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悲しき決断

「なに…言ってん…の?母さんなら平気…だよ?ちゃんと入院してるんだもの…。

だから私…健人くんと一緒に来たんだよ…?

それなのに帰っていい…って…どういうこと?なんで…そんなこと言うの?

ねぇ…なんで…。なんで今そんなこと言うの…。」


あまりにも突然な健人の言葉に雪見は激しく動揺した。

ほんの数分前までの幸せな浮かれ気分は、この世の終わりが訪れたかのごとく

一瞬にして瓦礫と化した。

心臓がドクドクと耳にまで聞こえるような大きな音を出し、呼吸が苦しくなってくる。

大きな瞳からはポロポロポロと涙がこぼれては落ちた。


ケッコンシキガスンダラ…ニホンニモドッテイイヨ…


その言葉の意味を理解しようにも、頭の歯車が上手く回転しなくて

真意を読みとる機能が停止してた。


最後に病室で見た母の、娘の背中を力強く押し出すようなエールを込めた笑顔と、

今目の前で見てる健人の優しくも悲しい笑顔…。

その両方が交互にまぶたの奥に映っては消える。


ここへたどり着くまでにつけたはずの心の決着…。

それが振り出しに戻ってしまう恐怖を、雪見は感覚的に感じ取った。


健人が肩をギュッと抱き寄せる。

泣きやまない雪見を強く強く抱き締めて「ごめん…。」と小さく呟いた。

その一言が、さらに雪見を泣かせるとも気付かずに…。


「なんで謝るの…。何がゴメンなの…?」


「やっぱ今回は…ゆき姉を連れてくるべきじゃなかったんだ。

今野さんが言ってた。

『お袋さんの容体はかなり悪い。でも、もし留学中に何かあったとしても

健人には伝えないでくれって口止めされた。』って。

それでも今野さんは俺に教えてくれたんだ。

『お前も雪見も、一生消えない後悔だけはしちゃいけない。』って…。


俺のワガママに付き合わせて、もしもゆき姉の留守中におばさんに何かあったら…。

だから帰った方がいい…。俺のことは心配しないで。」


健人は抱き締めた手をほどき、雪見の目を見て真剣に訴えた。

言葉の最後に柔らかく優しい笑顔を添えて。

だが…今の雪見に健人の本心を汲み取る余裕などなかった。

全てを突き放されたように感じてパニックに陥り、心が悲鳴をあげていた。


「私…ちゃんと覚悟決めて付いてきたんだよ?

いっぱいいっぱい考えて、それでも健人くんのそばにいたいと思ったから付いてきたの。

それなのに、なんで今そんなこと言うの?

今野さんに聞いても黙ってて欲しかった…。

聞かなかったフリして、明日も一緒に笑ってて欲しかった!」


雪見は湧き出す感情を剥き出しのままぶつけ、今度はワーワー泣き出した。

まだ自分を上手く表現出来ない幼子みたいに…。


一体何に対して泣いてるのか。

誰に対して怒りをぶつけてるのかさえも、自分でわからない。

ただ、上手く隠れ切ったと思ってたのに見つけられてしまった隠れんぼのように、

目の前にいる鬼に八つ当たりしてることは、うっすらと自覚していた。


本当はどんな時も、健人の言ってることが一番正しいと知っているのに…。



ひとしきり泣くに泣いたあと、雪見が小さく溜め息をつく。

それを合図に、健人がゆっくりと抱き締めてた腕を緩めた。


「少し落ち着いた?これ飲んで。今日はちゃんと話し合おう。明日は休みだしね。」

健人は努めて穏やかな声でそう言いながら、雪見の手にワイングラスを持たせ、

その指先で頬に残る涙を拭い取った。


雪見がワインを一息に飲み干し、また溜め息をつく。

健人は、雪見が次に語り出すのを待っていたが、まだ心の整理がつかないようなので

ワインを一口こくりと飲み下してから静かに口を開いた。

どこまでも穏やかに誰よりも優しい声で、雪見の心を両手で包み込むように…。


「ゆき姉は…お母さんのそばに居てあげるべきだよ。

辛いけど、事実をちゃんと受け止めなきゃ …。

お母さんが最後の時間を一緒に過ごしたいのは看護師さんだと思う?

違うだろ?ゆき姉だよね。

後で後悔しても取り返しがつかないことって、この世の中にはあるんだ。

だから…今、俺と一緒に居るのは間違ってる。」


やっと心に折り合いをつけ、母の言いつけを守ることこそが最後に出来る親孝行と

自分に言い聞かせて日本を旅立ったのに…。

それをあっさりと否定されてしまった…。


雪見は再びワインを息継ぎもせず飲み干した。

飲んでも飲んでも酔えない自分と、逃れられない現実とに苛立ちを覚えながら。


「わかってるよ…。そんなこと前からわかってる…。

でもこれは母さんと私で決めたことなの。母さんと約束したことなの!

健人くんのお嫁さんになるからには、何があっても健人くんを第一優先に生きる!って。」


「……なに?それ…。誰がそれを望んでんの…。」

黙って雪見の言葉を受け止めてた健人が、表情を無にして言った。


「えっ…?」


「俺がそれを望んでるとでも思ってんの?

俺一人が何も知らされないで、誰かが俺の犠牲になって…。

それでも斉藤健人が活躍してくれればそれでいいって、つまりはそう言うことでしょ?

みんなそうなんだ…。俺を無菌室に入れたがる…。

斉藤健人の周りからマイナスになるものを排除して、悪い話には耳を塞いで…。

斉藤健人って一体何者?俺ってそんなに偉いやつ?

それが俺の幸せのためだって、本気で思ってんの?

ゆき姉はこれからも俺のために、隠し事をするんだ…。」


「そ、それは…。」


健人が悲しい目をしてこっちを見てる。

潤んだ大きな瞳はどこか虚ろで、愛する人さえも信じられないのかと

絶望の淵で心が膝を抱えてるのが透けて見えた。


「だってそれは……。健人くんは、あの斉藤健人なんだよ?

日本中の誰もが認める、凄い役者さんでアイドルなんだよっ!?

私が一番良く知ってんの!健人くんがどれだけ凄い人か。

本当は…私なんかが一緒にいられるような人じゃないのに…。

そんな人のお嫁さんにしてもらうの、私が…。

すべてを捨ててでも全力でサポートしないと、みんなに申し訳ないじゃない…。」


「それが本心なんだ…。俺が斉藤健人で在る限り、ゆき姉は俺の犠牲になって

生きてくってことね。リョーカイ。

ふふふっ…お笑いだな…。なんなんだろね、斉藤健人って…。

あはははっ!めっちゃ可笑しい!」


健人の冷たく乾いた笑い声が広い部屋に大きく響く。

その声にハッと我に返った雪見が健人を見ると、子鹿のように大きな瞳からは

今にも涙がこぼれ落ちそうだった。


「違うっ!犠牲なんかじゃないっ!私は大好きな健人くんの力になりたいだけなのっ!

ダメッ!そんなふうに思わないで!ダメだよっ!」


雪見が健人を力の限り抱き締める。

いつもはたくましく思う胸板も温かなぬくもりも、今はとてもか弱くて儚げで

雪見の力で簡単に砕け散りそうに感じた。

それでもなお強く強く抱き締め続けたのは、この手を離すと永遠に戻ってこない

風船のようにも思えたから…。



雪見はある決心を健人に伝えることにした。

健人がそれを望むのであれば…。


「わかった。私、挙式が終わったら日本に帰る…。」


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