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帰国の朝

「えっ?ええーっ!うっそぉぉぉお!?

ローラのお父さんが、あのロジャーヒューテックぅう!?」


早朝6時。キッチンで最後の朝食を準備しながら雪見が出した大声は、雪見自身の頭と

「おはよ。」と言って後ろから抱きついてきた健人の耳を、もろに直撃した。


「あいたたっ…。頭に響いた。なんでこんなに頭が痛いの?おかしいなぁ…。

てゆーか、なんでそんな凄いこと、昨日教えてくんなかったのよぉ!」


「…ったく、どんな大声だよー!こっちの方が耳痛いわ。

だって昨日はゆき姉、そんなモードじゃなかったじゃん。

ずーっとお風呂ん中で俺を離してくれなかったしー(笑)

ヘトヘトになって寝たんだから、言うタイミングなんて無かったよ。」


健人がいやらしくニヤッと笑った。

な、なにっ!?今のイケメンにあるまじき顔!


「うそっ!?え?私また飲み過ぎて…なんか…した?」


「また覚えてないの?つまんねーの!昨日の続きのイチャイチャしようと思ったのに(笑)

ね、ほんとに覚えてないの?ホントにぃ?

そりゃお風呂ん中で、ほとんど一人でシャンパン飲み干したんだから酔って当たり前。

ま、そのお陰で楽しい夜だったけどね♪ほいっ、薬!」


「イジワルっ!もう健人くんとお酒飲まない!」

雪見は健人から受け取った頭痛薬を水で流し込み、プンと頬を膨らませて

サラダのレタスを千切り出す。


「あははっ!ごめんごめん!もう言わないから許して。

酔ってエロっぽいゆき姉もフツーのゆき姉も、どっちも可愛いから大好きだよ♪」


健人は笑いながら頭をクシュクシュッと撫で、頬にチュッ♪とキスして

逃げるようにキッチンを出て行った。


「ちょっ、ちょっとぉー!今、エロっぽいって言ったのぉ!?

エロっぽいぃい?私が???」


消えた記憶の中の私って一体……怖っ!



健人が思いの外、晴れ晴れとした顔で食卓についてる。

別れの朝らしく、もっとしんみりとした朝食かと思ったが、雪見があれこれ聞くまでもなく

ローラの家での一部始終を興奮気味に話して聞かせた。

もしも昨日の夜がそうさせてるのなら、記憶に無い私、Good job!


「ロジャーがね、俺と共演する日を楽しみにしてるって!

あ、奥さん連れて今度遊びに来いって言ってたよ。」


「うっそー!キャーッ!!凄い凄いっ!

健人くん、あのハリウッドの大スターに気に入られちゃったのぉ!?

え?私も今度会っていいの?ほんとにっ?

嘘みたい!同じアパートにロジャーが住んでたなんて!」


あいたた…と頭を押さえながらも雪見がはしゃいでる。

ずっと気になってたマーティンの言葉は、きっと彼の思い過ごしなんだと思ったら

ホッとして力が抜けた。


しかし、その頭からすっぽりとローラの存在が抜け落ちてることに気付くまでに、

そう時間は掛からなかった。


「あ…でもロジャーがローラのお父さんだなんて、アカデミーじゃ誰も知らないんじゃない?

そんな話、一度も聞いたことがないもの。」


「そうなんだよね…。俺も聞いたことがなかった。

秘密にしてる…ってことなのかな?言えない事情があるとか…。」


二人は黙りこくってしまった。

大スターと知り合い、有頂天になったのも束の間、やはりローラは一筋縄ではいかなそう。

ここから始まる新たな日々に、緩んでた心がキュッと引き締まった。


「俺、めっちゃ頑張っていい舞台にするから。6月まで必死に頑張る!

だから発表会には絶対来て!

あ…いや、お母さんの容体が安定してたらでいいけど…。」


健人は一瞬顔を曇らせた。

義母の容体や雪見の心情も考えず『絶対来て』と言ってしまったことへの後悔。

だけど雪見にはどうしても観てもらいたいという本音…。

そのすべてを瞬時に理解出来たので、雪見は飛び切りの笑顔を作って健人の目を見た。


「大丈夫、必ず観に来るよ。健人くんのアメリカデビューを見届けなくちゃ一生後悔する。

だから、私に最高の舞台を観せてね。

私はそれまでに、やるべき事はキッチリやって戻って来るから。ねっ!約束!」


雪見が突き出した、細く長い小指。

力を入れて握ればポキリと折れてしまいそうなほど華奢なのに、健人の

無骨で男らしい小指をギュッと捉え、絶対の約束を誓うように力強く指切りをした。


健人が安心したようにニッコリと微笑む。

その笑顔を見て雪見も、やっと日本へ帰る心が整った。


きっと大丈夫。

離れていても、きっと大丈夫…。




「めめとラッキーのこと、お願いね。

あ、朝食と夕食は一週間分くらい作って冷凍庫に入れてある。チンして食べて。

ちゃんとホンギくんの分も作ったから、遠慮しないで食べてって伝えてね。

私は2時頃ここを出るよ。今日の夕飯は作って行くから。

それと…ん。」


終わりそうもない話を、エレベーターが閉まると同時に健人が唇で遮断する。

強く抱き締めながら温もりを分かち合い、扉が開くギリギリまで最後のキスを交わした。


「愛してる。」「私も。」


お互いの目を見て想いを確認し合い、別れの儀式を終える。

エレベーターが一階への到着を告げると、名残を惜しむように固く手を繋ぎ降りたのだが

そこで二人は同時に「あっ!」と声を上げた。

エントランス中央にある小さな噴水の脇に、サングラスは掛けていても

一目で判るオーラを放ち、その人は立っていた。


「ロジャーさん、おはようございます!昨夜はご馳走様でした。」


躊躇して足にブレーキの掛かる雪見の手を強引に引き、健人はロジャーの前まで歩み寄る。

そして昨夜の礼を言って頭をペコリと下げ、隣の雪見を紹介した。


「妻…のユキミです。」


「は、初めまして!昨夜は主人をお招き頂き、有り難うございました。」


突然の出来事に慌てた雪見だったが、まだ使い慣れない『妻』や『主人』

という言葉のぎこちなさが可笑しく、満面の笑みに隠して握手したらスッと緊張が解けた。


「こちらこそ、いきなり彼をお借りして済まなかったね。

それにしても、僕の大好きなサイエンスティーチャーマナブの元カノが

ケントの奥さんだったとは驚いたよ。いや、実にお美しい!」


「えっ…?」


無防備な背中に突然拳銃を突き付けられたように、健人も雪見も固まった。

どうしてそれを知ってるのか。一体何の目的で今それを口にしたのか。

ふいに掛かった蜘蛛の巣に動きを封じ込められてると、エレベーターからローラが降りてきた。


「あ!愛しのロミオだわ♪おはよう。

これからパパにアカデミーまで乗せてってもらうの。ケントも一緒に行きましょ。」


「あ、いや俺は地下鉄で…。」


「私達今日から本格的な稽古に入るのよ。少しでも早くからウォーミングアップ始めないと。」

ローラは意味深なことを口にし不敵な笑みで雪見を見ると、いきなり健人に口づけた。


「な、何をっ!」


目の前の光景に軽いめまいがした。

父親と、健人の妻である自分が見てる前で、何て事するの!?


「あら、ごめんなさい。私、稽古の最中は24時間役になり切っちゃうの。

ユキミは今日帰国するのよね?安心して。今からケントは私が引き受けるわ。

食事も私の家でバランスいいもの食べさせるし、お寝坊しないように毎日起こしに行って

一緒に登校するから。

ユキミは安心してお母様の看病してきてねっ。

あ、もうこんな時間!大変だわ、パパも遅刻しちゃう!さ、行きましょ!」


「おぉ、そうだな。じゃ奥さん。ケントを二ヶ月お借りしますよ。

またお会いできる日を楽しみに。さぁ、二人とも急ごう!」


「ゆき姉っ!気をつけて帰ってね!お母さんによろしくっ!」



連れ去られてゆく健人の後ろ姿を、二日続けて眺めることになろうとは…。

茫然とたたずむ雪見の肩を、いつの間にかそばにいたマーティンが

ポンポンと励ますように無言で叩く。


この想像以上に巨大な敵と戦うには、もっと武器が必要…。


……よしっ!



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