたのね。

毎日毎日、知らない人との仕事ばかりだったから…。」


さすがに健人に会いたくて泣いた、とは言えなかった。

けれども理由の2番目はこんな事だろうな…と自分で言ってから納得した。


「疲れも溜まってるんですよ。雪見さんは忙しすぎます。」


秋人が雪見をいたわるように、穏やかな声で助言する。

その眼差しがあまりにも優しすぎて、つぐみの使命感を更に掻き立てた。


『この人、男のくせにやたら気が利くな。お兄ちゃんとは大違い。』


いつの間に用意したのか、秋人がグラスに入れた冷たい水を雪見にスッと差し出す。

つぐみはそれをマジマジと眺めながら、気を使われた記憶のない兄の顔を思い浮かべた。


「ありがとう。」と受け取った雪見は一口だけ飲むと、少しうつむいて

今まで誰にも話したことのないことを、ポツリポツリと語り始める。


「私ね…。たぶん…人と接することがあまり得意じゃないのかも知れない。」


「えっ…?」


それはつぐみにとっても秋人にとっても、青天の霹靂に匹敵する意外な言葉だった。

今まで、ただの一度もそんな風に感じたことなどないのだから。


「あ…対人恐怖症とか、そんなんじゃないのよ。無理してる意識もないし。

でもね…。今思えば人とあまり関わりたくなくて、猫を相手に仕事してた気がする。

それなのに、今は毎日が初めて会う人ばかり…。

新しい仕事始めたばっかなんだから、当たり前の事なんだけど。でも…。」


「でも…?」

秋人が首を傾げて雪見の言葉を促した。


「心がいつも緊張してて…。帰国してから夜も眠れないの。

どんなにお酒を飲んでも寝られない…。」


つぐみと秋人は、とんでもない機密事項を耳にした気がして緊張した。

多分兄さえ知らない、いや、雪見のことだから心配かけまいと話すはずもない

重要事項を…。


「そんな…。ゆき姉、毎日忙しいんでしょ?寝ないと倒れちゃうよ!

ダメだよ、そんなのっ!!」


「そうですよ。ここの片付けは俺がやりますから、次の仕事まで少し休んで下さい。

済みませんでした…。俺がここに来たことも要因のひとつですよね。

もっと早くに気付いてあげれば良かった…。」


悲しげに頭を下げた秋人を見て、再び雪見の瞳から涙がポロンとこぼれ落ちた。


「違う…。違うよ…。ごめんなさい…。ごめんなさい…。」


雪見はそう言うと、その場から逃げ出すように、まだ一度も使ったことのない

ベッドルームへと駆け込み、内側からガチャリと鍵を掛けてしまった。


取り残された二人は茫然と佇むだけ。

だが二人とも、雪見を守らなくてはならないという思いは同じくした。


つぐみにとってさっきまでの敵が、ただ一人の味方になった。




「健人さん…には?」


「言えるわけないじゃないですかっ!

お兄ちゃん、ゆき姉を心配して私に見てこいって言ったのに!」


「だったら尚更、言わなきゃならないんじゃないの?」


さっきまで柔らかな物腰だったのが、いきなり強い口調で言われて、

つぐみは少しムッときた。


そんなこと、言われなくてもわかってる。

だけどゆき姉が、お兄ちゃんに心配かけないように黙ってることを、

この私が言えるわけないじゃない!

あんたも…言ったらブッ殺す!


…と、心の中で脅しをかけた。




何も答えが出ないまま時間だけが過ぎ…。

次の仕事へ移動するため、今野が雪見を迎えに来てしまった。


「おぉ! つぐみちゃんじゃないか。久しぶり!

いやいやいや、すっかり綺麗な女子大生になっちゃって。」


「今野さんは変わりないですねー。相変わらず…。」


途中まで言いかけて自分の口にストップをかけた。

危うく兄に怒られるセリフを吐くとこだった。


「相変わらず、なんだ?」


「相変わらず…お、お元気そうで!うん、何よりです、何より。あははっ。」

本当は『相変わらずダサくて。』と言いそうになったのだが…。


「あれっ?雪見は?準備でもしてんのか?

おーい!どこだ。早くしろっ!次は撮られる番なんだぞ。

『スミスソニア』は時間にうるさいんだから、早めに出発しないと。」


雪見のいる寝室からは何も返事がない。

つぐみと秋人は内心オロオロした 。

もしも雪見がこのまま寝室から出て来なかったら…。

世界が相手の仕事を、キャンセルすることにでもなったらどうしよう、と。


その時だった。

ガチャリとドアが開いた音がして、何事も無かったように雪見が皆の所へとやって来た。


「雪見さんっ!」


秋人がいきなり大声を出したので、今野が怪訝そうな顔をする。

だがつぐみも、取りあえずはホッと胸を撫で下ろした。

雪見は身支度を整え、バッグを持って準備が出来てる。

どうやら落ち着きを取り戻し、予定通り次の仕事に行けそうだ。


「お待たせしました。じゃあシュートくん、後は戸締まりお願いね。

つぐみちゃんも、せっかく来てくれたのにゴメンね。

また遊びに来て。健人くんに…よろしく。」

雪見はつぐみの瞳をジッと見つめ、伝えてきた。

『健人くんには絶対言わないでね。絶対!』と。


「よーし、じゃあ出発するぞ!

ってお前、何だか顔色悪いな。目も腫れぼったいし大丈夫か?」


「えっ?あ…そうですか?チーク入れるの忘れちゃったかな(笑)

まぁ、向こうでプロのメークさんが待ち構えてるから大丈夫ですよ。

さ、行きましょ。シュートくん、お疲れ様でした。また明後日お願いね。」


「お疲れ様でした。気をつけて行ってらっしゃい。」

秋人とつぐみは、雪見を心配げに見送った。


また己との戦いの場に出向く後ろ姿を。

誰にも助けを求めず悲鳴も上げず、自分の中で必死にもがき続ける姿が見えた気がした。



「あいつも若いのに心配性だなぁ 。山登りに行くわけでもねーのに。」


笑いながら車を発進させた今野は、後部座席なんて見ちゃいなかった。

崩れるようにシートに横たわる雪見の姿など…。





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