君に幸あれ
宴が終わりに近づく頃、学の周りにも人が集まり出した。
雪見は同伴者として側に居るべきだとも思ったが、二人の仲を誤解されると困るので
そっとその場を離れ、月夜の空を窓から眺める。
今頃健人くん、何してるかな…。
ご飯ちゃんと食べたかな…。
疲れ切って寝ちゃったかな…。
めめとラッキーにご飯あげてくれたかな…。
健人くんに…会いたいな。
会いたい…。会いたい!会いたいっ!!
一度思い出すと、居ても立ってもいられなくなった。
もう私のミッションはクリアしたよね?
あとはお開きになるだけだから、私なんか居なくても…いいよね?
よしっ!かーえろっと♪
あとで学にメールを入れりゃいいさ、と忍び足でホールを出ようとした時だった。
後ろから誰かに呼び止められて振り向くと、そこにはなんと大統領が立っていた。
「マナブ先生がおっしゃってた約束、お忘れですか?
まだ僕はプレゼントを受け取ってませんよ。日本が誇る歌姫さん♪」
「…は?」
忘れてるも何も、あれは学が勝手に言ったデマカセで!
…と反論したかったが、学に恥をかかせてはいけないと思い直した。
もう、こうなったら開き直って変身するしかないっ。
『YUKIMI&』に久々、ヘ〜ンシン!とぅ!
「わかりました。では今宵のお礼に一曲だけ…。
申し訳ありませんが急用を思い出したので、一曲歌ったら失礼させて頂きます。
今日はとても楽しい時間を、ありがとうございました。」
そう言って手を差しだし握手をすると、雪見は大統領から5,6歩後ろに下がり、
うつむいて目を閉じた。
そして胸に手を当て一度だけ深呼吸すると、スッとアカペラで歌い出したのだ。
「♪Amazing grace how sweet the sound.…」
それはアメリカで最も愛され歌い継がれてきた曲『アメイジング・グレイス』。
雪見…いや『YUKIMI&』が歌い出した瞬間、ざわついてた会場がシーンとなった。
彼女は目の前の大統領にだけ聞かせてるつもりだったが、豊かな声量と
誰の心をも鷲掴みにする歌声は、招待客はおろか従業員さえも足を止めて聞き入った。
大統領の隣りにミシェル夫人と二人の娘が歩み寄る。
4人は自然と手を繋ぎ、どこからか湧いてくる感情に目を潤ませた。
雪見の歌声に対する認識は万国共通らしい。
聞いていた誰の頭にも思い浮かんだのが聖母マリア像。
慈悲深く人々を包み込む、愛溢れる柔らかな声。
そうだ…もしマリア様が歌ったとしたなら、きっとこんな感じだろう…と 。
学はと言うと…初めて聴く雪見の生歌に放心状態だった。
よく考えると恋人同士だった頃、自分が音痴なせいでカラオケになど
一度も行ったことがない。
だから雪見が日本で歌手活動をしてた事は知ってても、実際には聴いたことがなかったのだ。
静かに歌が終わる。
ふぅぅぅ…と儀式のように息を吐き目を開けると『YUKIMI&』から雪見にポンと戻った。
…が、目の前にいつの間にか大統領ファミリーが集結し、会場もシーンと
静まり返ってるので驚いた!
「…え?あ…ごめんなさいっ!つい大声で歌っちゃって…失礼しましたっ!」
穴があったら入りたいどころか、一刻も早くここから逃げ出したいほどの恥ずかしさ。
ところが…。
「素晴らしいっ!」
大統領の興奮した声に会場も我に返り、割れんばかりの拍手と称賛が贈られた。
「こんなにも心を捉えられた歌声は初めてだ!
ありがとう!ありがとう!!何よりものプレゼントだったよ。
お礼に私からも何かプレゼントしたいが、何がいいかな?」
「えっ?あ、ありがとうございます!
いえ、そんな、大統領からプレゼントだなんて…。
…あ!じゃあ…あそこにあるビール、一本ずつ頂いて帰ってもいいですか?」
指差した先にあるのは、ここの招待客しか飲めない2種類のビールだった。
「あぁ『ホワイトハウス・ハニー・エール』かい?
そんなにあのビールを気に入ってくれたとは嬉しいよ。」
「はいっ!とっても美味しかったです!格別な味がしました。
あれを…どうしても飲ませてあげたい人がいるんです。
私の彼なんですけど…お酒が大好きで…。」
「さっき娘たちから聞いたよ。もうすぐ結婚するそうじゃないか!おめでとう!!
日本の俳優なんだって?NYのアクターズスクールに留学してるとか。
才能ある君の結婚相手だ。いつかハリウッドで活躍する日が来るかも知れないね。
じゃあ彼にこのビールを手渡して、君はニッコリ笑ってこう言うんだ。
『次はホワイトハウスでこれを一緒に飲みましょう!』ってね。
今日はあなたに会えて良かった。また会える日を楽しみにしています。」
大統領はそう言って握手すると、その手に二種類のビールを持たせてくれた。
雪見は何度もお礼を言い、そのビールを大事に抱えて一足先に会場を後にする。
「おい、雪見っ!待てよ!一人で帰る気かよっ!」
すぐ後ろから追いかけてきた学に、廊下で呼び止められた。
「ゴメン!急用を思い出した。私はどうにかして帰るから気にしないで。
学は最後まで居なきゃダメだよ。早く戻って。」
学はすぐにわかった。あいつの元に早く帰りたいのだと…。
俺は…帰りの車ん中で、まだまだ話したいこと山ほどあったんだけどな…。
えらそーなこと言っても結局は未練タラタラじゃねーか、俺…。
てか、さっきの歌で、また心を掴まれちまったよ…。
でも…ここでお前を手放さないと…きっと俺は自分を止められなくなる…。
「……わかったよ。じゃあ外にもうリムジンが待機してるはずだから、
あれに乗って帰ればいい。俺は別にタクシー呼んで帰るから。
あ、執事協会に頼んだ運転手だから一人で乗っても心配はいらないよ。
て言うか、そのカッコでこの時間に、なに乗って帰る気してんの?
襲って下さいって言ってるよーなもんだろっ!」
「あ…そっか…。ここ、日本じゃないんだもんね。
ありがと。じゃ、お言葉に甘えてそうさせてもらう。料金は…。」
「もちろん、こっち持ち(笑)」
「えへへっ。なら安心して車の冷蔵庫のお酒、飲みながら帰ろーっと♪」
「おいっ!どーでもいいが、ドンペリにだけは手をつけるなよっ!
まったく、どんだけ酒好きオンナなんだか…。
でも…あいつはお前に付き合えるくらい酒が飲めるんだろ?
…良かったな。仲良くやってけよ…。
今日はその…あんなことしてすまなかった…。幸せになれ…。」
キスしたことを謝り、無理して笑顔を作って雪見を見た。
この目にしっかりと焼き付けるために…。
彼女は聖母マリアのごとく、慈悲深き柔らかな微笑みで全てを許し別れを告げた。
「学も…幸せになるんだよ…。」と…。
あー、でも結構楽しかったなー。
ホワイトハウスのパーティーに出るなんて、自分の人生であり得ないもん。学のお陰だな。
でも…健人くんがもしもハリウッドで活躍するような俳優になったら、
大統領は私達夫婦を招待してくれる…ってこと言ってたんだよね?
そんなふうになればいいなぁ…。
世界のサイトウケントになって、ホワイトハウスに招待される…。
うん、楽しみっ!ケントくんなら出来るよ、きっと!
健人に会いたい加速度が増して、リムジンに飛び乗った。
出てくる車を待つ報道陣やら観客がごった返す敷地外。
そこに通じるゲートを、雪見の乗った車がゆっくり通過しようとしたその時だった。
誰かがこっちに向かって手を振った。
それは…たった今、会いたいと願った最愛の人、健人であった。