おびやかす者
「お邪魔じゃ…ないかしら。」
「ぜーんぜん!さ、どうぞ!ここ空いてるわよ。ホンギくん、一個ずれて。」
健人と雪見は一応主賓兼スポンサーと言うことで、ホンギと共にカウンター席に座ってる。
目の前で美味しそうな料理が出来上がるさまや綺麗なカクテルが注がれる様子は、
確かに見ていて楽しいのだが、ボックス席と違って横並びになるので
端と端の人は話がしにくい。
なので雪見はローラを間に入れてあげようと、自分とホンギとの間に席を設けたのだが
ローラはそこを素通りし、奥に座る健人の向こうにスッと腰を下ろした。
「あ…。」
ホンギが、せっかくずれたのにぃ!という顔して雪見を見てる。
「まぁまぁ(笑)ね、何飲んでるの?好きな物どんどん頼んでね。
今日はロミオのおごりだから。」
雪見はにっこり笑って、右隣の健人を挟んで向こう側にいるローラに話しかけたつもりだった。
が…後ろのボックス席の盛り上がりで声が届かなかったのか。
ローラは健人の顔を覗き込み「何飲んでるの?私も同じの、もらっていい?」
と天使のような愛らしい顔で小首を傾げて聞いていた。
「……ま、いっか。健人くんに相手を任せて私達は食べよっ。これ美味しそー♪
わ!めっちゃ美味しいよ!ホンギくんも食べてみてっ!」
雪見は嬉々として料理を食べワインを飲み出した。
だがホンギは、どこかの感覚が微かにキャッチした違和感が気になり、
いつものように夢中でご馳走を頬張るわけにはいかなかった。
『そもそもローラって何者なんだろ…。
誰かと話してるのも、あんまり見たことないな…。
確かにジュリエットに選ばれるくらい可愛くて、芝居もずば抜けて天才的だけど
レッスン終わったらすぐ帰っちゃうし…。友達いないのかな…?
てか、まさかの…ケント狙い?よしっ。少しリサーチしとくか。』
ホンギはいきなり料理を口いっぱい頬張りビールを一気飲みすると、
「ちょっと向こうの奴らの料理、つまみ食いしてくる!」と雪見に言い残し席を離れた。
「ちょ、ちょっと、ホンギくんっ!お料理好きなの頼んでいいんだってばぁ!
もぅ…。私一人にしないでよ…。」
雪見は健人にも聞こえぬほどの、小さな溜め息をついた。
隣りでは、しきりに話しかけるローラの相手を健人がしていて、何やら楽しそうに笑ってる。
雪見はなるべくそっちを見ないようにして、ホンギが戻ってくるのをひたすら待ちつつ
ワインをグイグイ飲んだ。
残念ながら…ローラの言動に気付かぬほど鈍感ではない。
稽古の様子をファインダーから覗いていても、ローラが健人を見る目は他の人と違ってた。
だが『ロミオ&ジュリエット』を演じるのだから、舞台の上では恋する瞳になって当然。
稽古が終わってからだって、一日も早くお互いを分かり合い心を通わせることこそが
舞台の成功を大きく左右することぐらい理解できる。
それに健人はいつだって、誰にだって平等に優しい。
でも…。それを間近で見てることの辛さときたら…。
いや、ダメだ。そんな事を思ってはいけない。
健人がモテて人気者であるのは百も承知で結婚したんだ。
ただの彼女のようなヤキモチを焼いてはいけない。
これからの私は妻として、マネージャーと同じく「ケントをよろしくお願いします。」
と、謙虚に頭を下げるくらいの気持ちでいなければ。たとえ心裏腹だとしても…。
モテる人の妻になると言うことは、たったひとつを手に入れた安泰の勝者ではなく、
いつ何どきタイトルを奪われるかも知れない、危機感を背負った孤独な
ディフェンダーなのかも知れない。
三杯目のワインを飲み干した頃、やっとホンギが戻ってきた。
「ごめんごめん!ついあっちで話し込んじゃった。」
「遅いーっ!待ちくたびれた。私もあっちでお喋りしてくる!」
雪見は、今だ二人で話し込んでる健人とローラから衝動的に離れたくなり
ガタンと立ち上がったのだが、ホンギに腕を掴まれ阻止された。
「居ないとダメだよ。ユキミはケントの隣りから離れちゃダメだ。」
「…えっ?」
痛いほど強く掴まれた腕と、それ以上は言葉で伝えない瞳…。
自分の思ってることとホンギの瞳が訴えてることが合致した気がして、
思わず身震いがした。
その時である。
ホンギと反対側の耳にフッと息を吹きかけられ、「ひゃあ!」と思わず肩をすくめた。
「け、健人くんっ!?」
「なーにホンギとじゃれてんだよっ!」
珍しく酔った口調の健人が、口をとがらせて雪見の顔を覗き込む。
「えっ?じゃれてなんかないよーだ!健人くんこそ… 。」
言ってはいけないと思ってたのに口が滑ってハッとした。
だが健人はその言葉に気付いたのか気付かなかったのか、雪見の耳元に口を寄せ小声で囁く。
「ねぇ、もう帰りたい。やっぱゆき姉と二人っきりで飲みたいから帰ろ。」
思わず目を丸くして健人を見ると、彼はカウンターに頬杖つきながら雪見を見つめ、
反対側の手でなぜか雪見の頭をよしよしと撫でた。
「あ…。」
健人は雪見の心をお見通しだったのだ。
よく我慢したね、という意味のよしよしに違いなかった。
そうだ。彼が私を悲しませるはずないことを、私は忘れかけていた…。
「そうだね…。最後の夜くらい、めめとラッキーと一緒にいよっか。
ホンギくん、悪いけど私達先に帰ってもいい?私、明日の荷造りもまだなの。
あ、ここの会計は済ませて帰るから、みんなはまだまだゆっくりしてて。」
雪見の言葉にホンギは親指を立て、ニカッと笑って同意した。
「おーい、みんなぁ!ケントとユキミはケッコンショヤだから帰るってー(笑)」
「なに?なに?ケッコンショヤって。」
「どーいう意味の日本語?」
「ちがーうっ!今日はケッコンショヤじゃないっ!でも俺たち新婚ですから♪」
「健人くんっ!」
雪見は酔って上機嫌な健人に苦笑いしつつ最後に一人一人とハグをし、
来月の発表会は必ず観に来ることを約束して健人と店を出た。
「あー外の風が気持ちいいねっ♪
けど、どうしちゃったの?健人くんがこんな短時間で酔うなんて珍しい。」
「あ、ちゃんと酔っぱらいに見えた?だったら作戦成功だな(笑)」
「えっ…?」
「ほら、ローラがなかなか離してくれなかったから。
そりゃ芝居の相手だからコミュニケーションは大事だけど、今それより大事なのは
ゆき姉との時間だから。あ、タクシー!」
嬉しくなった雪見が健人の腕にしがみついた時だった。
後ろからハイヒールの音が近づき振り向くと、なんとローラが立ってるではないか。
「私も同じ方向だから、タクシー乗せてくれる?」
「えっ!あ、あぁ、いいけど…。」
健人と雪見は今の話を聞かれはしなかったかとドキドキ。
ローラを先に乗せ、健人、雪見の順に乗り込んだ。
何となく気まずく、雪見は窓の外のネオンをずっと見てる。
すると、これ見よがしにローラはまた健人に笑顔を振りまき、一方的にお喋りを始めた。
そして大胆にも健人の太股に手を乗せてきたのだが、健人はスッとその手を掴んで下ろさせた。
「あ、運転手さん、ここで止めて下さい!
おつりはいらないから、彼女を家の前までちゃんと送り届けて。」
じゃあ!と言いながら雪見と健人がタクシーを降りる。
が…なぜかローラまでもが一緒に降りて来た。
「大丈夫だよ、このまま乗って帰っても。歩いて帰るのは危ないよ!」
「そうよ、遠慮しないで乗って帰って。」
「いいの、私の家はここだから。」
「えっ…?」
ローラが指差す先は、これから健人と雪見が入ろうとしてるアパートメントの入り口だった。