私の使命
「常務っ!なんで夏美さんを止めてくれなかったんですかっ!
こんな時間になっても戻って来ないなんて…。俺…探して来ます!」
「待てっ!お前までいなくなってどうすんだっ!少し落ち着けって!
夏美さんがライヴに穴を空けるわけがない!もうすぐ戻る。必ず…。」
ライヴ開始30分前。
いまだ夏美らとは連絡もつかず、帰ってくる気配さえ無い。
楽屋の小野寺、今野、牧野、進藤の四人は、雪見不在を気付かれぬよう
素知らぬ顔して準備を進めていた。
だが、取材を終え雪見の楽屋を訪れた健人が、それに気付かぬ訳がない。
続いて入ってきた当麻とみずきも、心配顔で壁の時計を見つめてた。
珍しく声を荒げた健人を、今野が肩を叩いてなだめる。
しかし健人は、ライヴ一時間前という非常識な時間に雪見を連れ出した夏美と
それを止めなかった小野寺に対して、それ以上は何も言わなかったが
明らかに憤っていた。
俺が一緒にいたら絶対止めてたのに!
あり得ねっつーの!一時間前に連れ出すなんて!
もしこのまま時間までに戻って来なかったらどうすんだよっ!
けど俺…なんでゆき姉に付いててやらなかったんだろ…。
リハーサル中だって平気な顔して笑ってたけど、ほんとはちっとも
平気なんかじゃなかったんだ…。
俺だってあんな中傷凹むけど、いつものことだって流したから…。
でもゆき姉は耐えられなくて当然だった。
今朝、泣いてたのに…。なんで大丈夫だからって安心させてやらなかったんだろ…。
まさか…結婚やめるとかって言い出すんじゃ…!?
なにやってんだよ、俺っ!ばっかじゃねーのっ!
夏美と小野寺への憤りは、いつの間にか自分への怒りにすり替わっていた。
気にしてない振りするのが正しいと思い込んだ自分が、腹立たしくて仕方なかった。
早く謝りたい。俺が守るから心配しないでって伝えたい。
早く…早く…。
その時である。「来たっ!健人!ゆき姉が帰って来たよっ!!」
みずきが笑顔で振り向いた。
その声に小野寺が慌てて廊下へと飛び出し、左右をキョロキョロと見渡してる。
が、あいにく雪見の姿など見つかるわけはない。
何故なら、みずきの目に映ったのは、駐車場に猛スピードで滑り込んだ
夏美の赤いポルシェだったからである。
「おいっ!ただの空耳じゃないか!…ったく…。」
溜息をつきながら戻った小野寺も、夏美を許可した事を今更ながら後悔してた。
と、シーンと静まり返る楽屋に、遠くからバタバタと駆ける足音が近付いてくる。
「ゆき姉だっ!」
みずきが叫ぶよりも先に健人が凄い勢いで廊下へと飛び出す。
そして全速力で駆けてくる雪見を楽屋前で受け止め、力一杯ギュッと抱き締めた。
「遅っせーんだよっ!!」
いきなり進路をふさがれ驚いた。
一分の猶予も無いと夏美に言われ、車が止まると同時に駆けて来たのに。
健人の腕の中で弾む息を整えながらもその力強さに、どれほど心配してたのかを思い知る。
「ほんっとにごめんねっ!!みんなにも謝らなくちゃ。早く衣装に着替えるね!」
そう言いながら雪見が健人の胸から離れようとしたその時だった。
「俺から…逃げ出したのかと思った。もう一人は…やだよ…。」
「えっ…?」
健人の口から思いもよらぬ言葉がこぼれ落ちた。
それは呟きほどの小さな声ではあったが、だからこそ雪見の心は鷲掴みにされた。
モウ ヒトリハ ヤダヨ・・・
いつも側に近づけないほど大勢の人に囲まれてるのに…。
あなたを慕う人は星の数より多くて、私でさえはじき返されるのに…。
それでもあなたは孤独だったの…?
ずっとずっと、ひとりぼっちで生きてきたの?
胸がギュンと縮こまり、可哀想で切なくて思わず健人を優しく抱き締める。
そして今やっと住職からの言葉がストンとみぞおちまで落ちた気がした。
彼が本当にあなたを必要としている…。
あなたに助けを求めている…。
あなたはこの世にその使命を受けて生まれて来た…。
そうか…。だからいいんだ、私で…。
私は健人くんのために生まれてきたんだもの…。
誰の言葉も関係ない。
健人くんの心の声にだけ耳を澄ませていればいいんだ。
懐深くに住職の言葉をしまい込んだら、自分の中のスイッチがやっとONになる。
ギュッとハグしたあと身体を離し、大きいけれど寂しい目をした健人を見つめ
思いっきりの笑顔で言った。彼の心を救うために。
「ごめんね!もう寂しい思いなんて絶対させないから。
私ねっ、健人くんを助けるために生まれて来たんだって!
今、夏美さんに怪しいお坊さんのとこに連れてかれたんだけど、
そのおじいちゃんが霊能者みたいな人でね。
私の心、ぜーんぶ読まれてそう言われたの。
凄くないっ?私が健人くんを助けるために生まれてきたって!
めっちゃテンション上がるでしょ!」
スタンバイまで時間がないので、とにかく早口でまくし立てる。
それを最初はポカンと聞いてた健人だったが、終いには顔をくしゃくしゃにし
本当に嬉しそうに笑ってた。
「マジっ!?マジでそう言われたのっ!?
ゆき姉が俺を助けるために生まれて来たって?それって運命の人ってこと?
やった!!すげーっ!マジすげっ!!めっちゃ嬉しいんですけど!
ねっ!俺もそのじーちゃんに会ってみたい!今度、俺も連れてって!」
健人の喜びようは見てる周りの者が一瞬呆気にとられるほどだった。
まるで新雪に転げ回る子供のように全身で喜びを表し、みんなもつられて笑顔になった。
だが、途中から入って来たこの人だけは…。
「誰が怪しいお坊さんですって!?誰がじーちゃんですって?
いつまでもふざけてないで、とっとと準備しなさーいっ !!」
夏美が落とした雷のお陰でみんなが我に返り、サーキットのピットインよろしく
これ以上無いというスピードで雪見のスタンバイに手を貸す。
こうして『YUKIMI&SPECIAL JUNCTION TOUR 2011 絆』は最後のライヴを
定刻通りに開始した。
ステージ上の雪見と健人、当麻の三人は、思う存分自分らの力を発揮。
翌日のスポーツ紙にも大きく取り上げられるほどの名ステージを繰り広げた。
そして…いつまでも名残惜しく響き渡るファンの歓声を背中に、
今そっとステージの幕を下ろす。
『YUKIMI&』が浅香雪見に戻った瞬間、健人は雪見を抱き締めた。
「よく頑張ったね。泣かないでよく最後まで頑張った。褒めてあげるよ。」
子供を褒めるかのように頭をよしよしと撫でられた途端、雪見の瞳からは
ステージで堪えてた涙がすべて床にこぼれ落ちた。
その場所に確かに居たことの証を、くっきりと刻むかのように…。
こうして期間限定アーティスト『YUKIMI&』 は、跡形もなく消え去ったのである。