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悲しみの宣告

トントン♪「失礼しまーす!」


3階の面談室にはすでに、院長と担当看護師の田中が待ち構えている。

雪見は仲良しの田中に『また母をよろしくねっ!』との軽い気持ちで微笑んだ。

だが…今日の田中にいつもの笑顔はなく、代わりに乳がん専門看護師の

プロフェッショナルな、だけど険しい顔がこっちを見てた。


雪見と婦長が着席すると同時に院長が口を開く。

「先ほどはタダで素晴らしい歌を聴かせてもらいましたよ。」


ドキッ!やっぱ聞こえてたかー!


「申し訳ありませんでしたっ!大声で歌うなんて非常識過ぎました。

でも母に、どうしてもとせがまれて…。」

雪見がペコペコと平謝りに謝る。

だが院長はすんなりと、でも衝撃的にそれを許した。


「お母さんの望むこと、なんでも叶えてあげて下さい。」


「えっ…?」


意味が頭で理解出来ずにいた。

それはすごく簡単な日本語だったと思うのだが、まるで聞いたこともない言語のように

心に染みもしなければ頭で解釈も出来なかった。


しかし身体は正直に、正常に反応する。

鼓動が早まり身体がカッと熱くなる。太腿に置いた手はギュッと拳を握り締め、

瞳からは今にも涙が溢れそうだった。


「それ…は…どういう意味でしょうか…。」

やっとの思いで絞り出した声に、院長が職務を全うすべく雪見の目を見て言う。


「状態が…あまり思わしくありません。抗ガン剤が効いてないと思われます。」

院長は雪見の反応を待つために一呼吸置いたのだが、何も答えられる状態にないと見て

そのまま言葉を続けていった。


「最終的な詳しい検査はこれから行いますが、所見から申し上げますと、

肺に転移したガンの勢いが止められない状況にあると思われます。

お母さんとお話なさってみて…わかりますよね?以前とは違うことが。」


うなずきたくはなかった。認めたくはなかった。

だが「はい」と答える自分の声を聞きたくなくて、こくんと微かにうなずいた。


「アメリカに旅立たれるのはいつですか?

それまでに滞在予定と連絡場所を看護師に伝えておいて下さい。」


院長の声が遠くに聞こえる…。何かを一生懸命説明してくれてるようだ。

だが院長は確かに目の前にいるはずなのに、私の瞳はそれを素通りして

その先の窓に広がる雨雲を眺めてた。


健人くん…。

撮影はもう始まった?また雨が降りそうだよ…。

今すぐ…会いに行きたいよ…。


健人を想った途端、瞳から雨粒のような涙がぽつんぽつんと落ちてきた。

会いたくて会いたくて、怖くて今すぐここから逃げ出したくて…。

想いを何もかも吐き出して、健人の胸の中で泣きたかった。


だが…。

ふと視線を近くに戻して目に入った母のカルテが、その想いを阻止する。

『言っちゃダメ…。言っちゃダメだよ、雪見…。』

母の声が聞こえた気がした。


「僕たちは最後まで、全力を尽くしてお母さんの命を守る努力をします。

ですが…ここから先の人生をどう生きてゆくか…。

その選択権は僕らではなく、命の持ち主であるお母さん自身にあります。

最後まで、あらゆる手を尽くして病と闘い続けるか。

それともこの先の人生を、病院から離れて好きな場所で好きなように全うするか…。」


心臓がギュッと縮んだまま、やっとの思いで声を絞り出す。

「それは…もう…それを選択しなければならない時期に入った…。

…そう言うことで…しょう…か。」


「残念ながら…多分そうだと思います…。」



わかりました…と言って出て来た気がする。

いつの間にか、病院の駐車場に止めた車の中にいた。


健人が私のために買ってくれた新しい車…。


『いつかこの車に二人で乗って、遠くまであてのない旅に出たいねっ。

景色のいい場所に車を止めてさ、シート倒してお昼寝すんの。

そのためにシートは座り心地抜群の、オプションシートに替えてもらったんだからねー!』


『で、中も見えないように真っ黒なスモークガラスってわけ。

それってお昼寝じゃなくて、なんか違う目的なんじゃないの?(笑)』


『あれ?それも含めてのお昼寝でしょ?』


車が納車された日、そう言って笑った健人をなぜか思い出してる。

と、その時だった。ケータイにメールが届いた。それは偶然にも健人から。


まだ病院かな?事務所かな?

雨降りそだから撮影場所変更。

近くで見つけた、めちゃおされな

カフェ来たよー♪

ここ絶対ゆき姉好きだよ絶対!

いやー今すぐ迎えに行きたいわ。

なんか今日、あなたのことばかり

思い出す私。なんでやねん。

大好きだからに決まってんでしょ

て、あなたのツッコミが空耳。

ぴんぽーん!大当たりー☆

さ、お仕事おしごと。


  by KENTO


ケータイを握り締め、声を上げて泣きに泣いた。


なんでいっつもこんな可愛いメールよこすのよ…。

私よりも女子力高すぎだっつーの!

可愛げ無い私のメールの立つ瀬がないじゃない…会いたいよ…。


車のシートに健人の温もりと残り香を感じた気がする。

次の瞬間泣きながらエンジンキーを回し、滑らかに駐車場を後にした。



今朝聞いた撮影場所は、病院と事務所の中間あたりにある公園だ。

そこをスタート地点とし、健人からのメールをヒントに近くにある

お洒落なカフェを、車を走らせながら探すこと5分。


あ…あった!


絶対ここだと確信した。

健人が2度も「絶対」と力説した、私が好きそうなカフェ。

ありがと!よく私をわかってくれてて… 。

大好きだよ、こんなカフェも、そんな君も…。


店の向い側にさり気なく車を止める。

すると古びた木枠窓の向こうに、何やら真剣に打ち合わせ中の健人の横顔が見えた。

それから程なくして彼のグラビア撮影はスタート。

外を向いて配置された窓辺のカウンター席で、本を片手にコーヒーを飲む姿や

ペタンとカウンターに突っ伏して、うたた寝する姿などが外に出たカメラマン氏によって

窓越しに手際よく撮影される。


いいな…。私も健人くんの写真が撮りたい…。

今ならもっと違う顔が撮れる自信があるのに…。


色々な構図が次から次へと溢れんばかりに浮かんでくる。

こんなショットも撮ってみたい。今度はこんなシチュエーションにも置いてみたい。

可愛いだけじゃなく、思いきり色気を感じる顔も撮してみたい。


気が付くと、とっくに涙は乾き、頭の中から悲しみも母の顔も消え去ってる。

それどころか健人が恋しくて会いたくて飛んできたのに、いつの間にやら

単純にカメラマン浅香雪見の目線で健人を見てた。


あっ!健人くんがこっち向いちゃった!


雪見は慌てて車を発進させた。

こんな黒の車はどこにでもあるし、窓もスモークガラスだから中に乗ってる人は見えない。

雪見と気付かれたはずはないのだが、なぜか覗き見がバレたみたいで気恥ずかしかった。


でもなんだろ?無性に今、仕事がしたくて仕方ない。

猫カメラマンに戻るのが楽しみだったはずなのに…。


今、被写体にしたいのは猫ではなく健人…だと思った。


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