再びのNY
抱き締めたい時に抱き締めて、キスしたい時にキス出来る。
空港を行き交う人々の波間に立ち止まり、思いのままに唇を重ねながら
二人は幸せを噛みしめていた。
「ニューヨークって最高っ!」
やっと離した健人の唇が、照れ隠しのように開口一番そんなことを言う。
雪見は健人が可愛くてクスッと笑いながら首に手を回し、いたずらな目をしてわざと聞いた。
「このままずっと、こっちに住んじゃう?」
「うーん、ずっとはいいや。やっぱ日本って最高っ!」
顔を見合わせ、二人は可笑しそうにケラケラと笑った。
こんな他愛もない会話さえも愛おしい。
一緒にいて笑い合えるって、なんて素敵なことか。
たった十日離れてみて、今改めてお互いが思った。
この人のいない人生は考えられない…。
再びどちらからともなく唇を合わせ、「愛してる。」と言ってはキスをする。
このまますぐにでも身体を重ねたいほどに高まってしまった気持ちを抑え、
健人は「さぁ帰ろ。」と荷物と雪見の手を取り歩き出した。
と、そこへ…。
「おいおい、お前さんたち。随分とこっちの暮らしをエンジョイしてるようだな。
でもそんなのは今日限りにしとけよ。写真でも撮られたらシャレにもならん。」
突然後ろから声を掛けられ、振り向いてビックリ!
「こっ、今野さんっ!?
なんで??なんでここにいるんですかっ!」
「えーっ!?今野さん、明日の便で来るって言ってたのにー!」
「引き継ぎが早く終わったから、最終に間に合ったん だよ。
それに健人!俺は雪見のマネージャーだ!一緒に来て文句あっか?」
「うっそ!今野さんがゆき姉のマネージャー!?それ、マジっすか?
…あ!」
すぐに状況を理解した健人と今野が、同時に雪見を見る。
こいつ、何にも話ちゃいねーのかよー!という呆れ顔で。
「えへっ♪」
「なに笑って誤魔化そうとしてんの。なんで教えてくんなかったのさ。
もしかして…他にも俺に話してないことあるんじゃない?」
ドキッとした。
母のことがバレてるんじゃないかと心臓がバクバクした。
だが、今野にだって知られてはいない。大丈夫、落ち着け!
「あははっ、ごめーん!健人くんを驚かそうと思って。
明日今野さんを夕食に招待してるから、家にピンポーン♪ って来たところに私が
『いま手を離せないから健人くん出てー!』ってキッチンから叫んで、
健人くんが玄関のドアを開けてビックリ!ってシナリオだったんだけどなぁー。
今野さん、まさかのサプライズ崩し(笑)」
「そーいう小芝居はいらないからっ!」
健人が笑いながら雪見の頭を小突いたのでホッとした。
本当にサプライズとして計画してたことだったが、やはりこんな重要事項は
真っ先に健人に伝えるべきだった。
サプライズと言えども、もう健人をだますようなことはやめよう。
母のこと以外は…。
「おいっ!他は健人に話してあるんだろうな?
やめてくれよ!あれ聞いてない、これ聞いてないって夫婦喧嘩に発展するのだけは(笑)」
「多分…大丈夫です (笑)」
夫婦喧嘩という言葉が今野の口から飛び出し、健人は嬉しそうに笑ってた。
きっと、自分が最も信頼を寄せる元マネージャーが雪見に付いてくれると知り、
心から安心したのだろう。
三人で乗ったタクシーの中でも、健人は上機嫌で近況報告してる。
今野に見つからないよう、そっと雪見の手を握りながら…。
「じゃ、明日の10時に迎えに来る。
軽く歌わされると思うから、喉のコンディションは整えておけよ。
くれぐれも酒の飲み過ぎ注意だ!
しっかし、すげぇマンションだな。さすがは小野寺常務。」
リゾートホテルのようなアパートメントを、タクシーの窓から見上げながら
今野がしきりに感心してる。
「あぁ…寄って行きませんか?コーヒーで もどうです?」
「心にもないこと言うんじゃないよ。顔に『早く行け!』って書いてあるぞ。
しかも酒じゃなくコーヒーを勧めるって、長居すんなってことだろ(笑)」
「あれ?バレました?」
健人と今野のやり取りを雪見が笑って見てると、今度は今野が仕返しとばかりに
ニヤリと笑って健人に言った。
「雪見は、うちの事務所の大事な歌姫だからな。
喉を痛めるような余計な声、夜中に出させんじゃねーぞ(笑)」
「キャーッ!やだ今野さんっ!」
「なっ、なに言ってんっすか!?」
「わっはっは!まぁ、雪見がのんびり出来るのは今夜だけかも知れん。
お前もこの世界で生きてるなら、これから先の雪見の忙しさはわかるよな。」
笑ってた今野が急に真顔 になって健人を見る。
実は今回の世界デビュー、当の雪見よりも健人の方が今野はずっと気掛かりだった。
雪見の仕事に関しては一切の心配もしていない。
本人がその才能に気付いてないから不安を抱いてるだけで、スイッチが入ると
人が変わったように最大限の力を発揮出来るのが雪見と知っている。
メンタル面も、情熱を持ちつつ良い意味での冷めた見方を出来るので、
多分周りに流されることなく淡々と仕事をこなすだろう。
だが健人は違う。
仕事は若くしてプロフェッショナルで文句なく完璧だが、心は思いの外傷つきやすく
四苦八苦しながら自分と折り合いを付けてきたように見える。
それが雪見と共に居るようになってからは、あからさまにわかるほど
精神が安定し 強くなった。
だがそれは、雪見と共に居ることが大前提。
心の安定剤でもある雪見がこの先忙しくなり、今までの生活が難しくなるとすると
健人のメンタル面にも何らかの作用があることは充分推測出来る。
だが健人はそんな自分の、この先の変化には思いが及ばない。
「大丈夫!わかってますって。
ゆき姉がやるって決めたんだから、俺も全力でバックアップしますよ。
だからゆき姉…いや雪見のこと、どうかよろしくお願いします!」
タクシーの窓越しに深々と頭を下げた健人を、横で雪見は頼もしそうに眺めてから
一緒に頭を下げた。
「よしっ、任せとけ!うちの事務所一のマネージャーが付いたんだ。安心してろ。
だから健人も頑張れよ。うかうかしてると嫁さんに 追い越されるぞ。
じゃあな!お休み。」
「まだ寝ませんっ!お疲れ様でした!」
下ネタ好きのオヤジには付き合ってられん!とばかりに雪見が言い放ち
タクシーはやっと二人の前から姿を消した。
「ふぅぅ…やっと行った…。
なんだか急にお腹空いちゃった(笑)あ、でも冷蔵庫空っぽでしょ?
荷物をマーティンさんに預けて、このまま買い出しに行かない?」
「大丈夫だよ。ホンギがね、タダで住まわせてもらったお礼にって、
俺が空港行ってる間に買い出しして料理作っておいてくれてんだ。」
「えっ?そうなの?嬉しい!ホンギくんの作るお料理、美味しいもんね♪
よしっ!じゃあ、とっておきのワイン開けて乾杯しよう。」
二人仲むつまじくエントランス をくぐると、コンシェルジュのマーティンが
「お帰りなさいませ、雪見さま。」とにこやかに頭を下げた。
「ただいま!また少しの間お世話になります。
あ、マーティンさんにもお土産買ってきたから、荷ほどきしたら届けに来ますね。」
「私にまでですか?ありがとうございます。」
深々とお辞儀をし礼を言うマーティンに「じゃ、また後で。」と伝え、
エレベーターへと向かおうとした時だった。
「私には?私にお土産は無いのかしら?」
後ろから聞こえた声に身震いし、雪見は繋いだ健人の手をギュッと握り直した。
その声の主こそ、雪見に武器を手にすることを決意させた相手…。