涙の言い訳
母を見舞い病院を出た雪見と健人は、次に雪見の実家へと車を走らせた。
母が飼ってる猫5匹を『秘密の猫かふぇ』へ預けに行くために。
雪見のバッグの中には、母に署名してもらった二人の婚姻届が大事にしまわれている。
健人はこのまま車の進路を変え、区役所に婚姻届を出しに行きたい勢いだった。
が、残念なことに雪見の賛同はどうしても得られず。
雪見の夢は昔から、神父様の前で永遠の愛を誓い、それから婚姻届に二人で署名捺印し、
二人で区役所に届けを出しに行くことだった。
なので雪見の希望通りの手はずを踏むことにする。
「でもさぁ、おばさん元気そうで良かったよ!マジ、ホッとした!
これで安心してゆき姉を連れて行けるから…。
俺…もしおばさんの具合がもっと悪かったら…ゆき姉を置いてこうと思ってた…。」
「えっ…?あ…!」
思いも寄らぬ言葉に、運転中であるにも関わらず助手席の健人を凝視した。
そしてそれと同時に健人の言葉によって、今あることに気付いたのだった。
母は…母は健人に安心して私を連れてってもらうために、思い切り元気なふりを
してたのだと言うことを…。
人気アイドルに嫁がせる娘の母親として、それが使命と命を奮い立たせて…。
「ゆき姉ーっ!前見て運転しろよっ!…ったくもぅ、あっぶねぇなぁ!
明日行けなくなったらシャレになんないからっ!」
「ご、ごめん…。だってぇ…。健人くんがそんなこと言うから…。」
ヤバッ…どうしよう…。今泣いちゃダメだ…。
せっかく何も気付いてないのに…。母さんは元気だって思い込んでるのに…。
「ゆき姉…?なんで泣いてんの?」
運転しながらだと、涙をふき取るタイミングを逃す。
やはり涙を健人に見つかり、今度は健人が不思議顔で雪見を凝視した。
お願いだから気付かないで。涙の本当の理由を…。
「だって…健人くんが優しいこと言うから…。いっつもそうやって私を泣かす…。
あーあぁ!ズルいよなぁー斉藤健人は!」
「なんでぇ!?俺のせい?俺のせいなのぉ?」
「そう!健人くんのせい!私が泣くのはぜーんぶ健人くんのせいっ!
ドラマと同じカッコイイ顔して、そんな優しいセリフ吐くから!
世の中の健人ファンはねぇ、そーいう一撃でみんなやられちゃうのっ!」
ホントの理由を誤魔化すためとは言え、カノジョ的にはかなり苦し紛れの
無茶苦茶な言い訳を吐く。
にも関わらず健人は怒りもせず、さらに優しさの上乗せをしてきた。
「えーっ!?じゃ、どんな顔して言えばいいのさ。こんな顔?それともこんな顔?」
滅多にしないヘン顔を次々として雪見を笑わせようとする。
その優しさにまた泣けて、くしゃくしゃの泣き笑いをしながら前を向いた。
「ゆき姉、こっち見て。」
信号待ちで車を停止した途端、健人はそう言ってカチッと素早くシートベルトを外し
横を向いた瞬間の雪見に、そっと優しいキスをした。
「俺が優しいとしたら、ゆき姉のせいだからっ!俺はなーんにも悪くないっ!」
そう言ってにっこり笑う健人は、やっぱり格好良すぎてズルいと思った。
なんでだろ…。
最近健人くんを『イケメン俳優斉藤健人』として凄く意識する。
前は『はとこでちょっとイケメンの健人くん』と付き合ってると思ってたのが
今は『あの斉藤健人が隣に乗ってるよー!どうしよう!』とドキドキ落ち着かない。
これってただの一ファンと何ら変わりない気がするのだが…。
この変化は一体…いいこと?悪いこと?
実家に到着し、鍵を開け玄関に入ると一斉に猫たちが二人を出迎えた。
だが、明らかに母が帰ってきたと勘違いしたらしい5匹は、健人と雪見に
社交辞令程度に身体を擦りつけた後、1匹を残してまたどこかへと散ってしまった。
「そうだよね…。みんなが待ってるのは母さんだよね…。
ごめんね、母さんはまだ帰って来れないの…。
ほんとはここのお家で待っていたいよね…ごめんね…。」
しゃがみ込み、足元に残った1匹の頭を撫でながら雪見は、自分で言った言葉に
内心シマッタ!と思いながら必死に堪えた。
どうも最近涙腺が弱すぎる。今ここで泣いてしまったら健人の心を傷つける。
母の不在時に雪見を連れて渡米してしまうから、猫さえも寂しい想いをさせてしまう…と。
そうならないために、雪見は慌てて明るい声で猫たちを呼び戻す。
「忘れてたっ!おいでおいでー!美味しいご馳走買ってきたよー!」
5匹が美味しそうに高級缶詰を平らげ、満足そうに毛繕いを始めると
雪見はその間に押入の下から猫を入れて運ぶキャリーバッグを取り出した。
母に聞いてた通り3個しかないので、健人が車からめめとラッキーのバッグを持ってくる。
「ごめんね!めめとラッキーの匂いがして落ち着かないだろうけど、
少しの間だけ我慢してね。」
5匹を5つのバッグに収容した後、素早く猫トイレの中を掃除する。
母の留守中の実家に異常がないか一通り各部屋を見て回り、何事もないことを確認すると
雪見はその場で母にメールを入れた。
留守宅異常なし!
猫達も食欲旺盛元気いっぱい!
これから猫かふぇへ向かうよ。
母さんから預かったお金、
ちゃんとみずきに渡すから。
何も心配せずにゆっくり療養。
私達も幸せだから大丈夫♪
あ、留守宅の見張り番に、前に
3人で写した写真飾っておく。
病室に置いてくるの忘れてた。
退院したらこれ見て私達の帰り
を待っててねっ♪
by YUKIMI
送信してからその写真立てを、コトンと居間のテーブルの真ん中に置いた。
退院して帰った母が、居間のドアを開けて真っ先に目に留まる場所に。
誰も居ない部屋で「お帰りっ!」と私たちが出迎えてあげられるように。
『YUKIMI&』のラストライヴ終了後、元高校写真部の当麻に写してもらった
プロの雪見をも唸らせるようなベストショット。
健人、母、雪見の3人が、キラッキラな笑顔で写ってる。
きっと母も喜んでくれるに違いなかった。
この写真を目にしたならば…。
だけど…。
母がこの家に戻る日は、もう二度と来なかった…。
それを知ってか知らずか、遠ざかる車の中で5匹の猫たちは、
いつまでもいつまでも鳴き続けている。