交換条件
健人を、今ここに呼び出すことが交渉仲介の条件?
私は耳を疑った。
「失礼ですが、おっしゃる意味がよく解りません。
これは、私が真由子さんにお願いして進めてもらった話で、健人くんは一切知らない事です。
健人くんを呼び出して、一体何をされるおつもりですか?」
おかしな事に健人が巻き込まれるのを懸念し、私はその条件を撤回してくれるよう懇願した。
「パパ、何を言い出すの?この家にあんなアイドルを呼び出すなんて!
マスコミにでもバレたら、この話は全てご破算になってしまうわ!」
真由子も必死に父の説得を試みる。
「ねぇ、少しお酒に酔って、そんな意地悪を言ってるんでしょ?
いつものパパの、悪い冗談よね?」
「いや、冗談なんかじゃないさ。ただ、気が変わっただけだ。」
「気が変わったって、どういう事?
まさか、この話を進める気が無くなったとでも言うんじゃないでしょうね!」
「違うよ。この話を、他の部署に引き渡すのが惜しくなっただけさ。
パパの編集部でやってみようと思う。」
「えっ!」
私と真由子、それに真由子の母の三人が同時に驚きの声を上げた。
「どういう事?パパの所はファッション誌の編集部でしょ?
アイドルの写真集は、他の部署が担当なんじゃないの?」
「確かに今まではそうだった。きっちり分担が決まってたからな。
だけど、この春からコラボ企画っていうのが、各部署で推進されることになってね。
うちのファッション誌とコラボできそうな事を、ずっと探してたのさ。」
真由子の父は、すごく良い物を見つけた!というような満足げな顔をしていた。
私と真由子は考えてもみなかった展開に、しばし唖然としていた。
「コラボ企画って言ったって、今回の写真集のコンセプトを変えるわけにはいかないのよ?
雪見が撮る斎藤健人の素顔、って言うのがキモなんだから。
一番重要な事を変えたんじゃ意味がない!」
「誰も、コンセプトを変えようなんて思っちゃいないよ。
写真集の狙いはそれでいいと思う。
読者の望んでる事を企画するのが、一番売れる方法だからね。」
「じゃあ、健人とファッション誌の何がコラボするって言うの?」
真由子も私も、父の意図するところが全く解らなかった。
「斎藤健人とのコラボじゃなく、浅香さん。あなたとのコラボですよ。」
「えっ?私とのコラボって…どういう事でしょうか?」
「あなたを、うちの誌面で連載するんです。
斎藤健人に密着してる女性カメラマンを僕らが密着し、出版までの過程を毎月連載する。
知ってましたか?斎藤健人はこの春から毎号、うちのグラビアに出てるんですよ。」
「あっ、ごめんなさい!私、二十代のファッション誌は読んでなくて…。」
「私だって読まないわよ!だって私たち、三十代だもん!」
真由子が父に対して、少しムッとした顔をした。
「別にそんな意味で言ってるんじゃないさ。
斎藤健人が載ると載らないのとでは、売り上げに物凄い差が出るんだ。
写真集刊行までを連載すれば、うちのファッション誌も売れるし、その読者が写真集も買う。
なんせメイキングを見てるわけだから、写真集の発売が楽しみになるだろう。
お互いが連動するって訳だよ。
どうだ。いい考えだと思わないか?」
確かに真由子の父の言う通り、健人のファン層が一番厚いのは二十代だ。
連載してもらえたら、写真集の前宣伝にもなるし買ってくれる確率も高くなる。
このまま真由子の父に頼んだ方が、すべてがスムーズに進められる気がした。
「なんせ、迷ってる時間はないんだ。
事務所との交渉が一日遅れただけで、他に決まってしまう可能性は高い。
そうならないためにも今すぐ決断して、明日の朝一番で交渉に出向きたい。
だがその前に、本人に直接会って話を聞きたいんだ。
ここに呼び出してくれますね?」
迷ってる時間はないことを、私も真由子も重々承知していた。
ここに健人くんさえ来てくれたら、それで全てはいい方向に動き出す。
あとは真由子のお父さんに任せれば、きっと明日には契約が締結される。
そうしたら私も健人くんも、この先悩むことなく仕事に没頭できる。
よし、決めた。
「わかりました。健人くんに連絡してみます。
たぶん、まだ飲んでるか、家に帰ったかのどちらかだと思うので。
ちょっと、席を外します。」
そう言って私は外に出て、健人のケータイに電話をかけた。
「もう帰って寝ちゃったかなぁ…。
あ!もしもし、健人くん?」
健人の声を聞けて、心から嬉しいと思った。
何時間か前に別れたばかりなのに、ずっと声が聞きたかった。
声を聞いたら、今度は早く会いたくなった。
「健人くん、今どこにいるの?
まだ、どんべい? だいぶお酒、飲んじゃった?」
『いや、そうでもない。
ゆき姉来ないって言うからヤケ酒しようと思ったのに、マスターが気ぃ使ってめっちゃ笑わせてくるから酔わんかった(笑)。
てか、まだ友達んちにいるの?』
「あのね、健人くん。今すぐこっちに来れないかな。
写真集のことで力になってくれる人の家にいるんだけど、その人がどうしても健人くんに会いたいって。
健人くんが来てくれることが、交渉を進めるための条件だって…。」
健人はしばらく黙ってた。
よく事態が飲み込めなかったが、写真集のために雪見が奔走してくれてる事だけは充分伝わった。
「ゆき姉が俺のために、一番良い方法を考えてくれたんでしょ?
だったらきっと、そうする事が必要なんだね?
…わかった。これからそっち行くよ。
で、どうやって行けばいい?」
詳しい事情も聞かずに私を信じ、健人がここへ来てくれることが何より嬉しかった。
「これから健人くんを迎えに行ってきます!」
満面の笑みの私は、きっと月より輝いていたに違いない。
大好きなあなたに、早く会いたい。