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謎の老人

「ここ…お寺?…ですよね。

こんな所にこんな大きなお寺があったなんて…。」


「そう、ご覧の通りよ。さ、時間がないわ。急ぎなさい。」


車を降りてすぐ、スタスタと先を歩き出した夏美に、慌てて雪見も小走りで追いつく。

うっそうと茂った広い境内の大木が、都会の喧噪も街の明かりさえも遮断し、

まだ夕方五時過ぎだというのに真夜中のような恐怖を感じた。


と、その時だった。

薄明かりの雪見の足元を、何かが音もなく通り過ぎた。


「ひゃっ!やだぁー!なんか足に触ったぁ!」


思わず雪見が夏美の腕にしがみつく。

それを夏美はクスクスと笑いながら、「案外怖がりなのね。」とだけ言って

しがみつかせたまま平然と先を急いだ。


玉砂利を踏みしめる二人分の足音だけが、ザクザクと後ろからついて来る。

半分目を閉じ、腕を振り払われぬよう夏美の腕を抱え込みながら歩く雪見には

ここがいつまで経ってもたどり着けない、迷宮のようにさえ感じた。



「あ!待ってて下さった!御前様だわ。」


夏美の、やけに明るく弾んだ声に目を見開くと、寺の本堂と思われる前に

一人の老人がニコニコと出迎えてる。


いや、住職であろうお方を老人だなんて…。

『間違えました、ご住職です!』

罰当たりだった気がして、雪見は慌てて心の中を訂正した。


「いらっしゃったな。待ってましたよ、雪見さん。

こんな老人の元へ、よくおいでなさった。夏美も元気で何より。」


「えっ!?あ、あの…浅香雪見と申します !初めまして…。」

雪見は辛うじてそれだけは挨拶出来たが、心臓がバクバクしてその後が続かない。


なっ、何者!?この人。なんで老人って思ったのがバレたの!?

私の心を読まれた?…なーんて、まさかね。偶然でしょ。

自分でも老人だって自覚してるんだ、きっと…。

にしても、なんで夏美さんは私をここに?

それに住職、随分親しげに夏美さんを呼び捨てにしてたけど、どういう関係?


解らない事だらけで不安になって、隣の夏美にすがるような目を向けたが、

夏美はただ微笑んで目の前の老住職を見つめてた。

それはまるで、愛しい人との再会を喜ぶ少女のような顔をして。


「さぁ、中に入りなさい。時間が無いのだろう。

雪見さんも、そんな顔しないでよろしい 。

私はあなたを治療するために待っていたのです。さぁ、中へ。」

本堂に入ろうとした住職に、雪見が驚いて大声を上げる。


「治療!?…ですか?私を?私はどこも悪くなんか…。」


「心と喉が弱っておる。…違いますかな?」

振り向きもせずそう言った住職は、スッと中へと入っていった。


その後を追いながら、上ずった声で夏美に聞いてみる。

「夏美さんが電話で知らせたんでしょ?私のこと。だから知ってるんだよね?

あの方はお医者様なの?これから私、何されるの?」


先の展開が読めぬほど不安な事はない。

もはや雪見は、今がラストライヴ45分前であることなど、頭に浮かびもしなかった。


「お医者様?ふふっ、残念ながら全然違う。

まぁ医者より素早く治して下さるのだから、ある意味スーパードクターかも知れないけど。

さ、時間がないから早く中へ!」


夏美に背中を押されながら、恐る恐る足を踏み入れた寺の本堂。

そこにはゆらりと漂う線香の香りと住職が、すでに雪見を待ち構えてた。

向かい合わせに置いた座布団の一枚に座る住職は目を閉じ、何やら瞑想状態にある。

必然的にもう一枚に座らされたのは雪見で、夏美は斜め後方の板床に正坐した。


声を出すことが許されぬほどの張り詰めた空気。

雪見の心臓音だけが、ひんやりとした本堂に鳴り響いてる気がする。

身の置き所がない沈黙…。永遠にも思える時間…。

その時、スッと住職の両まぶたが見開いた。


「なぜ…彼の言葉を信じない。」


「…えっ!?」


多分、瞬間的に鼓動は止まったであろう。

それほどまでに不意打ちで驚愕の問いだった。

見透かされてると感覚でわかった。心が読まれてるんだ、と…。


雪見の驚きなど意に介さず、住職は言葉を繰り出した。

まるで天からのメッセージを読み上げるかのようによどみなく、一息に。


「守ると言ったであろう…。心配するなと言ったであろう。

なぜ、その言葉を信じない。彼の言葉に一度でも嘘はあったか?

信じられないのは、そなたの心が弱いだけ。

信じてさえいれば、おのずと道は拓ける。」


最初の一言から涙が溢れ出た。止めどもなく流れる涙が膝を冷たく濡らした。


その通りだ。わかってる。そんなこと、とうに知っている。

他人の目や言葉など、彼の前では無効であることぐらい。

なのに、自分が弱いばかりに逃げ出したくなる。

すべてを放り投げて、何処かへ隠れたくなる。

私が弱いから…。私が弱いから…。


「良いことを教えよう。」

住職の顔が能面のような無表情から一転、我に返ったように穏やかに笑ってる。


「彼はこの先、必ず大成するであろう。

だがそれには雪見さん、あなたの手助けが必要だ。

あなたが彼の、心の支えとならなければ成し得ない。

なぜなら、彼があなたを本当に必要としているからです。

あなたと彼の間に、余計な雑音など挟む必要はない。

彼の言葉、彼の心にだけ耳を傾けておればそれで良いのです。


なぜあなたが皆に助けを求められるのか、お分かりかな?

それはあなたが、この世にその使命を受けて生まれて来たからです。

人間誰しも、何かしらの役割を背負って生まれてくる。

あなたに与えられた使命が今、たまたま重なってるだけのこと。

その使命に出会った時、人はすでにそれを成し遂げられるだけの力量を身につけている。

生まれてすぐに、それに出会うのではない。

使命を全う出来るだけの力を蓄えた時、それに出会うのです。

お分かりかな?」


ニッコリ笑ったあと住職はスッと前に手を伸ばし、雪見の喉元に無骨な指を触れる。

二度三度指先で撫でた後「よし、大丈夫じゃ。」と再び穏やかな顔を見せ手を膝に戻した。


「喉はもう大丈夫、これで元通り。ひどくならないうちで良かった。

なんせ時間が無いからのう。今日は応急手当だ。

心の痛みはもう少し時間をかけて、じっくり治した方がよい。

落ち着いたらまたここへ来なさい。

いや、アメリカへ旅立つ前に必ず来なさい。わかりましたね。

さぁ、皆さんがお待ちかねだ。行きなさい。夏美、あとは頼んだよ。」


夏美は嬉しそうに「はいっ。」とだけ答え、スクッと立ち上がった。



夢の中の出来事だったのだろうか。

車の時計はあれから10分しか進んでいない。


赤いポルシェの運転手は、来た時よりも優しい横顔をしてた。


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