再びのプロポーズ
本当にお腹を空かせてたらしいめめとラッキーは、雪見があげたフードを
カリカリと美味しそうに平らげて、満足そうにソファーの上で毛繕いを始めた。
それを見届け二匹の頭を撫でたあと、雪見がキッチンで酒のつまみを作ってると
雅人に詫びの電話をし終えた健人がやって来た。
「雅人さん…怒ってなかった?」恐る恐る健人の表情に探りを入れる。
「大丈夫!俺をすっぽかした奴はお前が初めてだ!って笑ってたよ。
帰国したら今日の埋め合わせはガッツリしてもらうから覚悟しとけ、だって(笑)。
忘れないようにしないとねっ。」
健人は雪見をギュッと抱きしめて安心させ「心配いらないから飲も飲も♪」と笑って言った。
ソファーに二人並んで腰掛け、健人が慣れた手付きでワインオープナーを操る。
二つのグラスに注がれた深紅のワインは、そこはかとない色気を醸しだし
その向こうに見え隠れする少し先の淫靡な景色を想像させた。
「今日も一日お疲れっ!」
小さく合わせたグラスの音が、二人きりの濃密な時間のスタートを告げる。
健人は、はやる気持ちを抑えながらも雪見の作ったつまみに手を伸ばし
「うまっ♪」と嬉しそうにワインを口に含んだ。
酒に強い二人にかかればワイン一本ぐらい、あっという間。
次に開けた白ワインが半分もなくなる頃には、雅人をすっぽかした件など頭から消えていた。
「ねぇ!ほんっとーに次の写真集、またゆき姉が撮ってくれんの?」
「ほんとだよっ。だから打ち合わせよりも真っ先に常務に直談判したでしょ?
手遅れにならないうちにね。」
「初めてゆき姉が事務所に来た時を思い出したよ。デジャヴみたいだった。
そんで部屋を出ようとしてたマサトさんが、ゆき姉の勢いにめちゃビックリして振り向いた!」
健人が雅人の顔を思い出し、ソファーにひっくり返ってお腹を抱えて笑ってる。
「だって…。健人くんの撮影現場眺めてて、また急に思い立っちゃったんだもん。
健人くんの写真は、もう他の誰にも撮らせたくない、って。
私以上に健人くんを撮れる人なんて、いて欲しくないって…。」
真顔で言ってる雪見に、胸を撃ち抜かれた。
鳥肌が立つほど、それは嬉しい言葉だった。
今やっと雪見の愛を手に入れた…そんな気がして、すぐさま雪見を抱きしめキスを繰り返す。
『ありがとう、愛してる』の言葉の代わりに…。
「そだ!そう言えば、おばさん大丈夫だったの?」
「えっ!?あぁ…うん、大丈夫だったよ。
なんか今の抗ガン剤が合わなかったみたい。少しお休みするって…。」
突然話を振られて慌ててしまった。
怪しまれたかな…。でも嘘じゃない。本当に抗ガン剤はやめるんだから。
残り僅かな命を穏やかに全うするために…。
母さんとの約束とは言え、君に隠し事をし続ける自分が悲しい。
でも…これが私なの。ごめんね…。
「そっか…。おばさんも辛いだろうな。俺がゆき姉をアメリカに連れてっちゃうから…。
きっと今一番そばにいて欲しいのは、ゆき姉…だよね。」
健人が少し悲しげな顔をした。やめてよ、そんな顔するのは…。
「違うよっ!お願いだからそんな風に思わないで…。
これは私と母さんが決めたこと。母さんが望んでることなの。
しっかり健人くんをサポートすることが雪見の使命だからね、って言われたわ。
だから大丈夫。私は母さんとの約束を果たすためにも渡米するのよ。何の問題もない。
お願いだから、もうそんな顔しないで…。」
やっと固まった心を、今さら揺り動かさないで欲しい。
私は…私は母よりも、あなたを選ぶ決意をしたのだから…。
「わかったよ…。じゃあさ、あさってはもう仕事無いから一日中病室にいて
二人で親孝行しよう!留守する二ヶ月分の親孝行!
俺、おばさんに頼みもあるし…。」
「えっ…?うちの母さんに頼みって…なんなの?」
親孝行と表現した健人が嬉しかったが、頼みなんて今までしたことないのに…と訝しげに思う。
「まだ教えなーい!」
「ケチっ!気になって眠れないでしょ!」
「いいよ、どうせ今夜は寝かさないから…。」
健人の唇があとちょっとで重なりそうになるその瞬間、雪見はスッと身体を引いた。
「教えてくれないと、キスしてやんない!」
「ひっでぇ!それじゃマサトさんをすっぽかしてきた意味ないじゃん!」
「じゃあ教えてっ!」
しょーがねーなぁ!と言いながら健人は寝室へ行き、一通の封筒を持って戻って来た。
差し出された封筒の中の折り畳まれた用紙を開いてみると、それは…。
それは婚姻届けであった。
「これにさ、証人の欄があってさ。おばさんに署名して欲しいんだよね。
もう一人の署名は、うちの母さんにしてもらってるから。」
「えっ…?」
「ほんとはさ、届け出すのはこっち帰って来てからだから、まだいっかって思ってたんだけど。
でも、今はおばさんを少しでも早く安心させてあげたいじゃん。
だからマネジャーさんに、これもらいに行ってもらった。
で…向こうに行ったら即結婚式っ!」
「ええーっ!?6月の予定だったでしょ!?」
初耳の雪見は驚くより仕方ない。
「だってこっち帰って来たら忙しくて、絶対新婚旅行なんて行けないと思う。
だからアメリカ留学を全部新婚旅行にしちゃえ!って思ってさ。
演劇学校の週末休みに、色んなとこ見て回ろうよ。
俺、ゆき姉と行きたいとこ山ほどあるんだ!今からめっちゃ楽しみっ!
あ…すげー文句言いたそうな顔してるー!
けどもう決めちゃったからね!教会も手配してもらったし。」
健人がサラッと言ってるふうを装って、実は内心ドキドキしてるのが雪見にはよくわかった。
お芝居ならこれくらいのセリフ、いとも簡単に格好良く決めるのに…。
けど今のは早口で声が所々うわずってて、視線があちこちに泳いでた。
俳優斉藤健人としては下手くそすぎるよ!それじゃただの人…。
学芸会から逃走した私のはとこ、健人くんでしょ…。
そう思った途端、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「なんで…なんで勝手に決めちゃうのよ…。
もし私がヤダって言ったら、どうするつもり…?」
「ヤダなんて言わせない。一種類の返事以外は認めないから。」
指先で雪見の涙をぬぐい取り、そっと口づけすると、やっと健人が笑顔を見せた。
「じゃあ…私が違う返事をしないように念押しして。」
「俺と早く結婚しろっ!じゃないとお仕置きっ!」
健人が笑いながら、ヒョイと雪見を抱き上げる。
大好きな人の首根っこにつかまりながら、雪見は熱いキスで返事した。
「望むところよ!一生私から離れられないようにしてあげるから覚悟してねっ!」
二人はリビングの照明も消さないまま、寝室のドアをパタンと閉めた。
幸せな幸せな、再びのプロポーズ。
二人きりの結婚式は渡米十日目の4月17日、日曜日に決定!
なんでこの日かって?演劇学校が休みだから(笑)
別に二人の記念日に特別な日付はいらない。
なぜなら、これからは毎日がMemorial daysだから…。