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再び帰国の朝に

楽しい時間とは、あっという間に過ぎ去るもの。

またしても別れの朝がやって来た。

しばらく味わうことの出来ない雪見の朝食を、健人はしんみり噛みしめながら口に運んでる。


巷では、イケメン俳優斉藤健人は冷静沈着、ポーカーフェイスとの認識だろう。

確かにそれは間違ってはいない。

だが唯一雪見といる時だけは例外で、思いっきり心が顔に落書きされるのだ。

そのギャップが可笑しくもあり、自分だけに見せる顔が嬉しくもあり、でも切なくもある。

複雑な思いに歪みそうになる口元を、雪見は慌てて大きなカフェオレカップで覆い隠した。


「ねぇ…。飛行機って夕方でしょ?それまで何やってんの?」


トーストを囓りながら健人が少し不機嫌そうに、ぶっきらぼうに聞く。

自分が稽古に出掛けた後、何をしてるのか、と。

明らかに、あと40分ほどで別れの時を迎えなくてはならないことに苛立ってる。

だけど健人がそんなだから、かえって雪見は冷静な大人でいられた。


「何って…健人くんのご飯作ったりお掃除したり。

ベッドカバーのお洗濯もしたいし、めめ達とも遊んでやりたい。

次に会えるのは発表会なんだから、やっておきたいことは山ほどあるのよ。

けどバタバタしてるうちに、すぐ時間が来ちゃうよね。

飛行機に乗り遅れないようにしないと(笑)」


雪見は極力平然を装って、カラッと笑ってみせた。

ところが…。


「いっそ乗り遅れちゃえば?」


「えっ…?」


健人はニコリともせず真顔で言った。

帰るな、とは言えない。仕事をするということの責任だって充分知ってる。

だからこれぐらいの冗談言わせてよ…。

そんな悲しげな目をしてた。


よく似た目を何度も見たことがある。そう、公園で。

箱の中から、すがるような目で見上げる子猫の瞳…。


捨てられた子猫に見つめられたら私、素通り出来ないって知ってるでしょ?

そんな目で見ないで。いや…わざとじゃないよね。

あなたはきっと猫の化身だもの。私が抱き上げるに決まってる…。


「…よし。じゃあ…決めたっ!」


「えっ?マジで飛行機、乗り遅れんの?」


「まっさかぁ!それは無理でしょ。

また今野さんをすっぽかしたら、頭に血が上って倒れちゃう(笑)

そうじゃなくって。時間までね、健人くんのお稽古でも見てよっかなーって。」


「うそっ!?ほんとに?ほんとに見に来てくれんの?」


「健人くんが嫌じゃなかったら。

その代わり、お家のことは何にも出来ないけどいい?」


「後のことは俺がやるから大丈夫!

やっべ!もうこんな時間!ゆき姉も早く準備して。」


一瞬で変わった健人の嬉しそうな顔ときたら。その笑顔にはかなわない。

そこまで私を好きでいてくれて、ありがとね。

さぁ私も急いで支度しよう。




久々に二人で乗った早朝の地下鉄。

ドアの横に手を繋いでしっかりと立ち、止まってはくれない時間を惜しむように

見つめ合ったり触れ合ったり、会話の合間にキスをする。

ありふれた光景の一部に溶け込むと、ちっとも恥ずかしくないから不思議だ。


「ここが日本じゃなくて良かったね。今の私達、よく考えたらあり得ないよ。」

健人に守られるようにして腕の中にいる雪見が、笑いながら顔を見上げる。


「日本の地下鉄でも、間違ってキスしたりして。」

雪見にコツンとおでこを付けた健人は、イタズラな顔して素早くキスした。


「超人気俳優の斉藤健人さんは、日本で地下鉄になんか乗らないでしょ(笑)」

「今度二人で乗ってみる?」

「やめとく(笑)」


くだらない話に二人で笑ったあと、また軽くキスをする。なんて幸せな時間。

彼が日本の人気俳優だなんて、誰も気付いてないだろう。今はそれが有難い。

だけどいつかは、この地下鉄さえも乗れなくなる俳優になりたい。

彼はそう思ってるはず。目指すのは世界だから。

きっと…いや必ず実現するよ。私がそうさせてみせる。




一番乗りの教室…と思って、二人ラブラブモードのままドアを開けた。

が、「ユキミ〜!」とすっ飛んで来たホンギに勢いよく抱き付かれ、

雪見は思わずよろけてしまった。


「ちょっ、ホンギくんっ!ビックリしたぁ!どーしたの?」


「おーいっ!朝っぱらから俺に喧嘩売ってんの?(笑)」


「今どき日本人だってハグすんだろ?俺に感謝の気持ちくらい伝えさせてよ。

ゆき姉が俺のために一生懸命やってくれたって聞いたから…。

どうしても直接お礼が言いたかったんだ。

今日会えると思わなかった。嬉しい…。ゆき姉…ありがと…。」


ホンギの目がみるみる潤み、彼はそれを隠すように深く頭を垂れたが、

ポトポトと落ちる涙ですぐ床を濡らした。

まさか泣き出すとは思わなかった健人と雪見は、突然の事にビックリ。

だが、ホンギの涙の向こうにある思いをよく知ってるので、二人の瞳も潤んでた。


「やだ、ホンギくん泣かないでよぉ!私まで泣けてくるじゃない。

私なんて、ただカメラマンをしただけ。

ホンギくんを一生懸命売り込んだのは、健人くんなんだから。

健人くんがここまでこぎ着けたんだよ。」


「…えっ?そうなの?」


ホンギの様子を見ればわかる。

健人は、自分がやったとは言わなかったのだろう。

どんなに自分が手柄を立てたとしても、誰かのために尽力したとしても

決して彼は、それをひけらかしたりはしない。そういう人だ。


「ケントぉ〜!大好きだぁ!!」

今度は健人にガシッと抱き付き、ホンギがほっぺにチューをした。


「お、おいっ!頼むからやめて(笑)

まだ決まったわけじゃないよ。今日のカメラテストと面接次第。

ここから先は、自分の力で勝ち取れよ。」


「うん、絶対に取ってみせる!

そしたら俺たち、三人でCMとか世界中に流れちゃったりする?

うわっ、ヤバイー!どーしよー!!」


ホンギのテンションを二人で笑ってるところへ、バタンとドアが開いた。


「なぁに?三人でCMって。何か楽しい事でもあるのかしら。

あら、ユキミ。まだこっちに居たのね。」


「ローラっ!」


しまったと思った。一番聞かれちゃまずい人に聞かれてしまった。






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