ローラの説教
「あぁ…おはよう。今日は早いんだね。」
健人がさりげなく前へ出て、雪見の盾になる。
ローラは、どんな口撃を仕掛けてくるかわからない微笑みの刺客。
それを知ってるホンギと雪見も心を身構えた。
「ケントと車で来ようと思ってたのに、さっさと行っちゃうんだもの。
それにしてもさっきの地下鉄での、あれは何?
もうちょっとアカデミー生としての自覚を持って欲しいわ。」
「見てたのっ!?」
「ストーカーかよ…。」
雪見が耳まで赤くしてる隣で、ホンギがボソッと呟く。
それをローラはキッと睨み付けた。
「あなた達、ここの発表会がどんな場なのか、まだ理解が足りないようね。
いいわ、もう一度教えてあげる。アカデミー生としての品格もね。」
ローラは腕組みしながら三人に、こんこんと説教をし始めた。
これまで多くの名優を生み出したこのアカデミーの発表会は、今や業界関係者が
こぞって押し掛ける新人スカウトの場。
しかも無料で誰でも見られるとあって一般人も多く詰めかけ、ここから生まれるであろう
未来のスター達に目を凝らす。
と言うことは、キャストが発表になった時点でアカデミー生は周りから注目されていて、
どこで誰に見られているかわからないのだ。
クラスメート達も、舞台を成功させるため一丸となって取り組む一方、
お互いが紛れもないライバル。
どんな端役だろうとスカウトの目に留まるべく努力をするし、隙をついて
ライバルを蹴落とし、前へ出ようとする者だっている。
すでに激しい生き残り競争は始まってるのだ!
…というような事を興奮気味に、一気にまくし立てられた。
「ケントもこの国でデビューしようと思うなら、自分が無名の新人なんて意識は捨てるべきよ。
あなたは主役の座を与えられた時点で、片手にチケットを握り締めてるの。
それを余計なことで破り捨てるような、バカな真似はしないでちょうだい。」
「馬鹿な…真似?」
健人は無表情にローラを見据えた。
「そうよ、バカな真似。大体ロジャーヒューテックの娘が相手役なのよ?
どれほどの人達が、あなたと私に注目してると思うの。
このまま行けば確実にデビュー…」
「デビュー?何それ。どういうこと?」
ローラの『しまった!』という顔を健人は見逃さなかった。
それと同時に、なぜ留学したばかりの自分が主役に選ばれたのかという違和感が
スッと消えた気がした。
そーいうことか…。
「と、とにかく…。
こっちでもデビューしたいなら、細心の注意を払いなさいってこと!
パートナーは、もっと気配り出来る人に替えたら?」
「なにぃ〜い!?もう一度言ってみろっ!今度ゆき姉を侮辱したら俺がぶっ飛ばす!」
健人よりも先に凄い剣幕で怒ったのはホンギである。
色白な顔は見る見る間にピンクに染まり、頭のテッペンから湯気が見えるよう。
「ふん、野蛮な貧乏人の遠吠えなんか耳にも入らないわ(笑)
あー、車の中でモーニングコーヒー飲もうと思ってたのに、地下鉄乗ったお陰で
飲みそびれちゃった。カフェテリア行ってこようっと。」
ローラがバタンとドアから出て行った。
その途端、雪見の瞳からは大粒の涙がポロポロと…。
「わぁ〜ゆき姉、泣かないで!なんっでケントも言い返さなかったんだよぅ!
くっそー!あの女、ロジャーの娘だろうと何だろうと許さないっ!
俺が貧乏なのはホントだから許してやるが、ゆき姉やケントを
侮辱するまねだけは絶対に許さんっ!!」
「ごめん。俺が悪かった…。」
健人はそれだけ言うと雪見を引き寄せ、ギュッと力強く抱き締めた。
「私こそ…ごめん…。健人くんの足を引っ張ってばかり…。
ほんとは守ってあげなきゃいけないのに…。」
悲しくて泣いてるわけではない。
言い返さなかった健人が、どれほどの胸の内だったか…。
それを思うだけで涙が出て、不甲斐ない自分にも腹が立って…。
ローラの言う通り…なのかな…。
とその時、遠くの方からワイワイと楽しそうな声が聞こえてきた。
「ヤバッ!もうみんなが来る時間だ!ゆき姉、早く涙を拭いて。ケントも笑顔笑顔!
ねぇ、ところでずっと聞きたかったんだけど。
地下鉄でのアレって…なに?ナニしたの?」
ニヤリといやらしい顔でホンギが健人の顔を覗き込む。
「ナニってなんだよっ!ただのキスっ!いっぱいチューしただけ!
そんなもん、ここじゃフツーだろ?しっかし今頃になって無性に腹立つわぁ!」
「いいな。俺しばらく…ない。
でもさ、あいつが一人で喋りまくってくれたお陰で『スミスソニア』の話は忘れ…。」
「シィーッ!また誰かに聞かれるとまずいから、その話は止めとこ。
とにかく今日は絶対に頑張れ!いいな?」
「任せときぃ!必ずビンボーから脱出して、あの偉そうな女をギャフンと言わせてやる!
てか…ギャフンってどーゆー意味?」
「お前さんも無駄に日本語、知りすぎ(笑)」
やっと三人の間に笑いが起こった。
そこへクラスメート達が続々と「おはよー♪」と入ってきて、雪見を見つけ
嬉しそうに抱き付いた。
「わぉ♪ユキミだぁ〜!元気だった?今回はいつまで居れるの?」
「え?夕方帰っちゃうの?つまんなーい!せっかく会えたのに。
今日の衣装着たリハ、ユキミに写真撮って欲しかったなぁ!」
「え?うそ!?今日衣装着てのお稽古なの?わー撮りたい撮りたいっ!
健人くん何時から始まるの?お昼までならいいよね?飛行機間に合うよね?
キャーッ!先生に撮影許可もらってこよーっと!」
今にもスキップしそうな勢いで、雪見が教室から飛び出して行った。
健人とホンギは顔を見合わせ、相変わらず猫の目のようにクルクル変わる雪見のご機嫌に
クククッと笑いながら安堵した。
さぁ、俺たちもウォーミングアップを始めよう!