秘密の手助け
「ねぇっ!健人くんからも常務に言ってよ!
ゆき姉はアーティスト活動続ける気は更々無いって!
四月になったらフリーカメラマンに戻るんだって!
ちょっ…健人くん?なんで健人くんまでニヤけてんのよっ!まったくもーぅ!!」
そう雪見に指摘された健人は慌てて顔を立て直したが、すでにその嬉しげな顔は
皆に目撃されたあと。
どう取り繕っても周りからのツッコミに反論の余地は無かった。
「そりゃ嬉しいに決まってるよなぁーっ!
大好きなゆき姉と、あと半年も一緒に仕事出来んだから。」
「そうそう!でもねっ、いくら外でクールに決めてても、今みたいな顔したんじゃ
イケメン俳優の名が台無しだからねっ!斎藤健人くん♪」
「う、うるっさいわ!」
真っ先に容赦なく突っ込んできたのは、当麻とみずきだった。
しかもみずきのなんて明るい声!
さっきまでの涙はどこへ行ったやら、当麻と二人ではしゃいでる。
だが、よくよく見渡すと、その控え室にいるみんなが微笑んでいた。
当の雪見を除いては…。
その微笑みの意味は、当麻とみずきのツッコミが的を得て絶妙だったせいもあるが
本当は健人の笑顔と同様、あと半年間雪見が事務所に残るということが
単純に嬉しかったのだ。
そしてみずきが泣き止み笑ってるのも、健人の顔が可笑しかっただけでは勿論なく、
大好きな雪見と一緒に猫カフェを立て直す事が出来るかも知れない、という
絶望から希望へと転換された笑顔でもあった。
「お前らっ!冗談言って笑ってる場合じゃないぞ!
リハーサル時間ってもんがあんだからなっ!
それに雪見!誰がアーティストとして半年引き留めると言った?」
「えっ?違うんですか!?」
「お前には今のポジションを生かして、色々やってもらいたい事がある。
あの猫カフェを何としてでも救いたいんだろ?だったら俺に力を貸せ!
いいか!時間がないから今は黙って俺の話を聞くんだ。
反論はライブの後でゆっくり聞く!いいなっ!」
小野寺が腕時計に目をやりながら姿勢を正す。
それを見て雪見も、取りあえずはアーティスト活動ではないという事に安堵し、
話の続きを聞く体勢を整えた。
「津山泰三事務所が一等地のビル地下に所有している『秘密の猫かふぇ』だが…。
相当な金をかけて全面改装した負債並びにビルの地価上昇に伴う家賃の値上げ、
客足低下その他諸々の理由により津山事務所が維持する事が困難な状況に陥り、
手放さざるを得なくなった。」
「えっ…!?客足低下?」「静かにっ!」
思わず反応してしまった雪見は、素早く夏美から注意を受けた。
今すぐ聞き返したい事は山ほどあったが、なんせ今は小野寺が言う通り時間がない。
なぜこんな時にこんな重要な話を始めたのか、小野寺の真意を掴みかねたが
それさえも問いただす時間が無いことは明白である。
とにかく最後まで話を聞くより手立ては無かった。
「津山さんが…うちの事務所に助けを求めに来たんだ。
親友から預かった大事なものを、自分の手で潰す訳にはいかない、とな。
あの店を変らず存続出来るのなら、自分の事務所など惜しくもない、ともおっしゃった。
もはや自分にはあの店を救済するほどの力が無いと知り、引退を決意したそうだよ…。」
「おじいちゃん…。」
みずきは、薄々感じていた大御所俳優の潮時を、自ら認めてまでこの事務所に
頭を下げた祖父の心中を想い、再びの涙が滲んできた。
「俺、実は若い頃、津山さんにはえらい世話になってな。ま、色々とあって…。
だから津山さんの願いは何としてでも聞いてやりたかったし恩返しがしたかった。
久々に社長に口角泡飛ばして直訴したよ。説得するのに難儀した。
なんせリスクの大きな秘密の店を抱える事になるんだからな。
あ、言っとくが、うちの事務所が『秘密の猫かふぇ』を運営する話は、
トップシークレットだからそのつもりで。
社内でも必要最低限の人間にしか知らされていない。
だけどな、まぁ一番は俺があの店を潰したくなかったからなんだけどよ。
つい最近会費払って、また3ヶ月延長したばっかだし。
あそこが潰れたら、お前らからのストレスを癒やす場が無くなる!
ま、せっかく癒やされてても、お前らがワイワイ言いながら入ってくると
ガッカリするんだけどな。あっはっは〜!」
「えっ?ええぇ〜っ!!??」
神妙に話を聞いていた健人、雪見、当麻が、同時に素っ頓狂な大声を張り上げた。
無理もない。目の前に座ってる小野寺が『秘密の猫かふぇ』会員だなんて!
しかも店で遭遇してる時があったなんて!
「う、ウソですよね!?常務が猫カフェの会員だなんて!
てか、みずきは知ってて黙ってたのかよぉ!?」
当麻が長いまつげをぱちくりさせながら、みずきと小野寺を交互に見た。
「だって私はオーナーよ!いくら当麻たちが相手だって、お店の会則を
破るわけないじゃないのっ!」
みずきが隣りに座る当麻の太ももを、バシッ!と叩く。
「なんで俺も嘘をつかにゃならんのだ!ほら、見てみ!ゴールド会員カード!
それに俺が会員じゃダメだってーのかっ!?」
小野寺が、仕立ての良いスーツの内ポケットから長財布を取り出し、
素早くその中から一枚のカードを抜いて、テーブルの真ん中にペシッ!と置いた。
「常務!ご、ゴールド会員なんですかぁ!?凄すぎっ!」
「ねぇ、なぁに?ゴールド会員って?」
大きな目を見開いてビックリしてる健人に、隣の雪見がヒソヒソと聞く。
するとそれに答えたのは健人ではなく夏美だった。
「ゴールド会員は、あなた達一般会員と違ってアルコール類も飲み放題なの。
まぁ会費もその分たくさん払ってるけどね、三ヶ月で30万。
ちなみに私もゴールド会員だけど、この急いでる時に他に何かご質問でも?」
「さ、さんじゅうまん〜!?い、いや、ありません…。」
雪見は呆気にとられて次に呆れた。
どんな会費よ、30万って!この不況の世の中に。
いくら業界人や財界人がターゲットのお店にしたって、それを払ってまで
会員になる人がいるなんて!
けど、客足低下の原因はそんな事も関係してるんじゃないのかな。
今まで気にも留めなかったけど、案外いろんな所に改善の余地があるのかも…。
早口で大まかな説明を終えた小野寺は、最後に雪見の目を見てもう一度問いただす。
「雪見。俺たちに力を貸してくれるよな?
これはうちの事務所内でも秘密のミッションなんだ。」
即答はできなかった。
一体自分ごときに何が出来ると言うのだろう…。
アーティスト活動を辞めたら、私はただのカメラマン。
無名の猫カメラマンなのに…。
…猫カメラマン?
そうだ!私って猫カメラマンだったんだ!忘れてた。
もしかしたら私にも、力になれる事があるかも知れない…。
みずきや宇都宮さんに恩返しが出来るかも知れない!
よしっ!!
「私で良ければ喜んでっ !」
今日一番の雪見の笑顔は、秘密の仲間に力強い結束感を与えた。
さぁ気持ちを切り替えて、後は心をひとつにライブの成功を勝ち取ろう!