キスkissキス
「よーし、到着っ!ゆき姉、そっちの2匹持てる?俺はこいつら3匹連れてくから。」
『秘密の猫かふぇ』地下駐車場で助手席から先に降りた健人は、車のハッチバックを開け
ショルダー式になったキャリーバッグひとつを、まずはひょいと肩に掛けた。
それから両手にも一つずつ持ち「もうすぐ出してやるからなっ!」と
猫たちに優しい声を掛け、雪見と二人、店へと繋がる秘密のエレベーターへと乗り込んだ。
…が、会員証をかざさないと動かない、このエレベーター。
なのに健人がそれを出しておくのを忘れ、慌ててキャリーバッグ3つを床に下ろし
財布の中から会員証を取り出す。
やっとかざされた会員証によって、エレベーターのドアが無事閉まる。
と、その瞬間健人は、両手にバッグを持ち無防備に突っ立ってた雪見に覆いかぶさりキスをした。
地下3階から、たった一階上がるだけのわずかな時間に。
ドアが開くギリギリ2秒前に唇を離し、同じ唇で「好き。」と言う。
そして何事も無かったかのように、おもむろにバッグを手に取りエレベーターを降りてった。
こっちはヒヤヒヤしてドキドキが止まらないっていうのに。
だってこのエレベーターは『秘密の猫かふぇ』直結。
ドアが開いたら、そこはもう店内なのだから。
「ねぇ。いったい一日何回キスすんの?」
受け付けに向かって歩き出した健人の背中に、少々あきれ顔して小声で聞いた。
だってあのタイミングでキスし始めると言うことは、突発的かつ衝動的な行動なんかじゃなく
その手前の段階からすでに用意周到、準備万端なわけで…。
「隙あらば何度でも!明日からは今までの百倍くらいねっ。」
「えーっ!それじゃ外人さんになっちゃうよ(笑)油断大敵だなー。覚悟しとくわ。」
振り向いた健人が修学旅行前日並みのウキウキ感で、なんだかビックリ。
心はもうニューヨークの街を闊歩してるんだなぁと思うと微笑ましくなって、
さっきまでのあきれ顔が笑顔に変わった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、斉藤様、浅香様。
ただいま係りの者がご案内に参ります。そちらにお掛けになってお待ち下さい。」
有名人慣れしてる受付の黒服イケメン君が、超人気俳優である斉藤健人を目の前にしても
顔色一つ変えず、ごく自然な笑みをたたえて受付横にある待合い場所を手で示す。
「ども。」
健人がペコッと頭を下げ、雪見にも座るよう目で促した。
だが雪見は、この黒服君の笑みが『もしかしてエレベーターん中でキスしてた?』
と言ってるように思えて、恥ずかしくて顔を上げられない。
それはまったくの被害妄想なのだが。
背の高い観葉植物でさりげなく囲われたそこには、座り心地抜群の革張りソファーが。
その脇に5つの猫入りキャリーバッグを置いて二人で座る。
だが、いくら邪魔にならぬよう配慮して置いたにしても、目を引くのは当然だ。
しかもその時、雪見はハッと気付いた。
朝着替える時に「どうせ母さんのお見舞いと猫を預けてくるだけだから
普段着でいいよね?」
と言って、猫の撮影にでも出かけるような格好にキャップをかぶり、
すっぴんに近いナチュラルメイクで出てきたことを。
後から店に入って来る客、出る客はみんな、それなりの格好をしてる。
そりゃそうだ。客のほとんどがテレビで見たことがある有名人、著名人。
いくらプライベートとはいえ、私服も見られてることを前提に選んで着てるだろう。
それに引き替え、このラフすぎる自分の格好…。
『おい、斉藤健人と彼女じゃね?彼女ってあんな年上なの?しかもどうよ、あの格好。』
通りがかる客みんながそう言う目で自分を見てる気がして、雪見は益々うつむいて
キャップのつばをグイと下げた。
早く係りの人、迎えに来ないかなぁ…。
「あのねぇ、そーいうのを自意識過剰って言うんだよ。」
隣で身を潜めるように小さくなってる雪見に、本心を見抜いた健人が言う。
「自分が思うほど、周りは人を気にしちゃいないから。
ここの会則忘れたの?他人に干渉するべからず。違反者は罰金…」
「一千万!」
「でしょ?(笑)それに今からそんなんだったら、この先気疲れするよ。
ゆき姉には悪いけど、俺と一緒にいると注目されるのは仕方ない。
けどね、いちいち気にしてたら生活なんて出来ないよ。
てか、俺ら結婚すんだよ?なにコソコソする必要あんのさ。」
「そりゃそうだけど…。こんなオシャレじゃない格好見られても…平気?」
雪見がキャップの下から上目遣いで健人の顔色をうかがう。
その表情がドキッと身体を反応させるほど色気があって、ヤバイと思った。
と、健人は何とかそれを誤魔化そうとヒョイとキャップを奪い取り、
「ひゃははっ!」と笑いながら雪見の頭を両手でクシャクシャに撫で回す。
「ちょ、ちょっとぉーっ!ヤダもぅ!髪の毛グチャグチャじゃないのぉ!」
ゆるふわロングヘアがグチャグチャロングヘアになり、雪見は慌てて手で髪を整える。
だが健人は少しも悪びれることなく、雪見の耳元に口を近づけてささやいた。
「どんなカッコでも、どんな髪でも、俺の最強に好きなゆき姉に勝てるヤツなんていないよ。」
健人がする無意識のキメ顔ってずるい。
柔らかで優しい声もずるい。
身体から立ち上る甘い香りもずるい。
何より…こっちからキスしたくなるような、ドキドキするセリフを吐く唇がずるい!
そう思った瞬間雪見の視界からスッと周りが消え、健人の首に手を回し唇を重ねてた。
きっとその場を通りがかった数組の客たちは一様に驚いたことだろう。
いや、一番驚いたのは健人に間違いない。
突然の出来事に目を見開いたままだったし、周りの客も見ない振りして
顔を背けてくれた。
だがここは『秘密の猫かふぇ』。それで良いのだ。
「私も外人さんになっちゃった。えへへっ♪」
普段しないことをし、いたずらっぽく笑う今の雪見は、どう見ても
年下の可愛い彼女にしか見えない。
年上の色っぽい綺麗なお姉さんだったり、年下の可愛い女の子だったり。
はたまた美人凄腕カメラマンだったり、地上に降りたマリアと表されるアーティストだったり。
雪見の顔がくるくる変わるたびにドキドキさせられ、胸がキュッと熱くなり
大好きが止まらなくなる。
「じゃ、おーれもっ♪」
今度は健人からキスをしようと顔を寄せた瞬間、「コホン!」と後ろから咳払いが聞こえた。
「お待たせ致しました、斉藤様。その続きはあちらでどうぞ。」
観葉植物のパーテーションの向こうからクスクス笑いながら現れたのは
なんと黒服を着た当麻であった。